山口智子の産まない発言で「夫婦だけ」の選択肢に市民権

 山口智子(51才)が『FRaU』3月号(講談社)で「子どもを産むつもりはなかった」「いまでもいっぺんの悔いもない」などと思いを赤裸々に語ったことが話題となっている。この発言は子どもを産まない選択をした女性にとって励みとなるものとして受け入れられた。

 一方で、昨年11月「資生堂ショック」が話題となった。資生堂は女性に優しい職場で、美容部員が出産や育児をするにあたっては休職や時短勤務など、フレキシブルな対応をしてきた。ところが2014年、この方針を転換。時短勤務をしている女性社員に対し、土日の勤務や遅番にも積極的に入ってもらいたいと表明したのだ。

 背景には、女性ばかりの職場で、子供のいない女性の負担の増加があった。子供のいる女性の都合で一方的にしわ寄せを受けることに、子供のいない女性たちがNOを突きつけたのだ。

 どちらの言い分が正しいわけでも間違っているわけでもないが、両者の溝は埋まる気配がない。国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、2010年、「子供3人以上の夫婦」が調査開始後初めて2割を下回った。

「子供1人」の割合は2005年が11.7%に対して2010年は15.9%、「子供0人」の割合も1992年の3.1%に対して、2010年は6.4%と増加している。「夫婦のみ」の家庭は、今や珍しくなく、「夫婦と子供」という家庭は、当たり前のものではなくなっている。

 そんなご時世にあって、山口の「産まない宣言」は改めて意義深い発言だったと、夫婦問題研究家の岡野あつこさん(NPO法人日本家族問題相談連盟理事長)は言う。

「子は鎹というように、子供の存在があるからこそ夫婦仲が深まるという固定観念は根強い。でも、山口さんは夫婦という単体の絆を、お互いの信頼関係だけで築き上げることができるんだと言った。これは凄いことです。逃げ道を一切作らないで、絶対的な自信がなければ言えないことですから。

 多様化のこの時代、核家族、大家族、シングルマザー、仮面夫婦といろんな形が出てくる中で、子供がいないという選択はある種のタブーというか、最初から除外されてきました。でも、彼女の発言によって、新たに“夫婦だけ”という選択が加わった。

 離婚率が激増している現代、いちばん小さな家族単位、つまり“夫婦”がしっかりと礎を築かなければ、社会はうまく機能しないんですよね。山口さんの告白はこの点を改めて気づかせてくれたのです」

 うらやましいのは、山口の自由な人生そのものではなく、「これが私の選んだ人生」と、堂々と言える自信なのかもしれない。

※女性セブン2016年3月10日号

外部リンク

電波少年でブレイク「ケイコ先生」「一生やる」と浪曲師に

『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)で、家庭教師・ケイコ先生としてブレイクした春野恵子。その後、バラエティーやドラマなどで引っ張りだこの人気者となったが、やがてテレビから離れ、2003年からは浪曲師として再スタートした。浪曲師になるまでと現在の活動を、春野に聞いた。

――浪曲師になったいきさつを教えてください。

春野:きっかけとしては、『電波少年』が終わって、一番最初に出たラジオ番組で、春風亭昇太師匠と知り合うことができまして、落語を聞きに行ったんです。すごい衝撃を受けました。着物を着た人が座布団の上で、扇子と手ぬぐいだけでお話しているのに、目の前に映像が浮かぶんです。

 それまで私は、落語、講談、浪曲などを、全然知らなかったんです。世の中にはテレビには映らないけど、そういう面白いものがいっぱいあるんだなって気づけた瞬間でもあって、そういうものを自分で見つけたいと思うようになりました。

 まずは、落語を聞きに行くようになって、立川談志師匠、立川志の輔師匠、立川談春師匠、春風亭昇太師匠、いろんな方々と出会わせていただきました。そして講談目当てで浅草に行った時にやっていた浪曲を聞いた時、これだと思っちゃったんですね。

 小さい頃から時代劇とミュージカルが好きだったので、まさに2つを足して2で割ったものだなと思いました。こんなものがあったのかって。自分がやりたいものは、浪曲をやれば全部叶うなと思ったんです。

――すぐに浪曲師になると決めたんですか?

