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コロナ感染 田中圭 20人超で深夜誕生日パーティー〈写真入手〉

2021年7月28日 16:00 文春オンライン

 7月20日に新型コロナウイルス感染を発表した俳優・田中圭(37)。7月18日に発熱したが、7月10日夜に、20人超が参加する田中の誕生日会が開かれていたことが「週刊文春」の取材でわかった。

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 開催場所は都内の田中の自宅マンションだ。知人が明かす。

「会を主催したのは田中と同じ事務所の鈴之助さん(37)と、俳優・眞島秀和さん(44)。彼らがLINEで呼びかけたのです」

 そのLINEには

〈7月10日 ぼくたち、わたしたちの田中圭が37歳の誕生日を迎えます〉

〈ささやかではありますが毎年恒例の誕生日会を開きたいと思います〉

〈本人には伝えていないのでサプライズ形式となります。なんで本人にはお口チャックでお願いします〉

 などと書かれている。

 当日は夜9時半ごろから入れ代わり立ち代わり、計20人超が集まり、パーティーは夜中まで続けられた。

 小誌は、その誕生日パーティー中の写真を入手。誕生日ケーキを持ってピースをする田中の周りに、男女がノーマスクで顔を寄せ合っていて、まさに“密”状態そのものだ。

「案内状にはサプライズとありましたが、田中さんの部屋なのでホントのサプライズではないです。俳優の出席者は眞島さんや正名僕蔵さんら。ただ田中さん以外に感染者は出ておらず、田中さんも別の経路で感染したと聞いています」(参加者の一人)

 東京都にまん延防止等重点措置が敷かれる中で開かれた会について、田中と鈴之助、眞島、正名らの事務所に事実関係を聞いたが、揃って回答は無かった。

 参加者の一人、眞島は、報道を受けて所属事務所の公式ツイッターで「週刊文春で報道された件に関しましてこのような時期に、良識のない行動を取りましたことを深く反省しております。今後、自らの行動を律し、信頼回復に努めてまいります」と謝罪した。

 実は誕生日に集った面々の多くは、あの大人気ドラマの関係者だった――。

 参加者らに送られてきたLINEの案内状、田中が自撮りしたもう一枚の写真、参加者が明かす誕生日パーティー当日の様子など、詳しくは7月28日(水)16時配信の「週刊文春 電子版」及び7月29日(木)発売の「週刊文春」が報じている。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2021年8月5日号)

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「え、何? 今の匂い?」“お笑い芸人で納棺師”おくりびと青木が経験した「絶対に笑ってはいられない恐怖体験」

2022年1月22日 17:00 文春オンライン

「バラバラのご遺体も必ず人間の形に…」“納棺師&芸人”二足のわらじを履く青木さん(35)がとてもネタにできない「知られざるおくりびとの日常」 から続く

 2008年に公開された映画『おくりびと』で知られるようになった、「死」への旅立ちを手伝う職業“納棺師”。松竹芸能所属のおくりびと青木さん(35)は芸歴9年目のお笑い芸人として活動しながら実家である福島県の葬儀会社で納棺師としても勤務する“リアルおくりびと”だ。

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 お笑い芸人と納棺師、振り幅の大きい仕事をこなすおくりびと青木さんとは一体、どんな人物なのか。2足のわらじの苦労や知られざる納棺師の仕事内容、さらに自身が経験した恐怖体験やなかなか聞けない近年の葬儀事情まで話を聞いた(全2回の2回目。最初を読む)

◆ ◆ ◆

告別式中に「一発ギャグやってもらっていい?」

――納棺師でありながらお笑い芸人もやっていることについて、周囲の反応はいかがですか。

おくりびと青木 同じ納棺師の方々からは応援していただいています。ただ正直な話、SNSとかを見ていると「お葬式の仕事をしている人がお笑いをしているのってどうなの」とか「人の不幸をネタにしているのではないか」という感じで注意をいただくこともあります。

――お笑い芸人もやられていることは、ご実家の地域の皆さんはご存知なんですか。

おくりびと青木 おかげさまでこの地域の方には知っていただいています。このあいだも告別式中にも関わらず「一発ギャグやってもらっていい?」とフリが飛んできました(笑)。小声ですけど、全力でやったら思いっきりスベりました。「そりゃウケるわけないよね」って感じですよね。向こうでみんな悲しんでいるのに、ここで何やっているのって。

お葬式とお笑いのテンションの切り替えの難しさ

――お笑い芸人と納棺師の2足のわらじで苦労するのはどんなところでしょうか。

おくりびと青木 やっぱり福島と東京を行ったり来たりする生活ですね。福島で告別式をやった後に東京でオーディションというパターンもあったりするわけですよ。それとは逆に東京でライブを終えた後に福島でお通夜があるというパターンもあるので、行ったり来たりするのがまず大変です。基本的にいつも高速バスを利用しているんですけど、片道大体6時間ぐらいかかりますね。

 あとは、当たり前ですがお葬式のテンションとお笑いのテンションは全く違うので、テンションの切り替えがすごく難しいです。お笑いのライブ後でテンションが上がった状態のままお葬式の場に出た時に「どうもー! このたびはー!」みたいな感じで大きい声を出してしまって、めちゃくちゃ怒られた時もあったんですよね。そのテンションの切り替えがどうしてもうまくいかないです。

スタッフが勘違いして「このたびはご愁傷様です」

――衣装はどうされているんですか?

おくりびと青木 この喪服のまんまです。一応、お葬式芸人というのを売りにしているので、喪服で舞台に立っています。このまま高速バスに乗ったり、新幹線に乗ったり。葬儀後はお線香臭い状態で行くので、「え? なに今の匂い」みたいにお客さんに言われることもあります。

 この状態でオーディション会場に行ってスタッフさんとお話しするんですけど、「実はちょっとお葬式があったんですよ」って軽く話すと、スタッフの方が勘違いして「そうですか、このたびはご愁傷様です」って言われて。「いや、違う違う、僕の葬式じゃなくて」みたいな(笑)。パッと見ただけでは分からないのでそれはしょうがないんですけど、結構、勘違いされますよね。

納棺師の仕事で経験した「恐怖体験」は…

――納棺師のお仕事のなかで経験した恐怖体験はありますか。

おくりびと青木 私たちの仕事は基本的に葬儀会社の会場を使ったり、亡くなった方のご自宅を使わせていただくことが多いんです。ある時、ご依頼をいただいた場所が何故か都内のオフィスビルだったんですよね。珍しいこともあるんだなと思ってそちらに伺うと、奥の方からスキンヘッドとパンチパーマの方がいらっしゃったんですよ。「この度はよろしくお願いいたします」とご挨拶すると、「よろしくな」って握手をして下さったんですが、握手の感じが妙におかしいんですよ。これなんだろうなと思って、ぱっと手の方を見てみると指が何本かなかったんです。ガチガチのそっち系の方で…。ただ、そういった方たちって、お話も分かってくださいますし、とても優しいんですよね。

「おやっさん」の棺に入れられた“好きだったもの”とは…?

 亡くなったのは「おやっさん」と呼ばれている方で、その方のご葬儀だったんです。そのおやっさんを棺の中に入れさせていただいたその後に「食べ物だったり、お洋服とか何かお好きだったものをお入れすることができますが、何かお入れしますか?」ってお聞きしたんです。

 すると、1人の方が「じゃあ、これを入れてやってくれよ」と出されてきたのが、刃渡り30センチのナイフ、いわゆる“ドス”だったんです。なるほど、こういうパターンかと。「すみません。そちらは燃え残ってしまう恐れがあるので、難しいんです」とお断りをしました。そうするとまた別の方が「いやいや、そんなんじゃダメだ。おやっさんにはやっぱこれがいいよ」と言って出されたのが“銃”。それが本物なのか、偽物なのか全く分からないですが、「申し訳ありません。それも燃え残ってしまう恐れがあるので、お入れすることができないんですよ」とお断りをさせていただいたんです。

 するとまた別の方がいらっしゃって「じゃあ、これならええやろ」と言って出されてきたのが、白いアタッシュケース。中身を見させていただくと、現金300万ほどが入っていました。「これはどのようにさせていただいたらよろしいですか?」と聞くと、「これを入れておやっさんを葬ってやってくれ」と。

 本来、お金を入れることはいけないのですが、今回は特例として顔以外の部分に1枚1枚綺麗に入れて、お納めしました。お葬式の費用よりもそのお棺に入れた費用の方がかかってしまったんですよね。

 やっぱり霊感とかそういうのも期待されるんですけど、私は全くもってないんですよね、霊感というのが(笑)。なので、霊的なものではなく、ご遺体やご遺族の話をさせていただくことが多いですね。

葬儀業界にコロナが与えた影響

――近年の葬儀事情について伺いたいのですが、葬儀業界でもコロナの影響は受けているのでしょうか。

おくりびと青木 例えば家族や親戚はもちろん、ご近所の方を呼んでご葬儀を行うのが一般的だったんですけど、コロナの影響でなるべく参列者を少なくして葬儀を行っています。身内だけの家族葬をやりましょうということが結構多くなってきましたね。

 ただ、地方に住んでいる家族の方は、遠慮してもらったりすることもあります。例えばここは福島県なので、福島県にいる親戚、家族だけで式をあげましょうという、そういったご葬儀が非常に多くなってきましたね。今はだいぶコロナが収まってきたので、地方から来る方もいらっしゃいます。

――おくりびと青木さんは、実際にコロナが原因で亡くなった方を担当されたことはあるのでしょうか。

おくりびと青木 今のところは担当したことないですね。この地域自体、コロナに罹っている方が本当にいなかったので。ただ、コロナのご遺体を担当した場合、職員は2週間ほど休まないといけないんですよね。うちみたいな家族でやっている葬儀会社は1人や2人抜けてしまうと人手不足になってしまうので、ご依頼があった際は、どのように対応するかは今後の課題かもしれません。

若者の自殺、老人の孤独死

――他にも様々な事情を抱えた故人の方もいらっしゃいますよね。

おくりびと青木 そうですね、以前は都内で納棺師の仕事をしていたんですけど、都内だと1日多くて3件か4件担当することがあったんですね。その3件から4件のうち3件が自殺だったということがありました。やはり自殺する方は若い方が多かったです。

 あとは故人様のなかには親族の方が遠方で来られないという方や、そもそも親戚や家族がいないという方もいらっしゃったりするんですね。そういった身寄りのないご老人が亡くなった場合は、この地域の役場職員の方と私たちスタッフが家族がわりとして見送ってあげることが増えてきました。

――やはり老人の孤独死というのも増えているのでしょうか。

おくりびと青木 そうですね。発見する時も基本的に臭いで気付くというよりは、田舎だけあって普段から近所の方が連絡を取っているらしくて、「最近、全然顔見ないね」とか「連絡取れないね」というところから、家の中を覗いてみたら亡くなっていたというケースが最近多いみたいです。

