チームの上位進出の鍵となるのが助っ人外国人選手の存在だ。近年では、メジャーリーグ経験のある選手も数多く来日し、1軍登録の上限である4枠を巡って競争も激しくなっている。今回は、各球団の歴代助っ人外国人選手をランキング形式で振り返り、活躍した選手の傾向を探っていきたい。【巨人・野手編】
※成績はチーム在籍期間の通算成績、ランキングはこれを基準に作成。
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第5位 ロベルト・ペタジーニ
左投左打
内野手・外野手
在籍期間 2年(2003〜2004)
成績 217試合、打率.305、218安打、63本塁打、165打点、3盗塁
同ランキングのヤクルト編でもランクインを果たしたペタジーニ。巨人でもその打力は健在で、強力打線の一角を担った。
ベネズエラ出身、身長185センチ、体重84キロ。アントニオホセ大から、1990年にヒューストン・アストロズと契約。94年に同球団でメジャーデビューし、以降サンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・メッツ、シンシナティ・レッズでもプレーしたが、マイナー3Aクラスと行き来し、メジャーに定着することはできなかった。
1999年シーズンからヤクルトでプレー。本塁打王2度、打点王と最高出塁率1度のタイトルに加え、一塁守備にも定評がありゴールデングラブも3度受賞(2000~2002年)。MVPにも輝いた実績を引っ提げて、ジャイアンツへ加入した。
移籍1年目は、清原和博がファーストを守ったため主にレフトに就いた。慣れない外野守備の影響や、左ひざの故障で規定打席に到達しなかったものの、打率.323、34本塁打、81打点をマークする活躍を見せた。規定打席に不足する分をすべて凡打として扱った上でも、出塁率、長打率はリーグトップの数字で、“歴史上最強の規定打席不足打者”であった。
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2年目の04年は、ファーストで清原和博との併用となり、規定打席には達したものの、来日後自己最低となる打率.290、29本塁打の成績。高い年俸もネックとなり、同年いっぱいで退団した。
その後は、メジャーリーグに戻るも、来日前同様に多くの出場機会を勝ち取ることができず。メキシカンリーグ、韓国球界を経て、福岡ソフトバンクホークスでNPB復帰を果たし活躍したが、全盛期には遠く及ばない数字で、在籍は1年限りとなった。
第4位 タフィー・ローズ
左投左打
外野手
在籍年数 2年(2004〜2005)
235試合、打率.267、241安打、72本塁打、169打点、5盗塁
同ランキングのオリックス編、近鉄編に続き3球団目のランクインとなったローズ。巨人でもその打棒を発揮し、本塁打を量産した。
アメリカ合衆国出身、身長182センチ、体重100キロ。ウエスタンヒルズ高から、1986年MLBドラフト3巡目(全体68位)でヒューストン・アストロズに指名され契約。マイナーリーグでは、デビューした88年から90年の3シーズンで計107盗塁をマークするなど、俊足を売りとしていた。
1990年にアストロズでメジャー昇格を果たすと、シカゴ・カブス、ボストン・レッドソックスでもプレー。MLB通算225試合に出場し、打率.224、13本塁打、44打点、14盗塁、OPS.659の成績だった。
1996年から日本球界に挑戦し、転機を迎える。驚異的なパワーで本塁打を量産すると、近鉄に在籍した8年間で288本塁打をマーク。50本塁打超えも2度記録した。最初の3年間は2桁盗塁を記録するなど、足の強みも生かした。
巨人移籍後も近鉄時代同様の活躍を見せた。初年度は、打率.287、45本塁打、99打点をマークし、本塁打王のタイトル、ベストナイン(外野手部門)を獲得。両リーグでの本塁打王は外国人選手史上初の記録となった。また、ローズのほかにも長距離打者を揃えた巨人は、「史上最強打線」と呼ばれ、シーズン本塁打のプロ野球記録(259本)を打ちたてた。
翌2005年シーズンからは外国人枠を外れ、日本人選手扱いとなった。同年は打率.240、27本塁打、70打点と成績を落とし退団となったが、2007年にオリックスで日本球界に復帰し、3年間活躍した。
第3位 李承燁(イ・スンヨプ)
左投左打
内野手
在籍年数 5年(2006〜2010)
458試合、打率.275、421安打、100本塁打、256打点、12盗塁
韓国を代表する大打者、李承燁。広角に数多くのアーチを描き、一塁守備にも定評があった。
韓国出身、身長183センチ、体重85キロ。慶北高から、1995年KBOドラフトで三星ライオンズに入団。2003年には、韓国球界史上最多であるシーズン56本塁打をマーク。99年に記録した54本(歴代2位)、02年の47本(歴代7位タイ)もそれぞれ歴代トップ10入りを果たしている。
