cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_5985081812d6_野村周平、モデルの琉花と腕組みイタリアンディナーデート 5985081812d6

野村周平、モデルの琉花と腕組みイタリアンディナーデート

2019年4月17日 16:00 NEWSポストセブン

 4月12日の夜、都内の閑静な住宅街にあるイタリアンレストランに、野村周平(25才)と美女が、変装もせず腕を組み、入っていった。

 前クールのドラマ『僕の初恋をキミに捧ぐ』(テレビ朝日系)で心臓病を患う高校生役を演じる重圧から解放されたからか、この日は大人の雰囲気の漂う店でリラックス。アーチ形の天井が洞窟を思わせる店のいちばん奥、カーテンで仕切られた個室からは野村と若い女性の笑い声が響いていた。その声の主は、モデルの琉花(21才)だ。

「琉花ちゃんは『GINZA』『アンドプレミアム』『CREA』などのファッション誌で活躍しています。独特の雰囲気を持つ注目株で、最近は各雑誌から引っ張りだこですよ」(ファッション誌編集者)

 前菜、メインの肉料理、そして手打ちのパスタを楽しみ、約2時間のディナーを終えると、ふたりは手をつないで店を後にした。片時も離れたくない、といった様子だった。

「野村くんは今、久しぶりにスケジュールに余裕がある状態で、クラブで踊ったり友人の誕生日会に出席したりと、精力的に遊んでいます。琉花ちゃんとは、共通の知人を介して知り合い、最近仲を深めていったようです」(野村の知人)

 ふたりには共通の趣味がある。


「野村くんはフィルムカメラで撮影したものをインスタにアップするほど、写真にこだわりを持っています。琉花ちゃんは父親がカメラマンで、本人も写真展を開いたり、ファッション誌にカメラマンとして参加するなど、プロ級の腕前です。共通の趣味の話題で、盛り上がっているようです」(前出・野村の知人)

 野村といえば、かつては水原希子(28才)との熱愛が報じられていた。

「希子ちゃんはアメリカ人と韓国人のハーフですが、琉花ちゃんもオーストラリア人と日本人のハーフ。野村さんのタイプがわかりますね(笑い)」(前出・ファッション誌編集者)

※女性セブン2019年5月2日号








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cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_8e90f0a4d34a_ソニー、東芝、日本航空、東京電力 リストラ後の経営評価は 8e90f0a4d34a

ソニー、東芝、日本航空、東京電力 リストラ後の経営評価は

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

 日本経済を不況が襲うたび、企業は“社員の血”を流して窮地を脱してきた。だが、そうしたリストラが奏功したかどうかについて、「長期的視点での検証」はなされていない。日本型企業の最大の特性でもあった「終身雇用」が揺らいでいる中で、今後“人減らし経営”はさらに加速していくものと見られている。

 そこで、本誌・週刊ポストは、企業の信用調査をもとにデータベース事業などを行なう東京商工リサーチの協力をもとに、リストラ実施企業の「業績変化」成績表(別掲)を作成。経済ジャーナリストの福田俊之氏に、各企業のリストラの「成功と失敗」を3段階で評価してもらった。

 もともとの企業の大きさによってリストラの規模には差があるが、リストを見れば多くの会社が業績を拡大させていることがわかる。福田氏はこう指摘する。

「売上と利益だけではリストラが成功か失敗かは判断できません。リストラによって企業規模が縮小すれば、全体の売上高も下がる。その縮小が、不採算部門の整理などによるものであれば、売上減がそのまま失敗の証明にはならない。

 人件費など固定費を削減した分を、設備投資や研究開発費に回すなど、いかに『選択と集中』が行なわれているかが重要です」

 経営資源の選択と集中は、復活のための重要なファクターだ。大胆な方針でV字回復を果たしたのが「ソニー」だ。


「リストラ社員への『追い出し部屋』の存在などが露呈し、かつてのソニー神話は一度は地に墜ちました。しかしリストラで整理した経営資源をゲーム、音楽、金融などの事業に充てたことで業績が回復した。同社OBの中には“たまたま時流の追い風に乗っただけ”と手厳しい意見を言う人もいますが、思い切った戦略が効果を発揮した」(同前)

 同じ電気機器メーカーでも、「東芝」を取り巻く環境は厳しい。

「東芝は、利益こそ改善に向かっているものの、1兆円単位で売り上げを落としている。粉飾決算の発覚と、その痛みを従業員に押し付けるリストラがブランドイメージを大きく落としてしまった」(同前)

 サービス業においてもリストラが従業員の“質の低下”を招く例がある。

「現在では、経営破綻からの回復を遂げた『日本航空』ですが、再建計画ではグループ全体で2万人以上をリストラ。給料も20~30%のカットが行なわれました。

 それから10年、業績は黒字化したが、パイロット不足や経費削減などによる過労、飲酒問題などコンプライアンス上の問題が浮上。大リストラのデメリットが出ていることも否めません。

 人員削減によるサービスの質低下への不満は、原発事故以降にリストラを断行した『東京電力』にも集まっている」(同前)

