長崎市青山町の住宅団地内を通る私道をめぐり、所有する福岡県の不動産管理会社が道路の一部を封鎖して「通行料」を求め、大きな話題となっている。
報道によると、住民側は「日常生活に困る」などとして、封鎖解除などを求める仮処分を長崎地裁に申し立てたと発表。業者と住民側の対立が深まっている。
そもそも、「私道」とはどのような扱いなのか。今回の問題はどのように終息すると考えられるのか。「不動産執行」を生業とし、私道をめぐるトラブルにもたびたび出くわすというニポポさんに意見を聞いた。
住民側は「通行権」を主張
団地に接道する主たる道路が私道。そんな私道の権利者がある日突然、「車両通行を認めない」とした場合、陸の孤島に取り残された団地住民の文化的生活はどうなってしまうのか。このような「思考実験」や「禅問答」にも似たトラブルが実際に発生してしまった。
1960年代後半以降を中心に開発され、100世帯以上が住む団地。この団地に接道する私道の権利者である民間の不動産管理会社が、団地住民1世帯あたりに対して月額数千円~1万円程度の「通行料」を求め、応じない場合は緊急車両以外の車両通行を封鎖するとしたのだ。もちろん、住民側からは不満が噴出することになり、「通行権」があると主張しているようだ。
私道を接道とする住民にとっては「不動産価値の暴落」という背筋が凍るような恐怖の事例だが、不動産投資の観点からは「新たな投資の形」という好機と捉える向きもある。今回はこの問題について考えてみたい。
私道の「私」性とは
「私道」と一言で言っても、実際には私道ランクのようなものがいくつか存在する。
私道には所有者のみが使用しているケースもあれば、地域住民の多くが使用しているケースもあり、大まかに言うと、どれだけの人が利用しているかで私道の「私」性が薄まっていく形となる。
今回の場合、団地に住む100世帯以上の住民が生活する上で日常利用する「生活道路」であるため、私道の全体或いは一部が「建築基準法上の道路」とみなされている可能性が高い。
となれば、公的に道路と考えられている私道であるため、権利者とはいえ通行を一概に封鎖することは困難だ。
対して、団地住民側の主張する「車の通行権」という法的解釈はあまり聞いたことがない。
「通行権」はあくまでも、人が暮らす上で、道路に出るため隣地を通行する最低限の権利とされている。複数人の往来を考慮しても、横幅で言えば半間(約91センチ)程度でしか考えられていない。仮に「車の通行権」というものを認めるとなってしまえば、日本全国で突然、横幅2メートル、或いは道路として4メートルを明け渡さなければならない―という事例が頻発することにもなりかねない。
私道単体の価値は
では、市場価値・土地価格という側面から私道を眺めてみるとどうだろう。
競売でも、私道が単体で出てくるという珍物件は極めて珍しいながらも、ないことはない。
値付けの立ち位置から言わせてもらうと、ハッキリ言って価格はゼロ円に近い。私道の権利を持っているということ自体は重要なのだが、あくまでも接道する不動産ありきの話であるため、単独価値は低く転用も難しい。おまけに今回のような強い権利主張が認められる可能性も低く、利用用途が見出せないからだ。おそらく今回の私道も固定資産税の対象となっていない可能性があり、対象であったとしても少額の支払いしか求められていないだろう。
それでも、私道単体に値段を付けなければならないという場面では、大抵近隣の宅地価格の5~10%程度という、消費税増税のキャッシュレスポイント還元程度の価格に収まる。そうなると、私道権利者が求める「1世帯あたり月額数千円~1万円程度」という通行料は、私道の価値から考えてもやはり割高感が否めない。
電力会社が個人の敷地に電柱を建てているケースでは、年間数百円~数千円が土地権利者に支払われているが、これらと同等の額が、維持管理費を除いた団地住民全体として支払うべき通行料の引き合いに出されてもよいレベルではないだろうか。
今回の事例では私道の補修や整備といった費用は団地住民側が負担していたとの情報もあるため、やはり通行料は少額なものとなる可能性が濃厚だ。
では、私道の権利者は団地住民に対して何も求められないのかといえば、それもまたそうではない。
団地住民が私道の恩恵に与る暮らしをしていることは間違いないので、同様のケースでは次のような折衝案が必要となることが多い。
【案1】団地住民全体として、各世帯が負担と感じないような少額の通行料を自治会予算などから私道権利者に支払う
【案2】私道権利者が、団地住民側に私道の全体または一部を買ってもらう
【案3】団地住民側が私道権利者に対し、通行権と相殺で団地内の土地に持ち分を与える
このような案で双方が和解できるポイントを探るというのが、これまで見聞きする事例で事なきを得てきた主な手法だ。
3000万円での購入を「拒否」
