人生100年時代なんて言われても、途方もなくてとまどってしまう。仕事や子育てに追われ、なんとなく停滞感を抱いている。本当にやりたいことはなんだろう?――そんな行き詰まりをふと感じることはありませんか?
角野栄子さんは、長く第一線で活躍する現役作家でありながら、実は少し遅咲き。子育てをしながら35歳で作家デビュー、人気作となった「アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ」シリーズは44歳で始め、50歳で出版した『魔女の宅急便』が世界で愛されるロングセラーに。
60代で鎌倉に居を移し、80歳を超えてからも書き続けて子供たちに新作を届けています。幼いころ、優しさとユーモアあふれる物語に励まされた人も多いのではないでしょうか。
だれもが作家になれるわけではないけれど、角野さんの人生の楽しみ方には学びがいっぱい。過去でもなく未来でもなく、今を面白く! 現在進行形で生きる魅力を教えていただきました。
角野栄子さん
児童文学作家
(かどの えいこ)1935年、東京生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、出版社勤務を経て24歳からブラジルに2年滞在。その体験をもとに描いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で、1970年に作家デビュー。代表作『魔女の宅急便』は舞台化、アニメーション・実写映画化された。野間児童文芸賞、小学館文学賞など受賞多数。紫綬褒章を受章。2018年には児童文学の「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を日本人3人目として受賞。現在でも毎日書き続け、創作・翻訳作品は300冊以上。
公式インスタグラム@eiko.kadono
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誰にも見せずに、7年描き続けた日々
――角野さんが、初めて本を出されたのは35歳のとき。お仕事をやめて子育てをされていたそうで。
30代で初めて書いた本は、依頼されて書いたもの。まさか自分が作家になるなんて思ってもみなかったんですよ。大学卒業後は出版社に勤め、結婚してから2年ほどブラジルで暮らしました。帰国後はアルバイトで映画のパンフレットの翻訳をしていましたが、31歳で娘が生まれてしばらくは育児にかかりきり。いずれ外国に関わる仕事はしたいなと思っていたけれど、何をしていいかわからなかったんです。
――30代、40代でやりたいことを探して葛藤しながら、子育てをされている方は多いと思います。
何者かになりたい、という気持ちはだれでも持っているけれど、やはりそれだけでは進めないのよね。好きなものを見つけないと。
――「見つけられない」というところで、立ち止まってしまうのかも。
やってみないとね、わからない。私も、初めはできるわけがないと思ってお断りしていたんですよ。「ブラジルでの生活を書いてみたら」と大学の恩師に編集者を紹介されたものの、取材を受けて、だれかが代わりに書いてくださるのかと思っていたら、「そんな甘い考えじゃなくて、自分で書くんだ!」と先生に言われて。
だから苦しみながらうまくいかなくても、とにかく書いてみた。何回も書き直しましたね。でも、それがイヤじゃなかった。自分は書くことが好きなんだな、と気づいたんです。
ただ、次の本を出したのは42歳のとき。それまでの7年間はひとりで書いていました。
――7年…! だれにもお見せにならなかったんですか?
人に何か言われて憂鬱な気分になるのもイヤだし、それで書くものが変わるならたいしたものじゃない。きっと褒めてくれる人はいるだろうけど、「…だけど、ここはね」と物言いがつくでしょう? そういうことに縛られずに、趣味で自由にやらせてもらおうと。
――つい人の目が気になってしまうと思います。評価してもらいたい、でも、実際どうなんだろう?と。
普通はそうですよね。でも、これは日本人特有じゃないでしょうか。もちろん、外国でも何かしたらご近所で噂になるとかそういうことはあるだろうけど、ことクリエイションにかけては、自由だし自己主張が強い。あくまで自分が基準。私が作品を出版社にもっていったのは、「これなら人に見せてもいい」と自分で思えたから。納得できるのに、7年かかりました。
――やめたいと思われたことはありませんでしたか?
好きだったらできる。頼まれたわけでも誰に見せるわけでもないのに、毎日書いてましたから。保育園なんてほとんどない時代に子育てをしていたので、社会とのつながりもないですよね。夫は高度経済成長期の男性で、とにかく忙しい。家族と過ごす時間もなかなかとれなかった。子供はかわいいけれど、ひとりの大人としては孤独。何かをせずにはいられなかったんです。書くことが、拠りどころでもありましたね。
50歳で書いた『魔女の宅急便』が、人生を自由にしてくれた
――1985年、50歳で『魔女の宅急便』を出版されています。ご自身の転機でもあったのでしょうか?
