cat_oa-shujoprime_issue_55a03fc08cc0 oa-shujoprime_0_55a03fc08cc0_渡部建、不倫発覚で佐々木希に謝罪 55a03fc08cc0 55a03fc08cc0 渡部建、不倫発覚で佐々木希に謝罪 oa-shujoprime

渡部建、不倫発覚で佐々木希に謝罪

2020年6月10日 16:15 週刊女性PRIME

渡部建と佐々木希夫婦はどうなる……?

 アンジャッシュ・渡部建の不倫報道が世間を激震させている。

 ことの発端は6月9日に『スポニチアネックス』が報じた《アンジャッシュ・渡部建 TV各局に番組出演の全面自粛申し入れ》の記事。レギュラー番組を8本を抱える超人気芸人が突如、出演を取りやめることを決断したという。

 しかし、その理由については、《視聴者が不快に思うようなスキャンダルを起こした》とするのみで、どんな不祥事を起こしたのかということは明記されず、ネットは一時お祭り騒ぎに。自粛の原因が妻へのDVや金銭面でのトラブルではないかと、さまざまな憶測を呼ぶ結果になった。

「謝罪会見などもなく、先に活動自粛を発表すると銘打ったパターンは前代未聞でしたね。生放送のレギュラー番組も抱えているだけに、事務所も早く対処しなければならないと思ったのでしょう。

 しかし、どんな不祥事を起こしたかわからないということが逆に世間の関心を掻き立て、盛り上がってしまった感は否めません。渡部さんの所属事務所はスタッフも少数でタレントを回しているので、現在はてんやわんやだそうです。昼夜関係なく問い合わせが殺到するので、もはや対応すらしていないようです。『文春』にどんな内容を掲載されるのか、戦々恐々なんだとか」(芸能プロ関係者)

グルメ王の“裏の顔”


 今回の報道を受けて、一番動揺してるのはもちろん当の本人である渡部のようで、

『週刊文春』に不倫について直撃取材を受けた渡部さんは、うろたえながらもすぐに妻である佐々木希さんに言い訳をしたそうです。取材があまりにも正確かつ綿密だということを知って、観念したみたいですね。直撃当日、佐々木さんも仕事帰りの彼のために料理を作りながら家で過ごしたそうですが、突然の話に動揺を隠せなかったそうです。まだ事態を完全には飲み込めていないんだとか。

 また、渡部さんはネット上での批判を恐れているようで、最近活動に精を出しているYouTubeチャンネルのコメント欄も閉鎖しました」(佐々木の知人)

 今回の不倫劇に世間が衝撃を受けたのは、ほかでもなく、渡部が愛妻家として振る舞ってきたからにほかならない。ブレイク後に仕事がなくなった時期も、資格を取得したりと、さまざまな努力を重ねてきた。現在の“グルメ王”の肩書きも後天的な努力によって生み出されたキャラクターだという。しかし、ある飲食店経営者は渡部の“裏の顔”についてこう語る。

プライベートでは、グルメ繋がりでできた実業家たちとパーティーなどに参加していると聞きました。結婚してからも、彼らとはクラブなどで夜遊びをする一面もあったそうです。そういったところが女性との出会いの場になっていたのでは? そのときも写真などを絶対に撮らせないといった“危機管理”は徹底していたみたいですね

 表と裏の顔を使い分けていた渡部。“絶対にバレない”というタカの括り方が今回の動揺を招いたのではないか。

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cat_oa-shujoprime_issue_55a03fc08cc0 oa-shujoprime_0_j3ycopnssjf7_眞栄田郷敦が明かす理想の親子関係 j3ycopnssjf7 j3ycopnssjf7 眞栄田郷敦が明かす理想の親子関係 oa-shujoprime

眞栄田郷敦が明かす理想の親子関係

2022年5月16日 20:00 週刊女性PRIME

眞栄田郷敦

「地上波で連続ドラマの主演は初めて。ワクワクと不安の両方があります。でもどの作品をやるにあたっても、そのふたつの思いはあるので。“主演だから”とはあまり考えず、まっすぐ、100%で向かおうと臨みました」

 4月に新設されたNHKの帯ドラマ“夜ドラ”。2作目となる『カナカナ』がスタートする。原作漫画は『今日から俺は!!』で知られる西森博之。

父性が芽生えた眞栄田郷敦


 眞栄田郷敦が演じるのは強面だけど心根はまっすぐ、元ヤンキーで現在は居酒屋店主・マサ。ある日、佳奈花(カナ=加藤柚凪)という5歳の少女に助けを求められる。他人の心を読める不思議な能力を持つカナは、叔父からギャンブルに利用されていた。おびえる姿を見たマサは、カナを連れて逃げることに……!

「カナとはけっこう仲よくなって。普段も自然と“マサ”“カナ”と呼び合うようになりました。本当にたわいないことですけど、けっこう何でも話します。一緒に遊んだりもしますし。お手紙や折り紙、似顔絵とかもよくくれるので、なんか本当に父親になったような気分ですね(笑)」

 マサは父親的存在として、カナが閉ざしていた心に温かな光を注いでいくが、リアルな関係性が築けていると自信をのぞかせる。

「マサは父親というより、先輩のテイストではあるんですが、カナと接していると“神々しいな”“子どもっていいな”と思いますね。かなり父性本能を刺激されています(笑)」

 いつかは父親になりたい気持ちも?

「ありますね。カナみたいな子が欲しいですよ、本当に。親御さんに“どうしたらこんな子が育つんですか?”と育て方を聞きたいくらい(笑)。理想は“父親と子ども”というよりは、マサとカナのような対等というか、先輩のような関係性ですね。男の子だったら、バディみたいな感じとか。僕の友人を見ていても、関係性が近い親子はすごくすてきだなと思うので」

Tシャツのサイズがどんどんピチピチに



 マサはかつて、不良100人を相手にケンカで勝った伝説を持つ。眞栄田によるアクションシーンも見どころのひとつ。

「大がかりなワイヤーアクションや、雨の中で大人数でのアクションもあって。ハートフルコメディーではあるんですけど、アクションシーンも印象的だと思います」

 では撮影に備えて、トレーニングなども?

「普段、あまり身体を大きくしてはいけない役をやるときは筋トレを控えてるんですけど、マサは強いし、多少身体が大きくても違和感はないのかなと思い、遠慮なく筋トレをさせていただいてます(笑)。Tシャツのサイズがどんどんピチピチになっていくから、衣装さんにけっこう怒られます(笑)」

 人を頼り切れなかったカナと、常にふざけているのかまじめなのかわからないマサ。互いに信頼し合っていく展開にはぐっとくると語る。

「1話15分だけなので構えずに、本当に気軽に見てもらえたら。1週見てもらえたら、コメディーとハートフルのギャップに引き込まれていくと思うので。だから、15分だけ僕にください!」

Qもし、他人の心が読めたら……?

 カナのように人の心が読める能力がもしあったら?

「カナが陥っている状況と同じようになると思います。なかなか人を信用し切れないだろうし、割り切ることも難しいだろうし。だからこそ、カナにとってマサのような存在は救いだと思います」

 その能力を魅力的だとは思わない?

「うーん。切り替えられたらいいですよね。ある瞬間には“本当はどう思っているんだろう?”と知りたいときも、もちろんありますけど。ただ、カナのように全部聞こえちゃうのは嫌だな(笑)。自分で都合よくスイッチを切り替えられるなら、ちょっといい能力だなと思います(笑)」


夜ドラ『カナカナ』

毎週月~木曜夜10時45分~11時(全28回/NHK総合)

ヘアメイク/MISU(SANJU) 

スタイリング/MASAYA(ADDICT_CASE)

衣装協力/DIESEL

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上島竜兵さん、コロナ禍で活動停止の『竜兵会』

2022年5月16日 16:00 週刊女性PRIME

'05年ごろ、『竜兵会』での上島竜兵さん(焼肉店店長提供)

 5月11日の朝、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが自宅で亡くなったという、あまりに唐突な訃報が飛び込んできた。

 キャリアを重ねてもアツアツおでんや熱湯風呂など身体を張ったリアクションを続け、誰もが知っている“お約束”芸で、お茶の間だけでなく芸能界からも愛されていた。それだけに、身近な人たちは憔悴しきっている。

