cat_oa-flash_issue_6193e8ea5ba9 oa-flash_0_6193e8ea5ba9_紅白『ひょっこりひょうたん島』から「米津玄師」への流れに注目 6193e8ea5ba9

紅白『ひょっこりひょうたん島』から「米津玄師」への流れに注目

写真中央がFooryn

 

 12月30日、東京・渋谷のNHKホールで、『第69回NHK紅白歌合戦』の2日めリハーサルがおこなわれた。前日の各アーティスト別の音合わせを経たこの日は、コーナーごと、そして全体を通した進行確認がされた。

 

 同局の好視聴率コント番組『LIFE!~人生に捧げるコント』の人気キャラで、総合司会の内村光良が扮するNHKの「ゼネラル・エグゼクティブ・プレミアム・マーベラス・ディレクター」三津谷寛治がプロデュースする、キッズショーの通し稽古では、男女・チームが入り混じったアイドルたちが登場した。

 

 

 三津谷Dがみずから出演者交渉に各地へ足を運ぶという設定で、代わりに進行司会を「オーノ」こと嵐の大野智と、「ムーロ」こと俳優のムロツヨシが務める。

 

 ショーのはじめは、NHKの名作人形劇『ひょっこりひょうたん島』を舞台にした、AKB48、乃木坂46、欅坂46のメンバーからなるドリームチームの演目。

 

 AKB48からは指原莉乃と柏木由紀、乃木坂46からは、白石麻衣と生田絵梨花、そして欅坂46からは、12月半ばよりケガで休止中の絶対的エース・平手友梨奈の代わりに紅白でセンターを務める小林由依と、キャプテンの菅井友香が、『ひょうたん島』キャラのコスプレで登場し、テーマソングを歌った。

 

 続いて、人気教育番組『おかあさんといっしょ』『いないいないばあ』の出演メンバーが勢揃い。さらに、Sexy ZoneとKing&Princeの面々が合流し、チューリップの財津和夫が作詞した『切手のないおくりもの』を合唱する。リードボーカルはなんと、松田聖子が務める。

 

 ステージ途中で前列に加入した三津谷Dが、歌い終わったあとこうセリフを放った。

 

「こういう歌を、これからもたくさん作りたいですね。NHKなんで! さあ、いまこそ、『みんなのうた』を未来に届けるんです」

 

 そして流れ始めた曲は、シンガーソングライター・米津玄師が東京五輪のために作詞作曲し、2018年8月に発売された『パプリカ』。映画監督・新海誠氏の娘が加入していることで話題になった、男女5人組の小学生ダンスボーカルユニット「Fooryn(フーリン)」が登場し、歌とパフォーマンスを披露した。

 

 米津といえば、2018年、世間でもっとも注目を集めたアーティストのひとり。紅白出場を望む声も多かったが、11月の出場歌手発表会見では「参加未定」だった。

 

 ところが12月も半ばになって、突然、亡き祖父が住んでいた徳島から生中継で紅白出場、という発表がされた。ここにきて発覚した『パプリカ』の演目採用の裏には、NHKの粘り強い交渉が垣間見える。

 

 米津は同曲について、オフィシャルにこう語っている。

 

「子どものころを思い返すことがここ最近の音楽活動に於いて、重要なテーマになっていたところに、ダイレクトに子どもへ向けた音楽を作ることになりました。

 

 子どもたちが素直に楽しめるものを作るためには、子どもの目線で生活を省みつつ、まず子どもを舐めないところから始めるべきだと思いました。この曲を聴いた子どもたちが、小さな世界を元気に生きていく為の糧になりますように」

 

 そんな「パプリカ」の歌詞には、こういう一節がある。

 

《夢を描いたなら 心遊ばせあなたに届け》

 

 大晦日の夜、2018年を代表する歌手の米津は、徳島とNHKホールの両方から、空で見守る祖父に夢を届ける。

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cat_oa-flash_issue_6193e8ea5ba9 oa-flash_0_64ba0c137cfc_有田哲平「上田と『週プロ』『ゴング』を交換し合った高校時代」 64ba0c137cfc

有田哲平「上田と『週プロ』『ゴング』を交換し合った高校時代」

2019年11月17日 20:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


 

 芸能界屈指のプロレス通として知られる、くりぃむしちゅー・有田哲平(48)。その有田が、ランダムに渡された1冊の「週刊プロレス」を手にプロレス愛を語りつくすAmazon Prime Videoの配信番組、『有田と週刊プロレスと』(有プロ)が、話題を呼んでいる。

 

 同番組でプロレスにハマり、ゲスト出演を熱望しながらも、スケジュールの都合でかなわなかったというファーストサマーウイカ(29)と、有田の「夢の対談」が、ここに実現した!

