cat_oa-shujoprime_issue_66af6cd390cc oa-shujoprime_0_66af6cd390cc_伊藤綾子が“妊活”を開始か 66af6cd390cc 66af6cd390cc 伊藤綾子が“妊活”を開始か oa-shujoprime

伊藤綾子が“妊活”を開始か

2018年10月9日 18:00 週刊女性PRIME

伊藤綾子

 嵐・二宮和也と元フリーアナウンサーの伊藤綾子に対して、今もバッシングが続いている。

「'16年7月に二宮さんが伊藤さんと交際していることが発覚。お互いの両親との顔合わせもすんでいるようですが、ファンは快く思っていませんよ」(ワイドショー関係者)

 二宮のファンが激怒しているのは、伊藤の思わせぶりな行動に対してだ。

「彼女のブログに、二宮さんとの交際をうかがわせる写真や記述があったんです。それを見たファンから、意図的に交際をひけらかしていると思われてしまったようですね」(同・ワイドショー関係者)

 嵐は不動の人気を保ち続けており、事務所としては結婚を認めたくないのが本音だろう。

結婚に向けて……


「ファンクラブ会員数は200万人を超え、昨年の『オリコン年間ランキング2017』の『アーティストトータルセールス』では108億円を記録。5年連続で1位に輝きました。今や、SMAPの全盛期以上の人気だと言っても過言ではありませんよ」(レコード会社関係者)

 今年、ジャニーズは元TOKIOの山口達也やNEWSの小山慶一郎らの不祥事が報じられ、滝沢秀明が年内で芸能界引退を発表するなど、混乱に見舞われた。そんな中で、嵐はジャニーズ事務所を支える屋台骨となっている。

「7月25日リリースの『夏疾風』は発売初週で47万枚を売り上げ、オリコンランキングで1位を記録。今月24日には、相葉雅紀さん主演のドラマ『僕とシッポと神楽坂』(テレビ朝日系)の主題歌で通算56枚目のシングル『君のうた』がリリースされます」(同・レコード会社関係者)

 大事な時期を迎えているメンバーたちだが、二宮はというと、伊藤との結婚に向けて着々と準備を進めている。週刊女性では今年4月にふたりが半同棲状態にあることを報じた。

「今年8月には『週刊文春』が“婚前旅行”をキャッチ。高級リゾートのモルディブに行っていたそうです。相変わらず順調に交際していることがうかがえましたね」(スポーツ紙記者)

 さらに、伊藤が結婚を意識しているかのような行動が噂されている。有名な産婦人科がある都内の病院にたびたび通っているというのだ。

今年の8月末から、月に2~3回くらい来ているという話です。この病院は松嶋菜々子さんや神田うのさん、広末涼子さんなど、多くの芸能人が出産したといわれるところ。伊藤さんは今年で38歳になるので、“愛する彼の子どもを産みたい”と、妊活に励んでいてもおかしくはありません」(芸能プロ関係者)

 すでに伊藤が妊娠しているのでは? という声もあった。

週刊誌に撮られた伊藤さんがぺたんこのスニーカーをはいていたりして、ファンの間では“妊娠を匂わせている”と話題に。彼女は夢中になると周りが見えなくなるタイプですから、結婚へ突っ走る可能性もあると思いますよ」(同・芸能プロ関係者)

 嵐といえば、10年以上交際が継続中の松本潤と井上真央のカップルも。交際をファンにも応援されるほどのふたりは、これまでも度々“結婚秒読み”報道がされてきたが、

「事務所としては松本さんと二宮さん2人同時に結婚というのは困る。このままいけば、強硬に結婚を認めるように迫る勢いの二宮さんが優先される可能性もあります」(前出・ワイドショー関係者)

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cat_oa-shujoprime_issue_66af6cd390cc oa-shujoprime_0_3fdd03d31741_イケメンテニスプレーヤー堀江亨「いずれは俳優業にも挑戦」 3fdd03d31741 3fdd03d31741 イケメンテニスプレーヤー堀江亨「いずれは俳優業にも挑戦」 oa-shujoprime

イケメンテニスプレーヤー堀江亨「いずれは俳優業にも挑戦」

2021年10月24日 16:00 週刊女性PRIME

堀江亨 撮影/吉岡竜紀

 実りの秋、スポーツ界にもフレッシュなイケメンがたわわです!お顔もプレーする姿もさわやかすぎて、もうくぎ付け。その気になる人柄は……?『月とオオカミちゃんには騙されない』に出演し、話題となったテニスプレーヤー・堀江亨を初特写!

“とおる様”の愛称で魅了


「今の目標は、国際大会で優勝すること。きちんと成績を残して、もっともっと成長したいと思っています!」

 ウィンブルドン・ジュニア選手権ベスト8、全米オープンテニスジュニア2位、ジュニアデビスカップ(国別対抗戦)世界4位……数々の華々しい記録を持つテニス界の新星・堀江亨。

 '20年にAbemaTVで放送された、駆け引きしまくりの恋愛リアリティーショー『月とオオカミちゃんには騙されない』に出演しているが、


「出演のきっかけは、スタッフさんに声をかけていただいたこと。当時、芸能人がたくさんいる高校に通っていて。

 前シリーズには友達も何人か出演していたんです。せっかくの機会だし出てみたいな、と思って。大学を少し休学して出演を決めました」

 色気たっぷりでモテまくり。“とおる様”の愛称で女子たちを魅了。その反響は凄まじく、SNSのフォロワー数も激増!



「今まではテニスプレーヤーとして僕を知ってくれる人がほとんどでしたが、この番組をきっかけに“ファンになりました”と言ってくれる人も増えて」

 テニスラケットを握ったのは、小学校1年生のとき。



「父親がテニスコーチで、3歳上の姉に続いて始めた感じで。極真空手やクラシックバレエもやっていたんですが、僕の地元(岐阜県)には同い年の強力ライバルがいて。“絶対、その子を倒したい”“勝ちたい”という気持ちでテニスに絞りました」

 今後は、テニスも芸能の仕事も両立したいと語る。



「今秋、国際大会で勝てたらいったん芸能活動はお休みしてテニスに集中するつもりです。でも、いずれは俳優業にも挑戦してみたいです。気持ちが入るとひとつのことに集中し、周りが見えなくなるタイプなので、うまくできるといいんですが……(笑)。どちらの活躍にも注目していただけたらうれしいです!」

好きな女性のタイプ、教えて!



「知的な女性が好きです。自分ができないことができたり、何か特化したものを持っている人に惹かれちゃいます。ひとつのことを極めてる人ってカッコいいですよね。年上の女性を好きになることが多かったです」

 ほりえとおる……'99年5月18日生まれ、岐阜県出身、A型。プロテニスプレーヤーを目指し、19歳からアメリカの大学へ。恋愛リアリティーショー『月とオオカミちゃんには騙されない』(AbemaTV)に出演し、話題に。憧れの男性は木村拓哉

〈取材・文/高橋もも子〉

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cat_oa-shujoprime_issue_66af6cd390cc oa-shujoprime_0_0383f509b15d_元手ゼロで大量当選『スマホ懸賞』クリック術 0383f509b15d 0383f509b15d 元手ゼロで大量当選『スマホ懸賞』クリック術 oa-shujoprime

元手ゼロで大量当選『スマホ懸賞』クリック術

2021年10月24日 13:00 週刊女性PRIME

※画像はイメージです

 秋から年末までは懸賞賞品がいちばん充実している時期。自分のスマホやパソコンから手軽に賞品を狙えるSNS懸賞がズバリ、狙い目! ハガキと違ってお金も手間もかからず、サクサク応募できます。ツイッター、LINE、インスタグラム、そしてアプリをフルに使えば、当選チャンスは無限。すき間時間に「ひと稼ぎ」している“やり手主婦”に攻略法をリサーチ!

SNS懸賞が注目される理由


「懸賞というと、ハガキで応募するイメージが定着していますが、いま、当選する機会が多いのは、ツイッターやLINE、インスタグラムなどを使って応募するSNS懸賞です。今後、SNS懸賞はますます増えていくと思うので、今のうちに始めておきましょう」と話すのは、懸賞のスゴ腕達人のぴろりさん。

 SNS懸賞はなじみが薄い人もいるかもしれないが、手軽に当たるチャンスを広げられるという。ハガキ懸賞とSNS懸賞のいちばんの違いはSNS懸賞は応募のための費用がかからないことだ。

ハガキは1枚63円なので、1か月に10枚のハガキを書いて応募すると、費用が1か月630円かかります。その点、SNS懸賞なら、費用は通信料だけ。それも魅力の1つですよね」(ぴろりさん、以下同)

 また、いつでもどこでも、スマホさえあれば、すき間時間に応募できるのがSNS懸賞の強みでもある。応募するときは、自分が使っているSNSのアカウントから行う。

「SNS懸賞を始めてみたいと思ったら、まずはSNSのアカウントを取得することが第一歩になります」

 現在、ツイッター、LINE、インスタグラムの3つが、主なSNS懸賞の応募方法になる。この中のどれか1つでも自分のアカウントを持っている人は、今日からでも応募を始められるのだ。

 また、SNS懸賞は締め切りまでの期間が短いものが多いのもポイントだ。当選結果がすぐにわかるため、初心者でもチャレンジしやすい。

「ハガキ懸賞は応募期間が長く、締め切りまで1、2か月あるものが主流です。その一方で、SNS懸賞の応募期間は1、2週間という短期間で締め切られることが多いです。短いものでは、1日で締め切られるものもあるため、ほぼ毎日、懸賞の締め切りがあるといってもいいでしょう」

 しかも、SNS懸賞は種類や数が豊富だ。毎日のように、新しい懸賞の情報が100件も200件も発信されている。すき間時間に毎日いくつもの懸賞に応募できるのが、SNS懸賞のいちばんの醍醐味だといえよう。

どんなものがあるの?SNS懸賞の応募の仕方は3つ


ツイッター


 企業などの公式ツイッターでは、さまざまな懸賞が告知されている。気になる懸賞があったら、まずその懸賞を行っている公式ツイッターをフォロー。次に、懸賞の投稿をリツイートすれば応募が完了する。

LINE


 なじみのある食品メーカーなどの公式アカウントを友だち追加する。LINEのトーク画面に、その企業からの懸賞が配信されたら、懸賞の告知に触れて説明ページを確認し、応募方法に従って入力後に送信する。

インスタグラム


 懸賞を行っている企業などの公式アカウントをフォローする。懸賞のテーマに合った料理や風景などの写真を撮影。コメント欄にコメントを入力して、指定されたハッシュタグをつけて投稿する。

