cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_7f3585a66082_バイデン前米副大統領の息子、新疆の監視アプリに投資=報道 7f3585a66082 7f3585a66082 バイデン前米副大統領の息子、新疆の監視アプリに投資=報道 oa-daikigen

バイデン前米副大統領の息子、新疆の監視アプリに投資=報道

伝えられるところによると、米民主党の大統領最有力候補とされるジョー・バイデン氏の息子は、中国共産党が新疆ウイグル自治区住民を監視するために使用するスパイ・システムに投資している。

かねてから中国投資に積極的であるバイデン元副大統領の息子ロバート・ハンター・バイデン氏は、中国の投資会社・渤海華美股権投資基金管理有限公司(渤海華美、Bohai Harvest RST)の取締会のメンバー。

同社は、中国のMegvii(北京曠視科技有限公司)が開発した顔認識プラットフォーム「Face++」に投資している。Face++の顔認識技術は、中国公安当局にも採用されている。

バイデン氏の次男、中国銀行と特別な取引

2018年に米国で出版された『秘密の帝国』の著者ピーター・シュバイツァー氏によれば、2013年12月、バイデン副大統領(当時)と、息子のハンター氏は、米空軍機に乗り中国北京を訪問した。2人は10日間の滞在中、国営で中国政府系・中国銀行子会社と米投資会社ローズモント・セネカ・パートナーズ(Rosemont Seneca Partners)が10億米ドルを出資して、米中合弁投資ファンド・渤海華美を新設した。

ブルームバーグにある企業情報によると、ローズモント・セネカ・パートナーズは、中国に巨額投資する米企業のひとつで、代表はハンター・バイデン氏。

シュバイツァー氏は、3月、米FOXニュースのインタビューに答えた。「ハンター・バイデン氏は、自身の投資会社と中国政府系銀行との間で、上海自由貿易地域での取引ができる。これは米大手金融ブラックストーン、バンクオブアメリカ、ゴールドマンサックスでも、成し得ない取引だ」と、そのハンター氏に対する特別扱いを指摘した。

「中国共産党政権はワシントンの政策決定者の息子が所有している企業を支援している。これは外国勢力による介入になりうる」

ハンター氏は、渤海華美を通じて中国投資を拡大してきた。中国メディア「投資界」によると、渤海華美(上海)株権投資基金管理は2013年に設立された資産管理会社。登録資本は2500万元。渤海産業投資基金管理、上海豊実金融サービス、昂駒投資コンサルティングとローズモント・セネカ・パートナーズが共同で設立した。この会社は、主に渤海産業投資基金管理傘下の渤海華美合弁基金が管理している。

ジョー・バイデン氏、中国共産党の脅威を公言「悪い人ではない」

トランプ大統領は8日にツイッターで、米中貿易交渉が継続する中、中国からの2000億ドル(約22兆円)分の製品に対する関税を10%から25%に引き上げると書いた。さらに「中国が合意から身を引いた後、再交渉を試みているのは、ジョー・バイデン氏あるいは非常に弱い民主党の一人と『交渉』することができるという期待を持っているからだ」と続けた。

米政府はこのところ、中国を公式的に戦略的競争国に分類している。これとは対照的に、大統領候補に名乗りを上げる元副大統領ジョー・バイデン氏は最近、中国の脅威について人々の懸念の払拭に回る発言をしており、米世論や民主党内からも批判の声が高まっている。

5月1日、ジョー・バイデン氏は、アイオワ州で開かれた2020年大統領選に向けた集会で、対中政策について語った。「彼らが米国の昼飯(利益)を横取りしたって?冗談だろう」「彼らは悪い人々ではない。競争相手ではない」。また、バイデン氏は中国政府について、複雑な国内問題に十分に対処しているとして、共産党政権を擁護した。

米保守系ニューヨーク・ポストは、バイデン氏の主張に真っ向から反論する評論を掲載した。「経済規模が世界第2位の中国は、重商主義の国営経済体制で、可能な限り知的財産を盗んでいる」。さらに一帯一路構想では、「他国を買収しようとして虐げており、世界中の市場の占有を狙っている」。

