女性だけが離婚から半年間、再婚できないのは「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反する——。最高裁は2015年12月、この再婚禁止期間訴訟で、100日を超える部分については違憲とする判決を下した。
戦後10例目となる歴史的な「違憲判決」。原告の弁護人をたった一人で務めたのが、作花知志弁護士だ。この判決の日、勝利に喜びながらも、同じ会場で記者会見して涙していた人たちの姿が忘れられなかったという。実は同時に夫婦別姓を求める訴訟の判決も下され、「同姓は合憲」とされていた。
あれから2年、作花弁護士は新たに夫婦別姓訴訟を起こすことになる。ソフトウェア企業「サイボウズ」の社長、青野慶久氏ら4人の原告が今年1月、日本人同士の結婚で、夫婦別姓を選択できないことは憲法違反だとして、国を相手取って東京地裁に提訴。その弁護人を務めている。なぜ、最高裁判決が出たばかりの夫婦別姓訴訟に取り組み、再び憲法に問うのか。作花弁護士にインタビューした。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
●日本人同士の結婚にある「法の欠缺」を指摘
提訴するにあたり、作花弁護士の論点は、とても鋭角的だ。
戸籍法では、日本人同士の夫婦が離婚した場合、旧姓に戻るものの、届け出れば婚姻時の氏をそのまま名乗ることができる。そして、日本人と外国人が結婚した場合、それぞれ別の氏を名乗ることができる。離婚した場合も日本人同士の夫婦と同様に、婚姻時の氏をそのまま名乗ることができる。
つまり、日本人同士が結婚した時だけ、夫婦は別姓を名乗ることができない。日本人と外国人の夫婦には認められているにも関わらず、である。作花弁護士はここに、法の欠缺(けんけつ。適用すべき法が欠けていること)があると指摘する。
これまでの夫婦別姓訴訟では、夫婦同姓を義務付けた民法750条が、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と定めた憲法24条に違反すると争われてきた。
しかし、作花弁護士は新たに戸籍法という視点から、憲法違反を主張している。「憲法24条の婚姻には、4つの場面しかありません。日本人同士の結婚、離婚、日本人と外国人の結婚、離婚。このうち、3つは戸籍法でケアされているのに、唯一、日本人同士の結婚だけケアがありません」
そもそも、民法と戸籍法はどのような関係なのだろうか?
「民法と戸籍法はコインの表裏みたいな存在です。わかりやすくいうと、民法とは、どういうふうにすれば結婚できるか、結婚したらどんな権利義務関係があるか、など、法律の内容そのものが定められています。これを『実体法』といいます。
一方、戸籍法は、定められた民法上の実体的な身分関係を戸籍上で表すための手続きを定めた法律です。これを『手続法』といいます」
つまり、民法上、日本人同士の離婚、日本人と外国人の結婚・離婚の3つの場面で、氏が選べない不都合が生じた場合は、「戸籍法上の氏」という概念で対応してきたのだという。
作花弁護士はどのようにして、この法律家の間でもあまり知られていない「戸籍法上の氏」の概念に着想を得たのだろうか。きっかけは、2015年12月の最高裁判決にまで遡る。
●最初は断っていた夫婦別姓訴訟
あの日、作花弁護士は再婚禁止期間訴訟で勝利を得たが、同じ会場で会見を開き、涙を流している夫婦別姓訴訟の原告団の姿が目に入った。それが心に残ったまま、地元である岡山市に帰ったという。
それから少し経ったある日、作花弁護士のもとに事実婚の夫婦が訪れた。彼らは夫婦別姓が最高裁で認められなかったことを残念がり、作花弁護士に訴訟をしてほしいと相談してきた。
しかし、一度下された最高裁の判断はそう簡単に覆るものではない。再婚禁止期間訴訟でも、広島県の女性が違憲性を訴えたが、1995年の最高裁による判断では認められていない。それを作花弁護士が覆すまでに、20年もかかっている。
それを熟知していたため、「今すぐにではなく、5年くらい経った後にならできるかもしれません」とやんわり断った。
夫婦は「わかりました」と帰っていくが、しばらくするとまた訪ねてくる。何度目かの訪問に、とうとう作花弁護士は「わかりました、調べてみます」と根負け。夫婦別姓訴訟への一歩を踏み出すことになる。
●結婚して氏を変えた人が離婚したら、氏はどうなる?