ぴろりさんが伝授! SNS懸賞初心者の応募ルーティンLINE編


1、企業の公式アカウントをLINEで検索

 LINEアプリを開き、「ホーム」または「トーク」の画面の上部にある検索窓に「公式アカウント」と入力。多数の公式アカウントが表示されるので、知っている企業を探す。

2、なじみのある公式アカウントを友だち追加

 よく購入する商品のメーカーなど、自分になじみのある企業を友だち追加する。飲料メーカーや食品メーカーなどは、懸賞のキャンペーンをよく行っているのでおすすめ。


3、トーク画面を定期的にチェック

 友だちになった公式アカウントのトーク画面を定期的にチェック。懸賞の告知が送られてきているかを確認する。頻繁に見なくても、時間があるときにまとめて見ればOK。

4、懸賞キャンペーンの告知を指で触れる

 トーク画面に「〇〇キャンペーン実施中! 」「〇名様にプレゼント! 」などの懸賞の告知が送られてきたら、その告知を指で触れて説明ページを表示させ、応募方法を確認する。

5、応募方法を確認して応募! あとは吉報を待つだけ

 応募方法は、応募フォームに必要事項を入力するもの、簡単なアンケートに答えるもの、指定の商品を購入したレシートを撮影し、トーク画面で送信するものなどさまざま。

6、当選通知を受け取る

 懸賞に当選したときは、トーク画面に当選通知が送信されてくるので、指示に従って賞 品の送付先などを入力する。期限までに入力しないと、無効になるので気をつける。

LINEの専用用語を知っておこう


●応募フォーム

懸賞に応募するときに表示される、名前や住所などを入力する画面。



●トーク画面

LINE上の友だちと個別に文字やスタンプなどをやりとりする画面。



●友だち追加

自分のLINEに知人のアカウントや公式アカウントを登録すること。



●公式

一般の個人ではなく、企業や著名人などのことを指す。



●アカウント

ユーザー登録をすることで得られるインターネット上の自分の場所。

秋から12月にかけて懸賞が増える


 ぴろりさん自身もツイッター懸賞で焼き肉店の「ホルモンを一生食べられる権利」や、北海道2泊3日ペア旅行などを当てているツワモノだ。

 これから12月にかけては、家電や食品、金券などが当たる懸賞が増える時期。10月はハロウィン、12月はクリスマス、1月はお正月というように、季節のイベントが盛りだくさんだからだ。

年末に家族が集まったときに、懸賞で家電や食品が当たっていれば、みんなの話題になります。例えば、家電だったらテレビやホットプレートなどは、大人数で楽しめる人気の賞品。企業もPRの意味を込めて、そういった家電の懸賞を増やすのです

 家電や食品のほかに、現金、ギフト券、宝くじなどが当たる懸賞も人気が高いという。

「賞品として『初夢宝くじ』の連番10枚セットや、2万円の現金などが当たる懸賞もこれから増えていきます」

 これからの時期、初心者でも狙いやすい食品関連の懸賞情報にも注目だ。全国の自治体やJAなどが主催する旬の食べ物の懸賞は魅力的。

 情報を集めるには、懸賞関連の情報を網羅した「まとめサイト」をチェックしよう。

今日から始めるSNS懸賞


「初めてSNS懸賞に応募する人は、応募期間の短いものを狙ってみるといいかもしれません。応募期間が短いほうが、懸賞の告知が広く行きわたる前に締め切られるからです。そのため、応募数が少なめで、当たりやすい傾向に。応募期間の目安としては、締め切りまでが1週間以内の懸賞が狙い目です。まず、挑戦してみてはいかがでしょうか」

 当たりやすいかどうかは、当選人数とも関係している。当選者が1名のみという懸賞で、当選をゲットするのは、上級者向きだ。

「最初は100人、200人に当たるSNS懸賞から始めてみてはいかがでしょうか」

 ぴろりさんが教えてくれた、初めてSNS懸賞に応募する人のための「SNS懸賞初心者の応募ルーティン」を参考にしてみよう(66ページ上図参照)。

 ここでは、SNSの中でも利用者の多い「LINE」を使った懸賞の応募の仕方を取り上げた。LINEでの応募は安全性が高く、初心者でも比較的、簡単に行える。自分が使い慣れたSNSがあれば、そちらから応募してもいい。

 もし、SNSの使い方がわからないときは、周りの人に教えてもらうのがいちばんだ。頻繁にSNSを使う世代の知り合いや、家族にSNSに詳しい人がいれば、その人に教えてもらうのが早道だといえる。

「SNS懸賞の達人さんにはスマホに不慣れな50代の人もいて、家族に応募の仕方を教わったり、写真の撮影や投稿を手伝ってもらったりしています。それが、家族とコミュニケーションをとる1つの手段にもなっているようです。楽しみながら懸賞に応募できるのは、ステキですよね」

達人が初心者に教える3つの心得


 これからSNS懸賞を始める初心者に向けて、楽しむための3つの心得を達人たちから伝授してもらった。

 1つ目は、手間のかかるSNS懸賞に最初から挑戦するのは避けたほうがいい。

「SNS懸賞の中でも、インスタグラムでの応募は、写真を投稿するものが多いです。応募する前に対象商品を購入して、その商品を使って調理をしたり、できあがりを写真で撮る作業が必要となる場合があり、手間がかかります。その分、ほかのSNSよりも当たりやすく感じるのですが、初心者向きではないかもしれませんね」

 2つ目は、最初はなじみのある企業の懸賞に応募してみること。いつも食べているお菓子や、よく使う日用品や食品のメーカーなら安心して応募できる。

「ハガキ懸賞の情報を得るときは、多くの場合、雑誌や新聞など、信頼できる刊行物に載っている情報から探すため、安心して応募できます。しかし、SNS懸賞は偽物アカウントの存在を意識しないといけません。怪しい懸賞もあるので、応募先の企業や主催者が安全かどうか、自分でしっかりと確認することが大切です」

 応募するということは、個人情報を企業に送るのと同じ。少しでも不安を感じたときは、家族や懸賞仲間に相談することも必要である。

「ツイッターやインスタグラムを検索すると、ハッシュタグをつけて当選報告をしている人がたくさんいます。どの懸賞に応募して当選したのかが載っているため、その懸賞や主催者は信頼できるとわかります。その人をまねて、同じ主催者の懸賞に応募してもいいですね」

 最終的に、どの懸賞に応募するかを決めるのは自分だが、高額な賞金が当たる懸賞を見つけても、すぐに飛びつかないようにする。

「10万円という高額な賞金額を見て、冷静になれずに怪しい懸賞に飛びついてしまう人もいます。安易に応募すると後悔するケースもあるので、“これ大丈夫かな? ”と、いったん冷静になってみることも忘れずに」

 3つ目は、応募に使うアカウントは自分のメインのアカウントを利用して、懸賞用のアカウントを別で作らないほうがよい。

「SNS懸賞では、ダイレクトメッセージなどで当選通知が来て、期限までに返信しないと無効になります。別のアカウントを使うと、見過ごす可能性があるのです」

 少し慣れてきたら、下の達人主婦たちのように、ひと手間かける方法もある。当選率がアップするのでモチベーションも上がり、さらに応募して、ますます当選が増える、という好循環が生まれている。

 初めて行うSNS懸賞。気長に続けていれば、自分に合ったSNSや方法が見つかるはず。

 少しずつ当たるコツもつかめてくるので、ぜひ、この秋はSNS懸賞に挑戦してみたい!

達人たちが日々実践!SNS懸賞の狙い目5か条


その1、懸賞の達人をフォローして懸賞情報をゲット

 SNS懸賞の情報をツイッターに投稿している達人をフォローすると、情報をゲットしやすい。達人は多くのSNS懸賞に応募(フォロー&リツイート)しているので、当たりやすい情報が多い。



その2、フォロワー数が少ない企業を狙う

 SNSのフォロワー数が少ない企業などが主催するSNS懸賞が狙い目。あまり知られていないので、応募数が少ない傾向にあり、当たりやすい。SNSを開設したばかりの企業などにも注目。



その3、写真や動画の投稿は応募者が少ないこともある

 インスタグラム懸賞への応募は、写真や動画を投稿することが多い。ひと手間かかるので、面倒に感じる人は応募しない。そのため、応募数が少ない場合もあり、当たりやすくなる。



その4、当選率が上がる条件を満たすようにする

 当選率が上がる条件があれば、その条件を満たす。例えば、対象商品を購入したレシートを撮影し、ツイッターのダイレクトメッセージで送れば当選率が2倍になる懸賞は、そのとおりに行う。



その5、応募期間が短く、当選人数が多ければ狙い目

 応募期間はなるべく短いものが狙い目。応募期間が1週間以内なら、すぐ応募を。また、初心者は当選人数が1名のSNS懸賞よりも、100名単位で当選する懸賞を狙おう。

達人主婦たちのSNS懸賞品の楽しみ方


欲しいものをゲットし続ける、高い的中率を誇る2人の達人主婦にSNS懸賞運をグッと引き寄せるワザをお聞きしました。


達人主婦(1) めぐめぐ。さん


海外旅行や家電で家族の笑顔が増えた!

 めぐめぐ。さんがSNS懸賞を始めたのは、出産後に家にいる時間が増えたのがきっかけ。インスタ懸賞では4万円相当の「ソウル往復航空券」、ツイッター懸賞では「お料理代行5万円分」を当てた達人だ。

 懸賞数が増える昨年の11月、12月はなんと毎日のように、さまざまな懸賞の賞品が送られてきたそう。


 印象に残っているのが低温調理器とキッザニア東京の入場券。

「前から気になっていた低温調理器の当選はうれしかったですね。早速ローストポークを作ってみたら、簡単に作れました。また、家族で楽しめたのがキッザニア東京です」

 よく応募するのは、対象の商品を購入し、写真に撮って応募する、少し手間のかかる懸賞。


「なるべくマイナーな商品が対象の懸賞を選び、商品を扱っているお店を探すところから始めます。商品を扱うお店が少ないほうが応募人数も減るので、当たりやすいと感じているから。応募に手間のかかる懸賞は面倒だと感じる人も多いので、私は狙い目だと思っています」

 SNS懸賞で気をつけていることは?

 「個人情報の収集が目的の懸賞もあり、少しでも怪しいと感じたら応募しません」

 生活にSNS懸賞を上手に取り入れためぐめぐ。さん。

「地道に続けていれば、必ず当たると思いますよ」


達人主婦(2)ももごんさん


高級牛肉や憧れの食器“穴場”を仲間と共有

 夫婦そろって懸賞好きだというももごんさん。最高額では2万円相当の近江牛を当てたことも!


