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秋川リサ、母の介護を終え第2の人生へ「いずれ施設に入ってもお役に立てるように」

2017年9月16日 17:00 週刊女性PRIME

秋川リサ 撮影/吉岡竜紀


「10代のころ、この年になるなんて想像しなかったわよ。でも、なってみたらどうってことないわね。というか人間としてもっと立派になると思っていたら全然ダメ(笑)」

 昔と変わらぬ笑顔でこう語るのは秋川リサ(65)。1960年代後半から1970年代前半にかけて、帝人や資生堂の専属モデルとしてCMに登場し、当時はテレビで顔を見ない日はなかったほどだ。

 そんな彼女の人生は昭和27年、東京・笹塚でスタートを切った。日本人の母とアメリカ人の父との間に生まれた、いわゆる“ハーフ”だったが、両親は正式に結婚していなかった。なぜかというと、父親は当時、日本に駐留していたアメリカ軍の技術者で、秋川が生まれる前に日本を去っていたから。生まれる前から波瀾万丈(はらんばんじょう)だったのだ。

「いじめは当たり前のようにありましたよ。まだ“ハーフ”なんて気のきいた言葉はなくて、“混血”と言われるのはまだいいほう。“合いの子”ですからね」

 そんな状況の中で、くじけずにいられたのは祖母のおかげだった。

「祖母は私が小さいころから“日本人は単一民族だという誇りがあるから、血が混ざった子どもが生まれれば差別や区別されるのは当たり前。まして、親は正式に結婚してないのだから嫌われてもしかたないわね”と、いつも私に言い聞かせていました。だからそれに関しては、子どもながらに納得していたんです」

 モデルという仕事にたどり着いたのも、祖母の助言があったからだという。

「“人と違う風貌を武器にして、人と違う個性を生かしなさい”“自立した女性になりなさい”と事あるごとに言われていました」

 高校に入ったころのこと。水着の撮影で、1か月間、タヒチに行かなければならなくなった。

「アルバイトが禁止の学校だったので、内緒で仕事をしていたんです。さすがに、仕事のために1か月も休んだら“クビ”だろうなと思っていました……」

 叱責(しっせき)と厳しい処分が下されると思っていた彼女に、帰国後、校長先生がかけた言葉は意外なものだった。

「開口一番“世界は広いでしょ。あなたは幼くして世界を見ることができて、本当に素晴らしい経験をしましたね”と言ってくれたんです」

 なんと、特例で学校に残れるよう配慮をしてくれたのだ。しかし、すでに化粧品会社と繊維会社との専属契約をすませていた彼女は、アルバイトOKの高校に転入することに。

 それでも、最後まで校長先生は秋川のことを気にかけてくれて、

「最終登校日に、わざわざ校門のところまで見送りに来てくれて、“誇りを持ってあなたを次の社会に旅立たせます”と言ってくれたんです。あの言葉がなければ、私はグレていたかもしれない。それまで、“なんで親のために働かなきゃいけないの?”とか、“学校なんて行かなくてもいい”なんて思っていましたから」

57歳のときに実母の介護生活がスタート

 私生活では2度目の結婚で1男1女、2人の子どもに恵まれたが、57歳のときに実母が認知症を患い、介護の生活が始まることに。

「なんの根拠もないんですが、あんな好き勝手に生きてきた人が認知症なんかになるわけないと思っていたんですけどね。母の様子がちょっと変だなと思い始めたころはビーズ刺しゅうの教室を開いていて、生徒さんが辞めていく理由が“介護のため”というのが多かったんです。まだ現実を知らなかったから、ちょっとくらい習いにこれるんじゃない、くらいに軽く考えていましたが、生徒さんたちの話を聞いているうちに、ああそれだ、うちもついに認知症の一歩を踏み出したかと思いました」




 2年間の在宅介護の後、養護施設で5年間、計7年に及ぶ介護に終止符が打たれたのは昨年6月のこと。だが、実母を旅立たせた彼女がひと休みすることはなかった。

「ひょっとしたら自分も認知症になるかもしれない。そのときに、どんな介護施設を選べばいいのか。介護者が本当に満足する介護とは何なのか? いろんな疑問が浮かんで、それなら実際に施設で働いてみるのがいいんじゃないかと思ったんです」

 約1年半、介護施設で働き学ぶことも多かったというが、“人のために役立つ資格が取りたい”ということで、今年1月、介護の仕事を離れた。

「今は心理カウンセラー、シニアピアカウンセラー、終活ライフケアカウンセラーの資格を取りたいと思っているんです。あと日本語教師の資格。今年は、ジュエリーコーディネーターの資格も取りました。いずれ施設に入ってもお役に立てるようにね(笑)」

 常に人生に貪欲(どんよく)だが、このほど上梓(じょうし)した『60歳。だからなんなの』(さくら舎)には60歳を越えた彼女の“バイタリティー”がぎっしりと詰まっている。

「いい年なんて言っていられないわよ。やりたいことがいっぱいあるんだから。資格も取りたいけど、家の断捨離もしなくちゃいけないし、愛犬のももを連れて船で世界1周もしたいし。でも、まだ暑いから腰が上がらないのよ(笑)」



自分の“生存確認”をしてもらおう

 そんな秋川が、もう10年以上も続けている大切な行事が『ごはん会』だ。

「子どもと母がいなくなって、部屋が4つも空いちゃったのよ。うちは3階建てで私はずっと1階にいて、あるとき3階のリビングに行ってみたら、ゴキブリが餓死してたの。生命力のあるゴキブリが餓死する家なんてまずいでしょ。当時はバーやレストランに集まってワイワイガヤガヤやっていたんだけど、家をきれいに維持するためにも、ゴキブリが生きていけるようにするためにも(笑)人を呼んだほうがいいかなって。それに自分の“生存確認”をみんなにしてもらおうと思ったの。“みんな”というのは近所の人やバーで知り合った若者たち。異文化交流も兼ねて、月に数回は家に集まって食事会をしています」

 最近は回数も集まる人数も増え、数年前のお正月には40人近くも集まったという。またそのつながりで現在、自宅には日本人の男子学生2人が下宿しているそうで、

「『ごはん会』に来る若者に“アメリカからやって来る交換留学生の子たちに部屋を貸してくれないか”と頼まれたことがきっかけです。当時はシェアハウスなんて言葉がまだなかったから、シェアハウスの先駆けね。

 子どもたちは、“ママは他人と一緒に生活なんて絶対できない”って、大反対だったんだけど、外国人のほうが言葉が通じないぶんイライラしなくて楽でした。その後はその子の知り合い、またその知り合いというふうにつながっていって、うちから世界に巣立っていった子が何人かいます」

 自宅が“シェアハウス”になっているというのもちょっと驚きだが、『ごはん会』にはこんな厳しいルールがある。

「何かにつけて若者に説教したがるジジ、ババは2度と呼ばない。マナーの悪い若者は2度と誘わない。老いも若きも、恋愛議論、政治議論、大いにけっこう。議論はしてもケンカはしない」

 これだけ元気なら20年後、いや40年後にも「100歳。だからなんなの」と、笑いながら言っているかも!?

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cat_oa-shujoprime_issue_4d4e10bc093d oa-shujoprime_0_ab9fc8d150bd_白濱亜嵐、初の医師役でおじいちゃん孝行! ab9fc8d150bd ab9fc8d150bd 白濱亜嵐、初の医師役でおじいちゃん孝行! oa-shujoprime

白濱亜嵐、初の医師役でおじいちゃん孝行!

2021年5月15日 20:00 週刊女性PRIME

白濱亜嵐 撮影/佐藤靖彦

「おじいちゃんが僕に医者か自衛官になってほしいと思っていたらしいんです。外科医をしている叔父の病院に入院しているおじいちゃんにテレビ電話をしたら“白衣を着た亜嵐の姿が見られるからうれしい”と言ってくれて。おじいちゃん孝行ができたかなと思っています」

 現役の外科医で作家でもある中山祐次郎さんの同名小説をドラマ化した『泣くな研修医』で、主人公の研修医・雨野隆治を演じている白濱亜嵐。初挑戦の医師役に、研修医に関する本を読んだり、現役研修医が書いているブログに目を通したりしながら役を作り上げていった。

 正義感が強く、熱血でまっすぐな雨野が白濱と重なると伝えると、

「あまり役作りが必要ないというか(笑)。演じやすいですね。ただ、雨野のような“見栄っ張り”な部分は僕自身にはないと思います。タイトルにあるように、研修医の雨野は打ちのめされるたびに、泣いてしまうことが多い。ただ、僕がドラマや映画、芝居を見るとき、その役柄が泣くのを我慢したり、耐えたりしている姿に感動するというか、心が動くことが多いんです。なので、雨野が耐えている瞬間を特に見てほしいですね」


患者に寄り添う医師、感じる命の大切さ


 ドラマの中で、“(研修医とは)医師のために何でもする兵隊。いかに医者が機嫌よく仕事ができるかだけのために存在している”という看護師のセリフが。医師ではあるが、知識も経験も浅い研修医たちは、何もできず、何もわからず、先輩医師や看護師たちから怒られながら、患者を前に無力である現実に打ちのめされる。

「いろいろな患者さんとお会いするのですが、それぞれの人生があって、ドラマがある。医療モノって難病を治すスーパードクターが出てくる作品が多いと思いますが、このドラマは違います。患者さんに寄り添う医師たちの姿をすごくリアルに描いているので、改めて命の大切さを感じています


泣いてしまうほどかわいい存在


 医療用語やほかの主演ドラマの1.5倍はあるという長いセリフが大変ながらも、楽しんでいると瞳を輝かせる。ドラマのタイトルにからめ、泣いてしまうほど愛犬・レックス(ラブラドゥードル)がかわいいと感じた瞬間を聞くと、

「つねにかわいすぎると思っているんですけど(笑)、このあいだ撮影で長いお留守番をしてもらったんです。家に帰ったとき、3年ぶりに再会したくらいのテンションでジャンプしながら飛びついてきてくれたときは、うれしかったですね。

 あと、僕がソファに座っていると、いつも横にいて。たまたまレックスのお尻のあたりに顔がくる感じで横になっていたときに、おならをされたんです。犬って自分がおならをしたって気づかないらしいんですが、その臭いおならでさえ愛おしいというか(笑)。明るくて、人懐こい性格で誰とでも仲よくなれるんです、うちのレックス。飼い主に似ているかもしれないですね」

ハマっているスープ作り



 いまは撮影中であまり作れていないんですが、スープ作りにハマっています。自分で味つけできるのが好きで、豆乳を入れたらクリーム系にもなるし、韓国っぽく食べたいなと思ったらそうすることもできる。実験に近い感覚で、面白いんですよね。いつも、冷蔵庫にある残り物で作るようにしています。



  今回のドラマで同じ研修医として共演している野村周平くんからもらった太刀魚でもスープを作りました。(所属する)GENERATIONSのメンバーにも飲ませてあげたいですね。みんな味覚バカだから、美味しいって言ってくれると思います(笑)。