「上島さんに可愛がられていた有吉弘行さんは、訃報が届いた日に番組の収録がありました。本番こそ気丈に振る舞っていましたが、カメラが回っていないところではかなり落ち込んでいた様子でしたね。上島さんは亡くなる1週間前に、アイドルグループ『恵比寿マスカッツ』の5月25日のライブに出演することをYouTubeで予告していて、元気な姿を見せていたんですよ……」(スポーツ紙記者)

 マネージャーや所属事務所の広報スタッフも、仕事関係者への対応ができないほどショックを受けているという。

デビュー当時は“あまり目立たない人”だった


 亡くなる約2か月前、週刊女性のインタビューを受けていたが、担当者も「とても元気そうだった」と驚きを隠せない。


相方の肥後克広さんと一緒の取材でしたが、朝ドラの撮影などで忙しかったのか、肥後さんのほうが元気がなかったぐらい。志村けんさんの話になると、“亡くなったのは悲しいし、自分も悩むこともあるけど、(相方)2人のおかげで困っていない”と感謝の言葉をのべていましたね


 ダチョウ倶楽部がブレイクしたきっかけは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)。同番組で放送作家を務めていた、江戸川大学の西条昇教授は当時をこう振り返る。

ダチョウ倶楽部が4人組だったころは、脱退した南部虎弾さんが強烈なキャラだったこともあり、上島さんは“あまり目立たない人”という印象でした。今でこそリアクション芸のイメージが強いですが、当時は“ネタで勝負したい”と番組への出演を最初は断っていたんです

 同時期にデビューしたダウンタウンやウッチャンナンチャンが冠番組を持つようになったことで意識を変える。

「“仕事は何でも挑戦していったほうがいい”とスタンスを変え、身体を張ったバラエティー番組にも出演し、人気を獲得していきました。ものまねがきっかけで、'94年の日テレ系のドラマ『遠山金志郎美容室』で西田敏行さんの弟役として共演したときは、“夢が叶った”と大喜び。“西田さんにブラザーって呼ばれた”と自慢げに話していました」(西条教授)

生きる上で張り合いだった志村けんさんの死去


 共に活動した、元メンバーの南部にも話を聞くと、

上島は普段から気を遣ってばかり。人前だと明るく振る舞うけど、1人になるとうつむくタイプです。そんな彼が志村(けん)さんには“おい、志村!”とツッコんでいましたから、本当に心を許せて尊敬できる存在だったのは間違いない。上島にとって、生きるうえで大きな張り合いだった志村さんが亡くなってしまったことが、今回の件に影響を与えたのではと考えてしまいます


 さらに、南部は意外な事実を明かしてくれた。

上島の母親が病気を患い、兄弟で介護をしていたこともあったそうです。でも、介護について公表していなかった。決して弱音を吐かないヤツなんですよ。実際には、いろいろな苦労や喪失感が積み重なり、思い悩んでいたのかもしれません

 最近ではコロナ禍で仕事に制限が出てしまい、おなじみのネタをやるのにも苦労していたという。

4月に出席したPRイベントでは、新型コロナの感染対策でお約束のキス芸や熱湯風呂がやりづらくなっていると明かしていました。テレビ業界は“高齢者は感染すると重症化しやすいから”といった理由で、ベテランの起用に慎重になってもいましたからね。上島さんは芸風と違って、とても繊細な方なので、やりたいことができなくなったことに心苦しさを感じていたのかもしれません」(制作会社関係者)

 しかし、上島と仕事をしていたテレビ局関係者は強く否定する。

「俳優としてもオファーが絶えない売れっ子でした。もともと役者志望だったこともありますし、仕事がなかったり、内容に不満を持っていたということは絶対にないはず」

 近年は『真犯人フラグ』(日本テレビ系)や放送中の『やんごとなき一族』(フジテレビ系)などで、俳優としての評価を高めていた。

 芸人としての活動は制限を余儀なくされたものの、仕事自体は順調そのものだった上島さん。一方、プライベートでは変化が起きていて……。

有吉さんら多くの後輩が参加する『竜兵会』と称した飲み会を定期的に開催していたのは有名ですが、今は大人数で集まるのが難しいですからね。“飲みに行かなくなったら、最近お酒が弱くなっちゃったよ”と嘆いていました」(同・テレビ局関係者)

コロナ禍の前は週1ペースで飲みに来ていたけれど


『竜兵会』が行われることもあった都内の焼き肉店の店主は、懐かしそうに振り返る。

お酒が好きというよりは飲みの場が好きな方でしたね。寂しがり屋で仲間が帰ったあとも1人残り、朝の9時まで飲むことも。『竜兵会』など大人数の飲み会を行う際もお会計はすべて上島さんで、とても面倒見がよい方でした


 最近は別の形で寂しさを埋めていたようだ。

以前は週1回ペースで来店され、芋焼酎のロックを好んで飲んでいました。“1人で来ると飲みすぎちゃうから”と、後輩と来店されることが多かったです。コロナ禍になって夫婦で来店された際には、“最近は芸人仲間とZoom飲みをしている”と話していたのですが……」(自宅近くのカフェバー店主)


 仲間と対面での飲みの機会を、コロナに奪われたショックは大きかったのかもしれない。志村さんと、空の上でコントを楽しんでいる……そんな様子を願うばかりだ。


【悩みを抱えている方は厚生労働省が紹介している相談窓口をご利用ください】

いのちの電話 0570-783-556(ナビダイヤル)/0120-783-556(フリーダイヤル・無料) こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556 #いのちSOS(特定非営利活動法人 自殺対策支援センターライフリンク)0120-061-338 よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)0120-279-338

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コスプレイヤー神崎りのあが整形にハマるまで

2022年5月16日 11:00 週刊女性PRIME

コスプレイヤー・神崎りのあさんのビフォーアフター

 コスプレをしてパチンコ店に来店し、イベントを行う「来店コスプレイヤー」として活動する神崎りのあさん。その活動の一方で、YouTubeやTwitterで美容整形の体験談や失敗談などの情報を発信している。

 現在、整形に使った額は驚異の2600万円! 地方なら家が一軒建つほどの額を、一体なぜ神崎さんは整形に費やすようになったのか。さらに整形を失敗しないコツ、明らかに整形をやりすぎる人の気持ちなど、普通ではなかなか聞けない整形事情について話を聞いた。

整形を始めてからハマるまで


 2600万円を整形に使ったと聞くと派手な人物を想像するが、取材で会った神崎さんは落ち着いた人だった。普段はコスプレで肌の露出も少なくないが、「仕事でやっている分、普段はロングスカートだったり露出はしないです」と笑う。話しぶりはしっかりしていて、刹那的に生きているのではないのが伝わる。

 神崎さんの整形人生のスタートは成人式のタイミングだった。学生時代はメガネをかけ、地味な方だったが、その頃から下唇の大きさが気になっていた。

「昔の写真を見ると、手で下唇を隠している写真ばっかりで、下唇だけが“たらこ唇”で、大きいのがコンプレックスでした。なので成人式のタイミングで顔を変えたいと思い、手術しました」

 有名な整形クリニックで手術し、費用は13万円だった。その後は、鼻やあごにヒアルロン酸を入れるプチ整形を繰り返した後、鼻と太ももの脂肪吸引を行うなど徐々に整形へハマっていった。

 一番大きな手術は韓国での両あごを削るものだ。当時、神崎さんはグラビアのDVDを出し、イベントを行ったが、ネット掲示板に顔やあごに関する誹謗中傷を書き込まれて傷ついていた。さらにプライベートでも大きな不幸が襲う。

「その頃にずっと長く付き合っていた方が交通事故で亡くなってしまい……。もう心身ともにボロボロで“もう死んでもいいや”という感じになっていて。

 当時は韓国で美容手術を受けた日本人の方が死亡する事故がニュースになっていた時期だったんですけど“死んでもいいからやろう”“自分で死ぬのは勇気がいるけれど、手術して死ぬのなら仕方がない”と思ってました」

 手術には韓国での滞在費などを含め、250万円かかった。手術が終わり、麻酔が切れて目覚めると、なぜか頼んでもいない歯科矯正が行われていた。手術後、帰国するも1か月は流動食しか食べられず、体重は5キロほど落ちた。通常なら3か月ほどで治まるはずの顔の腫れも、結局は1年ほど治らなかった。

 腫れも引き、生まれ変わった自分の顔を見ても神崎さんは満足することはなく、むしろ気になる部分が出てきたという。

「両あごを削り、顔のバランスが変わったことで、今まで気にならなかった鼻が大きく見えるようになったんです。そこから鼻も小さくする手術もしました」

 以後は整形のペースが上がり、3か月に1回は大きな手術を行った。直近では豊胸のため脂肪を注入する手術を行い、カップ数も1つ上がり、少し垂れているのが気になった胸に一気に張りが出たという。