春野:浪曲を初めて聞いた日に、明け方まで悶々と考えました、鼻血が出るくらい興奮しながら考えて、とにかく、「一生やろう」とだけを決めて。なにがあっても辞めない、どんな下手くそでも、一生やる、と。朝4時に寝ている母を叩き起こして、「私、浪曲師になるから!」って宣言しました。母は、はあ?って感じでしたけど(笑い)。

――それから、どんな行動を?

春野:浪曲師として第一線で活躍されていた国本武春師匠に、浪曲師になりたいと相談させていただいた時、「関西に春野百合子というすごい師匠がいるよ」って教えていただいたんです。師匠の浪曲の音源もいただいて、聞いてみたら格好いいなって。

 ちょうどそのころに談志師匠に、浪曲師になりたいということは言わずに、「浪曲を聞くなら、どなたがおすすめですか?」って聞いたら、「女流ならやっぱり、春野百合子だね」とおっしゃって。“談志も認める春野百合子”というのも、後押しになったのかもしれません。

――そして、弟子入りすることに。

春野:東京から大阪に行って、国立文楽劇場の楽屋まで押しかけて「弟子にしてください」と。師匠は、東京から浪曲やりたいって来られても、どうせ続かないだろう、って思っていたようで、正式に弟子と認めていただくまでに半年かかりました。

 浪曲師が長者番付のトップ3取っていた頃だったら、声がいい人はみんな浪曲師になる、という時代もありましたけど。今は、浪曲ってなに?って時代ですから。食べていけるかわからないのに、と武春師匠にも言われました。

 でも私は、やっと一生やっていきたいと思えるものに出会えて嬉しかったので。そう思えるものにはなかなか出会えない、ということもわかっているので、これを絶対手放したくないのはありました。

――それから、東京から大阪に通うことに。

春野:1か月に1回か2回、夜行バスで大阪に行っていたんですけど、半年くらい師匠にお稽古していただくと、もっと早く上手になりたいという気持ちが強くなってきました。半年の間に家庭教師のアルバイトをしてお金を貯めて、大阪に引っ越したんです。

出典:NEWSポストセブン

――弟子入りの修業中、収入ゼロ?

春野:そうです。なので、最初は貯めたお金で、岸和田にウィークリーマンションを借りました。お金がないので、お買い物をするのは2桁縛り、99円以下と決めていました。

 私が借りてたウィークリーマンションって、光熱費ただで使いたい放題でした。でも、寒い1月に移り住んで、温度を30度の強にしても、隙間風が入って寒いんですよ。だから毛布を被りながら、師匠の浪曲を聞いて稽古をしていました。浪曲って譜面が一切ないんです。どこで伸ばして、どこで止めるのか、ひたすら聞いて覚えるしかない。

――大阪に来て、頭を丸刈りにしたそうですね。

春野:3mmに刈りました。ケイコ先生ということを誰にもばれたくなかったんです。私の人生、ちゃんとゼロからスタートするんだという決意でした。携帯を解約して、交友関係もリセットして、誰とも連絡を取りませんでした。

――浪曲だけで食べていけるようになったのは、大阪に行って何年後?

春野:初舞台から2、3年後です。お陰様で、今では年間200ステージくらい、舞台に立たせていただいています。

――『電波少年』での経験は今、生きていますか?

春野:正直、浪曲師になって舞台に立ち始めたばかりの頃は、司会者に、“なんと、あの進ぬ『電波少年』のケイコ先生が浪曲師になって”、と言われるたびに、なんでそんな余計な事言うんだって思っていました。でも、たくさんの人に浪曲を聞いてほしいと思うようになってから、ケイコ先生やっていて本当によかったって。

 それがきっかけで浪曲を聞いてくれるようになった人もいっぱいいますしね。今ではすごくありがたいなって思っています。

出典:NEWSポストセブン

【春野恵子(はるの・けいこ)】
7月22日生まれ。東京都出身。『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)の企画「電波少年的東大一直線」でブレイクし、その後、バラエティーやドラマ『救命病棟24時』(フジテレビ系)などで活躍。2003年に女流浪曲師・春野百合子に師事し、春野恵子となる。3月1日、大阪市北区のROYAL HORSEで『春野恵子の洋楽一直線!~浪曲POPS偉人伝 The Live~』が行われる。

外部リンク

大反響アンコール 大場久美子「55歳ビキニ」秘蔵カット

 昨年末、本誌で大反響を呼んだ大場久美子(56)の撮りおろしグラビア。当時、グアムのビーチで撮影された「55歳のビキニ写真」の中から、秘蔵カットをここに掲載!

