チームの上位進出の鍵となるのが助っ人外国人選手の存在だ。近年では、メジャーリーグ経験のある選手も数多く来日し、1軍登録の上限である4枠を巡って競争も激しくなっている。今回は、各球団の歴代助っ人外国人選手をランキング形式で振り返り、活躍した選手の傾向を探っていきたい。【DeNA・投手編】
※成績はチーム在籍期間の通算成績、ランキングはこれを基準に作成。
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第5位 セドリック・バワーズ
左投右打
在籍期間 2年(2004〜2005)
成績 38試合(217回)、14勝9敗、186奪三振、防御率3.69
主に先発として活躍したセドリック。切れ味鋭い大きなカーブが持ち味だった。
アメリカ合衆国出身、身長185センチ、体重100キロ。チーフランド高から、1996年MLBドラフト4巡目(全体124位)でタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)から指名を受け入団。ルーキーリーグから徐々にレベルを上げ、2000年にはマイナー3Aクラスに到達した。しかし、その後も3Aでくすぶり、メジャー昇格の機会はなかった。
日本球界挑戦を決意し、2004年途中に横浜に入団。数回のリリーフ登板を経て、初先発試合では完投勝利を記録した。デビューが6月下旬だったにもかかわらず、先発、中継ぎ計20登板を果たし、最終的にチームトップタイとなる7勝をマーク。規定未到達ながら、リーグ5位相当の防御率3.54と高い安定感を示した。
翌05年は開幕からローテーション入りを果たしたセドリック。前年から四球の数が大幅に増える(39→66)など不安定な投球が露見した。それでも、前年と同じく7勝を挙げ、防御率も3点台を守った。2004年、05年と「飛ぶボール」の全盛だったにもかかわらず、2年連続で仕事したのは評価できよう。また、通算14勝は、横浜の外国人投手の中では、2017、18年に在籍したジョー・ウィーランドと並んで歴代2位タイの記録となっている(1位はギジェルモ・モスコーソの17勝)。
横浜を退団後は、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍するも、1軍公式戦での出場はゼロ(登録名は「バワーズ」)。その後韓国球界を経て、米球界に再び戻り、2008年にコロラド・ロッキーズでメジャーデビュー。2010年には自身最多の14試合に登板している。
第4位 ギジェルモ・モスコーソ
右投右打
在籍期間 3年(2014〜2016)
成績 52試合(286回2/3)、17勝22敗2ホールド、215奪三振、防御率4.27
先発としての活躍が目立ったモスコーソ。動くボールを武器とし、フライアウトを多く奪った。
ベネズエラ出身、身長185センチ、体重91キロ。ラスニエベス高から、2003年にデトロイト・タイガースと契約。2008年にテキサス・レンジャーズへ移籍し、翌09年に同球団でメジャーデビュー。リリーフとして2年間で11試合に登板した。2011年にはオークランド・アスレチックスで23試合中21試合に先発登板。ローテの一角として128回を投げ、防御率3.38の数字で8勝を挙げた。
しかし、その後はコロラド・ロッキーズ、カンザスシティ・ロイヤルズ、シカゴ・カブス、サンフランシスコ・ジャイアンツと渡り歩いたが、マイナーとの行き来で、メジャー定着はできなかった。
DeNAでは2014年からプレー。規定投球回を上回る146回を投げ、9勝を挙げた。これは、2003年にドミンゴ・グスマンが記録した8勝を上回り、ベイスターズの外国人投手史上最多となるシーズン勝利数だった。また、防御率3.39もチームメイトの久保康友に次ぐリーグ10位の数字となっている。打撃成績でも、本塁打、盗塁をマークするなど躍動し、打率.209、OPS.556と、リーグの投手で最高の数字を記録した。
以降は、初年度ほどの数字は残せず、リリーフへ配置転換された時期もあり、防御率は2年連続5点台に沈んだ。それでも3年間で積み上げた17勝は、2020年終了時点でも、チームの外国人投手最多勝利記録となっている。
DeNA退団後は、メキシカンリーグを中心にプレー。2017年WBCでは、コロンビア代表にも選出された。
第3位 スペンサー・パットン
右投右打
在籍期間 4年(2017〜2020)
成績 219試合(205回2/3)、12勝9敗7セーブ101ホールド、243奪三振、防御率3.68
