cat_oa-newspostseven_issue_1b5d7dccf422 oa-newspostseven_0_1b5d7dccf422_西谷浩一監督が最も印象に残っている大阪桐蔭OBは 1b5d7dccf422 1b5d7dccf422 西谷浩一監督が最も印象に残っている大阪桐蔭OBは oa-newspostseven

西谷浩一監督が最も印象に残っている大阪桐蔭OBは

2019年1月2日 16:00 NEWSポストセブン

 長く、大阪桐蔭を取材しているスポーツジャーナリストの古内義明氏が「平成最後」の甲子園を春夏連覇した西谷浩一監督に訊く、短期集中連載の第2回(全3回)。大学や社会人野球というアマチュア球界にも幅広い人材を輩出し続ける、その極意に迫った。

──選手の進路について、どの学年から意識させるのでしょうか。

西谷監督:毎年、2年生のお正月休み明けに、1度目の進路希望調査をします。子どもたちの進路についてはいきなり否定せず、その都度アドバイスを送るようにしています。春の選抜大会後ぐらいから、親御さんと本人の3者面談を重ねていき、方針を決めます。まずは本人の希望を聞き、その中でお声がけしてくださる大学があれば、薦めていく感じです。今年はプロ4名、社会人2名、その他は東京六大学など、大学で野球を続けます。

──大阪桐蔭から大学野球や社会人野球に進む上で、どのようなビジョンをお持ちですか。

西谷監督:野球の技術はもちろんですが、最後は人間性が重要になってくるので、そこを大切にしています。子供たちには、「他人から物事を頼まれるような人間になろう」と伝えています。例えば、来客の方がグラウンドにいらした時、案内するだけでも、ちゃんと気配りもして、配慮できる人間になって欲しいと思います。「困った時に、人から頼りにされる人間になろう」と、話しています。

──進学させる上で、大学や社会人のチームをどのように研究しますか?

西谷監督:一番重要なのはポジションです。校風や監督との相性ももちろん考えますが、ポジションは大事です。例えば、前年に良い捕手を獲得したチームに送り出すよりは、捕手を獲得したいと思っているチームがどこかをまず考えます。選手の希望も聞きながら、信頼できるチームで手薄なポジションであれば、そちらを薦めることはあります。私なりに、ガイドブックや野球雑誌を見て研究しながら、様々な人と会うことで情報を集めることはします。

──情報収集をする上でも、パーティーなどの野球関係者に会う機会は貴重ですか?

西谷監督:時間があれば、パーティーにも顔を出すようにしています。またパーティーのみならず、大阪桐蔭から進んだ選手がいるチームの監督にはしっかり連絡をするようにしています。その会話の中で、「来年、どのようなポジションの選手が欲しいですか?」とは、必ず聞くようにしています。補強ポイントにマッチした選手が行くことで、1年目のスタートは良くなるはずです。その後は、本人の努力次第です。

──西谷監督が生まれた昭和44年の同期会も、大切な情報収集の場でしょうか。

西谷監督:同期では、東海大相模の門馬敬治監督がいて、2000年春の選抜で優勝しました。その頃の私は大阪大会でまだもがいている頃で、同い年である監督が全国優勝を達成して、「凄いな」と思いました。

 44年会は、社会人でプレーした関西地区の同期が集まり出したのがきっかけで、社会人でプレーしていない私にも声がかかり、参加しました。当時は選手でしたが、年齢を重ねていくことで、今では指導者も出てきました。土井善和(日本生命コーチ)や田村秀生(日本新薬コーチ)が現役引退した際に、関東地区でも44年会が始まり、50~60人規模で行われています。始めた頃は、「若手の会」と思っていましたが、今では50歳を超え、少年たちへの野球教室など、いつの日か、ルールの範囲でできるようになればいいと話し合っています。

 現在は12月に関西で、1月には関東で開催していますが、いつか合同で出来ればいいという話をしながら、たくさんの同級生が参加する程の大きな会になっています。会の恒例で、その年に活躍した人にネクタイがプレゼントされます。甲子園で優勝したので、皆さんから、記念のネクタイを頂くことが出来ました。


──上のレベルに進んだ選手で印象に残っている成功事例は?

西谷監督:オリックス・バファローズで活躍する澤田圭佑がその一例です。在学時から、澤田は、「とにかくプロに行きたい」という強い希望がありました。でも、藤浪晋太郎(阪神タイガース)がエースとしていたために、2番手で投げていました。高校では少し力足らずでしたが、将来的にプロに行きたいのならば、大学ではトップのリーグで揉まれることを薦めました。

 そこで、1年生から投げていける大学に行った方が良いと判断しました。本人が、「東京の大学に進学したい」という希望があり、東京六大学を見た時に、立教大学の投手陣が少し手薄という印象を受けました。様々な関係者にも話を聞き、「立教なら1年生から登板できるチャンスがある」という助言を頂きました。当時、立教大学の監督をしていた、大塚淳人さん(2010年~2013年まで在任)に連絡させて頂き、アスリート選抜試験で入学しました。

──結果的に、澤田投手は神宮で活躍して、プロ野球という目標を叶えましたね。

西谷監督:澤田なら体もできており、大学でも1年生から技術面でも精神面でもフルで戦えると思いました。良い投手がたくさんいる他の大学ならば、3年生ぐらいからの登板になってしまうと思いました。また、もし背番号1を付けて活躍していたら、澤田には他の大学を薦めたかもしれません。

──社会人野球に目を移すと、大阪桐蔭から立教大学に進学し、三菱重工神戸・高砂で活躍している那賀裕司選手がベストナインを取りました。

西谷監督:那賀は大阪桐蔭から立教大学に進んだ第1号で、彼のおかげで、立教大学ともお付き合いが出来るようになりました。その後、先ほどの澤田、侍ジャパン大学代表の田中誠也が活躍することで、大阪桐蔭からまた獲得しようと思ってもらえます。

──大阪桐蔭に進学を考える上で、中学生の保護者は、大学進学についても敏感ですか?

西谷監督:昔から敏感なご両親はいます。大阪桐蔭に進学し、甲子園で優勝して、大学野球で活躍して、プロ野球に行きたいと思う子供たちが集まってきてくれていると思います。リクルーティングの時、ご両親から質問されたら答えますがが、進学は入試ですし、絶対など言い切れませんので、私の方から(大学など)進路の話は一切しません。それぞれが活躍できる舞台に進めさせて上げたいと思っていますが、活躍できる舞台の適性を見極めるは本当に難しいです。

──大学の推薦を受けることが出来る「評定3.0以上」という最低レベルをクリアする必要がありますよね?

西谷監督:評定に関しては日頃から言っています。評定がなければ、進学できないこともあるので、勉強もしっかりさせます。野球の才能がありながら、評定が0.1足りなければ、どれだけ私がお願いしても受験資格がないので、合格することはできません。あとは推薦に必要な評定を決める学年が3年生の1学期なのか、2年生までなのか、大学によっても評定の基準が違うので、そのあたりの研究も必要です。

──入学してからの勉強の習慣づけも重要ですね?