「顔はまだそこまで納得していないんですけど、体は納得しています。胸が大きくなったことで、くびれも細くなったように見えて、今は鏡を見て“めっちゃいい体やな”と自分で言っています。

 今までは撮影でマイクロビキニを着たりはしなかったけれど、今は“着る、着る、見て”って感じで、際どいものをオーダーされても全然できます(笑)」

 神崎さんのように公にはしていなくても、整形をしているコスプレイヤーは少なくないという。


「コスプレイヤーさんでも“あっ、これはいつぐらいに胸に入れたな”というのは私もわかります。隠しているけれど、裏で整形していることを明かしてくれる子もいます。私はもともと人見知りなのですが、仲が良くなかった子でも美容や整形について相談して、仲良くなれますね」

 整形をしている芸能人も多いが、中には明らかにやりすぎという人もいる。神崎さんは過剰な整形を行う芸能人の気持ちを代弁する。

「病院の先生が、本人の希望した部分をそのまま手術したのだと思います。たいていの先生はナチュラルでなくなるのを避けるので“もう、やめておいた方がいい”と伝えていると思うんですけど、止められたところで結局みんなやってしまう。

 私も口角をあげたいと伝えたら“ピエロみたいになっちゃうよ”と止められたけれど、やりたい気持ちが勝って結局やっちゃいました(笑)」

整形したことでポシティブになれた


 整形の利点として神崎さんが語るのは、外見だけでなく内面の変化だ。自分の容姿に自信がつくことで、心にも余裕が出てくるという。

「ポジティブな言葉がよく出るようになりましたし、他の人と比べなくなりました。歩き方も座り方も“見て”という感じで、自信を持って行動できるようになりました。

 以前は“あっちの子はSNSで同じ写真をアップしてるのに1000いいねがついている”と悔しくなってましたが、今は心に余裕を持てるようになり、他人と比べることもなくなりました」

 整形をしてよかったと話す神崎さんだが、周囲からは「前の方がよかった」と言われることもあるのだそう。

「一番嫌な言葉ですね。思っていても、言わないでほしい。もう戻せないし、絶対前の方がよかったことはないと思うんですよ。なんだか嫌味にしか聞こえなくって。逆に嬉しいのはやっぱり“可愛くなった”ですね」

 整形を公表したのは1年前。現在、整形や美容について語るYouTubeも運営している。そこでは整形のメリットだけでなく、整形の失敗についても明かしている。

「私自身、整形の失敗はたくさんありました。鼻は何度か失敗されて、映画『アバター』のキャラみたいにされたり、脂肪吸引も失敗されてボコボコになっていて、いまだに痕が残っています。その手術をした病院は、その後に逮捕されていました(笑)」

整形に対する考え方


 では、整形で失敗しないコツはあるのだろうか。

 「ネットの情報もあてにはなると思うんですが、検索の最初に出てくるクリニックはあまり信用しないほうがいいのかなと思います。

 検索するにしても検索ワードをいっぱい入れて検索する方がいい。先生も手広くする人でなく、脂肪吸引なら脂肪吸引、顔の手術なら顔の手術と、何かの分野に特化している人がいいと思います。私も体はこの先生、顔はこの先生と分けています」

 YouTubeを始めてから、女性だけでなく、男性からの相談も届いている。整形がそれだけカジュアルになっているようだ。

「個人的には気になるのであれば、高校生くらいから整形をしてもいいのかなと思います。ただ、二重の手術であれば、成長が止まってからやらないと幅とかが変わってしまうので、成長してからの方が良いと思います」

 一方、借金をしてまでの整形についてはNGだという。

「私は整形にかけた2500万円はコスプレイヤーとして稼いだもので、ローンを組んでまで整形はしていませんし、借金をするくらいだったらやめておこうと思います。

 もし整形するなら100万なら100万と自分でお金をためてからやるべきです。ローンでやってしまうと、逆に歯止めがきかなくなり、どんどんとやってしまい、借金が膨れ上がると思います」

 最近では整形だけでなくアンチエイジングなどにもお金をかけている。今後はYouTubeで美容や整形についての情報を発信していき、将来は整形についての本を出版するのが目標だ。

今は歳の公表はしていないし、ウィキペディアに載っている年齢も間違っているんです(笑)。本を出すタイミングでバーン! と公表したいです。女優やモデルさんのように“この年齢でその美貌なの!?”と言われるような人になりたいですね

取材・文……徳重龍徳(とくしげ・たつのり)/ライター。グラビア評論家。大学卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。記者として年間100日以上グラビアアイドルを取材。2016年にウェブメディアに移籍し、著名人のインタビューを担当した。現在は退社し雑誌、ウェブで記事を執筆。個人ブログ「OUTCAST」も運営中。Twitter:@tatsunoritoku

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cat_oa-shujoprime_issue_55a03fc08cc0 oa-shujoprime_0_1vsjo76qk62a_【殺人事件】被害者遺族と加害者の“その後”の関係 1vsjo76qk62a 1vsjo76qk62a 【殺人事件】被害者遺族と加害者の“その後”の関係 oa-shujoprime

【殺人事件】被害者遺族と加害者の“その後”の関係

2022年5月16日 07:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 ある日突然、家族が事件に巻き込まれて、自分が“遺族”になったらーー。加害者に謝罪を求めて会おうとしても、簡単には叶わないという現実。一方で、加害者になってしまった場合もまた、直接謝罪したくても“制約上”できないという「高い壁」が立ちはだかっていた。NPO法人『World Open Heart』理事長で、犯罪加害者と被害者、双方の支援団体『Inter7』の発起人でもある阿部恭子さんが伝える。

事件に奪われた日常


 もし、家族が他人に殺害されたとしたら、犯人に求めるべきは死刑なのか。死刑を求めない家族は、被害者とはいえないのだろうか。

 被害者遺族を経験しながら死刑廃止の立場を表明し、被害者と加害者の対話の意義を訴えてきた原田正治さんは、一部の人々からは「理想的な被害者」として注目され、また一部の人々からは「理想的な被害者ではない」と、時に批判を浴びてきた。

 事件後、原田さんが歩んできた遺族としての道のりは過酷である。当時、助けてくれる人も、相談に乗ってくれる機関もなく、次々と降りかかる試練に、すべて家族だけで対応しなければならなかった。

 1983年、原田さんの弟・明男さんが30歳のとき、突然、仕事中に亡くなり、居眠り運転による自損事故と判断された。ところが1年3か月後、雇用者による保険金殺人だった事実が判明。当時、36歳だった原田さんの人生も一変する。

 犯人逮捕に伴い、報道陣が自宅付近を取り囲むようになり家族はしばらく外出ができなくなった。原田さんがようやく仕事に出られるようになると、帰宅を待ち構えていた記者がいきなり物陰から飛び出してきたこともあった。地域は騒然となり、周囲の人々の態度は明らかによそよそしく感じ、これまで親しかった人たちとも次第に疎遠になっていった。穏やかな日々は、緊張と不安に変わってしまった。

 対応に苦慮したのが、事故として支払われていた保険金の返還請求だった。葬儀代、墓代等、弟が亡くなったことに要する出費としてすでに使用していたからである。「返還しないと不当利得です」と書かれた保険会社からの手紙は、まるで家族が騙し取ったと責められているように感じた。行政や弁護士に相談しても取り合ってもらえず、借金をして支払うほかなかった。

 マスコミ対応や検察庁からの呼び出し、裁判など、会社を休まなければならない日も出てくるが、原田さんが勤務していた会社の対応は、ひどく冷淡だった。

 不条理な出来事ばかりが続く中、家族の間でも徐々に精神的な距離が生まれ、家庭も壊れていった。

一度は求めた死刑


 弟を殺害した加害者は、通夜や葬儀にも訪れ、事件が発覚するまで、何食わぬ顔で家族に接していたのである。人として、なぜそんな惨いことができるのか、直接会って問い質したい感情が日に日に強くなっていた。

 そこで唯一、加害者に直接感情をぶつけられる機会は、刑事裁判だった。被害者への公的支援が一切ない時代、ある日突然被害者になった原田さんに、裁判の仕組みを説明してくれる人もなく、付き添いもないまま報道陣が詰めかける法廷にひとりで向かわなければならなかった。