最近、泣くくらいうれしかったこと



 弟の成績がすさまじくいいんです。塾にも行かず、頭がいい。僕と10歳違って、小さいときに子守をしていた弟なので、うれしいですね。いつも両親が弟の通信簿とか模試の内容をメールで送ってくれるんですが、英語だと全国1位をとったこともあるんですよ。今、高校3年生で進路に迷っているみたいです。ただ、芸能界に入ることはないと言ってました。兄としては、のびのび何でも好きなことしてくれたらいいなって思います。


主演の土曜ナイトドラマ
『泣くな研修医』
(テレビ朝日系、毎週土曜、夜11時〜)

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“ヤバい甘え上手”近藤真彦を愛した中森明菜、今こそ再起の時

2021年5月15日 19:00 週刊女性PRIME

世の中には「ヤバい女=ヤバ女(ヤバジョ)」だけでなく、「ヤバい男=ヤバ男(ヤバダン)」も存在する。問題は「よいヤバさ」か「悪いヤバさ」か。この連載では、芸能人や有名人の言動を鋭くぶった斬るライターの仁科友里さんが、さまざまなタイプの「ヤバ男」を分析していきます。

1985年1月公開の映画『愛・旅立ち』でW主演した近藤真彦と中森明菜

第16回 近藤真彦


「オトコは度胸、オンナは愛嬌」ということわざを聞いたことがありますか? これは「男性は物怖じせずに勝負する度胸が大事、女性は笑顔が大事」という意味ですが、実は反対で「オトコは愛嬌、オンナは度胸」なのではないかと思うのです。

 男性こそ、周囲に甘え、かわいがられることを目指す。そんなオトコらしくない……と思う人もいるかもしれませんが、オトコらしさで社会を生き抜くのはものすごい倍率が高い。それなら、いっそ「人がしないこと」をして「かわいいやつだ」と思われたほうがトクではないでしょうか。

 天性のものなのか、それとも手段なのか。マッチこと近藤真彦はとても「女性に甘えるのがうまい人」なのではないかと思います。

メリー喜多川氏とマッチの関係


 4月30日、近藤真彦(以下、マッチ)が40年以上在籍していた、ジャニーズ事務所を退所することを発表しました。昨年11月『週刊文春』に25歳年下女性との5年にわたる不倫を報じられたマッチ。同誌によると、マッチは不倫相手の女性に、もし不倫がバレても「もみ消せる権力を持っている」と言っていたそうですが、マッチは不倫を認め、事務所は無期限の謹慎を言い渡します。

 マッチが言ったとされる「不倫をもみ消せる権力」を持っているのがジャニーズ事務所のことを指すのか、それともそれだけの権力を持つ人と親しいという意味なのか詳細は不明ですが、多数の人気アイドルを輩出するジャニーズ帝国の“女帝”・メリー喜多川氏がマッチをかわいがっていたことはよく知られていることでしょう。


『週刊文春』(2015年1月29日号)のインタビューに応じたメリー氏は、実娘である藤島ジュリー景子副社長(当時)とSMAPのマネージャーであるIさんの二人が“社長候補”と書かれたことについて「もし、ジュリーとI(※編集部注:文春での報道は本名)が問題になっているのなら、私はジュリーを残します。自分の子だから」と不快感をあらわにし、なんとインタビュー場所にIさんを緊急招集するヤバい展開に。そこで「うちのトップは誰?」と質問、Iさんに「近藤真彦です」と答えさせるなど、次期社長はジュリー氏、事務所のトップは近藤真彦と強調します。

 メリー氏のマッチへの思い入れは凄まじく、同誌で「(ジュリー氏を)タレントと結婚させるんだったらマッチしかいない。亡くなったマッチのお母さんのことが、すごい好きでね」「マッチのお母さんは二人を結婚させるつもりだったんだもの」と仰天秘話を告白。

 マッチは実母を交通事故で亡くしていますが、2010年にマッチが出演した『中居正広のキンスマ波瀾万丈スペシャル』(TBS系)によると、マッチ母は事故の際、大病院への搬送を拒否。自分が事故を起こしたことが明らかになれば、マッチや事務所に迷惑がかかると判断したからだそうです。身を挺して息子や事務所を守ろうとしたマッチ母に対し、メリー氏は先のインタビューで「私がマッチの面倒を見るのは当たり前だと思う……話しているだけで涙が出てきちゃう」と語っていました。


マッチは“情の濃いオンナ”と相性がいい


 ショービジネスにおいて重要視されるのは、“セールス”です。芸能事務所は営利企業ですから、タレントが稼いでくれないことには、共倒れになってしまう。それでは、“情”の部分が全く必要ないかというと、それもまた違うと思うのです。「ご恩と奉公」という言葉がありますが、事務所はタレントを愛し、タレントも所属事務所の恩に報いたいと思ってもらわないと事務所の先行きは明るくないでしょう。

 明石家さんまは2019年にMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』で、メリー氏の情にまつわるこんなエピソードを披露しています。さんまがメリー氏とばったり会うと「うちの子どもたち(所属タレントのこと)が本当にお世話になって」というお礼を言われ、「一緒のレストランになると、全部はろてくれはる。こっちがどれだけの人数であろうと払ってくれる」とメリー氏の太っ腹加減を明かしています。

 メリー氏のマッチ愛も、セールスでの評価というより、マッチのお母さんに対して、同じ子どもを持つ母親として強く共感する“情”のように感じます。弟である故・ジャニー喜多川氏と二人三脚で、たった一代で帝国を築いた人ですから、並みの女性であるわけがありません。切った張ったもいとわないような芸能界を渡り歩ける強さや冷徹さがある一方で、愛するものはどこまでも守るという優しさが同居している人なのではないでしょうか。

 こういう情の濃い人と相性がいいのは、放っておいても大丈夫なまじめタイプよりも、自分が目をかけていないとちょっとヤバい、わがままな甘ったれなのではないかと思います。そういう意味で、メリー氏とマッチはすごく相性のいい組み合わせだったと思います。

 そういえば、マッチの周りにもう一人、情の濃いオンナがいましたね。

明菜にチャンスが巡ってきた


 過去のことを蒸し返してなんですが、マッチと中森明菜が交際していたことはよく知られている事実です。かつて明菜が「お母さん」と呼んでいたディレクター、木村恵子氏が書いた『中森明菜 哀しい性』(講談社)という本があります。木村氏は一時期、明菜のビジネスパートナーだった人物で彼女の写真集を制作していたのですが、決裂。木村氏は明菜側からの一方的な契約破棄の無効と損害賠償を求めて提訴しました。


 裁判を起こすまでにこじれた関係性の人をよく書くわけはなく、そのあたりを頭にいれて読む必要がありそうですが、明菜は「好きになったら命がけ」のようです。

 信用したスタッフに実印を簡単に預けて金銭トラブルに巻き込まれてしまう。貧乏性で自分には全くお金を使わず、シャネルの偽物を身に着けていたりするのに、マッチには一着100万円もするスーツを何着も買ってあげたり、マッチに頼まれるままに「マンション購入資金」として7000万円ものお金を渡すなど、金銭的にだいぶ貢いでいたようです。一緒に暮らしていたころは、マッチの帰りが遅いとマンションのエレベーターの前や、玄関で座って待っていたそうですが、ここまで来るとちょっとヤバい感じもします。

 しかし、ここまで思い詰めて相手を好きになるタイプの女性は、“おねだり”も「それだけ信用されている、頼られている」と思って嬉しかったのかもしれません。しかし、こういう関係はお互いに精神的、金銭的に消耗しますから、あまり長続きしないでしょう。

 明菜は自殺未遂事件以降、トラブル続きで、ファンの期待するような復活を遂げているとは言えないでしょう。明菜自身の判断力にも問題はあるような気がしますが、個人的にはメリー氏と明菜という二人の情の濃いオンナがマッチというヤバい甘え上手を愛した結果、業界に影響力がない明菜が“位負け”してしまったように見えて仕方がありません。


 しかし、メリー氏も齢90を超え、いつまでもマッチを守ってあげられなくなったのでしょうか。不倫をもみ消せる権力があると豪語していたマッチですが、今はSNSがありますから、一般人とて情報を拡散することはできてしまいます。

 この状態をジャニーズ事務所、もしくはメリー氏の影響力が弱い時代になってきたとみるならば、明菜にチャンスが巡ってきたということではないでしょうか。何もテレビに出たり、大きな会場でコンサートをする必要はないのです。今はYouTubeがありますから、彼女の望む形で歌う姿を見せることもできるはず。

 表立った活動をしていないのに、人々の記憶から消えることなく、再起が望まれる歌手は、明菜をおいてほかにいないでしょう。ちょうど今年は明菜のデビュー40周年。時代は明菜に味方していると私は思います。今こそ、明菜の歌手としての底力を見せてほしいものです。


<プロフィール>

仁科友里(にしな・ゆり)

1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」

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cat_oa-shujoprime_issue_4d4e10bc093d oa-shujoprime_0_ee02a737e7d5_紗栄子、“歴代彼氏の共通点” ee02a737e7d5 ee02a737e7d5 紗栄子、“歴代彼氏の共通点” oa-shujoprime

紗栄子、“歴代彼氏の共通点”

2021年5月15日 18:30 週刊女性PRIME

(左から)前澤友作、YOSHI、紗栄子、ダルビッシュ有

 あの紗栄子に熱愛報道が舞い込んできた! が、そのタイトルがおどろおどろしい。

《紗栄子に恋した“17歳”天才アーティストを別人格にした恐るべき「魔性」ぶり》

 これまでも魔性の女・炎上女王として名を轟(とどろ)かせてきた彼女。その“叩かれやすさ”の源泉はキャラクターの一貫性にあったといっていい。ダルビッシュ有との離婚の際は、「養育費月1000万円」を求めていたと報じられ、ZOZO創業者で前社長の前澤友作氏との交際中は「100億円豪邸」を建設している過程をインスタグラムで堂々とアップ。このようなお金にまつわるエトセトラが、その“成金キャラ”を根付かせてきた。


 そんな彼女に新たな熱愛疑惑が浮上。お相手がまさかの17歳(当時)アーティスト・YOSHIだというから驚きだ。どこまでストライクゾーンが広いのか。それと同時に、紗栄子のこれまでの男性遍歴との違いにも気づく。ファッション・音楽業界からその才能を認められて俳優業にまで進出している売れっ子だからといって「17歳でそこまでカネ持っていないでしょ……」と。

 疑惑を報じた『週刊女性』によれば、2020年3月にチャリティイベントで出会い、YOSHIから熱烈なアプローチを受けたのが馴れ初めだとか。最初は「息子みたい」と可愛がっていた紗栄子だが、次第に本気になり、服や財布など70万円ぶんのプレゼントをしたのだそうだ(記事が事実であれば)。「紗栄子とオトコ」間における金の流れが、これまでと逆になっている。

 どういうことだ。そこまでさせるYOSHIとはいったい、何者なのだろう──。

お金を稼ぐのはロマン


 ここ数年、YOSHIはバラエティー番組に数多く出演、その“誰にでもタメ口キャラ”に視聴者からは賛否の声も。そして、もっともYOSHIをYOSHIたらしめている点は、とんでもないビックマウスであるということ。

