村木一郎弁護士は、刑事事件が専門。数々の重大事件を担当し、その中には、元厚生事務次官宅襲撃事件(2008年)や愛犬家連続殺人事件(1993年)など、死刑が求刑された事件が8件も含まれている。うち、4件は実際に死刑判決が出た。
割りが合わないと避ける弁護士もいる中、村木弁護士はむしろ、「刑事事件に専念したい」と、10年ほど前から法テラス埼玉法律事務所に所属し、刑事被疑者・被告人の弁護活動を続けている。なぜ「凶悪犯罪人」を弁護できるのか。刑事専念のきっかけにもなった司法制度改革の評価と併せて聞いた。(ライター・高橋ユキ)
●これまでに8件の死刑求刑事件を担当
――傍聴ライターとして色々な刑事事件を傍聴していますが、さいたま地裁の裁判員裁判で、村木さんのお顔をよくお見かけします。さいたま地裁以外でも、全国規模で報じられる事件にも弁護人として関わっていますよね。改めて、これまで手がけてきた事件についてお聞かせください
「これまでに死刑求刑事件を8件担当しています。愛犬家連続殺人事件(1993年)の関根元さん、元厚生事務次官宅襲撃事件(2008年)の小泉毅さんらを弁護しました。2018年1月に裁判員裁判が始まる埼玉県熊谷市の6人殺害事件(2015年)のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンさんも担当します。この事件で9件目になるでしょうね。犯罪のところだけ見れば激烈だけど、みんな普通の人ですよ。
このほか有名なところでは、先日、無罪が確定したオウム真理教の菊地直子さん、ドン・キホーテ連続放火事件(2004年)の渡辺ノリ子さんらです」
――直近では、ろくでなし子さんの「デコまん事件」(2014年)で北原みのりさんが逮捕された際にも、手を尽くされていたんですね
「僕のつれあい(打越さく良弁護士)と北原さんが仲が良くて、一緒に『ヴァギナ・モノローグ』という舞台に出たりもしているんです。北原さんから『警察に出頭してくれと言われているが、どうしようか』と相談を受け、出頭する日程を調整しているうちに逮捕されてしまった」
●刑事弁護人になった理由
ーー弁護士になる前から刑事弁護を志していたのでしょうか
「弁護士になりたいなと思ったのが高校生のときぐらい。僕は足に障害があるから、サラリーマンとか、公務員になるのはなかなか厳しそうだと考えたんです。それで将来について考え始めた時、ちょうど狭山事件(1963年)で、一審の浦和地裁(当時)で死刑判決が出ていたのに、東京高裁で無期懲役判決が出た。それが高校2年生のときです。
印象に残ったのが、狭山事件を担当している弁護士が、信念を持って生き生きと弁護していたこと。その姿を見て、弁護士という職業に憧れを持ったんです。ですが、刑事を専門にしようと思ったのは、弁護士になってからのことです。
きっかけとなったのは、刑事弁護人として活動していた神山啓史弁護士との出会いです。最初の出会いは、司法試験の口述試験の模擬試験で、模擬試験官だったのが神山弁護士だったこと。1990年に弁護士になったのですが、その後お手伝いとして加わった事件でも、神山先生が担当されていたなどの偶然が続き、お付き合いさせていただくようになったのです。
神山先生の仕事ぶりを見ていて、刑事事件を専門にすることも面白そうだなと思うようになりました。2006年に法テラスができ、国選弁護人(刑事事件で私選弁護人がつけられない人のために国の費用でつける弁護人のこと)だけをやるという枠組みができたのをきっかけに、2006年からはずっと刑事弁護だけをやっています」
●「弱いものいじめが大っ嫌い」
――刑事弁護に専念する理由はなんでしょうか?