出典:NEWSポストセブン

「1億人の妹」として歌手デビューし、ドラマ『コメットさん』で一躍人気者となった彼女は、4月6日にDVD『大場久美子式美活ライフ』を発売するなど、新たな活動に挑戦中。

出典:NEWSポストセブン

◆大場久美子(おおば・くみこ):1960年1月6日生まれ。埼玉県出身。身長153cm、B80・W57・H83。最新の活動は公式ブログ「大場久美子の“エトセトラ”」まで。

撮影■YOKO MIYAZAKI

※週刊ポスト2016年3月4日号

外部リンク

愛子さま オランダ留学実現へのシナリオ完成しつつある

 皇太子ご夫妻の長女・愛子さま(14才)は、現在学習院女子中等科の2年生。1年時には不規則登校などもあったが、最近は充実した学校生活を送られている。

「少しずつレベルが高くなっていく勉強にも積極的に取り組まれ、大変成績も優秀だと聞きます。また、学校がお休みの日にはお友達とボウリングやカラオケ、ディズニーシーなどに足を運ばれるなど、日々楽しく過ごされているそうです」(東宮職関係者)

 そんな愛子さまの健やかなご成長と重なるように、雅子さまのご体調も上向いている。

「“母子密着”ともいわれたご関係にも、愛子さまの学校生活の充実と、雅子さまのご快復で変化が見られるのです。皇太子さまはイギリスのオックスフォード大学に、雅子さまはアメリカのハーバード大学にそれぞれ留学されていましたから、愛子さまにもぜひそういう経験をさせたいと望まれているようです。今年の夏に海外への短期留学、ホームステイをお考えになっているとも聞きます」(宮内庁関係者)

 皇族方の多くは、留学などを通して海外生活を経験されてきた。秋篠宮さまは学習院大学卒業後にオックスフォード大学に2年間留学、紀子さまは幼少期をアメリカやドイツで過ごされている。また、昨年9月まで眞子さまはイギリスのレスター大学大学院に1年間通われたが、中学3年生の時にオーストリアで2週間のホームステイも経験されている。

 高円宮家の長女・承子さまはイギリスのエディンバラ大学へ留学し、のちに本科生として入学された。また、三女・絢子さまは城西国際大学在学中に、高齢者や子供の施設の見学のためカナダでの海外研修に参加されている。

「皇太子ご夫妻はやはり愛子さまをオランダにとお考えのようです。病気療養の初期にオランダを静養のため旅行され、2014年10月に11年ぶりに雅子さまが出席された宮中晩餐会はオランダの国王夫妻を迎えるものでしたから、同国は大変縁が深い。加えて、雅子さまの父である小和田恒さんは、国際司法裁判所判事の要職にあり、妻・優美子さんとともにオランダで暮らしています。雅子さまにとっては、何かあったときでも小和田夫妻がいるということに、大いに安心して愛子さまを送り出せるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

 愛子さまの短期留学が今夏に実現するのに、追い風となる前例もできた。昨年11月、絢子さまは大学院の海外研修プログラムのため、スウェーデンへ8日間の私的旅行をされた。

「皇族方の私的な海外訪問は、これまで『閣議報告』が必要とされてきました。しかしこのときは“皇族方の海外渡航が増加している”という理由から、報告が見送られたのです」(皇室記者)

 今年1月、眞子さまは大学院の学位証書を受け取るためにイギリスを訪問されたが、このときにも閣議報告は行われなかった。

「閣議報告を行わないというのは、平たくいうと宮内庁や外務省の書類作成や申し送りといった事務手続きが減るということ。煩雑な事務処理を職員に強いることがなくなるため、皇族方の心情としても、海外訪問へのハードルが下がることにつながると思います。すべての私的訪問で、閣議報告がなくなるかといえばケースバイケースですが、こと短い訪問では今後報告は行われない流れになるでしょう。愛子さまのオランダ留学実現へのシナリオも完成しつつあると思います」(前出・宮内庁関係者)

