cat_oa-flash_issue_4cf3bccf6484 oa-flash_0_4cf3bccf6484_開発費4100万円「コロナ接触アプリ」は国民の6割に普及するか 4cf3bccf6484 4cf3bccf6484 開発費4100万円「コロナ接触アプリ」は国民の6割に普及するか oa-flash

開発費4100万円「コロナ接触アプリ」は国民の6割に普及するか

2020年6月19日 22:03 Smart FLASH[光文社週刊誌]

 6月19日、新型コロナウイルスに感染した人と一定時間近くにいた場合、通知を受けられる接触確認アプリ「COCOA」がリリースされた。感染拡大を防止する手立てとして、政府は国民の6割以上の普及を目指している。

 アプリでは、各スマホについている「Bluetooth」機能を使う。利用者たちが、1メートル以内に15分以上いることを「接触」とみなし、記録を残す。アプリ利用者で陽性者が出た場合、過去14日間以内に接触した人のもとに通知がいく仕組みだ。

 アプリの開発は、厚労省がパーソルプロセス&テクノロジー社に発注したことが明らかになっている。厚労省の担当者によると、受注価格は4104万円だという。パーソナルプロセス&テクノロジー社の広報担当者は、「個別の案件については回答を差し控える」としている。

 ITジャーナリストの三上洋氏は、この開発費について「アプリの性能・役割を考えると、安くもない値段ですが、高すぎもしない。適正価格といえるでしょう」と語る。

「まず、今回のアプリには、AppleとGoogleが共同開発した、スマホの機種を選ばず接触確認できる仕組みが使用されています。日本だけで開発するとなれば、手間もかかるし、難しかったでしょう。機種を選ばず、スマホさえ持っていれば誰でも利用できるのは大きなポイントです。

 アプリ自体のデザインは非常にシンプルで、操作もわかりやすい。できるだけ簡単に利用できるようにという意図が感じられるし、よくできているといえます」

 プライバシーの秘匿も徹底されている。名前や電話番号、メールアドレスも必要ないし、位置情報も取られない。

「驚きなのは、国側も一切のデータを取らない点です。結果的に、国は誰と誰が接触したかわからないようになっています。

 ただし、プライバシーを守ることに重点を置いたからこそ、クラスターの追跡は不可能になりました。中国や韓国では、プライバシー保護が問題視されながらも、アプリで追跡が可能でした。日本のアプリでは、あくまで確認しかできません」(三上氏)

 15時過ぎにアプリがリリースされると、ツイッターでは「COCOA」がトレンド入り。「インストールできた!」という報告も相次いでいるが、実際に「国民の6割」がダウンロードするという目標は達成できるのか。

「そもそも、スマートフォンのユーザー自体、国の調査で65%程度です。単純計算で、スマホの全ユーザーがアプリを入れないといけないわけです。この条件を満たすのは、日本ではラインだけ。ラインと同じレベルを目指すことは、実際問題、不可能です。

 ただ、今回のアプリは『本アプリを広めましょう』という、自分の周囲の人たちにSNSやメールを通じ、URLを送る機能があります。家族や友人、職場の人たちのような、濃厚接触する人たち全員が入れば、少なくとも自分と周囲の人たちは守られる。『国民6割』は厳しくても、国民1人1人の『身の回り100%』が達成できれば、十分に価値があると思います」(三上氏)

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cat_oa-flash_issue_4cf3bccf6484 oa-flash_0_50f6a608570f_津田寛治「若手時代にチャンスをくれた恩人・大杉漣さん」とのエピソード 50f6a608570f 50f6a608570f 津田寛治「若手時代にチャンスをくれた恩人・大杉漣さん」とのエピソード oa-flash

