4月1日から自粛休業していた『リストランテ アクアパッツァ』(港区)が、5月15日に営業を再開した。同店は、イタリア料理界のレジェンド、日髙良実シェフが経営するイタリアレストラン。通常営業をテイクアウト専門に切り替えた飲食店が多い中、日髙シェフはすべての営業をストップしていた。自粛休業するに至った理由や、営業再開するまでの苦悩と葛藤を日髙シェフに語ってもらった。
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5月14日午後2時、青山の店へ行ってみると日髙シェフはコックコートではなく、Tシャツ姿で登場した。これまで何度もお目にかかってきたが、普段着のシェフに会うのは初めてだった。開口一番、自粛休業した理由を尋ねた。
「3月に入ってから連日キャンセルが続きました。ランチもディナーも含め、トータルで400名以上がキャンセル。このまま営業を続けても意味がないという思いもありましたが、それ以上に、スタッフや自分が新型コロナウイルスに感染するのではないかという恐怖心と危機感が常に頭にありました」
営業を続けることと感染リスクを両天秤にかけ、4月1日のディナーから自粛休業することにしたというのだ。自粛休業に至った理由を説明するメールを、複数回社員へ送った。「店を閉めるということはどんなことなのか?」と題するメールがある。自粛休業初日の4月2日午前中に送ったメールだ。その一部を掲載する。
「(中略)昨日、苦渋の決断で青山店を『営業自粛』と言う形にしました。一番に、当社から感染者を出したくない。そしてその家族からも同様である。(中略)皆さんにお給料を払う為には、“収入”が無いと払えません。(中略)苦渋の決断とは、その両方を両立させる為には、1日に最低限の売上が確保出来ないと思ったからです。(中略)そこで青山店はとても辛い決断で『営業自粛』ということにしました。これは、お店を維持していく上では、最悪のシナリオです(以下略)」
自粛休業していてもテイクアウトで日銭を稼ぐことができたはずだ。実際多くの飲食店が慣れないテイクアウトを始めた。けれど、日髙シェフの脳裏にはテイクアウトの選択はなかった。
「(以前、店を構えていた)広尾の路面店だったらテイクアウトをやったかもしれません。でも、今の青山店は商業施設の2階にあり、車を店の目の前に停めることができません。やったとしても一人分の給料もでないはずです。妙に動くよりも雇用調整助成金を貰った方がいいと考え、その申請に力を注ぐことにしました」
※自粛休業中、何を考え、何をしていたのか。手帳とiPadを見ながら語ってくれた
運転資金の融資を申請
自粛休業中、日髙シェフはほぼ毎日SNSを更新している。フェイスブックで料理リレーなどのバトンを繋いでいた。コロナ禍でもイタリア料理界のレジェンドは、左団扇で暮らしているかに思えた。
「とんでもない(苦笑)。いつも以上に動き回っていました。自粛休業することにしたのは、雇用調整助成金が出ると聞いていたから。補償してもらえるなら安心だと安易に考えていました」
顧問税理士に雇用調整助成金の申請手続きを依頼したら、複数の書類が必要なことが判明。しかも助成金を受けるのはかなりハードルが高いこともわかった。
「雇用調整助成金は問い合わせが多いものの、申請する会社はごく一部で、実際認可されるのはもっと少ないという話も聞きました。東京都の休業要請協力金も申請しましたが、書類に不備があり、再申請しなければなりませんでした」
自粛休業初日の4月2日の朝、経営者としてすぐに動いた。日本政策金融公庫に借入の要請をしたのだ。金額は3000万円。その後、「大田区中小企業融資あっせん制度」を利用し、3000万円の無利子無担保の融資あっせんを申請。
「うちの月々の必要経費は1200万円。店を維持するには借入するしかありません。雇用調整補償金を受けられたとしても満額は出ないでしょう。また借金からのスタートです」
これまで給料は毎月15日〆で同月25日に支払ってきた。
「4月分も4月25日に満額払いました。でも、5月は満額を払えないと社員には伝えてあります」
3月と4月は、支店『横須賀アクアマーレ』も含めると2000万円以上の減収。“家賃だけでも減らせることができれば”と考えていたが、契約書には家賃減額に関する規約がないという。
経営者として奔走しつつ、社員には自宅で勉強してほしい旨のメールを送った。
「兎に角、勉強しましょう! ソムリエ試験、イタリア語、英語、料理、サービスなど、これからの自分にとって必要であろうことは何かをよく考えて、これを機会に時間を有効に使ってください」(社員へ送ったメールより)
店の将来のために、スタッフへ自宅学習を促しながら給料を払うことにしたのだ。
※ミーティングの様子
5夜連続でコーチングしたYouTubeのレシピ動画が大ヒット
自粛休業した2日後の4月3日午後10時、日髙シェフがYouTubeデビューを果たした。YouTuberであり、『リストランテ フローリア』(長野市)の小林諭史シェフの提案もあり、YouTubeに5夜連続で出演したのだ。
撮影は、「キャンセルが続き、暇だった」という3月30日に、『アクアパッツァ』で行われた。日髙シェフが、YouTube出演の旨をフェイスブックで告知すると大勢の人がコメントを寄せた。
シェフのレシピでアクアパッツァやボンゴレビアンコを作ったという報告も相次いだ。5月19日の時点で、第1話のアクアパッツァは約67万回視聴があり、691件のコメントがあった。第2話のボンゴレビアンコは約85万回視聴があり、694件のコメントが寄せられた。