 どんな処分を望むかという検察官からの質問に、原田さんは

「極刑以外に考えられない」

 と答える。

 つまり、死刑である。加害者は塀の中で食事も睡眠も保証され、守られているにもかかわらず、被害者はさまざまな対応に時間を取られ、経済的にも精神的にも追い詰められていく。その原因を作った相手に、最も厳しい罰を求めたとしても不思議ではない。

加害者との面会


 裁判が続く中、原田さんのもとに加害者から手紙が送られてくるようになった。最初はとても読む気になどなれず、開封せずに捨てていた。ところがある日、好奇心から開封してみたことをきっかけに、加害者との交流が始まる。加害者は、弁護士の影響で洗礼を受け、罪と向き合うことを始めていた。

 そして事件から10年後、原田さんは、周囲の反対を押し切って、拘置所にいる加害者との面会を決意する。憎しみや怒りが薄れたわけではなく、なぜ弟が殺されなければならなかったのかを問い、遺族がこれまでどんな思いで生きてきたのか、思いをぶつけたかったからだ。

 原田さんが「長谷川君」と呼ぶ加害者は、原田さんの訪問を喜んだ様子で迎え、「申し訳ございません」と謝罪をした。原田さんは、長谷川君と対面した瞬間、肩の力が抜けたという。アクリル板を挟んでいても、対面が叶ったことで、被害者加害者という枠を超え、人間同士のコミュニケーションが可能となったのだ。

 これまで何百通という手紙を受け取ってきたが、20分の面会にはかなわなかった。彼の謝罪の意志は本心だと感じ、直接、謝罪の言葉を聞いたことによって、どんな慰めの言葉より、心が癒されていくのを感じたという。

 

「長い間、孤独の中で苦しんできた僕の気持ちを真正面から受け止められる存在は長谷川君だけだと感じた」と話す。しかし、面会をしたからといって、彼を許したわけではない。

 

「事件によって僕や家族は崖の下に突き落とされました。世間の人々は、崖の上から高みの見物です。誰も崖の上に引き上げようとはしてくれず、長谷川君やその家族をバッシングして崖の下に突き落とすことで、僕たちに『これで気がすむだろう』と言っているかのようです」

 長谷川君こと長谷川敏彦氏の息子及び姉は自殺をしている。事件後、被害者だけでなく、加害者家族もまた、生き地獄を強いられたであろうことは想像に難くない。

「僕は彼と面会したことが、自分自身の快復への道につながると感じました。僕が求めているのは、彼や家族をさらに奈落の底に突き落とすのではなく、僕が崖の上に這い上がることです。死刑が執行されてもされなくても、僕の苦しんできたことは消えませんし、弟が生き返るわけでもありません」

 原田さんは、納得できるまで長谷川君と面会したいと死刑執行停止を求める嘆願書を法務省に提出し、法務大臣に直接会い上申書を提出したが、その後まもなく、長谷川俊彦氏の死刑は執行された。

 原田さんは、自らの体験をもとに、2006年に「Ocean被害者と加害者の出会いを考える会」を立ち上げ、2021年12月に結成した被害者加害者が共に支援を行う団体「Inter7」の共同代表を務めている。

加害者が謝意を伝えられない“高い壁”


 Inter7の共同代表の五十嵐弘志さんは、計20年服役した経験を持つ。長谷川君のように、獄中でのキリスト教との出会いをきっかけに更生し、出所後は受刑者の更生支援に尽力してきた。

 Inter7には、加害者被害者双方の家族などから相談が寄せられており、被害者に償いたいという受刑者からの相談も多い。

 受刑者が刑務所から直接被害者に手紙を送ることは許されておらず、弁護士など被害者との間をつないでくれる人が不在の場合、謝意を伝えることは叶わず、被害者から「謝罪がない」と残された家族に苦情が寄せられることもある。

 原田さんは、死刑囚となった長谷川君との面会を特別許可されたが、死刑囚との面会は基本、親族に限られている。謝罪したい加害者と謝罪を求める被害者の間には、制度上の高い壁がある。

「被害者に謝りたい、償いたいと思っても、管理重視の日本の刑務所ではトラブルをおそれるあまり、あれもダメ、これもダメとあまりに制約が多く、何もしないほうがいいのではという気持ちにさせられてしまうのです」

 

 直接、加害者と話をしたいというニーズは、Inter7の共同代表で交通事故被害を経験した片山徒有さん、弓指寛治さんも主張する。

 原田さんは、決して加害者に甘い被害者ではない。被害者と向き合うことは、加害者にとっても恐怖であり、勇気がいることでもある。

「塀の中で、孤独に犯した罪と向き合い続けることは苦しいことです」

 五十嵐さんは、生きる苦しさこそが償いではないかと語る。

 犯罪報道では、被害者と加害者は分断され、対立する姿ばかりが強調される。しかし、Inter7が対立と分断を超えた先に目指す社会とは、世間が押し付ける被害者・加害者像から解放され、自分らしい生き方を選択できる社会である。

阿部恭子(あべ・きょうこ)

 NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて”犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。

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cat_oa-shujoprime_issue_55a03fc08cc0 oa-shujoprime_0_527y9gdcpak3_新幹線“タダ乗り”元議員、過去にもあったセコすぎ事件 527y9gdcpak3 527y9gdcpak3 新幹線“タダ乗り”元議員、過去にもあったセコすぎ事件 oa-shujoprime

新幹線“タダ乗り”元議員、過去にもあったセコすぎ事件

2022年5月16日 05:15 週刊女性PRIME

参院本会議で代表質問する山下八洲夫氏(共同通信)

「背が高く、スレンダー体型を維持し、おしゃれなスーツを着こなしていました。健康管理が完璧で、食事は納豆ご飯だけで平気なんだそうです。いつもニコニコ、柔らかい表情で“こんにちわ〜”と挨拶してくれたのに、こんな恥ずかしい事件を起こすなんて」

 と地元の70代女性はため息をつく。

 恥ずかしい事件が発覚したのは5月8日のことだった。

 現職の国会議員になりすまし東海道新幹線のグリーン券などをだまし取ったとして愛知県警中村署と鉄道警察隊が逮捕したのは、岐阜県中津川市に住む元参院議員の会社役員・山下八洲夫容疑者(79)。1983年から旧社会党などで衆院議員を4期、98年から旧民主党で参院議員を2期務めた元ベテラン議員だ。

 同県警によると、詐欺と有印私文書偽造・同行使の疑い。

 全国紙社会部記者の話。

「衆・参両院の議員に公務用として付与される『国会議員用鉄道乗車証(JR無料パス)』を落選後12年経つというのに不正使用し、胸襟に議員バッジをつける工作までして乗車券代わりに駅員に見せていた。有効期限1年のパスは当然期限切れ。しかし、過去の経験則から、じっくりと見る駅員はいないためバレないと確信していたようだ」

 乗車券はこのようにスルーしたが、新幹線に乗るには特急券が別に必要になる。

楽なグリーン車にタダで乗りたかった


「東京―名古屋間の新幹線グリーン車の往復チケットを入手するため『国会議員指定席・寝台申込書』に実在する議員の名前を書いて本人を装った。たまたまチケットの誤発行に気づいた駅員が当該議員に連絡したことで“なりすまし”が発覚。“昔を忘れられず、楽なグリーン車に無料で乗りたかった”などと供述し、継続的な悪用をほのめかしている」(同・記者)

 中国・湖北省生まれ。中学・高校時代を過ごした広島で同級生を原爆症で亡くしたのが政界入りのきっかけ。中央大法学部を中退後、岐阜県中津川市で国鉄労働組合出身の楯兼次郎衆院議員(故人)の秘書に。“県労働界の育ての親”と評される楯氏のもとで20年、政治のイロハを学んだ。

 県内の政界関係者は「楯さんの後継者としては迫力不足で脇も甘かった」と語る。

「労働者の立場から経営側を糾弾する視点と、護憲の精神は貫いたと思うが、それだけ。誇れる実績はない。逆に、国会議員の国民年金未加入問題(2004年)が騒がれたときも名前が出たし、'07年には代表を務める政治団体が、北方領土問題などの関連本を販売する出版社に名前を貸す見返りに7年間で計約1億3000万円を受け取っていたと報じられ謝罪した。1冊数万円の高額本を強引に売る手法に苦情が出ていたから」(県内の政界関係者)