 

 

有田(以下、有)「そもそも、有プロはどういうキッカケで観始めてくれたの?」

 

ウイカ(以下、ウ)「正直、最初は『ウォーキング・デッド』を観たくてAmazon Prime Videoに入ったんですよ(笑)。でも、全部を観終わっちゃって、他の作品をいろいろ探してたら、『あ、有田さんの番組あるんだ?』って知って。何気なくシーズン1を観たら、めちゃめちゃ面白くて! 最初の回から、すぐハマりましたよ」 

 

有「嬉しいね~」

 

ウ「シーズン1の内藤哲也選手の回(第11話『内藤哲也の“ロス・インゴ”旋風』)がありましたよね? あれを観て、内藤さんのファンになったんです。まず『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』(内藤選手が率いるユニットの名称)を言えるように練習したんですよ」

 

有「おー。今、めちゃめちゃスムーズに言えてたじゃない(笑)」

 

ウ「それこそ言えるようになるまで、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン……って呪文のように唱えてましたから(笑)。

 

 そんなところから始まって、今年、新日のイッテンヨン(新日本プロレス恒例の毎年1月4日に行われる東京ドーム大会)観戦デビューも果たして、デスマッチも観に行きましたし、こないだのG1クライマックスもみんなでテレビ観戦するまでになったんですよ。ホントにすべて、有プロのおかげです」

 

有「ありがたいね~。でも昔は、今みたいに、会場に女のコのファンなんてほとんどいなかったんだよ。ファンがコアだから、『プロレス知らないくせに来んなよ』っていう排他的な空気もあったし、何よりも女子がハマるレスラーがあまりいなかったのよ!

 

 ホント、マイティ井上さんとか永源遙さんとか、田上明さんとか、そんなね、ヘソのところまでパンツ上げてるような、そんな人にキャー! とはならない。だから、武藤敬司、小橋健太(現・建太)さんあたりがまだアイドルっぽい感じで……」

 

ウ「アハハハハ。武藤さんも、私は今の武藤さんのツルツルのイメージで、有プロですごい人だと知るまではちょっとコメディ寄りの方だと思ってたので」

 

有「そうでしょ? 武藤さん、映画の主役もやってんだから。相米慎二監督の『光る女』って映画に大抜擢されて。プロレスラーが映画で主役を演じたのは、武藤さんが初めてなんじゃないかな」

 

ウ「え、そこの道もつくったんですか!? 棚橋(弘至)さんも、こないだ映画(『パパはわるものチャンピオン』)やられてましたけど」

 

有「棚橋さんは、新日のエースみたいな立場で出たけど、武藤さんが出たときはまだ若手も若手だったからね。武藤さんが自分で言ってたけど、芝居は相当下手(笑)。『見てらんないよね、演技なんてわかんねえもん』って」

 

ウ「アハハハハ(爆笑)。それでも、オファーを受けたのがすごいですよね。『そんなのやらねえよ』って言いそうな感じしますけど。ところで、『週刊プロレス』(週プロ)は、もうずーっと買ってらっしゃるんですか?」

 

有「はい。それこそ週プロが週刊化される前の月刊だった頃から買ってましたし、週刊になってからは、1号から全部買ってます。『週刊ゴング』(※2007年まで存在した、週プロのライバル的存在だった週刊誌)も月刊の頃は買ってましたね。

 

 高校に入って、上田と出会ったとき、あいつは週プロ、ゴング、さらに、『週刊ファイト』(※2006年に休刊したタブロイド判のプロレス専門誌)の3つを買ってたのよ。だけど、俺が週プロを買ってることを知った上田は、『俺はもうゴングに集中する』って言って」

 

ウ「お互い、分担制になったんですね(笑)」

 

有「でも、上田はファイトも買い続けてましたけどね」

 

ウ「思うのは、私みたいに、いくら今プロレスにハマったからといって、過去の週プロを全部読み漁ることは不可能に近いわけじゃないですか。読んだからといって、その現場の熱量が活字だけでは伝わりにくいし、歴史をどこからどこまで遡るんだっていう話にもなる。

 

 だけど、『有プロ』は、いわゆる読み聞かせですよね。寝る前に、お母さんが本を読んでくれたみたいに、有田さんが週プロを読み聞かせてくれるわけですよ。最初は正直、全日本、新日本とかも、よくわからない。

 

 でもそこを、たとえば『長州がこっち行っちゃったんだよ! これはもう吉本の人が松竹行くみたいなもんで、絶対タブー』みたいに、人の言葉で解説してもらうほうが理解できる。有田さんが解説してくださることで、熱量とか重大さがより一層伝わるんですよね」

 

有「よく観てくれてるな(笑)。ウイカちゃんと仕事するのは今日で2回目だけど、初めて会うまで、ウイカちゃんのことちょっと警戒してたのよ。相方の上田の番組や、松本(人志)さんの番組に出てたのは知ってたんだけど、絡んだこともなかったしね。

 

 イメージ的に、『は? なんなんすか?』って高圧的に言ってきそうなコなのかなという印象を持ってて。そしたら、『有プロ観てます! ありがとうございます!』って言うから、めっちゃいいコだなと思って(笑)」

 

ウ「有プロが、ホンットに人生変えてくれたんですよ。あと、有プロの醍醐味のひとつとして、有田さんはプロレスの事件を語るときに、まるでその現場にいたかのように話をされますよね」

 

有「プロレス関連の本を読み漁ってると、何がホントかわからなくなってきて、自分なりの解釈が生まれて、最終的には、自分がそこにいたことになるんだよね(笑)。

 

 たとえば、俺らはライブで、上田と出会ったときのエピソードとか、高校時代のエピソードをよく話すんです。何度もやっていると、ここは少し話を脚色しようとか、この話は飽きたから、ちょっと作っちゃおうか、みたいなことになってくる。

 