西谷監督:寮生活を送っているので、テスト前やテスト期間は勉強会を開催します。それでも勉強が苦手な子供がいるのは確かです。時々、1年時の悪い評定が響いて、推薦を受けることが出来ない子供もいます。だから、毎年評定は不安の種です。今年の3年生、21名全員の進路が決定したので、ホッとしました。次は、今の2年生の進路を叶えてあげられるようにしたいので、情報収集中です。

──寮生活で、ルールはありますか?

西谷監督:起床や消灯はその日によって変化します。起床時間は学校に合わせて、大体決まっていますが、消灯は練習時間に合わせて変わります。全員一緒に夕食を食べ始めることはなく、3年生が入浴している時に1、2年生が食事をとるようにしています。入浴と食事が終わり次第、一度寮内の清掃を行うので、その時に消灯時間を伝えます。また、洗濯など、自分のことは自分でするように決めています。


──部屋割りは、監督が決めますか?

西谷監督:3人×7部屋の1学年21名ぐらいなので、3学年で63名になります。最初だけ、私たちで決めます。3年生なら3年生の部屋というように、学年ごとで部屋を決めます。

──1学年21人というのが、西谷監督の思い描く理想のチーム作りですか?

西谷監督:今はあえて増やしていないです。部員数を増やしても、補欠を増やすことになるだけです。下級生からも試合に出したいので、増やしません。もし1学年50名まで増えてしまうと、希望する進路を叶えてあげられなくなります。これ以上、減らすと勝てないような気もしますし、怪我人が出た時、対応しにくくなるので、試行錯誤しながら、辿り着いた最適な人数だと思います。

【PROFILE】

◯西谷浩一(にしたに・こういち)/1969年9月12日、兵庫県出身。現役時代は捕手で報徳学園高から関西大。卒業後は大阪桐蔭高コーチを経て1998年秋に同高監督に就任し、一度コーチに退いた後、2004年から再び監督として指揮を執る。甲子園春夏の通算成績は16回の出場で、55勝9敗。昨夏の甲子園で春夏通算7度目の全国制覇で歴代最多優勝監督となり、史上初の2度目の春夏連覇も達成した。教え子に中村剛也(埼玉西武ライオンズ)、中田翔(北海道日本ハムファイターズ)、藤浪晋太郎(阪神タイガース)などを輩出し、昨年は根尾昴(中日ドラゴンズ)や藤原恭大(千葉ロッテマリーンズ)など4人のプロ野球選手を誕生させた。社会科教論。

◯古内義明(ふるうち・よしあき)/1968年7月7日生まれ。立教大学法学部卒、同時に体育会野球部出身。高校・大学球児向け「サムライベースボール」発行人として、これまで数百校の高校を取材し、アマチュア関係者と独自の人脈を構築。近著に、『4千分の1の名将 新・高校野球学【関西編】』(大和書房)がある。(株)マスターズスポーツマネジメント代表取締役、テレビやラジオで高校野球からメジャーリーグまで多角的に分析する情報発信。立教大学では、「スポーツビジネス論~メジャーの1兆円ビジネス」の教鞭を執る。

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コロナ感染のソフトバンク松田は「高級キャバクラ豪遊」、会食クラスターだった

2022年1月27日 19:55 NEWSポストセブン

 球界をコロナの猛威が襲っている。50人超の選手に感染が確認され(1月26日時点、以下同)、2月1日からの春季キャンプへの合流の目処が立たない選手も出ていて、12球団が対応に追われている。

「熱男」で知られるソフトバンク松田宣浩(38)の新型コロナ感染が確認されたのも熊本での自主トレの最中だった。プロ17年目を迎えるベテランは他球団の志願者も交え「熱男塾」と銘打った自主トレを行なったが、1月17日に松田を含めた参加者7人の感染者が発表された。ソフトバンクの選手やスタッフのほか、他球団から参加したDeNAの主軸・宮崎敏郎(33)、西武の若手選手らも含まれている。

「合同自主トレでは、選手は数名でも、スタッフを含めると、どうしても人数が多くなる。報道陣に公開する日もあるため、感染力が高いオミクロン株が流行している今、クラスターになりやすい」(スポーツ紙デスク)

 とはいえ松田の場合、少し事情が異なるようだ。

 熊本市は松田らの感染が発表された翌日、〈会食に伴うクラスターの発生について〉との報告を公表している。名前は挙げないものの7人の感染を確認したとした上で、「11日、12日に12人で会食」「いずれも熊本市中央区の飲食店を貸し切りで利用」したことを明記している。

 現地で取材を進めると、この会食にはキャバクラが含まれていたことが分かった。事情をよく知る飲食店経営者が明かす。

「松田ら自主トレのメンバーは自主トレ開始前日の1月11日夜に熊本市内のプロ野球選手行きつけの焼肉屋を訪れ、翌12日には熊本市内の馬肉料理が有名な店で食事をした後、高級キャバクラを訪れています。このキャバクラは2 日間食事に同行した松田の知人の地元経営者の計らいで貸し切りでした。この経営者は羽振りがいいことで地元では知られており、ソフトバンクの選手を長年面倒見ている。松田のことは昔から可愛がっていました」

 松田らが訪れたキャバクラは、松田らの感染発覚後に休業となり、1月26日に営業再開した。

「休業の間、そのお店の女の子は別の系列店で働いていました。客から休業の理由について聞かれても答えないようにと言われていたと聞いています」(系列店の従業員)

 松田らがキャバクラ店を訪れた1月12日には熊本県内の新規感染者が177人確認されており、蒲島郁夫・県知事が緊急会見で、「まん延防止等重点措置の適用も視野に入れる必要がある」と危機感をあらわにしていた時期だった。ただし、実際に重点措置が決まったのは19日になってからで、この時点で制限はなかった。


 また、NPBも自主トレに関しては、球団、選手任せにしている。

「シーズン中は各球団、選手に対しては厳しい外出制限などを設けていましたが、昨秋に感染者数が激減したことに加え、オフシーズンに入ったことで制限が緩和されています。ソフトバンクでは球団施設を利用する際はスクリーニング検査を義務づけていますが、現在は契約期間外のため、特別な外出制限は設けていません。その点では、松田の行動に問題があったとは言い切れず、球団も公表しないことにしたのでしょう」(ソフトバンク担当記者)

 とはいえ、熊本市が「会食によるクラスター」と公表している以上、球団から何らかの説明をすべきだったのではないか。

ソフトバンクに聞くと、「契約期間外のプライベート活動ということで、プライバシーの観点からも、球団としての行動内容の事実確認・コメントについては、差し控えさせて頂ければと存じます。このオフ期間についても特段の行動制限などは設けておりませんでした」(広報室)と回答があった。