「(今のファッション界は)はっきり言ってかっこよくないかな」

「日本人でジャスティンビーバーのレベルに初めて行くのは僕」

 13歳のときに展示会で出会ったという世界的ファッションデザイナーのヴァージル・アブロー(『ルイ・ヴィトン』のメンズ部門などを手掛ける)に才能を認められ、彼のインスタグラムに投稿された翌日からフォロワーが爆増。以降、業界人から引っ張りだこになるわけだが、思春期の真っ只中にこれだけの脚光を浴びてしまうと、“俺は選ばれた人間”だと思い込んでも仕方がないのかもしれない。

 そんな若き“新人類”がなぜ紗栄子と……? 過去のインタビューなどから紐解いてみたい。

 YOSHIの初恋は中学一年生のころ。LINEで告白するも2か月で破局。14歳の時点でキスはおろか、女の子と手も繋いだことがなかったらしい(『WWD JAPAN』)が、それにも関わらず「30歳までならOK!」とすでに年上好きの片鱗をみせている。

 その2年後に受けたインタビューでは、さらに紗栄子との恋路を予感させるような発言もみられた。

(出会うなら)一緒に何かを成り上げられるものがある人(※言質ママ)」(『ゆうこすモテちゃんねる』)

 紗栄子といえば、10代で自身のファッションブランドを立ち上げ、現在では牧場を経営。世間にいくら叩かれようとも動じぬ不屈の精神を持つ。熱愛疑惑を報じた同誌記事によれば、事務所に交際を反対されたYOSHIが「もう信じられない、辞める」とマネージャーからの連絡も無視するようになったというから、そのお熱っぷりも納得できよう。

 野球選手に実業家、そしてアーティスト──。ここにきて紗栄子の、年齢も見た目も異なる男遍歴に、ある共通点がみつけられそうだ。2020年3月、ちょうど彼女と出会ったころと同時期に行われたYOSHIのインタビューより。

僕は、25歳までに年収100億円になるというのがひとつの目標です。(中略)素敵なことですよ。誰よりもお金を稼ぐって。それはね、欲じゃなくてロマンだと思っています》(『BARKS』)

 結局、紗栄子が男の好みがバラバラな『魔性の女』なのではなく、紗栄子を好きになる男のほうが、同じ属性を持っているだけなのではないだろうか。それは夢追い人、でっかいロマンを持っている男はなぜか紗栄子に惹かれるという不思議である。

 記事によれば、YOSHIは紗栄子と半年しか続かず、仕事もバックれて引きこもっているとのこと。さすがに17歳の少年では、手練手管の紗栄子と対峙するには経験不足がすぎたということか。



〈皿乃まる美・コラムニスト〉

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紗栄子の“魔性”のホントのところ

2021年5月15日 17:00 週刊女性PRIME

紗栄子

 モデルでタレント、実業家としての顔も持つ紗栄子さん(34)。先日、新進気鋭のアーティストYOSHIさん(18)とのお付き合いについて、『週刊女性』で報じられました。

 ことの経緯は、2020年3月、大型台風被災地復興プロジェクト『YOUR RESTAURANT』で出会ったことがキッカケです。被災地を回る中で、当時17歳だったYOSHIさんが紗栄子さんに好意を抱き、紗栄子さんもだんだんとアプローチにかたむき、お付き合いが始まったというのです。

 しかしこの関係は、周囲の反対や立場の違いなどもあったようで、秋ごろには終わりを迎えたといいます。現在YOSHIさんは破局の影響なのか塞ぎ込んでおり、SNSも更新がストップ。リリース予定だったアルバムも制作が間に合わない状態だといいます。

 お付き合いの真相は分かりませんが、多くの人が注目したのは、紗栄子さんの女性としての魅力ではないでしょうか。


 デビュー当時、普通のタレントさんという印象から始まった彼女。あれよあれよとプロ野球選手ダルビッシュ有さん(34)とデキちゃった婚したと思ったら、離婚後はアパレルブランドを展開したり、当時、ZOZOの社長だった前澤友作さん(45)と交際宣言をしたりと、芸能人の域を超える存在に。そして気づけば、実業家タレントとして活躍するようになりました。

 離婚後の彼女には批判の声も大きかったものの、炎上や批判も可憐にスルーし独自のセンスを磨いてビジネスを続けました。そして、社会活動もおこない続けた彼女には、今では同世代のファンが多くつき、インフルエンサーとしての立場を確固たるものにしています。

 そんな彼女を「魔性の女」と呼ぶ人も多いようですが、過去に「魔性の女」と呼ばれた人と比べてみると、備えている魅力が異なり、それが派手に見える恋愛遍歴や彼女の人気にも関係しているように思います。


 例えば魔性の女として名前が上がりやすい、高岡早紀さん(48)や斉藤由貴さん(54)葉月里緒奈さん(45)のイメージを考えてみると、

・はかない美しさ
・守ってあげたくなる
・自分の満足を大切にした生き方


 といった印象が浮かびます。

 一方で、紗栄子さんといえば、美しさは兼ね備えているものの、はかない美しさというよりも、前向きでエネルギッシュな美しさが印象的です。

 ビジネスも多方面で活躍する姿からは、強い自立した女性としての魅力を感じます。また寄付や被災地支援といった活動も積極的におこなう彼女からは、自分の満足だけでなく、社会に対する還元といった、貢献を望む優しさも感じるかもしれません。

・エネルギッシュな美しさ
・自立した女性としての強さ
・社会貢献を大切にした生き方


 こうして彼女の魅力を書き出すと、恋愛遍歴こそ注目を集めるものの、その魔性の女っぷりは、いわゆるイメージされる従来のものと大きく異なることがわかります。

自立心の強い男性=エネルギッシュな女性を求めがち?


「お金持ちと結婚する女性」と聞くと、多くの方が玉の輿といった年収差や立場の差を飛び越えるものを想像すると思います。


 もちろんそういった結婚や恋愛もありますが、いわゆるお金持ちと恋愛できる機会が多い女性というのは、当然自身がお金持ちであったり、同じようなビジネスをしている女性であったりすることが多いです。

 ダルビッシュさんと紗栄子さんの関係は玉の輿婚に近いものだったかもしれませんが、前澤さんとの恋愛は事業を営む者同士、惹かれる部分があったのかもしれません。

 またYOSHIさんとの関係も、年齢差に目がいきがちですが、彼女が発するエネルギッシュなオーラに、感性豊かなYOSHIさんが惹かれてしまった可能性は十分あるでしょう。

 魔性なんて言葉には「女性から男性を戦略的に落とす」みたいな印象で語られがちですが、美しく自立心が強く、自分らしくビジネスも人生も進める女性だったら、誰だって魅力を感じて引き寄せられてしまうものです。

 一時は批判も多かった紗栄子さんの印象が今はこうして変わったことは、元々あったエネルギッシュさが正しくビジネスの成果としても出て、また世間にもきちんと伝わるようになったことも、大きいのかもしれません。

 YOSHIさんとのお付き合いにより、彼女のキャリアに、また1つ派手なトピックスが加わりました。独自の魅力を備えた彼女は、一体どこへ向かうのでしょうか。

おおしま・りえ(コラムニスト・イラストレーター)

10代より水商売やプロ雀士などを経験後、20代で結婚と離婚をへてコラムニストとして活動を開始。自身の体験や取材、心理学の知識をもちいて、恋愛や親子問題をはじめ、広く人間関係についての情報を発信。読む人の新たな気づきにつながるコンテンツ制作をモットーとしている。Twitter(https://twitter.com/@utena0518)

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女性を不快にさせる「迷惑3Tオジサン」の対処法とは

2021年5月15日 16:00 週刊女性PRIME

タバコの煙・タン・ツバで「3T」イラスト/沼田光太郎

 緊急事態宣言に伴い、路上飲酒の問題が話題に上るなど、改めて公共の場でのマナーを考える機会も増えている。そこで女性500人に「不快だと思う行為」についてのアンケートをとったところ、世の中に多数存在する「オジサン」の問題行動に対して、リアルな悲鳴が聞こえてきた。今回まず取り上げるのは、アンケートで不快な行動のトップに挙がった「タバコの煙・タン・ツバ」を吐きまくる3Tオジサンの生態についてだ。

「大きな音で思いっきり、カァーッ、ペッ! とタンを吐き捨てるオジサンが不快です」(37歳・女性・専業主婦)

「ジョギングをしている初老の男性とすれ違いざまに、タンを吐かれた。マスクもしていなかったので、飛沫で感染するのでは……と怖かったし、なにも他人とすれ違うときに吐かなくても」(58歳・女性・専業主婦)

 こういった意見は数多く寄せられ、全体の65%の人が不快だと回答したのが、タンやツバを吐く行為。コロナ禍で飛沫に対する危機意識も高まるなかで、なおさら嫌悪感を覚える人が増えている。さらにほぼ同数で63%の人が激しい怒りをあらわにしたのが、歩きタバコだった。

「オッサンが吐く煙を吸いたくない」(44歳・女性・専業主婦)

「まさに最近、歩きタバコの老人を見かけました。杖をついて歩いているのに、もう片方の手にはタバコ。そこまでして吸いたいのかな? って感じです」(60歳・女性・専業主婦)

令和版、困ったオジサン図鑑



●Komatta-OJISAN 001

歩きタバコオジサン

生態

 寒くもない日に「白い息」を吐いている人がいたら、

歩きタバコオジサンかも。公道でもガマンできず、

紫煙をまき散らしているよ。


●Komatta-OJISAN 002

タン、つば吐きオジサン

生態

 突然「カァーッ! ! 」っという音がしたら、

それはタン、つば吐きオジサンの攻撃の合図。

たまに失敗して、口元から糸を垂らしているよ。

欲求を抑えられないオジサンたち



 2020年4月からは受動喫煙を防ぐ対策が全面施行されているなか、それでも喫煙欲を抑えられないオジサンに集まる視線は、当然ながら冷たい。では、なぜオジサンたちは迷惑行為を繰り返すのか。

「こうした問題については『社会的迷惑行為』というテーマで多くの研究がなされています」と教えてくれたのは、公認心理師の塚越友子さん。

「迷惑行為をする人は、他者の感情に思いが馳せられない、共感力や想像力が足りないことが原因だと思われるかもしれませんが、実はそうではないんです。社会的迷惑行為については、ふたつの自己制御能力というものが関わっており、ひとつは自分の感情や行動を抑制する能力、もうひとつは自分の意見を主張する自己主張という能力です」(塚越さん、以下同)

 たしかにどちらも社会生活で必要な能力だが、迷惑行為とはどうつながるのだろう。

前者の能力が高い人は迷惑行為を止められ、後者の能力が高い人は迷惑行為を行いやすい傾向があります。社会のなかでも積極的に発言する立場にあり、自己主張能力を伸ばしてきたのがいわゆるオジサンだとすると、オジサンの迷惑行為が目立ってしまう理由はこのへんにあるかもしれませんね

「仕方ないじゃん!」仰天の言い訳


 男性300人にとった別のアンケートでは、40%が歩きタバコや路上喫煙を、29%がタンやツバを吐く行為を自覚してやっていることが判明した。周囲への配慮に欠いた行動について、当事者のオジサンたちの反論の声を聞いてみると……。

特に理由はありませんが、いつものクセで無意識のうちにタンやツバを吐いてしまう」(50歳・男性・自由業)

「人通りの極めて少ないときや場所を選んで、携帯灰皿を片手に持って吸っている。加熱式タバコだから紙巻きタバコよりマシだと思う、極力気を使ってるつもりですが……」(54歳・男性・会社員)

そもそもタバコを吸える場所自体が少ないから仕方ない」(45歳・男性・会社員)


かなり自己中心的


 もちろん「自分はやらない」といった声も多かったものの、当事者たちによる言い訳は、かなり自己中心的!