お別れをしていただく時間を大切にしたい

――納棺師としてのやりがいはどんなところでしょうか。

おくりびと青木 人によって亡くなる場所は違うと思いますが、例えば、老人ホームだったり病院で亡くなった場合、それぞれ看護師さんや老人ホームのスタッフさんがメイクをして下さるんです。

 それでも口や目が開いていたり、顔や体が曲がっていたりする方に対しては、そこまでの技術とか時間が割けなかったりするので、どうしてもその状態のままになってしまうんですよね。

 そんな時に私たちみたいな存在が少しお手伝いをさせていただくわけです。目を閉じて、口を閉じて、メイクをして、生前のような自然な状態にする。そのお手伝いをすることでご遺族様が心から泣いていただけたり、悲しみの時間を作っていただけたりするんです。

 そんな家族の方が泣いて喜んで下さったりするのがやっぱり一番のやりがいなのかなと思いますね。やっぱりお葬式の場だと皆さん緊張してしまうみたいなので、少しでも泣いてもらったり、お別れをしていただく時間を大切にしたいなと思っております。

お笑い芸人として売れたらそれが一番

――おくりびと青木さんとしての今後の目標はなんでしょうか。

おくりびと青木 やっぱり今のところ、“納棺師”や“おくりびと”はまだまだ知名度が低いと思っているんです。知名度を上げるために普段から老人ホームや高校に講師として伺って、こういうお仕事があるんですよとか、こういう技術があるんですよ、などと教えさせていただいているんですね。それをもっと広くやっていって、楽しく皆さんに覚えてもらえるような講演会をやっていけたらなと思っています。

――ご両親としては葬儀会社を継いで欲しいということでしたが、お笑い芸人は今後も続けていかれるのですか。

おくりびと青木 まだまだお笑いをやりたいので、芸人を辞める気は全くないです。お笑い芸人として売れたらそれが一番いいんですけどね。どんなタイミングがあるかわからないので、もう少し続けさせていただきたいなと思っています。

 あとはこの芸能界で、お葬式を活かしている方はあんまりいないと思うので、そういったお葬式の話を芸人らしく伝えたいですね。



 YouTubeの「文春オンライン」公式チャンネルでは、インタビュー動画を配信しています!

 

コミック「おくりびと芸人」
https://booklive.jp/product/index/title_id/10002940/vol_no/001

 

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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「GACKTは私の妻と不倫していた」夫が告発――2021年BEST5

2022年1月22日 17:00 文春オンライン

2021年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。男性芸能人部門の第1位は、こちら!(初公開日 2021年11月17日)。

【画像】B子さんが撮影したGACKT邸の内部

*  *  *

 体調不良を訴え、9月8日に活動休止を発表したミュージシャンのGACKT(48)。実はこの前後、GACKTが中部地方在住の既婚女性と不倫していたと告発するのが、この女性の夫・A氏だ。

 GACKTの公式サイトによれば、8月6日に海外から帰国した後、体調不良を訴え、容体が急変。持病の神経系疾患がきっかけで、一時は命にも関わる状態に陥り、仕事を続けることが不可能と医師に判断されたという。当時、GACKTは主演映画「翔んで埼玉」の続編の撮影を控えていたが、一時中断。再開の目処はまだ立っていない。

 会社経営者のA氏が語る。

「妻はもともとGACKTのファンでした。昨年7月4日、彼の誕生日にインスタグラムを通じてメッセージを送ったところ、本人から返事があってやりとりが始まったのです」

 妻のB子さん(35)はGACKTが以前交際していた釈由美子似の美女。インスタグラムに新婚旅行や夫婦水入らずの食事の写真を多数アップし、ひと目で既婚者とわかる内容になっている。

 A氏が二人の不貞関係に気付いたのは、9月下旬のことだった。

「旅行している最中に妻の体調が悪くなったため、旅行前に何かあったのかもしれないと、彼女の携帯を覗いたのです。すると、そこには実姉に対し、GACKTの自宅に滞在している様子を“実況中継”しているLINEが残っていました。さらに妻が撮影したGACKTの自宅内の写真まであったのです」(同前)

肉体関係を持ったことを白状

 後日、B子さんを問いただすと、9月17日の夜11時から翌18日の夕方まで、東京のGACKTの自宅に滞在したことを認めたという。さらに、7月14日に名古屋で初めてGACKTに会い、「名古屋マリオットアソシアホテル」に宿泊したことを明かした。

「妻は9月に彼の家に行った際は、肉体関係を結んでいないと話す一方、『マリオットホテルに泊まった日には肉体関係を持った』と白状しました」(A氏)

 10月18日、B子さんは次のような文面をGACKTに送信している。

「今回のことが夫にバレて…」

 だが、GACKTから返信が来ることはなかった。

 B子さんとGACKTが連絡を取っていたSNSに記載された携帯番号に電話すると、 GACKTらしき声の留守電メッセージが流れるのみ。所属事務所に事実関係について問うも「担当者が不在」として締め切りまでに回答がなかった。

 A氏はこう憤る。

「妻と性的関係を持った彼を許すことはできません。彼が壊した普通の夫婦生活を取り戻す為に、私達がどれだけ苦悩しているか理解すべきです。辛い思いをする人をこれ以上増やさない為にも、法的手段をとることも辞さない覚悟です」

 11月17日(水)16時配信の「週刊文春 電子版」および11月18日(木)発売の「週刊文春」では、GACKTとB子さんの2度の密会の詳しい状況や、B子さんが見たGACKT邸の様子、GACKTがSNSでファンを誘う手口などについて報じる。

2021年 男性芸能人部門 BEST5

1位:「GACKTは私の妻と不倫していた」夫が告発
https://bunshun.jp/articles/-/50945

2位:「妻が相手宅に押しかけ警察も出動」RADWIMPSギター桑原彰(36)が妻子を置いて20代元モデルと“お泊り不倫”《直撃に本人は「ほぼ事実です」》
https://bunshun.jp/articles/-/50944

3位:《スクープ撮》仮面ライダー俳優・瀬戸利樹が“自粛破りパーティ”からアナウンサー風美女を“お持ち帰り”
https://bunshun.jp/articles/-/50942

4位:「悪い仲間とつるんでしまって、自然と…」銅線窃盗で逮捕の元EE JUMP祐樹(35)に、姉・ゴマキがかけた「言葉」
https://bunshun.jp/articles/-/50941

5位:「おかえりモネ」の撮影現場で西島秀俊が“神対応” 泣いていた女性スタッフに「どうした?」「大丈夫?」
https://bunshun.jp/articles/-/50940

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2021年11月25日号)

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「バラバラのご遺体も必ず人間の形に…」“納棺師&芸人”二足のわらじを履く青木さん(35)がとてもネタにできない「知られざるおくりびとの日常」

2022年1月22日 17:00 文春オンライン

 2008年に公開された映画『おくりびと』で知られるようになった、「死」への旅立ちを手伝う職業“納棺師”。松竹芸能所属のおくりびと青木さん(35)は芸歴9年目のお笑い芸人として活動しながら、実家である福島県の葬儀会社で納棺師としても勤務する“リアルおくりびと”だ。

【写真】この記事の写真を見る(15枚)

 お笑い芸人と納棺師、振り幅の大きい仕事をこなすおくりびと青木さんとは一体、どんな人物なのか。2足のわらじの苦労や知られざる納棺師の仕事内容、さらに自身が経験した恐怖体験や、なかなか聞けない近年の葬儀事情まで話を聞いた(全2回の1回目。#2を読む)

◆ ◆ ◆

高校を出て、葬式の専門学校に通いながらお笑いを勉強

――納棺師の仕事内容について教えていただけますか。

おくりびと青木 納棺師の仕事は簡単に言うと、亡くなった方を綺麗にするお仕事です。例えばお化粧したり、ご希望があれば衣服の着せ替えをしたり。あとはお身体に傷や痣があればお手当てをして、生前のような自然な状態になっていただくというお仕事ですね。

――そもそも納棺師というのは、葬儀会社から依頼されるのでしょうか。

おくりびと青木 納棺師さんによっても違うんですけど、基本的には葬儀会社の下請けとして納棺師の会社があるんですね。なので、葬儀会社さんから仕事の依頼を受けて初めて仕事が発生します。ただ、私は実家である葬儀会社に勤めているので、そのまま納棺師の仕事をすることになります。

――ご実家が福島県にある葬儀会社ということですが、会社を継ぐために納棺師の仕事を始めたのでしょうか。

おくりびと青木 いえ、小さい頃からずっとお笑い芸人を目指していました。でもどうやったらお笑い芸人になれるのか全く分からなかったので、とりあえずお笑い芸人になるために東京に行きたいと漠然と考えていました。そんな時に父親から「高校卒業してからどうするんだ。何も考えていないのであれば、実家のお葬式の仕事を手伝ってくれないか。継いでくれないか。ただ、継ぐにしてもまずはお葬式の専門学校があるからそこに通いなさい」と言われて。父親が勧めたお葬式の専門学校が神奈川県にあると聞いて、これだったら専門学校に通いながらお笑いの勉強もできるなと思って、専門学校に通い始めました。

 そもそも納棺師という仕事自体知らなかったのですが、ある時、専門学校で納棺師の仕事をしている方が講師として来て下さったんです。メイクの授業をしてくれたり、ご遺体の処置の仕方を教えてくれたり。そういった納棺師の仕事を教わった時に「これって今後、使えるんじゃないかな」と思ったので、卒業後に納棺師の会社に入社しました。あとは、養成所に通うためにもそれなりに貯金しないといけないので、納棺師をやりながらお笑い芸人を目指していました。

「笑われる喜び」を知った小学生の頃

――お笑い芸人になりたいと思ったきっかけはなんでしょうか。

おくりびと青木 もともと子供の頃から芸能界にすごく憧れていて「目立ちたい」、「人前に出たい」、「有名になりたい」という気持ちがあったんです。小学生の時に演劇を見せる機会があったのですが、そこで棒読みだったり、あまりにも下手すぎる演技をしてしまったんですよ。そしたらそれを見たお客さんが笑って下さったんですよね。笑ってくれたことに対して、“笑われた”という恥ずかしさよりも“笑ってくれた”という喜びを感じてしまったんです。「笑ってくれるってすごい気持ちいいな」って。さらにバラエティー番組でお笑い芸人さんが体を張って芸をしたり、リアクションを取っている姿を見て、かっこいいなと。そこからお笑い芸人になりたいという気持ちが徐々に生まれ始めました。

――お葬式の専門学校に通っている時も優先順位としてはお笑いが一番でしたか。

おくりびと青木 もちろんです! ほとんどお笑い芸人になることしか考えてなかったですね(笑)

2足のわらじで、東京と福島を行ったり来たりする生活

――ご両親は息子がお笑い芸人になると知って、反対はされなかったのですか?

おくりびと青木 芸人云々よりも「せっかく就職してお葬式の勉強したんだから、脱線をせずにストレートにうちに帰ってきてくれば一番いいんじゃないの」という話はされましたね。ただ、芸人の活動をする代わりに時間があれば会社の手伝いをするという条件を出されて、今も芸人活動を続けています。今でもしょっちゅう親に「今すぐ東京のアパートを追い払ってうちに帰って来なさい」って言われてますね(笑)。

――お笑い芸人として活動を始めた頃は、納棺師の仕事を辞めようとは思わなかったのでしょうか。

おくりびと青木 やっぱりそれだけでは食べていけないんですよね。普通のバイトをやることも考えましたけど、せっかく納棺師という手に職を持っているんだったら、実家の仕事を手伝いながらお笑い芸人を続けた方が親も喜びますし、一番いいのかなと。それから東京と福島を行ったり来たりする生活が始まりました。

――もともとピン芸人として活動されていたのでしょうか。

おくりびと青木 もともとコンビを組んでいたのですが、よくある話で徐々にコンビ間で意見の食い違いができはじめちゃって。あとは何より私がお葬式の仕事も並行してやっていたので、急に仕事が入ったりしてコンビでの打ち合わせやライブの予定が立てづらくなってしまったんです。結局、コンビは解散してしまって、5年くらい前からピン芸人として活動するようになりました。ただ、副業芸人というよりは正直、仕事の割合としてはお笑いが1、お葬式は9なので、ほぼほぼお葬式の専門業者みたいな感じですね。

ネタはフリップを使った「お葬式の雑学」

――普段はどういったネタをされているのでしょうか。

おくりびと青木 お葬式のキャラクター、“おくりびと青木”という名前なので、フリップにお葬式の雑学ネタみたいなのを書いてやらせていただいています。

 例えば、この葬儀業界でも“チップ”の存在があるんですね。これを“チップ”と呼んでしまうと、とてもいやらしい意味合いになってしまうので、私たちの業界では、これを“心付け”と呼ばせていただいています。ただ、この心付けを頂戴するにもマナーがあるんです。それは“2回お断りしないといけない”ということです。というのも1回で受け取ってしまうと、それはがっついているように見えてしまうし、3回以上断ってしまうと、相手の気持ちを害してしまう恐れがあるからなんです。ですので、必ず2回お断りした後にお受け取りするっていうルールになっているんですね。3回目の「どうぞ」で「いただきます」と。これで私のものになるわけなんですけれども。ただ、ここで問題が発生するのですが、心付けをいただいたことを会社の先輩や上司に報告しないといけないんです。その時に上司が「これはお返ししないといけないものだから」とか「それは受け取ってもいいですよ」という話になるのですが、先輩とか上司によっては、「これは受け取ってはいけないものだから私の方で代わりに返しておくよ」と言って、ご遺族様に返すフリをして自分のポケットに入れてしまうという最低な人もいるわけなんですね。なので、心付けのいただき方というのもかなり難しいところではあります。

 こういったお葬式のネタをわかりやすくフリップにしてやっているんですけど、雑学ネタなので、ウケるとかスベるとかじゃないんですよ。お客さんが「へぇ~」って言っちゃうんです。よくお客様が(ライブ後の)アンケートで、「おもしろかったです」とか「ここはこうでした」とかって書いてくれるんですけど、私の場合だと「勉強になりました」とか「いい休み時間でした」とかお笑いと全く関係ないことを書かれちゃうんです。だからお笑いとしては全然評価に値しない状態になっちゃっているんですよね。これは何とかしないとなって、今ちょっと悩んでいる状態ですね(笑)。

――憧れの芸人さんはいらっしゃいますか。

おくりびと青木 憧れの芸人さんはNONSTYLEさんですね。10年以上前なんですけど、友達のツテがあって、NONSTYLEさんが出ていたCMのお手伝いをさせていただいたんです。その時に、全くカメラが回ってないにも関わらずNONSTYLEさんが現場にいたエキストラの人を楽しませようと何かネタをやってみたり、話しかけたりして、その場をすごい盛り上げてくださったんですね。そのサービス精神もかっこいいな、こういう人たちになりたいなって思って、NONSTYLEさんを目指しています。

本木雅弘さんより「おくりびと」としては“先輩”

――納棺師としては月にどれくらいの件数を担当されているのでしょうか。

おくりびと青木 福島では、1か月のうち多くて6件とか7件くらいですね。やっぱり田舎っていうのもありますし、近所にも葬儀会社ありますので、件数的には少なかったりします。

 東京でやっていた時は、1日3件、4件は当たり前でした。1年だと700~800件ですね。今までの合計でいうと何万件と担当させていただきました。

――2008年に公開された映画「おくりびと」がヒットしましたが、その前から納棺師として働かれていたのでしょうか。

おくりびと青木 はい、そうですね。なので「おくりびと」の本木雅弘さんよりは“先輩”になります(笑)。

30人入って、あっという間に29人辞めていきました

――「おくりびと」の映画が公開された当時は何か反響はありましたか。

おくりびと青木 おかげさまでありましたね。当時、納棺師の専門の会社にいたのですが、映画が公開される前は毎年、入社希望者が1人か2人ぐらいだったんです。でも映画が公開された当時は30人ぐらいの応募がありました。ただ、入社を希望する理由で多かったのがお給料の面でして、実は映画の中でお給料が50万円と言っているんですよね。「新人で50万だったらこれはすごい仕事だな」っていうことで入ってくる方が多かったんですけど、実際に働き始めてお給料と実際の仕事内容を知っちゃうと、すぐに辞めていく方が多かったですね。

――皆さん続かなかったんですね。

おくりびと青木 やっぱり続かなかったですね。30人入ってきたんですけど、29人辞めていきました(笑)。あっという間に辞めていきましたね。どうしてもご遺体と対面した時に臭いだったり、見た目とかに気持ちをやられてしまって、その場で帰ってしまう方もいらっしゃいました。

――やっぱり精神的に辛いお仕事なんですね。

おくりびと青木 そうですね、誰でもできる仕事かっていうとそうじゃないなとは思っていますので。人によって合う、合わないはあると思います。

 あと、うちは完全に家族経営なので、本当に24時間休みがないというか。深夜2時だろうが4時だろうが関係なく病院や警察から呼び出されます。病院はずっとご遺体を置いておけないので、亡くなったらすぐに運んでくださいというようなかたちで。あまりにも慣れすぎてしまって、夜中でも気持ち良く電話が取れるようになりました。大体23時以降の電話はそれなので。

ご遺体の包帯を取ると無数の切り傷が…!

――納棺師の方は全国で何人いらっしゃるんですか?

おくりびと青木 私が始めた頃は、まだ100人いるかいないかぐらいだっと思うんですけど、やっぱり映画とかの影響もあって今は1000人以上はいるんじゃないかなと思います。

――おくりびと青木さんはご実家が葬儀会社ということもあって、もともと人の「死」に対面することには慣れていたのでしょうか。

おくりびと青木 見ることとかそういったものには慣れてはいたんですけど、納棺師になって、実際にご遺体に触れたり、臭いを嗅いだりした時に上手く行動が出来ないというか、あまりにもテンパってしまって、何にもできなかったこともありました。

 例えば、私が最初に担当させていただいたご遺体が、首を吊って自殺をされた方だったんです。長い時間、首を吊られていたせいか、しっかりと(首元が)濃い紫色になっている状態だったんですね。「首吊りってこんな状態なんだ」という感じだったんですけど、それだけでは終わらなかったんです。

 一緒にいた納棺師の先輩が「ちょっとこれはおかしいね」と言って、お身体を見させていただいたのですが、包帯ぐるぐる巻きになっていて。これはどういう状態なんだろうと、よーく見てみるとその包帯が徐々に赤く染まっていくのが分かったんです。このまま処置をしないとお洋服がまた汚れてしまうので、処置をし直しましょうということで一旦、包帯を取らせていただいたんです。すると、包帯を取ったそのお身体には、無数の切り傷がたくさんある状態で。実は、故人様は首を吊っただけではなかなか死にきれずにその場にあった包丁を自分に刺してお亡くなりになられたという状況だったのです。初めてのお仕事でそんな状態を見てしまったので、結構トラウマになってしまってその日はすぐに休ませてもらいました。あの時は全く何も出来なかったです。

故人様の足元に白い長い棒状のものが…

――そういった悲惨な状態のご遺体を担当することも多いのでしょうか。

おくりびと青木 そうですね。基本的には状態のいいご遺体ばかりですが、なかにはお風呂で亡くなったり、海で亡くなったりした方だと、体が膨れてしまって人の形ではなくなってしまっている方もいます。言葉では言い表せられない程、腐敗臭が強いこともあります。

 ある時、おばあちゃんの故人様を担当させていただいたのですが、そのおばあちゃんは交通事故でお亡くなりになられたそうなんですね。私たちが対面した際にも、交通事故でしたので、切り傷とか痣がある状態だったんです。お布団の上に寝ていらっしゃったんですけど、ぱっと見ると故人様の足元に白い長い棒状のものが置いてあったんですね。「あれ? これなんだろうな」と思って持ってみると、ズッシリと重たいものだったんです。「これは故人様が愛用していた何かしらのものなのかな」なんて思っていたのですが、その白い布で包まれたものが、端っこから赤く染まってくるのが分かるんです。「あれ? これはヤバイな」と思って、その白い布を取らせていただいて中を覗くと、その方の右腕だったんです。実は、交通事故の衝撃で右腕を切断してしまった状態だった。

 こういった場合、お棺に入れた際にできるだけ人の形を保つようにして入れさせていただくんですね。お顔があるところにはお顔。お身体があるところにはお身体。右腕、左腕、右脚、左脚という感じで。必ず人間の形を保つように置かせていただくんです。たとえ首から下が一切ない場合でも、お顔をその場所に置かせていただいて、その下にタオルとか布を重ね合わせて、人の身体があるように作らせていただきます。そのおばあちゃんは右腕だったので、本来右腕のある場所に返させていただいたわけなんです。そのようにして棺の中にお納めさせていただきました。

――そういった場合は、ご遺族には見せないかたちになるのでしょうか。

おくりびと青木 見せないこともあれば、ご遺族様が見たいという場合もあるので、できるだけ見せられるようにはしますが、「こういう状態です」と必ず説明するようにしています。事故とかでバラバラになってしまった故人様もいますので、やはり肉片だけになるとどうしようもないので、そういった方に関しては警察の方からも説明も入っていますので、そのままお棺の中に入れて火葬する場合もあります。

(#2へ続く)



 YouTubeの「文春オンライン」公式チャンネルでは、インタビュー動画を配信しています!

