米大リーグ、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手(23)の手料理を食べたとして注目されている女性がいる。
栄養面のアドバイスをする大前さん(右)と大谷選手
大前恵さん(50)。仕事は、管理栄養士だ。明治に所属し、大谷選手を栄養面でサポートしている。
キャンプ前の2月に現地を訪問し、栄養面のサポートをしてきた。知人の料理研究家の協力のもと、おかずを1カ月分、作り置いてきただけでなく、大谷選手に手料理まで教えてきた。いまも連絡を取り、大谷選手の体調を気遣う。
メジャーリーガーといえば、栄養バランスを考え尽くした妻の手料理など「内助の功」が賞賛されることが多いが、単身渡米した大谷選手は、自力で何とかしなければならない。その一端を知る大前さんに、Buzzfeed Newsは話を聞いた。
一定量のたんぱく質を食事で摂る
明治のプロテインやスポーツサプリメントブランド「ザバス」は、プロ野球、Jリーグ、陸上やバレーボールなどのアスリートを栄養管理の面から支援している。
大前さんは、侍ジャパン、東北楽天ゴールデンイーグルス、元メジャーリーガーで読売ジャイアンツの上原浩治選手、2000本安打を達成した福岡ソフトバンクホークスの内川聖一選手ら、国内外で活躍するトップ選手をサポート。
大谷選手は北海道日本ハムファイターズに所属していたときから食事の摂り方や栄養について関心を持っており、明治は3年前からサポート。2年前から大前さんが担当になった。
大谷選手は、身長193センチ、体重は約94キロ。
20代の男性の1日の摂取カロリーの目安は、2300Kcal。大谷選手の場合、3500〜4500kcalを目安に摂取している。
「これまで3年サポートしてきているので、バランスよく食べるための『栄養フルコース型の食事』の摂り方など、基本的な食べ方の知識はあります。これだけ動いたらこれくらいエネルギーが必要だということも、大谷選手はよくわかっています」(大前さん)
「栄養フルコース型の食事」の例
『栄養フルコース型の食事』とは、①主食②おかず③野菜④果物⑤乳製品をそろえるというシンプルなもの。主食でエネルギー、おかずでたんぱく質と脂質を摂り、野菜と果物でビタミンとミネラル、乳製品でカルシウムを、というように五大栄養素を摂ることができる。
そのうえで、おかずの量、つまり摂取するたんぱく質の量を自己管理でキープできるようになることが、アスリートには大事だという。たんぱく質は、筋肉や骨、血液などをつくる成分。不足分はプロテインやサプリメントで補うこともできるが、基本は食事での摂取だ。
寮生活から一人暮らしに
2018年2月、アリゾナ州テンピでキャンプインした大谷選手
エンゼルスに移籍が決まった大谷選手。日本ハムでの寮生活から、単身渡米して一人暮らしになる。2月に米アリゾナ州テンピでキャンプインした。
大リーグでは、基本的にはクラブハウスでビュッフェ形式で食事が提供されるため、シーズン中は自炊することはほとんどない。だが自主トレ期間中は食事の提供はまったくなく、キャンプでようやく朝昼の2食が提供されるということだった。
食生活を組み立てるため、大前さんは10年来の知人であるスポーツ料理研究家の村野明子さんとともにキャンプに同行した。村野さんはサッカーJリーグ、ヴィッセル神戸の寮母として、育成選手たちに食事を提供している。
日本で基本的な知識をつけた大谷選手が、食文化が異なるアメリカでも体重を減らすことなく、一定量のたんぱく質を摂れるようにサポートするのが、大前さんたちの仕事だ。大谷選手の肉体を維持するために必要なたんぱく質を、1食あたり60gを目安に弾き出し、おかずを作り置きすることにした。
使う食材は、牛肉や豚肉のヒレやもも、鶏胸肉や鶏ささみ、魚介類など、脂質が少ない肉や魚。これらの食材を使い、100gにつき、およそ20gのたんぱく質が摂取できるおかずの調理を、村野さんに依頼した。1食につき3つのおかずを組み合わせることで、60gのたんぱく質が摂れる計算だ。
鶏肉なら100gずつ計量して、トマトソース、照り焼き、ママレード煮、チキンカレーなど、調理法が異なるおかずを村野さんが次々と作っていく。3日間で巨大な冷凍庫には、異なる味付けの各100gのおかずが約100個、詰め込まれた。およそ1カ月分だ。
「1食につき3個、解凍して食べるように伝えていたので、大谷選手は毎晩、どれを食べるか楽しみにしていました」
「トロトロ半熟のオムライスを作りたい」
キャンプ中は一緒に夕食をとりながら、効率的にたんぱく質を摂れる食材や、低脂質となる調理法を説明した。
「村野さんが調理を始めると、自分でもある程度は作れるようになりたい、と大谷選手から要望がありました」