また、バイデン氏の「中国共産党は悪い人ではない」という主張について、同紙は、「100万人のウイグル人を強制的に再教育キャンプに収容するなど、北京政権による自国民に対する目に余る残酷な弾圧がある」と指摘している。

同じく民主党候補者指名争いに名を連ねるバーニー・サンダース氏も、バイデン氏の対中姿勢を批判した。「中国を米国の主要な経済的競争相手ではない、と見せかけるのは間違っている」と同氏はSNSに書いた。サンダース氏は、世界貿易機関(WTO)に加盟して以来、中国共産党政権との貿易正常化で「米国では300万人以上の製造業の雇用が失われた」とした。

(文・ZACHARY STIEBER/翻訳編集・佐渡道世)

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_adcbc83e5f70_漢字の紐解き「智」 adcbc83e5f70 adcbc83e5f70 漢字の紐解き「智」 oa-daikigen

漢字の紐解き「智」

 「矢」には誓約の意味もあり「口」と合わせることで「考えを口にする」となります。そこに「日」を加え、日々、つまり一生における智慧、知性、的確な判断を意味します。儒教では「智」は大切な徳の一つとされ、理想的な貴族が備えるべき資質に挙げられています。

(神韻芸術団フェイスブックより)

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_eae308c765fb_イタリアンソーセージを詰めたサラダラティーナのオーブン焼き eae308c765fb eae308c765fb イタリアンソーセージを詰めたサラダラティーナのオーブン焼き oa-daikigen

イタリアンソーセージを詰めたサラダラティーナのオーブン焼き

2021年3月3日 15:32 トキタ種苗株式会社

イタリアで最も知られている日本人シェフ・Chef Hiroがイタリア料理の手法で考案した一品

材料

 (1人分)

サラダラティーナ 2個
イタリアンソーセージ 80g
オリーブオイル 20g
水 20g
塩 適量

手順


サラダラティーナは茎を1cm残して切り落とし、水でよく洗い、皮を剥く。


蓋になる上部1cmのところを横に切り、下部をスプーンでくり抜き、さらに底を少し切って座りをよくする。


イタリアンソーセージの皮を取り除き、解してから、くり抜いたサラダラティーナに詰め、サラダラティーナの蓋をする。


オーブン皿に並べ、オリーブオイルと水を回し掛け、塩で調味する。


180度のオーブンで45分間加熱する。

お皿に盛り付け、オーブン皿に残った焼き汁を掛ける。

 

協力:トキタ種苗株式会社

 

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_d008dca43ad8_【おうちカフェ】見た目も可愛い「クロワッサンいちごサンド」 d008dca43ad8 d008dca43ad8 【おうちカフェ】見た目も可愛い「クロワッサンいちごサンド」 oa-daikigen

【おうちカフェ】見た目も可愛い「クロワッサンいちごサンド」

クロワッサン(仏: croissant)。「三日月」を意味するこのパンは「トルコ軍を退けたウィーンで作られた」とも言われましたが、実はフランスが発祥地です。サクサクした食感と、パン生地に練り込んだバターの芳醇な香りが魅力的で、今では世界中で愛されています。

そんなクロワッサンを使って、見た目もおしゃれで可愛い、クロワッサンいちごサンドを作ってみました。





 

クロワッサンいちごサンド

 *クロワッサン
*いちご
*レタスorサラダ菜
*ホイップクリーム
*粉砂糖
*カフェラテ
*紅茶

クロワッサンに、いちごとホイップクリーム。
粉砂糖で雪のようにデコレーション。
スライスいちごは花のように盛り付けて。
カフェラテの他に、紅茶も一杯。
レタスを添えて、できあがり。

クロワッサンといちごの色のコントラストが絶妙。こんな素敵な朝食でスタートできたら、一日を幸せな気分で過ごせそうです。

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_90ef20702e20_親友から授かった命 90ef20702e20 90ef20702e20 親友から授かった命 oa-daikigen