 また、感染者が出た西武からは「プライベートのことにつき、回答は差し控えさせていただきます。オフ期間につきましては、チームのルールは設けないものの、行政から出ている感染予防対策に従い行動するよう注意喚起しております」(広報部)、DeNAからも「1月は契約期間外のため、選手に対し特段の行動制限は課しておりません。そのため、球団として回答は差し控えます」(広報・コミュニケーション部)と回答があった。

 松田にとって今季は進退を懸けたシーズンだったはずだ。2015年から5シーズン連続で全試合出場し、代名詞ともなった熱い「声」でチームには欠かせない存在だった。しかし、昨シーズンはレギュラーを奪われ、規定打席に到達せず。昨年12月には球団史上最大の減額幅となる3億円ダウンで契約更改した。

 27日に復帰した松田は「僕も2~3日キツい症状が出ましたので。こうやって戻ってこられて良かったと思うんですけど、今一度コロナっていうのは怖いということをみなさんにお伝えできたらいいかなと思います」と語った上で、「とにかくこつこつ練習していい状態でキャンプに入れるように」と、決意を口にしている。

 覚悟と責任を持った行動とプレーで、「熱男復活」を遂げて欲しい。

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視力回復を目指す「人差し指遠近トレーニング」「眼球ストレッチ」のやり方

2022年1月27日 19:15 NEWSポストセブン

 近年目のトラブルを訴える人が急増している。パソコンやスマホの普及による利便性と引き換えに、私たちの目にかかる負担は近年増加の一途だ。二本松眼科病院副院長の平松類氏はいう。

「毎日の心がけとトレーニングによって、目の健康度は大きく変わります。忙しい人でも短時間で、誰もが簡単にできるケアで、一生健康な目を保つことができるのです」

 短時間で行える、眼球のトレーニングとストレッチを紹介しよう。

【視野をチェックしながら人差し指遠近トレーニング】

道具を使わずに人差し指だけで、見えるべき範囲でちゃんと見えているかチェック。

(1)片目ずつ行なう

左目をつぶり、右目の真ん前に右手の人差し指を立てる。

(2)指から目を離さずに

右目は人差し指を見たまま上下左右に動かした左手はどこまで見えるかを確認する。

(3)次はもう片方の目で

次は右目をつぶり、今度は左目で、同じように(1)と(2)の動きを繰り返す。

(4)見える範囲を確認する

手の動きを片目で捉えられず、見えない範囲が広くなってきたら要注意。

【両目の視力のバランスを保つピントストレッチ】

左右の目のバランスを保つことで、立体的に物が見えて、距離感をつかめるようにする。

(1)腕を伸ばして指を目の前に

左右の目の真ん中に1本指を立て、左右の目で見据えたまま指を遠ざける。

(2)指から目は離さない

今度は1本の指を見据えたまま、左右の目の真ん中まで近づける。

(3)ピントがズレたらもう一度行なう

指がぼやけて見えたら、また遠ざける。この動作を繰り返す。

(4)10回1セット

1日1セットのピントストレッチで、左右の目のバランスを整える。

※週刊ポスト2022年2月4日号



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高田文夫氏が振り返る『笑点』の歴史 番組名の由来、歴代座布団運びなど

2022年1月27日 19:15 NEWSポストセブン

 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。学生時代にアルバイトで構成に関わった高田氏が、その歴史と豆知識をつづる。

 * * *

『笑点』に桂宮治が入って面白くなりそうな気配(いかんせん前任者が痛々しかった)。放送開始55年を超えたというのだから国民の文化史として少しでも知っておくと座布団の2、3枚ももらえそうだ。

 1965年、談志の持ち込み企画で『金曜夜席』が始まる。夜10時半から隔週で放送。これが評判となり1966年5月から日曜夕方にタイトルも『笑点』としてスタート。諸説あるが多分、当時三浦綾子の小説『氷点』が大ブームとなり、連続ドラマもヒット、それにあやかっての駄ジャレ『笑点』であろう。18歳の私は日芸の落研に入り、楽しく見ていた。

 いま国民のほとんどの人は知っていることだがスタッフのテロップに大勢の構成と名乗る放送作家がいるがあの人達は皆な“大喜利”の問題と答えを考えているのだ。そのネタに演者はアレンジを加えたりして答えている。

 誰も即興で答えてるなんて今や思っちゃいない。大学に入った私は都内の落研の有能な連中を『笑点』の作家から集められて、実は毎回答えのギャグを考えるバイトをしていた。私やら田島(のちの古今亭右朝 52歳で早逝した名人)ら6人程。あくまでも談志はブラックユーモアにこだわるので、せっせとブラックなネタを書いた。バイトの中ではやはり私のが一番採用率が高かったと思う。きついジョークの良し悪しが出演者達と談志の間でぶつかり、談志はすぐに司会を降りてしまう。

 二代目の司会は放送作家からタレントになった“マエタケ”こと前田武彦(1969~1970年)。噺家と作家では“間”も違ってうまくいかず。

 三代目、ご存じ三波伸介(1970~1982年。亡くなるまで)。三波は当時TV界の座長とも言うべき人物で私は座付き作家として週2本のレギュラーをずっと書きつづけた。勿論『笑点』の愚痴もきかされた。

 司会者が亡くなってしまったので四代目は円楽に(1983~2006年)。「ガハハ」と笑い「星の王子さま」なんて言っていた師匠だ。五代目が歌丸、そして現在六代目が昇太という訳だ。回答者同士のバトルで一番盛りあがったのは歌丸vs.小円遊だろう。「ハゲ」「バケモノ」とやりあう呼吸はおみごと。

“笑点豆知識”として収録は隔週2本撮りで「後楽園ホール」。1996年までは40分番組で「演芸」「ゲスト対談」「大喜利」だったが、今はご存じの通り「演芸」「大喜利」の30分。『笑点』の題字(寄席文字)は橘右近から左近へ。座布団運びで名をなしたのは毒蝮三太夫と交通標語をいつも言う松崎真。司会の三波から「玄界灘の鬼ヒトデ」と紹介されていた。その前に米助が短くやっていたのは当人しか覚えていない。日テレに資料もない。

イラスト/佐野文二郎

※週刊ポスト2022年2月4日号

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cat_oa-newspostseven_issue_1b5d7dccf422 oa-newspostseven_0_ef8p8e1kuj4u_ラストアルバムに制作の吉田拓郎 母への愛情と父への「許せない」思い ef8p8e1kuj4u ef8p8e1kuj4u ラストアルバムに制作の吉田拓郎 母への愛情と父への「許せない」思い oa-newspostseven

ラストアルバムに制作の吉田拓郎 母への愛情と父への「許せない」思い

2022年1月27日 19:15 NEWSポストセブン

 集大成と位置付けるラストアルバム。その制作の過程で、吉田拓郎(75才)は人生を回顧しているのかもしれない。ラジオ番組で口にした母への愛と、父とのわだかまり。なぜいま公言する必要があったのだろうか──。