 

コミック「おくりびと芸人」
https://booklive.jp/product/index/title_id/10002940/vol_no/001

「え、何? 今の匂い?」“お笑い芸人で納棺師”おくりびと青木が経験した「絶対に笑ってはいられない恐怖体験」 へ続く

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

外部リンク

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進化する藤井聡太 プロも驚愕する変幻自在ぶりは、「孫子の兵法」そのものだった

2022年1月22日 12:20 文春オンライン

 タイトル戦6回、うち奪取4回防衛2回。一度もタイトル戦でストレート負けしたことがなかった渡辺明名人、豊島将之九段相手にもストレート勝ち。王将戦第1局も勝って、タイトル戦通算22勝4敗。藤井聡太竜王の成績には、なんとも恐ろしすぎる数字が並ぶ。

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「8割4分6厘」の藤井、その絶妙な指し回し

 将棋のタイトル戦は、五番勝負なら3勝2敗(=6割)、七番勝負なら4勝3敗(=5割7分1厘)で制することができる。つまり、タイトル戦の通算勝率は6割あればよく、7割勝てば絶対だ。それを8割4分6厘とは、なんと表現したらいいのだろうか。

 その内訳を見ていると、決して最初からリードして逃げ切ったわけではなく、逆転勝ちも多い。豊島や渡辺のミスを誘う絶妙な指し回しがあった。藤井の何が違うのか。その「なぜ」をさぐるために棋士の発言を調べたら、森内俊之九段の「オールラウンダー」という言葉にぶち当たった。

 将棋界でオールラウンダーといえば、居飛車や振り飛車など、幅広い戦型を指すことを意味する。

 ところが、藤井の戦型選択は狭い。2021年の4つのタイトル戦では、先手では角換わりと相掛かりのみで矢倉は採用していない。王将戦第1局も相掛かりだ。また、後手では横歩取りや雁木を指さず、相手の得意技を受けて立つが、それでも指す戦法は絞っている。先手矢倉に対しては組み合うことはせず、必ず急戦にする。

 では、森内はなぜこの言葉を使ったか。発言の全文はこうだ。

「攻めも受けも強い、オールラウンダーですね。隙(すき)がなく、終盤の計算力が他の棋士に比べてもずば抜けています」

世界最古の軍法書「孫子の兵法」に通じる藤井の戦法

 つまり戦型ではなく、「攻めも受けもすべてまんべんなく強い」という意味で使ったのだ。通常棋士は、攻めか守りかどちらかに棋風がかたよる。渡辺は攻めをつなげることにかけては間違いなく日本一だし、永瀬拓矢王座は説明するまでもなく受けだ。豊島は序盤中盤終盤スキがないと言われるが、もともとは攻め将棋のスタイルで、粘り強くなったことでタイトルを取れるようになったのだ。

 ところが、終盤の切れ味鋭い攻めのイメージがある藤井は、師匠の杉本昌隆八段曰く、幼少の頃から受けにも長けていた。

 森内の言葉に「なるほど」と思い、藤井のタイトル戦を見直してみると、思い浮かんだのは世界最古の軍法書「孫子の兵法」だ。武田信玄の旗印にも使われた「風林火山」の元になった言葉である。

 其疾如風(その疾きこと風のごとく)

 其徐如林(そのしずかなること林のごとく)

 侵掠如火(侵掠すること火のごとく)

 不動如山(動かざること山のごとく)

 難知如陰(知りがたきこと陰のごとく)

 動如雷霆(動くこと雷霆のごとし)

 一言で言えば、「臨機応変に戦え」。場面によって、風になるべきか山になるべきか判断せよという意味だ。藤井の指し回しはまさに変幻自在だが、最近になって特に「林」と「陰」をレパートリーに加えた。

其疾如風(その疾きこと風のごとく)――竜王戦第1局

「風」は藤井の得意とするところで、藤井の攻めは疾風が駆け抜けるかのように見える。しかし、受けでも「風」を見せる。

 先手藤井の相掛かりに対し、豊島は歩損作戦を選択。主導権を握って優勢に。普通の相手なら、そのまま攻め倒していただろう。しかし、藤井は2手連続で「風」のごとく玉を逃げ、3段目に玉が上がるという粘りを見せる。これで相手の読みの蓄積をすべて破棄させ、ミスを誘って逆転する。

 さらには玉の頭上に桂をわざと跳ねさせ、攻め合うという絶妙の攻めで突き放す。皮を切らせて肉を断ち、肉を切らせて骨を断ち、寄せきった。

 シリーズの流れを決めた玉の早逃げ、それは受けの「風」だった。

其徐如林(そのしずかなること林のごとく)――王位戦第3局、叡王戦第3・5局

「林」は将棋でいえば、しずかにする=手渡しになる。レジェンド羽生善治九段がもっとも得意とする技だ。

 勇気を出して手を渡して相手に委ね、相手の攻めをことごとく受け止め局面をリードする。深い読みがなければただの緩手になってしまうが、藤井はこの難しい技を昨年から武器にした。

 王位戦第3局、中盤戦59手目の銀打ち、69手目の歩を打った手。叡王戦第3局でじっと歩を伸ばした手。叡王戦第5局で二枚銀を並べて攻勢に出ようとした豊島に対してじっと飛車を引いた手。

 これらの手渡しが、いずれも効果的だった。

 広瀬章人八段は、王位戦第3局の手について、

「激しい折衝の中で、展開にブレーキを掛ける一手なんです。羽生善治九段が得意とするところの『手渡し』で、非常に珍しく容易ならざる一手でした」

 と述べている。

「藤井さんは鋭い攻めで有名になりましたけど、最近はじっくり指して相手に手を渡す将棋が増えている気がするんですが?」と聞くと、広瀬は「おっしゃる通りで誰の影響なのか、何らかの勉強方法で身についてきてるのか練習パートナーにそういう人がいるのか……」と不思議がっていた。ともあれ、藤井が成長した一面を見せたのは間違いない。

侵掠如火(侵掠すること火のごとく)――竜王戦第3局

 藤井が右辺敵陣に銀と角を連打したのにはプロ棋士は一様に驚いた。角と銀が動きを打ち消しあい、しかも角が動くと銀が取られるので身動きできないからだ。NHKスペシャルで畠山鎮八段は「その手を弟子が指したら四段になるのはきついかな」と語ったほど、プロの常識はずれの一手だった。ところが、これが敵陣を侵掠する「火」の妙手だった。

 藤井は豊島が右辺を受けたのを見て、さっと飛車を左辺に転回して成り込む。そして火のごとく延焼し、敵陣を蹂躙する。

 角銀が連絡しているので取ることができず、鎮火できない。つまり、「動けない」のではなく「動かない」のが真意だったのだ。最後は豊島玉があの角銀にいる方に追われて、角銀が玉を包みこむようにして寄せきった。

不動如山(動かざること山のごとく)――王位戦第2局、叡王戦第3局

 豊島先勝で迎えた王位戦第2局。七番勝負の流れを変えた瞬間は、大詰めに豊島が角で王手をかけた場面だった。

 角や飛車の王手には合い駒するか、広いところに逃げるかをまず考えるのがセオリー。この場面では上に逃げられないので、持ち駒を打って合い駒するのがプロの第一感だ。ところが、藤井はなんと玉を下に引いて居玉のポジションに。角の利きが通ったままで、いかにも危険だが、藤井は「詰めろ」(次に玉が詰まされてしまう状態)がこないと読み切っていた。この玉は動かざること山のごとく、終局まで微動だにしなかった。最後は持ち駒すべてを使って詰ませて逆転勝ち。

 もしこの将棋を豊島が勝っていたら、藤井四冠はなかっただろう。

 叡王戦第3局86手目、豊島に香を打たれて玉の逃げ場がなくなった。しかし、藤井は自玉を受けずに攻めて驚かせた。そして王手のからんだ両取りで攻め駒を抜く手を見せることで自玉への寄せを防ぎ、最後は2手違いで快勝した。

 局後、観戦記者が危ない指し方ではないかと尋ねると、「これが危ないんですか?」と逆に聞かれてしまったとか。

 AIにより、玉の安全度の指標で、金銀の密着度よりも玉の逃げ場所を優先されるようになった。すなわちガードマンがいないので王手はかかりやすく、玉の危険度を正しく把握しなければならない。藤井はAIのおかげで勝っているのではない。ただ、王手がかかりやすい玉形での戦いが増えたため、藤井の持ち味が生きやすくなった。

 玉が薄いとき、危険なとき、どうしても防衛反応が働いてしまう。しかし、藤井は玉がどんなに危険になっても慌てない。圧倒的な読みに裏打ちされた「動かざること山のごとく」だ。かつて羽生は著書で「将棋界では、踏み込むことが大切です。見た目には、かなり危険でも、読み切っていれば怖くはない。剣豪の勝負でも、お互いの斬り合いで、相手の刀の切っ先が鼻先1センチのところをかすめていても、読みきっていれば大丈夫なんです」と語っていたが、今の藤井がまさにそれだ。

難知如陰(知りがたきこと陰のごとく)――竜王戦第2局、王将戦第1局

 先手の豊島は、相掛かりから序盤早々に研究手を見せる。対して藤井は飛車を中央に回し、さらに銀を「風」のごとく4手連続で中央に進軍させる。

 次に角道を開け、角と桂で中央突破を狙う、と誰しも思うだろう。

 豊島が飛車を浮いて反撃を見せたのに対し、藤井は左辺をケアすべく金を動かしたのだが、なぜか低い位置に構えた。

 この金の真意に気づいた棋士はおそらくいなかっただろう。豊島は歩を突いて、銀の退路を経ちつつ飛車の転回を狙う。ところが、ここで藤井は伏兵を用意していた。中央ではなく7筋の歩を突いたのだ。

 飛車を回られたらどうするのか。銀の捕獲と飛車成りの両狙いが受からないではないか。その答えは「竜を作らせる」だった。金を低く配置したのは桂を守った意味だったのだ。浅いところに飛車を成られるだけならば問題ないと。

 相手に竜を作らせ、それを放置して良しとは、一体どういう思考になればたどり着けるのか。

作戦を悟られないのはプロの世界では難しい

「戦いにおいては相手に行動を知られないように、悟られないようにせよ」。これが「知りがたきこと陰のごとく」の意味だ。しかし、将棋はポーカーや麻雀と違って確定完全情報(ランダムな要素が存在しない、すべての情報が公開されている)ゲームだ。

 作戦を悟られないのはプロの世界では難しい。しかし、その困難なことを藤井はなしとげている。

 そして先日行われた王将戦第1局。

 ▲8六歩。

 相手に争点を与えてしまう手で、先程の角銀の連打以上に今までのセオリーからしてありえない手だ。すぐに歩をあわせての継ぎ歩ができてしまう。指導対局でこの手を指されたら、私なら元に戻して「別の手を指しなさい」と言うだろう。それがこの大舞台で盤上に現れるとは、一体なにが起きたのか。

 立会人も解説者も騒然としたのは当然だ。立会の森内は、「何が起きたのか、すぐには分からないくらい衝撃的な手」と驚き、副立会の神谷広志八段は「▲8六歩がいい手だというなら、私が習ってきたことは、すべて間違いだったことになる」と頭を抱えた。

 私が驚いたのは指したタイミングだ。昼食休憩の6分前に指している。通常こういう手は休憩明けに指すものだ。先に手の内を明かしてしまうと、休憩時間に持ち時間を消費せずに考えられてしまうからだ。

