前日の大雨がうそのように、透き通るような冬の青空が広がっていた。
3月10日、岩手県大槌(おおつち)町。
のんは海を望む歩道で、ふと足を止めた。すぐ横のくぼ地の方を、じっと見つめる。冷たい風に揺れる髪が、時折白い頬をくすぐっても、気にする様子もない。
視線の先には、宙に伸びた2本のレール。ポツリと言った。
「つながるんですね。もうすぐ」。
反対方向には、更地をまっすぐ貫くように、すでにレールが延びている。
2011年3月の東日本大震災で、この地を走っていたJR山田線は津波で甚大な被害を受けた。
ずたずたになったその路線の復旧工事が、着々と進んでいる。来年の3月までには、運行停止中の宮古~釜石間が開通するという。
それと同時に、その区間はJRから三陸鉄道に移管される。のんと縁深い"三鉄"は、これまで山田線を挟んで、北リアス線、南リアス線に分かれて運行していた。それが史上初めて、三陸を縦につなぐ一本になるのだ。
未来の駅前通りと魚屋
津波で完全に流された大槌駅は、駅舎に先駆け、駅前のロータリーとタクシー寄せが新設されている。そこから伸びる、未来の駅前通り。周囲はほとんど更地だが、そこにぽつんと、魚屋が看板を掲げている。
「いらっしゃい」。ご主人の中里さんがのんを迎えた。
外に干してあったお魚、すごく立派ですね!
新巻鮭ですね。大槌は新巻鮭の発祥の地という説もあって、400年の歴史があるとも言われています。
そうなんですね!ご主人はいつからここでお店をされているんですか?
去年の11月からですね。震災の後、別な場所さ行って商売してたんですけども、もともとがここだからね。ようやく建設許可が下りたから、戻ってきたんですよ。
他の方はまだ戻っていらっしゃらないんですか?
なかなか建設許可が下りねえから、諦めて他の場所に居ついた人もいます。商売をやめた人もいます。みんな年配だから、そんなに待てねえんですよ。
それでも、ご主人は戻られたんですね。
ここに昔と同じく店を構えたら、みんなも少しは帰って来る気になるのかなって。だから誰より早く戻ってきたんですよ。
そうなんですね。
線路ももうすぐつながる。想像つがねえかもしれねえけど、駅があった頃は、ここら辺もにぎやかだったんですよ。鉄道がまたここへさ、にぎわいを連れてきてくれるといいんだけども。
三陸鉄道の駅が、もう一度みんなをつなげる。そんな未来を、ご主人は待ち望んでいた。
福幸きらり商店街
大槌町、福幸きらり商店街。小学校のグラウンドにプレハブで造られた、仮設の商店街だ。
のんはコの字型になった「街」を歩いた。すし屋、電機店、美容室に、精肉店、鮮魚店。
「写真スタジオもありますね!」。思わず、店内をのぞき込む。レンタルビデオ店に、スナックまであった。
そしてある店の前で、ひときわ大きな声を上げた。「わあ、ラーメン!」。赤いのれんの向こうから漂う香りに、目を輝かせる。
「いらっしゃい。あら、のんちゃんじゃない!さあさ、どうぞどうぞ」。おかみさんが笑顔で招き入れた。
おいしい!本当に!
のんは何度も繰り返した。厨房で黙々と作業をしていた店主の沢山さんが、笑顔を向けてきた。
ここは10月で終わってしまうと聞きました。
そうなんですよ。もともと小学校のグラウンドを借りている状態なので。まるごと移転する話もありましたが、うまくいかなかったようです。私たちも9月にはここをたたんで、他の場所に移ります。
せっかく、こんなにたくさんのお客さんがいるのに、もったいない気もします。
そうですね。こんなに大きな共用駐車場があるっていうのは、すごく良かったです。工事車両で来る人も気軽に来られて。そして何より、ここに来れば何でもそろう。だからお客さんもたくさん来てくれたのだと思います。
ショッピングモールみたいですもんね。
日本全国そうでしょうけど、ここでも小さい店は大きなモールに押されっぱなしでした。でも、震災後はここに入って、みんな元気に商売をしていた。店同士がつながれば、大型店舗にも負けないって教えてもらった気がします。
つながることは、力になる。仮設商店街の賑わいは、そんなことも証明していた。
大槌復興刺し子プロジェクト
のんは「大槌復興刺し子プロジェクト」を訪れた。迎え入れたスタッフが、刺し子体験会を開いてくれることになった。
はじめてとは思えないわね!さすがのんちゃんだわ。お洋服づくりが趣味なんですもんね。
ホント、スジがいいわね。どんどん手際がよくなるもの。ここで働くといいんじゃない?
刺し子はずっと気になっていて、やってみたいと思っていました。最近では東京にも出品されているとうかがいました。
のんが言うとおり、大槌刺し子は「無印良品」に出品されており、かわいい見た目から手に取る人が多い。
こっちには近くに無印がないから、あんまり実感ないんですよね。でも、すごくうれしいです。
震災直後は糸が流されてしまって、刺し子ができなくなったこともありました。でも、同じ刺し子文化が根付いているという縁で、飛騨のみなさんなどが寄付をつのって、大槌に糸を送ってくれました。そこから始まった縁で、無印良品さんへの販路も生まれたんです。
刺し子という文化が大槌と飛騨、そして日本中をつないでくれたんですね。
「私にも、大槌刺し子とみんながつながるお手伝いをさせてください」。のんはそう言って、できあがった刺し子のブローチを、胸元につけた。
刺し子プロジェクトのみなさんが、うれしそうに何度もうなずいた。
世界中のファンを乗せた車両がやってくる
鵜住居(うのすまい)。小、中学生が祖父母などの教えを忠実に守り、手をつないで高台に避難したことで、多くの命が救われた地。
その小さな集落に、世界中から2万人ものファンが集うという、奇跡のようなイベントがやってくる。ラグビースタジアムの建設現場。翼を広げたような形のメインスタンドに、のんは立っていた。
ここで、来年W杯が開催されるんですね。
かたわらで、釜石市W杯推進室のスタッフがうなずく。
はい!世界中からファンが集まってくれると思います。
来年9月、アジアで初めて開催されるラグビーW杯日本大会。「釜石鵜住居復興スタジアム」と仮称されている会場では、2試合が開催されることが決まっている。
佐々木さんが指差す先には、旧山田線の線路の傍らに、プラットホームが設けられている。再建される鵜住居駅。スタジアムまで、歩いて5分ほどの距離のように見える。
あんなに近いんですね!