※週刊ポスト2019年7月19・26日号

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cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_fdbfd59202db_三国志の“聖地”訪ねる1泊2日の弾丸旅 専門家推奨ルートは fdbfd59202db

三国志の“聖地”訪ねる1泊2日の弾丸旅 専門家推奨ルートは

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

 東京・上野の国立博物館で開催中の特別展「三国志」。「リアル三国志」を標榜する展示の見どころは、近年になって新発見が相次ぐ三国時代の考古史料の数々だ。一方、歴史作家の島崎晋氏は、「三国志」を体感するなら“三国志の聖地”を実際に訪ねるのがお勧め、という。同氏が、日本から1泊2日の弾丸スケジュールで行けるプランを提案する。

 * * *

 三国志は2世紀末から100年余り続いた中国乱世の物語である。後漢王朝を揺るがす大反乱「黄巾の乱」に始まり、統一が崩れた後の群雄割拠時代を経て、それらが曹氏の魏、孫氏の呉、劉氏の蜀の三国にまで淘汰され、さらに魏に取って代わった司馬氏の晋による天下統一をもって終わりとする。

 歴史書として4世紀初頭に成立した『三国志』が「後漢から魏を経て晋へ」という帝位継承を正統な流れとしているのに対し、14世紀に著わされた小説の『三国志演義』は「後漢から蜀を経て晋へ」という帝位継承を正統とする立場をとっている。

 蜀の建国者は、漢帝室の流れを引き、人徳にも優れた劉備という英傑で、彼を補佐したのは武人では関羽と張飛、頭脳役は諸葛亮(孔明)だった。魏の事実上の建国者は曹操、呉の建国者は孫権で、魏が黄河流域の華北一円を支配下に収めていたのに対し、蜀は中国西南部、呉は東南部を支配下に置いていた──。

 日本から中国の地方都市にまで直行便が飛ぶようになったおかげで、1泊2日の“弾丸ツアー”でも訪ねることのできる三国志ゆかりの史跡、いわゆる三国志の聖地も着実に増えている。ここでは直行便のある北京、江蘇省の南京、浙江省の杭州、湖北省の武漢、四川省の成都から行ける聖地を紹介しよう。

◆北京編

 北京から行けるのは劉備・関羽・張飛が世直しに生涯を捧げるべく、義兄弟の契りを結んだタク州(河北省保定市)で、ここには3人が同じ日、同じ場所で死ぬことを誓い合った「桃園の誓い」を記念した三義宮をはじめ、劉備故里、張飛の井戸(張飛古井)、張飛を祀った張桓侯廟、劉備の学問の師であった盧植の墓などが点在している。

 北京市の中心部からタク州市までは直線距離にして約70キロ。路線バスでも行けるが、高速列車を使えば北京西駅からタク州東駅まで30分弱。駅からタクシーをチャーターしてまわればよい。もちろん北京からチャーター車という手もあるが、現地に不案内なドライバーの場合、カーナビに出てこないところは土地の人に何度も尋ねながら行くことになるので、時間ロスの大きさを覚悟しなければならない。

 どういう交通手段を利用するにしても、初日は北京に泊まるだけ。2日目に朝早くから行動を始めれば、夕方の便での帰国が可能である。

◆南京、杭州編

 一方、中国東南部・江蘇省の南京にあるのは、呉の最後の宮城であった石頭城と孫権の墓および呉大帝孫権記念館で、後二者は隣接している。半日あれば路線バスでもまわれるが、初心者に中国のバスはハードルが高いので、タクシーをチャーターするのが無難だろう。

 江蘇省の南にあるのが浙江省で、そこの省都が杭州である。ここからは孫権故里と諸葛孔明の子孫が集団で住む諸葛八卦村へ行くことができる。孫権故里と称している場所は杭州市の南西に位置する富陽市に2か所あって、一つは龍門鎮、もう一つは場口鎮という村である。前者が清代の街並みを残す古鎮として村全体がテーマパーク化しているのに対し、後者には「呉大帝故里」と刻まれた石碑が建つのみだが、実際の孫氏一族の出身地は後者とする説が有力である。

 残る諸葛八卦村だが、これは諸葛孔明の孫・諸葛京の子孫が南北朝時代に赴任を命ぜられたことに由来し、住民全員が諸葛姓の村で、清代の街並みも残るなど、非常に風情あるところである。タクシーをチャーターして2日に分けてまわってもよいし、2日目にまとめてまわっても、夜の便で帰国することができる。

◆武漢、成都編

 武漢の場合、到着したその日に三国志で最も有名な戦いの舞台「赤壁」まで行って宿泊。翌日は赤壁を見学してから武漢に戻り、呉の重臣であった魯粛の墓(衣冠塚)と関羽ゆかりの卓刀泉、劉備ゆかりの郊天壇などを見てまわるのがお薦め。帰国は直行便の時間に間に合わなければ上海乗り継ぎ便を利用すればよい。魯粛の墓のすぐ近くには曹操の騎馬像、そこから少し離れたところには孫堅(孫権の父)・孫策(孫権の兄)・孫権の3人そろっての銅像もある。