「母親に対しての愛は非常に深いものがありますが、残念ながら、父親に対しては許す感情すらありません」

 1月14日、吉田拓郎は自身のラジオ番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』で、父への憤りを口にした。吉田の父・吉田正廣氏(享年76)は1895年に鹿児島県で生まれ、高校卒業後に朝鮮総督府(1910年に設置された官庁)の官吏(役人)を務めた人物だ。

「正廣さんは1930年頃に日本が統治していた朝鮮半島で、大規模な農村調査を行って農地制度近代化の基礎を作ったかたです。正廣さんの功績がまとめられた評伝本が出版されるほどの偉大なかたです」(吉田家を知る関係者)

 傍目から見れば“立派な父親”だが、吉田にとって正廣氏はいまなお受け入れ難き存在ということになる。親子の間に、何が起きていたのか。

 正廣氏は1931年に妻の朝子さんと結婚。末っ子の吉田が生まれたのは終戦の翌年で、一家が日本に引き揚げてきたときだった。

「一家は正廣さんの地元・鹿児島に戻ったのですが、正廣さんはなかなか職が見つからなかった。そのために、朝子さんが乳飲み子の拓郎さんを背負って、リヤカーでかぼちゃを売ったりして懸命に家計を支えていました。子供たちに少しでも栄養のあるものをと、たまに売り上げたお金で魚を買って焼けば、“金がないくせに魚なんて食べている”と、近所から後ろ指をさされたこともあったそうです。朝子さんはそのたびに、じっと耐えていました。

 その後、正廣さんは鹿児島県庁に就職して郷土史の編纂の仕事を担当するのですが、生計を立てるのもやっとな月給のうえ、学者肌の正廣さんはそのお金を仕事のために使うことも珍しくなかったようですよ」(前出・吉田家を知る関係者)

 朝子さんは一家を支えるため、栄養士の国家資格を取り広島の盲学校に働き口を見つけた。そして吉田の祖母と姉、吉田の3人を連れて広島に移住。吉田の兄は東京の大学に進学し、正廣氏は鹿児島に残って郷土史家としての仕事を続けることになる。吉田が小学3年生のときだった。以降、正廣氏が76才で亡くなるまで、吉田は父と生活を共にすることはなかった。


「拓郎さんは父親に対して、好きな仕事を全うした半面、自分たちを見捨てたという意識が強いんです。拓郎さんは、小さい頃から母親がひとりで3人の子供を育てる苦労をずっと見ていましたから、そうした感情が生まれるのも無理はありません」(芸能関係者)

 その分、吉田は母への愛情が強く感謝の言葉を口にすることが多い。冒頭のラジオ番組でも、母とのエピソードに続き、「ちなみに、父親はどうなんだというと」と続けて父への憤りを口にしている。吉田はなぜ、公の場でわざわざ父への個人的な感情を口にしたのか。

「拓郎さんはいま、“ラスト”と位置付けるアルバムを制作中です。今年秋の発売予定で進めていて、新曲も何曲か完成するなど、全貌が見えてきたようです。ご自身が“入魂のアルバム”と語るように、その出来に自信も見せています。そのアルバムに通奏低音のようにあるテーマとして家族、母のことがあるんですよ」(レコード会社関係者)

森下愛子と境遇が似ていた

 吉田はアルバム制作にあたって、妻の森下愛子(63才)もシングルマザーの母に育てられたことを初めて明かしている。

「拓郎さんと同様、森下さんも女手ひとつで育てられたそうです。境遇が似ていたふたりは、自宅でお互いのお母様のことを話すことも多いといいます。それだけ、ふたりにとって母親という存在は特別なんでしょう。拓郎さんの今回のアルバムのタイトルは、“母親・森下愛子”にまつわるものでした」(前出・レコード会社関係者)

 母とはいっても、ふたりの間には子供はいない。森下が2014年に出演したドラマ『ごめんね青春!』(TBS系)での話だ。宮藤官九郎(51才)が脚本を手がけた学園コメディードラマで、森下は主演の錦戸亮(37才)の母親役を演じた。

「ドラマの終盤、森下さんは死を迎えるシーンを演じるのですが、息を引き取る直前に夫役の風間杜夫さん(72才)に向けたひと言がアルバムのタイトルになるようです。ドラマを見た人ならピンとくるでしょうが、拓郎さんは明言を避けています」(前出・芸能関係者)

 吉田はこのせりふをタイトルに決める際、森下にこう話しかけたという。

「僕の50年以上に及んだ音楽人生も、キミ(森下)の波瀾万丈な女優人生も、いろいろあったじゃないか。人に言えないようなつらいことやきついこともあったと思うんだよ。でもいまになってみると、あのひと言、あの気持ちが俺たちはよく分かるよな」

「(あのひと言は)俺たちの親たちの、本音だったんじゃないかな」


 理解できるようになった母の気持ち。そこに重なる自らの人生。大きくなる母の存在に比例して、父への感情も増幅していったのだろう。吉田は幼少期、1年のうち90日しか通学できなかった年もあるほど病弱で、家で寝込んでいることが多かった。そんなとき、吉田は枕もとで母から言い聞かせられていたことがある。

「拓郎さんはお母さんから、自分の考えが周りと違ったとしても、“自分の心に嘘をつかないで”“自分に正直にいなさい”とよく言われていたそうです。その言葉は、のちにミュージシャンになってからも大きな支えになったそうで、拓郎さんはそれを“母との約束”と表現していました。

 今回のアルバムは、人生の集大成でもあるのでしょう。母への愛情と相反する拭いきれない父への思い。それも含めた、嘘のない“吉田拓郎”を伝えようとしているのかもしれません」(前出・吉田家を知る関係者)

 こんなエピソードがある。1972年1月21日、吉田は発売1か月で40万枚以上を売り上げて大ヒットとなる『結婚しようよ』を発表する。しかし、その歌声が正廣氏に届くことはなかった。その11日前、正廣氏は仕事場でペンを握ったまま、脳出血で倒れて帰らぬ人となったのだ。わだかまりがあった父の死。吉田の反応は意外なものだった。

「お母さんがお葬式での拓郎さんの様子を、“拓ちゃんがいちばん泣いていて、1時間くらい泣き止まなかった”と教えてくれたことがありました」(前出・吉田家を知る知人)

 集大成のラストアルバムは天国の母はもちろん、父にも届くことだろう──。

※女性セブン2022年2月10日号


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初の朝ドラ出演の深津絵里 撮影現場では“15年来の恋人”がサポート

2022年1月27日 16:15 NEWSポストセブン

 NHK朝ドラ史上最年長のヒロインとなった深津絵里(49才)。3人のヒロインで100年間を描く『カムカムエヴリバディ』で深津が演じるのは、現在放送中の第2章・大阪編の“るい”だ。

「深津さんの撮影は昨年の夏から12月まで行われました。やはり彼女は素敵な女優さんでしたね。以前、共演経験のある明石家さんまさん(66才)も絶賛していましたが、深津さんは現場では台本を見ません。せりふはすべて頭の中に入っていて、でも、“真面目”というより、柔らかさも持ち合わせた“真摯”なお人柄でした」(NHK関係者)

