現代では雑誌、テレビやインターネットが普及しているから、人気アイドルの写真や映像はすぐにチェックできますが、江戸時代はそうはいきません。
でも、江戸時代にもアイドルは存在しました。では、どのようにアイドルの情報を得ていたのでしょうか?江戸時代の人たちはアイドルたちを、絵師が描いた浮世絵を通して知っていたんです。江戸時代は貸本屋も人気だったので、書物から知ることもあったでしょう。
素人アイドル「茶屋娘」
浮世絵に描かれるアイドルの代表格としては、男性アイドルでは歌舞伎役者、女性では遊郭の遊女や芸者などが多かったですが、中には一般素人アイドルが浮世絵に描かれることもありました。それが今回紹介する、茶屋で働く「茶屋娘」です。
「茶屋娘見立雁金五人男」鳥文斎栄之 茶屋娘を歌舞伎「雁金五人男」に見立てている。神5?
茶屋(水茶屋)とは、いわゆるカフェや喫茶店みたいなもので、お客さんにお茶や和菓子などを提供していたお店(中には売春が行われていた茶屋も)のこと。茶屋は道端にもありましたが、神社やお寺の付近や境内にもお店を構えていました。人気の茶屋娘が働くお店ともなると、茶屋娘見たさに訪れる客も少なくなかったようです。まさに看板娘ですね。
茶屋娘見立番付 出典:千葉市美術館
評判の良い茶屋娘は、鈴木春信や喜多川歌麿と言った有名な絵師らが作品の題材にするほど、大きな影響力を持っていました。そこで今回は、江戸時代の茶屋娘の中から浮世絵の作品に大きく取り上げられた茶屋娘を、作品とともに紹介します!
茶屋娘界の不動のセンター「笠森お仙」
鈴木春信「笠森お仙」
笠森お仙(かさもりおせん)は歌舞伎や小説にも登場することがあるので知っている人も多いでしょう。江戸谷中の笠森稲荷門前の鍵屋で働いていた茶屋娘です。鈴木春信が笠森お仙を題材にした作品を数多く残しています。
生粋の看板娘「難波屋おきた」
喜多川歌麿「難波屋おきた」
浅草観音の境内に店を構える難波屋の茶屋娘だった、難波屋おきた(なにわやおきた)。上の写真ではお茶を運んでいる姿が描かれていますが、自らお茶を運ぶことがほとんどないほどの人気ぶりだったとも言います。名画・寛政三美人の一人として有名。
向島のサラブレッド「山本屋おとよ」
「江戸名所百人美女 長命寺」三代 歌川豊国
山本屋おとよ(やまもとやおとよ)は、桜餅で有名な向島長命寺境内の山本屋の2代目の娘。山本屋は美人の血筋として有名で、おとよもかなりの美人さんだったそうです。
銀杏の下に咲く華「柳屋お藤」(楊枝屋)
鈴木春信
番外ですが、柳屋お藤(やなぎやおふじ)又は銀杏お藤は、江戸浅草寺奥山の銀杏下の楊枝見世・柳屋の娘。上の作品では左がお藤。後ろに楊枝が陳列された柳屋が描かれていますね。真ん中が歌舞伎役者の女形・瀬川菊之丞で、右がお仙です。
煎餅が焦げるほど恋したい「高島屋おひさ」(煎餅屋)
喜多川歌麿「寛政三美人」
こちらも番外的ですが、高島屋おひさ(たかしまやおひさ)は両国に店を構える高島屋長兵衛の娘(左)。お煎餅屋さんです。難波屋おきた(右)と共に、喜多川歌麿の寛政三美人の一人として描かれました。寛政三美人に描かれたもうひとりは吉原の芸者さんだった豊雛(真中)です。
いかがでしたか?浮世絵の美人画ってどれも同じような表情で違いがわかりにくい…と思う人もいるかとおもいますが「描かれている美人は誰?」まで探ってみると、それぞれの作品の背景が見えてきて違った楽しみもできるからおすすめですよ。
当時はこういった浮世絵を庶民たちで回し見しながら、アイドル情報を共有していたのでしょう。遊郭などで働くプロアイドルとはまた違った魅力を、茶屋娘に感じていたのかもしれませんね。