大会前には、三陸鉄道さんがつながりますから、きっとたくさんのファンを連れてきてくれるんじゃないかと思っています。
世界中のファンを乗せた車両が、次々と鵜住居にやってくる。つなぐ先は、国内だけではない。三陸鉄道で、世界と岩手がつながる。
外国人が集うのれん
「夕飯はお決まりなんですか?もし決まってなかったら、ぜひ行ってみてほしいんです」
W杯推進室のスタッフから強く勧められ、のんは釜石市内の飲食店街に足を運んだ。
小さな店が軒を連ねる「釜石漁火酒場かまりば」。その一角に居酒屋、BEC'Kはあった。
推進室のスタッフによれば、いつも外国出身の客が集まる店なのだという。
この日もフランス人がテーブル席に陣取り、話に花を咲かせていた
なぜ、たくさん外国の方がいらっしゃるんですか?
店名のせいですかね(笑い)。
阿部→アベック→ベックと転じて生まれたあだ名を、阿部さんはアルファベット表記にして店名にした。すると「読めない漢字ばかりの店よりも入りやすい」と、観光で訪れた外国人が頻繁にのれんをくぐるようになったという。
来年も楽しみですね!
はい。世界中からラグビーファンが来ますからね。幸い、W杯推進室が、英語での接客講習を定期的に開いてくれるんですよ。せっかくですから、外国の方に楽しんでもらえるように、僕もがんばろうかと。
真っ暗な通りにともされた、希望の灯り
「ああ、もしかしてW杯推進室の紹介ですか?」
かまいし親富幸通りのスナック、スリーナインのマスターである久保さんは、カウンターの向こうでニッコリと笑ってみせた。
確かに、うちもW杯推進室の英語接客講座を受けてます。せっかく、世界中からたくさんの方が来ますからね。また、いろんな人々がうちのお店でつながって、楽しく盛り上がるところをみたいなと思うんです。
以前にも、そういうことがあったんですか?
震災直後ですね。見ての通り、うちはビルの2階ですが、それでも今のんさんが座ってる腰の高さくらいまでは水が入ってきました。地震もあったから、ぐちゃぐちゃでしたけど、でもこの通りで一番早く、商売を再開させたんです。震災からちょうど5カ月の8月11日。夜の通りはまだ真っ暗でしたけど、店の外に灯りをともして、うちはやってますよと示したんです。
すると地元の常連はもちろん、各地から集まってきた多くのボランティアや、がれき撤去や復旧工事に携わる作業員なども、久保さんのスナックに集まってきた。
みんな、娯楽に飢えていて、カラオケ歌いたかったんですよ。それで、彼らが最初に歌った歌、なんだと思います?
うーん、何でしょうね…?
なんと、「TSUNAMI」なんですよ。サザンオールスターズの。
えっ…?
ね、曲名ですよね。でも、そんなことでこっちの人は怒らないですよ。タイトルだけで、内容は違うのは、みんな分かるでしょう。私はとにかく、あの曲でたくさんの方がつながって、楽しそうにしていたのがうれしかった。元々は知らない人同士が、一緒に歌って大盛り上がりでしたから。
そういって、久保さんは目を細める。きっと、来年のラグビーW杯のときには、この店で世界中の人々がつながるのだろう。
スナックでマイクを握る姿は、なぜか見るものに「懐かしい」と思わせた。のんはカウンターに座り直すと、言葉に力を込めた。
つながることって、人を元気にしますよね。今回、あらためて思いました。だから私も、東北と世界がつながるお手伝いをしたいです。
3月11日当日も、のんは三陸海岸をたどる。釜石から150キロを北上していき、久慈駅で今回の旅を締めくくる。
震災からわずか5日後。三陸鉄道は、最北の久慈駅から2駅区間という形で、運行を再開した。そして、そこから8年かけ、ついに沿岸部をつなぐことになる。
その道筋を、逆からなぞるように。のんは北へ向かう。
三陸の人々と、世界中の人々をつなぐ役目を、のんも担う。
(企画・構成 塩畑大輔、フォト 松本洸、動画 和泉達也、編集 LINE NEWS編集部)
お知らせ
「#3.11特別企画 のん!岩手県久慈駅からLINE LIVE」
のんさんが、3月11日に岩手県久慈駅を訪れ、LINE LIVEで生中継を実施。現地で東北への思いなどを語りました。
視聴はこちらから
「3.11を忘れない。マンガ版『緊急時のLINEの使い方』などLINEの5つの取り組み」
震災の記憶を忘れずに未来へと備えるため、LINEでは売上が寄付になるスタンプ「SMILE+スタンプ」の販売や、マンガで学べる「緊急時のLINE活用法」を無料で公開するなど様々な活動を行っています。
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