当時の宮崎氏(左)と手配書の「キツネ目の男」
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寺澤「宮崎さんが、自伝的ノンフィクション『突破者』を書いて世に出る前、1994年の年末ごろに、東京の全日空ホテルで会ったのが、僕と宮崎さんの最初の出会いでしたね」
宮崎「寺澤と大谷(昭宏=ジャーナリスト)が話をしているところに、偶然、俺が出くわしたんだったかな」
寺澤「少し話をしただけで、すぐに宮崎さんは行ってしまいましたが、『ずいぶん頭がよさそうな人ですね』と、大谷さんに言ったんです。そうしたら、大谷さんから『そうだよ。あいつは、いろいろな “事件” をやってきた男だ』と言われて。
寺澤「社会の裏側を見続けてきた宮崎さんに聞きたいんですが、いま、芸能界と反社会的勢力の関係が批判されています。宮崎さんは、どう見ていますか?」
宮崎「反社会的勢力から見て、芸能人とつき合うメリットなんてないんです。逆に、芸能人を酒席に呼べば、小遣いをやらなくてはいけないわ、酒代も出さなくてはいけないわ、デメリットのほうが大きい。ただ、いいカッコはできる。それだけの話なんです。
寺澤「その一方で、僕自身が取材してすべて裏も取りましたが、福島第一原発の事故処理や、沖縄・辺野古の埋め立てなどには、全部、反社会的勢力が入っています。芸能人叩きはもういいから、なぜマスコミはこっちの問題をやらないのかと」
宮崎「いまのメディア状況では、反社会的勢力ということなら、絶好の叩く材料になってしまっている。相手に『反社』というレッテルを貼れば、得点を挙げられる世の中なんです」
寺澤「ところが、相手が権力となると、メディアは一気に腰が引けます。僕とジャーナリストの山岡俊介さんでずっと取材してきた、『安倍晋三宅放火未遂』という事件があります。取材のなかで、ここでも宮崎さんの名前が出てきて驚いたのですが(笑)」
宮崎「あれはね、ちょっと頼まれて動いたんだけど、返事がなかったから、それでやめたんだよね」
寺澤「1999年に、小山佐市という男が、安倍晋三宅に火炎瓶を投げて、2003年に捕まったんです。
宮崎「そうだな」
寺澤「この事件は、共同通信が、当初より取材に動いていました。しかし共同通信は、第1次安倍内閣のときに、安倍首相が反社と交わしたこの書面の1枚を入手して裏取りも終えて、予定稿まで作りましたが、上層部の判断で記事にせず、闇に葬ってしまいました」
宮崎「大手メディアの劣化も、ひどいもんだね。我々は、“表現の自由” が妨害されるというのは、そうした権力によって潰されることを想定してきたわけだけれど、いまはさらに世の中の空気で、真綿で首を絞められるように、表現の自由がなくなっている面もある」
寺澤「それは本当にひどくて、山口組が3つに分裂しているじゃないですか。そのひとつの組の最高幹部から『本を出したい』という話があったんです。
宮崎「どんどん来てるよね」
寺澤「宮崎さんと私は、1999年に盗聴法案が国会に提出されたとき、『こんなものを通したら、次から次へヤバい法律が通ってしまう』ということで、一緒に反対運動を盛り上げました。
宮崎「絶望的な話をしなければいけないんだけど、『この国の国民がバカなんだ』と思います。
寺澤「いや、今回は載りますよ(笑)」
宮崎「『警察から盗聴されるヤツなんて、どうせ後ろめたいことやってるんでしょ』なんていう、バカな常識が蔓延している社会だから、権力にとってはやりやすい世の中になっていると思う」
寺澤「先に挙げた、安倍さんと反社のつながりとか、僕は去年、記事にして発表しましたが、マスコミは報じない。せっかくSNSでは盛り上がっているのに、知り合いの共同通信の記者たちに『記事にしろ』と言っても、みんなゴニョゴニョ言って、いまだに握りつぶしたままです」
対談は宮崎氏(写真右)の自宅にて
寺澤「これまで、この『キツネ目の男』は、犯人グループの一員で実在する人間だとされて、そう報道もされてきました。