指さずに休憩時間にゆっくり考えそうなものだが…

 今から32年前の1990年7月、私は前田祐司七段対東和男六段(いずれも当時)のB級2組順位戦の記録係を務めた。前田はこのとき36歳。順位戦初戦で、C級1組から昇級した19歳の羽生善治竜王に快勝していた。

 先手の前田が相掛かりに誘導し、序盤の駒組が煮詰まった場面。前田は1時間以上考えて、そのまま指さずに夕食休憩に入った。早見え早指しでNHK杯で優勝したこともある前田先生にしては珍しいなと思ったことを覚えている。

 そして休憩あけに戦いを起こし、巧みな指し回しで盤面を制圧する。東も1分将棋になるまで粘ったが、日付が変わった午前0時15分に前田が勝った。消費時間は、6時間の持ち時間のうち前田が5時間56分、東は5時間59分だった。

 私の師匠の石田和雄九段と前田が懇意にしている縁で、終わってから前田に誘われて深夜に紫金飯店に。そこで前田があの長考について語った。

「あそこでね、すぐに仕掛けると相手は休憩時間を利用して考えられてしまう。だから指さなかったんだよ」と。順位戦を戦い抜いた前田ならではの言葉に、21歳のわたしは「プロってすごいな」と思ったことを覚えている。

 そういう意味では、休憩まであと6分のタイミングに、わずか11分の考慮で▲8六歩を指すのはありえない。歩は後ろに戻れない。この手を指してしまったら後には引き返せないからだ。指さずに休憩時間にゆっくり考えそうなものだ。

金を動かすことなく指し進めたのにはたまげた

「相掛かりでは部分的に出る手。やってみようと思いました」と1日目を終えた後に藤井は語った。以前から考えていた手だが、普通の手だったからこそ、すぐに指したのだろう。

 とはいえ、私自身は8六歩そのものにはそれほど驚かなかった。以前、「将棋世界」の付録で取材したとき、若手棋士が「8七金型が優秀」と口を揃えて答えていたので、その形にするつもりなのかと思っていたからだ。石田によると、佐々木勇気七段もさして驚いてはいなかったそうだ。

 ところが、金を動かすことなく指し進めたのにはたまげた。

 渡辺名人もブログで「新時代の手という感じで1日目の昼から大長考を余儀なくされました。91分考えて先手の構想は▲8七金だと思っていたら、全然違いましたし」と素直に驚きを語っている。

 まさに知りがたきこと陰のごとく。

 この後は大熱戦になった。藤井が自陣角を打ったのを見て、金を斜めに前進させて中央を制し、守ることなく攻め合う。

 そして、双方1分将棋で20手以上指し進め、大詰めの130手目、渡辺が角を成った。次に銀を取れば藤井玉は詰む。この将棋での初めての「詰めろ」だ。普通ならば玉を逃げるところだが、ここで藤井は桂を跳ねた、あらゆる困難を乗り越えてきた「藤井の桂」だ。玉が逃げれば、そこで藤井も玉を逃げ、寄せ合いで1手勝ち。渡辺はこの桂を取ったが、藤井は鮮やかに詰まし上げた。投了以下は、渡辺玉は5五で桂打ちまでの都詰め(5五のマス目で詰むこと)。なんて美しい詰みだろうか。

動如雷霆(動くこと雷霆のごとし)――棋聖戦第1局

「動くこと雷霆のごとし」とは、「兵を動かすときには、雷のように激しく」という意味だ。

 雷と同じく攻めるのはエネルギーを使う。また相手に駒を渡すため、リスクも高い。しかし、藤井はリスクを恐れない。

 藤井の「雷」といえば、タイトル戦デビューとなった2020年6月の渡辺との棋聖戦第1局が思い浮かぶ。終盤藤井は猛攻し、渡辺陣に雷を落とし続けた。しかし、渡辺も反撃し、銀で桂を取る。誰しもがすぐに銀を取り返すと思った局面で、藤井はさらなる雷を落とした。

 ▲1三角成の王手だ。ここで王手するなど考えられない。控室ではどよめきがおきた。しかし、これこそが応手を見てから銀を取る駒を変えるという、詰将棋の「打診の王手」を応用した絶妙手だった。最後は自玉の不詰みを読み切って勝利。四冠ロードへの第一歩となった。

 王位戦第4局の猛攻、叡王戦第5局の金の進軍と飛車切り、竜王戦第4局の自陣を顧みずに玉のコビンへの強打。佐藤康光九段の丸太攻めに匹敵する攻めだ。

このまま終わるとは、とても思えない

 AIの評価値だけを見ていても、藤井が勝つ理由はわからない。

 自由自在にギアを入れ、ときには風となり、林、火、山、陰、そして雷となり、変幻自在攻めも受けもオールラウンダーの指し回し。陰のごとく思考が読めず、だからこそトップ棋士がミスするのだ。

 ただ、渡辺にしてみれば内容では負けていないという自負はあるだろう。この将棋も▲8六歩で時間を削られたものの、中盤はペースを握り、勝機はあった。

 これまで2度行われた棋聖戦五番勝負ではトータルで渡辺側の1勝6敗だが、中盤で悪くしたのは最初の対戦の2局だけだ。「冬将軍」とも呼ばれる渡辺がこのまま終わるとは、とても思えない。

(勝又 清和)

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​「娘を持った親心として、どんなに成長しても心配なのは変わらない」 吉田鋼太郎が考える令和の“ いい男 ”に欠かせないもの

2022年1月22日 11:00 文春オンライン

 伊藤理佐さんの漫画作品を原作としたドラマ「おいハンサム!!」で、主人公の伊藤源太郎を演じているのは、さまざまな舞台・映画・ドラマで観客を魅了し続ける俳優・吉田鋼太郎さん。東京の下町の一軒家に妻と暮らす源太郎には三人の娘がいるが、彼女たちは各々に事情を抱えているようで――。令和の時代の家族ドラマを、吉田さんはどのように演じるのか。

【写真】この記事の写真を見る(3枚)

台本を正しく読みとることが大事

吉田 伊藤理佐さんの作品は、吉田戦車さんとご結婚されたのをきっかけに読むようになったんです。もともと吉田戦車さんがすごく好きだったんで。

 伊藤さんのことはもちろん知ってはいたんですけど、女性向けだったので読む機会がなかったんですよね。読んでから、「もっと早くに読んでおけばよかった」と思いました(笑)。すごくおもしろい。

 今回、令和の時代に、いわゆる「昭和の頑固親父」を演じることになったわけですけれども、やはり昭和の頑固親父というと寺内貫太郎のイメージがあります。

 実際の昭和の親父というのはほんとうに酷くて、リアルなものはオンエアできないと思いますし、今の時代にはあわないので、もっとマイルドな、現代と融合した世界観になると思います。

 僕は向田邦子さんの作品がドラマもエッセイも小説も大好きで、『父の詫び状』も何度も読みました。いつかは『あ・うん』をやってみたいと思っているんですよ。向田さんの作品は、和やかな中に厳しさのある、絶妙な脚本ですよね。ああいうヒューマンドラマみたいな感じも出せるといいと思います。

 演じるときには、台本を正しく読みとることが大事だと思っていますので、今回の作品も、どこまでコミカルにできるか、リアルさを残しつつ演じていくのは手探り状態ではありますね。ドタバタ劇というよりは、じんわり面白い、そういう作品になると思います。

吉田鋼太郎が考える令和の「いい男」とは!?

吉田 三姉妹の父親役ですが、姉妹それぞれ個性がありますよね。僕は三匹の犬を飼っているんですけれど、三匹もいるとみんな個性が違いますから、人間の姉妹ならなおさらでしょうね。

 彼女たちにとってどういう男性が相手としていいか、どういう人が「いい男」というのかを考えると、やはり娘に優しい人でしょうか。大事にしてくれる人。

 自分にも、娘が生まれましたから、娘を持った親心として、どんなに成長しても、いつまでも心配なのは変わらないでしょうね。

「いい男」というのを考えてみると、人に接するときに、優しくできる人だと思っています。自分もそうありたいと思いますが、それがなかなか難しくて、できないことではあります。基本的に優しい心を持っている人がいいと思います。

 もうひとつ、今回のドラマは「食」もテーマのひとつなんですが、自分のなかでのこだわりは、食べる環境をきちんと整えて食べるということですね。食べるもの自体はなんでもいいんですが。

 たとえば、ダイニングを整頓された状態にするとか、家族一緒の食卓につくとか、食事中はスマホをさわらないとか、そういう環境が大事だと思っています。

よしだ・こうたろう 1959年生まれ。シェイクスピア・シアター、東京壱組を経て1997年に演出家・栗田芳宏と共に劇団AUNを結成。1999年、第六回読売演劇大賞優秀男優賞受賞(「ヴェニスの商人」出口典雄演出)、2001年、第三六回紀伊國屋演劇賞個人賞受賞(「ハムレット」出口典雄演出、「リチャード二世」山崎清介演出)、2014年、第六四回芸術選奨文部科学大臣賞演劇部門受賞(「ヘンリー四世」蜷川幸雄演出)。

INFORMATION

東海テレビ×日本映画放送 共同製作連続ドラマ フジテレビ系全国ネット 土ドラ「おいハンサム!!」

https://www.tokai-tv.com/io/oihandsome/
2022年1月8日スタート 毎週土曜日23時40分~
CAST:吉田鋼太郎、木南晴夏、佐久間由衣、武田玲奈、MEGUMI 他

 (出典:「オール讀物」1月号)

(「オール讀物」編集部/オール讀物 2022年1月号)

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《泥沼離婚裁判の実態》ボビー・オロゴンによる“素手で妻の愛車損壊事件”と“防犯カメラ持ち去り事件”が発覚! 妻は「刺されるのではないか」

2022年1月22日 11:00 文春オンライン

《妻DV暴行事件のその後》ボビー・オロゴンが4LLDDKKのプール付き豪邸を格安売却のワケ「現在は泥沼離婚裁判中」 から続く

 かわいらしい5人の子供たちに囲まれ、仲睦まじい親子としてバラエティー番組に出演し、お茶の間に親しまれていた人気外国人タレントのボビー・オロゴン(55)。しかし2020年5月、ボビーは自宅で妻に暴行したとして逮捕され、2021年5月には暴行罪で罰金10万円の判決が言い渡された。

《画像》「素手で妻の愛車を損壊した」ボビー・オロゴンの強靭な肉体

 文春オンラインの取材で、テレビ番組にも登場したボビー一家が暮らしていた豪邸が、現在は売りに出されていることがわかった。豪邸は「相場に対しては格安」(不動産会社関係者)で売りに出されており、家具や子どもによる落書きなど、そこかしこにいまだボビー一家の気配が残っていた(#1)。