 この夏、14才の愛子さまが、大きな転機を迎えるかもしれない。

撮影■雑誌協会代表取材

※女性セブン2016年3月10日号

外部リンク

嵐の新曲 相葉雅紀は山下達郎のディレクションに緊張した

02.27 20:00 写真AC

 嵐の48枚目のシングル『復活LOVE』。CMですでに耳にした人も多いのでは? 作詞を竹内まりや、作曲・編曲を山下達郎が担当したことでも話題となっている。そんな注目の新曲について、嵐のムードメーカー相葉雅紀(33才)に聞いた。

「今回の新曲は山下達郎さんのコーラスも入っているからなのか、コラボレーション感が強く感じられて嬉しいです。ぼくの主演映画『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』は、達郎さんの名曲『クリスマス・イブ』がモチーフになっているので、その時も一緒にやらせていただいているんですが、またご一緒できて嬉しいですよね。今回達郎さんがレコーディングでディレクションしてくださって、発音の仕方も指導してくださったんですよ。緊張したなー(笑い)。

 竹内まりやさんの歌詞は映像となって浮かぶので、気持ちも入れやすいですよね。PVにはジャニーズ時代を共に過ごした(生田)斗真が出演してくれているんです。以前、斗真のドラマ(『ウロボロス~この愛こそ、正義。』TBS系)に嵐の曲『Sakura』を使ってもらって、斗真ともつながってる感じがして…。この曲を通して、人と人との繋がりで出来上がった気がして、嬉しかったな」

 今回のインタビューでは、相葉の朝のルーティーンを教えてもらいました。

「朝は余裕を持ちたいから1時間前に起きるようにしてる。朝はね、本当はゆっくり食べたいんだけど、食べない日が多いかな。でもフルーツは旬のものを食べるようにしてるよ(笑い)。今はみかんとかいちごが多いよね~」

※女性セブン2016年3月10日号

外部リンク

誘惑に抗えない「〆のラーメン6重苦」とは?

 ラーメン好きには耳の痛い話。「最先端医科学研究会」代表理事の村上篤良氏は、自身も「ひいきの脂ギトギト系ラーメン店には、これまで1000回以上通った」と告白するラーメン党である。しかし、心を鬼にして「〆のラーメン6重苦」を訴える。

「あるとき、氷の入った『お冷や』にスープの脂がポタッと垂れるところを見て、6重苦が一気に頭に浮かんでしまったのです。氷水で固まった脂は消化するのが大変ですから、【1】消化活動で大量の活性酸素(がんの原因)が発生します。もちろん、【2】夜の飲食は肥満の原因です。味の濃いラーメンのせいで大量の氷水を飲むと、【3】3分の2の免疫組織が集まるお腹が冷えて免疫低下します。

 そして【4】消化活動によって体温が上がり、睡眠の質が下がります。それによって【5】サーカディアンリズム(概日リズム)が狂って免疫や精神状態に悪影響を与える危険があります。さらに、消化された脂は炎症性物質を誘発しますから、【6】アレルギー症状を悪化させる可能性が高いのです」

 塩辛さと脂はご馳走だ。原始人の時代から、人類はほとんどの時間を塩辛い食物、脂(カロリー)の多い食物を探し求めて生きてきたから、ラーメンの魅力にはなかなか勝てない。

「人類を含め、動物のストレスの9割は“餓死したくない”という漠然とした恐怖だとされます。残りの1割は、捕食者に見つかった時に感じる“食われる”という具体的な強い恐怖です。だから現代人も漠然とした恐怖を感じると『空腹スイッチ』が入って、どんどん食べたくなるのです。お酒で判断が鈍っているときにも、このスイッチが間違って入ってしまうわけです。

 逆に、強い恐怖に襲われると、食べている場合ではないので『拒食スイッチ』が入ります。この場合は、体を壊してしまう結果になりかねない。現代人は多くのストレス=恐怖に囲まれて生活しているので、どちらのスイッチも入りやすい。だからダイエットに失敗するのです」(村上氏)