 最後に成都である。ここでのお薦めは諸葛孔明を祀った武侯祠とその中にある劉備の墓(恵陵)である。中国では劉備が白帝城で亡くなったのが旧暦の4月24日、今の暦に直せば初夏にあたるため、恵陵に葬られたのは遺品のみで、遺体は成都まで運ばれる途中で葬られたとする説が強く、本当の陵墓を探す調査が今なお地道に続けられている。

 武侯祠は中国全土にあわせて数十か所あるが、一番の聖地とされているのはやはり蜀の都のあった成都のそれで、孔明の墓のある漢中市勉県(陝西省)のものがそれに次ぐ。成都で三国志グッズを買いたければ、武侯祠に隣接する錦里(ジンリー)歩行街か、そこから少し離れた寛窄巷子(かんさくこうし)という通りがお薦め。夜はその日の演目が三国志であれば、川劇(せんげき)という地方劇を鑑賞するのもよいだろう。往路は直行便だが、帰りは時間的に上海か北京乗り継ぎ便での帰国になる。

 どこを回るにもタクシーをチャーターするのが便利だが、不安な人は現地旅行社を通じて、ガイド兼ドライバーを雇う手もある。安さを選ぶか確実かつ効率のよさを選ぶかは各人の自由。思い思いの旅を楽しんでもらいたい。

【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『春秋戦国の英傑たち』(双葉社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など多数。

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cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_a91193d9b6a2_大原麗子と美空ひばり 親鳥と小鳥、カラオケの絆 a91193d9b6a2

大原麗子と美空ひばり 親鳥と小鳥、カラオケの絆

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

 2009年に亡くなった大女優の大原麗子さん(享年62)と、1989年に惜しまれながらこの世を去った国民的歌手・美空ひばりさん(享年52)。2人は姉妹のように親しくつきあっていたが、その交遊について語られることはなかった。大原さんにとってひばりさんが「姉」だったように、ひばりさんにとっても大原さんは大切な「妹」であり、心の支えだった。1961年から1989年までひばりさんの付き人をつとめ、5月にひばりさんとの思い出を綴った『お嬢さんと私』(主婦と生活社)を上梓した関口範子さん(79)が証言する。

 * * *

 ふたりはよくショッピングに行っていまして、ある日、鳥の置物をいくつか買ってきたことがあったんです。ひとつは親鳥と小鳥で一対になったもので、「親鳥は姉さんで、小鳥は私なのよ」って、麗子さんが嬉しそうに見せてくれました。

 もうひとつはペアの鳥の置物で、それぞれ家に飾っていたんですが、ひばりさんが亡くなった後、「(2羽を)一緒にしてあげたい」って麗子さんがおっしゃったので、差し上げました。

〈大原は、女優業の合間を縫って、ひばりのために“歌唱練習”までこなしていたという。〉

 麗子さんは「ひばりさんの歌を覚えるの」と一生懸命練習していらして、カラオケの十八番は、ひばりさんの代表曲『長崎の蝶々さん』。石井ふく子先生のお誕生会とか、なにかというとその曲を披露してくださるんです。私も聞きましたが、本当にお上手でした。

 ひばりさんが病に倒れた際は、何度もお見舞いに来てくださってね……。わざわざ福岡の病院にも来ていだだいて、あの時はひばりさんも感激していました。

 ひばりさんにとって、麗子さんの存在は、闘病生活だけでなく、人生そのものの支えでもありました。

●取材/宇都宮直子、大屋敷未世子

※週刊ポスト2019年7月19・26日号

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cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_afbac0c4c1c4_肺がんと胃がん X線、バリウム以外の検査方法が増える afbac0c4c1c4

肺がんと胃がん X線、バリウム以外の検査方法が増える

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

「毎年、自治体の肺がん検診でレントゲン検査を受けていたのに、去年の検査で『肺に影がある』と言われたんです。精密検査をしたら、診断は肺がんで、すでにステージIIでした。ちゃんと検診を受けていたから早期発見できると思っていたのに……」

 首都圏在住の70代男性は、肩を落として語った。

 全てのがんのうち、男性の死亡者数が最も多いのが、肺がんだ(女性は2位)。早期発見が重視されるがんのひとつで、5年生存率は、ステージIでは81.8%だが、ステージIIでは48.4%と急落する。

 それだけに、男性は毎年「レントゲン(胸部X線)検査」を受け、万全の注意を払ってきたという。にもかかわらず、早期発見できなかったのはなぜか。人間ドック、検診を毎年多く手がける東京国際クリニックの高橋通・院長(循環器科)が解説する。

「検査によって“得意とする病気”と“不得手な病気”があるからです。

 肺のレントゲン検査は、肺炎、肺結核、肺気腫、気胸などの呼吸器疾患や、心不全などの循環器疾患を発見できます。たとえば肺炎なら、レントゲン写真に“白い陰影”が映るなど、医師が判断しやすい特徴があるからです。