津田寛治「若手時代にチャンスをくれた恩人・大杉漣さん」とのエピソード

「うーん、美味しい! あのころを思い出しますよね。ビールを一口飲んだときのあの旨さ。そのために今日一日、頑張ったみたいなね(笑)」

 やきとんをかじりながら懐かしそうに話すのは津田寛治。東京・麻布十番の商店街にある「あべちゃん」は、煮込みとやきとんが名物の人気店だ。

 30年ほど前、津田はこの店の近くにあるアオイスタジオの喫茶店でアルバイトをしていた。

 そこで北野武に直接プロフィルを渡したのが映画『ソナチネ』に出演するきっかけになったという話は、今では津田の伝説のようなものだ。

「あのころ、録音部の技師さんたちとよく来ました。北野組の話や街中へいろいろな音を録音しに行くという話を聞いたりしてね。

 役者が平気な顔して演じていても、緊張してると声でわかるらしくて、芝居をいちばんわかっているのは録音さんなんですよね。

 だから僕の場合、録音部は特別。ここで酒を飲みながらいろいろ教わりました」

 今日もビールを……とすすめると、酒をやめてから3年ほどになるという。理由を聞くと、笑いながらこう続けた。

「社長に『いろいろ被害届が出てるよ』って言われて(笑)。飲むと余計なことを言うみたいで、やめないとまずいなって思ってたときに大杉漣さんが亡くなったんですよね。

 そのとき撮影で京都にいたんですが、訃報を聞いたその日から酒をやめました。

 2021年の『バイプレイヤーズ』(テレビ東京系)は僕も参加させていただいたんですが、大杉さんに呼んでもらったのかなっていうぐらい、温かい現場でしたね」

■親以上の世話をしてくれた大杉漣さん

 大杉さんとの出会いは『ソナチネ』の撮影現場。集合場所で大杉さんと一緒になった。

「転形劇場の大杉漣さんといえば有名でしたし、舞台も観に行ってたので、あの大杉さんが目の前にいるんだなと。

 舞台でよく見た寡黙な役の姿とは全然違って、すごく明るい方でね。僕の拙い映画の話をよく聞いてくれて。

『無能の人』(竹中直人監督・主演の映画)がいかに素晴らしかったかという話をしたら、『今度、竹中さんに会わせてあげるよ』って言ってくださって。

 それだけでも嬉しかったんですが、そういうのってよくある話じゃないですか。

 ところがある日、大杉さんから電話がかかってきて『津田くん明日空いてる? 竹中さんに会いに行くから一緒においでよ』って誘ってくださったんです。

 スタジオに向かうバスの中で『僕は津田くんの親代わりじゃないから、自分で売り込むんだよ』というお言葉をいただきました」

 休憩中だった竹中と昼食をともにすることになり、津田は『無能の人』がどれだけ好きかということを語り尽くした。

「それも大杉さんが、僕が話しやすいような空気にしてくれたんですよね。

 竹中さんは『君はよく観てくれているね』と言ってくださって、ご自身が原稿用紙に書かれた詩を読んでみてと。

 それで僕が読むと『いいね。でもそこは内に入りすぎてるかな』なんていう会話をしているうちに昼休みも終わりましたが、竹中さんは休憩のたびに戻ってきて、僕の話を延々と聞いてくださった。

 実際に会わせていただけて、本当に嬉しかったですね」

 これには後日談がある。津田がアルバイトから帰ると自宅の留守電に竹中からのメッセージが残っていた。

「ピーと再生させると『もしもし竹中です』と。四畳半一間の汚ない部屋にあの声が響いて、びっくりですよ(笑)。

 僕に、ある役をやってもらいたいんだけどどうかなという内容で。これは大杉さんのおかげだと思って、すぐにご自宅にお電話しました」

 あいにく大杉さんは留守だったが、夫人に電話した理由を話すと思いもかけない答えが返ってきた。

「じつはスタジオに行った日は、大杉さんはお子さんを幼稚園に迎えに行く約束だったと。

 急に行けなくなったと電話が来たので理由を聞くと『今、若い俳優が仕事を取れるかの瀬戸際で、俺が帰ったら話が終わるから帰れないんだよ』と。

 大杉さんは後があるのに、僕のためにあの場にいてくれたんです。あれだけ『親代わりじゃないから』と言っていたのに、親以上のことをしてくださったんですよね。

 その後もSABU監督や黒沢清監督を紹介していただき、そのおかげでSABU監督の作品にも出ることができました」

 大杉さんが亡くなったあと、彼にお世話になったという俳優によく会うという。

「ご本人が食えるようになるまで苦労されたから、とにかく若手を食えるようにしてやりたいと。

 若手に活躍してもらって日本映画界を盛り上げていきたいという思いがすごく強い方だったんだと思います。大杉さんは本当に日本映画の父ですよね。

 俳優はこうあるべきとか一度も言われたことはないですが、背中からたくさんのことを教わりました。

 よく『現場がすべてなんだよ。現場が楽しければ作品がまずくてもそれはべつにいいんだ』っておっしゃっていたんですが、今になるとその言葉の意味がすごくわかります」

「役そのものではなく、きたものをどう料理するかが大事」

■50歳を迎えて訪れた考え方の変化

『FLASH』(2017年10月10日号)のインタビューでは、今後演じたい役を聞かれ「犯罪者のような突き詰めた役」と津田は話していた。

「今は変わりましたね。僕の中でも目に見えない転機がすごくあって、芝居がガッと突然変わる瞬間がありました。

 そんななか、あるとき気がついたんです。いちばん最初のころ、いい芝居をしてたなと。

 僕は高校を中退して福井から役者を目指して東京に出てきて、初めて入ったのが劇団東俳なんです。

 そこにすっごく怖い先生がいて、自分もボロクソ言われるだろうと思ったら『こいつ、すごくいいぞ』って褒められて(笑)。それが今でも忘れられないぐらい嬉しい思い出なんです。

 でも今は“こなす”っていうのか、あのころとかけ離れた芝居をやってるなと感じたことがあった。50歳になってからかな。

 自分の中で考えが変わって、もう一度あそこに戻らなきゃいけないと思いました。どういう役をやるかじゃなくて、きたものをどう料理するかがすごく大事なことなんだなと。

 この役はほかの俳優がやったらそうなるかもしれないけど、俺がやったらこうなるよっていうね。その気持ちさえあれば役を選ぶ必要はないんだと思うようになりました」

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』で、水戸藩の武田耕雲斎を演じている津田の表現が楽しみだ。

つだかんじ 
1965年8月27日生まれ 福井県出身 1993年、『ソナチネ』で映画デビュー。『HANA-BI』『模倣犯』『シン・ゴジラ』など出演映画多数。主演ドラマ『ラーメン刑事』が映画・チャンネルNECOにて2月27日、3月6日に放送。NHK大河ドラマ『青天を衝け』に出演

【あべちゃん】 
・住所/東京都港区麻布十番2-1-1(都営地下鉄大江戸線・東京メトロ南北線「麻布十番駅」より徒歩2分)
・営業時間/【月~金】14:45~22:30(L.O.22:00)、【土・祝日】14:45~21:00(L.O.20:30)
・休み/日曜日
※緊急事態宣言下のため要確認