 暴行事件から約2年――。

 DV事件後のボビー夫妻の関係は離婚と親権を争う泥沼の法廷闘争へと発展。裁判資料にはここへ至るまでの経緯と、ボビーが起こした恐ろしい“事件”が詳述されていた。

◆◆◆

日常的な心理的DV「妻を数時間立たせて叱責」

 原告となっている妻側の訴状によると、暴行事件の前から日常的に「心理的DVを受けていた」という。ボビーは日頃から妻を数時間立たせ、こう叱責していたという。

《「誰が稼いでいるんだ」》

《「この家のボスは誰だと思ってるんだ」》

《「オマエと話す気持ちもない。声も聞きたくない。顔も見たくない」》

《「(ボビーが出演した番組になぞらえて)1カ月0円で生活してみろ」》

 暴行事件の約2週間前の同年5月3日にはこんなトラブルもあったようだ。

 自宅に《3500万円の(借金返済を要求する)内容証明が届き、1年前から自宅が担保になっていた》ことが判明。ボビーは妻に《自宅を差し押さえられる前に早く売却したい》と、一方的に告げ、《越谷のアパートへ行くか、実家に行くよう指示された》という。

ボビーから暴言「借金もわけてあげる」「これは戦い」

 妻は学校へ通う子供たちのことを考えて「引っ越せない」と断った。しかし、ボビーは妻らが家を出ないなら《(妻とボビーが取締役を務めていた)映画企画会社B社名義で2000万円、(妻が代表を務めていた)不動産会社C社名義で2000万円を借りるように》と迫ったのだという。つまり、自宅の売却に応じないのなら借金の片棒を担げ、ということなのだろう。ちなみに妻は、C社の設立と自身が代表となっていることを、この時に初めて知ったと主張している。

 暴行事件が起きる前日の同年5月15日、3日間自宅を留守にしていたボビーが帰宅。そこで子供からの挨拶がなかったことに腹を立てて、妻と子供たちが住む自宅2階のガスを無断で止めた。

 夫婦関係はすでに危機的な状況にあったが、事件当日、ボビーは妻に《「実家に戻るか、離婚届を出すか」》と迫り、こう暴言を浴びせ威嚇した。

《「借金もわけてあげる」》

《「これは戦い」》

《「早く(離婚届を)出せよ」》

 そして、ついには暴行事件へと発展してしまったのだ。

「ボビー怪しいんだよね。女がいるかも」

 ここまで夫婦関係が壊れてしまったきっかけについて、妻は《2016年2月から夫婦関係が険悪になり、夫婦の会話はメールを通してだった》としている。2016年2月、ボビーに女性歯科医との不貞疑惑が発覚したという。この疑惑については、「週刊女性」(2021年6月15日号)でも触れられている。

 当時、妻は長女、次女、三女の留学先であるオーストラリアに滞在していた。次男を妊娠中で、臨月だった。

《二男ステップを妊娠中の際、ボビーが千葉の御宿に所有する別荘の近所に住む知人女性をオーストラリアによこした。知人女性がオーストラリアに到着するなり、原告(妻)に対して「ボビー怪しいんだよね。女がいるかも」と告げた。その女性曰く、平成28(2016)年1月下旬の朝、別荘に被告(ボビー)の車が停めてあり、挨拶に行くと、被告がその女性歯科医と共に別荘から現れ、「今から急に東京へ戻らないといけないからゴミを捨てておいて」と頼み、その女性歯科医をファーストネームで呼び捨てにして、助手席に乗せて走り去った。それまでも度々、女性歯科医を別荘に連れて来ており、親しい様子だった》

孤独のなか出産 妻子4人の生活費は月7万円

《妻がボビーを問い詰めると、すべて否定し、「オマエはそいつとオレのどっちを信じるんだ。オレを信じられないオマエが悪い」と逆上。臨月だった妻を攻め立て、ボビーのLINEのIDを削除し、妻と連絡がつかないようにした。妻は絶望の気持ちのままオーストラリアで出産に臨むことになった》

 3月2日の出産予定日が近づいてもボビーがオーストラリアに来ることはなく、実父のバースデーパーティーに参加するためにナイジェリアに滞在。妻は長女と、知り合って半年の現地の日本人の友人に立ち会ってもらい出産した。

 妻は2019年12月にオーストラリアから帰国。帰国後にボビーから渡されていた生活費は月に7万円ほど。ここから妻、次女、三女、次男の食費や雑貨類、被服費、教育費などを賄っていた。生活費のやりとりは次女を通して行われていたが、振り込みが遅れることもあったという。足りない時は独身時代の貯金を切り崩し、実家の親に工面してもらうこともあったという。

妻の所有する車のドアミラーを素手で損壊

 結婚後しばらくしてタレントとしてブレイクしたボビーだが、妻に収入や資産を明かしたことはないようだ。妻側はボビーに2016年に約2100万円、2017年に約1900万円、2018年に約990万円の所得があったことを証拠書類で提出しているが、不動産や株式などの資産については明らかにされていない。

 こうした経緯を経て、現在は別居中のボビー夫妻。事件後のやりとりは弁護士を介して行っているようだが、2020年7月15日、さいたま市役所でニアミスすることがあった。

 当時、妻は所用があり市役所の駐車場にワンボックスカーを停めていた。その場に妻自身はいなかったが、ボビーが妻の車を見つけ、なんと両ドアミラーを素手で損壊。この事実は浦和警察も認知しているという。妻が検事から聞いた話では、ボビーは損壊した理由をこう説明したという。

「妻以外の人間が運転してきたと思い、妻のために、車のために、乗ってきた何者かが車に乗れないようにするためにやった」

妻の自宅にあった防犯カメラを持ち去る

 ドアミラー損壊事件後、妻は《相手に刺されるのではないか》と恐怖心と不安感を抱き、同年7月末頃に自宅1階2階の出口付近に防犯カメラを設置した。その後しばらくして、8月25日14時頃に浦和警察から電話があった。

 ボビー側の弁護士が警察に連絡をし、「ボビーが目の前にいて『カメラを取って来た』と、本人がカメラを持っている」と報告したというのだ。警察と確認したところ、1階部分の防犯カメラが土台を残して持ち去られていた。

 妻は《著しい恐怖心に襲われた》とも語っている。

 2020年9月、さいたま地裁はボビーに対して、6カ月間にわたって妻や子供たちの住居、勤務先、学校の監視や徘徊を禁じ、妻と未成年の子供たちへの面会、電話、手紙、メールもしてはならないと「保護命令」を出した。

 一連の妻の訴えに対して、ボビー側も答弁書を提出している。

 暴行事件については概ね認めながらも、DVについては《プロ格闘家として活動していたこともあり、仮に本気で暴行を加えたら、相当程度の傷害結果が発生するはず》として否認。生活費については《適切な金額を送金していた。光熱費は被告が支払っており、妻と子は生活に困っていたわけではない》と反論している。不貞疑惑については、《原告の主張は推測にすぎず、歯科医はただの知人である。かかる推測を(訴状に)記載しなければならない原告の主張は薄弱なものである》として否認した。

ボビーの言い分の真偽 妻には「浪費癖があった」

 また、離婚を迫ったことに対しては《夫婦喧嘩の際に興奮して離婚を口にしたことはあるが、これは真意ではなかった》と訂正し、こう主張している。

《原告には浪費癖があり、原告が子に対して被告のためにならないことを述べていると推定しているが、なおも、婚姻関係を継続したいと考えている。被告と原告とのすれ違いの原因は日々の口論について、お互いの主張を譲らなかった点にあり、この点を改善すれば夫婦関係のやり直しは十分に可能であると思料している》

 さいたま市内に住む妻の実家を訪ねると、父親が対応。しかし「もう、うちは関係ありませんから」と語るのみだった。

 ボビーの所属事務所にも訴状に記載されていた妻側の主張について問い合わせたが、期日までに返答はなかった。

 泥沼の離婚裁判はどのような結末を迎えるのだろうか。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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「彼女たちに幸せな結婚をして欲しい」東京五輪前に引退するはずだった女子バレーの“魔女たち”

2022年1月22日 11:00 文春オンライン

「大松監督は女性の敵」根性バレー大批判の中で生まれた東洋の魔女の代名詞“回転レシーブ” から続く

 2012年のロンドン五輪で銅メダルに輝いた女子バレーボール日本代表。その監督を務めた眞鍋政義氏(58)が、2016年以来、5年ぶりに日本代表監督に復帰することが決まった。2012年10月22日、眞鍋氏はオンライン会見でこう述べた。

【写真】「私たちは100パーセント辞めるつもりでいたから」

「東京オリンピックで10位という成績にかなりの危機感を抱いている。もし(2024年の)パリ大会に出場できなかったら、バレーボールがマイナーなスポーツになる“緊急事態”であるということで手を挙げさせていただいた」

 女子バレーは2021年の東京五輪で、“初の五輪女性監督”中田久美氏(56)が指揮を執ったが、結果は25年ぶりの予選ラウンド敗退。1勝4敗で全12チーム中、10位に終わった。

 正式種目となった1964年の東京五輪で、記念すべき最初の金メダルに輝き、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレー。だが、その道のりは平坦ではなかった。半世紀に及ぶ女子バレーの激闘の歴史を、歴代選手や監督の肉声をもとに描いたスポーツノンフィクション『日の丸女子バレー』(吉井妙子著・2013年刊)を順次公開する。(全48回の11回。肩書、年齢等は発売当時のまま)

◆ ◆ ◆

宿敵・ソ連との世界選手権決勝

 鉄壁の絆を誇った東洋の魔女は1962年、いよいよソ連で開催された第4回世界選手権に乗り込む。決勝リーグ3日目の日本対ソ連が、事実上の決勝戦だった。

 60年にブラジルで行われた世界選手権で、ダークホースだった日本が2位になり“東洋の嵐”と驚かれていたが、翌61年の3大陸選手権などの欧州遠征で22連勝したことから、ソ連の新聞が“東洋の魔女”と命名。以来通称となり、ソ連の最大のライバルになった。

 会場となったモスクワのルジニキスポーツ宮殿には、ブレジネフ最高会議幹部会議長を始めとする政府要人がズラリと顔を揃えた。有人宇宙飛行を成功させ、一躍世界のヒーローになっていたガガーリン中佐夫妻も顔を見せた。

 大事な決戦の前、日本にはチームアクシデントが続いた。増尾が膝の関節を痛め、谷田は脚気を発症、宮本は予選リーグで右手小指を骨折、松村はブルガリア戦で顔面にスパイクを受け、片方の目が見えなくなっていた。故障がないのは河西と半田だけ。だがこれぐらいの怪我は練習中に皆経験している。

 河西や宮本は盲腸や中耳炎で手術したものの、抜糸もせず3日で退院し、傷口がかわかぬうちに練習したこともある。エースの谷田は、激しいスパイクを何度も繰り返し練習したため腹直筋の筋線維が切れ、もんどりうつような激痛に襲われたときでも、ヘソの周りに浮き出た内出血の跡に絆創膏を張って練習し続けたことがあった。