 母親に捨てられたという想いもあって、母と別れ単身大阪へ向かったるい。住み込み先のクリーニング店を営む夫婦や音楽関係者などさまざまな人に触れながら成長していく様子を描く。深津にとって初めてとなる朝ドラへの出演は、NHKからの熱烈なオファーによって決定した。

「ほかの2人のヒロイン、上白石萌音さん(24才)と川栄李奈さん(26才)はオーディションでヒロインの座を勝ち取りましたが、深津さんはオファーによるもの。チーフプロデューサーの堀之内(礼二郎)さんの手紙や、脚本家の藤本(有紀)さんのまっすぐな言葉に心を動かされ、また、あらすじを読んで『みんなに愛されて上手に笑えるヒロインではないところが新鮮』と感じて、出演に踏み切ったそうです。

 深津さんは、明るいだけでなく影も持ち合わせた、るいに共鳴したところもあったのかもしれません」(前出・NHK関係者)

 深津にとって13年ぶりにもなる連ドラ出演は、こうした背景で決まったのだ。1986年に13才で芸能界デビューした深津は、JR東海のクリスマス・エクスプレスのCMで一躍有名になり、その後は女優としての道を歩んでいく。

「深津さんは『踊る大捜査線』(フジテレビ系)で地位を確立すると、1990年代後半から2000年代前半にかけて、『カバチタレ!』や『恋ノチカラ』(ともにフジテレビ系)などに主演、連ドラには欠かせない存在になりました」(テレビ局関係者)

 その後は、2010年公開の映画『悪人』でモントリオール世界映画祭最優秀女優賞を受賞したのと前後して、映画、そして舞台へと軸足を移しはじめていく。

「映画では三谷幸喜さん(60才)の作品で重要な役割を演じてきましたし、舞台への足がかりを作ったのは演出家の野田秀樹さん(66才)でした。野田さんは、テレビでは見られない深津さんの魅力を見事に引き出したと言えます。深津さんは野田さんの作品で海外公演を経験していますし、イギリス人の演出家の舞台に出るなど、少しずつ海外志向が強くなっていきました」(舞台関係者)


 しかしながら、久しぶりの連ドラ出演への緊張感を、深津自身は楽しんでいるようだ。

「出演を受けてのコメントでは《なんでもっと冷静に考えなかったんだろう(笑)(中略)『とんでもないものを引き受けてしまった』と今さらドキドキする毎日です》と語っていましたが、やはりそこはキャリアの長いベテラン女優。撮影時の集中力はピカイチで、合間の休憩時間には周囲への気配りを欠かさず、とてもいい雰囲気を作っていました」(前出・NHK関係者)

 そこまで深津がリラックスできていたのには理由がある。大阪での撮影現場には、15年以上の関係になる恋人でスタイリストの白山春久氏が寄り添っていたからだ。最初の交際報道は2006年のことだった。

「それまではファッションリーダーとして男性ファッション誌に登場したこともある白山さんですが、交際報道以降は黒子に徹し、深津さんを公私にわたって支えています。それは2007年に同棲報道があってからいままで、変わっていません」(ファッション誌関係者)

 その白山氏は『カムカム』では深津の専属スタイリストとして活躍している。

「深津さんが登場する序盤のシーンの設定はなんと18才。30才も年下の役を演じることに心配する声もありましたが、深津さんは見事に演じきり高い評価を得ました。

 その演技を支えたのは白山さんが選んだ、上品ながらも瑞々しさが印象的なシャーベットピンクのワンピースでした。ミュージカル調のシーンでのストライプ柄のワンピースも彼女にとてもよく似合っていた。昭和レトロなかわいらしさの表現は、深津さんと白山さんの“合作”と言えるでしょう」(前出・NHK関係者)

 公私ともに深津の生き方に日本中が魅了される日々がしばらく続きそうだ。

※女性セブン2022年2月10日号



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映画『るろうに剣心 最終章The Beginning』一撃の強さを表わす「血の鮮烈さ」はどう作られたか

2022年1月27日 16:15 NEWSポストセブン

 近年に大ヒットした映画やテレビドラマには、実は重要な役割を果たしているディテールがある。本連載では、それを創ったスタッフの方に製作の裏側をうかがい、彼らの「技」を掘り下げていく(本稿は作品終盤の展開に関して明らかにしている内容が含まれています)。

 最初に取り上げるのは、2021年に公開された映画『るろうに剣心 最終章The Beginning』(大友啓史監督)の「血しぶき」。本作のアクション――特にラストの雪の中での決闘における血の表現は時代劇史上でも屈指なほどに美しく、「激しさ」ばかりを重視しがちだったそれまでの同シリーズと明らかに一線を画すものがあった。

 中でも剣心(佐藤健)が巴(有村架純)を斬った際に巴から舞い上がる血は、悲劇の結末を彩る悲壮美に満ちていた。

 人気のシリーズの最後を見事に締めくくっていたこの「血しぶき」を創ったのは、VFXディレクターの白石哲也氏をはじめとするCGチームの手によるものである。

 * * *

白石:公開が延期になったことで、「そういう時間はあるなら、もっといろいろやっちゃおう」と、あのシーンを追求する時間もできたんです。

 そこでまずこだわったのは、巴から最初に血が出るとことです。鮮烈に見せたかったので、「破裂する血」みたいな表現を多めに入れています。

――まず血の出方によって観る側をハッと驚かせるわけですね。

白石:剣心が巴を斬ったという衝撃的なシーンですから、血でもその衝撃を表現したかった。リアリティはもちろん重視していましたが、ここは鮮烈さが大事だと思いまして……。

――たしかに、それによって「取り返しのつかないことになった」という状況がビジュアルとしてハッキリと伝わってきます。

白石:剣心は死ぬ想いでその一撃を繰り出して、その一撃を巴が受け、もう助かる見込みがないほどに血が出てしまった。あの場面は、そこまで持っていかなきゃいけなかったんです。

――そこでハッとさせておいて、今度は静かに死に向かっていきます。空中を血が舞い、雪の上を血が流れる。「これぞ時代劇」というべき美しさでした。

白石:破裂するように飛び出した血が引きの画になった時に細かく散っていくことで、「血の涙」といいますか、そういう見せ方をしたかったんです。ふわーっと儚げに散って、雪の中に染み込んでいく……みたいな。

 ここはそもそもの画も綺麗でしたので、この構図を邪魔しないように繊細に血を入れていこうという想いがありました。


素材としての「血」を撮る

【雪の中の決闘シーンをはじめ、本作の血しぶきは時代劇史上でも屈指の美しさであった。それはVFX、つまりデジタル合成によって創られたものである。が、その血の動きには、明らかにデジタルとは異なる生々しさがあった】

白石:人斬りの話ですから、大友監督としては全体的に血の量を増やして、血の表現によって剣心の怖さを見せたいというのが前提としてありました。僕らCGのチームがそれを汲み取って、細かくこだわりながら作っていきました。

――特にこだわったのは、どのような点になりますか。

白石:3DのCGでゼロから作るのではなく、本編の撮影が終わった後で「血の素材」を撮らせてもらったんです。

――「血の素材」とは?