大谷選手が教えてほしいとリクエストしたのは、半熟のオムレツに切れ目を入れるとトロトロに開くオムライスだ。
自分で作ったオムライスにナイフを入れる大谷選手
「どう思いますか?」と聞かれる
「誤解されがちなんですが、大谷選手から栄養についての指導を求められるわけではないんです。自分が調べたことについて意見を求められることが多いです」
例えば、「腸内環境についてどう思いますか?」「ケトーシスダイエットについてどう思いますか?」。
「これはどういうことですか?ではなく、『どう思いますか?』と聞かれるので、答えるのがすごく難しいですね。たくさん調べたうえで、こうするのが一番よいと思う、と提案しなきゃいけない。例えば、『その方法を試して体格を変えるのはいいことだと思うけれど、パフォーマンスは発揮できない結果が多くみられるので、この時期にはやらないほうがいい』といったレベルの情報提供が求められているんです」
日々の食事に対しても、徹底したプロ意識を感じるという。
「いい意味で、食に対してこだわりがない。シーズン中は、食べることは必要な栄養を摂るための『作業』に近いようで、野球の一部なんですね」
プロテインを使用する大谷選手
「他のトップアスリートもそうですが、コンディションを維持するための食べ方を徹底されています。目標設定を明確にしているからでしょうね」
暴飲暴食をせず、好き嫌いもない。赤身の肉を使用していて高たんぱく質なハンバーガーを提供する店を選んだり、食事だけでは摂りきれないたんぱく質をプロテインで調節したりと、常に食生活を意識している選手が、やはり成績を伸ばしているという。
専業主婦を5年やってから
ところで、大谷選手の活躍とともに管理栄養士としての大前さんの活動にも注目が集まっている。いまでこそ海外で活躍するトップアスリートの栄養サポートという大役をこなすが、もともとは専業主婦だった。
「最初は、管理栄養士の資格を生かしてバリバリ働く予定はなかったんです」
大前恵さん
高校時代はバスケットボールに明け暮れた。大学卒業時に「運良く」管理栄養士の資格を取ることができた。その後、モータースポーツのPR会社に就職したが、3年で辞めて、25歳で結婚して専業主婦に。
PR会社勤務のとき、サーキット場でよく会っていたのが、アスリートをサポートしていた明治(当時は明治製菓)のスタッフだった。「栄養士の資格があるのなら、うちに来たら?」と何度も誘われていた縁で1999年、30歳で明治製菓に入社した。専業主婦5年目のときだった。
仕事は事務作業で、毎日きっちり定時に退社していた。ただ、PR経験者の目線では、気になることがあった。
栄養士のチームはアスリートの栄養サポートという意義のある活動をしていたのに、対外的にアピールできていないと感じていた。テレビや新聞に取り上げてもらうために、プロ野球やJリーグのサポートも始めてはどうか。そう提案した手前、自分で球場に通い、営業をすることになった。
4年間、手紙を書き続けた
読売ジャイアンツの練習場を訪ねると、女性の姿はほとんどなく、記者と間違えられた。片隅で、ひたすら立っているだけ。選手の顔と名前を覚えるため、後ろに回り込んで背番号を確認した。そのうち、栄養士だと少しずつ認識してもらい、「プロテインってどういうものですか」と質問されるようになった。
ひとりの選手を担当して結果を出せたら、栄養サポートの効果を認めてもらえるに違いない。その一心でアプローチしたのが、当時プロ1年目で20勝という好成績をあげる一方、けがに悩んでいた上原浩治投手だった。
「栄養にできることはたくさんあります」とオフに手紙を書いた。1年目はワープロで、2年目からは直筆で。4年目に連絡がきて、その後、メジャー時代から今に至るまで引き続きサポートする関係になった。
「私のキャリアは30歳から。やる気になればいつでも道は拓けるのだなと思います」
栄養士として、大前さん自身の健康管理はどうなっているのだろう。ここ10年ほど、風邪も引かず発熱もしていないという。
「自分でだいたい計算できるので、今日食べ過ぎたら明日減らすとか。これを食べたいからあれを引くとか。最低限、体重を維持できていればある程度の栄養は過不足ないということなので、体重は毎日計っています」
海外の大会では夜中まで試合を見て、その後に選手にメッセージを送らなければならないこともある。不調を感じたら症状として出ないように、しっかり睡眠をとることも意識している。
「優先順位が今日の仕事より明日の仕事だったら、明日を優先して今日は休みます。ここは無理してもやらなきゃいけないというときはやり、休めるときに休む。メリハリをつけるようにしています。だって、不健康な人からのアドバイスって聞いてもらいにくいじゃないですか」
体調管理も仕事のうち、というのはまさに、大谷選手と同じだ。