親友から授かった命

 夜中の3時、ジェーンは突然かかってきた電話に、ベッドから飛び起きました。こんな時間に電話がかかってきたということは、危篤状態になっている入院中の娘・モニカに緊急事態が発生したのかもしれません。

 案の定、病院の医師からの電話でした。モニカが待ちに待った移植用の肺がいまヘリコプターで病院に運ばれており、1時間後に移植手術が始まるので、すぐ病院に来てほしいとの連絡でした。

 ジェーンは急いで夫と一緒に病院に駆けつけました。今が最も希望に満ちた時であり、それはまた、娘を失う可能性がもっとも高い時でもあります。肺を移植するのは、服を着替えるように簡単なことではなく、1時間後には自分は永遠に娘を失うかもしれません……。しかし、手術をしないと、娘の命はもう長くはありません。

 ヘリコプターはまだ到着していませんが、病院の中はすでに準備万全です。今は1分1秒がとても貴重なもので、一人の命が亡くなると同時にもう一人の命が救われるかどうかは、創造主の賜りを仰ぐしかない、と誰もが分かっています。

 こんな時に自分が心臓発作を起こしでもしたら余計な面倒をかけると思ったジェーンは、救心薬を一粒飲みました。

 手術の成功を信じているモニカの顔を見て、ジェーンは少し安心しました。しかし、モニカの身体についている設備、酸素マスクと多くの測定機器を見て、ジェーンはやはり不安を拭い去ることができません。娘の命を続けさせるためには、これらの機器がすべて正常に働かなければなりません。もし一つの機器でも働かなかったら、モニカの命はすぐさま危険にさらされる……とジェーンは想像しています。

 当初、肺移植を申請した時の順番は19番目でした。つまり、その前に待っている18人の願望が満たされた後にやっと娘の順番になります。しかし、人間の臓器は工場で造れるようなものではないし……。さらに、今まで移植後の肺が体内で一番長く生きたのはわずか7年間だそうです。

 生まれた時、モニカは健康な赤ちゃんでした。頑固で気性が激しい子でしたが、とても頭がよく、しかも小学校から高校までずっとスポーツの達人でした。しかし、大学に入ってから頻繁に風邪を引くようになり、大学院に入ってからはますます病弱になりました。司法試験に合格した後、弁護士として1日も働いたことがありません。彼女の肺は次第に壊死していきました。最初、小さな酸素バッグを携帯すれば間に合いましたが、徐々に大きい酸素ボンベから離れられなくなりました。とうとう、終日イスかベッドに座っていることしかできなくなりました。

 手術を終えた医師の目は希望に輝いており、ジェーンにこう話しました。「今までこんなにぴったりの移植をしたことがありません。肺の大きさはまるでモニカのために設計されたようなものです。さらに不思議なのは、各種の生理条件、例えば肺の生存に必要な数十種類の検査値も完璧に合っています。まるで神様がモニカのためにもう一つの完璧な肺を作ったかのようです。一日か二日観察した後、モニカは集中治療室から一般病室に移されることになるでしょう」

 ジェーンは私の診療所に来て手術の経過を語った時、ずっと感激の涙が止まりませんでした。

 ジェーンもモニカも古くからの知り合いで、私も心からこの親子のために喜んでいます。「肺の提供者を知っていますか」と聞いたら、ジェーンは「分かりません」と答えました。

 2週後、ジェーンは真っ青な顔をして、再び私の診療所を訪れました。モニカの容体が悪化したのかと思いきや、意外なことを教えてくれました。

 「モニカにはジェニファーという幼馴染の友達がいます。二人は何でも一緒に行動し、けんかを一度もしたことがありません。ジェニファーはモニカより明るくて、スポーツがとても得意で、自転車、水泳、ランニング、何でも優秀です」

 「私はモニカの父と離婚して引っ越しをしました。二人の子供にとってはきっと永遠の別れのようでした。当時、私は夫を恨んでおり、仕事が見つかり引っ越しを決めたので、二人の子供をむりやり引き離しました。モニカはずっと悲しんでいました。健康状態が悪化したのはジェニファーと別れてからです。二人はずっと手紙のやりとりをしていましたが、モニカの体調が悪くなってから、二人の連絡も疎かになりました。ジェニファーから送られた最後の手紙に、彼女は今ある慈善募金のためにトライアスロンの準備をしていると書いていました」