 一方、肋骨の重なりや血管の影、横隔膜の影、心臓の後面は、正面からの撮影では死角となり、病変が映らなかったり、わかりにくいケースがある。そのため、肺がんのレントゲン診断には限界があるのです」


 事実、胸部X線検査における肺がんの偽陰性率(実際は陽性なのに「陰性」の検査結果が出た割合)は、最大で50%というデータもある(日本医療機能評価機構が複数の研究結果をまとめた報告より)。つまり、半数の肺がんが“見逃されている”ことになる。

 同様の傾向は、胃の「バリウム(上部消化管X線)検査」にもあるという。

「バリウム検査では、胃潰瘍やポリープは比較的見つけやすい。ただ、腫瘍が小さい初期の胃がんや、壁づたいに広がるような食道がんの早期発見には向きません」(同前)

 厚生労働省の「地域保健・健康増進報告」によれば、2016年度の新規胃がん患者13万人のうち、自治体のバリウム検査で発見されたものはわずか4500人にとどまった。

 そのため、近年は「肺がん」「胃がん」の早期発見のためには、別の検査手法が選ばれることが増えてきた。

※週刊ポスト2019年7月19・26日号

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cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_fe6ac6ceee60_レンチンで肉や魚をパサパサにしないコツ&回鍋肉レシピ fe6ac6ceee60

レンチンで肉や魚をパサパサにしないコツ&回鍋肉レシピ

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

「電子レンジを使えば、炒め物や蒸し料理、煮込みなども短時間で調理できます。耐熱容器1つで作れるので洗い物も少なくてすみ、さらに時短に」と料理家の上島亜紀さん。とはいえ電子レンジ調理は、肉や魚がパサパサになるのでは? という心配も。

「材料を重ねる順番を工夫したり、加熱後の余熱を利用したりといったコツを知れば、肉や魚もふっくら仕上がります。短時間で加熱するので、野菜の栄養素もキープできますよ」

◆レンチン調理のコツ

(1)容器は耐熱皿や耐熱ボウルが便利

加熱には丈夫で、食材のにおいもつきにくいガラスの耐熱皿や耐熱ボウルが便利。今回は直径20cmのものを使用。

(2)材料に粉をまぶして水分を調整する

肉や魚、野菜から水分が出ると仕上がりがベチャッとしてしまう。調理前に粉をまぶしておくと水分も旨みも逃げにくくなる。

(3)材料の重ね順を工夫し旨みを出す

材料を重ねる順番も重要。回鍋肉なら野菜→肉→野菜→肉の順で重ねると、火の通りと味が均一になっておいしさがアップ。

(4)レンチンの余熱でじんわり加熱する

加熱のしすぎが、食材のパサつきやベチャッとなる原因。レンチン後の余熱を利用して調理すると、肉も魚もしっとり仕上がる。

◆回鍋肉レシピ

【材料】

豚バラ肉薄切り…100g(5cm幅) 

キャベツ…2~3枚

ピーマン…1個(乱切り) 

長ねぎ…1/6本(斜め薄切り) 

ごま油・片栗粉…各小さじ1

A:甜麺醤・酒…各大さじ1 豆板醤・にんにくすりおろし…各小さじ1 みそ…大さじ1/2

【作り方】

豚肉にAを絡める。保存袋に野菜と片栗粉を入れ振って混ぜる。耐熱ボウルに野菜、豚肉、野菜、豚肉の順に重ねる。肉は重ならないように並べる。ふんわりラップをし、電子レンジで5分加熱。

◆冷凍ご飯の温め方

冷凍ご飯(200g)を電子レンジで2分加熱。いったん取り出し、中心に空気を入れるようにフワッとつかみ、さらに1分加熱。すぐに器に移してほぐす。

撮影/木村拓

※女性セブン2019年7月25日号

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cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_affb778f520d_クルマの色はよりカラフルに? 3~5年後の最新トレンドとは affb778f520d

クルマの色はよりカラフルに? 3~5年後の最新トレンドとは

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

 クルマの色といえば、白や黒、グレー(灰色)といった無難な色が変わらぬ人気で選ばれやすいが、最近は街中でもカラフルな色のクルマを多くみかけるようになった。では、最新のカラートレンドにどんな変化があるのだろうか。モータージャーナリストの鈴木ケンイチ氏がレポートする。

 * * *

 6月下旬、ドイツに本拠のある化学メーカーのBASFから、今年の自動車のカラートレンド予測が発表されました。BASFは自動車の塗料も扱っているため、毎年のように世界の自動車のカラートレンド予測を行っており、それをメディアにも発表しています。

 この予測は、3~5年後の自動車マーケットを見据え、社会の変化や技術の進化・普及などを分析・検討したものです。自動車メーカーは、この予測を新しい量産車のカラーのヒントにしたり、コンセプトカーのカラーに採用したりしています。

