ウィリアム・レンショー(写真左)
双子として生まれたウィリアムは、1881年のウィンブルドン選手権第5回に初出場し、優勝。その後6連勝し、1889年に7度目の優勝をはたします。10年間の現役生活の末、29歳で引退。優勝回数は、8回のロジャー・フェデラーに次ぎ、男子シングルス史上2位です。
モード・ワトソン
1884年に第1回大会が行われた、ウィンブルドン選手権女子シングルス部門の初代チャンピオン、モード。決勝戦では7歳年上の姉リリアンとの姉妹対決で会場を湧かせました。翌年はブランチ・ビングリーに圧勝し、2連覇を達成。ウィンブルドンの代名詞、全身白のドレスコードは彼女がウエアを白で揃えていたことに由来すると言われています。
ロッティ・ドッド
1887年に15歳10カ月で優勝し、現在までウィンブルドン史上最年少の優勝記録を誇るロッティ。女子シングルスでは、3大会連続優勝かつ5度の優勝経歴を持っています。1908年のロンドンオリンピックでは、アーチェリーでも銀メダルを獲得した真のアスリートと言える女性です。
ブランチ・ビングリー
女子シングルス第2回大会から1912年まで、28年間にわたってプレーし続けた、ブランチ。1885年にモード・ワトソンを破り初優勝となり、その後1900年までの間に6度優勝します。ウィンブルドンの決勝戦には全13回出場し、史上最多を記録。なんと48歳まで現役を続け、1912年に引退しました。
アンソニー・ウィルディング
“トニー”の愛称で親しまれるアンソニー・ウィルディングは、1910年から1913年の4年にわたりウィンブルドンで連勝をはたした選手です。現役で活躍していた絶頂期に、第一次世界大戦に徴兵されてしまい帰らぬ人となりました。
スザンヌ・ランラン
フランス人のスザンヌは、今でも母国で“テニスの女神”として崇められる名選手。第一次世界大戦後、1920年代前半の女子テニス界に君臨し、テニスの競技を確立したプレイヤーのひとりです。1919年にウィンブルドンに出場し、初優勝。その後、5連覇を成し遂げています。
ルネ・ラコステ
ファッションブランド、「ラコステ」の創設者として知られるルネ・ラコステ。トレードマークの“ワニ”は、実は彼の粘り強いプレースタイルから付けられたニックネームにちなんで、友人が描いたワニの絵だそうです。ウィンブルドンでは、1925年と1928年に2度の優勝をはたし、4大大会でも目覚ましい優勝記録を残しています。フランスの“四銃士”のひとりとして注目された選手だったのですが、25歳で結核にかかり引退。その後、1976年に国際テニス殿堂入りをはたしています。
ヘレン・ウィルス(写真左)
アメリカが生んだ最大の女子テニス選手のひとり、ヘレン・ウィルス。ウィンブルドンでは1927年に初優勝し、1930年まで4連覇を成し遂げています。実は1931年に来日し、日本に女子テニスを浸透させる大きなきっかけとなった存在でもあります。試合中に感情を顔に出さないことから、“リトル・ミス・ポーカー・フェース”と呼ばれ親しまれました。
フレッド・ペリー
卓球選手として有名だったフレッド・ペリーは、20歳でテニスに転向。“イギリスのテニスの神様”と崇拝されるまでに。1934年から1936年に3連覇をはたし、4大大会では初めて全タイトル獲得を達成するなど、輝かしい記録を残しています。1952年に設立したブランド「フレッド・ペリー・スポーツウェア社」は、そのシンプルかつ上品なデザインでスポーツウエアの域を超えた人気ブランドとなっています。
モーリーン・コノリー
選手としては小柄だったことから、“リトル・モー”のニックネームで親しまれ、1953年に女子テニス初の年間グランドスラムを達成したプレイヤーとして知られています。ウィンブルドンでは、1952年から3連覇を成し遂げますが、事故により足に大怪我を負い19歳で選手生命を絶たれます。治療後はコーチとして活躍するも、病を患い34歳の若さでこの世を去ってしまいました。
※グランドスラム: テニスの4大大会を1年のうちにすべて制すること。
ビリー・ジーン・キング
実話をもとにした映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(2017)でエマ・ストーンが主演を務め、近年再びスポットライトを浴びているビリー・ジーン・キング。男女の賞金格差に挑戦し続け、女子テニス協会を設立したことで知られています。ウィンブルドンでの初優勝は1966年。1972年にはキャリア・グランドスラムを達成し、39歳まで現役プレイヤーとして活躍。引退後もオリンピックの米国女子テニス代表の監督も務めるなど、いまもなお絶大な影響力を誇ります。
スタン・スミス
「アディダス」のアイコニックなスニーカーでお馴染みのスタン・スミス。ウィンブルドンでは、1972年に出場2回目にして2時間41分におよぶ死闘の末、初優勝をはたしています。1900年から毎年行われている男子テニスの国別対抗戦、「デビスカップ」で史上最多の7勝を挙げた選手としても有名です。
ビョルン・ボルグ
