2013年に代々木公園の近くにオープンした『365日』は、パンを中心とした食のセレクトショップだ。この店名には、「365日の食の積み重ねが人の心と体をつくる。日々の食事が大切なんだということを感じながら、心と体にいいものを食べていって欲しい」という思いが込められているのだとか。そのため、添加物を含む食材は徹底して使用せず、安心して食べられる無農薬・減農薬の国産食材を使用。またベーコンなどの加工品もすべて手作りだ。
オーナーシェフの杉窪章匡さんは『365日』をはじめ、自身がプロデュースする店を次々と繁盛店に導いてきたヒットメーカーとして知られている。そんな彼に、「ヒット商品を作るコツ」や、「客と従業員双方から愛される店の作り方」について話を聞いた。
食べ歩きで味覚を磨く
雑誌のパン特集では必ずと言っていいほど掲載される『365日』のパン。数々の人気商品を生み出してきた杉窪さんだが、じつはパンに関する修行期間は1年程度である。その代わり、様々な店で働きながら、お菓子やパン、フレンチ、イタリアン、スペイン料理、和食という順に食べ歩き、味覚を磨いたそうだ。
「違うものだと思われがちですが、お菓子も料理もパンもコーヒーも、基本的には全部同じなんですよ。素材がそれぞれどういう性質を持っていて、それらを合わせたときにどういう化学変化が起きるのか。根拠のある理論を持ち、自分で食べて磨いた感性でジャッジすればいいんです。料理には詳しいけど、美味しくないものを作っている人って結構います。その人たちに共通するのは、食べ歩きをしていないことです。『忙しくて食べに行く暇がない』という人もよくいます。でも、恋人と付き合い始めのころは、無理してでも会いにいきますよね? 『今日は忙しくて会えない』と言い訳するのって、大体、気持ちが冷めているときじゃないですか。料理も同じです」
国内外のあらゆる料理を食べ歩いた杉窪さんは、「客の視点で食べるプロ」でもある。商品を開発する際には、自分が作りたいものを作るのではなく、買う人の気持ちになって作る。例えば、「あんパンを買う人はあんこが食べたい。だから1回目の咀嚼であんこが舌に当たるようにしよう」と計算して仕込む。パン一つひとつに狙いや意図があり、その結果どのジャンルのパンにもヒット商品が生まれた。
「僕はヒット商品を狙って作れるんです。ポイントの一つは、できるだけたくさんの人に『美味しい』と感じてもらうこと。素材のこだわりや味って、作り手が狙った通りに食べ手に理解してもらうのは難しいんです。唯一、誰が食べても作り手が狙った通りに受け取ってもらえるのが食感です。モチモチ、フワフワ、トロトロ、サクサクしているという食感は子どもからお年寄りまで共感が得られます。例えば、うちの人気商品のクロッカンショコラは、パールクラッカンをびっしり乗せています。粒状のチョコレートがサクサクとした食感のアクセントになるし、見た目の楽しさにも一役買っているんです。これはオープン当日に試作せずにいきなり出したのですが、頭の中に計算つくした完成形があったので、それが可能でした」
ほかにも、パサつきがちな日本の製パン法を見直し、しっとりとした口溶けに仕上げたブリオッシュや、ヤドカリのようなシェイプでサクサク感を強調したクロワッサンなど、食感に特徴のあるパンが、食べ手に「美味しい!」という感動をもたらしている。
※柔らかなブリオッシュ生地にガナッシュを絞り、パールクラッカンを乗せたクロッカンショコラ
経営者に必要な資質は「モテること」
杉窪さんのパン作りにおける基本的な考えは「リノベーション」である。日本のパン作りは、しっかりこねて、発酵をとってグルテンを強くし、大きく膨らませるのが一般的だ。失敗せずにボリュームのあるパンを作れるメリットがある一方、発酵中に小麦の糖が消費され、甘みが減るというデメリットもある。杉窪さんは極力「発酵しない」「パンチはしない」作り方を選択し、素材の風味がダイレクトに伝わるパンを作った。これまで当たり前とされてきたことに疑問を持つ性格は、子どもの頃から変わらないという。
「僕は小さい頃から学校教育を放棄してきました。先生に『あいさつ運動をしましょう』と言われたら、『あいさつは強要されてするものじゃないと思います』と反論するような小学4年生だったんです。『あいさつ運動は小学校1年生の頃からやっているけど、あいさつは出来るようになっていません。ということは、あいさつ運動ではない別の方法を考えたほうがいいんじゃないでしょうか?』って言ったら先生は怒ってしまいましたが(笑)。その頃から、何か鵜呑みにしたり、屈したりしないというスタンスで生きてきたんです。パン作りも、誰かの言ったことをそのままやるなら、僕じゃなくていいと思うんですよ。文化や歴史を守っていく人も大切です。けれどもイノベーションを起こす人も必要です。僕は後者だと思うので、求められている役割を果たしたいと思っています」