宮崎「まあ、警察がどういういきさつでこういう似顔絵を作ったのか、僕にはわからないよ(笑)」
寺澤「宮崎さんの『突破者』を読むと、当時、これが公表されたとき、宮崎さんと一緒にいた女のコが、『テレビにあんたが出てる』と驚いたなんて話も出ています(笑)。
宮崎「事件の舞台になった京都・伏見という場所については、俺は詳しいよ。その土地鑑があることと、当時の警察のブラックリストを掛け合わせて検索したら、(容疑者として)残ったのが俺だったと思う。
寺澤「警察は、『宮崎さんをグリコ・森永事件の容疑者、重要参考人に仕立て上げたかった』ということですか」
宮崎「間違いなく、そうだったと思う」
寺澤「そうなってくると、そもそも『キツネ目の男』は実在したのかと、私は思っているんです。大津サービスエリアや電車の中で捜査員が目撃したという『キツネ目の男』は、本当にいたのかと」
宮崎「電車の中や大津サービスエリアに、不審な動きをする犯人グループらしい人間が、いたことはいたんだと思う。でも、その人間がどこの誰なのか、警察の能力では特定できなかったんだろう」
寺澤「『その場になんらかの犯人グループらしい男はいた』と。でも、それは警察が発表した、あの『キツネ目の男』ではなかったんでしょうね」
宮崎「たぶん」
寺澤「ですよね」
宮崎「まして、『現場に俺がいた』なんていう話まであるが、そもそも当時の俺は、警察にマークすらされてなかった。それがある日突然、警察官が自宅に訪ねてきて、『この日どこにいましたか?』なんて聞いてきたんだ。
『あ、アリバイ確認されてるのか』とすぐに思ってね。その日、分裂していた武蔵野音楽大学の労働組合が統一するということがあって、俺はそれを応援していたから、現場で挨拶しているわけ。資料にも残っていたから、『ここにいたよ』と見せた瞬間に、警察官はガクッとしてね」
寺澤「僕もグリコ・森永事件は、かなり取材をしてきたんですが、僕の中でずっとあった、『あの似顔絵の「キツネ目の男」は、実際には電車にも乗っていなかったし、大津サービスエリアで目撃された男ともまったく違う』という仮説と、宮崎さんも意見は一致します?」
宮崎「一致するね」
寺澤「ああ、よかった(笑)。このことは絶対に、宮崎さんが生きているうちに確かめたかったんです」
宮崎「一連の事件捜査のなかで、警察になんらかの失態があったと思うんですよ。それを覆い隠すために作ったのが、俺。つまり、宮崎学という名前の『キツネ目の男』だった。
寺澤「3億円事件もずっと取材していますが、過去の未解決事件は必ず、『警察官や元警察官が犯人側に関わっていないと実行できなかった』という話になるんですよね。
宮崎「グリコ・森永事件の手口を見ると、そう思うよ。そうじゃないと、警察内部の情報を取れなかった。それだけ警察というのは奥行きが深く、悪いんだ」
「キツネ目の男」は実在しなかった――。宮崎氏の体調が悪いなか、対談は2時間近くに及んだ。なお、この対談は、宮崎氏の自宅でおこなわれた。宮崎氏は、「この家も“キツネ目の男”のおかげで建ったようなもの」と笑った。
寺澤「いまの日本社会に、もし転機があるとすれば、宮崎さんはどのようなものと考えていますか?」
宮崎「これから先、いいことはひとつもないと思う。『お上がすべて解決してくれるんだ』という、“国民が何も判断しない社会”、そういうものが生まれてくる。
寺澤「地獄からですか(笑)」
宮崎「天国に行くことはないだろうよ」
みやざきまなぶ
1945年10月25日生まれ 京都府出身 学生運動に明け暮れて早稲田大学を中退。週刊誌記者を経て、家業の解体業を継いだが、ゼネコンへの恐喝容疑で逮捕。1996年に出した『突破者』が15万部突破のベストセラーになり作家に
てらさわゆう
1967年2月9日生まれ 東京都出身 大学在学中の1989年から、ジャーナリストとして警察や検察、裁判所など、聖域となりがちな組織の腐敗を追及している。2014年に「国境なき記者団」が選ぶ世界「100人の報道のヒーロー」に選ばれた
(増刊FLASH DIAMOND 2019年11月15日増刊号)