常に冷静沈着なことから、“アイス・マン”と呼ばれたスウェーデン出身のビョルン・ボルグは、ジョン・マッケンローらと並んで男子テニスの黄金時代を築いた名プレイヤーのひとりです。ウィンブルドンでは、1976年から5回連続優勝しています。1983年1月に、当時のトーナメントスケジュールの過密さを理由に、26歳の若さで突然の現役引退を表明。世間を驚かせました。現在はアクティブウェアブランド「ビョルン・ボルグ」を経営しています。
ジョン・マッケンロー
1977年のウィンブルドンで、予選を勝ち抜いて準決勝まで進んだことで注目を集めます。1980年に初めて決勝戦に出場しましたがビョルン・ボルグに敗れ、翌年に再び決勝戦でボルグと戦い、悲願の優勝をはたしています。1984年には、年間14大会のうちウィンブルドンを含む12大会で優勝し、絶頂期を迎えます。33歳で現役を引退し、テレビ解説者として活躍する一方、ビョルン・ボルグらとともにシニアツアーに参加し、来日もはたしています。
マルチナ・ナブラチロワ
左利きでネットプレーを得意とする、チェコ出身のマルチナ・ナブラチロワ。通算9回のウィンブルドン選手権の大会史上最多優勝記録を樹立。シングルスのみならず、ダブルスでも多くの優勝歴を残しており、ビリー・ジーン・キングとも組んでいます。現役時代、1985年から約7年間はベジタリアンとして生活していたそうです。
ボリス・ベッカー
ドイツ出身のボリス・ベッカーは、1985年のウィンブルドンで17歳にして大会史上最年少で優勝し、一躍スター選手に。その後、順調に成績を伸ばし、ウィンブルドン歴代3位の通算71勝を記録しています。1999年のウィンブルドン選手権4回戦敗退をもって現役引退を表明し、2013年から3年間ノバク・ジョコビッチのコーチを務めました。現在は、プロのポーカープレイヤーとして活躍中。
シュテフィ・グラフ
力強いフォアハンドとバックハンド スライスを武器に、ボリス・ベッカーとともにドイツテニス界の黄金時代を築いたスター選手です。1988年に6連覇のナブラチロワを破り、ウィンブルドン初優勝。世界ランキング1位の在位記録が通算377週で、男女を通じて史上最長を記録したほか、年間ゴールデンスラムを達成した史上唯一のテニスプレイヤーとして、テニス界のレジェンド中のレジェンドとして名を刻んでいます。現役引退後は、同じくテニス界のレジェンドであるアンドレ・アガシと結婚し、2児のママでもある。
※ゴールデンスラム: テニスの4大大会を1年のうちにすべて制し、さらに同一年のオリンピックで金メダルを獲得すること。
アンドレ・アガシ
前述のシュテフィ・グラフの夫である、アンドレ・アガシ。4人兄弟の末っ子として生まれたアンドレは、4歳からテニスをスタート。1992年にウィンブルドンで初優勝し、1999年の全仏オープンで史上5人目のキャリア・グランドスラムを達成。2006年に現役引退を表明し、21年間の現役生活に終止符を打ちました。
伊達公子
1995年にアジア人女性として、史上初の世界ランキング4位を記録し、さらに日本人女子初のウィンブルドン選手権シングルスベスト4進出をはたした伊達公子。1996年のウィンブルドン準決勝では、シュテフィ・グラフと2日にわたる激戦を繰り広げるも、敗退。同年に引退するも、12年後の2008年、37歳にして現役復帰。同年11月に行われた全日本テニス選手権の女子シングルスで、16年ぶり3度目の優勝を飾ります。その後、左膝のケガに悩まされ、2017年に惜しまれつつ引退を表明しています。
ピート・サンプラス
ギリシャ系のアメリカ移民であるピート・サンプラスは、ロジャー・フェデラーとならび、史上最高のオールラウンドプレイヤー。1993年にウィンブルドンで初優勝。その後、全米・全豪ともに制し、4大大会3連勝をはたします。ウィンブルドン選手権優勝7回は歴代2位、4大大会優勝数は14回で歴代4位を記録。2001年のウィンブルドンではロジャー・フェデラーに敗れ、2003年に引退しました。
リンゼイ・ダベンポート
プロのバレーボール選手を両親に持つ、身長189cmのリンゼイ。1996年アトランタ五輪の女子シングルスで金メダルをと獲得し、1999年のウィンブルドンではシングルスのみならずダブルスでも優勝する。世界ランキング1位に輝くも、ヴィーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹に優勝を阻まれる試合が続き、2010年に現役を引退しています。
マルチナ・ヒンギス
テニス史に残る“天才少女”と言えば、2歳のころからチェコスロバキア元代表選手の母より英才教育を受けたマルチナ・ヒンギスです。弱冠14歳でプロデビューし、4大大会史上最年少の16歳で全豪オープン、ウィンブルドン、全米オープンの3冠を獲得。史上最年少で世界ランキング1位を達成した天才少女。しかし、あまりにも早く頂点に上り詰めたせいか、テニスへの情熱がさめてしまったようで、23歳で現役引退。その後2度復帰するも、2017年に3度目の引退を発表しています。