 「昨日ジェニファーの両親から手紙が届きました。トライアスロンの試合の最中にジェニファーは、自転車で転んで体が遠く吹き飛ばされ地面に落ちたとき、頭を岩に強くぶつけ、意識不明になりました。その後、20数日間経っても意識が戻らず、医師から植物人間と診断されました。ジェニファーはその後間もなくこの世を去りました。彼女がトライアスロンに参加したのは、モニカが一日も早く健康な肺を持てるように募金したいからだ、と書いていました」

 ジェニファーが亡くなったのは2週間前の深夜3時で、それはちょうどジェーンが電話で起こされた時刻でした。

 モニカの身体の中でジェニファーの肺が元気に働いています。モニカはもう、周りで自由に歩けて自由に呼吸している人たちを羨むことしかできなかった昔の生活に別れを告げました。しかし、まるで自分の肺のように少しの不具合もなく、親友の肺が自分の身体の中で元気に生きていることを、モニカは知るよしもありません。

 この話に、私は一人静かに考えました。「縁」というものは、人が知らないところで神様の手で結び合わされているのではないかと。
 

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_f8467d740f57_淡泊になるには 嫉妬心を捨てること f8467d740f57 f8467d740f57 淡泊になるには 嫉妬心を捨てること oa-daikigen

淡泊になるには 嫉妬心を捨てること

修煉の文化には、人間にはそれぞれ定められた運命があると伝えられています。人生における全ての幸せと不幸せは定めがあり、富は前世で積んできた徳と交換してやってきたものです。嫉妬や不満のため、他人と争い、傷つけることは、自分の運命を変えられないだけでなく、罪業を造り、災いを招いてしまいます。ですので、人生においては、嫉妬心を生ぜず、淡泊に、寛大に過ごすことが百利あって一害なしなのです。

『宋史』には、このような人物の物語が記録されています。

宋の太祖皇帝である趙匡胤の重臣、呂余慶(リョ・ヨケイ)は、淡泊で寛大で、嫉妬しない有徳の士です。

同州の節度使として勤める太祖皇帝は、才能のある呂余慶のことを聞いて、朝廷に推薦し、定国軍掌書記に任命しました。その後、あちらこちらに転任する太祖皇帝の側には常に、呂余慶がおり、いつも太祖皇帝を助けていました。しかしながら、太祖皇帝は即位すると、趙普や李処耘を抜擢し、呂余慶を要職に就けませんでした。さぞ不満を抱えているだろうと思われる呂余慶は、かえって、全く気にしていませんでした。

その後、間も無く、李処耘は淄州に左遷されました。江陵から戻ってきた呂余慶に、太祖皇帝は李処耘のことについて詳しく尋ねました。抜擢された李処耘のことを全く嫉妬しない呂余慶は、理を持って、李処耘のために釈明し、太祖皇帝に納得してもらいました。そのようなある日、太祖皇帝の意思に反した趙普が、周りの者たちに排斥されましたが、呂余慶だけが趙普のために釈明をし、太祖皇帝の怒りを鎮めました。

このように、心のおおらかな呂余慶は、私心がなく忠実で、嫉妬心を全く持たないので、有徳の長者だと当時の人々に称賛されました。吏部侍郎として勤めていた呂余慶は、尚書左丞(しょうしょさじょう)に任命され、在職中にもおおいに功績がありました。

(翻訳・常夏)

(看中国より転載)

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_f2b3522b501a_【歌の手帳】唐土の人 f2b3522b501a f2b3522b501a 【歌の手帳】唐土の人 oa-daikigen

【歌の手帳】唐土の人

 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(古今集)

 阿倍仲麻呂(698~770)の歌。小倉百人一首でもよく知られている一首です。

 通説では、遣唐留学生として入唐した仲麻呂がいよいよ日本へ帰国するときに、送別の宴で詠んだ歌とされています。

 ただ「宴席に集う中国人に向けて、日本語の歌を披露した」というのは、ちょっと考えにくいですね。おそらくは賑やかな宴席を離れて一人になった仲麻呂が、ふと見上げた夜空の月に望郷の念を動かされ、普段は使わない母国語で自分のために詠んだ歌なのでしょう。

