どんな時代であれ、当時の自動車の姿には時代の肖像が映し出されています。アメリカ文化におけるスタイルの移り変わりを知りたいのであれば、その時代の栞(しおり)という役目も果たしている自動車の変遷を振り返ってみるのも面白いかもしれません。
それに、自分が生まれた時代を彩ったクルマについて知ることもできますので…。
現在、日本人の最高年齢は福岡在住の田中力子(たなかかね)さん。1903年生まれです(ちなみに、ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功した年です)。蒸気自動車をクルマの祖とするなら、それは1769年頃になりますが…。現代における乗用車の歴史となると、1920年代から始まったと言っていいでしょう…
ではここで、時代を代表する世界の名車を振り返る旅へと出てみることにしましょう。今回は、1918年から1937年までの20台をご紹介します。
【1918年】フォード「モデルT」(Ford Model T)
1908年に産声を上げた初期型の「モデルT」こそが、現代へと続く自動車新時代の扉を開く、先駆けとなった存在です。頑張れば多くの人が手に入れることのできる、初めての乗用車だったわけです。
初期型の「モデルT」が発表されてから10年後、13世帯に1世帯がクルマを所有するまでになりました。そのほとんどは、当時大流行していたこの「モデルT」でした。
20馬力のエンジンの最高速度は、45mph(約72.5km/h)と控えめなスピードでしたが、多くの所有者にとってスピードなど大きな問題ではありませんでした。なぜなら、当時のアメリカを走っていたクルマのおよそ半数が、この同じ「モデルT」だったのです…。
時代とともに低価格化にも成功した同社は、1927年に「モデルA」を発表するまでに、この「モデルT」を1500万台販売しています。
【1919年】ダッジブラザーズ「モデル30」(Dodge Brothers Model 30)
当時、アメリカ・ミシガン州にあった自動車メーカーのオールズ・モーター・ビーグル・カンパニーのクルマにエンジンを提供し、フォードのためのコンプリートカーの組み立てを行っていたホラスとジョンのダッジ兄弟。彼らは、当時の自動車業界において確固たる地位を築いていました。
彼らが初めて世にクルマを送り出したのは、1915年。35馬力4気筒でした。そして1919年にはついに、鉄製の屋根のある同社初の4ドアセダンの「モデル30」を発表しています。
しかしその翌年の1920年、兄弟が立て続けに死去。同社は1928年にクライスラー・コーポレーションに売却されています。
【1920年】デトロイト・エレクトリック(Detroit Electric)
デトロイト・エレクトリック社が開発した、ごく初期の電気自動車です。一回の充電で約80mph(約129km/h)の走行が可能でした。
また、最長走行距離を達成するためだけに特別生産されたモデルは、一回の充電で約241mph(約388km/h)走破という記録を打ち立てています。
しかしながら、最高時速がたったの20mph(約32km/h)と遅かったため、主に街中での移動に活躍する電気自動車となりました。1939年の生産中止まで、約1万3000台の電気自動車を世に送り出しました。
【1921年】リンカーン「Lシリーズ」(Lincoln L-Series)
第一次世界大戦中には航空機のエンジンを製造していたリンカーン社ですが、その後、自動車業界へ参入を果たします。
同社初の自動車として1921年に登場したのが、130インチ(約3.3メートル)という長いホイールベースと81馬力のV8エンジンを誇る「Lシリーズ」でした。
「新興自動車メーカーによる新車」という新鮮さはありましたが、市場に出始めたころにはデザインがすでに時代遅れとなっており、売上は伸び悩みました。
翌1922年には早くも財政難に陥り、フォードに買収されます。フォード傘下となって間もなく、ブラン&カンパニーのデザインにより1923年に生み出されたのが、こちらの写真のラグジュアリーでパワフルなクーペです。
【1922年】ドーブル・スチーム・カー(Doble Steam Car)
1920年代と言えば、アメリカでガソリンに替わる様々な代替燃料が試された時代…蒸気もその1つでした。