 2010年7月の参院選で議席を失って以降も政治活動を続け、'19年からこの事件で解任されるまで立憲民主党岐阜県総支部連合会の常任顧問を務めていた。

 同県連の関係者は「セコい人なんですよ」と吐き捨てる。

もうひとつのセコすぎ本性


「国会議員を長く務めた割には選挙戦の苦労がわかっておらず、後輩候補の応援で“現場までの交通費ちょーだい”とせがんで周囲を呆れさせていた。高速道路通行料やガソリン代などの計算が得意らしくて(笑)。選挙活動費が潤沢でないとわかっているはずだし、自分の選挙のときは支援者らの“手弁当”の応援にさんざん助けられてきたくせに」(県連関係者)

 自宅はJR美乃坂本駅から徒歩約10分の高台にある。立派な門柱をくぐって坂を登ると武家屋敷のような佇まいの豪邸。05年の議員資産公開によると、床面積273平方メートルの自宅をローンで建て、借金が2761万円増えたと報告している。当時の預貯金は256万円にとどまっているが、不動産のほか2つのゴルフ会員権や大企業株なども所有しており、暮らし向きが苦しいとは言いがたい。

 知人男性はこう話す。

「現職を退いたとき町内会に寄付をしてくれたが、国会議員にしては少ない金額だった。でも一緒にゴルフをした仲間のプレーフィーをおごることはあったみたい」

 関係者などによると、都内に自身が社長を務める多角的事業の会社があり、月2回程度は往復していたという。

 地元のタクシー運転手は、

「キャリーケースを引いてひとりでよく出張していました。自宅まで初乗り600円のワンメーターなんですが、千円札でお釣りはチップでくれるいいお客さんでした」

 と意外な一面を明かす。


不正総額は1030万円の試算も


 一方、無賃乗車については自宅最寄りの美乃坂本駅で乗車して多治見駅で特急指定席に乗り換え、名古屋から新幹線のぞみ号のグリーン車で東京まで往復すると料金は3万6540円。月2回、落選後から11年9か月続けたとすると1030万4280円になる。あくまで試算ではあるが、常習だった場合、とんでもない金額をせしめていた可能性も出てくる。

 無料パスやグリーン券の費用は国で払っているため私たちの税金が原資だ。


「JRパス、航空チケット、陸空併用の3コースから議員は選び、毎年度末に更新する流れ。年度途中で辞職したり、落選した場合は返却を求めています。参院議員だけで年間1億8000万円の予算を計上しています」(参院事務局)

 3歳下の妻とふたり暮らし。自宅を訪ねると、インタホンに出た夫人が、

「事件のことはよくわからないんです。私も体調を崩しているものですから。(無賃乗車は)知りませんでした。接見した弁護士には、“有権者にも、関係者や家族にも、ただただ申し訳ありません”と話しているそうです」

 政治腐敗を憎み、時の首相に辞任を迫るなど舌鋒鋭かった山下容疑者。最近ハマっていた“昼間から自宅で缶ビール”は当分お預けになる。

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パンダの名前はなぜ同じ音を繰り返す?

2022年5月16日 05:00 週刊女性PRIME

パンダ

 22歳の駆け出し記者が日常の疑問を解決!知って楽しい、おもしろ雑学をお届けします。

Q. パンダの名前はなぜ同じ音を繰り返すの?


A. 中国語でかわいらしさを表すためですが、実は上野動物園ならではの「独自ルール」です。(パンダライターの二木繁美さん)

 コロナ禍の影響で中断していた、パンダの一般公開が再開し、愛くるしい姿を見せてくれている上野動物園のシャオシャオとレイレイ。なぜ、パンダの名前は同じ音を繰り返すのだろうか。

 今までに2頭のパンダの名づけ親にもなったパンダライターの二木繁美さんによると、「中国では、繰り返す名前には相手をかわいがるニュアンスがあります。日本の“ちゃん”のようなもの。パンダの名前が繰り返しになっているのはそのためです」とのこと。 



 しかし、実はこの法則、上野動物園ならではだそう。



「ほかの動物園や中国では、繰り返しでない名前も多いですが、上野動物園では歴代パンダのすべてが繰り返しの名前です。初めてやってきたランランとカンカンの印象が強いためか、公募でも多くの人が繰り返しの名前を応募するので、いつの間にか法則のようになったのだと思います」(二木さん、以下同)

 ちなみに、パンダの名前にはその時代の人々の希望が反映されていることが多い。代表的なのが1995年に起きた阪神・淡路大震災の5年後の2000年に中国から神戸の動物園にやってきたタンタンだ。



「タンタン(旦旦)には『新世紀の幕開け』という意味があり、震災で傷ついた神戸の人たちが、未来を照らすような存在になってほしいという願いを込めてつけた名前です」

 パンダの名前を調べてみると新たな発見があるかも。

Q. ボブへアの“ボブ”って どういう意味?


A馬の尾を短くカットするという意味のbobが由来だといわれています。(美容ライターのMOMOさん)

 少しずつ暖かくなってきて髪型も夏仕様にしたいころ。ボブヘアなんてぴったり!ところで、ボブへアの“ボブ”ってなんだろう。ヘアスタイルに詳しい美容ライターのMOMOさんに話を聞いた。



「昔、英語のボブ(bob)は『馬のしっぽを短くする』という意味で使われていた時代がありました。それが、女性が長く束ねた髪を切る様子に重ねられて、短めのヘアスタイルを指す言葉になったようです」

 女性の社会進出が進みだした1920年ごろ、それまでの「女性=髪が長い」というイメージを払拭する短いヘアスタイルが流行した。そのころからボブという言葉が使われ始めたのだとか。

 意外な由来を持ったボブヘア、ひと口にボブといっても、その種類はさまざまだそう。


「毛先をそいだ軽やかなレイヤーボブや丸みが特徴的なマッシュボブ。スタイルをよく見せてくれて、着物にも似合うショートボブ、前髪とサイドの長さをそろえたワンレンなど、かわいくもきれいめにもなれる便利スタイル。女優の鈴木京香さんは求められる役柄の雰囲気に合わせたボブにいろいろ変えていて、ボブのカタログのような方です」

 とMOMOさん。

 そのまま下ろすだけで決まるから、毎日のスタイリングも簡単で週女世代の人気オーダーNO.1。なりたいイメージに合わせたボブでこの春、新しい自分に出会ってみてはいかがだろう。

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ビジュアル系の聖地、ライブハウス『高田馬場AREA』最後の日

2022年5月15日 20:00 週刊女性PRIME

エリアの会場内の終演後の様子(読者提供)

 2021年12月31日をもって閉店したビジュアル系バンドの聖地と呼ばれたライブハウス『高田馬場AREA』(以下、エリア)。

「エリアが入っている建物が老朽化し、建て替えを余儀なくされたことが理由のようです」(ビジュアル系バンドに詳しいライター、以下同)

 閉店からもうすぐ半年。ライブハウスのあった建物は白い防音壁に覆われ、取り壊し工事が進んでいた。かつて街に多くいたバンギャ(ビジュアル系が好きな女性たちこと)もバンドマンたちもその姿はどこにもなかった。


今年は『DIR EN GREY』や『MUCC』ら人気バンドが結成25周年を迎え、盛り上がっています。実はエリアも今年5月で25周年を迎えるはずだったんです。そんな記念すべき年になるはずだったんですけどね……

 そう前出のライターも肩をおとす。

「先月15日に逝去した元『La'cryma Christi』でギタリスト・KOJIさん(享年49歳)とユニットを組んでいた『ALICE IN ENSWEAR』のボーカルMICHIさん(元MASUCERA)も“エリアのステージに立つのが夢だった”と以前にツイートしています。活躍しているバンドマンたちの夢の出発点でもあり、活躍を期待する場でもあったライブハウスでした」

90年代後半『MALICE MIZER』や『SHAZNA』らに影響を受けて


 多くのファンとバンドマンに愛されたエリア。その軌跡を振り返ってみるーー。

 エリアは1997年にオープン。映画館だった場所をライブハウスに再利用して誕生した。スタンディングで400人ほどを収容でき、「中箱」と言われる規模。特にビジュアル系の若手バンドの登竜門的な存在だった。

「都内の他のライブハウスと比べてもビジュアル系バンドが数多く出演していたこともあり、バンギャにとって憧れの箱、聖地でした」

“ビジュアル系バンドの聖地”といえば『X JAPAN』や『LUNA SEA』らが出演していたライブハウス『目黒鹿鳴館』もある。


「1990年代前半に鹿鳴館に出演していた『MALICE MIZER』や『SHAZNA』『La'cryma Christi』らのバンドはビジュアル系バンドブームの走りとして、そのシーンを牽引してきました。それらのバンドが活躍し、有名になると次の世代が彼らを目標にするようになりました。1990年代後半には彼らに感銘を受けた若者たちがバンドを組み、ライブをするようになった。その中心となったライブハウスがエリアでした」