別姓問題について調べ始めてから1、2か月経ったころ、あることに気づいた。例の「戸籍法上の氏」の概念だ。
「もしも、結婚して氏を変えた人が離婚したら、必ず民法上は元の氏に戻ります。でも、戸籍法の定めに基づいて届け出れば、婚姻時の氏をそのまま使用することができます(民法767条2項、戸籍法77条の2及び戸籍法107条1項)。
私も司法試験の勉強の時には、こういう規定があるんだな、ぐらいにしか思っていませんでしたが、これが『戸籍法上の氏』という概念でした。
また、『民法上の氏』と『戸籍法上の氏』とは異なる概念であること、民法上の氏とは違う戸籍法上の氏を戸籍上称する制度であること、そしてそれが国の戸籍実務の立場であることも知りました」
ヒントは別のところにもあった。
「民法の重鎮として知られる星野英一先生の『古稀祝賀記念論文集』に掲載された国際私法の研究者による論文を読みました。すると、そこにも『戸籍法上の氏』についての解説がされていたのです。日本人と外国人が婚姻した場合にも、『戸籍法上の氏』が登場するのです。
日本人と外国人が結婚しても、別の氏になります。なぜ別の氏になるかというと、戸籍を作れるのは日本人だけだからです。日本人同士の場合は、結婚したらどちらの氏か選ぶことを定めた民法750条は、すなわち、どちらの戸籍に入るかということを意味しています。ところが、外国人はそもそも戸籍が作れないので、どちらかの氏に決める意味がありません」
●「あっ」と気づいた瞬間、「戸籍法上の氏」による憲法裁判への道を発見
1970年代まで、日本では日本人が外国人と結婚しても、親の戸籍に入ったままだった。
「日本の排他的な姿勢が表れていて、外国人は日本の社会で存在しないということです。これがものすごい批判を受けて、戸籍法上特別規定ができました。今は、結婚したら個人の戸籍がつくられます。また、外国人の配偶者には戸籍がないので別姓にはなってしまいますが、日本人が外国人の配偶者の氏を称したい場合は、届け出ればできるようになりました。
例えば、日本人女性の山田花子さんが外国人のマイケル・ジャクソンさんと結婚したら、筆頭者が山田花子さんの戸籍がつくられ、身分事項欄に『配偶者にマイケル・ジャクソン』と書かれます。
日本人同士の夫婦と違い、こちらは別氏にならざるを得ないため、なぜ同姓を選べないのか、という要望がありました。そこで、戸籍法107条2項で、日本人が外国人配偶者と婚姻した際に、その外国人配偶者の氏を戸籍法上の氏として称したい場合は、戸籍法に基づいて届け出ることで、日本人配偶者の戸籍上の氏が外国人配偶者になる規定ができたのです。
また戸籍法107条3項は、その後、離婚した場合でも、日本人が外国人配偶者の氏を戸籍法上称し続けることを希望すれば、それを維持することを認めました。それを、国際私法の先生が『民法では別の氏のまま。同じ氏となるのは戸籍上の氏である』と書かれていました」
ここで、作花弁護士は「あっ」と気づいたという。日本人同士の夫婦が離婚した際の「戸籍法上の氏」と、日本人と外国人の結婚、離婚の「戸籍法上の氏」が、パズルのピースのように組み立てられていった。足りないピースは、日本人同士が結婚する時の「戸籍法上の氏」だけだった。
「民法は権利義務関係だから、義務付けられてしまう。でも、義務ということは個人にとって不利益も必ず生じます。つまり、100人いたら、100人全員がハッピーになるわけではない。そこで、戸籍法がアンハッピーな人のために、ケアをしているわけです。旧姓や婚姻時の氏を戸籍上で使えますよ、と。
離婚して民法上は旧姓に氏が戻る方も、戸籍法の定めに基づいて届け出れば、婚姻時の氏をそのまま使用することができます(民法767条2項、戸籍法77条の2及び戸籍法107条1項)。それは、婚姻時の氏を、離婚後も自らの氏として称することの法律上の根拠を、戸籍法が与えていることを意味しています。
日本人が外国人配偶者と婚姻したり、離婚したりした場合(戸籍法107条2項、107条3項)も、外国人については戸籍が作られないにもかかわらず、日本人の方がその外国人配偶者の氏を自らの氏として称することの法律上の根拠を、戸籍法が与えていることを意味しています。
ところが、日本人同士の結婚だけ、一方に氏の変更を義務付られるのに、戸籍法上、何もケアがされていない。そこに合理性があるのか。そう主張をすれば認められるのではないかと思いました」
●「裁判所における憲法裁判は、少数派から見た社会のあるべき姿」
違憲判決が出た再婚禁止期間訴訟や、今年1月に提訴した夫婦別姓訴訟。また、大阪高裁では、夫の暴力が原因で生じる無戸籍児問題を解決するための違憲訴訟が係属中で、年内には判決を受けて、最高裁に進む可能性がある。作花弁護士は、次々と困っている人たちの問題を憲法に照らし合わす訴訟を手がけている。
一体、なぜなのか。
「一つは、この国には、国会と司法、立法権と司法権があります。国会は、選挙の多数決で決まった国会議員が多数で法律を決める場です。日本社会の多数意見の現れですね。
でも、憲法が保障する人権を侵害するような法律は、99%の人が望んでもできません。再婚禁止期間訴訟も、原告は当時20代の女性一人、弁護士も一人でした。たった2人でも憲法違反を訴えて裁判所で認められたら、その法律は無効になります。
国会が、多数派から見た社会のあるべき姿ならば、裁判所における憲法裁判は、少数派から見た社会のあるべき姿です。人権があるということは、多数決では決められないことがあるということです」
(後編「たった一人でも、多数決に勝てる。それが裁判」 夫婦別姓訴訟の作花知志弁護士が憲法に問い続ける理由 → https://www.bengo4.com/internet/n_7682/)