「これらの意見には認知的不協和という理論が当てはまります。何らかの欲望と抑制のなかで矛盾が起こったときに、それっぽい言い訳で正当化し、望ましくない行動に舵を切ってしまうのは典型的なケース。

 自分を優先して他人に不快感を与えるのは、社会的迷惑行為の定義そのもの」

 とはいえ、女性たちの怒りの声はまだまだ収まらない。実際、身のまわりに被害が出ているのだ。

犬の散歩をしていたら、オジサンが吐いたタンに愛犬が近づいてなめてしまい、腹が立った」(53歳・女性・パート)

「子どもが小さいころ、歩きタバコの男性とすれ違った。直前でタバコに気づいて避けたが、タバコの火がちょうど子どもの目の高さで避けなかったらと思うとゾッとした」(49歳・女性・専業主婦)

 こういった迷惑行為に解決策はあるのだろうか。

迷惑行為はオジサンに限った行動ではないのは大前提なのですが、社会的迷惑行為を解決するのは難しいんです。実は注意しても変わらないという研究結果もあるため、いまは静観しつつ、仕方ないではすまない機運を高めることも大事ですね

 困ったオジサンたちとの戦いは、まだまだ続きそうだ。

路上の困ったオジサン遭遇録、こんな珍種も!


●誰か止めて! チャリンコ暴走オジサン

「チリンチリンをやたら鳴らしてくる」(36歳・女性・専業主婦)、「自転車のオジサンを避けたら、同じ方向によけてきて罵声を浴びせられた」(50歳・女性・パート)と、自転車マナーにも苦情が。

●ブッサイク! すれ違いざまに点数つけられた

「派手な格好をしているといちゃもんをつけてくる」(30歳・女性・会社員)、「すれ違いざまに“ブッサイクやなぁ”と言われた」(58歳・女性・建設業経営)など、街中で人の外見を採点する無礼者も!

●何人たりともここは通さぬ! 弁慶オジサン

「歩道ですれ違うとき、端によけようとせず、真ん中を堂々と歩き幅をとる。自分がよけるという概念がない」(46歳・女性・会社員)という意見も多く、わが物顔で闊歩するオジサンは日本中に生息。


お話を伺ったのは……

塚越友子さん●公認心理師、臨床心理士、産業カウンセラー。2008年に東京中央カウンセリングを開業。個人カウンセリングを行うほか、自殺予防や家族心理学、産業心理学、コミュニケーション論などの知見を生かし、メディアなどでも多数活躍。

(取材・文/吉信 武)

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『CoCo壱番屋』創業者、養父との極貧生活で培った精神

2021年5月15日 13:00 週刊女性PRIME

「私は生まれてきては困る存在だったんです」生後すぐに児童養護施設に預けられ、3歳で引き取られた先では養父のひどい暴力とギャンブル依存症でどん底の貧乏生活を送った。だが、そんなつらい境遇にこそ、「お客さまに喜んでもらうこと」に徹底的にこだわる経営者の原点があった。

カレーハウスCoCo壱番屋創業者(NPO法人イエロー・エンジェル理事長/宗次ホール代表)宗次徳二さん

 某日の、昼12時半──。

 名古屋市中区栄の宗次ホールで、観客たちが家路につこうとしていた。『いつまでも聴きたいギターの調べ』と銘打たれたランチタイムコンサートが、ちょうど終了したところなのだ。

「よくぞ人間に生んでくれた。それだけで幸せです」


 宗次ホールは、『くらしの中にクラシック』を理念とするクラシック専門の音楽ホール。玄関には、観客ひとりひとりに「ありがとうございました」と丁寧に声をかける、きまじめそうな初老の男性が。

 同ホールでは年間400回ものコンサートが開催されるが、ほぼ毎回、「いらっしゃいませ」と観客を迎え、「ありがとうございました」と言って見送る。

 その様子を見ていたわれわれ取材陣に、この男性の秘書を務めている中村由美さんが、いたずらっぽい顔で語りかけた。

宗次を知らないお客さまのほとんどは、ホールのスタッフと思うようです(笑)

 男性の名は宗次徳二(むねつぐ とくじ/72)。※「徳」は正しくは心の上に一が入ります

 全国におよそ1300店舗を有し、店舗数が世界一として“世界でもっとも大きいカレーレストランチェーン”とギネス世界記録にも認定された『カレーハウスCoCo壱番屋』の創業者。経営を引退したのち、この宗次ホールを創設してオーナーとなった人物である──。

 店舗数世界一のカレーチェーン網を作った男性の人生は、1948年、逆境のもとで始まった。石川県で生まれた直後に、当時は孤児院と呼ばれていた兵庫県尼崎市の児童養護施設に託されたのだ。

 宗次さんが語り始める。

私は、私生児として生まれました。この世に出てきてもらっては困る存在だったんです。だからよく言うんですよ。“よくぞ人間に生んでくれた。それだけで幸せです”と。私の人生はそこからのスタートでした

 3歳のとき、尼崎で雑貨商と貸家業を営んでいた養父母のもとに養子として引き取られた。裕福で幸せそうな一家の写真がいまも残っている。

だから孤児院は“幸せな子だな”と送り出してくれたんだと思うんだけれども、養父が競輪に狂ってしまって。そこからが食べることにも事欠く、私の本当のどん底生活の始まりでした

 一家の大黒柱が収入のすべてを競輪につぎ込んだからたまらない。宗次家はみるみるうちに財産を失っていき、夜逃げ同然で岡山県玉野市に移り住むことになってしまった。

 宗次さんは養父に手を引いて連れて行かれた同地の競輪場で、“車券拾い”をしたことをいまも覚えている。

 競輪に負けた人たちが、ヤケになって車券を投げ捨てる。それを拾っては、当たり車券がまじっていないか確かめるのだ。

 養母は魚の行商で必死になって家計を支えた。だが、手元に200円もあれば、夫はそれを握りしめ、競輪場へと向かってしまう。

 1955年、宗次さん小学校1年のある日の夕暮れ、養父から棒でひどく殴られている養母を目の当たりにした。

「その日を境に母が家を出て行ってしまったんです」

 父子ふたりだけの、極貧生活の始まりだった。

電気代が払えないから、電気がなくてロウソクの暮らし。お米もないから自分で小麦粉を水で溶いて、塩で味つけし、焼いて食べたり。時には、食用になる雑草を食べましたね

CoCo壱番屋興隆の原点


 妻に出て行かれても、養父の競輪狂いと暴力は変わらなかった。ロウソクが照らす4畳半には質草にする家財道具すらもなく、リンゴ箱がテーブル代わりの生活だった。

 やがて“シケモク拾い”が宗次さんの日課となった。

 3キロほど離れたパチンコ屋さんに行き、床に捨てられたタバコの吸い殻を大人の足をかき分けて拾い、持って帰ってリンゴ箱の上に並べておく。養父がそれをほぐして、キセルに詰めて吸うのである。


日が長い季節には、ついつい遊びに夢中になって(シケモク拾いを)忘れてしまったりする。そうすると叱られましたねえ。

 素っ裸にされホウキの竹の柄で、ビシビシとミミズ腫れができるぐらい

 それでも養父を憎んだことはなかったという。

父が唯一の家族だったことと、気が小さかったからか……。そうとしか思えない

 普段は不機嫌この上ない人が、息子が拾ってきたシケモクを吸うときばかりは満面の笑みを見せた。

 そのうれしそうな表情、自分が提供したもので人に満ち足りてもらう喜び──。

“この父親が喜ぶことを一生懸命にやろう! ”と。喜ばれたいという気持ちが強かったですね

 この人を喜ばせたいという思いがのちに開花し、CoCo壱番屋興隆の原点となっていく。

母の屋台を手伝う小学生


 1957年、宗次さん8歳のとき、うれしい事実が判明した。2年ほど前に出奔した養母が名古屋で元気に暮らしていることがわかったのだ。

 養父はこれ幸いと復縁。父子で岡山から養母が住んでいた名古屋の4畳半一間のアパートに転がり込んだ。

 だが、ここでも養父のギャンブル依存は収まらない。養母は再び家を出て、サラリーマン相手の屋台を始めた。宗次さんは屋台の手伝いを決意する。

土曜日の昼に小学校が終わると、バス代20円だか30円をもらって母親の元に行って、夕方一緒に屋台をひいて。母親とのふれあいがうれしくて、毎週(通って)ね……。深夜2時ごろ、屋台を片づけ、日曜日の昼にはカレーや善哉を食べさせてくれました。小学5年くらいまでかな、毎週手伝いを続けましたね

 中学時代も養父の競輪狂いが止まらずに家賃を滞納。そのたびにアパートを追い出されてしまい、名古屋市内を転々とした。

 アルバイトを始めたのもこのころのことである。中学1年生の冬休みには米屋に泊まり込み、朝の6時から正月用の餅つきをして働いていたという。

 高校は夜間高校を志望していたが、先生に言われるまま受けた愛知県立小牧高等学校商業科に合格。本人の意思に反して、全日制高校に通う身となった。

 だが高校入学の手続きの段階で、衝撃の事実を知る。

 学校に提出するために戸籍謄本を取り寄せたところ、それまで実の両親だと思い続けていたが、『養父・養母』との記載があった。そればかりか、誕生日が違い、それまで基陽と呼ばれていた名前までもが本名ではないことがわかったのだ。

戸籍謄本を見て3つの発見をした人生でした。それも15歳でね

 それでも、養子であることが虐待の原因と思ったり、養父を恨んだりはしなかった。

なにも思わなかった。ホントになんにも思わなかったですね。(名前や誕生日も)“あ、違っていたんだ”ぐらい

 宗次さん高校入学の直前に、養父の胃がんが発覚。わずか2か月後、57歳の若さで逝去する。死の直前まで病室のまくら元に競輪選手名鑑を持ち込んでは宗次さんに読み上げさせ、それを幸せそのものの表情で聴き入っていた。

 ギャンブル依存からついぞ抜け出すことができなかったこの養父に、どれほど苦労させられたことか。

 だが裸一貫から事業を立ち上げて株式を店頭公開するまでに至るその根本には、養父との生活で身につけた“つらさを克服すること”と“喜ばれることを一生懸命にやる”という精神が、間違いなく存在するのだ。