実際に今回の事例でも、私道所有者側から私道全体を3000万円で購入するよう打診があり、これに住民側が応じなかったという情報もある。
3000万円という額は、先に言及した私道単体の値付けという観点からも割高感の否めない額であるため、住民側が応じなかった点も理解できる。しかし、団地住民にとっては「接道」という欠かせないパズルのピースでもあるため、少々色を付けた額で折り合いをつけなければならないという課題も残されている。
このような公共性の高い私道、道路と考えられている私道の維持管理費は、行政の補助金対象となることがほとんど。今回の事例でも、自治体側が私道の寄付を受け付けるために必要な補修や整備に対して9割の補助金を出すことを、渦中の不動産管理会社に伝えるとしている。
行政側からすると、このような関わり方くらいしかできないのが私道なのだ。私道権利者が私道を自治体に寄付しようとしても、自治体が設ける条件に合致しないとして寄付が認められないことは少なくない。
どんな着地になるか
では、最終的に私道権利者と団地住民の折り合いがつかず裁判となった際にはどういう着地点が待っているのか、という点にも触れてみたい。
これまで見聞きしてきた事例を参考にする限り、どちらかが全面的に勝利ということにはならず、先に上げた例を代表とする折衝案で和解条件を探ることになるだけだろう。裁判をしようがしまいが、結局はお互いが譲歩して妥協点を模索するしかない。
万が一にも画期的な判決が出され、団地住民側が主張する「車の通行権」が認められた場合にも混乱が広がることになるだろうし、私道権利者側が主張する額での「通行料」が認められた場合もまた、日本全国で私道の買い占めや通行料の請求が頻発するなど混乱が広がることになってしまう。
結果的に「痛み分け」といえるような和解。新たな不動産投資の形ともならなければ、通行権が拡大されることもなく、私道所有者の主張もある程度は認められるものの、騒動に対する労力が惜しく思えてしまうほどの微々たる実入り。団地住民側はこれまで通りの通行が可能とはなるものの、無料でとはいかない。そんな着地点が関の山といったところではないだろうか。
もちろん、強制封鎖といった手段が用いられた際には、往来妨害罪の適用が争点となる。ただ今回の事例では、車の通行は封鎖しているものの住民の通行権自体は侵害しておらず、他のルートを使えば往来が可能な1カ所だけの自動車通行封鎖であるため、判断も難しくなってくる。
なぜ開発許可が下りたか
そもそも、接道の大部分を私道に頼るという団地の開発に対し、なぜ開発や建築の許可が下りていたのか―という疑問について。都市計画法では1971年以降に開発が許可された団地の道路は原則として自治体の管理になるが、今回の事例では開発が1960年代後半ということで適用外だったようだ。
差し押さえ・不動産執行の現場でも、数十年が経過する不動産では、申請業者の抜け道的手法によって接道がまったくないという事例に出合うことすらある。
多くの人が住むことを想定した居住地で、接道の大部分を私道に頼るという開発はあまり聞いたことがない。戸建ての場合でも、多くのケースで今回のようなトラブルを未然に防ぐため、私道権利者側との覚書や同意、何らかの書面に対する捺印を条件としている。
私道権利者の代替わりなどで私道利用の契約や経緯が失われているケース、そもそも口約束のみで話が進められていた事例からトラブルに発展するケースも少なくない。今回の事例でも、渦中の不動産管理会社が以前の権利会社から今春に該当の私道権利を入手したという報道があるため、当初の経緯が失われている可能性も否定できない。
私道をめぐるトラブルの発生経緯に関しては、通行利用者と私道権利者の間に確執や怨恨があるという例が多く、今回のように不動産管理会社が「経済活動」として行動を起こすことは極めて珍しい。
「モヤモヤ」のままで
昔から、不動産取引に関わるものの間には「道路半値」との言葉がある。接道に問題がある不動産は、価値が半減するということを意味するものだ。
なんだかんだで全国ニュースになってしまった今回の事案。多くの人が該当団地を「接道に問題あり」と認識することになったかもしれない。そうなると、団地住民側が「今回の騒動のおかげで不動産価格が下がった」と訴訟を起こした場合はどうだろう。
これは騒動前の不動産価格推移、騒動後の不動産価格の推移や同様他地域との差、このような情報を調査して歴然たる価格下落を立証する責任が生じるため、それなりのコストがかかる。そのコストをかけた立証と思われるデータが認められる可能性は、未知数だ。
というわけで、結局このような「私道通行を巡る封鎖や通行料」というトラブルでは、双方がモヤモヤとしたまま終わるケースが多い。今回の事例もまた、「モヤモヤ」の範疇に収まる収束となる可能性が高い。
それでも多くの人にとって、「私道」や「接道」についてあらためて考えさせられる、またとない機会になったのではないだろうか。
(ニポポ)