 この歌について『古今和歌集』では「明州といふ所の海辺にて、かの国の人、餞別(むまのはなむけ)しけり。夜になりて、月のいとおもしろくさし出でたりけるを見てよめる、となむ伝ふる」と説明されています。

 「となむ伝ふる(と伝えられている)」なので、それが史実であるか実はよく分からないのですが、ここでは歌に込められた仲麻呂の心情に寄り添うことにします。

 入唐した阿倍仲麻呂は17歳でした。若くして優秀だったのは間違いないのですが、日本人である仲麻呂が唐王朝のなかで重用され高官にまで昇進したことは、異国の出身者でも有能であれば受け入れる許容度の高さを、唐という時代が有していたからに他なりません。 

 唐王室も、もとをたどれば北方の騎馬民族が出自です。しかし太宗・李世民が自ら範を示したように、中国の伝統文化を積極的に学び、それによって国を繫栄させることを国是とした唐は、まさに中国史上における黄金時代を現出しました。三省六部(さんしょうりくぶ)に代表される唐の行政システムも、法体系である唐律も、さらには仏法の戒律までも、日本が命懸けの遣唐使を送って学びたい貴重な文化でした。

 興味深いのは、仲麻呂自身は日本へ帰りたかったのですが、当時の皇帝である玄宗が気に入り、なかなか帰国を許さなかったことです。玄宗は、仲麻呂を自分の側において、日本の遣唐使節団を応対させる専門官にしたかったようです。ただ、それだけではなく、阿倍仲麻呂という日本人が、おそらく見た目も整った美男子であり、中国の文化人と社交できる豊かな教養と人間性をもっていたからに違いありません。その交友のなかに、李白や王維といった著名人もいたことは、よく知られています。

 しかし阿倍仲麻呂が乗った船は、沖で難破してしまいます。幸い死ななかったものの、ついに日本へは帰れず、はじめから定められていた運命のように唐土で73年の生涯を閉じます。

 春日野の月を望みし唐土(もろこし)の人の心は十七のまま

(敏)

(読者の皆様へ)下のコメント欄へ、ご自作の「短歌」「俳句」をお寄せください。皆様とともに作り上げる、楽しいコーナーにしたいと願っております。なお、狂歌や川柳は、また別の機会とさせていただきます。お待ちしております!

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_f68162c940c5_【ほっこり池】サラダの思い出 f68162c940c5 f68162c940c5 【ほっこり池】サラダの思い出 oa-daikigen

【ほっこり池】サラダの思い出

 「過ぎ去ってゆく者として抱かれおり弥生三月さよならの月」。
 俵万智さんの歌集『サラダ記念日』がでたのは1987年。もう34年前になります。
 久しぶりに書架からとって懐かしく見ています。もちろん、ケータイもスマホもパソコンもなかった時代。たぶんワープロぐらいはあったかな。それでも文章をつづる言葉に、今よりは体温があったように思います。
 ただ、離れた人に気持ちを伝えるのは、やはり電話か手紙でした。手紙というのは、出すのも、もらうのも、いいものですよ。親指で入力した絵文字つきコメントをラインにぶち込める便利さは皆無ですが、あの頃は、あのスロー感が絶妙に良かったではないですか。
 3月は、さよならの月。たとえ離れていても、届く思いはきっとあります。
 「書き終えて切手を貼ればたちまちに返事を待って時流れだす」。
 (慧)

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_05c11e3b3155_【掌編小説】月と遊ぶ  李白「月下独酌」より 05c11e3b3155 05c11e3b3155 【掌編小説】月と遊ぶ  李白「月下独酌」より oa-daikigen

