一時は引退すら覚悟した。西武・中村剛也、優勝引き寄せる復活劇

2018年10月10日 11:00 共同通信

 
9月24日午後7時。仙台市の繁華街、国分町の路地裏。
西武の中村剛也は、タクシーの運転手に丁寧に礼を言うと、焼肉店ののれんをくぐった。

「おっ、すいてて、いいですね。行きつけにさせてもらおうかな」

半個室の席に通されると、真っ先にサラダを注文した。
4人分が盛られた洗面器大のボウルから、相手の分を取り分ける。

「あ、別に気を使ってじゃないですから。残りはいただきます」

ボウルを抱えるようにして、3人前を一気に平らげた。
おかわりしてもいいですかね、と追加オーダーも忘れない。

「お礼言って損した、とか思いますよね。僕なら思います」

ニヤリと笑って見せる。



2時間ほど前。
中村は試合を決める一発を放っていた。

楽天生命パーク宮城での、デーゲーム楽天戦。
同点の延長10回表に、楽天5番手の宋家豪からソロ本塁打。チームを9連勝に導いた。

「まあ、あれはよかったんですけど、それより3者連続に続けなかったのがね」

4回表、西武は浅村栄斗、山川穂高、栗山巧が3者連続本塁打。
球場をどよめきが包む中、続く打席に立ったのは、中村だった。

「いやですよね。前のやつがホームラン打っただけでも、いろいろ考えちゃうのに、3連発って」

「3人とも打ったのは直球。じゃあ、次のオレには何で来るのか。すごく悩む。逆に直球かな、とか」

結局、スライダーをひっかけてショートゴロ。

「アグー(山川)とか、よく2者連続とか打ってますけど、そういうやつの気が知れないですよ(笑い)」



「新4番」からの質問


気が知れない。
そう思ったのは、むしろ4番を打つ山川の方だった。

試合後、中村は珍しく山川から質問を受けた。
なぜ、宋のチェンジアップをあそこまで完璧に打てたのか。

「あいつもあの球は念頭に置いているらしいんですけど、打てた試しがないみたいで」

割り切るしかない。
中村はそう答えたという。

「アグーは遅球のタイミングで待ちつつ、速球にも対応するイメージらしいです。でも、宋のチェンジアップはそれで打てる球じゃない」

「割り切って、速球を捨ててチェンジアップ1本に絞る。そのためにも、絞って待てるカウントに持っていく。それしかない」

それにしても、あいつは頑張ってる。
肉を焼きながら、中村はポツリと言った。

「4番なのに打てなくて苦しそうな時期もあったけど、今年は周りも打ってくれますしね。だからこそ今のうちに、割り切って勝負しておくべきなんですよ」

「オレ個人のシーズン最多本塁打記録、48発。そこを何としても超えてほしい。それを一度超えたら、多少悪い時でも過去の4番と比較されなくなる。もっと楽に勝負ができる」