写真・野澤亘伸
ヘアメイク・黒木翔

(週刊FLASH 2021年2月23日号)

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小池栄子、男子校の文化祭に「あさりに行っていた」中学時代

 小池栄子が、2月27日放送の『サワコの朝』(TBS系)で、女子中学校時代の恋愛話を語った。

 小池は中学時代に好きだったMr.Children『CROSS ROAD』の話から、その時期について、「男子校の文化祭に行くのが流行っていて。(男)あさりに行っていた、みたいな雰囲気になっちゃいますけど」と苦笑。

 当時は、事前にスケジュールを組んで友人たちと文化祭をはしご。

「女子校は自分から動かないと。私は積極的だったので、(男性を)『わ、好き』って思ったら、(友人に)『ごめん、私、あそこの学校キャンセルね』って言って、最後の日までその学校に通い詰めて。何回も行って顔を覚えてもらって『会いに来ました』(と伝えていた)」と振り返った。

 しかし、「一番最初に好きになった人にはフラれました。傷つきました」と失恋も経験。

 だが、意中の男性の友人が気になるようになり、「その子とのちのち初めてお付き合いすることになる」と語っていた。

 小池の恋愛話に、SNSでは絶賛の声が寄せられた。

《なかなか積極的ねー。》

《わかる〜 CROSS ROADの衝撃たるや》

《サワコの朝 ミスチルのCross Road ええで小池栄子!》

「小池さんは夫で元プロレスラー坂田亘さんとの恋愛も、自らアプローチしたことを語っています。

 2018年6月24日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ系)で、「後楽園ホールで見た瞬間『あ、好き』って。楽屋の前で人を介して待ってて『好きです』みたいな」と即告白。

 しかし坂田さんからは『なんて軽い女なんだ』と思われ、『デートまではちょっと時間かかった』と振り返っていました」(芸能ライター)

 小池は学生時代から恋に積極的だったのだ。

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cat_oa-flash_issue_4cf3bccf6484 oa-flash_0_3adba1fd32b1_ROLAND、名言の原点は高校時代…居眠りを注意されて「まぶたの裏を見てた」 3adba1fd32b1 3adba1fd32b1 ROLAND、名言の原点は高校時代…居眠りを注意されて「まぶたの裏を見てた」 oa-flash

ROLAND、名言の原点は高校時代…居眠りを注意されて「まぶたの裏を見てた」

 ROLANDが、2月27日放送の『人生最高レストラン』(TBS系)で、名言の原点を語った。

 ROLANDの帝京高校時代のサッカー部のチームメートが、「ROLANDは授業中に起きているフリをしながら寝るのがうまかった」と明かす。居眠りが1度もバレなかったという。

 だが本人は「1回だけバレたことがあった」とし、「そのとき、とっさに『すみません。ちょっと、まぶたの裏、見てただけです』みたいなことを言った」と回想。

 この話に加藤浩次は「ROLANDの始まりだよ、それ!」と指摘。ROLANDは「国語の先生だったので、言葉遊びが好きだった。『面白いな、お前』と許された」と振り返っていた。

 名言の原点を語ったROLANDにSNSでは大きな反響が寄せられた。

《あっという間に時間が経ってしまった。もっと見たいわ。 接客業のスゴイ人って、やっぱり話も上手いし面白いね》

《ROLANDさん最高です!これからも活躍して欲しいです》

《ローランドさんの話はずっと聞いていたくなる》

「最近もROLANDさんは名言を連発しています。2020年10月28日のインスタグラムでは『手をあげる男はダメだ。男があげていいのは天ぷらと売り上げとそして前髪だけ』と髪をあき上げた写真を投稿。

 また、2月23日のツイッターでは『残業してるうちは2流。俺クラスになると自分の輝きの残像に残業させちゃう』と仕事のスタンスを表明してます」(芸能ライター)

 ROLANDは、あといくつの “語録” を残すのだろうか。

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cat_oa-flash_issue_4cf3bccf6484 oa-flash_0_8ed923fd150b_【ナンバーズ4】出萌クンの萌え予想(3月2日〜3月8日) 8ed923fd150b 8ed923fd150b 【ナンバーズ4】出萌クンの萌え予想(3月2日〜3月8日) oa-flash

【ナンバーズ4】出萌クンの萌え予想(3月2日〜3月8日)

「近ごろ、苦労が多いですね」と、達人の遠藤秀さん。何事かと思えば、「いや、『9』と『6』の組み合わせが、最近やたらと出るんですよ」と。

 確かに、2月15日から26日までの抽せん10回で、なんと6回も。何かと気苦労の多い昨今ですが、数字選びくらいは楽しくやりましょう!

 さて今週の予想。まずは、名人の出萌クンから。ひな祭りウイーク、出萌姫に期待です。

「千の位には『1』と『8』を固定。ゾロ目が増えてきそうな流れなので、『11』『88』も。ラッキーナンバーは『9』。ダークホースは『4』です」

 続いて、達人。

「このところ『44』『99』と、ゾロ目の “出戻り出現” が多くなっています。ならば、2月19日に出た『8』トリプルの出戻り狙いで、ゾロ目『88』が本命。バラナンバーは『0』『2』『3』『5』『7』の組み合わせで勝負します」

“逆襲の出萌”、どうなる!?