 ちなみに、過去の傾向は次の通りでした。

・「アジア太平洋地域は、ブラウン系が定着し、温かみのあるカッパー(銅褐色)やグレー系など情緒的なカラーが人気の傾向」(2014年予測)

・「飽和するデジタル社会の反動により、バランスのとれた青のバリエーションが出現」(2015年)

・「新しい自由な取り組みを象徴した中間色のブルーグリーンがトレンド」(2016年)

 つまり、茶系のカッパー(銅褐色)やブルー系が人気傾向にあるというわけです。

 確かに、今春にデビューしたトヨタの「RAV4」は、ブルーグリーンやブルーがイメージカラーとなっていましたし、昨年の「パッソ」のマイナーチェンジはカッパーでした。他にもブラウン系やブルー系をイメージカラーとするクルマは数多くあります。トレンドは確かに存在しているのです。


 そんなBASFが予測した「2019─2020年のカラートレンド」のテーマは、「ACT/9(アクト・スラッシュ・ナイン)」というものでした。

 これからの時代は、技術の進化により、「何ができるのか?」ではなく、「人に最適な環境を実現する技術は何か?」というポストデジタル時代が到来しているとBASFは分析しています。そのため3~5年後は、まったく新しい世界を創造する力強い行動を「ACT(アクト)」、次世代の到来直前の雰囲気を10ではなく「9」と表現するというのです。

 そんな技術トレンドと社会の変化を分析し、将来のクルマの色へのインスピレーションとなるコレクションに反映させているといいます。そして、ずばり今後のトレンドは、

「カラーは、人を中心とした温かみのある色域や意匠、また豊かな個性や生き生きとした新時代を象徴する自由な発想が求められる」

 と予測します。日本を含めたアジア太平洋地域の予測は「暖色系のバランスのとれたカラーパレット」と言います。具体的な色のイメージは次のような予測をしています。


・穏やかで深いシェードを持つ暖色のバランスのとれたカラーパレット

・新しい白みがかったメタリックシルバー

・シルキーな無彩色メタリックのように明るく浮遊しているようなカラー

・わずかな干渉効果を持つブルー

・粗い粒子のグレーメタリックや官能的なパープルなどの、ダークで力強く生き生きとした表情豊かな色

 全体としては、控えめで親しみやすい色あいがトレンドになるというのです。

 温かみのある暖色系や、白っぽいシルバー、ダークだけれど力強い色。そんなカラーが3~5年後に数多く登場して消費行動やクルマの販売台数にどんな影響を与えるのか。興味深く見ていきたいと思います。

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cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_5cb62fc8a2ce_大船渡・佐々木朗希 中学時代恩師たちが明かす「怪物前夜」 5cb62fc8a2ce

大船渡・佐々木朗希 中学時代恩師たちが明かす「怪物前夜」

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

 高校3年にして163キロを投げ、メディアとファンの注目を一身に受ける岩手・大船渡の佐々木朗希(17)。その注目度に比して、来歴や素顔はあまり知られていない。『永遠のPL学園』(小学館文庫)などの著書があるノンフィクションライター・柳川悠二氏が、関係者の証言を集めた。

 * * *

 岩手・大船渡の佐々木朗希の視察に、一目でそれと分かるスーツ姿の大男たちが何十人とやってくるのは、もはや見慣れた光景だ。そして、令和の怪物が降板するや、ゾロゾロと引き上げていく。6月に会った、あるプロ野球のスカウトは言った。

「これ以上、彼のピッチングを見る必要はない。163キロを投げた素材としての魅力は十分に把握している。球数や登板間隔に配慮するあの(國保陽平)監督さんなら、故障の心配もない。ドラフト1位? 当然、そうなります」

 この夏の高校野球の主役は、4月のU-18高校日本代表一次候補合宿で163キロをマークした佐々木だろう。190センチの長身から投げ下ろす剛速球だけでなく、スライダーやチェンジアップなど、変化球も器用に操る。甲子園出場経験こそないものの、岩手が生んだ菊池雄星(現・ドジャース)、大谷翔平(現・エンゼルス)に続く怪物として、16日に初戦を迎える岩手大会には大きな注目が集まっている。

 しかし、学校側がグラウンドへの立ち入りを禁止し、試合後の取材も厳しく規制しているため、佐々木の素顔や育った環境に関しては、いまだベールに包まれたままである。分かっていることといえば、2011年の東日本大震災の津波で父と祖父母を亡くし、生まれ育った陸前高田市から大船渡市に移り住まざるを得なかったという悲しい過去である。

「お父さんのことは、誰も詳しくは知りません。同じ被災者として、家族に起こった出来事を軽々しく聞くことはできません」

 そう話したのは、佐々木が大船渡第一中学の2年生だった1年間、野球部の部長を務めた志田一茂氏だ。当時(2015年)の大船渡第一中学のグラウンドにはまだ仮設住宅が建ち並び、野球部の練習はその脇にある空き地のような場所で行うことしかできなかった。


