12月23日に亡くなった、作詞家で作家のなかにし礼さん(享年82)。その悲しみは、今も広がっている。
68年の黛ジュン「天使の誘惑」や82年の細川たかし「北酒場」といった楽曲がレコード大賞を受賞したなかにしさん。昨年にリリースされた氷川きよしの「母」も手がけており、最後まで作詞家人生を貫いた。その偉大さを讃えるため、1月6日の「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ系)を筆頭に、ラジオでは追悼コーナーを設ける番組が放送されたのだった。
大ヒット曲を連発したなかにしさんの人生は、順風満帆に見えた。しかし、実際は波乱万丈そのものだった。なかにしさんは本誌で、2つの闘いについて明かしていた。
■4億円の負債と2億円の借金を兄に被せられ絶縁
まず1つ目は、実の兄だ。98年6月、なかにしさんは本誌で兄との日々を回想している。
「ずるくて、強欲で、無責任でどうしようもないところのある兄貴でした」
なかにしさん兄弟は旧満州で1、2を争うほど裕福な家庭で育ったという。兄はその跡取り息子として育ったが、戦争で学徒出陣。旧満州が瓦解すると、家族は財産をすべて失った。父はソ連軍に連行され、なかにしさんは街頭に立ちタバコを売るなどして日々をしのいだ。
戦争が終わると、兄は家族の元に戻った。しかし一攫千金の夢に取り憑かれ、博打のようにコロコロと稼業を変えたという。
「兄貴は、押出しのある雰囲気でしたから、金のありそうな人のところに行って『一緒に仕事をやろう』と持ちかけると、相手は信用する。それで、兄貴は社長になって、相手が工面した金を使ってしまい、会社が潰れる。その繰り返しですよ」
のちになかにしさんが作詞家として活躍すると、兄は大量のお金を無心しては豪遊。それだけでなくなかにしさんの印税を自らの口座に振り込まれるよう勝手に変更し、なかにしさんに生命保険までかけていた。さらに経営に失敗して作った4億円もの負債と2億円の個人的な借金をなかにしさんに被せると、行方をくらませた。
なかにしさんが必死に作詞をし続け生活を立て直すなか、兄は突然戻ってきた。しかし、今度はクラブの女性に入れあげ2000万円もの借金をしていると発覚。これまで「兄弟が諍いを起こすと母が悲しむ」という思いで必死に耐えてきたなかにしさんだったが、ついに絶縁を言い渡した。その16年後、兄が亡くなったと耳にした時は思わず「ばんざい!」とつぶやいたという。
そして2つ目が、“がん”だ。12年にも食道がんを発症したなかにしさんは15年2月、リンパ節にがんが見つかった。本誌16年5月3日号では、その闘病生活について以下のように語っている。
2度目のがんで、長時間にわたる手術を経験したなかにしさん。しかし、がんを取り除くことはできなかった。さらにがんが成長し、気管支を突き破る可能性も残っていたという。
「『いつ暴発するとも知れないピストルを頭に突き付けられた状態』で日々を過ごすことになった。先生からは繰り返し『1日1日を大切にしてください』『週単位で人生を考えてください』と言われるし、本当に怖くて」
「自分の密葬やお別れの会の段取りをしたり、戒名を考えたり……」
死を覚悟するほどのがん闘病。その影響で、なかにしさんの妻である由利子さんはうつ状態になってしまったという。そして、なかにしさんは闘病しながら由利子さんの精神面も支えることとなった。
がんを切除できないまま退院したなかにしさんは、抗がん剤による治療を始めた。4回にわたる投与、そして12回もの陽子線治療ーー。すると奇跡的に治まったという。
■僕は「書くこと」にしか興味がないですから
なかにしさんは「1度目のがんとの闘いは、わかりやすく言うと『女房とともに闘い、勝利した』という感じだったけれど、今度の治療はもっと孤独なわけ」といい、こう続けていた。
「がんと闘いながら思ったのは『僕がいなくなったら女房は大変だ』ということが、ものすごく如実にわかったということ。つまり彼女への思いや“愛”がわかった」
「これからは女房をより大事にして生きていかなければいけないと思うし、もの書きとしては、命のある限り書き続けていきたい。僕は『書くこと』にしか興味がないですから」
苦しい闘いを乗り越えてきたなかにしさん。今は、安らかな気持ちで眠っていることだろう。