これでは逃げ得ではないのかーー。長い裁判の末に勝ち取った勝訴判決。しかし、裁判所がどれだけ高額の賠償金を命じても、実際に払われるかどうかは分からない。相手が支払わなかったとしても罰則はないし、強制執行にも限界があるからだ。
たとえば、2ちゃんねるの創設者・ひろゆき氏は今年5月、AbemaTVの番組「エゴサーチTV」の中で、30億円ほどあった損害賠償を無視し続け、踏み倒したことを明かしている。
このほか、日弁連が2015年に行ったアンケート調査では、殺人などの重大犯罪について、賠償金や示談金を満額受け取ったという回答はゼロ。6割の事件では、被害者側への支払いが一切なかったというデータもある。離婚の際、子どもの養育費について取り決めたのに、約束が果たされないというのもよく聞く話だ。
こうした「踏み倒し」「逃げ得」を防ぐため、現在、法務省では「民事執行法」の見直しが検討されている。今年9月には、中間試案が取りまとめられ、相手の財産を把握しやすくすることなどが提言された。11月10日まで、パブリックコメントも募集中だ。
一体、どうして踏み倒しが起きるのか。どういう見直しが必要になるのか。中間試案について、宇田幸生弁護士に聞いた。
●強制執行しようにも調査権限は貧弱…
ーー賠償金を支払わなくても、本当にペナルティはない?
原則としてペナルティはありません。ただし、判決等に賠償金以外に完済までの遅延損害金の支払いも命じている場合には、賠償金の支払いを終えるまで遅延損害金が日々発生していくことになります。
ーー支払いがない場合、どういう対応をするのか?
判決等で賠償金の支払い義務を負うことになった相手(債務者)が自主的に支払いをしない場合、確定判決を得た者(債権者)は「強制執行」の申し立てを裁判所に行います。
そして、裁判所の命令によって債務者の財産を強制的に差し押さえ、現金化するなどして判決内容に書かれた金額の取り立て(債権回収)を実現することになります。
ーー強制執行をすれば、債権を回収できる?
裁判所の判決は、「強制的に債務者の財産から取り立てをして良い」といういわば許可書でしかないため、差し押さえるべき財産を「債権者自ら」探し出す必要があります。しかし、債権者には警察のような捜査権限がなく、十分な調査ができないのが現状です。
この点、調査をする一つの手段として債務者から自主的に財産内容の申告を求める「財産開示手続」(民事執行法196条以下)という制度はあります。しかし、強制執行がうまくいっていない(不奏功)ことや、既知の財産への強制執行では全額を回収できないことなどを、債権者側がまず裁判所に説明しなければならず、手続き要件が厳しいのが難点です。
また、手続きの行なわれる期日に債務者が出頭しなかったり、虚偽の財産内容を債務者が説明したりした場合であっても、制裁自体が30万円以下の過料に留まっていることも問題です。もともと賠償金を支払わない債務者に対して、改めて過料の制裁を科しても、あまり効果的ではないからです。
そして、このような財産開示制度を利用したとしても、差し押さえるべき財産が見つからなかった場合、あるいは、そもそも財産が何もなかったような場合には、判決があったとしても、結局、取り立てはできないことになります。これではせっかく苦労して勝ち取った判決も「紙切れ」と言わざるを得ません。
ーーさらに時効もあるとか…
判決で確定した請求権といえども10年で消滅時効にかかるため(民法174条の2)、10年が経過する前に改めて裁判を起こすなどして時効を中断する必要があります。
ただ、改めて裁判を起こす場合には手数料も必要となります。たとえば、1億円の賠償金請求の場合、32万円もの収入印紙を改めて裁判所に納めなければならないのです。
●現在、罰則に懲役刑の追加や調査権限の強化などが検討されている
ーー法務省では制度の見直しが検討されている
2017年9月に発表された民事執行法の改正に関する中間試案では、(1)先ほど指摘した「財産開示手続」について申し立ての要件を軽減したり、(2)出頭しない債務者を強制的に裁判所に連行したり、あるいは、(3)罰則に過料だけでなく懲役刑をも加える等、手続きの実効性を向上させるための方策が様々検討されています。
また、(4)銀行などの金融機関や公的機関から債務者の財産に関する情報を取得する制度を新たに創設しようという検討もされています。これらの制度が実現すれば、債務者の財産調査がこれまでよりは容易になり、賠償金の現実的な回収に繋がるのではないかと期待されます。
ただ、さらなる理想を言えば、(a)判決自体に債務者の財産調査のための強制的な捜索権限を付与する、(b)取り立てが困難な場合には国がその立て替えを行い債務者に求償する、といった抜本的な法整備をすることが望まれます。そもそも、支払うべきお金を持っていないというケースもあるためです。
ちなみに、北欧のノルウェーでは、犯罪被害者のために賠償金を国が立て替え、その取り立てを加害者に対して国が直接行なう「回収庁」と呼ばれる役所があります。同国では、国民総背番号制によって加害者の財産捕捉が容易になっており、国による加害者への求償も効果的に進められていると言われていますので、抜本的な制度改革の一つの参考になると思われます。
ーー回収だけに重きを置くと、弊害も起こるのでは?
もちろん、債務者といえども最低限度の生活を保障しなければなりません。その観点から、差し押さえが禁止されている財産があります。たとえば、生活に欠くことができない衣服や寝具、1か月の生活に必要な食料や燃料等です(民事執行法131条)。
その他にも、差し押さえが禁止されている債権があります(民事執行法152条)。たとえば、給料や賞与については、その支払期に受けるべき金額のうち原則として4分の3(養育費等の扶養料債権の取り立てのために債務者の給与等を強制執行する場合は2分の1)に相当する部分については差し押さえが許されません。
これら規定によって、債務者には最低限度の生活保障がされているものの、たとえば、債務者の給料収入が余りにも少ない場合、原則どおりの差し押さえ禁止の範囲では最低限度の生活すらできないことも想定されます。このような場合、債務者は「差押禁止債権の範囲の変更」の申し立てをすることによって、差し押さえの一部取り消しを求めることができます(民事執行法153条)。
しかし、日々の生活に事欠く状態の債務者であれば、裁判所に差し押さえの取り消しを求めている時間的余裕がないのが一般です。そこで、中間試案では、財産開示制度の強化など、債権者の地位が強化されることとのバランスから、債務者保護のために「差押禁止債権」の拡大をする方向での検討もされています。たとえば、支払期に受けるべき金額のうち、一定の金額までは全額差し押さえを禁止するというような考え方です。
ただ、債務者の生活保障を重視するあまり、債権回収の実効性が骨抜きとなってしまっては本末転倒です。あくまでも債権者の権利保全を原則とした上での慎重な議論を期待してやまないところです。
【取材協力弁護士】
宇田 幸生(うだ・こうせい)弁護士
愛知県弁護士会犯罪被害者支援委員会前委員長。名古屋市犯罪被害者等支援条例(仮称)検討懇談会座長。殺人等の重大事件において被害者支援活動に取り組んでおり、近時出版した著作に「置き去りにされる犯罪被害者」(内外出版)がある。
事務所名:宇田法律事務所
事務所URL:http://udakosei.info/