バンドマンと“西友のスーパー”


  昨年末の紅白歌合戦に出演したギタリストの『MIYAVI』もバンド活動をしていた10代のころはエリアのステージの常連だった。他にも『the GazettE』『NIGHTMARE』『SID』といった世界各国にファンがいるベテランのビジュアル系バンドも、若手のころはたびたびエリアに出演。昨年、不倫問題が報道された『ゴールデンボンバー』も若手のころはたびたびエリアに出演した。


 メジャーシーンで活躍するバンドが次々と輩出されていき、2000年代前半にはその噂は全国に知れ渡り、エリアは『聖地』と呼ばれるまでに成長したのだ。

 だがその一方で意外な一面も。かつてエリアで活躍するビジュアル系バンドのスタッフをしていた高橋恵さん(仮名・40歳)は「独特の世界観を持つビジュアル系バンドが活躍するライブ会場がスーパーの西友の地下にあることも妙な組み合わせですよね。暮らしに欠かせないスーパーと妖艶な世界が隣り合っているのはなかなか面白いです」と明かす。西友の売り場でファンとバンドマンがバッティングする、なんてことも珍しくはなかった。

ステージ上ではお化粧もバッチリ、派手な衣装を着て演奏をしているバンドマンがお惣菜を持ってスーパーから出てくるところにファンが遭遇することも日常茶飯事。バンドの世界観を壊してしまう、なんてことを気にしたメンバーから買い物を頼まれたことがありましたね(笑)」(高橋さん)

 日常と非日常が同居するライブハウスの存在は全国のバンギャたちの憧れの箱だった。ビジュアル系バンドやバンギャらを取り上げた漫画を数多く執筆している漫画家の蟹めんまさんもその一人だ。

「私は関西の出身ですが、エリアの存在は知っていました。ビジュアル系中心のライブハウスで聖地、いつか行ってみたいと願っていた場所でした」

 その後、蟹さんは23歳で上京。仕事の関係で一時はライブから離れていたこともあったそうで、念願のエリアを訪れたのは26歳のときという。その後はたびたびエリアでのライブに通うようになったことを明かす。

ラストライブに「胸がいっぱい」


 そんなエリアの最後の日は2021年12月31~2021年元旦にかけて行われた。

  午後1時から始まる第1部を皮切りに、19時〜24時、25時〜28時までの3部制。合計14バンドがエリアの最終日を飾った。前出の蟹さんも高橋さんもカウントダウンを終え、明けて2022年1月1日未明に行われた最後となる第3部に入場した。


 2人にその様子を尋ねた。

普段のライブですと目当てのバンドのTシャツを着ているファンが多いんですが、その日はエリアのオリジナルのTシャツを着ている人も多かったですね。エリアの最後を粛々と見守るバンギャも少なくありませんでした」(前出・蟹さん)

 第3部には『有吉反省会』(日テレ系・土曜・23:30〜)にも出演していた『ダウト』や『エリアの主』とも呼ばれていた『ウミユリ』のボーカルHitomiさんら5バンドが出演。深夜だというのに会場は大盛り上がり、アーティストもファンも全力で楽しんでいた。

「エリアの客席部分は三層構造になっているんですが、フロアの最後尾までみんなノリノリでした。最後にHitomiさんが“本当にここが大好きでした“と絶叫した時に涙が出ました。ああ、これで本当に終わりなんだな、ってそこでようやく終わるという現実を突きつけられました。

 また、その後、3部の出演バンドのボーカルたちがもう一度ステージに出てきたのですが、『ダウト』のボーカル、幸樹さんが“このエリアがなくなってもエリアバンドに代わりはない。僕にとってのエリアの思い出があるように君たち自身もエリアの思い出があると思うので、その君たちだけのエリアの思い出を大事に生きてもらえたら、と思います “という言葉も印象的でした。その言葉で私が手伝っていたバンドのこと、エリアで解散ライブをして、終演後メンバーとともにしんみりしたことを思い出しました。いろんな思い出が蘇ってきてもう胸がいっぱいで……」(前出・高橋さん)

 午前6時過ぎに終演を迎え、出演者がステージを去ってもなお、会場からはアンコールを求める拍手が鳴り止まなかった。その時間にも関わらず会場には多くの観客が残り、名残惜しそうに過ごしていた。

「終演後、多くのファンは思い出のある場所を撮影していました。本来、会場内での撮影は禁止ですが最終日だからかエリアのスタッフさんも目をつぶってくれたようです」(蟹さん、以下同)


 さらに入り口付近でも外観を撮影するため、多くのファンが集まっていた。

エリアはほかのライブハウスと比べてもお客さんと一線を引いており、馴れ合うことはない箱でした。例えば出待ちにしても、基本はどこのライブハウスでも禁止なんですが、エリアは特に徹底しており、終演後は会場周辺に溜まれないのはもちろん、建物の前に居ることすらできないので、終演後エリアを出たら小走りで離れるのが恒例行事。スタッフさんはこまめに声をかけていました

 それは住宅街と隣接する商店街という立地も関係していたとみられる。周辺からの苦情が増えれば営業ができなくなってしまう恐れもあったからだ。

「エリアといえばこの終演後のスタッフの声かけも有名でした」

 最後の日も終演後にスタッフが周辺で注意をして回ることを期待していたという蟹さん。しかし、その期待は裏切られることになる。

バンドがブレイクする瞬間に立ち会える場所


全然注意されなくて……。会場前にできた人だかりを、スタッフさんは優しく見守られていました。“本当に終わりなんだ“ということを実感させられて、私はそうした状況が感慨深くてうるっと来ましたね。閉店するんだな、と」(蟹さん)

 しかし最終日の閉店した後に投稿されたTwitterには《お店を出られましたら立ち止まらずご移動をお願い致します》といつものフレーズが書かれていたのだ。

「その一言にエリアらしさを感じました」と笑う蟹さんだが、どこか寂しそうだった。

 蟹さんがこれまで発表してきた作品の中にもエリアは数多く登場してきた。印象に残っているエピソードを尋ねると……。

「バンドがブレイクする瞬間に立ち会えたことです」

 エリアの会場は三層構造。ときどきステージから離れた一番上の三段目の客席までもファンが大盛り上がりのバンドがいる。蟹さんによると、ワンマンライブではなく複数のバンドが出演する対バン形式の公演で、そこまで盛り上がっているバンドはその後どんどん有名になっていくという。


「他のバンドが目当てで来た観客も大暴れ。客席じゅうがヘドバンの嵐となったステージがありました。振り回される髪の毛で窒息しそうになったほどです。どこにいても髪の毛がきて“エリアが壊れる!“と思ったのを覚えています」(前出の蟹さん、以下同)

 蟹さんは漠然と「このバンドは売れるだろうな」と思ったという。その時の勘は当たり、そのバンドは世界中にファンのいる中堅ビジュアル系バンドの一つになっているという。

 そしてエリアは多くのバンギャたちの居場所でもあった。

「私自身もいちばん多く訪れたのがエリアでした。エリアでのライブはなぜか特別感があり、ライブが決まると嬉しくて。応援しているバンドもいつもよりもかっこよく見える気がしていました(笑)」

 だが、そんな場所がなくなってしまった今、新たな『聖地』とバンドにとっての『登竜門』的なライブハウスの存在が求められている。


高田馬場がビジュアル系の聖地とバンギャから言われていたのはエリアがあったから。ジャンルが栄えるには聖地的な場所が必要なので、喪失感があります

 蟹さんは今後もエリアについて作品にしていく、と意気込む。また、中にはエリアを題材にした楽曲を作ったバンドも。エリアはなくなってしまったが、作品の中でこれからも生き続けるのだ。

 多くの人々に愛されてきたビジュアル系の聖地、高田馬場エリア。そこに刻まれた思い出は時代が変わろうとも永遠に不滅。まぶしく輝いていた日々は記憶の中で色褪せることはない。

蟹めんまさん                                                                                                               イラストレーター。バンギャル(ビジュアル系バンドのファンの女性)やビジュアル系バンドを題材にした作品を多数執筆。著書に『バンギャルちゃんの日常』(KADOKAWA)などがある。