 村上氏は、日本でサプリメントという言葉さえ一般的でなかった1990年代から、トップアスリートをサプリでサポートしてきたサプリメント・マイスターである。近著『コンビニで買える「やせるサプリ」「若返りサプリ」』では、ラーメン6重苦や肥満スイッチに勝つサプリ活用法を具体的に紹介している。

 例えば、脂と塩分の排出を促す「キトサン」の働きや、ストレスにより発生した活性酸素を消す「ビタミンC」が、厚労省が定めた摂取推奨量の約10倍にあたる1日1000~2000mg必要であることなどを解説している。

外部リンク

アイドル「卒業」事情 現役地下アイドル・姫乃たまが解説

 AKB48グループの高橋みなみや宮澤佐江、モーニング娘。'16の鈴木香音など、グループからの「卒業」を宣言するアイドルが続いています。最近では、年度が変わる春を前にしたアイドルの「卒業」発表は、季節の風物詩といえるほど繰り返し耳にするニュースとなっています。女性アイドルがその活動内容を変更するときにも使われる「卒業」について、地下アイドルでライターの姫乃たまさんが、アイドルの卒業事情について解説します。

 * * *
 また別れの季節が近づいてきて、特に学生のアイドルを応援している人は、心なしか少しだけそわそわしているようです。進級、進学、就職など、私生活の転機をきっかけに、「卒業」するアイドルが多いからです。

 地上(メジャー)のアイドルも、女優やタレントに転向したり、なんとなく年齢に制限を感じたりして、いつまでもアイドルでいようとすることは稀です。そして、主に女性アイドルが、グループから脱退したり、活動を辞めたりすることを「卒業」と呼びます。アイドルは基本的に途中経過の職業です。現在の女性アイドルは、人数も個性的な子も多く、学校のような雰囲気が増していますが、アイドルには“アイドルという名の学校”から卒業して、何かになっていく定めがあります。

 地下アイドルを名乗る私も、インタビューでは決まって、「将来何になりたいですか?」と聞かれます。私は子どもではなくて、地下アイドルなのですが、つくづくこの仕事は最終地点でないことを痛感させられます。現にほとんどの地下アイドルが、ほかの職業へのとっかかりや、将来の目標を探す期間として活動しています。

 アイドルの卒業と解散を粛々と伝える「Good bye, Idol」というアカウント名のツイッター(@goodbyeidol)を見ていると、毎日、いくつものさよならが流れてきます。アイドルの卒業、解散や脱退が、毎日どこかで行なわれているのは知っていましたが、きちんとまとまった情報で見ると、胸に迫るものがあります。世間には知られない、女の子達の決意や事情がそこにはあります。

 先日も複数のアイドルが出演するライブに出演したら、全11組中、3組が引退ライブを控えていて(他の何組かもすでに解散、引退済みでこの日だけの出演)、改めて静かに驚きました。モーニング娘。'16や、AKB48メンバーの卒業が日々報道されていますが、地下アイドルはさらに卒業&解散&活動休止ラッシュです。SNSを利用して誰でもアイドルになれる前代未聞の状態が、大量に若い女の子を地下アイドル業界に流入させているからです。そして彼女たちの多くは事務所の縛りが緩い(もしくは所属してない)ことから、ライブで歌い終わった後に、突然「今日で引退しまーす!」と報告する人を何人か見たことがあります。

 卒業にも、グループや事務所からの卒業と、業界からの卒業(引退)があります。

 先日、アイドルユニットGirls Beat!!からの脱退を発表した加護亜依さんのように、ソロアイドルとしてさらに飛躍するために前進するために環境を変える場合と、規約違反などで解雇される後ろ向きな場合があります。事務所やメンバーとの対人関係がうまくいかないという理由もあるでしょう。

 規約違反の内容は、ファンとプライベートな連絡を取ったり、恋愛をしていたり、SNSで問題発言をしたり、ツイッターに裏アカウントを作る等々です。ぼうっとしているうちに仕事がなくなって自然消滅したり、もう売れないだろうと見切りをつけて去って行く冷静な人もいます。

