J-WALK(現:JAYWALK)の1stアルバム『Jay-Walk』、1stシングル「ジャストビコーズ」がリリースされたのは1981年6月1日。すなわち、今年デビュー40周年を迎えたことになる。幾度かのメンバーチェンジを経て、現在も元気に活動中のバンドである。今週はそんなベテランバンドのアルバムを紹介。東京オリンピックもほぼ無観客になり、選手たちに直接、声援を送ることができない…“まさに「何も言えなくて…夏」だなぁ”なんてことを考えて選んだわけではないので、悪しからずご了承くださいませ。
大人向けの情緒と成熟
40年ものキャリアを誇るバンド、J-WALK (現:JAYWALK)。彼らの熱心なリスナーではない筆者としては、本稿作成にあたってネットでその情報を漁ることになったわけだが、このバンドには“大人”という形容がわりとついていることに気づく。“大人のロック”、“大人のポップス”、“大人のラブソング”、“大人のサウンド”…そんな具合だ。ちなみに、彼らには「小さな君と八月の彼(とりあえず大人)」というレパートリーがあることも、“J-WALK 大人”でググって知った。まぁ、それはさておき──J-WALKの何が“大人”なのか。何を以て“大人”という形容がされているのか。その辺を、彼らの代表曲「何も言えなくて…夏」、そのオリジナル曲と言える「何も言えなくて」が収録されたアルバム『DOWN TOWN STORIES』から、恐れ多くも分析、検証してみようと考えた。 “大人”の基準はかなり曖昧なものであろうから、その辺は完全に独断となるが、あまり私見を入れず、それなりに平均的な基準の基で語りたいとは思う。そんな今週である。
アルバムを順に見ていこう。M1「DAYBREAK & DAYBREAK (Inst.)」はインストである。ややオキナワンを感じさせる主旋律はエレキギター。そこにシンセも重ねられている。曲が進むとギターの音圧も上がっていき、決しておとなしめではないけれど、テンポはゆったりとしている。バックに波の音で何とも雰囲気がある。そこに喧噪はない。エレキギターはロックな音像であろうが、少なくともキッズ向けでないことは間違いないだろう。ここにある情緒は大人向けだ。
そんなM1に続くのがM2「真冬のオン・ザ・ビーチ」。これはタイトルからしてアダルトではある。ビーチが大体、夏のものであることは、TUBEを聴くまでもなく、みなさん理解できるだろう。それを真逆の季節に持ってくるというのは、それ相応の見識、人生キャリアがあることの表れと言っていい。イントロからリズミカルに鳴るシンセの音、ドゥワップ的なコーラスワークからすると、そこがことさらに強調されているわけでもないけれど、いわゆるクリスマスソングと言ってもいいかもしれない。その一方で、サウンドはユニークで、間奏のシンセ(たぶん鍵盤だと思うが、もしかするとギターシンセかもしれない)はハワイアンな感じというか、明るくファニーな音色。アウトロで聴こえてくるギター(だと思う)のカッティングもなかなか個性的で面白い。クリスマスソングだからといって、もろにそれっぽい装飾をするだけではないところに、バンドの成熟さを感じるところではある。歌詞も渋い。
《長い歳月には/夏と同じ数の/暗い冬があること/忘れてないさ今の俺は》《つぎの夏は/ここには来ないよ 俺/終らせたくない/目の前の恋を/二度と離したくない》(M2「真冬のオン・ザ・ビーチ」)。
年齢を重ねなければ言えないというか、少しばかり含蓄を感じる内容ではあって、これが“大人のラブソング”なのかと独り言ちたところである。
M3「Thousand miles」もテンポはゆったりめ。イントロのメインはギターが務めているが、これも少しばかりハワイアンっぽい印象。派手さはないけれど、確実に自己主張している流麗な響きだ。そのギターは歌が始まるとヴォーカルに絡み、ブルージーな雰囲気を醸し出す。ヴォーカルはエモーショナルでありつつ、どっしりとした感じで、それに呼応したのか、間奏のエレキギターもそれまでと打って変わって太めの音を出しているのも聴きどころだろうか。そこに重なるサイケな感じのコーラスも興味深く、この辺もまたこのバンドの懐の深さが発揮されたものと見ることができると思う。歌詞は、そもそもこういうができるのは18歳以上であるし、わりと落ち着き払っているので、もっと齢上であることは間違いない。