 昨年の秋から冬にかけて当選した賞品は、47都道府県の味のポテトチップスや、お茶のペットボトル100本など、ボリューム感があるもの。

「ポテトチップスは、全部で47個届き、すごい量にびっくり! 知り合いに『お福分け』をしたら、みんな喜んでくれましたよ。自分で考えた料理の写真を投稿して当たったのは、憧れのル・クルーゼの食器。この食器に盛りつけたら、

いつもの料理がひと味違いました」


 最近、ももごんさんは、ツイッター懸賞を当たりやすくするコツを発見した。

「以前は、ツイッター懸賞の応募は、応募方法どおりに公式ツイッターをフォローしてから、懸賞の投稿をリツイートする『フォロー&リツイート』のみを行っていました。今年に入ってから、フォロー&リツイートに加

えて、『リプライ』を送るようにしたら、当選率が上がったような感じがします。懸賞を主催する企業の担当者の方も、リプライを見てくれているのかもしれないですね」

 ももごんさんは、懸賞の情報を入手するために「フォロワー」とも情報を共有。

「穴場のSNS懸賞を教えてもらうこともあるんです。みなさんと楽しく続けたいですね」


教えてくれたのは……ぴろりさん●月刊懸賞専門誌『懸賞なび』の編集者。自らも懸賞達人として活躍中。近著『懸賞当てるコツ&裏ワザ100』(白夜書房)。


(取材・文/松澤ゆかり 写真提供/phtoAC)

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cat_oa-shujoprime_issue_66af6cd390cc oa-shujoprime_0_69a13caa81a3_『SnowMan』佐久間大介のオタク活動を支える有名俳優 69a13caa81a3 69a13caa81a3 『SnowMan』佐久間大介のオタク活動を支える有名俳優 oa-shujoprime

『SnowMan』佐久間大介のオタク活動を支える有名俳優

2021年10月24日 12:00 週刊女性PRIME

『Snow Man』の佐久間大介

「久々というか、初めて言いたいね。Snow Man、デビューしました!」

 10月8日、横浜アリーナで思いの丈をファンに叫んだのは、人気アイドルグループ『Snow Man』のメンバー・佐久間大介。

佐久間は“ビジネスオタク”ではない


 コロナ禍のため、'20年1月のデビュー以来、有観客でのライブを自粛してきた彼らだが、今回、観客を入れた全国7都市を巡る初の全国ツアーがついに始まった。

「9月末に発売された1stアルバム『Snow Mania S1(スノーマニアエスワン)』は初週に84万枚を超える売り上げを達成し、1stアルバムの初週売り上げ枚数としては“令和最高”を記録。

 彼らはアーティストとしてだけではなく、アイドルらしからぬトーク力も評価されてバラエティー番組にも引っ張りだこなんです。ジャニーズの中でも、今いちばん勢いのあるグループだと言えるでしょう」(アイドル誌ライター)

 個性派ぞろいの『Snow Man』の中でも、アニメオタクとして知られるのが佐久間大介。今年6月に公開されたアニメ映画『白蛇:縁起』では「夢だった」と公言していた声優で、主演を務めた。

佐久間は普段から“嫁は二次元”だと語っています。“二次元”とは、三次元が現実世界を示すのに対し、平面の世界、いわゆるアニメや漫画やそこに登場するキャラクターのこと。アニメファンの間では、今や日常的に使われている言葉なのですが、そのオタクっぷりは、あくまでテレビ向けのキャラクター、“ビジネスオタク”というわけではないんです」

 そう話すのは、芸能プロ関係者のひとり。

「彼の趣味へのお金のかけ方は常軌を逸しています(笑)。流行りのスマホゲームは必ずプレイしており、『Fate/Grand Order』や『ウマ娘 プリティーダービー』などのゲームアプリへの課金額は、普通の人では到底出せない目が飛び出るほどの金額を注ぎ込んでいるんです。

 生活費よりも、アプリへの課金の方を優先する彼は、寝食よりゲームや漫画、アニメなどを優先させる生活なので、ちょっと心配になるくらいです」(佐久間の知人)

人気俳優との情報交換


 多忙を極める佐久間だが、貴重な休日すら、アニメグッズを求めオタクの聖地とも言われる、東京・秋葉原に繰り出しているという。

「派手な色で染まった髪型を隠すようにニット帽をかぶり、高級ブランドのトレーナー姿でアニメグッズを販売するお店に普通に通っています。一応、変装はしているのですが、逆に目立ってしまってほかのお客さんからバレてしまうこともしばしば……(笑)」(同・前)

 佐久間にとって憧れの先輩であり“オタク仲間”である『Kis-My-Ft2』の宮田俊哉との仲は有名だが、そんな宮田の紹介で、佐久間はある意外な人物ともつながりがあるという。


「最近、神木隆之介さんと仲がいいんです。神木さんも筋金入りの“アニメオタク”なのは有名なのですが、ジャニーズタレントとも交流があるのはあまり知られてないですよね。

 神木さんはアニメやゲームだけではなく、対戦型カードゲームの『遊戯王オフィシャルカードゲーム(以下略)』が大好き。かなりの腕前だと聞きましたよ。

 佐久間さんは『遊戯王』に関してライトプレイヤーではあるものの、持ち前のコレクター魂でレアカードを大量に収集しており、自宅の壁一面にはコレクションとして飾ってあるそうです。現在はしょっちゅう神木さんと連絡をとって、『遊戯王』のレアカードに関する情報を交換し合っているんだとか」(別の佐久間の知人)

 佐久間がアイドルとして多くのファンに夢を与える原動力のウラには、一途すぎる“本物の二次元愛”があった!


取材・文 久遠凛

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男社会の逆風に負けず、浅草を復活させた女将の“凄人生”

2021年10月24日 11:00 週刊女性PRIME

冨永照子さん 撮影/伊藤和幸

 日本を代表する観光名所である東京・浅草。一時はゴーストタウンと呼ばれたこの街のため、半世紀以上にわたって尽くし、盛り上げ、復活へと導いてきた伝説の女将がいる。女だけの協同組合を立ち上げ、おかしいと思ったら相手が大臣でも直談判。夫の愛人の世話さえ惜しまない。名だたる財界人の信頼をつかみ、数々の事業を成し遂げてきた“粋”ざまに迫る!

浅草・伝説の女将


「大役を引き受けることになりました」

 岸田新政権の発足直後、そんな1本のメールが女将の元に届いた。そして次のように返信し、エールを送った。

「大役、けっこうです。次はあなたが総理になるんですよ!」

 送信先は、新政権の主要ポストに抜擢された、ある大物政治家だった。

「本当にいろいろな大物にかわいがってもらいました。すべては『浅草おかみさん会』で取り組んできた町おこしが原点にあります。古い言葉で言うと郷土愛。それでここまでやってきました」

 そう誇らしげに語るのは、東京・浅草にある手打ち蕎麦店『十和田』の女将、冨永照子さん(84)。協同組合・浅草おかみさん会の理事長でもある。

 新型コロナ対応の緊急事態宣言が全面解除されたあとの10月4日夕。まだ多くの店舗がシャッターを下ろす浅草すしや通り沿いに、「コロナに負けるな!」という横断幕を掲げたその店は、煌々と明かりを灯していた。

 紫色の暖簾をくぐって店内に入ると、平時のにぎわいを取り戻したかのように、常連客たちで席が埋まっていた。全員男性だ。その中に、ピンクの衣装を身にまとった冨永さんが、酒のグラスを片手に、テーブルを渡り歩いていた。小柄ながら、男性客を相手に堂々と振る舞うその姿は、女将の風格をさりげなく漂わせていた。


 そんな彼女は、先の政治家以外にも財界、芸能界など各分野において一線で活躍する大物たちに幅広い人脈を持ち、東京・浅草の町おこしに力を注いできた。

 つくばエクスプレス(TX)の誘致、浅草寺のライトアップ、2階建てロンドンバスの導入、「浅草サンバカーニバル」や「ニューオリンズ・ジャズフェスティバル」の開催……。

 冨永さんが町おこしのために取り組んできた事業の数々だ。講演依頼も全国から次々と寄せられ、これまでにこなした数は1000回近い。

 コロナ禍においてもその人脈はいかんなく発揮され、懇意にしている社長や旅館からお歳暮や菓子の大量注文を受け、なんとか凌いできた。

 今年9月なかばには、20年ぶりとなる新刊『おかみの凄知恵 生きづらい世の中を駆けるヒント』(TAC出版)も上梓した。


《「義理人情と心意気」を忘れたら、もうおしまい》

《小さいお金は使う。大きなお金はもらう》

《悪口は聞こえるように言う。陰口は言わない》

《酒も呑みます、生きるため。嘘もつきます、生きるため》

 豪快な女将語録が詰まった1冊は、冨永さんがこれまでの経験で培った知恵に裏打ちされていた。

 そんな「凄知恵」ならぬ、「凄女将」の人生とは一体、どのようなものだったのか。

疎開先で「かわいそうな顔をしろ」


 浅草のシンボルといえば、巨大な赤提灯をぶら下げた雷門だ。そこをくぐり抜けると、仲見世通りが真っすぐ浅草寺に向かって延び、着物や浴衣姿の若者たちでごった返している。その中ほどにある「飯田屋」という屋号の店が、冨永さんの実家だった。


 現在は踊り用品や扇子などを販売しているが、冨永さんが産声を上げた昭和12年当時は、かりんとうを作る菓子屋だった。その裏手にある家で3人きょうだいの長女として育った。間もなく戦争が始まり、小学2年生のときに埼玉県春日部に疎開する。

「疎開先では、母が持っていた着物と物々交換するため、手を引っ張られて“かわいそうな顔をしろ!”なんて言われた記憶があります。イナゴやしじみをとって食べ、砂糖が手に入れば舐めさせてくれたものです。B29が飛んできたときは、田んぼに伏せました。防空壕には蚊がいっぱいいるし、頭にはシラミがわく。シラミは水銀を頭にぬって落としました。そんな生活だったんです」

 戦争が終わり、小学校5年生のときに浅草へ戻ってくると、あたり一面は焼け野原と化していた。仲見世も焼けてしまったが、母親たちはそこに露店を開き、菓子屋を再開したという。冨永さんは台東区立浅草小学校に通いながら、早朝から店の手伝いをした。

「ようかんを作って売っていました。セロファンで包むんですけど、私、子どもだからよくわからず、くっつけばいいと思ってセロファンを舐めていました。柏餅の葉っぱが食べ残されると、それをまた洗って使っていましたね」

 そんな幼少期を送る傍らで、祖母からは「貧乏人は三味線に限る。畳半畳もあればできるから」と教えられ、長唄を覚えるために三味線の稽古に通った。


「子どもがいたら面倒見ないといけないので、両親は働けない。だからお稽古に預けられたんです。長唄以外には、お花やお茶も。でもそれをサボって映画館に行っていましたね。ガキ大将だったから。学校でのあだ名は“女ターザン”でした」