チームがいいうちに実績を


ちょうど10年前の2008年シーズン。

現在の山川より1歳若い25歳の中村は、シーズン46本で初の本塁打王に輝いた。
チームも日本一に導いている。

そこから本塁打王のタイトルを獲得すること、実に6回。
長いプロ野球の歴史の中でも、王貞治の15回、野村克也の9回に次ぐ数字だ。

この10年、中村は球史に残るペースで本塁打を量産してきた。
だが、本人は「楽しかったのは、最初にタイトル取った年だけ」と首を振る。

「その時は、優勝争いの中でのタイトル争いでしたから。それ以外は、そんなに。取れて当然というのも、正直あったので」

さっとあぶる程度、と店員が説明したロースをしっかり焼く。
シーズン中。何気なく、食べるものも気にしている。

「それに、チームがいいときは、4番の仕事も楽なんです。問題は、そうじゃないときです」



4番だけは、おたおたしちゃいけない―


2011年まで、西武の上位には片岡易之、栗山、中島裕之が並んでいた。
いずれも出塁率は高い。中村は塁が埋まっている場面で打席に立つことが多かった。

だがその後、中島、片岡が去ったチームは、上位打線が固められなくなった。
塁があいていれば、最悪、四球でもいい。年々、中村はまともに勝負してもらえなくなった。

「四球ばかりになると、打席でバットを振る機会が減る。それが続いて、反応が悪くなってしまったこともあります」

最初はいらだちを覚えたこともあった。
しかし、自分の一喜一憂が、チームの雰囲気を変えてしまうことに気が付いた。

主砲とは、そういう立場だった。

「4番だけは、最後までおたおたしちゃいけないんですよね。本当にチームが揺らぐ。それも学びました」

四球が続いても、いらいらしてはいけない。
凡退しても、取り乱してはいけない。

淡々と打席を重ねる。
4番としての務めを、真摯(しんし)に果たそうとするからこそだった。

「4番の重責って、やっぱりある。最初に4番に座ったときには分からなかった重責。それを担ってきたという自負はあります」

経験を踏まえて。
山川には「チームがいいうちに実績を」と言う。

いつもの柔和な表情。
しかしその目には、真剣な光が宿る。



もう、今年で引退しよう―


そうして必死に務めて来た4番の仕事。
しかし今季、中村はそこを任されることが、一度もなかった。

春先から、調子がまったく上がらない。
開幕直後には、打順を8番にまで下げられた。

「8番というのは、さすがにガクッと来ました。ずっと張り詰めてやってきたから。正直、気持ちを入れるのは難しかった」

「でも、仕方がないのも分かっていた。状態が上がらなかったから」

打率は1割台中盤をさまよった。
好機で迎えた打席で、バントのサインまで出された。

しかも、そのバントすら決め切れなかった。
ふがいなかった。淡々と打席を重ねてきた男が、思わずバットを地面にたたきつけてしまった。

「結局、守備で左肩をケガして2軍に落ちましたけど、それ以前にまったくダメでした」

「しばらくして1軍に戻ったけど、別に何も改善していなかった。なぜ上げてもらえたんだろうと。当然、打てなかった」

8番どころか、試合自体に出られなくなった。

「同一カード3連戦が終わるたびに、ロッカールームの荷物をきれいにまとめてました。すぐに2軍に戻れるように」

「でも毎回、僕の代わりに、若いやつが2軍に落ちた。申し訳なくなって、自分から2軍落ちを申し出ようと、何度も思った」

肉を焼く手を止めて、力なく笑う。

「でも、言い出せなかった。それも含めて、情けないなと。もう、今年で引退しよう。そう本気で思ってました」



「おかわり、腕を動かせ」


半ば自暴自棄になったときに、ふとあることを思い出した。

「今まで言ってないんですけど、実は2軍にいるとき、上本さんがアドバイスをくれていたんですよ」

中村が心から慕う先輩のひとり、上本達之は昨季限りで引退。
今季から2軍のブルペン捕手を務めている。

ある日、少しためらいつつ、上本はこう声をかけてきたという。

「おかわり、腕を動かしたらええんちゃう?」

構えに入り、投球を待つ間、リズムを取るようにバットを持つ腕を動かしておく。
そんな、技術的なアドバイスだった。

現役時代から苦楽をともにした中村は、上本にとって同僚を超えて「親友」でもある。
助言したい。だが、打撃コーチの職分を侵すべきではない。重々承知していた。

伝えてしまってよいものかー。最後まで悩んだ末のアドバイスだった。
ありがたく思いつつ、しかし中村は受け入れることができなかった。

「動かないのはこだわりでもあったので。そのときは、聞く耳を持てませんでした」

打席の中で身体を動かしながら待った方が、反応はしやすい。
だからこそ、ほとんどの打者は身体のどこかを揺さぶって構える。

中村は違った。
微動だにしない構えから、スッとバットを振り出す。

シンプルさを極めたフォームこそ、中村の代名詞。
