新型コロナウイルスについて、真偽が明らかではない噂や偽情報の拡散が続いている。米シラキュース大学でミームやソーシャルメディアを専門とするコミュニケーション学のジェン・グリギエル助教授は言う。「心理状態がマックスに達して人々の不安が高まると、(間違った)情報を共有しやすくなるものです」と、ローリングストーン誌に語った。「米中関係が緊迫していることも、不安をさらにあおっています」
また中国政府当局に対しては、報道陣を拘束して武漢の病院の映像を削除するよう圧力をかけるなど、感染症に関する報道の検閲やジャーナリストの口封じが行われているとの非難が挙がっている。「信頼できる情報源がなく、政府によるメディア規制も多々見受けられます」とグリギエル助教授は言う。武漢の市当局は感染症に関する「噂」をソーシャルメディアに投稿して拡散したとして、8人を逮捕した。当然ながら、こうしたニュースによりソーシャルメディアでは、政府による公式発表への疑念も高まっている。と同時に、不安感と恐怖感が深くまで浸透し、偽情報が蔓延する環境を作り出している。以下、新型コロナウイルスの報道によって巷に出回ったもっとも多い噂やデマと、公衆衛生危機のさなかにこのような偽情報が広まった理由を挙げてみた。
1:2018年に政府がコロナウイルスを広め、ビル・ゲイツ氏も何らかの形で関与している。
1月21日、QアノンのYouTuberで風評のプロであるジョーダン・サザー氏は、イギリスに拠点を置くパーブライト研究所が2015年に申請したコロナウイルスの特許のリンクをツイートした。「この病気の発生は計画されていた?」と、サザー氏は投稿。「メディアは恐怖をあおるために利用されているのでは? 金に困った秘密結社が、巨大製薬会社の金に目をつけているのでは?」。この説はたちまち多くの陰謀論グループの支持を得た。Qアノンや反ワクチン派のFacebookグループは特許ページへのリンクを投稿し、コロナウイルスを広めたのは政府だ、おそらく将来ワクチンで金儲けを企んでいるに違いない、と仄めかした。
さらに煽るかのように、サザー氏はビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団が家畜の病気と免疫学に関する別の研究プロジェクトに資金提供を行なう、という2019年の記者発表をもとに、パーブライト研究所と同財団を結びつけた(いわゆる他の”エリート集団”と同じく、ビル・ゲイツもしばしばQアノンの陰謀の標的にされている)。ビル・ゲイツの名前が出てきたのはさして驚くことでもない、とスタンフォード・インターネット研究所のレネ・ディレスタ研究部長は言う。「ワクチン陰謀の角度からとらえた大流行の噂が出てくると、必ずゲイツ氏が絡んできます。この手のコンテンツはジカ熱の陰謀論とよく似ています」と、ローリングストーン誌に語った。
こうした憶測は、2018年にマサチューセッツ医学会と『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』が共催したイベントでビル・ゲイツ氏が行なったプレゼンテーションに関するBusiness Insiderの記事が広く取り沙汰された後、特に広まった。討論会でゲイツ氏はシミュレーションを提示し、1918年のようなインフルエンザ大流行が再び起これば、6カ月以内で5000万人が死亡する可能性があると示唆した。さらに、世界の公衆衛生業界はこうした事態の結果に対する備えが十分でないとも付け加えた。
ゲイツ氏のプレゼンテーションは、将来的な大流行に対抗するためには、政府はもっと民間企業と手を組んで技術開発を進めるべきだ、という広範な議論の中で行われた。「世界は戦争への備えと同じくらい、感染症にも備えるべきです」とゲイツ氏は述べた。理性的な人間であれば、同氏は感染症との闘いに備えよと主張しているのであって、将来起こりうる感染症を待ち望んでいるわけではないことはわかりそうなものだ――だが、ソーシャルメディアでは陰謀論者がこの記事を頻繁に引き合いに出し、世界主義者の大金持ちが、ひとえに個人的な利益のために、世界規模の災害の人為的発生を予言していたと主張した。