本に書いてあること、目上の人が言った言葉も鵜呑みにせず、一つひとつ自分で確認し、実験と検証を繰り返しながら新しいものを生み出していった杉窪さん。彼は、経営者として必要な資質は「モテること」と話す。
「僕がスタッフや後輩によく言うのは、『モテない人はお店やらないほうがいい』ということです。付き合う相手って、誰でもいいわけじゃないですよね。その人を選ぶ理由があるわけです。『こんな言葉を言ってくれた』とか、『いつも優しくて、私の感情の変化に気づいてくれる』とか。同性にモテる人でもいいんですよ。男心のわかる人は男性向けの店をやるほうがいい。僕の場合は、意識して狙っているわけではなく、自分の得意なことをやると自然と女性が喜んでくれるんです。スタッフも9割が女性です」
※『365日』の店内には杉窪さんのセレクトした食品も並ぶ
人手不足と無縁の会社を育てる
『365日』は、大手企業のように福利厚生を充実させることを目指している。飲食店には珍しく週休2日制であり、商品が売り切れたら営業時間内であっても店を閉める。『365日 日本橋店』は百貨店「高島屋」の中にありながら、15時に閉店することもあるそうだ。目先の利益ではなく、社員が働きやすい環境を守ることを優先させている。
「ウチはよそで『使い物にならない』と言われた子が、ちゃんと働けたり、成長したりするのが特徴なんです。普通の飲食店って、シェフや責任者の理想を100点にした減点方式です。彼らの手足となって動けない人はどんどん減点されていきます。シェフの決めた点数が正しくて、『型通りにできないお前が悪い』と言われてクビになる。でもそれって、組織の形じゃないと思うんです。日本の飲食店は個人に責任を負わせすぎだと感じます。飲食業界には、オールマイティにこなせない不器用な子もたくさん入ってきます。そういう子たちの笑顔を守るのが会社としての役割ではないでしょうか。だから会社がリスクを負い、福利厚生を手厚くするのは当然だという考えです」
杉窪さんはずっとシェフを目指して努力してきた。彼の考えるシェフは、オーケストラにおける指揮者のようなポジションだ。
「指揮者は演奏者一人ひとりのパフォーマンスを上げて、みんなでいい音楽を作り上げることが仕事ですよね。うまくいかない人がいたら、なぜできないのか悩みを聞いて、どうしたらできるようになるか考えます。そういう努力をする経営者と、しない経営者。人材に困るのはどちらかと言ったら後者ではないでしょうか」
客がたくさん訪れる繁盛店であり、なおかつスタッフの待遇もしっかりした店。直営店やプロデュース店でそういう店を作った結果、彼の周辺でも、週休2日制を導入する経営者が増えたそうだ。まず自分が実践し、周囲の考え方を変えていく。それこそが杉窪さんの得意とする「リノベーション」なのである。
※『365日』から歩いてすぐのところには、杉窪さんの手がけるカフェ『15℃』もある
飲食と生産を両立させる、新しいチャレンジ
杉窪さんは地域の生産者との関わりを大切にしているが、2018年の秋ごろから、自社でも小麦の栽培を始めたという。なぜ経営者自ら、畑を耕し、種をまこうと決めたのだろうか。
「飲食業界は長時間労働が当たり前と言われてきましたが、今後、AIやロボットなど新しいテクノロジーの導入で、労働時間が短くなってくると思います。その余った時間で農業をやろうという発想です。年々、農業に携わる人たちが少なくなり、平均年齢が上がっていっています。日本の農業の担い手がいなくなっていいとは思わないし、責任の押し付けあいになってもいけない。僕は、食材を使っている料理人が農業をするのが自然な形だと思っているんです。僕らが働き方のイノベーションを起こして、農業も飲食も両方できる形を作れば一件落着ですよね。飲食店から1次産業にアプローチする、逆6次産業のモデルとして、小麦だけではなく野菜も作りたいと考えています」
2019年は4月に新しく飲食店をプロデュースする他、直営店の立ち上げを考えているそうだ。忙しい合間を縫って、毎年海外に視察に行くことも欠かさない。未来を読み、どんどん新しいことにチャレンジしている杉窪さん。彼の起こす変化は、最初はさざなみくらいの小さなものでも、数年後は大きな波となって日本中に広がり、飲食業界を刷新するかもしれない。
※これからも杉窪さんの挑戦に目が離せない
『365日』
住所/東京都渋谷区富ヶ谷1-6-12
電話番号/03-6804-7357
営業時間/7:00~19:00
定休日/2月29日
席数/6席(カウンター席のみ)