 引退するきっかけは、進級、進学、就職など、私生活の転機が最も多いです。結婚(隠して続ける人もいますが)、出産(バレないように産んで続けている人もいましたが)もあるでしょうし、地方への引っ越し、親孝行を理由に引退する人もいます。

 最近は、病気が理由で引退や活動休止を発表する地下アイドルが増えているように感じます。持病の場合もありますが、ストレスから症状が出る人もいます。病気の場合、ライブの高揚感が辞めたい気持ちに歯止めをかけて、卒業を決断するまでに悩む期間も長いそうです。

 活動休止したまま、二度と戻ってこない子もいます。大人から、大きい仕事や、売れそうなグループ結成の話を持ちかけられて、準備のために活動休止したまま戻ってこない子を何人も見ました。

 反対に辞めても辞めても、何度でも名前を変えて、グループを変えて、戻ってくる子もいます。音信不通になっちゃう子もいます。私自身も、4年前に地下アイドルを「卒業」するはずでした。 19歳の誕生日を翌日に控えたワンマンライブを最後に、私は地下アイドルを辞めようと思って活動休止ししました。あのときは本当に疲れ切って満身創痍でした。複雑な対人トラブルもありましたし、何よりも私生活の自分が、公の自分に殺されていく感覚に耐えられませんでした。技術よりもイメージが大事な地下アイドル業は、どれだけ自然体で活動していても、どこかで無理が生じます。人付き合いも大事で気が抜けず、帰宅してからもSNSは更新しないといけない焦りがあり、ライブは非日常的な躁状態で、良くも悪くもストレスがかかりました。

 それでもいま地下アイドルとして活動しているのは、落ち着いて、自分ではない自分を楽しめるようになったからです。活動休止後の私は、自分を、姫乃たまという乗り物で、地下アイドル業界にやってきた旅行者であると考えるようになりました。そうすると肩の力が抜けるのです。しかし、あくまで乗り物を操縦しているのは自分なので、自然と、公の自分が私生活の自分と一致しました。その結果が、今日です。

 私がインタビューで、「なるべく長く地下アイドルでいたい」と答えるようになったのも、今年になってからです。誰のことも排除しない、懐深い地下アイドルの世界がどうなっていくのか、身を持って体験したいと思っています。

 アイドルは恋愛対象として語られがちですが、娘のような存在にも近いと思います。どこかに行ってしまっても寂しいし、ずっといられるのも心配でしょう。私がずっと地下アイドルでいようとしているのは、ファンの人にとって、いまは嬉しくても、いつか心配事になると思います。

 地下アイドルになったからには、卒業してほかの場所へ羽ばたくのが、ファンにとっても本人にとっても理想なのかもしれません。それが人前に出るような仕事だったらさらに嬉しいことかもしれませんが、正社員になって充実した生活を送っている人も、結婚出産を経て幸せになっている人もいます。

 先日共演したうち、ふたりの引退ライブは、数日前に終わりました。ライブハウスの前にはファンから贈られた「ご卒業おめでとう」と書かれた大きな花がありました。

外部リンク

ちばてつや マンガはひとりで何千万人を感動させられる

 学生とキャッチボールに興じているときだった。学生が投げたボールが逸れてワンバウンドしそうなときに限って、ちばてつや(77)は平然とした表情で何事か話しかける。まるで学生が「すいません!」と頭を下げる暇を与えないように。ワンバウンドなんて、なんてことないよ──。ちばの心の声が聞こえるようだった。この心遣い。

 高級腕時計を付けているわけでも、高価な服を着ているわけでもない。マンガの金字塔『あしたのジョー』やゴルフマンガの傑作『あした天気になあれ』を描いた作者の佇まいは、拍子抜けしてしまうほど「普通の人」だった。

 ちばは現在、文星芸術大学美術学部マンガ専攻・教授の肩書きも持つ。引き受けたきっかけは2005年の母親の死だった。幼少期を満州で過ごしたちばは敗戦後、命からがら日本へ引き揚げてきた。マンガ嫌いの母親だったが、ちばが17歳になりマンガで家計を支えるようになると、夜食をつくるなど全力で応援してくれた。