5千円で手にした宝物


 高校入学直前、養母との暮らしが始まった。養父を失った宗次さんは、入れ替わるようにもうひとつ、心打たれる出会いがあった。クラシック音楽である。

「養母はとある会社の社員寮で賄いさんをしていてね。そんな母と同居するようになって初めて電灯のもとでの生活が始まりました。そんな高校1年の6月のことです」

 入学以来、毎朝登校前に働いていた豆腐屋さんのバイト代で、同級生からテープレコーダーを買い取ったのだ。月々千円払いの5千円で手にした初めての宝物だった。

 その日は部活後、飛ぶようにして帰宅、歌謡曲でもやっていないかと養母が手に入れた中古テレビをつけたがやっていない。NHKをつけてみると、教育テレビでNHK交響楽団が演奏していた。

それを録音して寝て。翌朝、目が覚めるとすぐに再生ボタンを押して、2曲目に流れたのがメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲ホ短調』。いまでもね、しばしば冒頭から涙が出てきますよ。

 あのとき、テープレコーダーを買わなかったら。あるいは録音したとき、流れていたのが歌謡曲だったりメンデルスゾーンでなかったら。絶対、クラシックとは縁がなかったと思いますよ

 翌日から、全楽章を聴いてから当校するのが日課となっていた。

 1967年、高校卒業後は、新聞の求人広告で見つけた不動産仲介会社に入社した。

 コツコツとシケモクならぬ不動産情報を集め、“喜んでもらえることを一生懸命にやる”姿勢が功を奏したのか、毎月上位の営業成績を収めるほどに。入社3年もたったころには、土地を買ってくださったお客さまに、マイホームの平面プランを描いてあげたいと思うようになった。

「それで建築を学びたいと、大和ハウス工業名古屋支店に転職することにしたんです」

不動産業から夫婦で喫茶店経営へ


私、会社に早く行っていたんです。狭い部屋でゆっくりしていられなかったから。そこにいた営業部隊をまとめる唯一の女性事務員。それが後に妻となる直美でした

 “コピーを取って”だの、“タバコを買ってきて”やらの雑用にも気持ちよく応じてくれる笑顔が魅力的な紅一点。

気立てがよくて、元気で明るくて。2か月後に交際を申し込んだ。本人は相当嫌だったみたいですけど、強引でした、私(笑)

 “コツコツと一生懸命”という宗次さんの姿勢は、恋愛でも変わらない。

 直美さんの誕生日には、大好きなヴィバルディの『四季』のレコードに“これは僕のいちばん大好きなレコードです。春になったらドライブしましょう”と書いてプレゼント、交際が始まったという。


デートの帰り、家に送り届ける車中で“別れよう”と言われたことがありましてね。ここで降ろしたら終わってしまうと思って、彼女の家のまわりを車でぐるぐるまわって解放しなかった(笑)

 直美さんからの結婚の条件は、100万円の貯金をすること。それをわずか半年でクリアした。1972年、大卒初任給が5万円の時代の100万円である。

 同年11月、宗次さん24歳、直美さん22歳のとき、めでたく結婚。直美さんは結婚を境に退職、翌年10月には宗次さんも独立して不動産仲介会社『岩倉沿線土地』を開業し、25歳にして経営者となった。

 昭和40年代といえば空前の土地ブーム。事業はスタートから順調だったという。

「1棟750万円の小さな建売住宅を、4棟売りました。4棟で3000万円、粗利は2割5分ぐらいだったから750万円。いい商売でした、売れれば、ね」

 だが、物心ついてから必死に生きてきた宗次さんには、お客さまが来店するまでの暇な時間がもったいない。

それで妻に、“喫茶店でもやって日銭が入る商売をやってみない? 不動産と喫茶店の両輪でいこう”。そう話をしたら即座に“喫茶店、やりたいわ! ”と。じゃあと知り合いの不動産屋さんに電話して、2つと見ないで“ここでいいです”と決めて、喫茶店『バッカス』を始めたんです。1973年10月1日のことでした

 名古屋市西区郊外の、住宅と工場がまじり合った地区にあるマンションの1階、17坪の喫茶店。

 成功への歯車が、ゆっくりと回り始めた。

「この商売にかけよう」と決意


『バッカス』は開店初日から終日満席のフル回転。1日の来店数は300名に上った。1杯のドリンクを楽しむために、お客さまがわざわざ自分の店までやってきてくれる。そのうれしさ、その活気。

 スーツ姿で店頭に立ち、お客さまに「いらっしゃいませ!」と声をかけ続けていた宗次さんが、不動産業とは180度異なる、コーヒー1杯150円の客商売の魅力に気がついたのは、このオープン当日であったという。

(開店祝いの)お花だけ持って帰る人もいましたけど、それでもうれしかったし、楽しかった。それと同時に不動産屋はどうでもよくなって、廃業しよう、この商売にかけようと、そう思ったんです


 翌日には、ポロシャツ姿でカウンターに立っていた。

 お客さまを「いらっしゃいませ! 」と笑顔で迎え、サンドイッチの注文には辛子の有無までひとりひとり確認。最後のひと口まで具材がのっている、その気配り。 

 さらには専用カップを用意、マイカップでコーヒーを出すサービスも開始。傍らには、笑顔できびきびと働く、直美さんの姿。

 そんな店が評判にならないわけがない。若夫婦がいきいきと切り盛りするバッカスの売り上げは徐々に右肩上がりに。

帰り道くたくたになって踏切の遮断機前で夫婦2人して一瞬眠ってしまったり。お風呂は外釜で沸かすスタイルだったんですがお湯が沸騰する音で目を覚ましたり(笑)

 睡眠不足になるほどの激務ではあったが、1年後、宗次さんはさらなる展開に踏み出す。コーヒー専門店『浮野亭』の開店である。

 開店資金1100万円の調達は、“私に任せて”の声とともに、妻・直美さんの担当に。以来、CoCo壱番屋の時代に至るまで、アイデアは宗次さん、資金調達は“金融機関からNOと言われたことがない”直美さんという、ツートップ体制になっていく。

ところがねえ、この店がそれはヒマでねえ……(笑)。1年近くは資金繰りがものすごく大変でした

 CoCo壱番屋創業のヒントを得たのも、実はこの浮野亭だったと宗次さん。

世の中には家から出られない人もいる。そういう人に喜んでいただこうと出前サービスを始めましたが、ライスメニューがなかった。それでカレーとチャーハンを用意したんです

 直美さんが作る、そのカレーが大評判に。気をよくした宗次さんが直美さんに3号店はカレーの専門店にしたいと告げると、間髪をいれず“いいじゃない! ”との返事。

でも、カレーだけじゃ飽きられる。まだ見たことも食べたこともなかったけれど、吉野屋という店の牛丼が話題になっていた。だったらカレーと牛丼C&Gでいこうと。それで東京にリサーチに行ったんです


「ここのカレーが1番や! 」


 東京で真っ先に足を運んだのが、神田のガード下にあったカレーと牛丼の店舗S。

ドアを開けた瞬間に目に飛び込んできたのは、おじさんたちがカウンターで丼を抱えている姿。“ああ、牛丼ってそういうものなんだ”と。しっくりこなくて、牛丼という選択肢が消えたんです

 その後も名門ホテルの3000円のカレーやら、10軒ほど食べ歩いたが、どんな有名店のカレーより、妻が作るカレーのほうが美味しかった。

それで帰りの新幹線の中で、“カレーなら、ここ(うちの)が1番や、カレーハウスCoCo壱番屋”と、屋号がすんなり決まりました

 1978年1月、宗次さん29歳の年、バッカスから車で10分ほどの愛知県清須市(現在)西枇杷島町の田んぼに囲まれた一角に、カウンター20席のみのカレー専門店CoCo壱番屋(以下、ココイチ)第1号店をオープンさせた。

 ところが“ここのカレーが1番! ”という自信のもとオープンしたはずのこの1号店、3日目からは閑古鳥が鳴き出した。

 忙しさにかまけて、ぬるいままのカレールーを提供したり、ライス不足で時間がない昼休みのお客さまを待たせてしまったり。味とスピードが勝負のカレー専門店にあるまじき失態の数々が原因だった。

 宗次さんは原点である“喜んでもらうのが第一”に立ち返ることを決意する。

 サーモスタット付きのフライヤーや自動食器洗い機を銀行ローンで導入、接客に集中できる体制を整えた。

 夫婦で“サクラ”をやったのもこのころの話だ。

私は毎晩、妻は週に2~3回。店の前に車を着けて、店の入り口に2人で、次のお客さまが来店するまでずっと座って。そのまま閉店間近までいたこともありましたね

 だが、希望をなくしたことは1度もなかった。

帰りの車中での会話は決まって“いずれ絶対によくなる”。いつ食べても美味しいし、店長も私の言うこと聞いて一生懸命サービスをしてくれていて。“このままやり続ければ大丈夫! ”。そんな自信だけは、なぜかありましたね

 自信を裏付けるかのように、気がつくとガラガラだった店内が6~7割方埋まるようになっていった。当時の目標は、月25日営業で月商150万円を達成したら2号店。

 10か月後にはその目標を楽々クリア。翌年には2、3号店。さらに年末には自宅(2・3階)と店舗兼セントラルキッチン、そして本部を兼ねた4号店を出店した。

「4号店出店の前段階で喫茶店を売却、ココイチを10店舗出す目標を決めた」

 あれから40年以上を経た今、宗次さんがこれまでの苦労を振り返り、笑いながらこんなエピソードを話す。

300号店出店のその日、直美に“ママ、よくまあここまでやってこれたなあ。二人三脚でこれたからこそ。まあ五分と五分だったな”と。そうしたら、すかさず“なに言ってんの!  アンタなんか2割でしょ! ”といきなり返されて。それ以来、妻が9の私1と言っているんです(笑)

 前出の秘書・中村さんも大きく頷く。

「直美らしい表現かも(笑)。でも、実のところ決定権を握っているのは直美ではありません。“パパの言うとおりにしなさい”って。本当にあうんの呼吸で仲よし夫婦だと思います(笑)」

 宗次さんを“師匠”と仰ぎ、夫妻とは30年以上の付き合いという作家の志賀内泰弘さん(61)も、

一見、はきはきと明るくて社交的な直美さんが引っ張っているように見えて、主導権を握っているのは宗次さんでしょうね。私生活ではお互いをからかい合う“夫婦漫才師のような夫婦”ですよ

お客さま第一へのこだわり


 家に帰れば、“漫才夫婦のボケ役”、そんな宗次さんの経営者としての一面を証言する人がいる。19歳でココイチ1号店に従事し、後に同社の社長を務め、現在は取締役会長である浜島俊哉さん(62)だ。

(サービスでも売り上げでも)自分のこだわりを部下が理解し、実践しないと気がすまない。自分の考えが100%で、それ以外は全部排除。唯我独尊どころの話じゃない。代表権を持っていたころはそんな感じです。働く社員たちへの責任を感じていればこそ、だと思いますが

 中村さんも、現役時代の宗次さんの自覚と責任感をこんなふうに言う。

お客さまのアンケートハガキを読んでいてこれは捨て置けないというコメントを読むと、“出かけてくる”と店に行きかける。10分後に来客の予定が入っていても、です。アンケートハガキを読んでいるとワナワナして、店への怒りが伝わってくる。お客さま第一へのこだわりがすごいんです