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cat_oa-shujoprime_issue_55a03fc08cc0 oa-shujoprime_0_6zeg1wcfe6gy_アンガールズ田中、10年ぶりにできた彼女とは「毎日電話」 6zeg1wcfe6gy 6zeg1wcfe6gy アンガールズ田中、10年ぶりにできた彼女とは「毎日電話」 oa-shujoprime

アンガールズ田中、10年ぶりにできた彼女とは「毎日電話」

2022年5月15日 19:00 週刊女性PRIME

田中卓志 撮影/佐藤靖彦

「最初に聞いたときは僕でいいのかなと思いました。でも芸人がたくさんいるなかでやらせてもらえるのはひと握り。こんなに貴重な機会はないので全力でやりたいです」

 4月にスタートした新番組『呼び出し先生タナカ』(フジテレビ系毎週日曜夜9時)でゴールデンタイムの初MCを務めているアンガールズの田中卓志。勉強と笑いを融合させた“一斉テスト”教育バラエティー番組の顔になった。

 初回(4月24日)の3時間スペシャルに続き、5月15日(夜8時から放送)は2時間スペシャルと拡大版が放送される収録は長時間に及んだ。

「疲れよりも楽しい。収録が長いと眠いとか集中力が落ちたりするけどゲラゲラ笑えて面白かった。このペースでいけたら視聴者のみなさんにも楽しんでもらえると感じています」

 日曜夜9時は『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)や『日曜劇場』(TBS系)などの人気番組と競合する。

「新人MCの僕にとってはどの放送枠であっても(裏番組は)強敵なので、気にしてもしょうがない。とにかく自分の番組を面白くすること。ほんわかした空気感とときどきブチ切れるのをうまく織り交ぜて自分なりのMCができればと思っています」

デートはできないけど毎日、電話で話します



 地元・広島の友人、山根良顕(45)とお笑いコンビを組みデビューして22年。コントで両手を広げる“ジャンガジャンガ”で注目を集め、その後“キモかわいい”と形容され流行語にノミネートされた。

 人気芸人としてソロでも活躍し近年は、お笑い審査員を務めるほか広島大学工学部出身の知識を生かした番組にも出演する。

 今回の冠番組はじめレギュラー14本を抱え、さらには10年ぶりに彼女ができたことを公言し“モテないキャラ”を卒業。公私ともに充実している。

「年末に彼女ができて発表した後に新番組が決まった。“おめでとうございます”と声をかけてもらうことが多くて一時期どっちのことかわからなかった(笑)。たまたまいいことが重なりました」

 スケジュールに追われる生活で休みの日は家で過ごす。

「ダラダラしているけど、やることがないかと考えちゃいます。新番組のゲストについて調べてMCの勉強をしたりしています。なかなかデートはできないけど、毎日電話をして話しています。忙しいのも理解してくれています」

芸歴とともにキャラ変、次は“カッコいい”?


 芸人のキャリアを積む中でイメージも変遷した。新番組のポスターは“カッコいい”をイメージして撮影された。総合演出の日置祐貴さんは企画意図に「1年後には全国のみなさんが田中さんのイメージは“カッコいい”と思ってもらえることを目指した」と語る。

 田中自身は

「カッコつけるのは似合わない。自分が思っていることを言って、やっていることがカッコいいと思ってもらえれば。(カッコいいイメージが芸人の)武器になるのか、邪魔になるのかはわからない。ここまできたらいつでもカッコ悪くもカッコいいにもなれるので無理はしない。自然とそうなる番組にしたいです。

 芸人になると決めたときに、いい時間帯で冠番組をやりたいと思って広島から出てきたので、それが叶った番組です。試行錯誤しながら人気番組にするのが次の目標です。

 僕がゴールデンタイムの番組でMCをやるというだけで目新しいと思う。そういう興味本位でも見てほしいです」

 手ごたえと新風を吹き込む。

(コラム1)

陸上部の顧問に呼び出されました



 田中自身が呼び出された経験については「中学生のときに陸上大会にメンバーがそろわないことがあって、みんなの前で“今回はどうせダメだから”と言ったことを顧問の先生に呼び出されて怒られました。士気を下げる発言だったと反省して、ぐうの音も出なかった。そういう経験がないと、うかつに発言する人間に育っていたかもしれないのでありがたかったです」


(コラム2)
楽屋での過ごし方を公開




 寝転がって両足を上げるポーズを披露。「楽屋でやることのひとつが腹筋。回数は2回(関係者、爆笑)。必ずやるのがいいんです。猫背なので寝転がって背中を平らにもしています」

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cat_oa-shujoprime_issue_55a03fc08cc0 oa-shujoprime_0_95vo2v2z5xbi_大坂なおみの母・環さんが明かす“父親との断絶” 95vo2v2z5xbi 95vo2v2z5xbi 大坂なおみの母・環さんが明かす“父親との断絶” oa-shujoprime

大坂なおみの母・環さんが明かす“父親との断絶”

2022年5月15日 17:00 週刊女性PRIME

大坂環(たまき)さん

「当時の私たちには、本当に何もなかった。光が見えないトンネルの中にいるような感覚で、手探りで前に進もうにも、壁にはトゲトゲがあって触れると痛みを感じる。でも、とにかく前に進むしかなかったんですよね」

大坂なおみの母が明かした過去


 トンネルの中にいた──。そう自らの過去を微笑しながら振り返るのは、大坂環(たまき)さん。テニスの4大大会(グランドスラム)のうち、全米オープン、全豪オープンを制したプロテニスプレーヤー・大坂なおみ選手(24)の母親だ。

 今ではトッププレーヤーとして知られる大坂なおみ選手だが、成功までは紆余曲折の連続だった。その日々を、最も近くで見つめてきた環さん。冒頭の言葉にあるように、順風満帆とは程遠かったという4人家族で歩き始めた時代。夫であるマックス(本名レオナルド・フランソワ)さんと暮らすフロリダの自宅から、家族との向き合い方、そして“光”の見つけ方を語ってくれた。

「人生って本当にどうなるかわからない。もし、グランドスタッフとして空港で働いていたら、違う人と結婚して、違う人生を歩んでいたんだろうなって」

 優しく微笑みながら、空港内で働く地上職のスタッフ(グランドスタッフ)になりたかったと、環さんは打ち明ける。

 環さんの生まれは、北海道根室市。日本の本土最東端である納沙布岬を有する、北海道の東の果て。「とても保守的な土地で、父は自分の考えのとおりに家族を動かさないと気が済まないタイプ」と話すように、厳格な父親の存在が環さんの人生に大きな影響を与えることになる。

「高校は英語科、短大時代もずっと英語を勉強していて、航空業界で働くことを夢見ていました。しかし、父は“CAは乗客に何をされるかわからないから危険だ。グランドスタッフのほうがいい”と決めつけました。従わないと、あからさまに不機嫌になるんです(苦笑)」

 卒業旅行で行くはずだったハワイ旅行も、「女性だけでハワイに行くのは危ない」という鶴ならぬ、父のひと声で強制キャンセルに。代替案として後日、家族でポルトガル・スペイン旅行に行くものの、旅先でグランドスタッフの試験日が前倒しになる一報が入り、夢は頓挫した。

「普通に卒業旅行に行かせてくれていたら間に合った。あらゆることを勝手に決めてしまう父に対して、“なんで?”“どうして?”……その連続でした。父の束縛から逃れて自由になりたかったんですよね」

 夢破れた後、環さんは札幌の銀行に勤める。仕事後に出かけたお店で、後に夫となるマックスさんと出会うと、英語が堪能だったこともあり意気投合。その後、交際がスタートする─が、父親は認めなかった。そして、マックスさんが大阪へ引っ越すと、環さんは自由を求め、家出同然で彼の後を追うことに。

「父に反発したからこそ、夫と出会い、2人の子どもに恵まれ、夢をつかむことができた……あのころは若かったから、父の行為を愛情と受け取ることはできなかったけど、父のおかげで今の私があるのだと、今はわかります。人生って、どこかで辻褄が合うんでしょうね」


娘をテニス選手に! 向かった“新天地”


 姉・まり、妹・なおみ。2人の子宝に恵まれ、幸せと自由を手にした環さんだったが、その暮らしは爪に火をともすものだった。ひと間しかないアパートの一室で、肩を寄せ合う4人暮らし。

「自由には、自分たちの生活を守る責任が付きまといますよね。その責任がないと、生活を台無しにしてしまう可能性がある」

 台無しにしないためにはどうしたらいいか。あるとき、17歳11か月という若さで全米オープンを制したセリーナと姉・ビーナスというウィリアムズ姉妹の活躍を目にする。「これだ!」。マックスさんは、娘をプロのテニスプレーヤーに育てることを決意する。