ドーブルスチーム・モーターコーポレーションがクルマの生産に乗り出したのは、1922年のこと。このクルマは1931年に生産中止となるまで、たったの36台しかつくられませんでした。
そのうちの1台を所有しているのが、アメリカの人気コメディアンであり司会者のジェイ・レノ氏です。蒸気エンジンの持つすさまじいトルクのおかげで、トランスミッションは不要でした。
レノ氏いわく、「一度ハンドスロットルを開けば、止まった状態からの加速は、実にスムーズで安定している。それがこのクルマの特徴です。150馬力しかないけど、驚くほどのトルクなんだ」とのこと。
【1923年】ランチア「ラムダ」(Lancia Lambda)
新型「ラムダ」こそ、ランチアの技術が集結された傑作でした。特筆すべきは、このイタリアのスポーツカーメーカーが発明したモノコック構造(車体の外板に応力を受け持たせる構造)にありました。
これにより、当時一般的だった重いフレームに乗ったボディーという構造からの軽量化を実現。この「ラムダ」の軽量設計は、他の自動車メーカーの数十年も先を行くものだったのです。
そして、独立式のフロントサスペンションシステムの装備もまた斬新な発明でした。ランチアは、V4エンジンを採用した世界初の自動車メーカーであり、その後1960年代までV4エンジン搭載車の開発を続けたのでした…。
【1924年】オークランド「6-54」(Oakland 6-54)
ゼネラルモーターズ(GM)傘下にあったオークランドですが、シボレーよりも一段上位のブランドとして人気車を生産していました。
1924年から、最新の車体製造技術の研究に乗り出します。デュポン社が新開発した速乾性塗料を使用したり、四輪すべてにブレーキを装備するなど、当時はまだ珍しかったイノベーションを数多く取り入れることとなりました。
オークランドが採用した6気筒エンジンは、旧来型より見劣りする要素があったことは確かですが、圧倒的な信頼性を備えていました。「ポンティアック」の名を冠した初めての車両は、オークランドの車両をベースにつくられたものでした。
販売当初から売れ行きの良かったポンティアックを、GMは独立したブランドとして位置づけるようになりました。その結果、オークランドは表舞台から徐々に姿を消すこととなったわけです。
【1925年】ロールス・ロイス「ファントムI」(Rolls-Royce Phantom I)
高級感と安定性でロールス・ロイスの顔となり、“シルバーゴースト”の相性で親しまれていた名車「40/50」。20年もの長い間ファンに愛されていましたが、「ファントムI」が発表されたことで状況が一変しました。
「ファントムI」はエレガントで現代的な容姿を備え、高性能化した7.7リッター6気筒エンジンとディスクブレーキを装備した1台です。
ちなみに本国イギリス製の「ファントム」には、アメリカ製車両にはない独自の機能やオプションが提供されていました。
【1926年】クライスラー「インペリアル80」(Chrisler Imperial 80)
クライスラーの「インペリアル」と言えば、同社のラインナップの頂点に君臨し、キャデラックやリンカーンといった高級車と肩を並べる名車でした。
初期「インペリアル」は、ロードスター、セダン、4ドアコンバーチブル、リムジンといった異なる仕様で販売されています。当時としては、巨大な92馬力6気筒エンジンを搭載していました。
クライスラーが80mph(約129km/h)での安定走行を保証したことから、この名がつけられたと言います。1926年に開催された第14回インディアナポリス500においては、このクルマがレースのペースカーとして採用されています。
ちなみに1955年から75年にかけては、クライスラーブランドから独立した「インペリアル」という独自ブランドで販売されていました。
【1927年】ラサール(LaSalle)
1920年代、ゼネラルモーターズ(GM)は中間層を狙った販売戦略を開始します。ビュイックより高級感があり、キャデラックよりも安く手に入る…。そのようなクルマを求める消費者に向けて発売されたのが、このラサールでした。
紛れもなくゴージャスなクルマで、デザインはその後GMのデザイン部門をリードしていくヘンリー・アール氏によるものです。