『魔女の宅急便』は社会的な評価の助けもあって、出版の4年後に宮崎駿さんが映画にされて広く知っていただきました。でも、主人公の13歳から30歳までを描いているので、読者は少し上の世代ですね。40代で書き始めた「アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ」シリーズは、幼稚園から小学校低学年の子供たちにすごく愛された。作家としてやってこれたのは、去年40周年を迎えたこの作品が大きいと思っています。
――小さな子ども向けに本をつくるとなると、ごまかしがきかない難しさもあるのでは。
それはもう、真剣勝負です。子供たちとの信頼がかかっていますから。でも、「子供はこういうものが好きだろう」と、おもねるのもダメ。あくまで自分が許せるものでなければ、世には出さないようにしていましたね。
――キャリアとしては、40代からステップアップしてこられた角野さんのご活躍は、働く女性の希望だと思います。欲が出てきたり、逆にもうこのくらいでいいかなと、揺らいでしまったことはないですか?
それはないですね。すごく評判がよくても、次はちゃんと書けるだろうかと不安になる。書き始めると楽しいから問題ではなくなるのだけど。
成功って、だいたいみなさんお金と結びつけるでしょう? でも、作家なんて印税で暮らせていいなとか言われても、それだけで暮らせない人もたくさんいます。お金や地位より、もっと目に見えない部分に自分の楽しみを見つけることのほうが大切。想像して自分の心を広げていくことが、対価としていくらになるかは計れないですよね。
――映画化、舞台化、さらに世界的なロングセラーとなっていくと、何かしら心境が変わる部分はありそうです。
ひとりで生きていけるわけですよね。経済的に自立して、仕事で心も充実する。それは自由だなと思いました。
他の人に干渉しないで済むようになるんです。たとえば、身近な人に対して「あなたこんなことしないほうがいいわよ」とか「もっとこうしたら?」とか、言ってしまいがちなことってありますよね。それが、気にならなくなって。お互いのテイストや領域を、うまく浸食しないようになれたかなと思います。
60代半ばで、鎌倉での暮らしをスタート
――2001年に東京から鎌倉に移住されたとか。何かきっかけがあったのでしょうか。
地縁があったわけではなくて、家を建てることになっていろいろ探していたら、ちょうどいい土地があった。いわば衝動ですね。
鎌倉は駅や海までの道に高低差がなくて楽ちんですね。よく歩いています。車は好きで長く運転していましたが、狭い道が多くて危ないので、転居して2、3年でやめてしまいました。もし事故でも起こしてしまったら、大変なことだから。
――85歳になられたばかり。とてもお元気ですし、東京での打合せやイベント、地方での講演など、お出かけも多いですよね。日々の生活で意識されていることはありますか?
子供のころから、いまだに3食しっかり食べないと機嫌が悪くなっちゃう(笑)。散歩は、60歳くらいから歩くと面白いなと思って続けています。食材の買い物を兼ねているから、どうしても駅前が多くなりますけれど。
――ぜひお気に入りのお店をお聞きしたいです。
鎌倉駅西口の御成通りから続く路地にある「Vicolo(ヴィコロ)」という、小さなイタリアンバール。エスプレッソがすごくおいしい! ブラジルのカフェを思い出すのです。近くを通るときは、必ず立ち寄って飲んでいくほど好きですね。
友人と食事をするときは、ビストロ「パパノエル」へ。地元鎌倉の野菜をふんだんに使った家庭的なフレンチです。「ラッテリア ベベ カマクラ」の自家製モッツァレラチーズは、手土産にしたりしますね。
コーディネートは、娘さんとのLINEでチェック
――角野さんのファッションは、色鮮やかなワンピースをベースにされていますね。明るくてとてもお似合いです。
体に合う型で、ワンピースを仕立ててもらっています。2~3年前から、娘に私のスケジュールを伝えると、彼女がコーディネートをつくってくれるように。
元々は、私もファッションが好きなのですが、忙しいときはなかなか時間がかけられなくて。講演や取材など、場に合わせて靴下までそろえて、写真に撮っておいてくれるので、迷わなくていいんです。ちょっとお見せしますね。
――LINEの「ノート」機能にまとめていらっしゃるんですね。パーソナルスタイリストさんみたい!
