上島「もともとは『スーパーJOCKEY』(日本テレビ)内の『熱湯コマーシャル』のコーナーで(たけし)軍団さんがやってたんです」
寺門「でも軍団さんは『押すなよ押すよ』とは言ってないんです。軍団さんは、ただ押すだけだったから。『押すなよ』は『スーパーJOCKEY』が終わって俺たちが熱湯風呂を始めるときに、ネタっぽくしたのが始まりです」
肥後「確かにあのパターンを作ったのは僕らですね」
上島「僕たちがいったん『熱湯風呂』をやって、その後にVTRを見ながらリーダー(肥後)が解説するっていうのをやったの。VTR内で俺が『押すなよ。押すなよ』と言ってたら」
ジモン「リーダーが『ここはまだです』と説明して」
上島「俺が『絶対に押すなよ』と言ったら」
ジモン「『これ、押せってことですね』とリーダーが解説したんです」
上島「リハーサルで僕が『熱湯風呂』から上がって来たときに、『なんで押したんだよ!』と怒りながら、最初は足じゃなく、お風呂のヘリを手でたたいて。ジャンプもみんなじゃなく、俺1人で飛んでたの。そしたら加地(倫三)さん(『アメトーーク!』の演出兼プロデューサー)が『見えやすいように前に出て足でやりません?』って言ったのよ。それで一回足でやってみたら『こっちの方がいい』ってなって。ジャンプもみんなでやるようになったから『足の方が合わせやすい』ってなったのよ」
ジモン「ギャグって、僕らと演出家がうまくかみ合ったときに生まれるんですね」
上島「例えたら、僕が『こういう料理ですよ』って出したときに加地さんが『これをかけたらもっとおいしくなりますよ』みたいな感じだね」
『どうぞ、どうぞ、どうぞ』というギャグが誕生したのは『ナイナイナ』(テレビ朝日)という1997年から99年にかけて放送されていた番組からでした。
ジモン「最初は『どうぞ、どうぞ』とか言ってなかったのよ。逆バンジーを誰がやるか決めるときに、『俺やりたい』『俺やってもいいよ』って言ってたら、竜ちゃんが『そんなこと言ったら俺だってやるよ』って。そしたらみんなが『え! 竜ちゃんがやる? 竜ちゃんがやるんだったら仕方ないな、譲るよ』って感じで。それを3回ぐらい繰り返してたのよ」
上島「それで、次のロケではバンジージャンプをやることになったの。このときは上でスタンバイした状態で、俺が『怖くてやりたくない』って言ってたのよ。そしたら下からみんなが『俺がやる』って言うから。『じゃあ俺がやるよ』て言ったら、みんなが『どうぞ、どうぞ』って。ここで『どうぞ、どうぞ、どうぞ』が固まるわけ」
上島「その現場は何回も『どうぞ、どうぞ』をやってウケたんだけど、2時間ぐらい粘って結局、俺はバンジーを飛べなかったんだよ」
ジモン「普通、飛ばなくちゃダメですよ。我々はリアクション芸が売りなのに。しかも番組が用意したバンジーにはロケセット、バンジー用のクレーン、カメラなど何百万円もかかってるんです」
上島「だから降りて来て加地さんに『本当にすいませんでした』って僕が言ったら。加地さんが『いえいえ、どうぞどうぞが大爆笑だから全然大丈夫です』って」
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。