 顧客第一、そして店へのこだわりは妥協を許さない。

 その厳しさは社員だけでなく、自分自身にも向けられている。

 毎朝3時55分に起床して、1日も休まず本部の周りを掃除。指導に出かけた店の駐車場にゴミでもあれば、指示より先に自分で拾う。社長みずからのゴミ拾いに、店長が真っ青な顔で慌てて飛び出してくることも珍しくなかったという。

 現在の穏やかな佇まいからは想像もできない、仕事の鬼──。

 それもまた、まぎれもない宗次さんの一面であった。

「量と辛さはお好みで」が大反響


 さて、ココイチ成功の秘密を語るとき、画期的だった“ライスと辛さはお好みで”というカスタマイズ制ははずせない。子ども向けの甘口から“口中ボーボー、3口でシャックリが始まる”という1辛、超激辛の10辛まで選べる自由度である。


 ほかにも話題を集めた名企画があった。標準量の4皿以上、1300グラムのジャンボカレーを20分以内で食べきったら、お代はタダというものだ。

 これが口コミで大評判となり、挑戦者ばかりかマスコミまでが大挙して押しかけ大いに宣伝効果を発揮した。

 こうした追い風を背景に、4号店出店とほぼ当時にフランチャイズ制を導入。翌1981年には独立志望の人たちを社員として迎え、店長として最短2年間の経験を積んでもらった後に独立開業を後押しする『ブルームシステム』をスタート。

 この“のれん分け制度”によって、多くの人たちが独立、全国にココイチチェーン網を構築する原動力となる。

 創業20年目にあたる1998年には500店舗を達成。同時に直美さんが社長となり、宗次さんは会長となる。その勢いのもと、2000年にはジャスダックでの株式公開を果たした。

困窮している人を助けるエンジェル


 ところが2002年5月31日、宗次さんは驚きの行動に出る。

 当時、53歳。経営者として脂がのりきる年代だというのに、なんとこの日を限りに役員を引退してしまったのだ。

「後継社長(前出・浜島さん)がよかった、知らぬ間に育ってくれていた。それ以外ありません。(辞めることに)未練も執着もなかった」

 引退後、ある知人社長に“やり尽くしたんですね”と言われ、“ああ、そのとおりだな”と思ったという。

 飲食業を志す人をはじめ、功成り名を遂げた名士として、宗次さんに憧れる人は少なくない。だがその陰には、経営の座を未練なく捨てられるほど、働き詰めの日々があったのである。 

 まさに、“やり尽くした”がゆえの引退。いまは株式も手放し、NPO法人『イエロー・エンジェル』の活動に明け暮れているという。


 現在の宗次さんを、浜島会長は「現役時代と変わった」と話す。

やわらかくなったというか丸くなったというか、なんていい人なんだと(笑)。僕らが一緒に働いていたころの宗次徳二とは全然違う。現役時代はピリピリとして、人を寄せつけませんでしたから

 NPO法人の目的を、宗次さんは助けを求める人々の支援とともに、前出の宗次ホールを舞台にしたクラシック音楽の普及活動であると語っている。

(株式を)店頭公開してお金が入金された通帳を見たときに、“これは自分のお金じゃない。社会からの一時預かりとして社会に還元しよう”そう思った。それで、NPO活動を通して、いろいろなことに一生懸命な人、奨学金を求めている人、起業しようとしている人、困窮している人を助けるエンジェルになろうと思ったんです

 そんなエンジェルとしての活動のひとつが、著名演奏家への楽器の提供だ。

 楽器の選定を一任されているというヴァイオリン修復家の中澤宗幸さん(80)が言う。

特定の人に貸与というわけでなく、音楽を目指す人たちすべての人に、できる限り貸与してあげたいという姿勢です。音楽家にとって、料理人の包丁に当たるものが楽器。楽器が違うと音楽が違ってきます。宗次さんもそれがわかっていて、そんなやさしさからの行為だと思います

 日本が誇る名ヴァイオリニスト・神尾真由子、木嶋真優、辻彩奈などが使用するヴァイオリンも宗次さんからの貸与。ちなみに中澤さんによると、ヴァイオリンのお値段は「ピンからキリで、何十万から10数億円」だそうである。

 こうした楽器提供は、一流演奏家以外にも。

 宗次ホール1階の事務所奥には、愛知・岐阜・三重3県の中学高校の名前が記されたファイルがズラリと並ぶ。延べ1000校ほどの吹奏楽部に楽器を寄贈しているのだ。そのほか、東京都内の音楽大学にホールの寄贈も行っている。

 また、宗次ホール前には黄色い花が植えられたプランターが並んでいるが、花がら摘みやここの掃除も宗次さんの仕事。毎朝3時55分に起床、1日も欠かさず、2時間かけて清掃活動を行う。


 昼食には炊き込みご飯やカレーを作り、スタッフに振る舞うこともしばしばだ。

 個人で行っているというこんなエピソードを前出の作家、志賀内さんが明かす。

街でホームレスを見かけると、コンビニでおにぎりと温かい飲み物を買い、“大丈夫ですか?”と手渡すんです。袋の中に数千円入れてね。冬になるとマイナス10℃まで大丈夫という寝袋も、相当数配っています。ホームレスの人の名前までご存じですよ

 浜島会長が言う。

人を寄せつけなかった宗次徳二と今の宗次、どちらが本当の宗次と聞かれれば、おそらく後者じゃないですか? 現役時代は作っていたんじゃないでしょうか、やっぱり

 経営者としての現役は引退したが、クラシック音楽普及も人助けも、お金持ちの道楽では決してない。

 志賀内さんがこう続ける。

リタイア後の片手間どころか、フル回転の毎日ですよ。取材を含め、講演は断らないし、宗次ホールでの年間400回のコンサートでは毎回、“いらっしゃいませ”と迎え、演奏を聴いて“ありがとうございました”と送り出す。毎朝3時55分に起きて、掃除を2時間して、それからですよ。現役時代と変わらず、毎日バリバリと働いています

 宗次ホールの役割を、宗次さんはこんなふうに言う。

クラシックを広めたい。聴くとやさしい気持ちになるしね。年に1回か2回でもいいからクラシックを聴いてほしい。クラシックを愛好する人に悪い人は絶対いない。社会がやさしくなると思うんです

 10辛のカレーのごとくスパイシーだった前半生と、ライスのように、純粋な後半生。

 カレーと同じく人生も、何ともいえない味わいを醸し出すのは、その絶妙のハーモニー──。

取材・文/千羽ひとみ(せんば・ひとみ)

ライター。神奈川県出身。企業広告のコピーライティング出身で、ドキュメントから料理関係、実用まで幅広い分野を手がける。著書に『ダイバーシティとマーケティング』『幸せ企業のひみつ』(共に共著)

《撮影/伊藤和幸》

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氷川きよし、ファンからの13の質問“教えて!kiiちゃん”

2021年5月15日 11:00 週刊女性PRIME

氷川きよし 撮影/廣瀬靖士

 初夏の風が心地いい、とある日。スタジオに姿を現した氷川は「何でも聞いてください!」とニッコリ。週刊女性3月30日号で募った“氷川きよしさんに聞きたいこと”にバンバン答えてもらいました。気になる近況、素朴な疑問、幼少期……その心の機微に迫ります!

Private


Q 最近、楽しかったことは?

「4月の頭に従姉の子(従姪)が九州から遊びに来てくれたんですよ。19歳と23歳。自分がちょうどデビューしたときくらいの年齢で。なんか自分の娘みたいな感覚なんですよね(笑)。2人にカバンを買ってあげたくて、一緒に買い物に行きました。でもコロナ禍なので1店舗だけに絞って。店員さんと盛り上がりながら選んで、もう大喜び!! やっぱり、若い子はパワーがみなぎってていいですよね(笑)」

Q 最近買ったものの中で、よかったものは?

「湘南ゴールドっていう、今の時季しかとれない柑橘があるんですけど、テレビで特集されたみたいで。ネット検索してみたら売ってたので、箱買いしました」

 湘南ゴールドは、神奈川県が12年をかけて開発したというオレンジ。見た目はレモン色で、上品な甘さと華やかな香りが特徴。“幻のオレンジ”とも。

「すっごくおいしくて!! 毎日搾って、ジュースにして飲んでいます。ギュッて搾るのに手が痛くなるんですよね(笑)。ビタミンCの摂取はバッチリです!!」


Singer


Q メイクは自分でしてるんですか? それともプロが?

「PV撮影のときはコンセプトに合わせてメイクさんにやってもらってますが、基本は自分。今日みたいな取材のときやコンサートのときとかは、自分で」

 それはびっくり!! いつから自分で?

「3年くらい前からかな? 最初のころは慣れなかったけど、自分で眉毛を描くようになって。細眉が、だんだん太眉になっていきましたね」

Q これからもロックは歌いますか?

「そうですね。この間、友達と久しぶりに電話で話したら“ロックは続けてほしい。やっぱりカッコいいから”って。そういう見方をしている人もいるんだ、と改めて思いました。だから続けていきたい。とはいえ“これでなきゃいけない!!”って自分を型に押し込めると窮屈になっちゃうから(笑)、その時その時に縁がある作品を、その時代に合わせて歌っていきたいな」

Q 最近は“kii”“kii-na”として発信することが多いですけど、コンサートでのコールは今までどおり“き・よ・し”でいいですか?

「なるほど。それぞれの見方でいいんじゃないですか? 自分はこうやって発信してるけど、それぞれの見方は違いますよね。例えば、写真を見たときにも“きよし君に見える”っていう人もいれば、“kii-naに見える”っていう人もいると思う。だから、それぞれの自由でいいです。kiiがnatural=kii-naに見える人は“キ・イ・ナ”でいいし、kiiちゃんに見える人は“キ・イ・ちゃん”でいいと思います

Childhood


Q きよしくんと博多華丸さんは同じ中学出身だとか?

「はい!! 華丸さんは福岡市立高宮中学の先輩です。デビュー間もないころ、22〜23歳のころかな? 博多華丸・大吉さんと『f45』(NHK福岡)という番組を一緒にやらせていただきました。すごく大変でしたね。漫才とかできなかったから、顔がひきつっていたと思う(笑)。そんな中でも、博多華丸・大吉さんはすごくやさしくて。今、ものすごい人気ですよね!!」

 さらにはタモリ、高橋真梨子、森口博子も同じ中学校の出身だという。豪華すぎるメンバーにおったまげ!!(※高橋真梨子の高は、正しくはハシゴ高)

「以前、華丸さんに誘われて、タモリさんのお宅に伺ったことがあるんです。森口さん、高橋さんとともに。高宮中学の会、みたいな感じで。タモリさんの家で1日中ゴロゴロして(笑)。タモリさんがウイスキーやブランデーを出してくださって“横になってごらんよ”と言ってくれて。ありがたくカーペットの上で横になり、ただただゴローッとして(笑)。何とも言えない癒しの時間を過ごしました。タモリさんは、本当にやさしいです」

Q おばあさんと食べたびわの種から実がなった話は本当ですか?