【掌編小説】月と遊ぶ  李白「月下独酌」より

 長安の市街から西へ、春の野道をどれほど進んできたか。

 「今夜は、よい月が出るな」。そう思い立ったときは頭上にあった太陽だが、気に入った酒肴の用意やら何やらで時間をとられ、今はすでに大きく西へ傾いている。旧知の友には「今宵は白(はく)を探すなよ」と、わざわざ自分が独酌を楽しむから今夜は邪魔するなと予め伝えておいた。そんなところが、妙に念が入っている。

 あきらかに奇人の部類に入るが、友人にはなぜか疎まれない。そこがこの人物がもつ底知れぬ魅力らしく、「ならばこれを飲め」と李白が日頃から好んでいた酒の一樽を送ってくる友人もいた。

 牛車の荷台に寝転んでいるので、徒歩の疲れはないが、不意をつく轍の揺れのひどさにはまいってしまった。そんな道が五里も続くと、体の骨格がこわれそうになる。亀の甲のような、なだらかな丘の上まできて荷を下ろした。着いた嬉しさのため、牛車を御してきた農夫に、はじめの約束より多めの銭をわたす。農夫の爺さんは喜び、それを両手で受け取ると、牛の頭の向きを反転させて、今きた道を足早にもどっていった。それもそのはず、夜道で狼に囲まれてはたまらない。

 遠くなる牛車の影。こんな無人の丘で、わざわざ夜を迎えようとする人間の酔狂に、農夫の爺さんは、もちろん関心さえもたない。荷台から下したのは、ひとかかえもある酒壺と友人からの差し入れの一樽。ほかに干魚や岩塩、干し肉。酒をくむ夜光杯。

 むしろを延べ、そこに坐すると、もはや李白は大地と天空の人になり始めていた。三月とはいえ長安の春はまだ浅く、風は冷ややかだが、李白は寒さを感じない。月明りがやけにまぶしく、見える星は少なかった。

 月下独酌。李白このとき44歳である。

 「花の香る広野で、一壺の酒をかかえ、ただ一人、酒杯をすすめる。今宵は、語り合う友もいない。盃を高く上げ、月を友として迎えれば、我と、我が影と、三人になるではないか。しかし、月に酒のうまさが分かるわけでなし、影は我が身にくっついているばかりで面白くはない。無粋な二人であるが、まあしばらくは、これを連れ合いにして、春の好季節を楽しみ尽くそう。我が歌えば、頭上の月はぐるぐると回る。我が舞えば、我が影も地面で踊る。酔いが足らずまだ醒めている時は、我ら三人、互いに喜び楽しむが、本当に酔って寝てしまえば、それぞれ別れ別れになってしまう。月も影も、人情のある人間ではない。ならば我らは永く、こうして世俗を離れた無情の交友を結ぼう。別れても、はるかな天の川での再会を期そうではないか」。

 夜が明けた。さほど飲んだ記憶はないが、丘の上で李白が目覚めたとき、酒はほとんど残っていなかった。月は西へ沈もうとしている。暁光に影も消えた。

 「あいつらめ。飲み逃げしたな」。李白は、そう思うことにした。(了)

 (鳥飼聡)

外部リンク

cat_oa-daikigen_issue_7f3585a66082 oa-daikigen_0_64fe863e0bd7_一つの夢で治った難治の病 64fe863e0bd7 64fe863e0bd7 一つの夢で治った難治の病 oa-daikigen

一つの夢で治った難治の病

 ローリと母親は、とても微妙な関係でした。ローリが生まれてから3カ月後、父親は愛人の家に行ったまま帰らなくなったため、母親はローリを連れてカリフォルニア州から引っ越しました。それからは、数年ごとに住む場所を変え、最後に今の町に定住することになりました。ローリは転校の繰り返しでジプシーのような生活を送り、長くつき合う友達を作れなかったため、母親に不満を抱いていました。

 不満を晴らすために、ローリは母親の言ったことすべてに反抗的な態度を取りました。母と教会に行った時、ローリは心の中で、「神さま、本当に私を愛していらっしゃるなら、どうして私をこのような人の娘にしたのでしょうか」と問いかけました。親子で一日も離れたことがないのに、心は遠く離れています。

