現役時代の彩豪さん
だからこそ巡業をやりたい
「彩豪関に初めて会ったのは、自分がまだ境川部屋で現役のころでした。当時、境川親方が巡業部の担当で、彩豪関は『巡業をやりたい』と相談に来たんです。でも、そのときは彩豪関と直接、話をするわけではありませんでした」
「その後、自分も引退し、知人を介して彩豪関に再会しました。それで彩豪関のお父さんの工務店や彩豪関の事務所を手伝うことになったんです。
「巡業をやるとひと言でいっても、とても大変です。彩豪関は力士時代に巡業を経験していますが、裏側がどんなふうに進行しているのかなんて何もわかりません。そこで彩豪関は、各地の巡業を自分の足で見て歩き、勉強をし、巡業をいちから作ったんです。
「みなさんが感じてくれた雰囲気、それこそが彩豪関が目指した巡業の形だと思いますよ」と橋本さん。
喜界島で見た子どもたちの姿
「それとともに彩豪関は、子どもたちの未来をとても考えていました。埼玉相撲クラブの顧問をして、小中学生に相撲を教えてもいましたが、“もっと何かできないか?”をずっと考えていたんです。
「下は2歳から上は中学3年生、お兄ちゃんは下の子に負けてあげたりと、ワイワイ楽しそうにやっていました。それを見た彩豪関が『これだ!』と、突然、言い出したんです。『土俵があれば、子どもたちは自然に相撲を取る!』と言い、そこから、なぜかふたりで泣きながら相撲を語りました(笑)」
「それもただ作るだけじゃなく、その後も自分たちがいなくてもメンテナンスをやっていけるようにと、あらかじめ地元の人たちと一緒に作ることも考えました。日本中の土俵を考えていたので、例えば九州場所の時期なら、土俵作りのプロである呼出しさんたちをお招きして、一緒に作ってもらうのはどうか? など、後々のことまで考えて計画していました。
でも、それにはある程度の資金が必要だった。そこで、知り合いからYouTubeで動画配信をしてみたら? とアドバイスを受け、その収益をプロジェクトにあてることにしたのです。YouTubeについても彩豪関は自分で勉強して『彩豪ちゃんねる』を立ち上げました」
『彩豪ちゃんねる』では力士だけでなく、行司さん、呼出しさん、床山さんという、裏方さんを大事にしてきた彩豪さんらしいインタビューをしてみたり、畑をやってみたり、元力士の飲食店を訪ねてみたり、料理を作ったり。そして、土俵をいちから直すプロジェクトの第一弾として選んだのが、顧問を務める埼玉相撲クラブの土俵築(土俵を直す)から始めた。
突然の別れ
「土俵崩しは自分と彩豪関の2人でやりました。動画をご覧になっていただければわかりますが、すごい力仕事です。彩豪関は30分ぐらいで疲れちゃって(笑)。すごく大変な作業なんですが、実は“今ある土俵”を探すこと自体も、けっこう大変なんですよ。
今はそもそも土俵が減っていますし、あったとしても高低差でケガをするから危険だから使ってないところも多い。でも、そういうところは単純に、段差を低くしてあげればいいんです。彩豪関は、そうやって視野を広めて柔軟に物事を考えていました」
「その日も『彩豪ちゃんねる』のために、旧中村部屋の塩ちゃんこを作って動画にあげようと、朝8時半に浅草の事務所で会いました。食材などを買いに出かけ、事務所に戻ると、彩豪関の様子がおかしくて。『水、飲みますか?』と話しかけましたが、息が荒くなり、返事ができるような状態ではありませんでした。すぐに救急車を呼んだのですが……。死因は致死性不整脈の疑い、ということだそうです。いまだに信じられません。この数年は、自分の家族よりも長い時間を過ごしていましたから、亡くなったことが信じられないんです」
「彩豪関は特別な人です。僕には愚痴をこぼすこともありましたが、それでも誰のことも見捨てないで、必ず一緒に進んでいく。『オレは腹黒い人間だよ』なんて悪ぶって言うこともありましたが、そんなのもう、ぜんぜん真逆です。葬儀に来てくれた人の数を見れば、いかに彩豪関に人徳があったかがよくわかります」
今もどこかで隠れて見ているのでは
「昨年、彩豪関と喜界島に行ったのは、2021年に巡業をやろうという計画があったからでした。彩豪関に『たかおちゃんがやればいいじゃん?』と言われたのですが、まだノウハウがない僕は『やりたいけど、無理だと思う』と言ったんです。そしたら『やるか、やらないかだよ。ちゃんとやれば、みんなが協力してくれるよ』って彩豪関が言ってくれたんです。
「本当はおめでたいものなんですが、みんなで泣いて、泣いて……」
和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。