 全員がためらいなくコートに入った。

 辛い練習に耐えてきたのは、この日のため。絶対に負けるわけには行かない。河西が言う。



「先生はいつも言っていたんです。外国に行くと、審判とか気候とか食べ物のハンディがあるし、身体的にも劣っているから、五分五分では勝てないのはもちろん、6対4でもひっくり返される可能性がある。だから常に7対3ぐらいの実力を持っていれば、何があっても勝てるって。常にそういう意識で練習をしてきました」

 怪我人は多いものの、これまでの練習を思い起こし、ギラつく視線を相手にくれた。

 1セット目は失ったものの、2セット目からソ連の猛打を回転レシーブでかわし、第3セットもサーブ権を14回やり取りする場面はあったが、マッチポイントは日本が奪う。そして第4セットはチグハグになったソ連を大差で下し、日本は遂に世界一の座にたどり着いた。

 日本女子バレーの栄光の夜明けである。

 コートの6人は、込み上げるものを押さえ切れなかった。全員が肩を抱き合いながら、大粒の涙を流している。

「やったね」
「遂に、私たちはやり遂げたんだね」

 勝利の喜びと共に、彼女たちは大きな解放感に包まれた。これで心置きなく第二の人生を歩くことが出来る。若い磯辺以外はみな、この大会を最後に引退することを決めていた。

引退か、正式種目採用の東京五輪出場か

 1カ月後、会社からのご褒美の世界1周旅行を堪能し、日本に帰国すると、世界選手権に出発する前とは、周りの雰囲気が大きく違っていた。誰も彼もが、自分たちをキラキラした眼差しで見ていることに気がついた。

 世界1周をしている間に、日本では世界選手権で優勝したことがビッグニュースとして駆け巡り、東洋の魔女は一躍、ヒロインに祭り上げられていたのだ。

 河西は日本中の喜びの背景には、ソ連に勝って優勝したことが大きかったのではないかと言う。第2次世界大戦後、シベリアに抑留された日本人捕虜が大勢いた。劣悪な環境の中で苛烈な労働を強いられ、命を落とした日本人捕虜は6万人といわれる。その屈辱と怒りを東洋の魔女が晴らしてくれたといわんばかりに、日本中の目が彼女たちに集まっていた。

 しかも、2年後に日本で開催される東京五輪に、バレーボールが正式種目として採用されることが決まったばかり。多くの日本人が、女子バレーは金メダル確実と大きな期待を寄せた。

 東洋の魔女たちは、東京五輪はまるで頭になかった。会社にも、世界選手権後は引退すると伝えている。大松も同じだった。会社や日本バレーボール協会、五輪関係者から翻意を迫られても頑としてはね除(の)けた。大松は当時のインタビューにこう答えている。

「選手たちは皆、結婚適齢期を迎えている。僕は彼女たちに幸せな結婚をして欲しい。河西はもしやるとなったら31歳になる。29歳で辞めるのと31歳で引退するのでは、結婚の条件に雲泥の差が出る。そんなむごいことは出来ません」

 それでも、東洋の魔女たちに現役続行を求める声は止まなかった。

 大松は選手に判断を委ねた。河西が言う。

「先生は、お前たちがやるって言うなら僕も監督を続けるけど、お前たちがやらないなら僕は仕事に専念する。どうするかはみんなで決めなさいって。私たちは100パーセント辞めるつもりでいたから、毎日顔を突き合わせては、どうする? どうする? って、堂々巡りでした」

「自分の人生より、メンバーの方が大事だった」

 それにしても、母国開催の五輪の出場を選手に決めさせるというのは驚きである。大松がいかに選手の意思を尊重していたかが分かる。

 選手らは、河西がやれば付いていくし、引退なら自分たちも辞めるといい、下駄は河西に預けられた。河西は散々逡巡した挙句、世間の期待にはあらがえないと覚悟を決めた。肝臓を傷めていた増尾は引退を決めたものの、残る5人は東京5輪まで現役を続けることにしたのだ。宮本が言う。

「私は引退をするつもりで荷物もまとめていたけど、河西さんがやると決めた以上、私たちは抜けることが出来ない。日紡貝塚は完成したジグソーパズルのようなチームだから、1人でも欠けたら機能しなくなると皆分かっていましたからね。だから互いに迷惑をかけたくないから辞められなくなってしまったんです。私たちは自分の人生より、メンバーの方が大事だった」

 大松は10年の歳月をかけ、智恵と知識と全精力を注いで手がけてきた芸術作品が、東京五輪で金メダルを獲得し、遂に完成の瞬間をみたとき、得も言えぬ複雑な表情をした。

 日本中に日の丸が振られ、会場が沸き、選手が歓喜の涙を流している中で、ただ1人、どこか寂しそうな顔つきになっていた。大松は後に述懐している。

「あのときの気持ちはなかなか表現できない。何か、身体が床の底に沈んでいく気がしたんです」

 敗戦の影を引きずっていた日本人の心に夢と勇気と誇りを与えたとき、同時に大松の夢は終わりを告げたのだ。

「若い女性の中に男一人で…」全日本女子バレー大松監督が辞表を叩きつけた“婿探し”事件 へ続く

(吉井 妙子/文藝春秋)

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「若い女性の中に男一人で…」全日本女子バレー大松監督が辞表を叩きつけた“婿探し”事件

2022年1月22日 11:00 文春オンライン

「彼女たちに幸せな結婚をして欲しい」東京五輪前に引退するはずだった女子バレーの“魔女たち” から続く

 2012年のロンドン五輪で銅メダルに輝いた女子バレーボール日本代表。その監督を務めた眞鍋政義氏(58)が、2016年以来、5年ぶりに日本代表監督に復帰することが決まった。2021年10月22日、眞鍋氏はオンライン会見でこう述べた。

【写真】「別に金色のメダルがなくたって私の人生に困ることはないし」

「東京オリンピックで10位という成績にかなりの危機感を抱いている。もし(2024年の)パリ大会に出場できなかったら、バレーボールがマイナーなスポーツになる“緊急事態”であるということで手を挙げさせていただいた」

 女子バレーは2021年の東京五輪で、“初の五輪女性監督”中田久美氏(56)が指揮を執ったが、結果は25年ぶりの予選ラウンド敗退。1勝4敗で全12チーム中、10位に終わった。

 正式種目となった1964年の東京五輪で、記念すべき最初の金メダルに輝き、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレー。だが、その道のりは平坦ではなかった。半世紀に及ぶ女子バレーの激闘の歴史を、歴代選手や監督の肉声をもとに描いたスポーツノンフィクション『日の丸女子バレー』(吉井妙子著・2013年刊)を順次公開する。(全48回の12回。肩書、年齢等は発売当時のまま)

◆ ◆ ◆

「女性の時代」を呼び寄せた東洋の魔女

 東京五輪での東洋の魔女の活躍は、日本女子チームで初めての金メダルとあって、当時の日本人に大きな意識変革をもたらした。戦後からの復興を目論む日本人に大きな自信を与えただけでなく、主婦が外に出ることを後押ししたのである。

 東洋の魔女に影響を受け発足したママさんバレーは、全国に雨後の竹の子のように増え、68年には東京都家庭婦人バレーボール連盟が設立され、70年に第1回全国家庭婦人バレーボール大会が開催された。その熱は今でも脈々と受け継がれ、出場するチームは4000とも5000とも言われる。競技登録をせずともママさんバレーを楽しむ女性たちは数百万人にも上るという。

 女性は結婚したら家庭に入って家事と育児、という当時の社会環境の中で、東洋の魔女の活躍が日本の主婦たちに、エプロンを脱ぎ捨てさせ、軽やかにスポーツウエアに着替えさせた。社会的弱者だった主婦層が一挙に社会参加することにより、女性の時代を引き寄せることにもなった。

 もし、東洋の魔女たちがそれまで喧伝されていたように「やらされているバレー」を行っていたら、おそらく家庭の主婦たちもそこまでバレーに熱を上げなかったはずだ。彼女たちの闘う姿からスポーツの楽しさを見出し、自分らと何ら変わらない容姿の選手たちが、努力で世界の頂点にたどり着いたことに、「もしかしたら、自分も出来るのでは」と夢を持った。

「一緒に闘ったメンバーが私の金メダル」

 東洋の魔女たちの絆は、50年近く経った今もまったく変わらない。東日本大震災のとき帰宅困難者になった私は、河西と共にホテルのロビーで一夜を明かした。携帯電話の電池が切れそうになり、電話を持たない河西に最も連絡したい人に電話することを勧めた。河西がプッシュしたのは、子供たちや親戚の家ではなく、宮本の自宅番号だった。

 宮本の自宅は宮城県沖の震源地に近い茨城県日立市にあるとはいえ、チームが解散して46年も経つ、かつてのチームメイトに真っ先に電話しようとしたのは驚きだった。残念ながらつながらなかったものの、河西の想いは宮本のもとに飛んでいるようだった。

 かつてその宮本がこんなことを語っていた。金メダルはどこに飾っているのかと尋ねたときである。

「どっか簞笥の隅にでもあるんじゃない。別に金色のメダルがなくたって私の人生に困ることはないし。私には一緒に闘った5人のメンバーがいる。彼女たちが私の金メダルなの」

 実際は宮本の出身地である和歌山県が保存しているらしいが、彼女たちはもののメダルに関しては一向に執着心がないのだ。河西の考えも同じである。

「私はたまの取材などで、金メダルを見せてほしいといわれることが多いから手元においてあるけど、先生にはメダルより仲間をプレゼントしていただいたことに感謝したい」

 大阪から茨城まで現在住んでいるところはばらばらだが、それでも6人は、年に一度は何かしら理由をつけて顔を合わせる。

 会えば一気に昔話に花が咲く。笑って、笑って、解散の時間まで笑い続ける。箸が転んでもおかしい18歳に戻ってしまったかのようである。

 私も時折、その会に同席させてもらうことがあるが、彼女たちの笑顔を見ていると、かつて大松が雑誌のインタビューで語っていたこんな言葉が思い出されるのだ。

「苦しいことをすればするほど楽しい思い出が残る。選手にも、そういうことをするのが人間として価値があるものだ、だからスポーツをやるのは自分のためなのだ、という気持ちを植えつけているんです」

男性監督と選手たちの恋愛は?

