通算6度目のワールドカップが目前に迫っている日本代表。今回のロシア大会は、初出場となった1998年のフランス大会から20年の節目でもある。そこで過去の日本代表ユニフォームを振り返ってみよう。まずはドーハモデルから!
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日本代表 ドーハモデル
ドーハモデルとは、1992年から96年にかけて使われたデザインのユニフォームのこと。「ドーハの悲劇」を象徴することからそう呼ばれるようになったが、悲劇とは直接的に関係がない時代も含めて一括りにそう呼ばれている。
ドーハモデルはadidas、Puma、asicsの3社が持ち回りで担当していたが、ユニフォーム自体は共通のデザイン。さらに同じ年でもA代表はadidas、U-22代表はasicsという感じに年代別でメーカーが異なっていて、一言で表すなら「大変ややこしい」時代だった。
代表ユニフォームはそれまで既成のデザインを使用していたが、このドーハモデルで初めてオリジナルのデザインが登場。日本代表エンブレムに描かれている八咫烏(ヤタガラス)の羽をモチーフにしている。
日本代表 1993年モデル
メーカー:Puma
Puma製「ドーハモデル」のアウェイキット。元々は92年のアジアカップのために用意されたが使われず、公式戦デビューは93年のワールドカップ・アジア最終予選だった。
写真は韓国代表戦。日本代表の3番は勝矢寿延、4番は堀池巧。韓国代表の選手は盧廷潤(ノ・ジュンユン)で、当時サンフレッチェ広島に在籍していた。
パンツはブルー、ソックスはホワイトを基調。これがアウェイキットの基本スタイルだった。
同じくアジア最終予選からイラン代表戦の一コマ。柱谷哲二はチームキャプテンとしてチームをまとめた。
日本代表 1994-95年モデル
メーカー:asics
94年はasicsがA代表のキットを担当。翌95年のダイナスティカップまで使われた。
写真は94年10月に広島で開催されたアジア大会のカタール代表戦。三浦知良は11番を付けて大会に臨み、2得点している。
胸部をアップで。この独特なグラフィックはそれまでのユニフォームとは全く異なり、当時は衝撃的ですらあった。1993年にはJリーグが開幕したこともあり、日本サッカー“新時代の幕開け”を感じるデザインだ。
同じくアジア大会で、レアなトラックジャケット姿。襟のストライプが印象的だ。
日本代表 1995-96年モデル
メーカー:adidas
山口素弘が着ている最後のドーハモデルはadidasが担当し、95年から96年にかけて使われた。メーカーロゴはトレフォイル(三つ葉)だ。ドーハモデルが92年に初登場した際のサプライヤーはadidasだったので、一周して戻ってきたという表現が適切かもしれない。
96年2月にはオーストラリアに遠征して、オーストラリア代表と2試合戦っている。三浦知良が出場した2戦目は0-3で敗れた。
この遠征直後に香港で開催されたカールズバーグカップに出場。同大会を最後にドーハモデルはその歴史に幕を下ろすことになる。