 中学に入ると、店は商売替えをし、傘とショールを売り始めた。これが当たった。昭和25年に勃発した朝鮮戦争の特需景気も手伝い、飛ぶように売れたという。

 仲見世を手伝いながら学生生活を送った冨永さん。高校を卒業した5年後、同じ浅草にある老舗の和菓子屋『菊水堂』の若旦那と結婚する。出会いのきっかけは、戦争で焼けた浅草寺本堂の再建を記念した「金龍の舞」と呼ばれる行事だった。冨永さんは、芸者衆が乗る山車で三味線を弾き、若旦那は男衆の1人として舞を踊っていた。

「周りはみんな芸者でしょ。その中に、私のような堅気の若い娘が1人で三味線を弾いていたんです。そしたら観光連盟のおじさんたちの間で、“浅草を盛り立てるのに役立つだろうから、外へ出しちゃもったいない”“誰かとくっつけよう”と、私の知らないうちに話がどんどん進んでいたんです」

 そうして冨永さんは昭和35年2月、菊水堂へ嫁いだ。

「あんこの問屋さんから、菊水堂は金がない家だっていうのは聞いていました。それでも母が背中を押してくれたんです」

 結婚から9か月後には長女、そして東京オリンピックが開催された昭和39年には長男をそれぞれ出産した。


 若旦那も最初の数年はまじめに働いていたというが、次第に結婚生活に陰りが見え始める。そのエピソードについて、

「浅草はそういうところなのよ」

 と、冨永さんはあっけらかんと語るが、にわかには信じ難い話が飛び出した。

蒸発した夫の愛人を世話する理由


 それは冨永さんが結婚してから数年後のことだ。若旦那が家に帰宅しなくなった。

「まあ浅草ではよくあることよ。夜遊びに行って、“泊まってくる”なんて言うもんだから、おかしいなと思っていました。でも段々と愛人の存在に気づきました」

 相手は、若旦那が花柳界で知り合った芸者だった。当時の心境を、冨永さんは皮肉交じりに語った。

「最初は腹が立ちました。金も持っていないくせにこのやろうと。でも、もともとお金がない家に嫁ぎ、必死で働いていたから、いないほうがかえって仕事の邪魔にならなかった。それに私は花柳界の遊びは心得ていたから、旦那の浮気にはそれほどびっくりはしなかったわ。抵抗がないっていうか」


 愛人にうつつを抜かした若旦那は、彼女のために神田にパスタ専門店までつくった。しかし経営は不調に終わり、おまけに若旦那も蒸発。借金だけが残った。そして愛人は冨永さんに泣きついてきた。

「旦那の弟と一緒に彼女のところへ話をしに行きました。わんわん泣いているから有り金を全部置いてきたんです」

 若旦那については警察に捜索願を出したところ、「正月か祭りの季節になると帰ってくるよ」とのんきなことを言われ、本当にそのとおりになったという。

 妻が夫の愛人の世話をする──。

 いくら浅草では「抵抗がない」と言われても、やはり狐につままれたような感覚だ。令和の現代社会では理解されにくい「浮世話」だろう。

 冨永さんの長男で菊水堂の代表取締役専務、冨永龍司さん(57)は、幼少のころ、両親と暮らした記憶がほとんどなかった。

「父親は花柳界で遊んで帰ってこないし、タクシーで熱海まで芸者遊びをしに行っていたと聞きました。店(菊水堂)も借金だらけだったから、母親は働かざるをえなかった。だから幼稚園ぐらいまで私は、住み込みで働いていた女性従業員に、それ以降は祖父母に育てられていました」

 さらにはその祖父にも愛人がいて、働くのはもっぱら祖母。妻が家計を支え、旦那が外で遊びを覚えるという関係は、冨永家では2世代にわたって続いていたのだ。

 龍司さんが語る。

「昔の浅草は、男の人はみんな、彼女がいたそうですね。それで母たちはとやかく言っていないと思います。私の子どもも、店の従業員に面倒見てもらっています。さすがに私には妻以外の人はいませんが」

 子どものころ、龍司さんは父親の愛人に連れられて、遊びに出かけたこともあったという。

「父親から“今日はこの人と遊びなさい”と言われ、豊島園のプールに2人で行ったことを覚えています。僕ら商人の子どもは、土日も夏休みも両親は店の仕事があるので、どこかへ連れて行ってもらえません。だからプールは、子ども心に純粋に楽しかったです」

 特殊な浅草の家庭環境で育った龍司さんの目に、冨永さんは母というよりは、女将に映るそうだ。父親と過ごした時間は少ないものの、一緒にプラモデルを作ってくれたりと、やさしい一面もあった。そんな父は心筋梗塞で、46歳という若さで亡くなった。当時を冨永さんがこう回想する。

「旦那が亡くなってもみんな、涙なんか流しやしないよ。逆に“照ちゃんよかったね”って言う人がいっぱいいたのよ。散々金を使って遊んだんだからって」

 夫の死後も、冨永さんは愛人の援助をしていたというが、それが後々、思わぬ展開につながる。

2階建てバス運行のため大臣に直談判!


 ダイエー創業者の中内功(※「功」は正しくは工に刀)氏、ホテルニューオータニ社長の大谷米一氏、イトーヨーカ堂設立者の伊藤雅俊氏……。


 冨永さんが懇意にしていた財界の重鎮たちだ。いずれも浅草おかみさん会の町おこしを陰で支えてくれた。その出発点となるおかみさん会結成の背景には、東京オリンピック後に押し寄せた浅草の衰退期があった。 

 戦後の復興を経て、浅草寺本堂が再建されたのは昭和33年のこと。その2年後にはパナソニックの創業者、松下幸之助氏の寄付で雷門が再建され、東京オリンピックの開催に向けて浅草の景気はうなぎ上りだった。特に映画館や劇場が軒を連ねる盛り場「浅草公園六区」(通称六区)を訪れる客は、映画がはねた夜に、仲見世をにぎわせていた。「100円の札束を足で踏んで一斗缶に入れる店もあった」(冨永さん)ほどだ。

 演歌歌手の島倉千代子が昭和33年にリリースしたヒット曲『東京だョおっ母さん』は、田舎から出てきた娘が母の手を引いて東京見物するさまを歌っているが、その歌詞に次のような一節がある。

《お参りしましょよ観音様です おっ母さん ここがここが浅草よ お祭りみたいに にぎやかね》

 当時の庶民にとって、浅草は憧れの地だったのだ。

 ところが、東京オリンピックを契機に普及したカラーテレビの影響で、浅草の映画館から人々の足が遠のき、封切り映画の代わりに、ポルノが上映されるようになった。

 浅草観光連盟の冨士滋美会長(73)が解説する。

「六区の人通りがパタッと止まり、その様子を写真とともに“斜陽浅草”と報じられました。浅草の人たちは怒りましたね。盛り場としてにぎわってきた六区がさびれていったのは、浅草だけでなく、日本にとっても大事件だったのです」

 生まれ育った街の衰退に危機感を抱いた冨永さんはある時、地元の女性たち数人で井戸端会議を開いた。

「このままでは浅草がダメになってしまう。子どもたちに街を引き継ぐためにも組織を作ろう」

 こうして昭和43年、浅草おかみさん会が結成された。初代会長には、すき焼きで有名な『浅草今半』の女将・高岡恵美子さんが就任。会として最初に取り組んだのは、浅草観光案内図の看板作りだった。

「雷門や観音様、国際劇場などの観光スポットを書き込んだ案内図を作ることになったんです。資金は露店販売をやって捻出しました。そしたらその取り組みがマスコミに取り上げられ、女性が立ち上がれば注目してくれることに初めて気づきました」

 菊水堂が商売替えをしたのもこのころだ。六区の低迷で和菓子を買い求める客も減ったため、昭和47年、蕎麦店『十和田』を開業した。冨永さんの弟が、すでに浅草で蕎麦店を始め、繁盛していたことも大きい。

 続く町おこしでは、多少の無理は持ち前の江戸っ子気質で押し通した。

 2階建てのロンドンバスを導入したときのことだ。バスの高さは4・3メートルで、日本の法律で定められた高さの制限3・8メートルを50センチオーバーしていた。なんとかできないかと冨永さんは、台東区の旦那衆とともに運輸大臣室へ乗り込み、直談判したのだ。

「男性たちがお願いしてもダメだけど、私たち女性が“ねえ、先生、お願い!”ってやると口説けたんです。女の強みですね」

 この結果、2階建てバスの導入が認められ、浅草─上野間で昭和56年、運行が始まった。


 さらにおかみさん会は、浅草サンバカーニバルやジャズフェスティバルなども開催し、浅草六区の再開発構想が持ち上がったときには、つくばエクスプレスの誘致に奔走した。


 なかでも六区再開発の目玉事業、『浅草ROX』の建設には、ニューオータニの大谷米一氏が出資をしている。もともと、父親で創業者の大谷米太郎氏が浅草観光連盟の初代会長をしていた関係もあったが、社長の大谷氏が十和田に来たのがその始まりだ。

 冨永さんが説明する。

「旦那が死んだ後も愛人を援助していたことが花柳界で少し評判になっていました。それを聞いた大谷さんが私に興味を持ってくれたらしく、お店に来たのです」

 これが契機となってニューオータニに十和田の模擬店を出し、その後のROX誕生につながった。 

 ダイエー中内氏との出会いは、ジャズフェスティバルに偶然、客としてやってきたのがきっかけという。


「そしたら中内さんとすっかり仲よくなっちゃって。そのご縁で、仲見世に一緒に揚げ饅頭屋をつくりました。お互いの名字から1字ずつ取って『中富商店』。浅草六区には『欽ちゃん劇団』もつくってもらいました」


 浅草には当時、タレント・萩本欽一氏が主宰する「欽ちゃん劇団」のためにつくられた劇場があった。そこへ出演していたのが、地元出身の芸人「東MAX」こと東貴博さん(51)である。


「女将さんとは、もう30年来の付き合いですね。すごく面倒見のいい方で、若い芸人や役者を応援してくれるんです。僕がテレビに出る前の駆け出しの、20歳過ぎのころ、特別食券を配ってくれ、何度か天ぷら蕎麦を食べさせてもらったことがあります」

 楽屋には冨永さんの孫も一緒に訪ねてきて「頑張ってる?」とエールを送ってくれたという。

「でも楽屋って普通はそんなに人が入ってこないじゃないですか? 関係者だから、もちろんいいといえばいいんですが、不思議な感覚でした。舞台が始まると、公演の最中に“頑張れ!”と声をかけてくれるんです。それがありがたくもあり、また邪魔でもありましたね(笑)」

