最強の三冠馬、ディープインパクトが7月30日、あまりにも突然にこの世を去った。主戦騎手を務めた武豊にとっては、そのジョッキー人生において紛れもなく大きな影響を与えてくれた存在だった。今年5月中旬、雑誌「ゲーテ」ではタイアップ企画で武豊に独占インタビュー。その際に語ったのは、あのディープインパクトに騎乗してもなお果たせなかった"ある夢の続き"を今でも追いかけているという切実な思いだった。
「なぜかあのレースは、日本の馬も、日本の騎手も、勝っていない」
2006年、凱旋門賞に挑戦したディープインパクトと武豊。3着に入ったものの、帰国後に禁止薬物検出が発覚し、まさかの失格に。Licensed by Getty Images
ディープインパクト死す――。夏競馬真っ盛りの中、無敗の三冠馬にして"日本近代競馬の結晶"とも謳われた名馬が突然にしてこの世を去り、競馬界は激震に襲われた。現役時代、すべてのレースに騎乗した武豊は「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが残念です。私の人生において本当に特別な馬でした。彼にはただただ感謝しかありません」とJRAの公式ホームページにコメントを発表した。
その2ヵ月半前に行った独占インタビュー。「これからのジョッキー人生において、まだやり残していることは?」と尋ねると、武豊は、切実な表情を浮かべつつ、こんなことを言っていた。
「たくさんレースがあるなかで勝ちたいレースはきりがないですけど、凱旋門賞はやっぱり自分の騎手人生において、いつか勝ちたいと思っているレースです」
フランス・ロンシャン競馬場で毎年10月に開催される『凱旋門賞』は、競馬関係者にとって誰もが憧れる、言わずと知れた世界最高峰のレース。過去に日本調教馬が23頭挑戦しているが、エルコンドルパサーやオルフェーブルらの2着が最高で、なぜか頂点に届かない。武豊自身も、過去に7度(日本調教馬5頭、海外調教馬2頭)騎乗しているが、3着が最高。日本競馬界史上、もっとも期待された2006年のディープインパクトとの挑戦では、3着に入ったものの、後に禁止薬物検出で失格というショッキングな出来事も起きてしまった。
「凱旋門賞は、年に1回しかチャンスがないですけど、僕だけじゃなくて日本人にとっても、いつか勝ちたいという明確な目標です。他のビッグレースは、勝てているのに、なぜかあのレースは、日本の馬も、日本の騎手も、勝っていない。もう手が届くところまできているのですけど……。その時に自分が優勝馬の背中にいればいいかなと思います」
14戦12勝(G1/7勝)、2着1回、失格1回。引退後に種牡馬になっても昨年まで7年連続でリーディングサイアーに輝いている。そのディープインパクトの生涯において、"唯一の挫折"となったのが凱旋門賞への挑戦ともいえる。
武豊にとってもその思いは同じ。17歳でデビューして以来18度の年間最多勝、地方海外含め100勝以上のG1制覇、そして、昨秋には前人未踏の通算4000勝を達成。数々の偉業を成し遂げてきたが、凱旋門賞制覇だけはディープインパクトへの騎乗でさえも叶わなかった。その"唯一の夢"を今でも追いかけ続けているのである。
「33年もやっていますけど、実際に飽きたことがない」
節目の50歳を迎えた今年。G1フェブラリーステークスで勝利を収めるなど、8月に入るまでに挙げた勝利数は計65勝。今年度全国リーディングで4位につけており、"トップジョッキー"としての実力はまったく衰えていない。
「上半期を振り返ると、出だしが良かったですね。こればかりは、馬とセットなので、強い馬に乗らないとなかなか結果は出せないけど、今年は自分なりにはいい感じで来れています。国際レースにも積極的に騎乗していきたいですし、今年の夏以降もわりと海外遠征が入りそうなのでそれはすごく充実感があります」
並大抵のアスリートであれば、ある程度の実績を残せば、それ以上を求めなくなる時期が来てもおかしくない。しかし、武豊という日本競馬界の唯一無二の存在においては、いわゆる"燃え尽き症候群"というものが訪れる様子が一切ない。凱旋門賞制覇というまだ見ぬ夢はあるものの、ほかにモチベーションを保つ秘訣はあるのだろうか。
「一番は"競馬が好き"ということですかね。17歳でデビューしてから、33年もやっていますけど、実際に飽きたことがないです。"もっと勝ちたい。もっと上手くなりたい"という気持ちは、ある意味ずっと変わっていない。あとは、相手が馬なので、正解が分からない中で続けているのが長く続いている要因かもしれません。相手も話してくれないし、打ち合わせも反省会もできないし。その中でやっているので。"これでできた! 完璧"ということがないんです」
「あんまり適当にはやりたくない」
ディープインパクトに騎乗し、2006年ジャパンカップを制した。Licensed by Getty Images
父は名ジョッキーであり、調教師としても活躍した武邦彦(3年前に死去)。生まれながらにして、競馬が身近な存在にあり、物心ついた頃には騎手を目指していたという。そして鳴り物入りでデビューしてトップジョッキーとなり、現在に至る。結果を残し続けることが当たり前。そんな、生活を何十年もわたって送るアスリートはめったにいないが、今年引退を決断したイチローだけは特別な存在だったという。
「子供の頃から騎手になりたかったので、実際になれて現時点で30年以上もやることができて、それは本当にありがたいことだと思う。だから、あんまり適当にはやりたくないなと思います。そういう気持ちでイチローさんを見ていると、同じアスリートとして本当に心から尊敬できる人でした。野球をとにかく追求され続けた人。僕も"ただ勝ちたい、活躍したい"というだけでなく競馬というものを"もっと追求したい"と思っている」
「騎手を終えた後の自分が想像つかない」
どんなに結果を残しても競馬を追求し続ける武豊の、ジョッキーとしてのゴールはどこにあるのか。そして、ゴールを迎えた後には、何を目指すのだろうか。
「ゴールは見えてないし、考えてもない。もちろんこういう世界だからいい時もあればなかなか苦しい時もある。ただ、こうやって好きな仕事がやれているのはすごく恵まれていると思う。引退後のことは、考えたこともない。もちろん、もう50歳になりましたから、そんなにずっとできる仕事ではないとは分かっているけど、じゃあ騎手のあと何になるんだとかいまだに想像つかないですし、騎手を終えた後の自分が想像つかないです。62歳で的場さん(的場文男=大井競馬場東京騎手会所属)が、ばりばりやっていて励みになりますけどね(笑)」
武豊にとってジョッキーという仕事は「天職」というよりも「宿命」という表現の方がよく似合う。この世を去ったディープインパクトとレース中に唯一心を通わせた存在となったのも、宿命だったのだろう。
まだ見ぬ夢をこれからも追っていく。
Text=鈴木 悟(ゲーテWEB編集部)