「とにかく活発な子で、スポーツテストではハンドボール投げや50メートル走など、すべての項目でずば抜けていた。負けず嫌いでしたね。私は仙台大学時代に野球部に入っていて、1学年後輩にプロ野球に進んだ熊原健人(現・東北楽天)、3学年後輩に馬場皐輔(現・阪神)がいた。そういう選手を間近で見る経験をした上で、卒業後すぐ大船渡第一中学に勤務することになったんですが、朗希は球速こそ120キロ台でも、素材という点では見劣りしなかった。

 ふと思うんです。投手としての球の速さは、瞬発力と大きく関わりがあるんじゃないかな、って。朗希は中学時代、クラス対抗リレーなんかに必ず選ばれていました。高校進学後も、150キロを出した頃には、『50メートルを5秒台で走った』という噂が聞こえてきました。さすがに163キロには驚きましたが、それに至ったのは彼の瞬発力が大きく影響しているのではないでしょうか」

 中学時代から佐々木は研究熱心だったという。理想のフォームを探し、情報を集めてグラウンドで実践していた。

「野球脳が賢いとでもいうのかな。たとえば、野球の技術書を読んで、自分もこう投げたいというフォームが見つかったら、マウンドで再現する。その能力が高かった」

 現在も大船渡第一中学で、軟式野球部のコーチを務めているのは、地元の消防署で救命士として働く鈴木賢太氏だ。彼は佐々木の3歳上の兄も同校で指導した経緯がある。

「入学した時点では朗希の身長はまだ160センチ台で、中学3年間で20センチ以上伸びました。成長痛とうまく付き合わなければならず、腰も疲労骨折して投げられなかった時期が本当に長かったんです」

 佐々木が中学時代にエースナンバーを背負ったのは、中学2年生の秋だけだ。そして3年生になる直前の2016年初春に腰の疲労骨折が判明した。

 腰の痛みを訴えた当初、大船渡市内の病院に行くと、「身体が硬いだけ」と言われたが、鈴木氏は釈然としなかった。入学前から、投手として成長していく上での柔軟性の大切さを、兄を通じてアドバイスし、中学入学後も佐々木はストレッチなどを怠らなかったからだ。それゆえ、鈴木氏はこれまでも教え子が進学していた花巻東の佐々木洋監督に相談する。同じく成長痛に苦しんだ大谷翔平が高校時代に通った青森県八戸市の病院を紹介してもらい、そこで疲労骨折と診断されたのである。

 医師からは「このまま、だましだまし投げることは可能で、夏の大会(中総体)に出たらチームも勝てるかもしれない。しかし、この選手は、ものすごい選手になる可能性を秘めている。これから身長もまだまだ伸びていくだろう。だから、この時期を棒に振ってでも、完治を優先させるべきかもしれない」と説明された。最終判断は鈴木氏ら指導者に託されたのである。

 鈴木氏たちが迷うことはなかった。

「朗希は投げたかったと思います。最大の目標を最後の大会に置いていましたから、夢を奪われたような気分だったかもしれない。朗希は悔しくて、ボロボロ泣いていました。でも、その病院のトレーナーさんが、『頑張れば、もしかしたら間に合うかもしれないから』と声をかけてくれて……」


 以来、大谷も取り組んだリハビリに励む。岩手では、軟式野球部を引退した中学3年生がその秋に、高校から扱う硬式球までの準備段階として、素材はゴムながら硬式球と同じ大きさ、重さの「Kボール」の地域代表を結成する。腰がようやく癒えた佐々木も地元の「オール気仙」の一員に加わり、Kボールの岩手大会を制し、全国大会に出場。試合を締めくくるクローザーとして、ある試合で自己最速となる141キロをマークした。

「オール気仙」の代表を務める布田貢氏(末崎中教諭)は、2011年の震災の直後、一家が大船渡に移住してきた時、佐々木と出会っている。小学6年生の息子が所属していた猪川野球クラブに当時、4年生の佐々木が入団してきたのだ。

「あの年は震災によって、新学期が始まるのが遅れたんです。私は試合の球審をやることがあって、5年生の試合に、転校してきたばかりの朗希が下級生ながら先発した。身長も飛び抜けて大きいわけではなく、球速も4年生にしては速いかなと思うぐらい。ただ、ストイックな性格は伝わってきました。練習に集中しない仲間にきちんと注意できる子でした」

 ケガと戦いながらも、大きく成長してきた佐々木と布田氏が再会したのは、「オール気仙」だ。ある時、オール気仙と、普段、布田氏が指導している末崎中学が練習試合を行ったことがあった。佐々木と対戦するにあたって、布田氏は「真っ直ぐだけを待って、1、2、3のタイミングで打て」と末崎中の選手たちに指示した。すると佐々木から5連続安打を記録。試合後、布田氏は佐々木を呼び寄せてこう告げた。