 東京五輪に向け、大松と魔女たちが懸命に練習に取り組んでいた頃、口さがない世間は大松と選手たちの恋愛関係を噂することがあった。

 90年代後半、大松の妻・美智代をインタビューする機会があり、その疑問をぶつけたことがあった。美智代は大笑いしながら語っていた。

「私のところにも、若い女性の中に男1人で心配ないのかというお節介なものから、誰それさんを可愛がり過ぎているというものまで、いっぱい届きましたよ。でも、主人も選手も一度も疑ったことはありませんでした。12人ですよ、12人相手に恋愛できますか。誰か1人にもし、そんな感情が生まれたら、チームワークは必ず乱れます。主人と選手の間が近かったというなら、それは生死を共にした戦友みたいな感情でしょうね。また、それくらいの信頼感がなかったら、金メダルなんて獲れませんよ」

 美智代によると、大松は東京五輪が終わるとすぐ、選手らの婿探しに奔走していたという。恋愛結婚した半田以外は、大松が紹介した男性との結婚が決まった。

 しかし、最年長の河西の相手がなかなか見つからなかった。大松は会社に「五輪まで続けたら会社が責任を持って婿を探すといったはずだ」と直訴。しかし色よい返事がもらえなかったため、義憤に駆られた大松はその場で辞表を叩きつけた。

 翌年、池田勇人から佐藤栄作に首相が代わり、その祝賀パーティの席で、金メダルのご褒美に何か1つ欲しいものをプレゼントすると佐藤首相にいわれた、大松は、即座に「河西の婿を探して欲しい」と頼んだ。河西は佐藤栄作夫妻の紹介で、当時陸上自衛隊二尉の中村和夫とお見合いし、2カ月後に結婚した。

 美智代はさも残念そうに言う。

「主人は、河西さんのお婿さん探しをお願いしに行き、会社の不誠実な態度に怒ってその場で辞めてしまい、私物もすべて置いてきた。監督をしている間、選手1人ひとりのコンディションや練習メニューなどを書いたノートがダンボールに5~6箱くらいあったそうですが、それまで置いてきちゃった。もし手元にあったなら貴重な資料になっていたと思うんですけどね」

 そのノートが公になっていたら、大松が猛訓練をしたとはいえ、選手の意思を尊重し、仁慈に満ちた指導法が曲解されることなく、後世に伝わっていたかも知れない。

 大松は日紡を退社した後、中国の周恩来首相のたっての願いで大陸に渡り女子バレーを普及。その活動がやがて実を結び、中国は日本を脅かすアジアのバレー王国になった。

 その後参議院議員を一期務めた後、ママさんバレーの指導に行った岡山県で、78年11月、57歳で逝去した。

 大松が残した芸術作品たちは、今も輝きを失っていない。それぞれが家庭を持ち、子供を育て、義父母を見送り、孫たちに囲まれる年代になっても、6人の絆は固く結ばれたままだ。

(吉井 妙子/文藝春秋)

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「妻が相手宅に押しかけ警察も出動」RADWIMPSギター桑原彰(36)が妻子を置いて20代元モデルと“お泊り不倫”《直撃に本人は「ほぼ事実です」》――2021年BEST5

2022年1月22日 11:00 文春オンライン

2021年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。男性芸能人部門の第2位は、こちら!(初公開日 2021年9月16日)。

【画像】彼女の自宅マンションへ入る桑原とA子さん

*  *  *

 新型コロナウイルスの感染拡大により開催の是非が議論の的となった「FUJI ROCK FESTIVAL’21」(8月20日開催)で、人気バンドのRADWIMPSが俳優の菅田将暉(28)と共に「うたかた歌」を披露し、会場を盛り上げたのは記憶に新しい。

 実はライブ前々日の18日、RADWIMPSのメンバーでギターを担当する桑原彰(36)が、不倫相手である元モデルの女性(20代)の自宅に“お泊り”をしていた。「文春オンライン」特集班は、2人の仲睦まじい様子を撮影した――。

老若男女幅広い世代から支持を受け、2度の紅白歌合戦出場

 RADWIMPSといえば、ボーカル兼作詞・作曲を担当する野田洋次郎(36)を中心とした4人組の人気バンドだ。

 2016年に公開された映画「君の名は。」の主題歌「前前前世」が映画とともにメガヒットして以降、老若男女幅広い世代から支持を受け、これまで2度の紅白歌合戦出場を果たしている。2019年にリリースされたアルバム「天気の子」は、新海誠監督の映画「天気の子」のテーマ曲集でもあった。同アルバムは、日本アカデミー賞最優秀音楽賞、日本ゴールドディスク大賞を受賞。今年8月には人気漫画「ONE PIECE」のコミックス100巻、アニメ1000話放送を記念したドラマプロジェクトにも、楽曲「TWILIGHT」を提供している。

RADWIMPSを牽引し、プライベートでは第1子が誕生

「表舞台で何かと注目されるのは野田ですが、その野田をずっと支えつづけたのが桑原です。高校時代に2人は出会った。桑原は野田の才能に惚れ込み、高校を中退し、バンド一本にかけてきた。RADWIMPSを牽引してきたのは、実は桑原なんです」(音楽ライター)

 プライベートでは桑原は約10年前に渋谷の居酒屋で出会った女性と結婚、2019年5月に第1子が誕生したことを自身のインスタグラムで報告している。「バン活とパパ活がんばります」と、この時は“新米パパ”としての意気込みを語ったが、実は第1子誕生からほどなくして、桑原はA子さんに出会ったとみられる。

港区にあったA子が住むマンションの部屋に入り浸るように…

「A子は、子どもの頃からモデル活動を行っており、一時期は人気ファッション誌の専属モデルとしても活躍、CMにも出演していました。現在は雑誌の専属モデルは引退したものの、インスタには多くの根強いファンが残っていて、インフルエンサーとして活動している」(ファッションライター)

 約1年半前の2020年2月、東京都港区でおこなわれた某飲み会で桑原はA子さんを紹介されたという。桑原の友人が語る。

「仲をとりもったのはその界隈では有名な元アパレル会社社長のX氏です。彼は女友達が多く、芸能人に相手の好みの女性を紹介することで、人脈を広げてきた。ここ数年、クワさん(桑原)は奥さんとの仲がずっと冷え切っていて。子どもが産まれてもそれはかわらず、飲み歩く頻度が増え、X氏の会合にも顔を出すようになった。そこで出会ったA子と、気がついたらくっついていたという感じです。約1年ほど前から、クワさんは家になかなか帰ろうとしなくなり、港区にあったA子が住むマンションの部屋に入り浸るようになりました」

 桑原の“不倫”が妻にバレるのに時間はかからなかった。前出の友人が続ける。

慰謝料は「億超え」の可能性も

「クワさんの妻は、不倫の事実をつきとめると、直接A子の自宅に“乗り込んだ”そうです。凄い剣幕でA子の部屋のインターホンを何度も押し、最後は警察も出動するほどの事態になったそうです。クワさんは妻に謝罪し、『もう二度とA子とは会わない』と誓ったのですが……。子育ては彼なりに頑張っていたのですが、妻の信用を失い、家に彼の居場所はなくなってしまった」

 その後、A子さんが港区のマンションから都内の別のマンションに引っ越すと、桑原は再び妻の目を盗み、A子さんのもとへ通うようになった。しかし、2021年春、そのことが再び妻の知るところとなったという。

「これを機に、夫婦の仲は完全に終わりました。奥さんとは子どものこと以外、口も利かない、完全な家庭内別居状態になりました。クワさんは周囲に『妻が探偵をつけていた』と諦めモードで話をしており、離婚にむけての準備をはじめました。奥さんは、バンドが有名になる前からずっとクワさんを支えてきた。すぐに離婚届に判を押すことは拒み、離婚の条件として『億』を超える慰謝料や養育費を請求したようで、クワさんはお金をつくるためにあちこち奔走していました。奥さんはA子さんに対しても、彼女のインスタなどの SNSに抗議のコメントを送っていました」(前出・友人)

二人は裏口からA子さんの住むマンションへと入っていった

 6月、A子さんは再び、別のマンションへ引越した。そのマンションへ、再び桑原が通うようになったことは言うまでもない。

「文春オンライン」の公式ツイッターにも、今年春以降、港区内のバーで2人でいるところを見たという情報や、桑原がA子さんと都内遊戯施設でデートをしているといった目撃情報が次々と寄せられた。

 取材班が、桑原とA子さんのツーショットを初めて確認したのは、冒頭でも記した8月18日のことだ。この日の夜、桑原はA子さんと恵比寿の焼き肉屋で食事デートを楽しんだ。

 

 桑原とA子さんは時間差で店に入った。帽子にメガネ、マスクで変装した桑原は、店を出る際には、周囲の車の中を覗き、誰か見張っている者がいないかを確認するほど警戒していた。店を出て、スーパーで買い物をし、2人で夜道を歩く際も何度も後ろを振り返る。A子さんの自宅マンションに着いた際も、2人はマンションの裏口からはいる警戒ぶりだった。

盟友の野田洋次郎には言い出せず、内緒に…

 それから12時間後の翌日の昼すぎ、桑原は、A子さんの住むマンションから、今度はメインエントランスを通って出てきた。そして、翌日にはファンが待つ「FUJI ROCK FESTIVAL’21」に出演したのだった。

「クワさんは『離婚が成立するまではA子とは会わない』と奥さんと約束していたようですが、どうにも“我慢ができなかった”ようで、周囲も正直呆れています。いくら離婚前だからといって、まずは筋を通し、奥さんとの関係について決着をつけないと……。クワさんは、不倫の件については、盟友の野田くんにはどうしても言い出せず、内緒にしているそうです」(前出の友人)

記者の直撃に、桑原は「うわ……おわった」

 9月12日の昼過ぎ、桑原はA子さんと共に広尾駅近くのカフェでランチデートを楽しんでいた。取材班は前日も桑原がA子さんのマンションに入ったことを確認している。

 店から出てきた桑原とA子さんを取材班は直撃した。

――桑原さん、「文春オンライン」です。

「うわ……おわった」

 声かけと共に肩をガックリと落とした桑原。A子さんとの“不倫”について聞くと、「バンドに迷惑かけたくない。明日、必ず連絡するので時間をください」と語った。その後、雑談には応じたものの、A子さんの自宅に妻が押し掛けた件や高額の慰謝料については、曖昧に言葉を濁すだけだった。

A子さんはキョトンとした表情で直撃に答えた

 一方のA子さんは桑原と記者のやりとりをやや距離を取って、眺めていた。別の記者が、A子さんに質問をすると、最初は黙っていたものの、記者と桑原が話しをしていることを確認した後、徐々に口を開いた。

――桑原さんとはお泊りする仲?

「……してますね」

――桑原さんと奥さんが離婚のための慰謝料を巡って、もめていることは知っていますか?

「あんまり聞かないようにしてる。奥さんの話は」

――過去に奥さんに(不倫が)バレて、警察沙汰になったのは事実?

「……(頷く)」

――桑原さんと奥さんの話は2人の中でタブーで、しないようにしているのですか?

「しないです、しないです」

 直撃後、何度もため息をついた桑原とキョトンとした表情のA子さんはタクシーに乗って、その場を去った。別れ際には桑原は「A子には、配慮してください、僕が悪いので……」と、A子さんのことを気遣っていた。

 翌日、記者に直接電話をかけてきた桑原は、「昨日質問頂いたことは、ほぼ事実です」とだけ、か細い声で話したのだった。(後編へ続く)



「文春オンラインTV」では本件について担当記者が詳しく解説している。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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