 そうすると、実際にはそんなヤツいなかったのに、いるんですよ、頭の中に。で、『リアルはなんだったっけ? あんな顔じゃなかったよね?』『違う、違う、違う。そもそも、そいついなかった』みたいな。けっこう、そういうのが多くなっちゃってて」

 

ウ「アハハハハ(爆笑)」

 

有「ネットには、俺が立教大学をやめるときに『上田がこっそり退学届を出してた』とか書いてあるんですけど、それなんかも本当は全然違うんですよね。

 

 俺は自分で大学をやめてるんですよ。だけど、ネットではそう書かれてる。だから、俺の頭の中には、なぜか上田が退学届を出しにいってる映像とかがあるわけですよ(笑)。プロレスの中にもそんなところがあるというか」

 

ウ「本当のところがよくわからないっていうのがいいですよね。答えがどこにもなくて、見る人によっていろんな意見があって」

 

有「プロレスは勝負論だけじゃないしね。だって、ラグビーで日本がロシアに勝ったら、『日本、強かったな!』で話は終わるでしょ。

 

 でもプロレスの場合は、試合を観たあとにファン同士が居酒屋で『あれ、どう思う? どう解釈した?』みたいな。本来は、どう思うもクソもないじゃんか(笑)」

 

ウ「確かに!(笑)。でも、そういうところも含めてプロレスは楽しいですよね」

 

有「この番組は、ゲストでプロレス関係者とかレスラーは来ないんですよ。つまり、実際に現場を見た方をあえて呼んでいないんです。

 

 当事者の方が来てくれたら、そのときの真相がすべてわかっちゃう。でもあえてそうしないのは、プロレスファンとしてのこの番組の『奥ゆかしさ』と言えるんじゃないでしょうか(笑)」

 

※『有田と週刊プロレスと』はAmazon Prime Videoにて配信中。シーズン1&2は、DVD-BOXが発売中

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cat_oa-flash_issue_6193e8ea5ba9 oa-flash_0_fef57c5b0c03_宮崎学×寺澤有「グリコ・森永事件『キツネ目の男』の正体」 fef57c5b0c03

宮崎学×寺澤有「グリコ・森永事件『キツネ目の男』の正体」

2019年11月17日 20:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

当時の宮崎氏(左)と手配書の「キツネ目の男」

 

 世の中の裏を見続けてきた作家・宮崎学氏とジャーナリスト・寺澤有氏の2人が、自身が関わった事件の真相を、初めて明かす!

 



 

寺澤「宮崎さんが、自伝的ノンフィクション『突破者』を書いて世に出る前、1994年の年末ごろに、東京の全日空ホテルで会ったのが、僕と宮崎さんの最初の出会いでしたね」

 

 

宮崎「寺澤と大谷(昭宏=ジャーナリスト)が話をしているところに、偶然、俺が出くわしたんだったかな」

 

寺澤「少し話をしただけで、すぐに宮崎さんは行ってしまいましたが、『ずいぶん頭がよさそうな人ですね』と、大谷さんに言ったんです。そうしたら、大谷さんから『そうだよ。あいつは、いろいろな “事件” をやってきた男だ』と言われて。 

 

 その2年後、宮崎さんは『突破者』で文壇を席巻したわけですが、僕は『この人は、こんなに表に出てきて大丈夫なのか』と驚きました。その後、大きな事件が起きるたびに、その裏側で動いていた宮崎さんの存在にも気づきました」

 

 自らが関わった日本社会の “裏側” を赤裸々に記し、1996年に15万部のベストセラーとなった『突破者』の出版後、宮崎氏は作家として、マスコミの寵児になった。

 

 あわせて、宮崎氏の代名詞となったのが、「キツネ目の男」というフレーズだ。1984年から1985年にかけて起きた、「グリコ・森永事件」で、犯人グループの一員と断定された、「キツネ目の男」の似顔絵は、当時、街中に貼られていた。

 

 宮崎氏が、“キツネ目の男” と呼ばれた理由は、冒頭の似顔絵と写真の比較画像を見てもらえば、一目瞭然だろう。実際に事件当時、宮崎氏はグリコ・森永事件の容疑者として、警察から事情聴取もされた。

 

寺澤「社会の裏側を見続けてきた宮崎さんに聞きたいんですが、いま、芸能界と反社会的勢力の関係が批判されています。宮崎さんは、どう見ていますか?」

 

宮崎「反社会的勢力から見て、芸能人とつき合うメリットなんてないんです。逆に、芸能人を酒席に呼べば、小遣いをやらなくてはいけないわ、酒代も出さなくてはいけないわ、デメリットのほうが大きい。ただ、いいカッコはできる。それだけの話なんです。 

 

 芸能人とヤクザの関係は、江戸時代から深いものだけれど、これがテレビの時代になって、『コンプライアンス』とか言い始めて、テレビのほうが変わっただけ。裏切ったのは、テレビのほうですよ。

 

 ヤクザと関係がある芸能人自身が、犯罪を犯しているわけではないでしょう。それをここまでヒステリックに叩くのは、異常です。

 

 真面目くさった『僕は道路は右側しか歩きません』なんて芸能人、おもしろくもなんともない。芸能人がちょっと脱線するのをギャーギャー言う、いまの世の中が嫌だね」

 

寺澤「その一方で、僕自身が取材してすべて裏も取りましたが、福島第一原発の事故処理や、沖縄・辺野古の埋め立てなどには、全部、反社会的勢力が入っています。芸能人叩きはもういいから、なぜマスコミはこっちの問題をやらないのかと」