「なぜ打たれたのか、分かるか? 真っ直ぐしか投げてこないじゃないか。速いボールを活かすためにも、変化球は必要なんだぞ」

 スピードにこだわりを持つ佐々木も、「高校に進学して、投球に広がりができた」と布田氏は話す。

 高校の進学先に関して、佐々木は大きな決断を下す必要があった。中学時代の佐々木は、全国的には無名だったとはいえ、花巻東や盛岡大附属など、岩手県内の強豪私立からも声がかかっていた。とりわけ病院を紹介してもらった花巻東からは「受験日まで待つ」という最大限の評価を受けていた。鈴木氏が振り返る。

「朗希も迷っていました。最終的になぜ大船渡を選んだのか。その理由は私も聞いていません」

 プロ野球選手になる夢をかなえるのなら、佐々木の成長し続ける身体に理解があり、何より大谷という成功例を保持する花巻東が近道だったかもしれない。

 だが、佐々木は兄も通った大船渡を選んだ。「大船渡の仲間と甲子園を目指したかった」としか佐々木は話さないが、同校は志田氏、鈴木氏、布田氏ら、中学までの指導者の母校でもあった。

 35年前に甲子園で大旋風を巻き起こした同校を再び聖地に導くことで、恩に報いようとしているのだろう。

 大船渡は7月7日、最後の練習試合に臨んだ。同じ岩手の盛岡第一を相手に、先発した佐々木は9回を完投。直球だけでなく、縦と横のスライダーに、右打者にはフォーク、左打者にはチェンジアップを巧みに使い、相手打線を力で、そして技でねじ伏せた。7回には一発を浴びたものの、その直後の1球がこの日の最速156キロを記録。わずか一球の失投が命取りになるという戒めとして、腕を強く振ったのだろう。

 そして140球を投げたのは、昨秋以降、私が取材してきた限り、最多である。しかも、前日にも佐々木は70球を投げていた。

「まだ球速に耐えられる体じゃない」として、これまで球数や連投に関して、慎重に慎重を期してきた國保監督からしたら意外な起用だった。本人の意思か、監督の指示かはわからないが、間もなく開幕する岩手大会で強いられる連投を見据えての登板だろう。

 令和の怪物にとって最後の夏の準備は整った。


◆取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)

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ラグビー選手には試合後、「全員参加の飲み会」が待っている

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

「今日の飲み会は全員参加です!」──職場でそんなことを言われれば、パワハラの4字が脳裏をかすめる昨今。ところがラグビー界では、試合直後に両チームが一堂に集まって盃を交わす“全員参加の飲み会”があるという。

「ついさっきまで肉弾戦をやりあっていた相手とアルコールの入った状態で対峙するなんて大丈夫なのか……」と勝手に心配してしまうが、実はこの“飲み会”は、ラグビー界では大切な伝統行事のひとつだ。

 正式名を「アフターマッチファンクション」という(ファンクションとは、「働き」「職務」の意味)。試合後に行われる交歓会のことで、軽食とビールなどのドリンクで歓談するのが通例となっている。

 今年9月からのラグビーW杯日本大会を控え、巷では徐々にラグビー熱が高まっているが、試合後にそんな伝統行事があることは、あまり知られていない。日本ラグビーフットボール協会の広報担当者に、アフターマッチファンクションについて聞いた。

「いつから始まったかはわかっていませんが、ラグビーの母国イングランドでは、主催側が対戦相手を歓迎する意味で行われたものとされています。日本にラグビーが伝えられた明治期にはアフターマッチファンクションも一緒に入ってきたと考えられます。お互いにエールを交換し、交流しようというものです」(広報担当者)

 ホスト側が会場を設定、軽食やドリンクを用意し、選手の着替え、ミーティングなどが終わったあと、だいたい試合終了後1時間から1時間半後の間に開始される。場所はスタジアム内のミーティングルームなどが使われるが、海外では飲食店を借り切って行われることもあるそうだ。

 出席者は選手のほかに試合の主催者、協会関係者、チームスタッフ、レフリーなど。日本のトップリーグの試合などではファンが出席できる特典が用意されていることもある。チームはベンチ入りメンバーが基本的には全員出席するので、総勢50~60人もの規模になるという。 

 試合直後の疲弊状態で参加する選手たちは、辛くはないのだろうか。日本代表として33試合に出場し、2007年W杯のカナダ戦では日本の連敗を止める劇的な同点ゴールを決めたこともある大西将太郎さんは、アフターマッチファンクションの思い出をこう語る。

「アフターマッチファンクションでは、試合の感想を述べたり、“あのタックル、やられたよ”なんて話をしています。2006年の春に行われたトンガとのテストマッチ(国際親善試合)のアフターマッチファンクションは特に思い出深いですね。“お前は風貌がトンガ人みたいだから”といわれて、一緒に彼らの歌と踊りに参加したんです。お返しに、僕たちも彼らの知っているスキヤキソング(「上を向いて歩こう」)を歌ったりしました。試合の前に相手国のことを調べて、ネタを仕込んでいくんですよ」

 そこで知り合った相手選手と連絡先を交換し合い、友達になることもよくある。

「アフターマッチファンクションがあることで、世界中のラガーマンと友達になれた。今でもさまざまな国の選手や、引退してコーチになっている元選手たちから情報収集したり、近況を連絡し合ったりしていますよ」(大西さん)