【直近7回の当せん数字】
2月18日 第5632回 9635←遠藤達人「3569」でボックス的中、2万5100円!
2月19日 第5633回 8886
2月22日 第5634回 4246
2月23日 第5635回 1968
2月24日 第5636回 9491
2月25日 第5637回 9613
2月26日 第5638回 9691

【3月2日〜3月8日】
●出萌クンの萌え予想
1493 8239
1294 8492
1932 8342
1149 8489
1931 8892

●遠藤さんの達人予想
0188 0235
0588 0237
3188 0257
3588 0357
0058 2357

※データなどはすべて2月26日現

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cat_oa-flash_issue_4cf3bccf6484 oa-flash_0_91b263869c22_小泉純一郎の言葉はなぜ国民を熱狂させたのか…山崎拓、武部勤がいまこそ証言 91b263869c22 91b263869c22 小泉純一郎の言葉はなぜ国民を熱狂させたのか…山崎拓、武部勤がいまこそ証言 oa-flash

小泉純一郎の言葉はなぜ国民を熱狂させたのか…山崎拓、武部勤がいまこそ証言

 令和の元号を発表した現在の菅総理の言葉が「感情がない」「響かない」と、批判を浴びている。

「小泉旋風」「小泉劇場」など国民を巻き込むことに長けた総理は、いかにして、どんな言葉で、国民を熱狂させたのかーー。

「自民党をぶっ壊す!」

 2001年4月15日、渋谷駅前では自民党総裁選に立候補して絶叫する小泉純一郎氏と田中眞紀子氏が乗る選挙カーを、数千人の聴衆が取り囲んだ。

「駅構内、井の頭線への連絡通路、道玄坂、あらゆる場所に人があふれていました。スクランブル交差点は交通がマヒ。不測の事態を危惧した警察が演説をやめるように説得したほどです」と当時を取材した社会部記者。

 森喜朗総理が失言などによる支持率急落の責任を取り退陣を表明。後継総裁選の本選に小泉純一郎氏、橋本龍太郎氏、麻生太郎氏が出馬した。

「事前予想は橋本氏有利でした。が、小泉氏の小気味よくわかりやすい言葉と、人気絶大だった田中眞紀子衆院議員が『変人の生みの親として責任を取ります』と応援団になったことから小泉旋風が起きました」(全国紙政治部記者)

 小泉氏の逆転圧勝。そこに小泉氏の「言葉の力」があったことは間違いない。小泉氏の言葉の何がすごいのか。

 ベストスピーカー教育研究所のスピーチトレーナー・高津和彦氏は「自分の言葉を端的に話しているから」と言う。

「あらかじめ話す内容を原稿に書いておくと、どうしても長文になってしまいます。

 それを読んでスピーチをするから聴衆は『何が言いたいのだろう』と要領が得られず、結果的に言葉が心に残りません。

 一方、原稿に頼らず自分の言葉で話すと、一文自体が短文になり意味もわかりやすく聴衆は言葉に対する印象を強く受け取ります。

 小泉氏はそこがとても優れていて、次第に熱も入ってきますから、身振り手振りが大きくなりアピール力が増すのです。絶叫調も『私は正しい』というイメージが伝わります」(高津氏)

■「YKKの一角」山崎拓氏の証言

 象徴的なフレーズである「自民党をぶっ壊す」。この言葉はどのように生まれたのか。

 背景を盟友の山崎拓氏に聞くと「『自民党』の部分はアドリブでしょう」と苦笑する。意外な答えである。

「もともとは田中角栄さんが繰り広げた金権政治を“ぶっ壊す”と言っていたんです。1972年に田中角栄さんと福田赳夫さんが総裁選で戦った『角福戦争』が起きました。

 有利とみられていた福田さんが決選投票で敗れるどんでん返し。中曽根派が田中支持に回ったことが敗因でした。大きなお金が動いたともいわれています。

 私邸に帰った福田さんは、ヤケ酒を飲みながら金権体質を罵倒したそうです。そのときに福田さんの相伴をしたのが初当選前だった小泉さん。そこから“ぶっ壊す”の言葉が胸にあったのでしょう」

 まさに「自分の言葉」だったのだ。しかし、小泉氏は3回めの総裁選出馬には消極的だったともいわれていた。もし出馬しなかったら、あの名言を耳にすることはなかったかもしれない。

「消極的だったというのは違います。小泉さんは森さんと同じ清和会の所属。

 森さんの代貸的な立場で会長になっていたこともあり、森さんが『総理を辞める』と言うまでは、自分が手を挙げることができなかった。

 ただ出馬後に『今回も負けるだろうなあ。橋本さんは強いよ』とは言っていました。橋本さんは国民的人気が高く、所属していた平成研究会は党内第一派閥でした。

 加藤紘一さんも交えて『負けたら党を出てYKK新党結成だ』と話しました。『資金はどうする』となり、加藤さんが『新党結成資金は僕が作る』と意気軒高でした」(山崎氏)

2001年の自民党総裁選では、国民的人気があった田中眞紀子氏を応援団に

■「偉大なるイエスマン」武部勤氏の証言

 だが小泉氏は「負け戦」からの大逆転を狙っていた。味方につけようと白羽の矢を立てたのが、同じく話術が巧みで人気も高い眞紀子氏だった。

「小泉さんから『拓さん、彼女を味方につけたいんだ』と相談されました。私は『それは無理だよ。来るわけがない』と応じたんですけど『とにかく頼んでくれないか』と。

 平成研は角栄さんが率いた田中派のDNAを継いでいます。だから、平成研の橋本さんの対抗馬の小泉さんを、眞紀子さんが応援することは考えづらかった。だけど、打診するとOKでした。そりゃあ驚きました」(山崎氏)