白石:血液素材みたいなものを空気圧縮して、コンプレッサーで出すわけです。それをグリーンバックで何パターンも撮って、それを後からシーンに合わせました。本編の撮影を撮り終えた段階で「こういうところに血を足したい」というイメージは僕の中にできていたので、特にキーになるショットに関してはカットに角度を合わせて撮っています。

――そうなると、コンプレッサーを使った血の出し方にも指示を?

白石:とりあえず出せばいいのではなく、風情も大事になりますからね。量、強さ、噴き出し方、全て計算しました。それに、長く出過ぎてもリアルではありません。

――その血の出方、美しさとリアルさのバランスが見事でした。意識されたポイントはありますか?

白石:人斬りである剣心の強さとスピード感ですね。

 今回はワンカットに対して最低でも三素材から四素材を撮っています。広がって飛んでいく血もあれば、シュパッと素早く細かく消えていく血もあります。そうした素材を剣心の動きに合わせて組み合わせていったんです。単純じゃない血の出方といいますか、動きのスピード感に合った出方を追求していったので、それが結果として、いいバランスになったんだと思うんです。

――個々の血の量も的確だったように思えます。

白石:血が出過ぎて笑われてしまうことは絶対に避けなくてはなりませんでした。そのバランスは細かく追求しています。ただ、剣心のアクションがとにかくカッコよかったので、その動きに合わせていけば変なことにはならないという安心感もありましたね。

◆聞き手・文/春日太一(かすが・たいち)/1977年生まれ、東京都出身。映画史・時代劇研究家

【プロフィール】

白石哲也(しらいし・てつや)/株式会社Spade&Co.VFXディレクター。映画・テレビドラマのVFXを担当。代表作は『るろうに剣心』シリーズほか、『マスカレード・ホテル』『孤狼の血』『全裸監督』ほか多数。

※週刊ポスト2022年2月4日号

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注意すべき副作用 飲んだら「血糖値」が上がるリスクのある薬とは

2022年1月27日 16:15 NEWSポストセブン

 歳を重ねるごとに、健康診断では様々な「数値」が上がっていく。それを少しでも下げるため、服用する薬もどんどん増えていく。だが、薬には必ず「副作用」がある。数値を下げるための薬が、ほかの数値を上げる原因に──。あなたも、そんな悪循環に陥っているかもしれない。

 本誌・週刊ポスト2022年1月28日号の「飲んだら副作用で血圧が上がる薬」には大きな反響が寄せられた。米国で行なわれた研究で、高血圧患者2.8万人を調査した結果、約2割に「薬の副作用による血圧上昇」が見られたという(昨年11月、米医学誌に掲載)。

 研究グループのメンバーであるジョン・ヴィタレロ医師は、「薬剤を服用したことで血圧が上がり、それを治療するために降圧剤がさらに追加される“処方の積み重なり”が起きている」と指摘した上で、「米国同様、日本の高血圧患者でも薬剤による血圧上昇が起きているのでは」と話した。

 厚労省の統計(2021年)によると、「7種類以上の薬を処方されている人」は75歳以上では24.2%にのぼり、日本でも多くの患者が「多剤併用」状態にある。

 そして多剤併用は、副作用リスクを高める懸念もある。東京大学の研究によると、6種類以上の薬を処方されている高齢患者は、5種類以下の高齢患者に比べて、副作用が起きる確率が10~15%上昇するという。

 病気を治すために飲む薬が「数値」を悪化させる。この問題は、血圧に限った話ではない。新潟大学医学部名誉教授の岡田正彦医師が言う。

「薬には必ずベネフィットとリスクがあります。重大な副作用については医師も注意を払っていますが、副作用による数値の上昇は、陰に隠れてしまいがちな問題なのです」

 今回は、血圧と並び多くの人を悩ませる「血糖値」「コレステロール値」を上げる副作用を持つ薬を表にまとめた。


家族が「高血糖」は要注意

 まずは副作用で「血糖値」が上がるリスクのある薬だ。血糖値の上昇は、糖尿病へとつながっていくことが知られている。

 薬の処方時に参照する「添付文書」の副作用欄を見ると、「高血糖」「血糖値上昇」のほか、なかには「糖尿病」と記載された薬剤が存在する。

「これらはどれも製薬メーカーの表現が違うだけで、『血糖値を上げるリスクがある』という同じ意味です」(銀座薬局代表・長澤育弘薬剤師)

 一般に空腹時血糖126mg/dl、食後2時間後血糖200mg/dl以上、HbA1cは6.5%以上で「糖尿病」と判定されるが、70歳以上のHbA1cの平均値はおおよそ6%。そもそも高齢者の多くが糖尿病、もしくはその予備群だ。

 年齢を重ねるほど血糖コントロールが重要な所以だが、その血糖値を上げてしまう薬の一つが、実は「降圧剤」なのである。

 ARBやループ利尿薬など様々なタイプの降圧剤で副作用欄に「血糖値を上げる」旨が記載されていて、「異常が見られた場合は減量または休薬等を検討」するよう注意書きが付された降圧剤もある。

「すべてのタイプの降圧剤で血糖値上昇の作用機序が明確なわけではないが、サイアザイド系利尿薬は大規模追跡調査が行なわれて機序がわかってきた」と言うのは、前出・岡田医師だ。

「サイアザイド系利尿薬が血糖値を上げてしまうのは、カリウムが排泄されることがランゲルハンス島(膵臓に存在する内分泌腺)のβ細胞に影響し、インスリン分泌反応が低下するためだと考えられます」


 あるサイアザイド系利尿薬の添付文書には「重要な基本注意」として、本人または家族に痛風や糖尿病のある患者について、〈血糖値の悪化や顕在化の恐れがある〉と書かれている。

 コレステロールを下げる薬にも高血糖の副作用があるが、スタチン系に関しては、「糖尿病患者が服用する場合、ほかの脂質異常症治療薬に比べて糖尿病が少し悪化する報告はあるものの、理由は不明」(岡田医師)という。

※週刊ポスト2022年2月4日号

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ついに引退 51歳力士・華吹が語っていた「ちゃんこ番へのこだわり」

2022年1月27日 16:15 NEWSポストセブン

 51歳で現役最年長力士だった華吹(序二段、立浪部屋)が初場所を最後に引退した。師匠の立浪親方(元小結・旭豊)によれば「3月に断髪式を予定している」という。部屋の師匠よりも“先輩”であるという異色の力士は、どんな思いで現役を続けてきたのか――。

 華吹の初土俵は昭和61年3月場所。現理事長の八角親方が保志(のちに北勝海)として初優勝した場所だった。同期が前理事の山響親方(元前頭・厳雄)で、師匠の立浪親方の初土俵は1年後の昭和62年3月場所である。