 

宮崎「いまのメディア状況では、反社会的勢力ということなら、絶好の叩く材料になってしまっている。相手に『反社』というレッテルを貼れば、得点を挙げられる世の中なんです」

 

寺澤「ところが、相手が権力となると、メディアは一気に腰が引けます。僕とジャーナリストの山岡俊介さんでずっと取材してきた、『安倍晋三宅放火未遂』という事件があります。取材のなかで、ここでも宮崎さんの名前が出てきて驚いたのですが(笑)」

 

宮崎「あれはね、ちょっと頼まれて動いたんだけど、返事がなかったから、それでやめたんだよね」

 

寺澤「1999年に、小山佐市という男が、安倍晋三宅に火炎瓶を投げて、2003年に捕まったんです。

 

 1999年に下関市長選挙があり、小山は安倍側から頼まれて、当時、安倍さんのライバルだった政治家の中傷ビラを撒いたりして、選挙運動を妨害したのですが、安倍側は約束した見返りを実行しなかった。

 

 怒った小山が、何度も安倍さんの自宅に火炎瓶を投げたのですが、処理に困った安倍さんは、当時、反社会的勢力である小山と1対1で会って話をしたうえで、“公共工事などで便宜をはかる” 旨の念書まで作ったんです」

 

宮崎「そうだな」

 

寺澤「この事件は、共同通信が、当初より取材に動いていました。しかし共同通信は、第1次安倍内閣のときに、安倍首相が反社と交わしたこの書面の1枚を入手して裏取りも終えて、予定稿まで作りましたが、上層部の判断で記事にせず、闇に葬ってしまいました」

 

宮崎「大手メディアの劣化も、ひどいもんだね。我々は、“表現の自由” が妨害されるというのは、そうした権力によって潰されることを想定してきたわけだけれど、いまはさらに世の中の空気で、真綿で首を絞められるように、表現の自由がなくなっている面もある」

 

寺澤「それは本当にひどくて、山口組が3つに分裂しているじゃないですか。そのひとつの組の最高幹部から『本を出したい』という話があったんです。

 

 でも、いまの状況だと、どこの出版社からも出せないんです。現役のヤクザの幹部がいま何を考えているのか、発表できる場がない」

 

宮崎「どんどん来てるよね」

 

寺澤「宮崎さんと私は、1999年に盗聴法案が国会に提出されたとき、『こんなものを通したら、次から次へヤバい法律が通ってしまう』ということで、一緒に反対運動を盛り上げました。

 

 立憲民主党の枝野幸男さんとか辻元清美さん、社民党の福島瑞穂さんとか、みんな本当に頑張っていたんですが、いまは本当にしょぼくれてしまった。なんで、こんなダメになってしまったんでしょうか」

 

宮崎「絶望的な話をしなければいけないんだけど、『この国の国民がバカなんだ』と思います。

 

 その後の共謀罪の創設も同じだけど、本当は自分自身にも降りかかってくる話なのに、『悪いヤツをやっつけるためなら、何をしてもいいんだ』という、単純かつわかりやすいロジックしか考えられない国民になってしまっている。

 

 国民がバカだから、安倍なんかを選んでいる。まあ、こんなこと言っても、載せてもらえないんだろうけどね」

 

寺澤「いや、今回は載りますよ(笑)」

 

宮崎「『警察から盗聴されるヤツなんて、どうせ後ろめたいことやってるんでしょ』なんていう、バカな常識が蔓延している社会だから、権力にとってはやりやすい世の中になっていると思う」

 

寺澤「先に挙げた、安倍さんと反社のつながりとか、僕は去年、記事にして発表しましたが、マスコミは報じない。せっかくSNSでは盛り上がっているのに、知り合いの共同通信の記者たちに『記事にしろ』と言っても、みんなゴニョゴニョ言って、いまだに握りつぶしたままです」

 

対談は宮崎氏(写真右)の自宅にて

 

 対談は佳境に――。宮崎氏と寺澤氏は、ほかにも「武富士事件」などで、時には味方として、時には敵として、絡み合ってきた。現在、宮崎氏は闘病中で体調がすぐれない。この対談も、実現までには3カ月の時間が必要となった。

 

 寺澤氏が、宮崎氏にどうしても聞いておきたかったというのが、グリコ・森永事件と「キツネ目の男」をめぐる疑問だという。

 

寺澤「これまで、この『キツネ目の男』は、犯人グループの一員で実在する人間だとされて、そう報道もされてきました。

 

 犯人を捕まえる最大のチャンスだったとされ、結果的に取り逃がすこととなった、滋賀・大津サービスエリアでの現金受け渡し現場でも、この『キツネ目の男』は当日、何度も目撃されたことになっています。

 

 また、別の現場となった電車の中でも、捜査員を監視する不審な男が確認され、のちに『キツネ目の男』と同一人物だったとされました。そして、この有名な『キツネ目の男』の似顔絵は、捜査員たちが現場で目撃した記憶をもとに作られたことになっています。

 

 でも見れば一目瞭然、宮崎さんにそっくりどころか、そもそもこの宮崎さんの写真をもとにして、似顔絵を警察がでっち上げたんじゃないかと思っているんです」

 