 なぜ、眞紀子氏は小泉応援団になったのか。

「橋本氏は竹下派七奉行と呼ばれた竹下登元総理の側近。角栄氏はその竹下派にクーデターを起こされ失脚しました。眞紀子氏に、そのときの私怨があったことは想像に難くない」とは永田町事情通。

 総裁選後も「小泉語録」の数々は人々の記憶に残った。

 小泉時代に幹事長を務め、「偉大なるイエスマン」を自認した武部勤氏に聞いた。

「演説などでの言葉はすべてご自身で考えていました。『自分の考えを自分の言葉で語れないようでは政治家の資格がない』というお考えだったのではないでしょうか。

 先生はよく『論語』を読んでおられました。何十回も読み込まれていたようで表紙はボロボロ。論語から演説などのヒントを得ていたのでしょう。

 そして『今、国民は何を求めているのか』をいつも考えておられました。言葉のひとつひとつは強烈でも、皆さんにわかりやすくを心がけ、表現の細部にも注意を払っておられた記憶があります。自民党のポスター制作などにも細かな指示をいただきました」

 今でも語り継がれるエピソードがある。

 総理就任直後、小泉氏の顔が写されたポスターが作られた。そこには「小泉の挑戦に、力を。」のキャッチコピーが添えられていたが、最初は「。」がなかったといわれている。

 しかし、小泉氏が「歯切れがよくなる」と「。」の追加を指示。以来、ポスターのキャッチコピーの最後には「。」がつくことが定番になった。

 さらに武部氏は「政治家が、自ら発した言葉を国民に信じてもらうには、公私混同が最もいけません。小泉先生はそれがなかった。贈り物はアメひとつでも受け取りませんでしたから。それで国民に言葉が信頼されたと思います。『信なくば立たず』です」と言う。

■角栄氏と小泉氏と菅総理の違い

 歴代総理で演説の妙手といえば筆頭は田中角栄氏だろう。角栄氏と小泉氏の演説に共通点はあるのか、ないのか。角栄氏に関する著書も多い政治評論家の小林吉弥氏に聞いた。

「角栄氏の残した言葉に『政治は気迫とスピードのふたつしかない』があります。

 小泉さんは聴衆に受け入れられやすい、短いセンテンスのキャッチフレーズを絶叫して“気迫らしきもの”は確かにありました。

 しかし言葉だけが躍る感じで、そこに解説的なものはなかった。煙に巻くというか、回避しているようにも見えましたね。

 一方の角栄氏は気迫もスピードもあり、かつ数字にとても強かった。演説にもいろいろな数字を入れました。ごまかしがきかない数字は説得力があります。そこが小泉さんにはなかったことですね。大きな違いです」

「答弁ベタ」とされる菅義偉総理は小泉氏から学ぶことはあるのか。前出の高津氏は「機転を利かせること」と言う。

「衆院予算委員会で民主党の岩國哲人氏が外国の郵政民営化の成功例、失敗例を挙げ『がっかり、うっかり、ちゃっかりのどれを学ぶか』と質問。

 小泉氏は『各国の例を参考にしながら“しっかり”民営化させたいと思っております』と答弁。当意即妙の好例です」

 小林氏は「原稿棒読みは自分の言葉を持っていないイメージを持たれ、気迫を感じられません。官房長官時代は棒読みでもなんとかなったでしょうが、総理ですから目線はつねに国民へ向けられなければいけません」と指摘する。

 小泉総理時代の5年半の評価には賛否両論がある。だが、その「言葉」に国民は共感していた。

 次のページでは、小泉純一郎の10の名言・至言と略年譜を紹介する。

2003年、拉致問題関連活動で名を上げた安倍晋三氏を幹事長に任命する小泉総理(当時)

■小泉純一郎 10の名言・至言

(1)「私の内閣の方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力だ」(2001年5月9日、衆院代表質問答弁)

(2)「リーダーは孤独だ。それでも、一人でやらなければいけない時がある」(2005年4月1日、記者団に郵政民営化を問われ)

(3)「山を越え谷を越え、一度は谷底に突き落とされたけど、国民が引き上げてくれた」(2005年10月14日、郵政民営化法成立時)

(4)「昨日の敵は今日の友。今日の友は明日の敵。これが当たり前の世界だ。これをわきまえながら友情は育むことが大事だ」(2005年10月19日、自民党若手議員研修会で)

(5)「闘って敗れた負け組はほめられるべきで、むしろ闘おうとしない人が問題」(2006年2月1日、自民党若手議員研修会で)

(6)「私も引き際、散り際を大事にして、任期中は首相の職責を精いっぱい頑張っていきたい」(2006年4月15日、「桜を見る会」で)

(7)「国会議員になる夢を果たせず、去っていった人が多いことをかみ締めて行動してほしい」(2006年11月7日、新人議員研修会で)

(8)「政治家は首相だって使い捨て。一回一回の選挙ごとに使い捨てにされることを覚悟しないといけない。甘えてはだめだ」(2006年11月7日、新人議員研修会で)

(9)「土下座するようなことまで受け入れたのだから、復党を認めてもいいのではないか」(2006年11月29日、郵政民営化法案に反対して離党した議員について聞かれ)