日髙シェフのYouTubeが、なぜこれほどたくさんの人に注目されたのか。この番組を企画した小林シェフはこう語る。
「自粛要請で“家ご飯”が定着したこともあり、料理人も含め大勢の人が日髙シェフのレシピに注目したのではないでしょうか。まさかあれほど反響があると思っていなかったし、撮影後自粛休業することになると思っていなかったので残念です(苦笑)」
※衛生環境に配慮し、テーブルを窓際に並べた。左手中央のテーブルは使わないことに
リストランテから、期間限定のトラットリアとして営業再開
5月上旬、日髙シェフは5月15日(金)に営業を再開することに決めた。衛生環境に配慮し、テーブル間隔を十分取ることにした。席数を60席から30数席に減らしつつ、横並びのテーブルを窓際に配置。しかもリストランテではなく、しばらくの間「トラットリア」として再スタートしたのだという。
トラットリアにした理由はいくつかある。景気的にもリストランテでは厳しいと判断したから。一つの空間で、ゆったりと食事を楽しむ精神的な余裕がないことから、気軽に入ってもらえるトラットリアに変更した。
サービスこそ以前のままだが、テーブルクロスを外し、紙のランチョンマットを敷き、カジュアルさを演出。価格もよりリーズナブルに。ディナーにオーガニックコース(6600円/サ税別)を設定した。また、営業再開と同時にテイクアウトもスタート。平日はウィークデーランチ限定のメニューを用意。週末は、アラカルトをテイクアウトできる。
「復活の日」の前日(5月14日)、すべてのスタッフが営業再開の準備をしていた。厨房では複数の料理人が、「復活の日」に向けて仕込みの真っ最中。テーブルには、新たに用意されたテイクアウト用の包材が並んでいた。自粛休業中、営業再開に向けて自宅で何をしていたのか、ふたりのスタッフに尋ねた。
「イタリア料理の勉強をしたり、身体を動かすのが好きなので、スポーツをしていました」
「店の将来を考えたり、ワインの勉強をしていました」
※「復活の日」の前日、全スタッフが自分の仕事と真摯に向き合っていた
方や、日髙シェフは何をしていたのか。
「4月3日にYouTubeでレシピ動画をアップした直後、小林シェフの『リストランテ フローリア』(長野市)で第2弾の動画を6本撮影してきました」
新作6本は、『アクアパッツァ』が営業再開した5月15日から6夜連続でアップされた。1本目の裏メニューパスタは、5月20日時点で18万回視聴を超えた。コメントも531件。
そしてもう一つ、ウェブ上で始めた活動がある。『アクアパッツァ』のOB・OGがそれぞれのレシピでアクアパッツァを作る「アクアパッツァリレー」だ。今年11月、『アクアパッツァ』は創立30周年を迎える。同リレーは11月スタートの予定だったが、4月27日に始まった。その理由を『アクアパッツァ』OBで、『SALONE TOKYO』(千代田区)の平高行シェフはフェイスブックにこう綴っている。
「アクアパッツァ日高シェフの号令により、日本中に散らばったアクアパッツァグループが、今一丸となって日本の料理界をそしてイタリアをはじめ世界の料理界を盛り上げるべくアクアパッツァリレーが始まりました。ともに声を上げてこの苦難を乗り越えて行きたいと切に願っております」
『アクアパッツァ』のOB・OGだけでなく、様々な関係者もリレーに参加している。日髙シェフはこの活動について次のように語る。
「嬉しいことにどんどん輪が広がっています。うちの関係者だけでも相当な数になるはずです。一体どれだけの人が参加してくれるのか僕にもわかりません。前倒しのスタートでしたが、結果的にいいタイミングだったかもしれません」
※「困難な状況に真摯に向き合うことが大切」だと語る日髙シェフ
最後に、コロナ禍にどう立ち向かうべきなのか、意見を聞いた。
「今の困難な時代と真摯に向き合うことが、将来役に立つはずです。現在大勢の料理人がSNSで発信しています。料理人だけでなく、この機会にいろいろな人を観察すべきです」
共感できること、できないことがきっとある。それの思いを、今後活かしていくべきだと言うのだ。
「私自身、夜も眠れないぐらい苦しい経験をしたことがあります。今よりもあのときのほうがよっぽど大変でした。また、東日本大震災後、スタッフを解雇しました。そのことをとても後悔しています。今回リストラは絶対にしません。二度の辛い経験があるからこそ、コロナ禍でも自分を客観的に見ることができます。料理人というよりも、ひとりの人間として色々なことを考えながら、今の時代と向き合うべきではないでしょうか」
自粛休業2日目の4月2日。「今やらなければならない事!①」というメールを社員に送った。こんなメールだ。
「新型コロナウイルスの影響も、必ずいつか収まる日が来ると思います。その日は、つまり我々にとって営業を再開できる日です。その為に、スタートダッシュを切れるように万全の準備をしておかなければなりません。ここに、皆さんの火事場の馬鹿力が必要になってきます」
スタートダッシュを切った店もまだの店も、火事場の馬鹿力でいまの困難な時代を生き抜くしかない。復活の日を目指して。
※コロナ禍以前の、リストランテとして営業していた頃の店内
『リストランテ アクアパッツァ』
住所/東京都港区南青山2-27-18 青山エムズタワー パサージュ青山2F
電話番号/03-6434-7506
営業時間/11:30~15:00(L.O.14:00)、17:00~20:00(L.O.19:00)、土日祝日11:00~20:00(L.O.19:00)
定休日/年末年始、メンテナンス休暇有
席数/60席のところを30数席で営業中