「カッコつけた言い方になるけど、僕は弱いものいじめが大っ嫌い。刑事手続きの中で被疑者・被告人は、ある意味、弱い立場に置かれている。憲法に基づいて民主主義がきちんと機能するためにも、刑事手続きは厳格に守られないといけないという思いがあった。
そこがいい加減になると、民主主義自体が揺らぐのではないかという危機感があります。人権の最低限の状況を常にチェックして、少しでも引き上げる活動をしなくてはいけない。裁判官や検察官も『適正手続き』は気にしているはずですが、弁護士という独立した立場からのチェックがなければ、易きに流れる。だから弁護士が必要だと思っています」
ーー事件の被害者やその遺族も「弱い立場」ではないかと思うのですが
「被害者の利益は当然守られるべきです。日本は被害者保護の制度が遅れている。そこは別途改める必要があると思います。
加害者側の弁護人としても、いつも無罪主張をしているわけじゃない。ほとんどの場合は、まず『やりました』、被害者がいれば『ごめんなさい』。示談をお願いすることもある。そのとき、被害者側の気持ちを考えながら、丁寧な対応をしなくてはなりません。
これは神山先生の受け売りですが、弁護士にとってもっとも大切な資質は『健全な想像力』だと思います。そして、『被害者にとって最大で最高の理解者が、検察官や裁判官でなく、被疑者や被告人の弁護人』でないとならない。それは巡りめぐって、自分が守るべき人の利益を守ることにもなります。それと同時に、加害者側の家族がどんなにつらい思いをしているかも考えなくてはならないと考えています」
――この10年、刑事司法制度にはいくつか大きな変化がありました。たとえば、起訴されるまで国選弁護人はつけられなかったのが、起訴前の取り調べ段階から弁護人が関われるようになったこと(被疑者国選制度)。また、2019年6月の全面義務化に向け、取り調べの録音・録画が一部の事件で行われるようになりました。制度はうまく機能しているのでしょうか?
「被疑者国選制度ができてから、取り調べの状況は激変しました。裁判員裁判で、取り調べが録音・録画がされるようになったことの影響も大きい。机を叩いたり、物を投げたりするような乱暴な取り調べはしなくなった。昔は夜中まで取り調べを続けることは珍しくなかったのですが、今では夕食前に終わることがほとんどです。
被疑者国選については、大きな事件にしか適用されないという課題がありましたが、2018年からは勾留されると全件で国選がつくようになります」
●「被疑者国選と裁判員裁判は成功した制度改革」
――様々な刑事裁判を傍聴する中で、いつも不思議に思うことがあります。逮捕直後に犯行内容を認めていても、法廷では違うことを言う被告人はとても多いですね。どんな状況で取り調べをしたのだろうかと。
「弁護士が逮捕された人に面会に行く『当番弁護士制度』は1990年からありましたが、1回無料で話を聞いてもらえるだけで、そのあとは私選でつくかどうか決めなくてはいけませんでした。もう1つ、『法律扶助協会』という公益団体があって、ごく安い費用で被疑者段階から本人の負担なしで弁護士をつける制度もありました。
ですが、この2つの制度を利用できるのは、弁護士費用の負担ができる方や連続殺人事件など本当に限られた事件だけだったわけです。そのため、被疑者段階で乱暴な取り調べにさらされ、ようやく被告人になって弁護士がついた時には、本人の意思には基づかない自白調書ができていた。そこで高橋さんが言うような『逮捕直後に犯行内容を認めていても、法廷では違うことを』言わざるを得なかったわけです。
かつては、法廷で被告人が供述を変えても、裁判所は検察官調書を採用して有罪にしていた。しかし裁判員裁判になってからはここが変わった。裁判員は法廷で展開されたことをもとに判断する。ようやく普通の刑事裁判ができるようになったという感じがします」
ーー裁判員制度が始まってから、良い変化もあるのですね
「そう思います。法廷でどんなに弁護士が頑張っても、取り調べ中に作成された調書が、それがどんなに乱暴に作られたものであっても採用されてしまう実態があった。でも、そのやり方は裁判員裁判だと通じないわけですよ。
司法改革に対する評価は様々あるでしょう。例えばロースクール制度については、僕は失敗を認めないといけないんじゃないかな思っています。しかし、被疑者国選と裁判員裁判は成功した制度改革だと評価しています」
【取材協力】村木一郎
弁護士。法テラス埼玉法律事務所所属。裁判員裁判での刑事弁護を主としている。
【プロフィール】高橋ユキ(ライター):1974年生まれ。プログラマーを経て、ライターに。中でも裁判傍聴が専門。2005年から傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。主な著書に「霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記」(霞っ子クラブ著/新潮社)、「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(高橋ユキ/徳間書店)など。好きな食べ物は氷。