 そう江戸っ子らしい毒舌を交えて話す東さん。2階建てのロンドンバスが浅草を走っていたときには「意味がわからなくてテンションが上がった」と言い、何度も乗った。

「僕が小学生のときでした。学校でバスの名前が募集され、みんなで一緒に考えたんです。でも結局、『さくら』とかオーソドックスな名前に落ち着いて、つまんねえなあと思った記憶があります。サンバカーニバルは雷門通りで裸同然のお姉さんたちが踊っていて、当時、中学生だった僕はめちゃくちゃ興奮しましたよ。

 大人になってから、女将さんが仕掛け人だと知りましたが、まあパワーと馬力がすごい方です。浅草の催し物の陰には女将さんがいて、もめ事の陰にも女将さんがいる。そんなすごい女将さんがいるからこそ、浅草には話題が尽きないんです」

「おかみさん会」が牽引する地域おこし


 浅草おかみさん会は平成5年、協同組合へと組織化され、活動の幅は全国へ広がった。

 その記念すべきイベント「第1回全国おかみさん交流サミット」が同年、新宿の高級ホテルで開かれ、商店街の活性化に取り組みたい参加者が集まった。これを機に、全国各地でおかみさん会が次々と結成された。


『高崎おかみさん会』は平成13年に結成されて今年で20周年を迎える。会長の深沢るみさん(70)は、その経緯をこう説明した。

「結成当時はバブルが崩壊した直後でした。ショッピングセンターが郊外にできたため、街の商店街が活気を失ったんです。そんなときに、街づくりの講演会を冨永さんにお願いしたのがきっかけです。冨永さんは裏表がなく、男も女も同じように付き合い、言うときは言う。そして義理人情に厚い。そういう昔気質の気風は忘れられがちな時代だから、大切にしていきたいと思います」

 高崎おかみさん会は、商工会議所などのバックアップもあり、群馬県の食材を使った駅弁やお菓子などを次々と開発した。毎月第4日曜日に開催される「人情市」には、パンの店を出店し、活動を続けている。

「まだまだ目に見える成果は出ていませんが、とにかく私たちでできることをやろうと思っています」

『掛川おかみさん会』も、疲弊していく地方都市の現実に頭を悩ませ、冨永さんの講演を機に平成8年に結成された。会長の山本和子さん(61)は、そのときに経験した冨永さんらしいエピソードを紹介してくれた。

「せっかく講演会をやってもらうならと思い、掛川市の実情を書いた手紙を送ったんです。当日はそれに則したお話が聞きたかったので。講演は無事に終わったのですが、冨永さんは手紙を読むのを忘れていたみたいで……」

 冨永さんから後日、電話がかかってきて「わるかったね! また次回行ってあげるから」と伝えられ、講演から1か月もたたないうちに再び掛川市に駆けつけてきたという。まさしく義理だ。

「そのときは天ぷら屋の座敷でやったんですけど、その場で“おかみさん会をつくろう”と声が上がり、とりあえず結成することになりました」

 掛川おかみさん会は「おかみさん市」のほか、「チョークアートフェスティバル」や「赤ちゃんオリンピック」などのユニークなイベントを始めた。しかし、女性たちだけの活動に当初は、地元の視線は冷ややかだった。

「古風な人が多かったから、“女が出てきて何だ!”という雰囲気でした。おかみさん市をやるときにテント設営の協力をお願いしたら、あからさまに拒否。イベントで使った道具を会場に置き忘れたときなんかは、確かに私たちのミスではありますが、“忘れ物だよ”とひと言知らせてくれればいいのに、警察に通報されましたね」

 掛川市にまだ、女性だけの団体がなかったころの話だ。それでも市役所が理解を示してくれたことで、徐々に活動がしやすくなったと、山本さんは振り返る。

「結成から25年がたち、そろそろ世代交代を考える時期に差しかかっている。子連れの若い夫婦は、郊外に住んでいることが多いので、そうした若い人たちがもっと街づくりに関わりやすくなる環境を整えていきたいです」

飛び交う怪文書「悪口は有名になった証」


 浅草おかみさん会は、日本初の、女性メンバーだけでつくられた協同組合だ。いまなお「わきまえない女」に対する風当たりは強いが、浅草という男社会の中で、冨永さんは常に逆風にさらされてきた。

《浅草寺ライトアップで金儲け》

《浅草発展の邪魔者はお照さんと聞く》

 冨永さんの活動を誹謗中傷する怪文書が、商店街にばらまかれたこともある。

 新年早々、《今祝死年》という縁起の悪い文字が並んだ年賀状も、「陰陽師」なる送り主から届いた。

「そのときは悔しかったよ。でも今思い返せば、そういうふうに悪口を言われたら、有名になった証だと思う。嫉妬の裏返しですよ。悔しかったらあんたらも怪文書もらってみろってんだ!」

 そう語気を強める冨永さんはポジティブだ。ただ、世の女性たちは、そんなに強く振る舞える人ばかりではないだろう。森喜朗元首相の女性蔑視発言は記憶に新しいが、男社会に息苦しさを覚える女性は少なくない。冨永さんが力説する。

「私だって最初はそんなに強くなかった。布団かぶって泣いたこともある。こん畜生って思っているうちに、憎しみも薄らいでくるのよ。“いい子、いい子は、どうでもいい子”って言ってね、人に合わせすぎてもダメ! 怒鳴られて畜生と思ったら100倍にして返せばいい。敵取ったらいいじゃない」

 強気な発言をする一方、「人にはそれぞれ事情がある」といった配慮もにじませる。

「ただ人間、いろいろな環境で育っているよね。いじめられる子もいるから、その人によって生き方は異なるんです。私みたいにさあ、戦争中と旦那の苦労は少し知ったけどさ、そんなのみんな肥やしにしてきたから」


 そんな冨永さんの目に、現代社会における男女関係や夫婦の在り方はどう映っているのだろうか。

「世の中、変わったなと思いますね。そこらの夫婦を見てみなさいよ。男が子ども抱いてるじゃん。悪いとは思わないよ。でも本音では、男がだらしなくなったのかな、と。まあ稼ぎがないからしょうがないよね。昔は女が稼げなかったから」

 その言葉の端々には、夫に浮気され、それでも必死に働いてきた女将としての矜持が表れていた。浅草の街は、女性が守り抜いてきたのだ、と。

「あのババア、やっと死にやがった」


 戦前から浅草の街を見続けて84年──。

 時代の変化とともに、街の様子もまた移り変わっていく。今や浅草を訪れる観光客の多くは若者たちだ。冨永さんが語る。

「今、浅草でいちばんの上客は、修学旅行で訪れる学生ですよ。500円とか1000円で人形焼きなんかを買っていく。すっかり若者の街になりました。そんな彼らから、“雷門は知っているけど、観音様(浅草寺のご本尊)のことは知らない”と言われて驚きましたね。インスタ映えの時代なんです。ショックでしたけど、私たちの世代も、そういう若者感覚をやはり認識しないとダメなんです」

 仲見世は浅草で「観光地」という位置づけだが、女将にとっての思い入れはやはり、六区の「盛り場」だ。かつての苦い経験も思い出される。

 それは明治時代に開場した「常盤座」と呼ばれる六区初の劇場でのことだ。昭和40年には映画館に転向し、やがて周囲の衰退とともに休館に追い込まれた。

 浅草の行く末を憂えていた冨永さんは、常盤座へジャズを呼ぶという斬新なアイデアを思いついた。その少し前、米ニューオーリンズにジャズの見学に行ったときの体験から着想を得た。再び渡米し、出演契約を結んでジャズフェスティバルを開催。これが当たったため、常盤座を借りる契約を結び、お笑いのイベントも始めた。

 ところが、かつてのにぎわいを取り戻したと思ったのもつかの間、昭和天皇の病気に伴い、イベントを自粛せざるをえなくなった。

「赤字が2000万円ほど出て、1週間ほど寝られなかった。血尿も出た。仲間の女将は円形脱毛症になったの。だからといって天皇陛下を恨むわけにもいかないしね。でもね、そういう苦しい思いをしないと一人前にはなれない。街のために血のにじむような努力ができますかって」

 その後はロック歌手の内田裕也氏が年越しコンサートを開催したり、俳優・石坂浩二氏が主宰する『劇団急旋回』が公演を行ったりしたが、再開発のため平成3年、浅草初の劇場誕生から100年の歴史に幕を閉じた。


 当時の思いを今も引きずる冨永さんには、浅草に大衆芸能の劇場をつくりたいという夢がある。

「夜はやっぱり、盛り場じゃなきゃいけない。浅草が絶対に負けないのは芸能だけ。それを復活させるのが私の最後の夢なの。浅草はねえ、常に好奇心をそそるイベントをやらなきゃダメなんですよ」

 とても80歳を越えているとは思えないほどの迫力とエネルギーだ。そんな女将の背中を、長男の龍司さんはこう見つめてきた。

「母は、ただ浅草を何とかしなきゃいけないという思いでいろんなことをやっている。それが生きがいで、もはや趣味みたいなもんです。おかげで84歳にもかかわらずあれだけ元気だから、私が介護に悩む必要もないし、自分の仕事に専念できます。ありがたいですね」


 一方の冨永さんは世代交代も視野に入れているが、今でも日々店頭に立つ姿は、まだまだ現役を感じさせる。

「年をとっても人生には新しい御旗(みはた)を立てなきゃならない。そこに向かって進めば、ぶれることはありません。もし旗印がなければ、反省し、考え直してまた一からやればいいんです。この生きにくい時代には、心の訓練が大切よ。やっぱり心の持ち方なんだよ。それでも解決しなかったら私に電話しろって。朝9時ぐらいだったらつかまるよ。あんまり早くはダメよ!