実は、キャデラックと共用のパーツが多く用いられています。つまり、「スタイリッシュに進化したキャデラックが、より求めやすい価格で手に入るようになった」と言うこともできるかもしれません。
このラサールは、1940年まで販売されました。
【1928年】デューセンバーグ「モデルJ」(Duesenberg Model J)
エキゾチックなスポーツカーでありながら、高いファッション性を兼ね備えたデューセンバーグ「モデルJ」は、実にエレガントなクルマでした。
純正の8気筒エンジンは驚きの265馬力です。後期モデルにはスーパーチャージャー搭載の車種もあり、なんと320馬力を記録。まさに、他の追随を許さない韋駄天(いだてん)となりました。
「モデルJ」の車体製作には、世界中から多くのカスタム専門の車体製造業者が集められました。その結果、「1台として完全に同じ車体がない」とも言われています。
最高級モデルの価格は2万5000ドル。当時のこの金額は、映画スターや大実業家などの富豪にしか手が出せない金額だったことは確かです。
【1929年】シボレー「シリーズACインターナショナル」(Chevrolet Series AC International)
1920年代も、いよいよ終わりに差し掛かる1929年。アメリカ国内では、5世帯のうち4世帯が自家用車を所有する時代が訪れていました。低価格帯の乗用車が、自動車産業の屋台骨となったのがちょうどこの時期です。
そのような乗用車市場に向けてシボレーが発表したのが、この「シリーズACインターナショナル」です。“ストーブボルト”と呼ばれた新型6気筒エンジンを搭載し、フォードの4気筒モデルを超えようとする意欲作でした。
薪ストーブを思わせる直列6気筒の姿から、“ストーブボルト”という愛称が付けられたわけですが、ライバルであるフォードの4気筒と比べ、スムーズかつ静かな走りを実現しています。
しかながら、それでもなお1929年がフォードの独壇場であったことには変わりなく、シボレーは2位に甘んじることになっていました。
【1930年】ベントレー「8リットル」(Bentley 8 Litre)
イギリスの高級車・ベントレーの創設者であるウォルター・O・ベントレー氏が、最後にデザインを手がけたのがこの「8リットル」です。また、同社がロールス・ロイスに吸収合併される前の最後の車種となったのが、このクルマなのです。
「8リットル」に搭載された7.9リッター直列6気筒エンジンは、まさに怪物と呼ぶにふさわしく、約230馬力で100mph(約160km/h)の最高速度を実現しています。
「どのような車体であろうとも、100mph(約160km/h)の最高速度を保証する」とベントレー氏は断言し、最高速度に達してもなお、「死人のように静か」と衝撃的な言葉で評したことでも知られています。
【1931年】マーモン「シックスティーン」(Marmon Sixteen)
1911年、アメリカ最高峰の自動車レースのインディアナポリス500で挙げたロードスターでの勝利により、マーモンのスピードは広く知れわたることとなりました。
1910~1920年代初頭にかけては、アルミパーツを多用した「モデル34」が、そのスタイルとパフォーマンスで愛好家たちを唸(うな)らせています。
そんなマーモンが追い求め続けたスピードと格式は、こちらの名車「シックスティーン」の発表とともにピークに達したと言えるでしょう。
V16エンジンは約3225平方センチメートルと巨大で、200馬力を叩き出しました。高価格ということもあり、1933年の生産終了までにわずか400台しか市場に出回ることはありませんでした。
【1932年】フォード「ロードスター」(Ford Roadster)
アメリカでホットロッド(クラシックカーに極太のタイヤや、大排気量のエンジンなどでカスタムしたクルマ。アメリカ文化の1つとも言われています)の改造車ブームが巻き起こるきっかけをつくったのが、このフォード「ロードスター」と考えられています。
“デュース”という別名を持つこのクルマが、その後のカーカルチャーに与えた影響は計り知れません。その人気の秘密は、ハンサムなデザインとお手頃な価格もさることながら、オプションとして装備できるフラットヘッドのV8エンジンにあります。これまで体験したことのないようなスピードが、人々を魅了したのです。