 現役生活35年間で積み上げてきた勝ち星は683。通算1187勝の白鵬が引退したことで、現役力士では玉鷲の714勝に次ぐ2位の数字だった。短命横綱の大乃国(現・芝田山親方)の560を大きく上回り、朝青龍の669さえ凌ぐ数字である。負け数の788は玉鷲の692に大差をつけて1位だった。

 華吹の最高位は三段目で、1場所に7番までしか取ったことがない。つまり1年で取れる相撲は最大42番となり、勝率5割で年間21勝。それで683勝を積み重ねたのだから、35年間ほとんど休まずに土俵に上がり続けたわけである(休場はわずか13)。

 本誌・週刊ポストでは先代の立浪部屋時代から30年以上、ちゃんこ長として立浪部屋の力士たちの健康管理をしてきた華吹を何度も取材している。ちゃんこの仕度の合間に、長い現役生活についてこんな話をしたことがある。

「稽古の時間ですか? ちゃんこの仕込みがあって、十分にないですね。稽古が不足した分は午後からジムに通って鍛えています」と話したうえで、こう付け加えた。

「正直な話、自分の相撲より献立が気になって(苦笑)。毎日のちゃんこの具材はその日の差し入れや冷蔵庫の中を見て決めます。余った食材はすべて使うが、何を足せばどんな料理が作れるかを考える。若い力士には白飯をたっぷり食べてもらうために鍋の味付けを濃くし、付け合わせにも工夫します。食欲が落ちる夏場には大根おろしを使って喉の通りをよくし、ニンニクやニラを使ってスタミナ面も注意している」

 手間とお金を掛けずに栄養満点。これが力士飯だと話していた。そんな華吹の長い現役生活の中でハイライトは2003年(平成15年)9月場所だった。

「西三段目74枚目で初日から6連勝。7連勝なら幕下昇進、優勝決定戦に勝てば三段目優勝だったが、最後の一番で負けてしまった。現役で最もプレッシャーのかかった一番だった(苦笑)」


 最高位は東三段目18枚目だったが、50歳で迎えた2021年(令和3年)1月場所では、116年ぶりの50歳以上の勝ち越しを決めて注目された。取材時には引退について、「髷が結えなくなったら強制引退されられるという噂ですが、とにかく体が動き、勝てるうちは現役を続けたい」と話していた。

 立浪親方によれば「50歳での引退を考えていた」というが、コロナ禍で就職先の飲食店の開業が遅れたことで現役を続けていた。それによって116年ぶりの記録が生まれたわけである。昭和、平成、令和と土俵に上がり続けた華吹は“第二の人生”に歩みを進める。

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cat_oa-newspostseven_issue_1b5d7dccf422 oa-newspostseven_0_rywfdcnfz1vd_愛子さまに高まる天皇待望論 懊悩する雅子さま「表舞台から隠す」への反転 rywfdcnfz1vd rywfdcnfz1vd 愛子さまに高まる天皇待望論 懊悩する雅子さま「表舞台から隠す」への反転 oa-newspostseven

愛子さまに高まる天皇待望論 懊悩する雅子さま「表舞台から隠す」への反転

2022年1月27日 16:15 NEWSポストセブン

 ご快復の途上ながら、雅子さまは「国母」のお役目を果たされようとしている。一方、「愛子さまの母」でもある。成人以降、過剰といえるほどに膨らむ愛子さまへの期待には雅子さまも戸惑わずにはおられまい。愛娘を守るために導き出された答え──。

 はるか以前より、皇室と一般国民との間には、分厚い「菊のカーテン」が存在した。「敬愛と畏怖」という精神的な結びつきがありながら、決して交わることのない両者の関係性は、戦後、時代が進むにつれ大きく変化した。

 特に、上皇ご夫妻が築かれた「平成流」は、美智子さまが民間から初の皇太子妃として皇室入りしたこととも相まって、「開かれた皇室」を象徴していた。カーテンは徐々に薄くなってきたのだ。

 その姿勢は、令和の皇室にも受け継がれている。昨年12月24日、秋篠宮さまが「日本学生科学賞」の表彰式に臨席された。その際、オンラインで交流された中高生との会話が、音声つきでメディアに公開された。

「式典での挨拶を除くと、皇族方と一般の人とのやりとりの音声が公開されるのは極めて異例です。2019年に雅子さまが秋田県を訪問された際、動物の保護施設で、犬に“みよちゃん、いきますよ”と声をかけられた様子が伝えられたときも、大きな反響がありました。会話には、感情や個性が表れやすく、皇族方のお人柄が伝わりやすい。“カーテン”で秘することだけが皇室を守るわけではありません。非常に画期的な試みです」(宮内庁関係者)

 いま、多くの国民が関心を寄せているのが、昨年12月1日に20才の誕生日を迎えられた愛子さまだ。

「12月5日に行われた成年行事では、報道陣の前での立ち位置について、事前に両陛下に相談されるなど入念に準備されたといいます。国民からどう見られているかの重要性を充分理解されているからでしょう。その効果もあって、成年皇族となられた愛子さまの成年は祝福をもって広く受け止められました」(皇室ジャーナリスト)

 年末に初の宮中祭祀を経験され、元日には成年皇族として最初の公務である「新年祝賀の儀」にも臨まれた。ところが一転、「講書始の儀」(1月14日)や「歌会始の儀」(18日)には、学業優先で試験期間中ということもあり、出席されなかったのだ。

 しかし遡ってみると、愛子さまの前に成年皇族になられた秋篠宮家の次女・佳子さまは、成人して初めて迎えた新年、講書始の儀にも歌会始の儀にも出席されたことがある。学習院大学を中退され、国際基督教大学(ICU)への入学を目前に控えていた時期だった。愛子さまへの注目度が高まっていた矢先の“愛子さま不在”──「菊のカーテン」はなぜまた分厚くなったのか。そこには母である雅子さまの憂いが見え隠れするようだ。


愛子さま人気は想像以上だった

「歌会始の儀」の今年のお題は「窓」。天皇陛下は、コロナ禍にあえぐ世界が平穏を取り戻すことを願われ、雅子さまは、昨年お引っ越しされた御所の窓からご覧になった自然の豊かさを詠まれた。

「雅子さまが御歌を披露されるとき、陛下が雅子さまに微笑みかけられていたのが印象的でした」(皇室記者)

 愛子さまは、高校2年時にイギリスのイートン校へ短期留学した際の、心弾むお気持ちを込められた。

《英国の 学び舎に立つ 時迎へ 開かれそむる 世界への窓》

 長年皇室取材を続けている放送作家のつげのり子さんが話す。

「愛子さまのお歌からは、希望に満ち、大空にジャンプするような屈託のなさを感じました。そればかりか、外交官として世界と交流し、国際親善の最前線に立たれていた雅子さまの役割を引き継がれたい、というお気持ちも込められているように感じられました」