 そう語る女将の扇子が、勢いよくテーブルをパチパチと打ち鳴らした。

「私もそのうちに間違いなく言われるよ。“あのババア、やっと死にやがった”って。そう言われるのを楽しみにしてるよ」

 これぞ粋な浅草の心意気である。

(取材・文/水谷竹秀)

みずたに・たけひで 日本とアジアを拠点に活動するノンフィクションライター。三重県生まれ。カメラマン、新聞記者を経てフリー。開高健ノンフィクション賞を受賞した『日本を捨てた男たち』(集英社)ほか、著書多数。

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父親を殴り殺した息子、母親の望みで保釈され…

2021年10月24日 08:00 週刊女性PRIME

松山地方裁判所

 家族間に加害者と被害者がいる事件はこれまで何度か傍聴してきたが、その形はさまざまである。妻が夫を、夫が妻を。親が子を、子が親を。

 時に、被害者遺族がいない事件も存在する。全員死亡の場合と、遺族が加害者を擁護する場合だ。今回の裁判は、まさに遺族である家族が被害者の死を「悲しくない」とまで言った事件である。

 令和3年1月25日、愛媛県松山市内の住宅から110番通報が入った。

「夫がけがをしているようだ、息子がけがをさせたと言っている」という内容で、救急隊が駆け付けたときはすでに心肺停止で、のちに死亡が確認された。

 死亡していたのは、この家に暮らす金子秀敏さん(当時65歳)。警察は当時自宅にいた秀敏さんの二男(当時36歳)に事情を聴いたところ、口論になって暴力をふるったことを認めたため、緊急逮捕となった。

父親の一言に息子が激高


 事件から9か月が過ぎた10月19日、すでに保釈されていた二男の裁判が松山地裁で始まった。

「緊張してる?」

 弁護士にそう聞かれ、大きく息を吐きだす彼は、金子真也被告。短く髪を刈り、スーツを着ていた。裁判長にお辞儀をし、証言台の椅子を引く所作などを見ても、非常にきちんとしているという印象だった。傍聴席には、同居している母親と別で暮らしている兄の姿。

 罪状認否では、起訴内容をすべて認めた。この裁判では、事実関係に争いはなく、被告の量刑を決めることが目的である旨が述べられた。

 事件は些細な父親の言葉が発端だった。

 仕事が休みだったその日、昼頃から自室で飲酒していた真也被告を見咎め、「昼間から酒ばっかり飲みやがって!」と秀敏さんが叱ったという。それに激高した被告が秀敏さんを殴りつけ死亡させてしまったのだ。

 これだけ聞けば、なんと短絡的でキレやすい息子なのだと誰もが思うだろう。しかも、死なせるまで殴るとは……と。ただ、真也被告がここまで激高したのには、当時の秀敏さんの生活スタイルと、金子家に長きにわたって重くのしかかっていた問題が関係していたのだ。


* * *


 秀敏さんと妻が結婚したのは40年ほど前。秀敏さんは農協に勤務し、55歳で早期退職するまでトラブルもなく勤めあげた。仕事柄、秀敏さんは対人関係もうまくこなしていたという。

 一方で、家庭はというと寒々しい限りだった。

 事件当時はフルタイムで介護職に就いていた妻だったが、若いころはパートでしか働くことを許されなかった。しかも、フルタイムで仕事をし始めたのは夫の都合だったという。

「55歳で早期退職して、家計が苦しくなることが分かっていたからか、『お前、働いてもええぞ』と。」

 秀敏さんはパチンコ好きで、結婚当時から毎日パチンコに通い、帰宅は21時〜22時ころ。子どもたちが生まれてからも変わらなかった。運動会もパチンコ屋で過ごし、昼の弁当だけ一緒に食べて競技を見ることはない。

 家族での外食は40年間で10回。うち、夜の外食は「たまたま機嫌がよかった」2回だけだった。パチンコに加え酒もたばこも好きで、家計を圧迫した。食事も、秀敏さんだけ別メニューで、家族で夕食を囲むこともなかった。家族への身体的なDVや暴言などはなかったが、家事も育児も一切手伝わなかったという。

父親と関わりを持とうとした息子


 真也被告と兄は、父親との会話もほとんどないまま成長していく。褒めてほしくて話しかけても「うるさい」と遮られた。そのうち、兄は父親と関わるのをやめたが、被告はどんなにうっとおしがられても、父親に話しかけていた。

 被告は愛媛県内の大学を卒業、その後は今治市や山口県などで仕事をしていたが、長続きはしなかった。理由は、上司との意思の疎通がうまくできなかったこと。夜も眠れなくなり、当時ひとり暮らしをしていた部屋から泣いて母に電話をかけている。

 母はそんな息子に驚き、仕事を辞めて実家に戻るよう言う。被告が24歳ころのことだった。

 実家に戻ってからも、2回転職。しかし、被告は一度仕事を辞めると、次の職に就くまで年単位での休養が必要だったという。「人間不信で働く気になれなかった」と言うが、実家での安心感もあったのだろう。母も、働かなくてもいいと言った。

 子どものころから、自分よりも周囲を優先させる性格だった。そのために、つらいことがあっても言えずにきた被告は、早期退職でずっと家にいる父、秀敏さんとの関係もどんどん悪化していくことになる。

「父が不機嫌なのは、体調が悪かったからだと思います」

 真也被告に限らず、兄も、母もそう言っていた。秀敏さんは体調を崩していて、家族がそばにいるとあからさまに不機嫌オーラを出すようになったという。しかし早期退職してしばらくは、真也被告と秀敏さんの関係は改善する。酒を酌み交わし、テレビを見て一緒に笑うこともあった。夢にまで見た、父との親子らしい時間だった。

 それが、事件が起きる5年前からは再び悪化の一途をたどる。会話もできなくなり、家の中ですれ違うと舌打ちをされた。「うっとおしい」と言われ、目が合うと首を傾げられた。いつからか、被告は家の中で秀敏さんと会わないようにし始める。

 事件の日は、被告は休みで昼間から酒を飲んでいた。以前の仕事が昼夜逆転だったため、その癖が抜けず昼から飲むことがあったのだという。

 それを、秀敏さんが咎めた。ただ、秀敏さんも早期退職して以来、毎日朝から飲酒していた。さらに、その日の父の言葉はいつになくキツく、被告を見る目はまるで汚いものを見るかのようだった。

「父も飲酒しているのにという思いがあった。言ってることがおかしいことを痛めつけてでも謝らせたかった」

 そのときの秀敏さんの目を見て、被告が縋っていた父と子の関係がなくなってしまったと感じたのだという。

 被告は、秀敏さんの胸ぐらをつかむと顔面を殴った。とにかく、何もかもを謝ってほしかった。この日のことだけではない、生まれてから今日までのすべてを。

「もう、ええ」

 どれほど殴ったときだろうか、ふと秀敏さんが、そう言った。

「自分が期待した謝罪ではなかったからモヤモヤした」が、被告はその言葉で暴行をやめると、自室へ戻り昼寝をした。父の様子は重篤には思えなかった。自分の服についた大量の返り血も気づかなかった。だから、救急車も呼ばず様子も見に行かなかったのだという。

 しかし秀敏さんはすでにこのとき、くも膜下出血を起こしていた。

 仕事から帰った母に秀敏さんの様子を聞かされた真也被告は「頭が真っ白になった」という。

 被告は逮捕されたが、母が望んで保釈となった。そして、今日まで事件現場となった実家で母と暮らしているのだ。

 検察官が問う。

「あなたが今いる場所はどんな場所ですか」

「自宅でもあり、犯罪現場です」

自活を阻んだ母親


 真也被告は今日まで、日課として父の仏壇に手を合わせ、お膳を供え、お水を取り替えているという。それは一生続けていくとも話した。保釈となれば実家に戻るしかないとはいえ、ふと、違和感を覚えた。

 母も兄も、秀敏さんが死んだことは残念だが、悲しい気持ちはないし涙も出ない、それよりも真也被告が心配だと話した。極端な言い方をすれば、秀敏さんの死を悼む気持ちがどれほどなのだろうかと思うのだ。

 違和感はほかにもあった。真也被告はおとなしく、暴力沙汰など一度も起こさなかったというが、検察がさらりと示した被告の部屋のドアの写真は、恐ろしいほどにボコボコだった。

 以前の職場でのトラブルの後、被告が殴って開けた穴だ。ドアは修理不可能なほどの穴だらけとなったが、なぜか取り換えられることもなくそのままだった。

「お金がもったいなかったから」

 4~5万円かかると言われ、取り換えないことを選んだのは母だった。実は真也被告には800万円の貯蓄があったにもかかわらず、母は息子に負担させなかったのだ。それどころか、食費以外は携帯電話代すら被告が自分で支払うことはなかった。

 秀敏さんはいつまでたっても自活しない被告に苛立っていたという。しかし真也被告はそれを面と向かって言われたことはなかった。母が衝突を恐れて話をさせなかったのだ。さらに言えば、被告の自活を阻んだのも、この母だった。

 秀敏さんが自活するよう言おうとすると、「また寝られんなったら困るから」と、30を過ぎた息子を家に置きたがった。その一方で、「(眠れないというのは)うつ状態にあったとは思わなかったか、病院には行かなかったのか」と聞かれると、母親は「うつではないし、時間が解決すると思った」と話した。

 検察官は秀敏さんと真也被告の関係がよかった時期と、悪くなった時期に注目。真也被告の職歴と関係していたのだ。被告が仕事をしている期間は関係がよく、無職になったころからその仲は悪化し始めていた。

 秀敏さんが酒を飲んでいることを咎めたのも、その日、被告が休みだとは知らなかった可能性を検察は指摘。運転する仕事にもかかわらず酒を飲んで大丈夫なのか、そういう意味ではなかったのか、という質問に被告は、

「そんな心配をされたことは今まで一度もない」

 と、可能性すら認めなかった。

 農協時代から十二指腸潰瘍、狭心症、そして膀胱がんと体調不良が続いていた秀敏さん。「日常生活は大丈夫だった」と家族の誰もが言ったが、階段の上り下りも大変で、心臓は手術もしていた。

「そんな状態の父親を、殴ったんですか」

 の問いには、「頭に血が上っていて……」を繰り返した。しかし一方で、「傷つける気はなかったので(硬い)額を集中的に狙った」とか、「職場に迷惑がかかるから先に電話した」(被告は事件後、職場に電話し、休むことを連絡している)と話す真也被告。

「……ここだけ冷静なんですね」

 検察官の言葉に返す言葉はなかった。基本的に大きな声ではっきりと答えていた被告だが、都合の悪い質問には答えを逸らす傾向があり、ときには咳ばらいを繰り返して慎重に言葉を選びなおす場面も見られた。

 検察は、母と兄の気持ちを尊重したうえで、また、たとえ秀敏さんの言動に非があったとしても、それで死に至らしめるほどの暴力が正当化されてはならないとして懲役7年を求刑。弁護側は、執行猶予付き判決を求めた。

 過度なノルマやプレッシャーに、押しつぶされそうになりながらも、退職金上乗せというメリットを得るまで、仕事を辞めなかった秀敏さん。自身に多額の生命保険もかけていたという。時代が違うと言えばそれまでだが、そんな父の目に被告はどう見えていたのだろうか。そして、家族が愛想をつかす中、最後まで父を父と思おうとしていた被告。

 涙を流すほどには悲しくないと家族に言われた秀敏さんの死。たった一度、真也被告が声を詰まらせた場面があった。

 リビングにはいつも父がいた。存在を示し続け、我が物顔で金子家を牛耳ってきた傲慢な父。保釈後、家に戻った被告を待っていたのは、その父のいないリビングだった。

「父の好きだった阪神の試合をもう一緒に……」

 あとは言葉にならなかった。判決は25日に言い渡される。

事件備忘録@中の人

昭和から平成にかけて起きた事件を「備忘録」として独自に取材。裁判資料や当時の報道などから、事件が起きた経緯やそこに見える人間関係、その人物が過ごしてきた人生に迫る。現在進行形の事件の裁判傍聴も。