《眠りにつく街や/やっと目覚めた街を/貫いて走る/この道が好きだから》《1000(a thousand)miles/君の声 聞きたくて/1000miles/俺はもうここまで来た》《しがみつく思い出も/退屈な毎日も/走り続ける俺に/追いつけはしないだろう》(M3「Thousand miles」)。
そして、件のM4「何も言えなくて」を迎える。歌詞の世界観を知ってしまった今、改めて聴くと、意外にもポップなサウンドで少し驚く。溌溂としている…とは言わないけれども、4つ打ちのドラムといい、エレキギターの奏でるメロディーといい、別れ歌の印象は薄い。この辺はサウンドと歌詞の対位法ということなのだろうか。それでいて、歌はメロディアスではあるものの、カラッと突き抜けていくわけでも何でもなく、総合的にポップさ全開ではないので、大きな違和感を持つほどにはならないのだが…。歌詞は言うまでもなく、実に味わい深く、ここで描かれている手遅れ過ぎる後悔の念は、人によっては鋭く深く突き刺さるものかもしれない。
《綺麗な指してたんだね 知らなかったよ/となりにいつも いたなんて 信じられないのさ/こんなに素敵なレディが俺 待っててくれたのに/“どんな悩みでも 打ち明けて” そう言ってくれたのに》《"私にはスタートだったの あなたにはゴールでも"/涙浮かべた君の瞳に/何も言えなくて ただ"メリークリスマス…"》(M4「何も言えなくて」)
冬の歌だったものをのちに歌詞を変えて夏バージョンとして、それが大ヒットしたのだから、もともとその世界観が相当しっかりしていたことは間違いなかろう。
大人な目線、ロックなスタンス
…と、ここまでは、“大人のラブソング”であり、どちらかと言うと“大人のポップス”寄りのJ-WALKと言えるが、以降は“大人のロック”の顔も見えてくる。M5「自由を纏う女」はまさにそうだと思う。言葉を恐れずに言うのならば、このM5はちょっと不思議な楽曲だ。街の雑踏、ノイズのSEから始まるのはM1と雰囲気が真逆である。そして、イントロではギターとベースのアンサンブルをバックに、浮遊感あるシンセが流れる。歌が入ってからは、コード弾きのシンセが重なったり、サビでは若干旋律は変わるものの、基本的にはそのアンサンブルが続いていく。1番終わりで大道芸っぽいドラミングが入って以降も、ギターのフレーズが少し違うものになるようだが、やはりベーシックは同じ。淡々と…と言っていいテンポ、抑揚で楽曲は進む。歌はメロディアスなので、決して聴きにくくはないけれど、ノスタルジックと言えばそうだし、奇妙な世界を覗き込んでいるような感覚を与えられるナンバーである。
《デジャブのように 何処となく/ふられる事 知ってた君が/別れ際に笑ったのは/聞き憶えのある台詞》《ガラス越しに横目でみる/ストローをくわえたまま/映画のような恋がいい/2時間だけの恋》《愛を告げるなら/字幕をつけてと/困らせるジョークがいつか/本気になってる/自分が見えない/気づかずに 今夜も眠る》《だれもいない君の心の/隅に小さな扉がある/「危険」と書かれたその扉を/見つめる君が見える》(M5「自由を纏う女」)。
歌詞ははっきりとした物語が綴られている様子ではないが、そこにあるキーワードからするとシニカルな視点はあるようだ。サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」に近いメッセージ性を感じるが、どうだろうか? そう考えると、それは完全に大人な目線だし、世間に物言うスタンスはロックだと思う。
M6「夜を抱きしめて」は全体のテンポ感といい、ギターやエレピのディレイの深さといい、正調AORと言って良かろう。AOR=アダルトオリエンテッドロック。まさに大人な指向である。ちょっと大陸風なメロディーもいい雰囲気だ。