宮崎「まあ、警察がどういういきさつでこういう似顔絵を作ったのか、僕にはわからないよ(笑)」

 

寺澤「宮崎さんの『突破者』を読むと、当時、これが公表されたとき、宮崎さんと一緒にいた女のコが、『テレビにあんたが出てる』と驚いたなんて話も出ています(笑)。

 

 明らかに、宮崎さんの写真をもとに、警察はこの『キツネ目の男』の似顔絵を作っていますよね。警察には、なにかしらの意図があったと思います。『何か心当たりがないか聞きたい』と、長年思っていました」

 

宮崎「事件の舞台になった京都・伏見という場所については、俺は詳しいよ。その土地鑑があることと、当時の警察のブラックリストを掛け合わせて検索したら、(容疑者として)残ったのが俺だったと思う。

 

 そこから逆算して、この似顔絵を作っていった可能性はあるんじゃないかな」

 

寺澤「警察は、『宮崎さんをグリコ・森永事件の容疑者、重要参考人に仕立て上げたかった』ということですか」

 

宮崎「間違いなく、そうだったと思う」

 

寺澤「そうなってくると、そもそも『キツネ目の男』は実在したのかと、私は思っているんです。大津サービスエリアや電車の中で捜査員が目撃したという『キツネ目の男』は、本当にいたのかと」

 

宮崎「電車の中や大津サービスエリアに、不審な動きをする犯人グループらしい人間が、いたことはいたんだと思う。でも、その人間がどこの誰なのか、警察の能力では特定できなかったんだろう」

 

寺澤「『その場になんらかの犯人グループらしい男はいた』と。でも、それは警察が発表した、あの『キツネ目の男』ではなかったんでしょうね」

 

宮崎「たぶん」

 

寺澤「ですよね」

 

宮崎「まして、『現場に俺がいた』なんていう話まであるが、そもそも当時の俺は、警察にマークすらされてなかった。それがある日突然、警察官が自宅に訪ねてきて、『この日どこにいましたか?』なんて聞いてきたんだ。

 

『あ、アリバイ確認されてるのか』とすぐに思ってね。その日、分裂していた武蔵野音楽大学の労働組合が統一するということがあって、俺はそれを応援していたから、現場で挨拶しているわけ。資料にも残っていたから、『ここにいたよ』と見せた瞬間に、警察官はガクッとしてね」

 

寺澤「僕もグリコ・森永事件は、かなり取材をしてきたんですが、僕の中でずっとあった、『あの似顔絵の「キツネ目の男」は、実際には電車にも乗っていなかったし、大津サービスエリアで目撃された男ともまったく違う』という仮説と、宮崎さんも意見は一致します?」

 

宮崎「一致するね」

 

寺澤「ああ、よかった(笑)。このことは絶対に、宮崎さんが生きているうちに確かめたかったんです」

 

宮崎「一連の事件捜査のなかで、警察になんらかの失態があったと思うんですよ。それを覆い隠すために作ったのが、俺。つまり、宮崎学という名前の『キツネ目の男』だった。 

 

 あんな似顔絵が発表されれば、マスコミだって『どこにいるんだ、逮捕しろ!』と言うに決まってるけれど、あくまで “つくりもの” だから、警察は捕まえようがないんだ。実在しないんだからな。そういうみっともない話だと思う」

 

寺澤「3億円事件もずっと取材していますが、過去の未解決事件は必ず、『警察官や元警察官が犯人側に関わっていないと実行できなかった』という話になるんですよね。

 

 グリコ・森永事件も、警察官か元警察官が関与していたのは、ほぼ間違いないと思います」

 

宮崎「グリコ・森永事件の手口を見ると、そう思うよ。そうじゃないと、警察内部の情報を取れなかった。それだけ警察というのは奥行きが深く、悪いんだ」

 

「キツネ目の男」は実在しなかった――。宮崎氏の体調が悪いなか、対談は2時間近くに及んだ。なお、この対談は、宮崎氏の自宅でおこなわれた。宮崎氏は、「この家も“キツネ目の男”のおかげで建ったようなもの」と笑った。

 

寺澤「いまの日本社会に、もし転機があるとすれば、宮崎さんはどのようなものと考えていますか?」

 

宮崎「これから先、いいことはひとつもないと思う。『お上がすべて解決してくれるんだ』という、“国民が何も判断しない社会”、そういうものが生まれてくる。

 

 本来、国政選挙の投票率が50%を切るなんて、異常だよ。『誰かがなんとかしてくれる』と他人まかせなんだ。だから、この国を支配している官僚たちにとって素晴らしい国ができると思う。

 

 そして、官僚にとっていちばん嫌な存在は、俺とか寺澤みたいな “逆らう人” だから、こういう人間は、ひとかたまりにして抹殺していく。

 

 ただ、俺は73歳だから、あと何年生きられるか。問題は、お前たちだよ(笑)。世の中のために働いてくれ。俺は先に行っている。地獄から、『寺澤、こっちに来いよ』って」

 

寺澤「地獄からですか(笑)」

 

宮崎「天国に行くことはないだろうよ」

みやざきまなぶ
1945年10月25日生まれ 京都府出身 学生運動に明け暮れて早稲田大学を中退。週刊誌記者を経て、家業の解体業を継いだが、ゼネコンへの恐喝容疑で逮捕。1996年に出した『突破者』が15万部突破のベストセラーになり作家に