 しかし、日本は一流のテニス選手に育てるための環境が乏しい。すると、彼は自身の家族がいるニューヨークへの移住を提案。悩んでいた環さんだったが、マックスさんの強行突破で渡米することになる。まりさんは間もなく5歳、なおみさんは3歳と5か月の春だった。

「人生という名の列車の同じ車両に乗り込んだひとつの共同体(ワンユニット)となって、目的地に向かって走り始めた感じです。でも、このときはその先に光が見えるのか、わからなかったですよね」

 ニューヨークの生活は、「睡眠時間は3時間くらいだった」と述懐するように、環さんが昼夜問わず働くことで支えた。マックスさんは、ニューヨークの公園で、独学ながら姉妹にテニスを教える。生計は環さん、指導はマックスさん、完全分業制だった。

「イベントに出かけたり、映画館へ行ったり……。本当はそうしたかったけど、時間もお金も余裕がなくて。リラックスできたのは、子どもたちと一緒にいるときや、家族の料理を作っている瞬間。テニスプレーヤーに育てるというモチベーションがあったから、その中から楽しみを見いだすことができたんだと思う」

 そのときを楽しむしかない。そう言って環さんは笑う。

 ニューヨークは、公園のテニスコートを無料で借りられるなど、テニスに打ち込むための環境が、日本とは比べものにならないほど整備されていた。しかし、冬場になると屋外での練習は厳しく、高額な室内コートを借りなければならない。出費がかさみ、家計を圧迫する。マックスさんと環さんは、温暖な「フロリダに住むべきじゃないか」と考え始めた。

子どものための選択をするということが、そのまま家族のためになる……。すべてがワンユニットだった。テニス選手として独り立ちできるようなベストの選択をしようって」

 といっても、物事には順序がある。ニューヨークにある商事会社で働いていた環さんも、仕事の引き継ぎなどをしなければいけないため、そう考えていた。だが、“善は急げ”のマックスさんは、突然、フロリダ移住を決行。子どもだけを連れて、フロリダに車を飛ばしてしまった。

 夫の情熱に振り回される──。「数年に1回発生するストームやトルネードに巻き込まれる気持ちですよ」と呆れる環さんに、その対処法を聞くと、

「いろいろなものをひっかきまわして、どっかに行ってしまう。残ったものからすると、“なんで? どうして?”って思うんだけど、そればかり考えていても仕方がない。

 散らかったものを1つずつ片づけるじゃないけど、今できることをやるしかないんです。また嵐がくるかもしれないと思うとやってられないけど(笑)。今を生きるのに一生懸命になると、余裕を感じる暇がなくなるけど、不満を感じる暇も一緒になくなるんです

 環さんと話していると、古きよき“肝っ玉母さん”という言葉を思い出す。

「野垂れ死にせえ」父親からの言葉に……


 テニスは、コストがかかるスポーツとしても知られる。仕事を捨てフロリダに移住したことで、生活はさらに苦しくなった。

 著書『トンネルの向こうへ』の中では、いまだに“白人のスポーツ”と見られているテニスを、アジア人が熱心に練習していることに対して人種差別的な言動を向けられたことも綴られている。心が折れそうになったことはなかったのか?

“おまえなんて、アメリカでホームレスになって道端で野垂れ死にせえ”。電話を切るとき、必ず父から言われた言葉でした。

 孫であるまりやなおみと話すときは、優しいおじいちゃんなのに、私にかわるといつも厳しい言葉を投げつけ、そのたびに私は泣いていました」

 身勝手な人生を歩む娘を、父親は許してはいなかった。

「当時は極貧で、本当に家がなくなるかもしれない状況。父の言葉は、刺青のように深く私の頭に刻まれたんです。絶対に見返してやる。父への反骨心が、私を支えていました


 メラメラと闘争心を燃やす環さんは、姉妹がマックスさんと遠征に行くときも、1人働き続けた。プロテニスプレーヤーにすべく、身を粉にして、そのすべてを捧げた。

 ときにマックスさんは熱が入るあまり、姉妹に対して厳しい指導を行うこともあったという。そんなとき、母親として娘たちとの距離の取り方はどうしていたのか?の問いに、「距離なんてない」とあっけらかんと環さんは話す。

お互い何でも言い合う関係性でした。私も疲れていたり、つらいことをしゃべったりする姿を、娘たちに見せていた。でも、2人には少し見せすぎてしまったかなって反省しています(苦笑)。子どもたちは、私の心の拠り所だったから、距離感なんてなかったんです」

 昨年、なおみさんのドキュメンタリー番組が、ネットフリックスで制作された。その中で、なおみさんは努力を続けられた理由を、「お母さんを楽にさせたかったから」と答えている。子どもたちにとっても、環さんが心の拠り所だったことは、想像に難くない。

 トンネルの中で立ち止まらずに、愚直に進み続けた結果、まりさん、なおみさんは、念願だったプロテニスプレーヤーとなる。2014年7月には、なおみさんが全米オープン女王のサマンサ・ストーサーから大金星を挙げ、光が差し込む。

 反面、まりさんは伸び悩んだ。子どもたちに才能の差が生まれたとき、親はどう接するべきか? 「とても難しい問題」と、一拍置いて話を続ける。

考え方が父親と母親は違うと思うんです。父親は、秀でているほうにより力を注ごうとする。でも、母親としては、なかなか上がれない子どもにパワーを使いたいと考える。夫からは、そのパワーをなおみに注いだほうがいいと言われたけど、私にはできなかった」

 マックスさんは、なおみさんとツアーの行動を共にする機会が増えたことで、まりさんは1人でツアーに出向くようになる。身を案じた環さんは、別途、コーチを雇い、まりさんを支えた。

「伸び悩んでいる子に寄り添うことはとても大切なこと。まりは優しすぎるところがあるんです。でも、なおみは私に似て、“負けたくない”という闘争心が強かった」

 その言葉どおり、なおみさんは勝負の世界で結果を出し続ける。そして、2018年、憧れだったセリーナ・ウィリアムズを下し、20歳でグランドスラム初優勝を果たした。それを機に環さんは確執のあった父親とも雪解けした。その後の活躍は、周知の事実だろう。

「“大坂環”として活動していきたい」


 グランドスラム初制覇を、「何年かに1度起こるストームが、また発生した感じ」と笑うが、成功を手にしたことで、家族の生活は一変。「心にぽっかり穴があいてしまった」と、環さんは披瀝する。

私たちはずっと一緒にいたから、段階的な子離れというものがなかった。なおみがロサンゼルス近郊に家を買ってうちを出ました。

 その2年後にはまりもうちから離れ、娘2人が家族と離れて暮らすようになったとき、“娘は誰かにだまされているんじゃないか?”とか“私に愛想を尽かしたんじゃないか?”とか、とても不安な気持ちになって、毎日泣いてばかりいました。今思い返しても、泣いてしまう」

 そう言って涙をぬぐう環さんの姿から子どもへの愛情が伝わってくる。大坂家の成功は、“子どもファースト”の深い愛情があったからにほかならない。

「でも、私も同じなんですよね。札幌から飛び出して大阪に行って、自分の好きなように人生を歩んできた。そう考えたとき、娘たちも自分なりに答えを出した結果なんだろうなって。かつての父の言動も、理解できるようになった。トンネルを抜けて、あのとき見えなかったものが見えてきた感じですよね」

 昨年6月、なおみさんが全仏オープンを棄権し、うつに悩まされてきたと告白した際、世間は大きなリアクションを示した。

 環さんは、なおみさんにあえて何も言わなかったという。自分からは口を出さない。子どもが何を考えているか──。「口を開けるよりも耳を開くことが大事」、環さんが心がけていることだという。

 なおみさんは、5月下旬から開催される全仏オープンに向け、トレーニングの最中。まりさんは、一線を退きデザイナーとして第2の人生を進む。トンネルを抜けた先には、新たな景色が広がった。環さんは今、何を見るのか?

“なおちゃんのママ”“大坂なおみの母”としてではなく、“大坂環”としていろいろな活動をしていきたい。私たちはワンユニットであり続けるけど、私も私の人生をもっと豊かにしていきたい」

 そう言って、にこっと笑う環さんのキャラクターは、これからは家族だけではなく、きっと多くの人に勇気を与える存在になるに違いない。


(取材・文/我妻アヅ子)

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