「これは……ちょっと違いますね。祖母とは一緒に暮らしていなかったので。子どものころ住んでいたアパートの、上の階の人が食べたびわの種を共有スペースの庭に植えたみたいなんです。その木が大きくなっていて、初夏には実がつくように。もちろん、食べました(笑)。子どものころは、よくその木に登って遊んでましたね。懐かし〜!!

Q 子どものときに好きだった芸能人は? その人とは会えましたか?

「子どものころ好きだった人は、やっぱり松田聖子さん。母が好きだったから、同じ番組を見ているうちに自然と好きになりました。あのキラキラ感と純粋な感じが、もう夢の世界っていうか」

 3年前の『NHK紅白歌合戦』で初めて会ったという。

「“5歳のとき、コンサート行きました”とお話ししたら“本当に? ありがとう。今度一緒にお仕事しようね”って言ってくださって。すごくうれしかったです」

 中学生になると、同じ中学出身の森口博子のファンに。高校に入って演歌と出合い、鳥羽一郎を好きになったという変遷が。

Q きよしくんが初めて自分で買ったレコードは?

「レコードじゃなくてCDですけど(笑)、たまの『さよなら人類』。中2のときかな? CDショップに買いに行きましたね。中学の修学旅行で長崎に行ったときに、みんなでこの曲を歌ったのを覚えています」


Cooking


Q オススメの“酒のアテ”があったら教えてください!

「明太しりしり!! にんじんしりしりに明太子を入れたバージョンですね。千切りにしたにんじんと明太子をごま油で炒めるだけ。これはおいしいですよ!! 酒の肴にもいいし、毎日でも食べられますよ」

If


Q 最後の晩餐で食べたいものは?

「何かなぁ? やっぱりとんこつラーメンですかね。もしくは、ごぼう天うどん。明太子をのっけたご飯もいいなぁ。やっぱり、ふるさとの味で締めたいなと思いますね」

Feeling


Q 男女を問わず、どういう人間が好きですか?

やっぱり誠実で、礼儀正しくて、人の恩や人情、人の心がわかる人。そういう人を好きになります。自分が惹かれる人はやっぱり心なんだな、と思います」


Future


Q 将来の夢は?

「歌手としての夢は、やっぱりいい曲に出合うこと。歌い手の命って、やっぱり歌だから。本当に、作品によって人生が変わる。何より“氷川きよし”じゃないと伝えられない歌って、必ずあると思うので。そういう歌を歌っていきたいですね。

 そして、公私ともに幸せになることが大事!! 電車でも何でも、両輪がなければ動けないし、傾いちゃう。そうならないように、40歳を過ぎたら公私ともに幸せになるような時間を自分でつくっていかないといけないなと思いますね」

『氷川きよし劇場コンサートツアー2021』開催!



 4都市を巡る、かつてない劇場ツアー。氷川の原点である演歌を中心に、豪華絢爛なステージをお届け!!

https://www.nagarapro.co.jp/top/artist/concert.php?id=1



★新歌舞伎座(大阪)……6月29日(火)・30日(水)

★博多座(福岡)……7月6日(火)・7日(水)

★明治座(東京)……7月19日(月)〜21日(水)

★御園座(名古屋)……7月24日(土)・25日(日)

ココアちゃんへの思い−−

「いちばんいい日だったんだと思います」

「プライベートを含め、ずっと彼が味方でした」

 2月16日、愛犬・ココアちゃん(ミニチュアダックスフント・♂)が15年の生涯を終え、旅立った。

「やっぱり家族だったから。子どものようでもあり、親のようでもあり。泣きながら話を聞いてもらったこともあります。本人、なんのこっちゃわからなかったかもしれないですけど(笑)。15年の間、とにかく愛しかくれなかった。愛のかたまりでしたね」

 ココアちゃんは、目が見えないというハンディを抱えていたが、生後まもなく氷川家に温かく迎えられた。

「すごく小さかったのに、だんだん大きくなっていって、受け入れてくれて、信頼してくれて、我慢してくれて……。なんか、自分の都合に合わせて生きてもらってたから、すごく感謝してます。15年間の時間は、楽しい思い出ばかり。本当に最高の思い出。ハンディがあるから“守ってあげないといけない”と思っていたから、なお可愛いくて。本当にココアのことを愛してます

 現在はミルクちゃん(同♂・9歳)、ラテちゃん(同♂・1歳)の2匹がそばにいるが、

「“ココアたちがいなかったら、どうしていただろう?”と、ふと考えますね。きっと、寂しくて毎日のように外に飲みに行っていただろうな(笑)。あの子たちがいるから、早く家に帰ろうという気持ちになる。自分にとっては本当に大切な家族。お話しはできないけど、気持ちは伝わる家族なんです」

心臓が止まっていくのがわかった


 ココアちゃんの心臓に腫瘍が見つかったのは、昨年12月。

「いわゆるがんです。深夜に発作を起こし、救急病院に何度も連れていきました」

 そんな大変な状況の中で『NHK紅白歌合戦』の準備をしていたという。


「最期の日、2月16日は午前中に病院へ。調子がよさそうで、帰宅後にはごはんも食べて。だけどその後、ココアの動きがパニック状態のようになって……悟りました。自分の胸に抱きしめて“ココア、15年間ありがとうね”“ずっとこれから一緒にいるからね”って耳元で」

 ゆっくりと心臓が止まっていくのがわかったと、苦しそうに話す。

「でも、自分の胸の中で送ってあげることができた。やっぱり病院とかで死なせたくなかったから……。その日は、コンサートツアーの10日前。自分が自宅にいる休みの日に息を引き取ったことにも、ココアのすごさを感じています。本当につらいけど、いちばんいい日だったんだと思います」

 最後の最後まで親孝行だったココアちゃん。積み重なった思い出と、ふたりの絆は永遠――。

スタイリング/伊藤典子(hoop) ヘアメイク/遠山雄也(RELAXX)

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気をつけないと失敗する、早期英才教育「3つの落とし穴」

2021年5月15日 08:00 週刊女性PRIME

「早期英才教育」は流行しては批判され下火に、を繰り返している(写真はイメージです)

 白血病を克服し、東京五輪の水泳の代表選手となった池江璃花子選手。その劇的な復活劇がニュースなどで取り上げられ、彼女が生後2か月から母親が運営する幼児教室で早期教育を受けていたことも話題となった。また本田真凜、望結、紗来のフィギュアスケーター三姉妹も、池江選手と同じ幼児教室で早期教育を受けていたそう。

早期教育、幼児教育を受けさせたい親が増えている


 そんな才能あふれる若い人の活躍を見て「うちの子や孫も才能ある立派な人間に育ってほしい」と思うのが親心。

 そこで気になるのが、どんな早期教育や幼児教育を受けさせたらいいのか、やるなら何歳までに始めたらいいのか、将来役に立つのはどんなことなのか、といったことだろう。しかし選択肢が多すぎて何をどう選んだらいいのか途方に暮れている方も多いはず。

幼児教育といえば一般的には幼稚園のことを指します。日本では昔から質の高い幼児教育が行われ、インフラも整っています。一方、お子さんに小さなころから英語を習わせるといったような場合は『早期英才教育』と呼ばれます。これは昔から流行り廃りがあって、新しい早期英才教育が流行しては批判され、下火になることを繰り返しています

 そう語るのは、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささん。ではいったいどんなことを参考に、子育てをしたらいいのか?

「本やテレビ番組などで早期英才教育が話題になることがありますが、『成功者の子育てをまねしよう』というのがそもそも間違いです。親も子もひとりひとり性格や考え方が違うので、誰かの子育てをまねしても、うまくいく可能性は低いでしょう

 また、早期英才教育本などにはいいところしか書かれていない、と続ける。

「実際には、子どもは親の失敗からも学ぶものです。よい部分も悪い部分もあって子育てはバランスが取れるもの。逆に失敗をしないよう、親子だけの無菌状態や、箱入り状態で育てるほうが怖いんです。

 親だけが全部の責任を負って、閉じ込めないこと、自分にできることは限られていると考え、できるだけ世の中への扉を開いておきましょう。日々得る情報は断片でしかなく、科学的根拠や物事の解釈というのは時とともに変わっていきます。

 ですから断片の中の一部を取り出して『これが正しい』と思い込んで子育てをするのは、とても危険なことです」

 子どもの「個」を無視していませんか?


 身につけられることは多ければ多いほどいい、現代は変化が激しいから、どんどん新しいことを学ばせないといけないのではないか、と考えてしまうのも親心。情報があふれる現代、どんな能力をつければいいのですか?

「子どもの性格や考え方、キャラによって、必要となるものは違ってきます。例えば内向的なオタク気質の子が、無理をして外交的な能力を身につける必要はありません。その子が何かひとつに集中できる力を引き出してあげること、それが特性を伸ばすことにつながるんです」


 さらにおおたさんは「情報量は今後どんどん増えていくものなので、それを全部1人で身につけようというのは無理な話」と続ける。

「昔はいろんなことを1人の人にインストールして、何にでも対応できる、個としての完成度をいかに高めるかを目的とした教育でした。

 しかし今はネットワークの時代。その中でどう自らの居場所を見つけるか、というのが大事になります。そのためには何かひとつ得意なことがあると、どんなネットワークへも入っていきやすいんですね。

 これからは自分に足りないことを1人でどうするのかではなく、ほかの能力の高い人と足りない部分を補い合いながら働けること、つまり『この人と一緒に働きたい』と思われる人になることが大事になります

 しかしスキルを身につけるという明確な「目的」があると、達成することばかりを見て、目の前の子どもが見えなくなってしまう。

 そして、正しい教育法だと思っている枠の中へ子どもを押し込むことになりかねないので注意が必要だそう。教室へ行くのを嫌がる子どもを「どうしてできないの!」と追い詰めると、子育てがおかしくなる原因になりかねない。

過度な押しつけや教育虐待を防ぐには、1人の人間として子どもにも人権があることを理解してください。『あなたのためを思って』という道徳心は、子どもの尊厳を傷つけ、その子がその子らしく学ぶ権利を侵害することがあります。

 ほとんどの親は、子どもの教育についての判断を見誤るもので、それは恥ずべきことでも過ちでもありません。自分の子どもに合っていない教育をしているかもしれない、と思ったら、すぐに軌道修正をしてください」

 親の自分がやってきたことが正しい、よいことだと思い込んで「これをやりなさい」と押しつけてしまうのは危険である、としっかり認識しなくてはいけない。

結果をすぐに求めすぎていませんか?


 数字で結果が出て、成長していると効果が見えやすい「認知能力」で子どもの能力を見極めようとしてしまいがちだが、最近の幼児教育では、やり抜く力や集中力、自立心や協調性、自己肯定感といった、IQや偏差値、テストなどでは測れない「非認知能力」を育むことが重要視されている

「ただ非認知能力は少々誤解を受けていて、『どうしたら非認知能力を鍛えることができるか?』という発想になっている教育もあるんです。非認知=捉えられないものであり、認知能力と非認知能力は分けられるものではないのに、読み書きや計算といった認知能力と同様に鍛えられると思っているんですね。非認知能力について僕は、複数の認知能力を連動して効率的に力を発揮させる能力のことではないかと考えています。


 つまり個別の認知能力が高くても、それらを結びつける非認知能力が備わっていなければ、筆記テストでいい点は取れるかもしれないけれど、実生活の中で能力を応用して使うことができないんです。しかしある部分の認知能力が抜群に優れていて、突出した才能を開花させる人もいるので、非認知能力が低いからといってダメとは言えないんです」

子どもをスマホのアプリだと思っていませんか?