 

てらさわゆう
1967年2月9日生まれ 東京都出身 大学在学中の1989年から、ジャーナリストとして警察や検察、裁判所など、聖域となりがちな組織の腐敗を追及している。2014年に「国境なき記者団」が選ぶ世界「100人の報道のヒーロー」に選ばれた

 

(増刊FLASH DIAMOND 2019年11月15日増刊号)

 

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cat_oa-flash_issue_6193e8ea5ba9 oa-flash_0_77a6aa230310_春名風花、5歳で月収100万円「5万円の服を自腹で購入」 77a6aa230310

春名風花、5歳で月収100万円「5万円の服を自腹で購入」

2019年11月17日 20:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


 

 春名風花が、11月14日放送の『じっくり聞いタロウ ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)で殺害予告について語った。

 

 幼少期から子役として活躍し、早泣きでブレイクした春名。「6秒で泣く」などの妙技で話題をさらった。

 

 

 当時のギャラに関して「給与明細は一応見せてもらってて。100万円の給与明細をもらったことがあります。幼稚園のとき。それでピアノを買ったりしていました」とコメント。5万円の服を「自分のギャラで買いました」と話す幼い頃の映像も紹介された。

 

 だが、その後、Twitterを始めると大炎上。11歳のときに青少年健全育成条例に対して、「きれいなものや笑えるものだけみせて育てた子供が人にやさしい大人になるとは、ぼくは思いません」と書くと賛否両論が巻き起こった。

 

 そこからTwitterに殺害予告が来るようになり、「一番炎上していた時期は『殺す殺す殺す殺す殺す殺す』みたいなものとか、『ナイフで滅多刺しにしてドラム缶にセメント詰めて殺したい』みたいな」と悪質な殺害予告が来ていたという。

 

 投稿相手の素性を暴こうとしたが、春名は「ツイッターに投稿する前に別の国を経由して投稿している」と、巧妙な手口が使われていたことを明かした。

 

 春名は5月27日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)では、自身の幼少期について「3歳のときの一番好きな言葉が現金だったんです」とコメント。弟とおもちゃの取り合いで喧嘩になった際は、決まって「ふうちゃんお金稼いでるからね!」と言っていたという。

 

 ツイッターの発言から血染めの手紙やダンボールいっぱいの使用済みの下着が届くようになり、「お金とSNSを手にしたことで人をまったく信用しない子供になってしまいました」と告白。「自分自身のコンプレックスのせいもあって、現実世界の人間関係を大事にしてなかったんですね」と語っていた。

 

 まだ18歳。現在は12月13日から行われる『月刊 根本宗子 第17号「今、出来る、精一杯。」』など舞台を中心に活躍している。

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サンド富澤、子供がマネして家庭教師にお尻を見せる

2019年11月17日 16:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


 

 サンドウィッチマンの富澤たけしが、2019年11月14日放送の『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で「痔」について語った。

 

 後輩芸人のティモンディの前田裕太が富澤の長男の家庭教師をしているが、あるとき、次男がパンツを脱いで、 前田の顔にお尻を見せてきたという。前田は「この行為は小さい子が考えつくことじゃない。富澤さんがやっていると思う」とコメント。

 

 

 その話に富澤は「痔かと思い、妻に肛門を見せたら、子供がそれをマネした」と釈明していた。

 

 ほかにも芸人たちが富澤の素顔を告白。富澤は声が小さすぎて何を言ってるかわからず「うわぁ、うわぁ」と言っているように聞こえるという。ナイツの塙宣之も「新幹線で隣だったとき、2時間半ずっと何を言っているかわからなかった」と笑っていた。

 

 富澤は痔について、2009年6月8日に入籍を発表した際、相方の伊達みきおから「お互い結婚とは、3年前までは考えられなかったな。『痔』お大事に」と痔のケアを求められた。

 

 その翌日のライブイベントでは、富澤は伊達のコメントを見た妻から「『肛門を見せろ!』って言われて見せたら毛だけだった」とボヤいて笑いを誘っていた。

 

 富澤は2008年1月15日のブログでは「足は臭いし虫歯だらけだし寝起きは悪いし整理整頓もできないし痔です」と告白。さらに「ヘルニア持ちだし魚貝は食えないし酒も弱いし汗っかきだし変態です。中耳炎だし目もぶっ壊れてるし喉も弱いし肌も弱いです」とつづっていた。

 

 満身創痍で芸人をしている富澤。体調に留意して頑張ってもらいたい。

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ハイヒール・モモコの「バイキング必勝法」寿司はシャリコマで

2019年11月17日 16:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


 

 11月14日放送の『秘密のケンミンSHOW』(日本テレビ系)」で、ハイヒール・モモコがバイキング必勝法を語った。

 

「絶対に元取るっていうのが当たり前やから、まずコスパが高いもん。肉・松茸・アワビを取り、寿司はシャリコマ(ごはん少なめ)で握ってもらうよう頼む」

 

 

 次に、「4人くらいで行くのが一番いい。アワビ担当・肉担当・寿司担当などで分けて、高いもんに一斉に行ける」という。

 

 さらに、「サラダはまたいつでも食べられる(から食べない)」と、バイキングで得する3カ条を明かしていた。

 