2004年に来日し、千葉ロッテマリーンズでプレー。巨人には、2006年に加入した。巨人では開幕から4番を務めると、最終的に初年度は打率.323(リーグ2位)、41本塁打(リーグ2位)、108打点(リーグ4位)、OPS1.004とキャリアハイの成績を残した。
その活躍から、オフに4年契約を締結。翌2007年は怪我の影響もあり出遅れたが、シーズン終盤に復調し、打率.274、30本塁打、74打点をマークした。しかし、以降3年間は下降線をたどり、出場機会も100試合を超えることはなかった。
2010年限りで退団し、11年はオリックス・バファローズでプレーその後韓国球界に復帰し、2017年に現役を引退している。
第2位 アレックス・ラミレス
右投右打
外野手
在籍年数 4年(2008〜2011)
成績 569試合、打率.307、666安打、148本塁打、430打点、8盗塁
同ランキングのヤクルト編でもランクインしたラミレス。巨人でも主に4番として、打線を牽引した。
ベネズエラ出身、身長180センチ、体重100キロ。サンアントニオデパウラ高を出て、1993年からクリーブランド・インディアンスの傘下チームでプレー。98年には、同球団でメジャーデビューを果たした。その後ピッツバーグ・パイレーツでも出場し、MLB通算成績は、135試合で、打率.259、12本塁打、48打点となっている。
2001年シーズンに来日し、ヤクルトで7年間活躍。多くの打撃タイトルを獲得するなど、高い実績を引っ提げ2008年に巨人に加入した。移籍初年度から首脳陣の期待に見事に応える大活躍を見せ、打率.319、175安打、45本塁打、125打点をマーク。シーズンMVP、打点王、ベストナインに輝き、チームをリーグ連覇に導いた。
翌2009年シーズンからは外国人枠の登録を外れ、日本人扱いとなった。同年は打率.322、186安打、31本塁打、103打点をマーク。2年連続となるシーズンMVPとベストナイン、首位打者、最多安打に輝く圧倒的な活躍で、チームをリーグ3連覇、日本一へと導いた。
2010年にはキャリアハイとなる49本塁打、129打点をマークし、打撃二冠を達成。2003年から続いていた8年連続100打点は現在でもプロ野球記録となっている。四球をとれず出塁率が伸びづらかったために、現代の指標ではやや評価を落とすところもあるが、打つ技術については歴代でもトップクラスであることに変わりはない。また、長期離脱がほとんどなかったことも大きな魅力だ。
巨人退団後は横浜DeNAベイスターズで2年間プレーし、通算2000安打も達成。引退後は、2016年から2020年までDeNAで監督も務めた。
第1位 ウォーレン・クロマティ
左投左打
外野手
在籍年数 7年(1984〜1990)
成績 779試合、打率.321、951安打、171本塁打、558打点、26盗塁
強打でチームの主軸を担い、ファンから絶大な人気を誇ったクロマティ。プロ野球史上最も4割に近づいた男としても知られる。
アメリカ合衆国出身、身長183センチ、体重90キロ。マイアミデードコミュニティー大から、1971年MLBドラフト1巡目(全体10位)でオークランド・アスレチックスに入団。74年にモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)でメジャーデビューすると、77年からは同球団で外野手あるいは一塁手のレギュラーとして3割近い数字を残した。
巨人では1984年からプレー。来日1年目から、打率.280、35本塁打、93打点の好成績を残した。一方で四球は25と少なく、積極的に打ちにいっていたようだ。
以降はさらに成績を向上させ、在籍中ほとんどの年で打率3割以上を記録。86年に打率.363、37本塁打、98打点でベストナインを獲得。例年であればタイトルを獲ってもおかしくない打率や本塁打数であったが、この年はランディ・バースに打撃三冠を譲った。
1989年には打率.378(歴代6位)、出塁率.449で首位打者、最高出塁率、ベストナイン、シーズンMVPにも輝いた。また、史上最も4割に近づいたのがこの年のクロマティで、97試合404打席時点で打率.401をマーク。規定打席403をクリアした上で、打率4割を達成していた。
巨人退団後は、カンザスシティ・ロイヤルズでメジャー復帰。91年に69試合の出場で打率.313、OPS.801をマークするも、同年限りで引退。メジャー通算1107試合の出場で、打率.281、61本塁打、391打点、OPS.739の成績を残している。
その他にもジョン・シピン、ケーシー・マギーらも強い存在感を放った。
読売ジャイアンツ、歴代助っ人外国人選手ランキングトップ5<投手編>
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