中国人の食習慣を揶揄したものも
2:政府は公表していないが、コロナウイルスのワクチンまたは治療法は実は存在する。
現在世に出回っている1月22日付のFacebookの投稿は、疾病管理予防センターが申請したコロナウイルスのワクチンと思われる特許のスクリーンショットつきで、ワクチンで製薬会社の懐を潤すために政府がウイルスを広めた、と主張している。パッと見ただけでナンセンスであるばかりか(名前の通り、新型コロナウイルスは新種なので、すでにワクチンが存在しているわけがない)、スクリーンショットされた特許は重症急性呼吸器症候群(SARS)のものだった。これはやはり中国で発生した別のタイプのコロナウイルスで、2002年から2003年にかけて数百人が死亡した。企業がn-Covのワクチン開発に資金援助を受けたという報道はあったものの、今のところ「(武漢の)ウイルスはおろか、どんなコロナウイルスのワクチンもありません」と、ジョン・ホプキンス大学の健康安全保障センターの上級研究者、アメッシュ・アダルジャ氏はPolitiFactに語った。
3:コロナウイルスの発生源は、こうもりを食べる中国人。
コロナウイルスの大半が哺乳類から発生していることと、現時点で2019-nCoVは武漢の家畜市場で発生したと推測されていることから、ソーシャルメディアでは大勢の人々が、こうもりを好んで食べる一部中国人の嗜好が世界の公衆衛生危機を引き起こした、という説に飛びついた。この推測は、こうもりやコウモリスープを食べている動画が多数拡散したことでさらに助長された。「ボウルの中にあるコレ、死そのものじゃない?」と中国語で書かれた投稿には、2000件以上のいいねがつけられた。動画はたちまちタブロイド紙や保守派のブログに取り上げられ、「客観的にみてもまずそうなスープがコロナウイルスの蔓延の原因か?」といったような、断定を避けた非西欧中心的な見出しとともに掲載された。ソーシャルメディアのユーザーも似たような反応を示し、動画に対する恐怖を口にした。「君たち中国人はこんなもの食べて健康になると思ってるのかい? 冗談はよせ」と、とあるツイートには書かれていた。
もちろん、こうもりのような小型哺乳類を食する文化が一部中国に存在しないわけではないが、それが当たり前というわけでもない。3億人以上の人口を抱える国でこれが普通だと言い切るのは、控え目に言っても極論が過ぎる。2016年の中国国内飲食店の調査データによると、こうもりが発生源とみられる2002~2003年のSARS大流行以降、変わった動物を食べる習慣はずいぶん少なくなったという(もっとも研究者らは、SARSウイルスはネコ科の大型動物であるジャコウネコを介して人間に伝染したと考えている)。さらに言えば、こうもりを食べたことでコロナウイルスにかかったという証拠もない。政府当局いわく、2019-nCoVの検査で陽性反応が出た人の多くは、感染前に生きた動物と接触していなかった。医学雑誌Journal of Medical Virologyの記事にも、ヘビが感染源ではないかと書かれている。
結論からいうと、2019-nCoVの原因や感染経路についてはまだはっきりわかっていない。だがひとつ言えることは、ウイルスを国全体の食習慣のせいだと決めつけるのは間違っているうえに、非常に無礼でもある。「単に、変わった動物を食べるだけではないんです」と、シドニー大学の世界衛生安全を専門とするアダム・カマレード-スコット助教授は、タイムス紙に語った。「文化的風習を取り上げたり、批判するときは注意が必要です」。変わった動物を食べる風習は、国全体に残る飢饉や食糧不足の記憶に由来していることからも、まったくその通りだ。政治経済学者の胡星豆氏もニュージーランドヘラルド紙にこう語っている。「中国の人々は、食べ物が最重要事項だと考えています。飢えが一番の脅威で、忘れられない記憶として国民に残っているからです」と胡氏。「今の時代、多くの中国人にとってお腹を満たすことは大問題ではなくなりました。とはいえ、奇妙な食材や、珍しい動物の肉や臓物、植物の一部を食べることを、アイデンティティの物差しにしている人もいるのです」