そうそう。自分でも服が好きだからこだわり出すと、出かける直前まで「やっぱり変えたい」と迷ってしまう。でも、「もう決まってる」と思えば、そのまま着て出ていけます(笑)。
――テーマカラーは、国際アンデルセン賞の授賞式でも身につけていらした「イチゴ色」にされているとか。
あれは白のワンピースに、いわゆる「イチゴ色」アクセサリーでした。髪が白くなり始めたころから、赤いものを身につけることが多くなりました。家を建てるときにもイチゴ色をベースにデザインしてもらって。娘が生まれたときは、ベビー用品を薄いブルーで統一しましたね。自分の色を決めると便利ですよ。
以前、ポルトガルのコスタ・ノヴァという港町に行ったら、ボート小屋の壁が全部ストライプですごく素敵だったんですよ。日本の街並みもせめて屋根くらい色を合わせたら、もう少しデザイン性が高まると思うけど、お隣のことを気にするわりにそういうところは無頓着よね(笑)。
目に見える数字に頼りすぎると、安心だけど楽しくはない
――2019年に発売されたエッセイ本、『角野栄子 エブリデイマジック』は、角野さんの豊かなアイデアの源を見せていただける作品ですね。エブリデイマジックとは、物語のジャンルのひとつだと初めて知りました。
日常のすぐそばにある不思議をとりあげるファンタジーですね。そういうジャンルがあると私もこの本をつくるときに知ったんですが、自分の書く分野にピッタリだなと。
異世界を描くようなハイ・ファンタジーは、『指輪物語』でも『ナルニア国物語』でも、ふたつの力のたいていが戦いの物語。光と闇、生と死、そしてイデオロギーの戦いになる。だから私はあえて書かないようにしてきました。
――角野さんの物語を読むと、小さな魔法が日常にある幸せを気づかせてくれます。
日常の中にも見えないけれど、面白いものはたくさんあって、それを見つける心の目をもつことは年をとってからでも生きがいになる。やりたいことが見つからないという方々は、園芸でも絵でもなんでもいいから、面白いと思ったらどんどん調べてやってみるといい思います。
よく「絵がヘタだから描けません」と聞くけれど、ヘタも何もだれが評価するの? 見せるでもないのだから、どんな絵でもいい。続けるときっと楽しくなってきます。それが職業になるかはわからないけど、少なくとも面白さを見つけたら、生きていることに退屈はしない。
――大人になると、つい見えるものばかりに価値を置きがちかもしれません。
なんでもかんでもグラフにしてしまうんですよね。安心するけれど、楽しくはない。それに、ひと目でわかる数字に頼ると「もっと大きくしよう」「まだ足りない」という焦りが生まれてくる。生活を便利にしてくれる道具だって、元をたどればどれもこれも人の願いと想像力の産物。そういった数字の奥にある見えない世界から姿を現したはずなのにね。
若い人たちに、大人の答えを押しつけない
――想像力といえば、角野さんは、鎌倉文学館で子供たちに読み聞かせの会も開催されていますね。
月に1回、4年目になります。毎月通ってくれる子もいますね。お話中は、言葉のリズムを大事にして、なるべく絵は見せない。それでも真剣に聞いてくれるんですよ。それで、「面白い絵があったら見てみたい?」と聞く。「見てみたい!」と返ってきたら、1枚だけ見せるんです。耳から入ってくる言葉には映像があるから、想像していたイメージが膨らんで目が輝く。言葉の造形美ですよね。
――昨年は、84歳でインスタグラムを始められて。SNSに懐疑的な大人世代も少なくないなか、新しいものへの好奇心が素敵です。
細々したセッティングは娘がやってくれています。9か月弱で1万8000人くらいフォローしてくださったみたい。初めは顔を出すのに抵抗があったけれど、「今は幅広い人に届けようと思ったら、新聞もSNSに敵わないのよ」と娘に教えられて。出版文化が特別な人のものになってきてしまっているから、若い人に知ってもらえるのはいいですね。
――豊富なご経験から「これが正解」と見つけていらっしゃる答えもあると思うのですが、お話をうかがっていると、子供たちや若い世代への目線がとてもフラット。自分もそうありたいなと思います。
大人が既成の答えを押しつけるものではないですし、子供も若い人も生きる力があって面白いですよね。
――最後に、これからやってみたいことをうかがいたいです。
2022年には、生まれ育った東京都江戸川区に「角野栄子児童文学館(仮称)」がオープンする予定です。緑豊かな公園の中に建設してくださるそうで楽しみ。何が起きるかわからない年だけど、しっかり立ってテープカットをしたい(笑)。元気にオープンを迎えたいですね。
角野栄子 エブリデイマジック
インスピレーションの源を辿り、素顔の魅力を公開
キキ(魔女の宅急便)やアッチ(アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけシリーズ)をはじめ、日常の魔法に満ちた物語を書き続けてきた角野栄子さん。「黒革の手帖」に書いた旅のメモや思い出の写真、日々のアイディアを書きとめた自筆のイラスト、初公開の俳句、大好きな本30冊のリストなど、秘密のアイテムを公開。〝エブリデイマジック〟が彩るライフスタイルは、まだ見ぬどこかへ行きたくなるようなワクワク感を与えてくれる。
エッセイ『エブリデイマジック』