 アフターマッチファンクションが平和裏に行われる背景には、やはりラグビーの「ノーサイドの精神」があるだろう。試合が終われば、互いに勝利を目指してしのぎを削り合った者同士だからこそ分かり合える境地で、肩を組んで盃を酌み交わす──そんな相手へのリスペクトこそ、ノーサイドの神髄ではないだろうか。

 ラグビーが相手へのリスペクトをことさら強調するのは、体を激しくぶつけ合う競技だからこそ。常に相手を尊重することを言い続けてこそ、ラグビーはボールゲームの体裁をなしていられる。それがなければ、試合中すぐに乱闘になってしまうだろう。

 アフターマッチファンクションは大人だけでなく、ジュニアの試合でも行われる。乾杯は、もちろんソフトドリンクだ。敗れてどんなに悔しくても笑顔で握手することで、子どもたちは一段とたくましく、大人へと成長していく。

 アフターマッチファンクションは、相手を尊重するノーサイドの精神を涵養する機能を備えたものでもあるのだ。

●取材・文/岸川貴文(フリーライター)

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cat_oa-newspostseven_issue_5985081812d6 oa-newspostseven_0_4c8a4f499353_『トラとミケ』を読み、銭湯に浸かりたい衝動にと料理編集者 4c8a4f499353

『トラとミケ』を読み、銭湯に浸かりたい衝動にと料理編集者

2019年7月16日 07:00 NEWSポストセブン

 6月18日に発売になるや、発売1週間で重版が決まるなど、大きな話題を呼んでいる単行本『トラとミケ いとしい日々』。その魅力はなんといってもフルカラーで描かれた、かわいい猫たちの姿と美味しそうな料理だ。SNSでも「癒される!」「かわいい!」「美味しそう」といった感想がつぶやかれている。「料理」の達人はこの物語をどのように読んだのか。『女ひとりの夜つまみ』などの著書もある人気の料理編集者 ツレヅレハナコさんに話を聞いた。じっくり味わってくださいませ。

 * * *

 まず目を惹かれたのが、淡い色合いのきれいな水彩画。そこに手書きの文字が入り、1ページ目からねこまきさんの優しい雰囲気に包まれました。物語もとても面白い。ほのぼのとした日常が続くんですが、そんな中にも人間ドラマがきちんと描かれていて、読み応えがありました。

 舞台は名古屋のどて屋「トラとミケ」。登場人物は、店を切り盛りするトラとミケの高齢姉妹と、老若男女さまざまな常連さんたち。酒場の数だけドラマあり。ここのお客さんにもそれぞれいろんな人生があって、ここの酒場を通り過ぎていきます。

 すごく辛いことがあっても、「トラとミケ」で美味しいビールとお酒とおつまみを食べて、ふたりと話せば、元気になる。そしてのれんをくぐって帰っていきます。いいお店ですよね。

 彼女たち(ネコたち)を見ていると、また名古屋に行きたくなりました。トラとミケはいませんが、みんなが名古屋弁で話していて、串カツや赤味噌料理がメインのコの字カウンターの居酒屋が、名古屋には多いんです。

 私も出張で名古屋を訪れるたび、「トラとミケ」のような店に行くのをすごく楽しみにしていて、必ず足を運びます。やっぱり、名古屋といえばあの赤味噌のどて焼き。ああ、久しぶりに食べたいな。

 私は飲むとごはんものは食べないので、第4話「盛夏の候」に出てきたどて焼き丼の味は分かりません。でも、温泉卵を上に乗せるのはすごく合いそう。食べてみたいですね。

 ごはんの話はさておき、すごく良かったシーンがあります。第7話「錦秋の候」と第8話「向寒の候」の回想シーンで、夏休みなのにどこにも行けない子供たちが、近所のおじさんに海に連れて行ってもらう話です。海で泳いだ帰り道、蒸気機関車のすすで汚れた顔と体を、駅舎にある銭湯で落として帰途に着くんです。


 この描写を見て、ある衝動に駆られました。私もぜひ、海を見て銭湯に浸かりたい。そして、私ならそのまま「トラとミケ」に行って飲みたい。「海→銭湯→居酒屋」のコースを名古屋でやってみたい!と。だって、お風呂上がってビールを飲んで、串カツに赤味噌ですよ。さっぱりした後に、こってりしたごはんとビール。夢のような組み合わせだと思いません? 

 でも、駅舎の中に銭湯があるのは昔ならでは。きっと今では幻のコースですね。

 そんなこんなで、また食べ物の話に戻ってしまいましたが、読んでいると、あれが食べたい、これがしたいと食欲も好奇心も湧いてきます。美味しさと優しさの詰まった物語でした。

【Profile】

料理編集者・ツレヅレハナコさん●1976年生まれ。食と酒と旅を愛する編集者。著書に『女ひとりの夜つまみ』『ツレヅレハナコの揚げもの天国』など。

※女性セブン2019年7月18日号

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