《自分が嫌いだと 君は心/閉じ込めるけれど/すぐに忘れられる そんなこと/夢が醒めるように》《夜を抱きしめて……/涙があふれても さよなら言えたなら/誰かが待っている》(M6「夜を抱きしめて」)。
歌詞は包み込むような温かさを孕んだ内容である。ある意味でM5とは真逆と言えるが、“飴と鞭”ではないけれど、批判だけでなく、こうした姿勢を持っているのは流石と言える。
M7「You're my friend, revival」は、M6ほどにはまったりとした感じではないが、これもAORと言っていいだろう。メロディー、サウンドもさることながら、とりわけ歌詞が大人な指向だ。
《窓ガラスに雨が降るあの夜のHotel/でも二人して 抱き合って/夜の街並 眺めたね/いつの日か You're my friend/そう呼べる日までさようならEmmey/この街を離れてみるさ》(M7「You're my friend, revival」)。
シチュエーションもそうだし、主人公の秘めた想いも、多分アダルトだ。
ニヒリズムとダンディズム
M8「誰も知らない心の底に」はアカペラ。M2でのドゥワップ風をはじめ、随分随分で印象的なコーラスワークを聴かせていたので、“なるほど、こういうこともできるのか”と納得するやら関心するやら、これもまたバンドの懐の深さを感じさせるところである。
M9「ラストシーン」もまさにAORだろう。ベースラインがおもしろく、バンドらしいアンサンブルが聴ける上に、ギターは案外、重めでノイジーなところで、アダルトオリエンテッドロックの“ロック”の部分が前に出ている印象ではある。歌詞も含めて、まさに“ラストシーン”に相応しい雰囲気ではあるが、『DOWN TOWN STORIES』はまだ終わらない。ことさらにアンコール的…というわけでもないけれど、M10「Good luck! My friends」、M11「旅立つ時」が用意されている。
まずM10。M9から一転、キャッチーなギターから始まるポップチューン。ハードロックなテイストも感じられ、のちのJ-POP、J-ROCKへの地続き感があるというか、穿った見方だろうが、1990年頃のバンドブームとの関係もうかがわせる。興味深いのは歌詞だ。
《ようこそこんな時代へ/アンモナイトを越えて/血と汗と涙/乗り越えたけれど》《いつのまにかこんなに/仲間が増えてたね/あふれてこぼれた/誰かが泣いてる》《どんな朝に目を覚まし/どんな夜に震える/うわさの通りに/滅びるつもりか》《いついつまでも どこまでも自由で/なんて思うなら ちょっとつらいけど/“ツケ”を払うことだろう》(M10「Good luck! My friends」)。
アルバムのフィナーレ、M11「旅立つ時」もまたハーモニーが強調されたナンバー。ピアノも入っているのでアカペラではなく、ゴスペル風味と言ったところか。声の圧しも強く、迫力がある。
《さよなら 心の水たまり 乾いたら》《遠い国へ行こう 夢の船に乗って/涙の海を越え/うれしかったことや 楽しかったことを/宝の箱に詰め》(M11「旅立つ時」)。
本作収録曲の歌詞はバッドエンドばかりじゃなく、M2、M3、M9辺りはハッピーなだけに、どうして《遠い国へ行こう》となってしまうのか、人生経験の浅い筆者は上手く説明できないけれど(M7もそうだ…)、ある種のニヒリズム、ダンディズムは感じる。乱暴に言えば、はっきり理解できない世界であることもまた、大人の世界と言えるかもしれない。
アルバム『DOWN TOWN STORIES』からは、やはりJ-WALK は“大人”であることが理解できた。改めてジャケットを見てみると、この時のメンバーが表と裏とに分かれて写っている。中村耕一(Vo&Gu)、知久光康(Gu)、杉田裕(Key)、田切純一(Ba)、中内助六(Ba)の5人。画が若干逆光気味で、サイズも大きくないので、完全に目視できたわけではないが、どうやらメンバーは全員、髭を蓄えている。これもまた彼らが“大人”である何よりも証拠ではあるように思う。
TEXT:帆苅智之