 昔の教育を受けてきた親世代は、いろんなことをバランスよく身につけていることがいいと考えがちで、英会話に読み書き、算数、直感力や記憶力の鍛錬に、ピアノにお絵かきに各種スポーツ……◯歳までにやらないと身につかないと言われ、あれもこれもと子どもにやらせがち。しかしおおたさんは「それは使うかどうかもわからないのに、スマホにアプリをどんどんインストールしているようなもの」と注意を促す。

「無理にたくさんのアプリをインストールしても、スマホ自体の性能が悪ければたくさん入りませんし、動きも鈍くなります。それよりもスマホそのものの性能を上げることが大事で、時代が変わって価値観がアップデートされたら最新のアプリをインストールできるよう力をつけておくことが重要なんです」

 では子どもに最適なことを見つけるには、どうしたらいいのか?

「答えはシンプルで、それは常に『子どもの中』にあります。何をしているときに子どもの目が輝いているのか、身体全体から躍動感があふれ出しているのか、また心が落ち着いて安心している表情になっているのか……そういう子どもの状態を見逃さないでほしいんです。それこそ、その子の進むべき道なんです

 でもうちの子はゲームばかりしていて、とお嘆きの方も。

「それはそう思い込んでいるだけの可能性がありますよ。子どもが散歩中に道端の花などを見つけて『可愛いね』と言っているのに、親のほうがスマホを見ていたりしていませんか?

 ほかにも子どもが目を輝かせていることがあるのに、それを見ていないんですよ。ゲームだけが目につくだけで(笑)。それに気づくためには、できるだけいろいろな世界に触れさせることです。何も山や川へ外出するのではなく、街を歩けば子どもは毎日何かに感動しているはず。とにかく『子どもを見る』こと。毎日その積み重ねです


 しかし能動的にゲームをやっている場合は学びが促進されることもあるので、無理に取り上げたり、叱ることはしないでほしいそう。

「惰性でゲームに逃げているときは、目が死んでいます。その場合は外出に誘ったり、違う楽しさを提案してあげることです。本当に楽しんでゲームをやっていると、どうやったらクリアできるのか、うまく戦うにはどうしたらいいのかと頭を使っていますし、これが原体験になって、現在も重要な仕事で将来的にも必要とされるコンピューターのプログラミングに興味を持つかもしれませんからね

 早期英才教育についてまわる「◯歳までに」の壁については、それほど気にする必要はないと言うおおたさん。

「そもそも『いつまでにやらないといけない』というリストを作ったら、無限になってしまいますよ(笑)。例えば早期英才教育ができなくて『絶対音感』が身につかないかもしれませんが、絶対音感以外で、その子らしく生きていけるほかの能力を身につけているはずなんです。

 僕は子どもの内的動機を大事に考えているので、本当に子どもが望んでやるという意味で、『自主性』よりも『自発性』という言葉を使うようにしているんですが、子どもがやりたいと言ったこと、自発性をぜひ尊重してあげてください

お話をしてくれたのは……●おおたとしまささん●育児・教育ジャーナリスト。麻布中学・高校出身で、東京外国語大学中退、上智大学英語学科卒。著書は『究極の子育て 自己肯定感×非認知能力』など60冊以上。

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cat_oa-shujoprime_issue_4d4e10bc093d oa-shujoprime_0_93136cba8f2f_貴乃花が1日2回吸引する水素ガスに医師が警鐘 93136cba8f2f 93136cba8f2f 貴乃花が1日2回吸引する水素ガスに医師が警鐘 oa-shujoprime

貴乃花が1日2回吸引する水素ガスに医師が警鐘

2021年5月14日 21:00 週刊女性PRIME

貴乃花

《寝る前と朝起きた時に吸うっていうのが私のサイクルとしては最適ですね》

 言葉の主は、平成の大横綱・貴乃花。“吸う”というのは、一見電子タバコのような機器だが、出るのはニコチンではない。なんでも発生しているのは“水素”だという。

「水素吸引器は、新たな“健康グッズ”として近年さまざまなメーカーが発売しています。数年前に水素水が流行しましたが、吸引器はたった数分の吸引で、水素水何リットル分もの水素が摂取できるといいます。謳う効果は、リラックス効果、脳のストレス軽減、脳の活性化といったところです」(美容ライター)

 最新と言うべきか、手を変え品を変えと言うべきか、そんな健康機器の“広告塔”を現在、貴乃花が務めている。

水素水サーバーの販売など長年“水素関連”事業を手掛ける会社のCMやホームページに登場。“愛用”し、“絶賛”しています。こちらの会社は貴乃花さん主催の相撲教室に協賛するなど、付き合いの長いタニマチ的な存在ですね」(相撲ライター)

 横綱・日馬富士の暴行事件をきっかけに、結果的に引退届を提出、貴乃花の“廃業”に発展した騒動は2018年のこと。以降、無類の強さを誇った大横綱の姿を、角界で見ることはない。平成の大相撲人気の最大の要因といえる、30年前の“若貴ブーム”の片割れである兄は一方……。

貴の居ぬ間に若が相撲界に


「3代目若乃花である花田虎上(まさる)さんは、引退後は芸能活動やさまざまな事業など角界とは距離を取ってきました。しかし現在はウェブテレビではありますが、相撲中継の解説を務め、相撲雑誌でコラムを執筆するなど“相撲仕事”が増えています」(同・相撲ライター)

 相撲道に邁進してきた弟は、角界から離れ、芸能界などで活動し角界から離れていた兄が、現在は相撲の仕事をしている。現役時代や引退後の両者のイメージや仕事内容は完全に“逆転”している。

 長年、若貴兄弟を見続けてきた、芸能ジャーナリストの佐々木博之さんは、2人の現役時代について次のように話す。

「世間のイメージと同じく、貴乃花さんはストイックで相撲一筋。相撲以外には目もくれない。当時、自宅とは別に借りていたマンションの屋上に、極秘練習用の“土俵”を作っていたというくらいですからね。

 一方、虎上さんは引退後、アメフトや飲食店経営などに進んだ。“相撲に強い思い入れはなかったのでは?” と、実は一度本人に直接聞いたことがあるのです。具体的には言えませんが、返ってきた答えからそれほどでもなかったのかなと感じました。強い弟に引け目を感じていた部分があったのかもしれません」

 現状の“違い”は、性格に起因している部分が大きい。

「貴乃花さんは、“0か100か”しかない性格。本当にストイックですが、許せないことがあると、もう“絶対に許せない”となり、そこで妥協点を見つけて……とならない。それで協会内で孤立無援になり、今に至り、“相撲仕事”ができない。角界から離れてしまっているので、関係者も仕事を頼もうと思う人はなかなかいないでしょう」(佐々木さん、以下同)

 一方、兄は――。


「貴乃花さんと比べると、世渡り上手。人当たりもよくて、人間関係をうまく構築できるタイプです。貴乃花さんは不倫騒動などがあって、現在は母親である紀子さんと絶縁状態ですが、虎上さんは母親との関係も良好です。

 今はコロナでなかなか外食もできない状況になっていますが、お弁当を届けたり、毎週必ず会いに行ったりと“母孝行”していると言っていました

 貴乃花の現在の“仕事”についてはどうか。

「報道でもありましたが、靴職人である息子の優一さんが仕事のトラブルで作った借金を、立て替えているといいます。今は相撲の仕事はありませんから、それ以外の仕事をするしかない。本意ではないと思いますよ」

相撲とは無関係の広告塔に


 相撲道を今、歩んでいるのは皮肉にも兄のほうとなった。弟は冒頭のように“貴乃花”の名前を使い、相撲と関係のない商品の広告塔となっている。こちらの耳慣れない水素吸引器の効果はいかに……。

「水素ガスの吸引については、放射線治療となった際、副作用を軽減させるなど、効果はさまざま証明されています」

 そう話すのは、新潟大学名誉教授で、医療統計の第一人者と呼ばれる医学博士の岡田正彦先生だ。

「まだ正式な論文にはなっていませんが、新型コロナウイルスに感染、重症化し、ダメージを受けた肺に対して効果があると考える人もいます。しかし、まだ証明するに至っておらず、学術データとしてはありませんが、私は案外、有効ではないかと思っています」(岡田先生、以下同)

 効果についてはさまざまに言われる水素だが、吸引については“効く”ということ?

「ここまではあくまで“医療”として行われている水素ガス吸入療法の話です。さまざまな民間療法に共通したことですが、医療として行われていることと、民間療法で行われることはまったく違うものです」

 医療としては、空気全体を100としたときに、水素ガスが2%前後含まれたガスを6時間から12時間ほど吸うことで、効果が実証されている。

爆発の危険やがん死亡率がアップ


「副作用の軽減や、心停止後の脳機能の回復などについてはきちんとしたエビデンスが得られていますが、民間の水素吸引器が謳う効果はいっさいエビデンスがありません。水素ガスを吸引させる治療は、その濃度や時間が非常にシビアです。

 効果が証明されている2%という濃度がきちんと保たれているのか。理科の実験で爆発したなんて話がありますが、水素の濃度が4%を超えると爆発のリスクが高まります。販売ページには、“実際に吸うガスの濃度”の記載がどこにもないので疑問です」


 岡田先生によると、水素ガスは抗酸化物質として優れているため、前述のような医療としての効果が見られるという。

「ただ、サプリメントの過剰摂取が代表的ですが、抗酸化物質の摂りすぎは、がんの死亡率が上がることが証明されています。どうなるかわかりませんが、もし水素ガス吸引が民間で流行して、大勢の人が吸うようなことになると、将来がんが増えることも否定できない。もし本当に水素ガスが出ているのであれば……という前提ですが」

 きちんとした研究に基づいて生まれた先端医療が、民間療法に転用され、もし万が一なにか問題が起これば、その先端医療自体が疑われてしまう恐れがある。それは医療の発展を阻害しかねない。

間違ってもコロナの予防になるなどと謳わないでほしいですね。もしそうなれば誇大広告などで厚生労働省などが黙っていないでしょうけど。現状が一線を踏み越えないでいるところなんでしょうね。気分がスッキリするなどということは医療でもなんでもない」

 貴乃花の事務所に、水素吸引機の広告塔になった経緯について問い合わせると、

「現在、水素吸引器『KENCOS』のイメージモデルとしまして広告のお仕事をさせていただいておりますが、株式会社アクアバンク様とは広告契約の締結はしておりません。『KENCOS』の販売代理店でありますオリエンタルバイオ株式会社様と契約をしております」

 子どもへの指導など、相撲は“角界”だけではない。貴乃花には“不撓不屈”の精神で、再び相撲道にカムバックしてもらいたいが……。

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