馬が走る。踏み切る。人の背丈ほどもある障害物を飛び越える。
見ている側も、思わず呼吸を止めてしまう瞬間。
選手の意識は、馬の脚のその先まで張り巡らされている。
東京五輪でも行われる「障害馬術」。騎乗する日本馬術連盟のアンバサダーライダー・小牧加矢太(こまき・かやた)選手は
「実は、緻密な計算が求められる競技です」
と語る。
日本ではまだまだマイナーな「馬術」。馬のダイナミックな動きだけが見どころではありません。馬と選手のあうんの呼吸、そして緻密な戦略によって競われる馬術競技。LINE NEWS編集部では、その魅力に迫りました。
巨大な障害物を飛び越える「障害馬術」
8月5日。山梨県馬術競技場。小牧選手が出場する大会があると聞き、実際に見に行ってきました。
小牧選手が専門とする「障害馬術」は、アリーナ内に設置された十数個の障害物を、順番通りに飛び越える競技。
障害物は競技のレベルによって変わりますが、この大会は高さ最大130センチ。五輪では、160センチを超える巨大なものも。
障害物の「落下」、馬の「反抗」など、走行中のミスで減点され、減点が少ない人馬が上位となります。
●障害物の落下
障害物に掛けられたバーが落下すると、1回につき減点4。一つの障害物で複数のバーが落ちても減点は4です。
●不従順(反抗)
障害物の前で馬が止まったり、横に逃げたりすると、1回目は減点4、2回目は「失権」となります。「失権」になると、そこで競技は終了。
そのほか、コースの全長によって定められた「規定タイム」を過ぎても減点です。
選手は馬に進路やスピードの指示を出し、障害に誘導していく。確実に指示を伝えるためには、馬を「選手自身に集中させること」が求められます。
馬が選手を信じて指示に従い、選手は馬が巨大な障害も飛んでくれると信じる。
お互いへの信頼感があって成り立つ、それが障害馬術です。
一瞬のミスが結果を分ける
小牧選手は21歳ながら、日本馬術界のトップレベルで活躍する「若手のホープ」。この日出場した、16〜22歳の選手を対象とした「ヤングライダー選手権」でも優勝が期待されています。
この日はこの大会を目標に調整してきた、BUMパーシーという馬に騎乗。
小牧選手がスタート。
簡単に障害の順序を確認してから、馬を走らせ始めます。
速すぎず、遅すぎずのスピードを維持したまま、一つ目の障害へ。
巨大な障害を飛んでも、人馬の動きが乱れることはありません。一つ、一つと落ち着いて障害を越えていきます。
しかし、迎えた7番障害。「ゴツン」と鈍い音が響く。
観客からため息が漏れました。
それまでと同じように飛んでいるように見えましたが、かすかに馬の前脚が障害に触れ、バーが落下。
ちらりと振り返り、わずかに悔しそうな表情を見せる小牧選手。
「6歩しっかり待てたんですが、人の気持ちが先走ってしまいました。それでバランスがわずかに崩れて、落下につながりました」
一つ前の障害から数秒後の出来事。一つの落下、一瞬のミスが結果を大きく左右する障害馬術。減点はここでの落下のみ。小牧選手は減点「4」でゴールし、9位となりました。
馬の能力を引き出すのは人の技術
馬術で実際に走るのは馬ですが、その能力を引き出すのは人の技術。
馬が走るスピードや体勢までもコントロールし、馬が力を発揮できるようサポートしています。
「馬のバランスは人が調整する必要があります。馬は後脚でパワーを生み出しているので、重心を後ろに乗せて、力をためてあげないときれいに飛べないんです」
特に重要なのが「バランス」。
馬は速く走ろうとすると、バランスがどんどん前に傾いてしまう生き物。その状態では、高く飛ぶことはできません。
障害に向かうたびに、選手は「いかに馬のバランスを調整するか」が競技のカギとなります。
わずか一歩で変わる「歩数」の重要性
コースには障害が連続する箇所があり、2つの障害の距離から、その間の歩数が決まります。
小牧選手がミスをした障害も、前の障害を飛んでから5歩、または6歩で向かう距離になっていました。
小牧選手は6歩を選びましたが、勢いをつけるために5歩を選択した選手も。各人馬の作戦が分かれることもあります。
コースでの作戦について、「全体を通して考えておきます」と小牧選手。
「障害一つではそこまで難しくないですが、連続して障害を飛ぶとなると難易度が上がります。後に続く障害を楽に飛ぶためにも、作戦が重要です」
馬が走っている競技中は、その場で考える時間がないことも。
「スタートからゴールまで」を常にイメージしておくことが、最後までミスなく走行するために重要となります。
父は一流騎手。その背中を追うも…
小牧選手の父親はJRA(日本中央競馬会)の小牧太騎手。2008年の桜花賞をレジネッタで制するなど、G1勝利も果たしているトップジョッキーの一人。
小牧選手はその背中を追って競馬の騎手を目指し、一緒にトレーニングもしていました。しかし、中学の3年間で身長が30センチ以上伸び、減量が求められる騎手を断念。
それでも「一度馬との生活を経験したら、なかなか抜け出せませんでした」と馬術の世界へ。騎手を目指していた時から、その魅力を感じていたといいます。
「馬術は馬があっての競技。馬の世話を全て自分でやる中で、いかに馬の気持ちや体調を察してあげられるか」
「当然ですが、馬は言葉を話せません。気持ちを察しながら生活して、一緒に競技を目指していくところが魅力。僕は馬術を始めてから、どんどんとりこになっていきました」
練習中や競技中に失敗があると、馬が自信を失い、それまで簡単にできていたことが急にできなくなることもあります。
「毎日の練習の積み重ねで、できることを少しずつ増やしていく。大会でたまたまうまくいくことは少なくて、普段の努力が成績に直結するところも魅力ですね」
"馬術の本場"の壁は高い
小牧選手は千葉県にある「北総乗馬クラブ」のスタッフとして、クラブ会員のレッスンなどを行いながら練習しています。馬術の選手はこのように、乗馬クラブのスタッフを兼任していることが多いといいます。
近年は日本選手の中でも、五輪など世界のトップレベルを目指し、馬術の本場・ヨーロッパを拠点にすることが増えています。
小牧選手も、今後はヨーロッパに拠点を移す予定。現地でも乗馬クラブのスタッフとして働くことになるそうです。
ただ、日本勢にとってヨーロッパ勢は「高い壁」。
「向こうは競技の"ベース"が高いというか、みんなうまい。馬術をやっていると、日本人はばかにされることも多いです。そんな自分の技術が全く通用しない環境でもまれて、いろいろと吸収したいですね」
海外挑戦の先に見据えるのは"五輪出場"。東京五輪は自身で「厳しい」とは言うものの、若い小牧選手にまだまだチャンスはあります。
「まずはアジア大会、世界選手権が目標。五輪はもう一段階上のレベルなので、まずは海外で経験を積んで、その上のステップとして五輪につながればいいなと思っています」
世界中から一流の人馬が集まる、東京五輪。
「障害馬術」のほか、「馬場馬術」「総合馬術」の3種目が行われます。
馬の美しい動きと、選手の巧みな技術。「人馬一体」という言葉を、目の前で体感できるチャンスが、もうすぐそこまで来ています。
【取材・文=橋本嵩広(LINE NEWS編集部)、撮影=松本洸、岡崎千賀子、イラスト=堀道広】