(10)「支持率は気にすることはない。目先のことには鈍感になれ。鈍感力が大事だ」(2007年2月20日、国会内で中川秀直幹事長らに)

■小泉純一郎 略年表

●昭和17年(1942年) 1月8日、神奈川県横須賀市に生まれる
●昭和35年(1960年) 神奈川県立横須賀高等学校卒業
●昭和42年(1967年) 慶應義塾大学経済学部卒業。ロンドン大学留学
●昭和45年(1970年) 衆院議員の福田赳夫氏の秘書に
●昭和47年(1972年) 衆院議員初当選(30歳)。以来、12期連続当選
●昭和54年(1979年) 大蔵政務次官
●昭和63年(1988年) 厚生大臣(竹下内閣)。翌年に宇野内閣で再任
●平成3年(1991年) 自由民主党筆頭副幹事長
●平成4年(1992年) 郵政大臣(宮澤内閣)
●平成8年(1996年) 厚生大臣(第二次橋本内閣)。翌年に第二次橋本改造内閣で再任
●平成13年(2001年)
4月、平成7年、平成10年に続いて、自由民主党総裁選に3回めの出馬。田中眞紀子衆院議員の協力を得て「小泉旋風」。第87代内閣総理大臣。党人事で山崎拓幹事長。
7月、参院選で大勝。
9月、米同時多発テロ発生。10月にテロ対策特別措置法を成立させる
●平成14年(2002年)
1月、国会の混乱などを受け、田中眞紀子外相を更迭。
9月、電撃的訪朝で日朝首脳会談。北朝鮮が日本人拉致を認める。
10月、拉致被害者5人が帰国
●平成15年(2003年)
3月、アメリカがイラクへ侵攻。6月に有事関連三法、7月にイラク特措法を成立させる。
9月、党総裁選で再選。第88代内閣総理大臣。党人事・内閣改造で安倍晋三幹事長。
11月、総選挙。民主党躍進
●平成16年(2004年)
5月、再訪朝。拉致被害者家族が帰国へ。
7月、参院選。民主党の獲得議席を下回り自民党敗北。安倍幹事長から武部勤幹事長へ
●平成17年(2005年)
8月、郵政解散。亀井静香氏らが自民党離党。
9月、総選挙。「小泉劇場」で自民党大勝。第89代内閣総理大臣。
●平成18年(2006年) 自民党総裁任期満了。総辞職して内閣総理大臣を退任
●平成20年(2008年) 政界引退

(週刊FLASH 2021年3月2日号)

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“ごっつぁん辞職”山田真貴子・元広報官が『文藝春秋』で「香山リカ排除騒動」

「すでに記事が出ているとツイッターで知って雑誌を見たら、誌面に私の同級生5人が並んで出ていました。『取材日の調整が遅れているのかな』と思って連絡を待っていたので、少し驚きました」

 そう話すのは、精神科医で立教大学教授の香山リカ氏(60)である。香山氏が驚いた記事とは、月刊『文藝春秋』2021年2月号の「同級生交歓」。1958年から続く同誌を代表する名物連載だ。そこに登場した香山氏の “高校の同級生” のひとりが、山田真貴子内閣広報官(60)だった。

 菅義偉首相(72)の長男・正剛氏が勤める放送事業会社「東北新社」側が、総務省幹部に仕掛けた接待問題。山田氏は総務審議官だった2019年に、高級ステーキや海鮮料理を “ごっつぁん” したことが、“7万円接待” として批判を集めている。

 そして3月1日、山田氏は辞職した。野党から衆議院予算委員会への出席を求められていたが、入院を理由に欠席。代わりに菅義偉首相が「2月28日に『体調不良により2週間程度の入院加療を要する』と診断を受けた」と説明した。

 彼女は首相秘書官、総務省局長、官房長、総務審議官、内閣広報官という官職に女性で初めて就任した、女性官僚でも屈指の “出世頭”。香山氏が「同級生交歓」について連絡を受けたのは、2020年10月ごろだった。

「『文藝春秋』の編集者から、『内閣広報官に就任した山田真貴子さんの、東京学芸大学附属高校の同級生として、取材を受けてもらえないか』との連絡がありました。高校時代の山田さんについては、正直あまり印象に残っていなかったんです。

 しかし、官界に入ってからの活躍は存じ上げていましたし、『同級生交歓』には2002年にも一度出たことはあったんですが、『私でよければ喜んで』とお返事したんです。担当の方からは、『取材日時が決まりましたら、ご連絡します』と言われていましたが、その後、連絡はありませんでした」(香山氏)

香山リカ氏(写真・朝日新聞)

 香山氏といえば、護憲派で反政権の論陣を張る “リベラル派知識人” の代表格。かたや保守政権の中枢で、安倍晋三前首相や菅首相を補佐してきた山田氏とは、正反対の立場にある。「じつは、山田さんが香山さんに対して “共演NG” を出したようなんです」と明かすのは、同号の「同級生交歓」に登場した5人のひとりだ。

「事前に、『香山さんも出てくる』とご本人から聞いていたので、当日、彼女が来ていないことを不思議に思いました。その場で編集者の方に聞くと、『香山さんは都合がつかなくなった』と言われて、おかしいなと。

 しかも、山田さんから『皆さんは、私がとくにお会いしたかった方たちでした』と話があり、来るはずの香山さんがいない理由を察しました。そんなこともあったので、何かよそよそしい空気で、話も盛り上がりませんでした」(同級生)