 番組で北海道産のイクラが紹介されると、「イクラは高級やから、知り合った社長に北海道から送ってもらう」と話す。

 

 イクラを試食後、「美味しいからジップロックに入れて持って帰ろうと思う」とコメントすると、司会の久本雅美から「保冷剤入れな、持ってったらあかん」との突っ込みが。そこで「保冷剤持ってきた」とみごとに返し、スタジオから「さすが!」と笑いを取っていた。

 

 ハイヒール・モモコといえば、買い物で徹底的にケチることで有名だ。「おいしいかどうかわからん」「腐りかけでもいいから」「万引されたと思えば」など、数々の言葉を駆使して徹底的に値引きさせることで知られる。

 

 2014年3月31日放送の『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)では、大阪のあべのハルカスが紹介された際、「展望台は1500円やんか、でも16Fまではタダやから。全然景色ええから(そこでいい)」とも語っていた。

 

 実は、ハイヒール・モモコは、長女に「シャネルと名付けたい」と語ったほどのシャネル好き。20代からひたすら買い集め、自宅に専用の保存部屋もあるという。シャネルのために、それ以外は徹底的にケチる姿は、見ていていっそ清々しい。

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女子アナ花崎阿弓の婚活日記/3つ下のイケメン役者

2019年11月17日 16:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


 

 元秋田放送出身で「news every.」のキャスターだった女子アナが嵐の二宮和也さんと結婚されました。地方局を退社後、多くの番組で活躍を続けたにもかかわらず、現在は事務所を退社したそうです。女性として私もその気持ちがとてもよくわかります。

 

 仕事が充実していて、恋人もいたかもしれませんが、年齢を重ねるごとに「結婚しなくていいのだろうか?」と思うのが、昭和生まれの女性だと思います。

 

 

 周りのアナウンサーはどんどん結婚していきます。もちろん大学時代や高校時代の友人からも結婚や出産の連絡が届きます。いくら仕事が充実していても、「結婚したい!」と思える人が現れたら、やはりどうにかして幸せをつかみ取りたいものです。

 

 私は中学時代、女優を目指して役者の養成学校に通っていました。吹石一恵なども所属していた、関西では名門の養成所です。その養成所でひときわ輝くイケメンの男の子がいました。名前を「一希」といいます。

 

 京都出身の、それはそれは美しい顔をした美男子で、性格もよく演技が上手で、ドラマやCMなども決まっていました。

 

 私は、中学から養成所に行きましたが、毎年びりクラスで、「一希」と同じクラスになることはありませんでした。でも、高校3年生になって大人のクラスに混ざるようになると、飛び飛び級をしてきた「一希」と同じクラスになりました。

 

 噂には聞いていましたが、なんて美しい顔だと見とれてしまいました。その養成所で一番売れている女の子が声をかけていきます。

 

「一希、おはよ~! このあいだの撮影お疲れ様~」

 

 びりクラスでテレビにも出たことがなかった私は、その2人の光景がまぶしくて、もっと頑張らなくてはと思ったものです。

 

 実は、同じクラスになった一希とはよく恋人の演技をすることがありました。大人クラスは年齢が高い人が多いので、3歳差だと恋人としてちょうどよかったからです。

 

 同じ時間に演技をするので、養成所の実習前に揃って練習したり、終わってからご飯に行くようになり、自然と仲よくなりました。

 

 私は、相手は3つも下だから、私みたいな女性には目もくれないのかと思っていました。でも……。

 

 あるクリスマス、私の家の最寄り駅で演技の練習をしようという話になりました。本屋さんで演技の本を買って、2人で公園に向かっているとき、「あゆみちゃん大好き!」と、お菓子がたくさん入ったサンタの靴下をくれました。

 

 うれしくて涙が出たのを覚えています。練習を終え、家で親に喜びを伝えながらサンタの靴下を開けました。

 

 なかにはティファニーのネックレスと手紙が入っていて、私のいいところが100個くらい書かれていました。自分に自信がなかった私は、こんなに大好きで格好よくて素敵な人に好きになってもらえるなんて、幸せすぎる人生だと思いました。

 

 しかし、雲行きがあやしくなってきました。

 

 友達のようなデートを続けて、もうすぐ冬を迎えようというときです。私は大学進学が控えていました。一希は最上級のクラスに行き、私は役者クラスとともにリポータークラスも掛けもちして、アナウンサーを目指し始めていました。

 

 あるとき、ラーメンを一緒に食べていたら、彼が言いました。

 

「あゆみちゃんも、大学生になって心機一転、新しい人生を頑張ってね」

 

 意味がわからぬまま、電車のホームまで送られて、電車に乗ったときに気づきました。これは別れを告げられたのだと。その後、連絡もとれなくなりました。わざわざ会いに行くのもストーカーと思われそうで、あきらめました。

 

 お互い、別の道を行く運命だと理解しましたが、2年くらい泣きました。

 私の王子様探しは、10代から始まっていたのでした。

 

●花崎阿弓(はなさきあゆみ)

 1988年生まれ。武庫川女子大学卒業後、ケーブルネット鈴鹿、静岡エフエム放送で女子アナに。現在はフリーアナウンサーとして活躍中。夢は『news zero』で原稿を読むこと。通称「ケーブルテレビ界の水卜ちゃん」

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巨人育成2位・加藤壮太「ヘビロテ野菜はカット野菜」

2019年11月17日 11:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


 