不動の構えは「おたおたしない4番」のイメージを体現するものでもあった。

余計な動きは、加えたくなかった。
だが、引退を意識するところまで追い込まれたときに、考えが変わった。

どうせダメなら、やってみるか。



信じられないくらい、バットがスムーズに―


その日、中村は先発を外れていた。
試合前の打撃練習。右肩の前でシェーカーを振るくらい、思い切って腕を動かしてみた。

久々に快音が響いた。
信じられないくらい、バットがスムーズに出るようになった。

「驚きました。ここ数年よくなかったので、他にもいろいろ試しましたけど、あの変化は初めて。だからおそらく、これはいいんだなと」

「若いころは瞬発力があったから、静から動という反応ができた。でももう35歳ですから、同じやり方ではダメ。そういうことだなと」

長年のこだわりを捨てると、眺望が開けた。
先発復帰した試合では、いきなり2本塁打。

7~9月の打率は3割1分9厘。
8月にはリーグタイ記録の6試合連続本塁打も記録し、月間MVPにも輝いた。

ちょうど若手が夏場の優勝争いの中で疲弊し、軒並み調子を落としている時期だった。
入れ替わるように打棒を爆発させ、ソフトバンクや日本ハムの猛追を受けていたチームを救った。

チームが苦しいときに、いかに仕事をするか。
それはまさに、4番としてずっと求められてきたことでもあった。

「その時期に復調したのはたまたま。でも、また打てるようになったこと自体は、たまたまじゃない」

もともと、守備の軽快さや、意外な俊足ぶりなどは、陰りをみせていたわけではない。

「体つきを見て、もう動けないと思われるんでしょうけど、僕は生まれたときから太ってる。この身体で走って、守れるように鍛えてきた。昨日今日のデブとは年季が違うんですよ」

「しばらくは引退を考える必要もない。今はそう確信できてます」



「打ててよかったです」の真意


西武ファンは「あのコメント」が繰り返されるのを、ずっと心待ちにしていた。

「打ててよかったです」

中村がホームランを打った後に残す談話だ。
決まってこのワンフレーズ。何年も続けてきた。

あまりにもそっけない言葉。
打てたらよかったに決まっている。そう揶揄する声もあった。

しかし、長年繰り返すうちに「お約束」として受け入れられるようになった。

でもなぜ、いつも「打ててよかった」なのか。

「最初は正直、シーズンに50本近く打っていたから、いちいち考えていられないというのもありました」

肉がなくなった皿を重ねながら、申し訳なさそうに言う。

「ただ、言い続けるうちに、それは本心でもあるなということに気付いたんです。試合中にホームランを振り返るというのは、自分としてはちょっと違うかなと」

「試合に勝つのが目標で、ホームランは手段。だから、一発の価値が決まるのは、試合の結果が出てからです。談話が世に広まるころには、逆転されていることも、ざらにありますから」



亡き兄貴分にささげる優勝、そして…


シーズンは続く。
午後9時。早々に焼肉店を辞すると、中村はタクシーに乗り込んで宿舎へと戻っていった。

1週間後の9月30日。
西武は日本ハムに敗れたが、2位ソフトバンクの敗戦で優勝が決まった。

10年前と同じ、札幌ドームでの胴上げ。
だがそれ以上に、中村の胸に去来するものがあった。

胴上げの輪の外で、掲げられた背番号89。
昨年急死した、森慎二投手コーチのユニホームだ。

「普通なら投手陣とそんなに絡むことないんですけど、慎二さんは別でした。若いころ、高知の2軍キャンプ中に、急に声をかけられて」

「当時の慎二さんはでかい上に、ロン毛、茶髪で本当に怖くて。近寄らないようにしてたんですが」

「でもメシに誘ってもらって、お前は本当によく食うなと言って、そこからかわいがってもらうようになりました」

努めて淡々と語る。
感情のさざ波を抑えるように。

「いろんなところに連れていってくれた。いろんな話をしてくれた。いろんなことを教わった。亡くなったのは本当にショックでした」

「勝ててよかったです。慎二さんのためにも。それに、みんないい仲間ですから。本塁打王より、チームで勝つことの方が最高です」



優勝の余韻に浸りつつ、中村は言う。

「そろそろ『打ててよかったです』以外のことを言ってやろうかとも思うんですよね」

「『実は去年の対戦で…』くらいから振り返る、超絶長くて、細かい談話を突然出したら、みんなびっくりするでしょう」

サプライズの可能性を匂わせ、ニヤリと笑う。

「ただ、それをやるからには、本当にいい場面じゃないともったいないですよね」

「解禁」は、10年ぶりの日本一を彩るものになるのだろうか。

まずはクライマックスシリーズへ。
中村の戦いは続く。



【取材・撮影・文=塩畑大輔(LINE NEWS編集部)】

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