ヴィーナス・ウィリアムズ
妹のセリーナとともに“パワーテニス”を確立し、女子テニスに新しい風を吹き込んだヴィーナス。1997年に全米オープンでノーシードながら決勝戦進出をはたし、2000年にウィンブルドン初優勝。2002年には黒人の女子テニスプレイヤーとして初の世界ランキング1位に。2007年に世界ランキング31位からウィンブルドン優勝を勝ち取り、翌年のウィンブルドン決勝では5年越しの姉妹対決でストレート勝ちを決め、2冠を得ています。39歳になった現在も、現役選手として活躍中。
セリーナ・ウィリアムズ
ウィリアムズ家5人姉妹の末娘として誕生したセリーナは、10代から頭角を現し、姉のヴィーナスを超える素質があると言われていました。男女を通じてシングルス・ダブルスともにキャリア・ゴールデンスラム達成した唯一の選手として知られるほか、ダブルスは姉ヴィーナスと組んだ14度の4大大会優勝に加え、オリンピックでもシドニー・北京・ロンドンの3大会で金メダルを獲得しています。生涯獲得賞金は8000万ドルを超え、すべての女子プロスポーツ選手を含めて史上1位。2017年に妊娠・出産を経て、2018年に復帰。復帰後の全米オープンでは、大坂なおみに敗れるも準優勝で復活を印象づけました。
ロジャー・フェデラー
スイス出身のロジャー・フェデラーは、数々の記録を塗り替えてきたことから、史上最高のテニスプレイヤーとの呼び声も高い。2003年にスイス選手として初めて、ウィンブルドンで優勝を決めると、2005年には11大会で優勝。81勝4敗の勝率95.3%をマークしています。2007年にはウィンブルドン5連覇&歴代最長連続世界ランキング1位に輝き、翌年の北京五輪では金メダルを獲得。2009年にキャリア・グランドスラムを達成し、2017年にウィンブルドン歴代単独最多8回目の優勝を成し遂げています。2019年は史上2人目のシングルス通算100勝を達成し、37歳となった今でも衰え知らずのレジェンド、今大会も乞うご期待。
マリア・シャラポワ
華やかな容姿と実力を兼ね備えたロシアが誇る名選手、マリア・シャラポワ。6歳のころにマルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、9歳でフロリダ州にあるニック・ボロテリー・テニスアカデミーに特別奨学生として入学。2004年のウィンブルドンでセリーナ・ウィリアムズにストレート勝ちし、初優勝。翌年にはロシアの女子テニス選手として、史上初の世界ランキング1位に輝きます。その後はケガに悩まされますが、2012年にキャリア・グランドスラムを達成します。
アンディ・マレー
ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチと並んで“BIG4”と称される、イギリス人のアンディ・マレー。2012年の全米オープンでは、決勝戦でジョコビッチと全米決勝史上最長タイの4時間54分におよぶ死闘を制し、悲願のグランドスラムタイトルを手に入れます。翌年は、フレッド・ペリー以来77年ぶりとなる地元ウィンブルドン優勝。ロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪でシングルス選手としては、男女通じて初のオリンピック連覇を達成しています。右腰の痛みを抱えており、今大会を最後に引退することを表明。
ラファエル・ナダル
グランドスラム優勝回数は18回で歴代2位、キャリア・グランドスラム達成者としては史上7人目、さらに史上2人目となるキャリア・ゴールデンスラムを最年少の24歳で達成した、スペイン出身のラファエル・ナダル。2005年に全仏オープンで4大大会初タイトルを獲得し、2008年にはウィンブルドン初優勝&北京五輪の男子シングルスで金メダルを獲得、同競技で最初のスペイン人金メダリストに。その後はケガで休養と復帰を繰り返すも、今年の全仏オープンでは3連覇・12度目の優勝をマークし、完全復帰を印象づけています。
アンゲリク・ケルバー
ドイツ出身のアンゲリク・ケルバー。2016年に全豪・全米オープン女子シングルスで優勝し、世界ランキング1位に。2年ぶりに決勝進出を決めた2018年のウィンブルドンでは、セリーナ・ウィリアムズにストレート勝ちし、初優勝をおさめています。
ノバク・ジョコビッチ
元スキー選手を父に持つ、セルビア出身のノバク・ジョコビッチ。2011年に全豪・全英・全米の3冠を手に入れ、ラファエル・ナダルを抜いて世界ランキング1位に登りつめます。2016年にはキャリア・グランドスラムを達成。2017年は右ひじのケガが悪化。休養に入ったことも影響し、2018年には世界ランキング22位まで落ち込みました。ところが、同年のウィンブルドンで優勝をはたし、さらに史上初キャリア・ゴールデンマスターズを達成。世界ランキング1位に返り咲き、完全復活をアピールしました。ウィンブルドンでは、優勝した際に芝を食べるのが恒例となっています。
※キャリア・ゴールデンマスターズ: マスターズ9大会を全制覇すること。