「飲み会を絶対に断わらない女」と発言した動画が、国会でも取り沙汰された山田氏だが、香山氏との共演は断わったというわけか――。本誌が『文藝春秋』編集部に経緯を聞くと、次のような回答があった。

「2020年、精神科医の香山リカさんに『同級生交歓』の企画段階でお電話をしたことは事実です。

 その後、担当者がリサーチを続けたところ、香山さんは2002年9月号にて、東京学芸大学附属高校卒業生としてご登場いただいており、かつ小誌『同級生交歓』の編集方針として、おひとりの方に同じ学校で複数回度ご登場いただくのは控えていることから、正式に企画として進めることを見送ったというのが事実です。

 一方で、2021年2月号の『同級生交歓』については、ご登場いただいたおひと方からご提案いただいて実現したものであり、編集部からの依頼ではありません。そのため、どなたかを意図的に外したという事実はありません」

 香山氏を “排除” しようとした山田氏については、官僚として評価する声は多い。

「安倍昭恵夫人とも、よくサシで飲みに行っていたといいますし、若い女性総理番記者との女子会もよくやっていました。私も飲んだことがありますが、ものすごい酒豪ですが、乱れたり騒いだりしないし、話が弾んでも出しゃばらない。こうした姿勢が、永田町や霞が関の “オヤジ” に好かれるんでしょう」(政治部記者)

“飲みニケーション” が、立身出世にはおおいに役立ってきたのだろう。山田氏は2004年から約3年半にわたり、副区長として世田谷区に出向していた。当時のことを、ある区政関係者はこう明かす。

「仕事は完璧で、物事の仕切りも抜群。そんな山田さんを部下たちは、尊敬と親しみの念をこめて、陰で “チーママ” と呼んでいた。

 じつは、当時の熊本哲之世田谷区長(故人)が、『自分の後継区長に立候補してくれないか』と打診して、山田さんの了解も取りつけたそうなんだ。結局、候補者をめぐって自民党内がまとまらず、“世田谷区初の女性区長” は誕生しなかったんだけどね」

 山田氏を熊本区長(当時)に紹介したのは、自治事務次官も務めた石原信雄・元内閣官房副長官(94)だった。

「熊本さんに、『女性を助役にしたい』と頼まれて、総務省に相談したら山田さんを推薦されただけで、彼女のことはよく知らない。熊本さんは、自分の後釜に考えていたそうですがね。山田さんの今回の件は、ほかのいろんな相手と飲食するのと同じにとらえて、深く考えていなかったんでしょう」(石原氏)

“断わらない” 姿勢のために、大きくつまずいた。

(週刊FLASH 2021年3月16日号)

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cat_oa-flash_issue_4cf3bccf6484 oa-flash_0_5a20629b5b8c_東北新社「コネ問題」2人の新キーマン “元NHK看板キャスター” & “菅首相の弟” を直撃 5a20629b5b8c 5a20629b5b8c 東北新社「コネ問題」2人の新キーマン “元NHK看板キャスター” & “菅首相の弟” を直撃 oa-flash

東北新社「コネ問題」2人の新キーマン “元NHK看板キャスター” & “菅首相の弟” を直撃

 本誌の直撃取材に答える、ダンディな白髪の男性――。彼はかつて『NHKニュース10』のメインキャスターを務めていた、今井環氏(68)だ。

 久米宏(76)を擁する『ニュースステーション』(テレビ朝日系)に対抗してスタートした『ニュース10』。そこに抜擢された後、NHKの理事にもなった今井氏を今回、直撃したのには理由がある。

「じつは今井さんは、渦中の東北新社で『顧問』に就任しているんです。しかし役員一覧などに名前はなく、公表はされていません」(政界関係者)

 東北新社は、衛星放送事業などをおこなっている企業。現在、菅義偉総理(72)の長男・正剛氏が “コネ入社” し、総務省幹部に高額接待を繰り返していたことが明らかになり、日本中を騒がせている。なぜ、その企業に今井氏が「顧問」として関わっているのだろうか。放送業界関係者が話す。

「NHKはコスト削減のために、2023年度に4Kを含むBS波を、3波から2波に減らし、さらなる削減の可能性も検討しています。東北新社は、そのNHKが手放したBS波を取得して、さらなる利益増を考えているようです。

 そこで、BS番組の制作などを手がける『NHKエンタープライズ』の社長も2016年まで務めていた今井氏を招聘し、NHKや衛星放送事業界に顔が利く “取りまとめ役” として期待しているのでしょう」

 また、今井氏にはもうひとつ、“同窓生” という大きな武器があった、と前出の政界関係者が話す。

「今井さんは愛媛県出身で、県内の名門・愛光高校を卒業しました。この愛光高校の6つ下の後輩に、接待問題にも登場する総務省の谷脇康彦総務審議官(61)がいるんです」

2月24日に、総務審議官の谷脇氏は「停職」の次に重い「減給」の懲戒処分を受けた

 今回、東北新社から受けた “接待の金額” がトップだったことで注目された谷脇氏は、衛星放送事業を管轄する総務省のナンバー2。「次期事務次官は間違いない」といわれてきた。

 事務次官になれば、NHKが手放したBS波の割り当てについての決裁にも関わってくる。東北新社は、この「愛媛ルート」に期待して、今井氏を迎え入れたのか――。2月26日、自宅から出てきた今井氏を直撃した。

ーー東北新社の顧問に就任されたのは事実でしょうか?