腕自慢のメカニックたちが競うように改造に明け暮れ、人々がレースを楽しむようになりました。現在においてもなお、1932年製の「ロードスター」は、ホットロッドの主役の座に君臨し続けています。
【1933年】ピアース・アロウ「シルバー・アロウ」(Pierce Arrow Silver Arrow)
1930年代に入ると、市販車にもエアロダイナミクス(空気力学)のコンセプトが影響を与え始めます。米国の超高級車である「シルバー・アロウ」ならではのタイヤ全体をカバーするリアフェンダーと流線形のラインが、未来的な雰囲気を醸し出しています。
160馬力を誇る大きなV12エンジンを搭載した「シルバー・アロウ」の最高速度は、115mph(約185km/h)に達しています。しかし、1万ドルと値の張ったこのクルマの生産台数は多くはありませんでした。世界恐慌の直後という時代背景を考えれば、それも納得でしょう。
【1934年】クライスラー「エアフロー」(Chrysler Airflow)
世界恐慌により、自動車業界は壊滅的な打撃を受けました。しかし、そのような状況においてクライスラーは、1933年には早くも回復に転じます。そればかりか、前衛的で刺激的な「エアフロー」の開発を進めていました。
「エアフロー」は空気力学的に優れているだけでなく、この先10年のカーデザインを決定づけたとも言われています。
しかしながら、斬新すぎる姿が大衆の評価を得るまでには時間を要し、「発売当初から爆発的な人気を集めた」とは言い難いクルマだったのも事実です。
【1935年】シボレー「サバーバン・キャリオール」(Chevrolet Suburban Carryall)
今日のSUVの先駆けとなったのが、この「サバーバン・キャリオール」と言って、異論を挟む人は少ないのではないでしょうか?
また、このクルマは米国自動車史において、同一名称で生産されている最古のクルマとしても知られています。
8人乗りのワゴンは、当時から軽量のトラック用シャシーを用いた構造です。しかし、初期型には2つのドアと、後背部のバックドアがあるのみでした。90馬力の6気筒エンジンだったので、「重量を積むのに適している」とは言えないかもしれません…。
しかし、だからと言って、「サバーバン・キャリオール」の魅力が損なわれることはないでしょう。11種類におよぶ異なったスタイルのボディーに生まれ変わりながら、その後の83年間を駆け抜ける車種となったのです。
【1936年】ブガッティ「タイプ57 SC アトランティック」(Bugatti Type 57 SC Atlantic)
ブガッティの「タイプ57 SC アトランティック」は、いつの時代においても「世界最高の美しい車ランキング」の常連ですが、その理由はひと目見ればお分かりでしょう。
絶世の美しさを誇るこのクルマの価格は、最高で4000万ドル! そして…たった4台しか生産されておりません。つまり、このクルマが街を走るところを見たことのある人など、ほぼ存在しないのではないでしょうか…。
アルミ製ボディーは軽量で、スピード性能にも優れています。その速度については、210馬力の直列8気筒エンジンの賜物でもあります。「このブガッティこそ、史上初のスーパーカーだ」という意見に異を唱える人は、そう多くないでしょう。
【1937年】コード「812フェートン」(Cord 812 Phaeton)
前輪駆動のコード「810/812s」と言えば、ハイパフォーマンスを誇るイノベーションの代名詞という存在でした。オプションのライカミング・スーパーチャージャーを搭載したコードは、170馬力(195馬力に達したという説もあります)を誇り、24時間耐久のレースでは80mph(約129km/h)を記録しています。
今日においてもなお、なめらかで洗練されたデザインと格納式のヘッドライトによるデザインは、比類なきものと言えるでしょう。
しかし悲しいかな、このクルマが生産されたのは1936年から1937年までの短期間に過ぎず、その後、コードは廃業の運命をたどっています。
ヴィンテージのジャガー、30台も古い温室で発見される
2組の人生を変えたボンドカー
Source / POPULAR MECHANICS
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。