サイト『事件備忘録』: https://case1112.jp/

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SNS誹謗中傷「加害者」の素顔

2021年10月23日 21:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 年々増加している、ネット上での「誹謗中傷」トラブル。最近では事態を重く見て訴訟問題に発展するケースも少なくない。NPO法人World Open Heartの理事長・阿部恭子さんの元には、誹謗中傷で「加害者の家族」となった人からの相談が増えているという。加害者本人の口から語られた驚くべき“言い訳”とはーー。阿部さんによる解説。

眞子さまも心を痛めた誹謗中傷


 2020年5月、プロレスラーの木村花さんがSNSの誹謗中傷により自ら命を絶つに至った事件を受け、国会でも法規制の必要性が議論されてきた。その後も、SNSの誹謗中傷を巡る問題はあとを絶たず、被害は芸能界や皇室にまで及んでいる。

 眞子さまの婚約者である小室圭氏は、母親の金銭トラブルが発覚するなど、皇族の婚約者にふさわしくないとして苛烈なバッシングを浴びてきた。一方的に報道され続けている数々のスキャンダルについて、小室さんとしても言い分はあるだろうし、すべてが真実とは限らない。

 しかし、小室さんを「成り上がり者」として軽蔑し、地位を剥奪したい人々にとって、もはや真実などどうでもよく、評価を下げる情報しか求めていないのではないだろうか。

 こうした世間の反応に、反論できない眞子さまは心を痛め、精神のバランスを崩されたとしても無理はない。インターネット上に自分に対する心ない言葉が溢れている事実は、この世に存在してはならないような感覚を引き起こし、人を追いつめる。

 集団による言葉の暴力によって生活を脅かされ、命を絶つ人が減らない状況に鑑み、誹謗中傷をした投稿者の特定を容易にする法改正が行われる等、被害者救済も進められている。こうした追い風を受けて、泣き寝入りせずに法的手段を講じて戦う人々も増えており、誹謗中傷の書き込みをした「加害者」の家族から相談を受けるケースも増えている。

 被害者からの訴えを受け、家族でありながらこれまで見たことのない姿に「まるで別人格」と驚愕する加害者家族もいて、匿名世界の闇も炙り出されている。ここでは、誹謗中傷の書き込みを特定され「加害者」となった人々の心理に迫りたい。

夫が「加害者」になったショックで流産


 恵(仮名・30代)の夫は、好きなアイドルのSNSに、性的な書き込みや、容姿を侮辱する書き込みを頻繁に行っており、相手からブロックされると拒否されたことに逆上し、別のアカウントから「家まで行く」「犯す」などと書き込み、脅迫と侮辱の疑いで書類送検された。

 恵には二人の子どもがおり、三人目の子どもを妊娠中だったが、事件のショックで流産してしまった。

「もう十年以上一緒にいますが、夫が命令形で話すのさえ聞いたことがなかったんです。ネット上での表現は、とても夫とは信じられませんでした。子どもになんて説明すればいいのか…」

 妻として何も気づけなかった罪悪感と夫への失望は計り知れないが、当の本人にはまったく反省の色が見えない。

「批判されたくないなら写真なんて載せなきゃいいんですよ。どうせ刑事事件にして話題を集めたいんでしょ。“犯す”なんて冗談ですよ、みんな書いてたし」

 と、被害者に責任転嫁するばかりだった。ところが、妻が流産した事実に触れた途端、表情が一転。

「本当に申し訳ない……。馬鹿なことをしました」

「二度とこんなことは絶対にしません」

 と涙ぐみ、ようやく改悛の情を見せていた。匿名ゆえにネット上では人格が豹変し、攻撃的になる人々も少なくないようだ。刑事告訴もあり得ることから、家族が犯罪者になる恐怖を訴える相談はあとを絶たない。

匿名で剥き出しになる憎悪


 相手が刑事事件の被告人や事件の加害者であったとしても、誹謗中傷が許されるわけではない。

「スマホを取り上げるわけにもいかないし。せっかく頑張って希望の大学に合格したのに。こんなことで退学になったらと思うと不安で仕方ありません」

 正子(仮名・40代)の大学生の息子は、インターネットの掲示板で知人がある事件に関与しているといった書き込みをした。被害者から民事裁判を起こされ、親として損害賠償の支払いを済ませたばかりだ。息子は、これまでも主義主張の異なる政治家に執拗に電話をかけ警察から注意されたり、SNSでトラブルを起こしていた。本人に話を聞くと、

「僕たちは不正を追及してるんです。そもそもマスコミがだらしないから悪いんですよ」

 と挑発的な反論をするものの、抗議活動は実名ではなくなぜ匿名なのかを問うと、

「大学や家族に迷惑がかかるから」

 と、加害性を認識していないわけではないようだ。匿名ならば、普段、他人には見せない「怒り」をストレートに解放できるという。しかし、結局、事件化すれば尻拭いをさせられるのは親なのだ。親としての不安は尽きない。

歪んだ自己実現のリスク


 正義を声高に叫ぶ人ほど自らの加害性に鈍感である。「相手にもっとよくなってほしいと思って」「世の中から不正をなくしたくて」など理由はどうあれ、手段が行き過ぎれば犯罪になることもある。

 被害者と一対一ではなく個人対集団の中で、同様の書き込みをする人との連帯感によって行為がエスカレートしやすい。表現が過激になればなるほど目立ち、加勢する書き込みも増えることによって、オピニオンリーダーになった気分になり承認欲求が満たされるという。

 しかし、事件化して「加害者」になった途端、周囲は一気に冷ややかになり味方してくれる人はいなくなる。今度は自分や家族が攻撃の対象になることもあるのだ。

「人を呪わば穴二つ」肝に銘じる必要がある。

阿部恭子(あべ・きょうこ)

 NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。

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「ひとりっ子は可哀想」マウンティングを連発する女性の心理

2021年10月23日 20:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 SNSの普及によって、これまで疎遠だった学生時代の友人や、昔の知人も、名前を頼りに探すことができるようになりました。新たに連絡を取ることで、また再び交流が復活することもあるようです。今回は、しばらく離れていた友人との再会で起きてしまったトラブルを紹介します。

子どもがいない友人からの “自分は忙しい”アピール


 3歳の娘を育児中の美樹さん(仮名・37歳)は、周りに気軽に話せる相手がいないのが悩みでした。そんなとき、昔の職場で同僚だった康子さん(37歳)からSNSで連絡が来ました。

「康子さんは20代で結婚していました。しばらく旦那さんの赴任先である東北で暮らしていたのですが、数年前に関東に戻ってきました。それからまた会うようになったんです」

 しかし、二人を取り巻く環境はかつてとは違っていました。

「康子さんには子どもがいませんでした。彼女はたまに義実家の手伝いをしていましたが、時間に余裕があるので、ちょくちょくランチに誘ってくるんです。そのたびに、私は幼稚園の延長保育を頼まなければならず大変でした」

 康子さんは美樹さんに「専業主婦は暇でいいね」と言ってきたそう。康子さんの言動に、イラっとさせられることが多かったようです。

「急に『体調が悪い』と言ってドタキャンをしたり、日程を相談しているときも『忙しいからこの日はNG』とわざわざダメな日ばかり送ってくるんです。さらに『美樹は空気を読まないから、ママ友から浮いてると思うよ』と言われ傷つきました」

 長い付き合いだったので我慢していたという美樹さんが、どうしても許せなかったことがあります。

「深夜にメールを送ってきて、『私は毎日忙しくて自分の時間ができるのはこれくらい』と書いてあったんです。私だって忙しい中、いつも会いに行っていたのに……」

 美樹さんは、康子さんの上から目線の態度に付きあいきれず、距離を置こうと決意したそうです。

 このように女友達からのマウンティング被害はよく耳にしますが、実際にマウンティングしているほうはどのような心理状態なのでしょうか? 次のケースで見て行きたいと思います。

SNSで学生時代の友人と再会 生活格差にあぜん!


 専業主婦の香織さん(仮名・38歳)は、高校時代の友人とSNSを通じて一昨年に再会しました。

「最初のころは、ほかの友人たちも含めた4、5人のメンバーで集まっていました。私が通っていたのは、地元でも珍しかった中高一貫の女子校。その中でも学生時代に同じバレーボール部で、仲がよかった容子さん(仮名・38歳)とは、子どもの年齢も近く、二人で会うようになりました

 香織さんの夫は、映画やエンタメ情報を扱う媒体の記者をしています。しかし、年収が手取りで300万円台といいます。香織さんも、もともとは出版社に勤務していました。

「経験を積んでエンタメ系の出版社に転職できればと思っていましたが、激務のため30歳を前に体を壊して退職しました」

 香織さんは、容子さんのfacebookを見るとモヤモヤするそうです。

「容子さんの子どもが着ている服も小ぎれいだし、週末は家族で出かけていて羨ましくなるんです。うちは、夫の収入も少なくて、普段の生活はカツカツ。夫の髪はバリカンで自分で整えて貰っていますし、私も自分で髪を切っています」

「学生時代は私のほうが上だったのに……」 ついマウンティングしてしまう


 そんな香織さんは、2歳になる娘を育児しながら、来年春に出産予定の赤ちゃんを妊娠中。一方で容子さんは20代半ばで結婚し、すぐに第一子を出産していました。

「私は34歳で結婚しました。2歳年上の夫と一緒に婦人科に通院して、急いで妊活しました。私は妊娠も年齢的に焦りがあったんです。だから結婚も妊娠もスムーズにできた容子さんが、羨ましいって感じました」

 優秀だった香織さんにとって、容子さんはパッとしない生徒だったと言います。

「私は国語の模試で3位を獲ったことがあるし、成績もよかったんです。部活のときも、私は副部長で、容子さんはただの部員。それなのに今では容子さんは、外資系メーカーでチームリーダー。彼女は人をまとめるのに向いていない性格だったのに……と思います」

 慎ましい生活をしている香織さん。第2子を出産し、育児が落ち着いたらパートで働きに出る予定です。

「求人を探しても、子どもが小さいし、妊娠中なので見つからないんですよね。

 容子さんに会うとつい、『大学時代はモテたんだ。付属校出身の男性と付きあったけれど、価値観が合わなくて別れちゃってさ』とか、『ほかにも結婚を考えた男性がいて、その人の実家はビルを持つ資産家だったの。でも夫のほうが将来有望だからそっちを選んだ』と、過去に対して大げさに“盛って”言ってしまうんです」