「貧しい中、僕と3人の弟を育てるために母は一番頑張った。その母が91歳のとき、急に亡くなって。もともと母に楽をさせたいと思って描いていたので、張りがなくなってボーッとしちゃった。母の故郷は、オファーをくれた文星芸術大学がある宇都宮なんです。何だか呼ばれているような気がしてね」

 大学には、マンガを描くためのイロハを指導する教員たちは別にいる。ちばの役割は、もっぱら慰め役だという。

「自信を失っちゃって、教室に入れないなんて子もいる。だから、悩みを聞いてあげたり、グラウンドに引っぱり出して運動させたり。マンガを描く作業は孤独だし自信をなくすこともあるけど、ちょっとガマンして頑張れば、ひとりの力で何万人、何千万人という人を感動させられる素晴らしい仕事なんだよ。『マンガ』は『ガマン』だって」

出典:NEWSポストセブン

 一時代を築いたちばだが、55歳のとき、過労で心臓病と網膜剥離を患ってからは仕事を制限するようになった。読み切りやイラストの仕事は時々受けたが、連載は断ってきた。昨年、『ビッグコミック』で始まった『ひねもすのたり日記』は18年ぶりの連載だ。

「同じ枠で連載していた水木しげるさんが体調を崩されたというので、最初はピンチヒッターのつもりだった。連載は読者との『約束』。ちゃんと約束を守り続けられるか不安もありますが、今の僕にとってマンガを描くことは楽しくて仕方がないこと。

 昔、週刊連載を複数抱えていたころは時間に追われ、何度か満足のいかないものを編集者に渡したこともある。でも今は隔週4ページなので、素描の段階でいったん机の中にしまって、2、3日発酵するのを待つ。それから読み直すと、どこを直せばいいのか見えてくる。本当に贅沢な時間を味わっています」

 ちばの佇まいを見ていると、あれだけの名作を生みだしたエネルギーはどこから湧き出ていたのかと不思議になる。しかし、血気盛んな時代もあった。

「20代の頃は、同世代の描き手はとても意識したよ。おもしろい作品を描かれると、うううって。俺はもうダメだ、って落ち込んだり。『あぶさん』や『ドカベン』の水島新司さんが出てきたときは、もう野球マンガは描けないと思った。この人にはかなわない、と」

出典:NEWSポストセブン

 逆に、ちばが嫉妬させたこともある。

「手塚治虫先生のスタッフをしていた方に聞いた話ですけど、手塚先生が『あしたのジョー』を読んだとき、『これのどこが面白いんだっ』と、パシッて『少年マガジン』を叩き付けたんだって。それを聞いたときは嬉しかったね」

 年を重ねるにつれ、ライバルたちは戦友となった。水木の訃報に接したのは大学にいるときだった。

「電話で亡くなったと聞いたときは、膝が抜けた。しばらく声が出ませんでしたね……」

 大学で触れ合う学生たちをはじめ、すべての若手マンガ家はちばにとって未来のマンガ界の大事な担い手である。

「新人作家の優れた作品を読むとすごく嬉しい。頼もしい才能が出てきたな、と。長く務めている新人マンガ賞の選考が、最近は目が辛いのでちょっときつい。でも、生き甲斐でもあります」

出典:NEWSポストセブン

 仕事場は自宅の屋根裏部屋だ。棚には、大相撲の録画などスポーツ関連のビデオテープがビッシリ詰まっていた。

「戦争に負け、満州国奉天で中国人に匿ってもらったとき、屋根裏で過ごした時期がある。そこで退屈しのぎに3人の弟たちに絵を描いてやったことがマンガ家としての原点。屋根裏だとはかどるのはそういう理由かもしれません。『あしたのジョー』も『のたり松太郎』も、ここで構想を練ったんですよ」

 ペンを持ち、原稿と向き合うと、それまでの柔らかな空気が、一瞬にして張り詰める。カメラの存在など忘れてしまったかのようだ。

 やはり、この人から、この手から、数々の名作が生まれたのだと思った。

取材・文■中村計 撮影■今津聡子

※週刊ポスト2016年3月4日号

外部リンク