 母親との冷戦は、ローリの18歳の誕生日に終止符を打ちました。ローリは鳥かごから逃げ出す小鳥のように、荷物を持って家を出ていきました。その後、すぐに結婚しました。しかし、家を出て6カ月も経たないうちに、母親はガンで亡くなったのです。

 母親の死を知った時、母が自分のためにしてくれたさまざまな事を思い出して、ローリは深く後悔しました。雨の中、ローリを抱いて病院に駆け込み、一晩中看病してくれたこと。クリスマスツリーの下に、ローリのために買って来たプレゼントがいっぱい置いてあったけれど、自分のプレゼントは一つもなかったこと。誕生日にはケーキを作って、ローリの僅かな友達を誘って、パーティを開いてくれたこと。ローリが野球、サッカーをするときに、真夏の盛りに観戦に来てくれたこと。10数年間、毎日学校の送り迎えをしてくれたこと・・・。

 後悔のあまり、ローリは病気になって11年間も患っていました。私の診療所に来た時、まだ30歳前半にかかわらず、彼女の髪の半分は白くなり、うつ病にかかっていました。全身に筋肉痛もあり、更年期のすべての症状が現れていました。まだ年の若いローリに現れた更年期症候群に疑問を感じた私は、ローリに家族のことを尋ねました。通常、女性の月経の状況は、母親と関係があるからです。母親の話を始めた瞬間、ローリは涙が止まらなくなりました。

 母親と仲が悪かったことや、友達の前でわざと母親に恥をかかせたことなど、ローリは全部話しました。「今は、母に謝ることもできない。母を喜ばせることも、母に恩返しすることも永遠にできなくなった」と、ローリは悔やみました。

 鍼灸治療を施しても、薬を処方しても、ローリの悔やみと心の中のシコリを解すことができないことは私に分かっていました。しかし、思いも寄らないことが起こりました。最終的にローリの病状を好転させたのは、ある一つの夢だったのです。

 ある日、ローリは母親の夢を見て、ローリは泣きながら彼女に許しを請い、自分の後悔と悲しみを訴えました。意外にも、母は厳しい口調でローリを責めました。「泣くのを止めなさい。あなたを産んでから、私は一日も楽に暮らしたことがありません。あなたのせいで、私は若くして世を去りました。すべてあなたが悪かったのよ。私はあの世でずっとあなたに復讐しようとしています。私の執念であなたは今のように病弱になったのよ。前世は、私はあなたを産んだ母ですが、今、私はあなたを恨む敵であることを忘れないで」。

ローリはとても驚いて、また子供のころの哀れな自分を思い出しました。母親を思って自分は病気になったのに、かえって「すべてあなたのせいだ」と言われるのは筋違いだ、と怒りながら目覚めました。ローリはこの夢をノートに記録しました。夢の中で、また母に怒ってしまった自分をとても後悔しましたが、どうしたらいいのかも分かりません。

 ローリは診療所を訪ね、夢のことを話しました。私は、「人間の怒りは病気を起すこともあるし、病気を治すこともできます。長年、あなたはお母さんに対する申し訳ない気持ちから抜け出すことが出来ず、病気に苦しんできました。今、怒ったことによって心のシコリが解けたのはお母さんの苦心だと思います。本当に『母親ほど我が子を分かる人はいない』と言われているように、お母さんはずっとあなたを深く愛し、気にかけています。あの世に行った後もね。あなたがこのように苦しんでいるのを見て、お母さんは夢に出て来てわざとあなたを怒らせ、これであなたを11年来の悔やみと苦しみから解放させようとしています。お母さんに感謝すべきですよ」とローリに言いました。

 私の話をローリがどれぐらい理解できたのかは分かりませんが、いずれにせよ、彼女の気持ちはかなり穏やかになってきました。それからローリは数回、私の診療所に通った後、完全に回復しました。

 人間の縁は、現世だけで結ばれたものではありません。死んだ後も、自分が作った借りは自分で返さなければなりません。では、ローリと母親との因縁は、一体誰が誰に借りを作ったのでしょうか?答えは、読者の皆さんにお任せします。
 

(翻訳編集・陳櫻華)

外部リンク