「はい。2020年の5月からです」

ーーどういった業務を?

「NHK出身で、NHKエンタープライズでは番組制作もやっていましたから。人の紹介などを手伝っています」

ーー総務省の谷脇氏と、業務上のつき合いはありますか?

「つき合い……。つき合いというほどでは。後輩にあたるかな、愛光の。(連絡は)まったく取っていません」

ーー接待問題については?

「顧問といっても、総務省関連はまったくタッチしていないから、わからないです」

 最後に「もうこのあたりで」と言い、今井氏は立ち去った。

 今回の接待問題は、もとを正せば正剛氏が “親の威光” で、2008年にコネ入社したことから始まった。そして、この「菅家のコネ入社」の歴史を遡っていくと、菅総理の弟・秀介氏に行きつくのだ。

 月刊『文藝春秋』によると、秀介氏は2002年に自己破産したあと、半年もたたないうちに「菅総理とJR東日本の関係」から、JR東日本の子会社である「千葉ステーションビル」に、部長として入社したとされる。

 千葉ステーションビルに入社の経緯を尋ねると、「当時のことはわかりません。(コネ入社だという)事実は承知していません」との回答だった。

 甥の正剛氏の騒動をどう見ているのか。2月25日、細身のスーツを着て自宅から出てきた秀介氏を直撃した。

ーー甥御さんの “コネ問題” が騒ぎになっていますが……。

「勘弁してください」

 秀介氏は不機嫌そうな表情で、そう答えるだけだった。総理には “自助う作用” を求めたい。

(週刊FLASH 2021年3月16日号)

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新山千春40歳、女優デビュー25周年「撮影初日前夜は今も緊張で眠れない(笑)」

 初のランジェリー姿を披露ーー。40歳になった新山千春が、女優デビュー25周年のメモリアルイヤーに一念発起した。

「黒のボディスーツ(冒頭の写真)が、とくにお気に入りです! 新しいチャレンジで新鮮でした」

 最後の本格グラビアは、20年前に発売された写真集だった。

「当時は『頑張ります!』が口ぐせで、ポージングにも力が入っていたんじゃないかな。今回はゆるっとした雰囲気で、自然体の私を出せるように意識しました。自然体とはいっても、2週間くらい前から日本酒断ちして、ダイエットはしたんですけどね(笑)。

 お芝居の仕事でも、以前より “適度な抜け感” が出せるようになったのかな。ただ、撮影初日の前日は、いまでも眠れません(笑)。でも、この年で緊張できる機会があるって素敵なことなので、日々感謝です。」

にいやまちはる
40歳 1981年1月14日生まれ 青森県出身 T168 1995年に「第20回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で特別賞を受賞。1996年、映画『お日柄もよくご愁傷さま』で女優デビューし、2021年が25周年。その後は『タイムショック21』のMCを務めるなど、お茶の間の人気者に。2020年8月にはYouTubeチャンネル『新山千春 CHIHA ROOM』を開設。また、放送中のドラマスペシャル『神様のカルテ』(テレビ東京系)に、救急看護師長役で出演している。そのほか最新情報は、公式インスタグラム(@chiharu_niiyama)にて

写真・倉本ゴリ
スタイリスト・鳥山悦代(One 8 tokyo)
ヘア・Kazuki Fujiwara
メイク・水野未和子(3rd)

(週刊FLASH 2021年3月9日号)

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cat_oa-flash_issue_4cf3bccf6484 oa-flash_0_8ab058b60957_岡田准一 、上京して「3年間そば」「オーバーオール1着」生活 8ab058b60957 8ab058b60957 岡田准一 、上京して「3年間そば」「オーバーオール1着」生活 oa-flash

岡田准一 、上京して「3年間そば」「オーバーオール1着」生活

 V6・岡田准一が、2月26日放送の『連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME』(フジテレビ系)で下積み時代について語った。

『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の「ジャニーズ予備校」からジャニーズ入りした岡田。

 14歳のときに大阪から上京したが、当時バッグに入っていたのは、ドライヤーのみだった。食事にも苦労し、「そばが一番安くてよかった。食べなきゃいけないから、3年間同じメニューを食べていた」と回想。

 服についても「着替えは買わなかった。『ずっと岡田はオーバーオールで生活してた』って、白いのが黒になるまで着ていた。金がなくて買えなかった」と笑った。

 岡田の上京話にSNSではさまざまな意見が寄せられた。

《岡田くん、上京したての頃は、お金がない。って誰にも言えなかったし、誰にも頼れなかったんだろうな》

《ドライヤーだけ持って上京し、お金が無かったから、3年間オーバーオールで蕎麦だけ食べて暮らしてた岡田くん…泣》

《人一倍悩んで苦労して、人一倍努力した岡田くん。 ひとつのことを突き詰めて極める岡田くんの信念は誰が見ても素晴らしい》

「岡田さんは2017年5月6日放送の『サワコの朝』(TBS系)で、若かりし頃を回想しています。

 上京するも、『帰りたいです。ラグビー部で最後の試合がある』と抵抗したところ、すでに転校の手続きが取られていたそう。

 上京後はずっと怒られていたそうで、『Youだけレベルが足りないから』とジャニー喜多川さんに言われていたことを明かしていました」(芸能ライター)

 岡田は数々の苦労をくぐり抜けて名優に成長した。

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