 11月16日、読売ジャイアンツから育成2位の指名を受けた加藤壮太外野手(埼玉武蔵ヒートベアーズ)の、仮契約会見が行われた。

 

 背番号は「006」。「あまり意識せず(頑張りたい)」とコメント。中京高校卒業後、大学に進学せず、独立リーグの道を選んだ。

 

 

「プロ野球選手になりたいという気持ちが強かったので、1年1年勝負ができる独立リーグに来て自分もやろう(勝負をしよう)と。移動・食事面で大変なこともありましたが、ハングリー精神は誰よりも強いと思うので、自負してやっていきたい」

 

 育成や独立出身で、NPBで活躍している選手は千賀滉大投手(福岡ソフトバンクホークス)などがいる。だが、同じ境遇出身で目標とする選手は考えず、自分が先導したいと意欲を燃やす。

 

「目標とするよりは、僕自身が頑張り、育成・独立出身で目標とされる選手になりたい」

 

 食事面では、自炊をして栄養を意識してきたというが……。

 

「(埼玉武蔵に加入後)1~2年目は試行錯誤しながらやったけど、今年に入ってプロに行きたいという気持ちで臨んでいたので、食事面でもバランスを意識していました。肉を買って焼いて、もやしと炒めてご飯と食べるとか。シーズン中、痩せてしまうことが多いので量は食べてました。よくヘビロテしていた野菜はカット野菜ですけど(笑)」

 

かとうそうた
1998年4月15日生まれ 愛知県出身 188センチ、91キロ 50メートル走:5.8秒 右投げ左打ち  ポジション:外野手

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福山雅治が石田ゆり子の6年後を予想「パリに住みながら女優」

2019年11月17日 11:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


 

 福山雅治が、11月14日放送の『ZIP!』(日本テレビ系)で、石田ゆり子の6年後を予想した。

 

 2人が共演した映画『マチネの終わりに』では、6年間に及ぶ愛とすれ違いを描いている。そこから福山は石田の6年後について、「1年の半分くらいはパリに住みながら、センスのいい生活用品を取り扱うセレクトショップを経営している」とコメント。

 

 

 さらに「ペットにまつわる世界的な保護活動を展開しながら、毎年秋には甲府でぶどう狩りをして、女優活動をやられている」と予想した。

 

 11月13日に行われた同作の記念舞台挨拶では、福山が劇中で弾くクラシックギターの魅力に石田もハマり、「本当に好き。1日中クラシックギターのCDを聞いているんです」と明かした。

 

 さらに「この際、言っていいのかな? 実は私もギターを買いました」と発言して、福山を驚かせた。

 

 初耳だった福山は「なんで一言、言ってくれなかったんですか? 値引きとか協力できたかもしれないのに」とボヤいたが、石田は「恥ずかしくて言えませんでした」と釈明。

 

 石田は「ちょっと上手になったら、一緒にやってみたいですね」とセッションを希望。福山が「やっぱり大胆ですね」と感嘆すると、石田は「まだ何もやっていない。買っただけ。3日後ぐらいからレッスンが始まるんです」と打ち明けて笑わせた。

 

 11月1日放送の『タビフクヤマ』(フジテレビ系)などでも共演し、名コンビぶりを見せた福山と石田。クラシックギターでのコラボレーションにも期待したい。

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椎名林檎、宇多田ヒカルは「勝ち負けの世界に現れたオアシス」

2019年11月17日 11:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


 

 椎名林檎が、11月14日放送の『ZIP!』(日本テレビ系)で、宇多田ヒカルについて語った。

 

 椎名と宇多田はかつて同じレーベルでデビューした同期。椎名は「周りの人も焚きつけるし、『ライバルですよ』みたいな。勝ち負けに挑まなきゃいけない世界に入ったんだな、という自覚があったところへ現れたオアシス」と、宇多田に救われてきたという。

 

 

 続けて、「人生、歌一本みたいな感じとかがないんですよ。ポジティブで、本当に頼りになる、すごく成熟した方ですよね。お姉ちゃんみたい」と笑っていた。

 

 これまでも何度かコラボレーションや互いの曲をカバーしてきた椎名と宇多田。2人は1999年10月に行われた新人発表イベントで一夜限定ユニット『東芝EMIガールズ』を組んで飛び入りし、カーペンターズの名曲『I Won’t Last a day without You』などを披露。

 

 宇多田の2016年9月発売の6thアルバム『Fantome』では、『二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎』をデュエットした。

 

 発売されたばかりの椎名のアルバム『ニュートンの林檎~初めてのベスト盤~』では1曲めに2人が歌う『浪漫と算盤 LDN ver.』が収録されている。

 

 また、2014年12月発売の宇多田のトリビュート・アルバム『宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-』では椎名が宇多田の『Letters』をカバー。

 

 2018年5月発売の椎名のトリビュート・アルバム『アダムとイヴの林檎』では宇多田と小袋成彬が椎名の『丸ノ内サディスティック』をカバーした。

 

 宇多田は、2010年11月25日、ツイッターで「宇多田ヒカルにギンナンの美味しさを教えたのは椎名林檎であった これってトリビアになりますか?」とつぶやいていた。

 

 シビアに売上枚数やチャート順位が出るアーティストの世界。それだけに、2人は同期の盟友としてかけがえない存在となっているのだ。

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