2020年までブルペンを支えたパットン。150キロを超える速球と、スライダーを軸に投球を組み立て、奪三振率の高さも特徴だった。
アメリカ合衆国出身、身長185センチ、体重91キロ。サザンイリノイ大エドワーズビル校から、2011年MLBドラフト24巡目(全体726位)でカンザスシティ・ロイヤルズに入団。14年にテキサス・レンジャーズでメジャーデビューすると、レンジャーズ、シカゴ・カブスの2球団で計52試合に登板した。
DeNAでは2017年からプレー。開幕からセットアッパーを担った。山崎康晃の不調時にはクローザーを務めるなどシーズン通した活躍を見せ、最終的に62試合に登板。7セーブ、27ホールド、防御率2.70の好成績を残した。
翌2018年は主にセットアッパーとして58試合に登板し、33ホールド、防御率2.57をマーク。16四球に対して67奪三振と高い安定感を誇った。
だが、2019年は一転して安定感を欠く投球が続き、防御率は5点台。20年に入っても数字は改善されず、同年限りで退団となった。2021年は、古巣レンジャーズとマイナー契約を結び、6月にメジャー契約に移行。リリーフ陣の一角として42試合に登板した。
第2位 エドウィン・エスコバー
左投左打
在籍期間 5年目(2017〜)
成績271試合(275回)、15勝18敗3セーブ102ホールド、283奪三振、防御率2.98
今シーズンで在籍5年目を迎えたエスコバー。左投手では日本最速となる160キロを誇る速球派左腕だ。
ベネズエラ出身、身長188センチ、体重102キロ。インスティテゥトディオセサノバルキシメト高から、2008年にアマチュアFAでテキサス・レンジャーズと契約。2014年のボストン・レッドソックス時代にメジャー初登板を記録。16年には自己最多の25試合に登板したが、防御率7.23とふるわなかった。
2017年、北海道日本ハムファイターズ入団を機に来日。日本ハムでは、14登板で防御率5.64と芳しくなかったが、シーズン途中にDeNAへトレード移籍し、転機を迎える。DeNA加入後は、主にリリーフとして27試合に登板。2セーブ7ホールド、防御率3.44という数字以上の活躍をみせた。また、ポストシーズンでは、クライマックスシリーズ(CS)で5試合、日本シリーズで4試合に登板するなどフル回転し、幅広い役割をこなした。
以降は貴重な左のリリーフ、セットアッパーとしてチームに貢献。19年には自己最多の74試合に登板するタフネスぶりを発揮した。2020年は、56試合の登板でキャリアハイとなる防御率2.33をマーク。21年もチーム最多61試合登板と、ブルペンの屋台骨を支えた。
また、2020年に東京ヤクルトスワローズでプレーしたアルシデス・エスコバー内野手は従兄弟にあたる。
第1位 マーク・クルーン
右投右打
在籍期間 3年(2005〜2007)
成績 145試合(143回2/3)、8勝8敗84セーブ10ホールド、196奪三振、防御率2.82
主にクローザーとして活躍したクルーン。当時の日本最速となる162キロも計測した速球と、落差の大きいフォークで奪三振の山を築いた。
アメリカ合衆国出身、身長188センチ、体重86キロ。シャドーマウンテン高から、1991年MLBドラフト2巡目(全体72位)でニューヨーク・メッツに指名され契約。メジャーの舞台では、サンディエゴ・パドレス、シンシナティ・レッズ、コロラド・ロッキーズ所属時に出場したが、計26登板で防御率7.43と結果を残せなかった。
横浜では2005年からプレー。開幕当初はセットアッパーを務めていたが、守護神、佐々木主浩の離脱を機にクローザーへ転向。最終的に55試合に登板し、26セーブ、6ホールド、防御率2.70をマークした。
以降もクローザーとして2006年には27セーブ、2007年には31セーブをマークする活躍を見せた。また、投球回数を大きく上回る奪三振を奪っており、3年間の奪三振率は12.32を記録した。
横浜退団後は、読売ジャイアンツで3年間プレー。NPB通算では、304試合の登板で、177セーブを記録。外国人投手としてはデニス・サファテに次ぐ歴代2位の数字となっている。
その他にもドミンゴ・グスマン、ホルヘ・ソーサ、打撃力にも定評があったジョー・ウィーランドらも強い存在感を放った。現役では2位にランクインしたエスコバーには、リリーフエースとしてのさらなる活躍が期待されている。
横浜DeNAベイスターズ、歴代助っ人外国人選手ランキングトップ5<野手編>
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