1970年6月
将来のヨーク公爵夫妻となる2人が出会ったのは、なんと子供の頃。王室の写真家ジョン・スコットのアーカイブには、1970年当時、幼きセーラとアンドルー王子が楽しそうに話している瞬間が残っている(タートルネックの洋服を着てカメラ側に顔が向いているのがセーラ)。後に、セーラは彼女の自伝の中で「アンドルー王子を含む、サボリ魔たちと一緒に鬼ごっこをして遊んでいた」とつづっていた。
1985年6月
ロマンスが芽生えたのは、大人になった2人が一緒にロイヤルアスコットに参加した時。当時、ダイアナ妃がロイヤルスコット開催期間中はウィンザー城に滞在するよう、セーラを招待していたことが報じられていた。2人の婚約インタビューの際に、アンドルー王子はランチで隣同士に座り、その時に交際を始めることになったと明かしていた。
1986年3月
結婚を前提とした短い交際期間を経て、1986年3月に2人は婚約を発表。プロポーズの際にアンドルー王子がセーラに贈ったのは10個のダイアモンドがルビーの周りを囲んだ指輪。セーラが「素敵」と喜んだ婚約指輪は、彼女の髪の色に合わせられたものだった。
1986年7月
婚約発表から数ヵ月後の7月23日、アンドルー王子とセーラはウエストミンスター寺院で結婚式を挙げた。セーラがまとったアイボリーのサテン素材のウエディングドレスは、イギリスのクチュリエ、リンカ・シーラッチがデザインしたもので、セーラの家紋からマルハナバチとアザミの刺しゅうが施されていた。ロイヤルウエディングでは珍しいことに、白い花の花冠をつけて登場したセーラがその下につけていたティアラを見せたのは、結婚証明書にサインした後のことだった。「BBC」によれば、5億人もの人々がテレビで彼女たちの結婚式を見守ったそう。
1986年7月
結婚式の後、新婚夫婦は新婚旅行でアゾレス諸島へと向かった。セーラは2011年に当時のことを振り返り、王室の花嫁としての経験は「魔法にかかったようだった」と述べている。
1987年2月
1980年代後半、王室御用達のスキーリゾート地であるスイス・クロスタースへのスキー旅行を含め、アンドルー王子とセーラはチャールズ皇太子&ダイアナ元妃と一緒に公に登場する機会が度々あった。新婚当時に、セーラとダイアナは親しい友人になっていたという。
1988年8月
結婚から2年後の8月8日、2人にとって待望の第1子となるベアトリス・エリザベス・メアリーがロンドンのポートランド病院で誕生した。
1990年3月
それからさらに2年後の1990年3月23日、セーラは次女のユージェニー・ヴィクトリア・ヘレナを出産。すっかりママの顔になった彼女は、白とピンクのイヴ・サンローランのスーツに身を包んで、新たなプリンセスの誕生を報告した。
1992年3月
ユージェニー王女の誕生後、セーラとアンドルー王子が「和解しがたい不和に直面としている」という疑惑が「BBC」によって報じられた。そして、婚約発表から6年後の1992年3月19日、バッキンガム宮殿は2人の関係が破綻したことを発表。宮殿からの声明によると、女王はこの問題に関するメディアの報道が「望ましくない」と感じていたようで、各紙に家族の問題に介入しないように要求したという。この年の5月に行われた「ロイヤル・ウィンザー・ホースショー」には、ヨーク公一家そろって参加し、“家族”としての絆をアピールした。
1992年8月
破局の発表から数ヶ月後、ファーギーがサントロペでの休暇中にテキサスのファイナンシャルアドバイザー、ジョン・ブライアンから足をなめられている姿が激写された。夫婦関係が破綻していたとはいえ、当時の2人が法律上はまだ夫婦であったため、王室のビッグスキャンダルに世界中に衝撃が走った。このニュースが報じられた際、ファーギーはロイヤルファミリーと一緒にバルモラルに滞在していたが、『テレグラフ』紙によれば、報道の直後にロンドンへ戻ることを余儀なくされたという。
1996年5月
1996年5月、2人が正式に離婚したことが発表された。ファーギーは借金を抱えていることを告白し、その年の後半に、自身の王室での生活についてつづった自伝本『マイ・ストーリー(My Story)』を出版した。彼女は2011年にも『ファインディング・セーラ(Finding Sarah)』という自伝本を執筆しているほか、幾つかの児童本も出版している。
1999年10月
離婚から数年後、2人は今でも互いに親しい友人であり、サニングヒル・パークの邸宅で一緒に暮らし続けていることを告白した。「みんなが、おとぎ話のようにアンドルーと私がまた一緒になることを望んでいることは分かっているわ。でも、向こう1000年間の計画など立てることができないように、この先の私たちがどうなるか、計画を立てることはできないの」と、ファーギーは『ミラー』紙に語った。「私たちは世界中で最も幸せな元夫婦よ、絶対にね。幸せな結婚生活を送っている人たちもいる。でも、私たちはとても幸せな離婚をしたの。奇妙に聞こえるかもしれないけど、私たちは自分たちが得たものに確かな自信があるの」
2000年9月
ベアトリス王女がウィンザーにあるセント・ジョージ・スクールに初登校した日のように、家族にとって大切な日に、アンドルー王子とファーギーが一緒にいる姿はしばしばキャッチされていた。そんな両親の姿を、ユージェニー王女は「私の知っている限りで最高の元夫婦よ」と表現していた。
2011年4月
2011年、最も注目された王室の祝賀式典に、ファーギーの姿はなかった。この日行われたウィリアム王子とケイト・ミドルトン(現キャサリン妃)の結婚式に、アンドルー王子は2人の娘と一緒に出席したが、彼女たちの母は招待されなかった。王室担当記者のマーク・サンダースは、このことは(ファーギーにとって)“屈辱的な”冷遇だったと伝えている。
2018年5月
しかし、それから7年後。ファーギーは2018年5月に行われたハリー王子の結婚式に招待された。セント・ジョージ礼拝堂に到着した時の彼女は1人で、チャペルの席はかなり後方だったけれども…。(アンドルー王子、ベアトリス王女、ユージェニー王女は一緒に会場入りし、席はもちろん王室メンバーと一緒に最前列)
2018年6月
ここ数年、ファーギーは家族と一緒にロイヤルアスコットに参加している。王室メンバーのように馬車に乗って会場入りすることはないが、ロイヤルボックスでの観戦に招待されており、再び王室界に歓迎されつつあるようだ。今年のロイヤルアスコットでは、女王と楽しそうに歓談している姿が写真に収められている。
2018年8月
離婚から20年以上がたった今年。次女ユージェニー王女の結婚式を控え、ファーギーはアンドルー王子との関係が最も親密なものになっていると語った。「BBC」のトーク番組「The One Show」で、「私とアンドルーのことは、私たちの気持ちで進んでいくこと。私たちは家族としているべき時に一緒にいる。人生の光が見えているの」と、セーラ。
From Harper's BAZAAR UK
Photograph / Getty Images, Shutterstock
Translation / Ai Ono