 学習院大学文学部2年の愛子さまは、日本文学を専攻されている。愛子さまが前述したようなお歌を詠むことができるのは、単なる勉強以上の深い教養をお持ちだからだろう。

「愛子さまの達筆ぶりは有名なところです。小学6年生の頃には『藤原道長』をテーマにレポートを作成。結びは《道長の人生は本当に幸せだったのだろうか》でした。中学の卒業文集では戦争と平和について思いの丈を記されました。また、中学1年生のときには、《私は看護師の愛子》という冒頭で始まる、けがをした動物を相手に主人公が奮闘する物語を創作されています」(前出・皇室ジャーナリスト)

 成人される前から、断片的にでも愛子さまのお姿やご活動が報じられるだけで、世間からは「やはり天皇家の第1子である愛子さまはすごい」と感嘆する声が聞こえていた。

「宮内庁には、コロナ禍での公務減少と、それに伴って皇室の存在感が希薄になっていくことへの危機感が強くあります。なによりも、秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんの結婚騒動や、それを巡る秋篠宮家や宮内庁の対応の不首尾で、“皇室離れ”が起きている。愛子さま人気は、そうした逆境における一筋の光です。愛子さまにどんどん公務に出ていただき、皇室人気を回復するのがよい方策のように見えるでしょう。

 しかし、愛子さまの人気ぶりは想像のはるか上を行った。あまりに愛子さまへの注目度と人気が集まってしまうと世論を二分する事態を招きかねない。『愛子天皇待望論』の熱が高まりすぎると、混乱につながる可能性があるからです。母である雅子さまは、そういった事態を危惧されているようなのです」(前出・宮内庁関係者)


2つの家はまるでシーソーのよう

 愛子さまへの期待が高まる一方、向かい風にさらされているのが秋篠宮家の長男・悠仁さまだ。悠仁さまは、お茶の水女子大学附属中学校の3年生。進学先としては、筑波大学附属高校(筑附高)が有力視されている。筑附高は、毎年30人前後を東大に送り込んでいる全国屈指の進学校だが、それよりも視線が注がれているのは、悠仁さまの“進学方法”だ。

「筑附高へは、『提携校進学制度』を利用されることが濃厚とみられています。お茶の水大と筑波大の間で結ばれた制度で、双方の附属学校の生徒が進学を機に他方の学校へ入学できるというものですが、制定の経緯などを見るに“悠仁さまのために作られたのではないか”という指摘がある。一部には“皇室特権”だと批判の声もあります」(別の皇室ジャーナリスト)

 ただでさえ眞子さんの結婚問題の余波で、秋篠宮家に冷たい視線が投げつけられているなかで、さらに厳しい意見もある。

「悠仁さまは皇位継承順位第2位です。天皇陛下の次世代に限れば、皇位継承権をお持ちなのは悠仁さまのみ。当然悠仁さまには充分な“帝王教育”が施されるべきですが、“これまで次男として奔放に生きてこられた秋篠宮さまにできるのか”“秋篠宮家で育った悠仁さまが天皇の重責を担えるのか”と、将来を不安視する声まで広がっています」(前出・宮内庁関係者)

 天皇家に生まれた一人娘と、筆頭宮家に生まれた男子。年齢も5つしか差がない同世代の愛子さまと悠仁さまが、折に触れ比較されるのは、避けられないことだ。

「かつては、適応障害による雅子さまの療養のトンネルが続き、公務を満足に果たせない時期が延びると、秋篠宮家への期待感が高まった時期がありました。愛子さま誕生後は、2004年に小泉政権が、女性・女系天皇を容認する報告書を取りまとめたことで、視線が一気に愛子さまに集まった。

 かと思えば、2006年に41年ぶりの皇族男子として悠仁さまが誕生し、またしても世間の興味は秋篠宮家に。2つの家は、まるでシーソーのように交互に期待と注目を浴び、そのたびに答えのない比較に晒されてきたのです」(前出・皇室ジャーナリスト)

 まさにいま、愛子さまと悠仁さまは「天皇」を巡ってそのような状況にある。愛子さまの存在感が増せば増すほど、「愛子天皇待望論」は盛り上がる。対して有識者会議は、悠仁さままでの皇位継承順位は「ゆるがせにしてはならない」と結論づけた。

「『愛子天皇』派と『悠仁天皇』派で国論が二分されてしまうと、ただでさえ安定的ではない皇位継承が、ますます不安定になります。雅子さまも、そのような状況には“待った”をかけたいでしょう」(前出・宮内庁関係者)


お相手次第では眞子さんのようになる

 愛子さまのご様子が伝えられれば、存在感は自然と増す。

「愛子さまからにじみ出るお人柄のよさと優秀さは、もはや隠すことはできません。講書始も歌会始もそうですが、ならばいっそ『愛子さまは隠す』という方針に反転するというのが雅子さまのお考えなのではないでしょうか」(前出・皇室記者)

 国民から一心に期待を寄せられることの重圧は、なにより雅子さまご自身が経験されてきた。外務省時代からお妃候補としてメディアに注目され、結婚後も、雅子さまの一挙手一投足が国民の関心事となった。

「お世継ぎへの期待はいつしかプレッシャーに変わりました。真面目な雅子さまはなんとか対応されようとしてきましたが、適応障害に苦しまれることになりました」(前出・皇室記者)

 いまなお、雅子さまは快復の途上にある。

「雅子さまは、過度ともいえる注目に晒される経験をしています。その大変さを誰よりも強く理解されているからこそ、愛子さまを守らなければならないという懊悩もあるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

 また、国民の皇族への思いはいとも簡単に変わる。眞子さんがいい例だ。

「眞子さんは、上皇ご夫妻の初孫として生まれ、成年後はご公務にも大変真面目に取り組んだ。先細る皇室の期待の星でもありました」(前出・宮内庁関係者)

 しかし、そうした印象は結婚問題で一変。すべてを放り出してニューヨークに渡った。現在20才の愛子さまにも、いずれは結婚の話が出るかもしれない。

「どれだけ愛子さまが素晴らしくても、お相手次第では眞子さんのようになるリスクがある。期待が過度であればあるほど、落差は大きくなると雅子さまは認識されています」(前出・宮内庁関係者)

 愛子さまはご自身の将来が不透明な状況に置かれ続けている。「結婚したら一般人になる」のか、「いずれ天皇になる」のか—─2006年の悠仁さま誕生以降、その将来は宙に浮いている。

「だからこそ両陛下は、どのような決定がされても人生を全うできるようにと愛子さまを育ててこられました。それでも母として、子供の将来が定かでないのは不安でしょう。雅子さまは、愛子さまには幸せになってほしいと願われています。

 愛子さまが人前に出られることで将来に新たな混乱を招いてしまうならと、しばらくは“学業”を理由に愛子さまを表舞台から隠すことをお選びになったのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

 愛子さまの将来に続く窓は、いつ開かれるのだろうか。

※女性セブン2022年2月10日号


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