 香織さんは、最初は容子さんと会って懐かしい話をするのが楽しかったと言います。でも何度か会ううちに、彼女と自分を比べてしまうようになったそうです。

「仕事も結婚も上手くいっている容子さんを見ると、自分が惨めに感じてくるんです。仕事を辞めなければよかったなとか、元カレと別れなければよかったなとか後悔してしまうんです」

経済的な不安から 口に出してしまった“暴言”


 香織さんは、子どもの将来を思うと夜眠れなくなると言います。

「私はひとりっ子だったので、どうしても2人目が欲しかったんです。すぐに妊娠できたのはよかったのですが、そのため貯金もできず、これからどうしようと泣いてしまうこともあります」

 香織さんが経済的な不安を感じるのには、原因がありました。

「容子さんの子どもはもう12歳で、この春、中学受験で大学付属校に合格しました。合格した学校を調べてみたら、学費が年間100万円以上かかるみたいなんです。大学受験の心配もないし安泰だと思うと、悔しいんです」

 将来の不安から、容子さんを見ているとつい、おせっかいを言ってしまうそうです。

「自分がひとりっ子で寂しかったので、容子さんには『子どもがひとりっ子なのは可哀想』と伝えました。また『中学受験させるなんて、子どもがラクなほうに行くからよくないよ』とアドバイスをしました」

 容子さんからは「人を否定するようなことを言ってばかりいると、好かれないよ」と言われてしまったそうです。香織さんは後悔することもありますが、彼女を見ていると、つい相手が嫌がるようなことを言いたくなってしまうのです。

 あるとき容子さんにメッセージを送ると、既読も付かないようになっていました。気づいたら、これまで読めていた容子さんの投稿も見られなくなっていました。そこで初めてSNSがブロックされていると気づいたそうです。

「容子さんの楽しそうな笑顔のプロフィール画像を見ると、自分が悪いとはいえ、さらに悲しい気分になるんです……」

 学生時代はお互いを理解しあえていても、就職や結婚、出産など環境や立場が変わってしまうと、認め合うのは難しいかもしれません。特に、SNSでは相手の生活スタイルが見えてしまうので、他人が気になるタイプの人はチェックしすぎてしまう傾向もあります。大切な友達を失わないためにも、つい相手の動向が気になるようになってしまったら、一度、SNS断捨離をして距離を置いたほうがいいかもしれません。


池守りぜね◎東京都生まれ。フリーライター。大学卒業後、インプレスに入社。ネットメディアで記者を務めた。その後、出版社勤務を経て独立。育児、グルメ、エンタメに関する記事のほか、インタビューも多数執筆。『一瞬と永遠』、『絶叫2』など、映像脚本も手掛ける。プライベートでは女児のママ。Twitter:@rizeneration

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佐藤三兄弟がそれぞれを“他己紹介”

2021年10月23日 16:00 週刊女性PRIME

(左から)佐藤綾人、佐藤颯人、佐藤嘉人 撮影/吉岡竜紀

 実りの秋、スポーツ界にもフレッシュなイケメンがたわわです!お顔もプレーする姿もさわやかすぎて、もうくぎ付け。その気になる人柄は……?週刊女性初特写です。三つ子のシンクロアクロバットパフォーマーが、それぞれの性格と関係性を語ってくれました。

母親も間違えるほど超そっくり


 TikTokのフォロワー数170万人超え!三つ子ならではの“シンクロアクロバット”で話題の佐藤三兄弟。新体操の全日本大会でも優秀な成績を残している。そんな彼らは“母親でも間違えることがある”というほど超そっくり。



佐藤嘉人(三男)街ですれ違う人に2度見されることが多いですね(笑)。注目されるのが嫌だった時期は、ちょっと離れて移動したりしていました



佐藤綾人(長男)「僕らの違うところは、性格かな?」

 せっかくなので他己紹介を!



佐藤颯人(次男)「長男の綾人は、いちばんおちゃめで明るい性格ですね」



嘉人「フレンドリーでコミュニケーション能力が高いです」


綾人「いつもはバカとかイジってくるのに……(笑)。颯人は、頑固!自分の意思を曲げないタイプです」



颯人「それ、いいところじゃなくない!?」



嘉人「いちばんまじめなので、物事に取り組む姿勢や意識は見習いたいですね。そんな部分に助けられる場面も多くて」



颯人「嘉人は、上の2人を見て育ってきた感じ。僕たちのちょうど中間で、おっとりしているキャラクターかな」



綾人「三男だけど長男っぽいよね。バランス力もあって、いつもまとめ役になってくれる」

 好きな食べ物はラーメン、嫌いな食べ物は納豆と、味覚も同じ!息の合った3人はTikTokに加え、YouTubeやインスタグラムなどでも精力的に活動中。



嘉人新体操を始めたのは6歳のとき。テレビで特集されていたのを見て、3人ともに“カッコいい!”と感動したのがきっかけで」



颯人「以来、切磋琢磨を繰り返し、16年間ずっと一緒に続けてきました。誰かひとりがうまくなると、あとの2人は悔しさから追いつく感じで。いいライバルでもあり、気を使わずに何でも言い合える関係です」



綾人「SNSでの動画発信だけじゃなく、コロナ禍が明けたら3人の生パフォーマンスを見てもらえる機会をつくりたいです。それまでにもっと磨き上げますので、ぜひ楽しみにしていてください!」

好きな女性のタイプ、教えて!



綾人「笑顔が素敵で、可愛い人。ささいなことでも一緒に楽しめる女性がいいですね」



颯人「きれいで大人っぽい女性。中身は大人じゃなくてもOKです(笑)。お互いの内面をさらけ出せる人がいいな」



嘉人「ちょっと抜けてる子は“守ってあげたいな”と思っちゃいますね」



颯人「あと、いっぱい食べる女性でしょ?」



嘉人「それも大事です(笑)」

 さとうあやと・はやと・よしと……'98年6月1日生まれ、宮城県出身、O型。一卵性三つ子。新体操の名門・青森大学卒業後、パフォーマーに転身。3人の見分け方は「首元の大きなホクロ(綾人)」「左目の下に三角形のホクロ(颯人)」「右目の下に2つの大きなホクロ(嘉人)」

〈取材・文/高橋もも子〉

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梅宮アンナ、奔放恋愛も結局「パパNo.1ラブ」な人生

2021年10月23日 14:00 週刊女性PRIME

子煩悩ぶりが伝わってくる一枚(1982年2月22日撮影)

 昭和57年('82年)2月22日撮影。

 今日は、「週刊女性」編集部に眠っていた39年前の写真を紹介したい。

 中面は白黒の週刊誌のため、モノクロ写真なのはご容赦いただきたいのだが、とにかく父・梅宮辰夫さんの娘・アンナへの愛情が伝わってくる写真の数々である。

 この写真を踏まえてご一読いただきたい。

 その梅宮アンナは18日、インスタグラムを更新し、2年前になくなった父・梅宮辰夫さんの顔写真が使われていた野外広告看板で、辰夫さんの顔部分が黒く塗りつぶされていたことについて怒りを綴った。

  広告看板は東京・世田谷区内のビル屋上にあり、辰夫さんは広告主の会社とイメージキャラクター契約を結んでいた。

 

  契約は2020年に終了したが、今回問題になった看板は最近まで残されており、アンナは弁護士を通じて会社側に「この先、まだ、使用したいのであれば、キチンと契約するか、写真を取り下げるか」のいずれかを促していたという。

 会社側の対応が気になり、17日看板を見に行ったところ顔の部分だけが黒塗りになっていることを発見したのだという。

 アンナはインスタで「なんて酷い事をするのだろう。。 何故顔だけ??」「人の写真を黒く塗り潰す行為は、良くありません。どんな事があっても。。」と述べている。

 この件については、広告主側が公式サイトでアンナへ謝罪のメールを送ったとしているが、アンナは20日時点でメールは「来ていない」と食い違いを見せるなど、まだまだくすぶっている模様。

 アンナといえば、最近はご無沙汰だが、お騒がせな恋愛とともに歩んできた芸能人生だった。

 高校生のころからモデルとして活動していたが、'94年タレント羽賀研二との交際が発覚。

 羽賀は初代『いいとも青年隊』でブレイクし、イケメンタレントとして人気を博していたものの、度重なる“ルーズな”女性関係や借金問題などが取りざたされており、アンナへの誠意が疑問視されていた。

 辰夫さんはこの恋愛に当初から反対しており、報道陣の前で羽賀について、「汚い橋」「汚れている」などと痛烈批判。

 '95年羽賀の借金返済のためとして出版された『ペアヌード』写真集にも「そんなもの、見たくない」と吐き捨てていた。

 そして、'99年初頭、『バカップル』などと揶揄されたこのカップルはついに破局を迎える。

 破局理由は、やはり羽賀の借金。住宅ローンや、沖縄の店舗の開店資金などで借金は億単位に膨らんでいた。

「前の年の12月25日、羽賀に連れられて一緒に金融業者に5億円の借金を申し入れたことで、“大事なクリスマスの日に恐ろしい額の金策をしている”ことでアンナは我に返ったのだそうです」(当時取材していたスポーツ紙記者)

辰夫さんこそナンバーワンな理由



 ここで注目したいのは、「みかねた辰夫さんも羽賀に2000万円ともいわれるお金を貸し込んでいたのです」(同)という事実。

 そのことについてアンナは「彼は本当にお父さんに感謝しているのかなって感じがしてきた。これ以上父を悩ませたくない」と一部メディアに話している。

 また、辰夫さんが事業についてアドバイスしたものの羽賀の反応が悪く、それも破局の一因になったという。

 つまり、交際の終盤にはアンナの気持ちは「これだけパパが応援してくれているのに……」と、パパの方に戻っていたのである。

 勝手な解釈かもしれないが、奔放で危なっかしい恋愛をしながらも、基本は「パパこそナンバーワン恋人」な人物と見受けられるのである。

 それが伺える言動はもう一つある。彼女は'01年に一般人Aさんと結婚し長女をもうけたが、'03年に離婚。その離婚時のことである。

 Aさんは結婚当初は実業家という肩書だったが、仕事の実態はなかなかはっきりせず、離婚時の報道では「一向に安定した仕事に就こうとしなかった」と報じられていた。

 そちらも離婚理由の一つだったようだが、それ以上にアンナが強調していたのは、Aさんが“父を超えられなかったこと”だった。アンナが離婚時にワイドショーに語った言葉をそのまま引用する。

「(父は)とにかくマメ。おむつ替えやミルクとか、愛情深く私を育ててくれた。男の人はそういう人じゃなきゃヤダっていうのがあった」

「お仕事は別にいいから、子供の面倒みたら誰もかなわないとか、なにかひとつ、これを任せたら安心っていうのがほしかった」

 父を超えられなかった今までのオトコたち。父の面影を胸に生きるアンナ。今後の人生の幸多からんことを。

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