左:スペイン風邪のアウトブレイクから我が身を守るため、インフルエンザ予防用のマスクを着用する警察官。1918年11月4日撮影。
右:インフルエンザ予防用のマスクを着用する赤十字社のメンバー。1918年ごろ撮影。
第一次世界大戦の真っ只中だった1918年、致死性のインフルエンザウイルスが地球全体に広がっていた。世界人口のおよそ3分の1がこのウイルスに感染し、全世界で約5000万人が死亡して、事態はようやく収束した。
アメリカ疾病管理予防センター(CDC)によれば、このあまりにも深刻なパンデミックにより、アメリカ人の平均寿命は約12年短くなり、男性が36.6歳、女性が42.2歳になったという。
このパンデミックは「スペイン風邪」として知られているが、実はこの名称が大きな誤解を招く原因になっている。第一次世界大戦に参加していた兵士の多くは栄養失調やケガに苦しみ、おまけに狭苦しい場所で寝起きしていた。そのため、この致死性のインフルエンザに非常にかかりやすかった。
ドイツやイギリス、アメリカなどの各国政府は母国の士気を落とすまいとして、インフルエンザによる死者の実数を検閲し、その発表を差し止めていた。実数を発表していたのは、第一次世界大戦当時、中立を守っていたスペインだけだった。そのため、スペインがこのパンデミックによる被害がもっとも大きかったという誤った印象を与えることになってしまった。第一次世界大戦中のアメリカ人死傷者の半分近くは、スペイン風邪によってもたらされたと推定されている。
これらの写真たちが伝えるのは、この恐ろしいパンデミックが猛威を振るうなかで営まれていた人々の暮らしだ。
カリフォルニア州オークランドで仮設病院として使われていた市民公会堂。アメリカ赤十字社の看護師が、ボランティアで患者の治療にあたった。1918年撮影。
左:「無知は戦争よりも大きな破滅をもたらす」と題された、イリノイ州保健局のチラシ。
右:インフルエンザの恐ろしさを警告するチラシ。シカゴで1920年ごろに配布。
インフルエンザを予防するためのマスクを着用する日本の女学生たち。1920年2月17日撮影。
スペイン風邪が猛威を振るうさなか、インフルエンザ予防用のマスクを着用する女性。1919年2月27日撮影。
左:1918年型インフルエンザウイルスの感染者に見られた出血性肺炎のレントゲン写真。
右:1918年型インフルエンザウイルスの粒子をとらえた透過型電子顕微鏡(TEM)画像。ネガティブ染色法を用いて撮影。
1918~20年に公共交通機関の車両内に貼られていた、インフルエンザ予防のための警告。結核予防連盟(Anti-Tuberculosis League)が掲示したものだ。
オープントップ・バスの2階座席に、抗インフルエンザ薬物をスプレーするイギリス人男性。1920年3月2日撮影。
左:ニューヨーク州エリー郡で、陸軍病院として使用されていた軍事施設「フォートポーター」で治療を受けるアメリカ人兵士。1918年撮影。
右:米兵用マスクの束を運び出すアメリカ赤十字社・ボストン支部の看護師。そのかたわらでは、別の看護師がマスクづくりに精を出す。1919年撮影。
ベルギー西部フランドル地方にある戦線の近くで働くイギリス赤十字社の看護師。ドイツ軍のガス攻撃に備えて、ガスマスクを着用している。医師と看護師は、自分たちが治療している兵士と同様に、「戦争という現実」に直面していた。
ガスマスクを携えて塹壕を通り抜けるアメリカ人看護師。1918年、フランスで撮影。
スペイン風邪が猛威を振るうなかで試合する野球選手。1918年撮影。
ガーゼのマスクで顔を保護するシアトル警察の警官。1918年撮影。
左:インフルエンザ予防用のマスクを着用するエレベーター係。1918年、ニューヨーク市で撮影。
右:インフルエンザ予防用のマスクを着用する街路清掃人。1918年10月、ニューヨーク市で撮影。
インフルエンザのエピデミックは1928~29年にも発生した。その当時、インフルエンザ予防用のマスクを着用する2人の女性。
スペイン風邪の患者を手当てする看護師。1918年、マサチューセッツ州ローレンスで撮影。
アメリカ赤十字社の看護師と患者。1918年、ワシントンDCの救急ステーションで撮影。
この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan