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娘たちが原爆のことを理解するまで。湘南MFミキッチ、日本でプレーを続ける理由

2018年8月15日 11:00 LINE NEWS編集部

 
3日、神奈川県平塚市・馬入ふれあい公園。
気温35度を超える暑さの中、練習を終えた湘南ベルマーレMFミハエル・ミキッチは「フウ、アツイネ」と笑ってみせた。

「平和」について、考えを聞きたい。
そう伝えると「ちょうど昨日、家族を広島に送り出したところなんですよね」と明かした。

愛車の後部座席のドアを開け、乗るようにうながす。
向かった先は平塚駅南口、行きつけのイタリアン・レストラン。

早々に注文を済ませると、柔和だった表情を引き締めて、切り出す。

「私の家族は、自分たちが何をすべきかを知っています。それは自分の言葉で、原爆の恐ろしさを世界に伝えることです」


「彼女たちが小さいころから、私は広島の平和記念公園に、毎日散歩に連れて行っていました」

遠い目で、ミキッチは振り返る。

昨年まで、サンフレッチェ広島に9年間在籍。
並外れた走力を武器に、3度のリーグ優勝に貢献した。

J史上屈指の優良外国人選手。
だが元をたどれば、母国クロアチアでは「次世代のスピードスター」と期待される存在だった。

世代別の代表でも活躍。
名門ディナモ・ザグレブでは、後にロシアW杯でMVPに輝くことになるモドリッチも兄貴分と慕う存在だった。

欧州チャンピオンズリーグでも本戦、予選あわせ19試合に出場。
当時ドイツ1部のカイザースラウテルンでもプレーした。

そんな国際的なキャリアの中でも特別な場所。
それが、日本だ。

「日本人の人柄の良さもそうですし、年長者を敬う精神もすばらしい。お互いに敬意を払いながら暮らしている」

「最初に選んだ広島という街が、それを感じさせてくれました。そして、Jリーグのレベルも非常に高い。スタジアム含めたオーガナイズ、環境もすばらしい」

世界的なモデルとして知られる妻のリュプカ・ゴイッチも、同じ様に日本を気に入った。
2人は、長女をインターナショナルスクールではなく、広島市内の普通の小学校に通わせた。

「彼女たちは、自分たちを広島出身だと思っています。日本語の読み書きが普通にできるのを通り越して、イントネーションだけは広島弁になってしまったほどです」

ミキッチは「ジャケノゥ」と言って、自分が発した言葉の響きに思わず笑う。

「去年、サンフレッチェ広島との契約は終了しました。それは残念でしたが、私は大好きになった日本にどうしても残りたかった」

「お互いを敬いながら、穏やかに過ごす日々。そうした日本のすばらしさを最初に教えてくれたのは、広島の人々でした」

ふうっと息を吐き、特別な重みを言葉に込める。

「私の家族は、広島に育ててもらった。だからこそ、そこで起きた歴史的事実からは、目を背けてはいけない。娘たちもそれはよく分かっています」


広島に加入した当初。ミキッチはまず、1人で広島平和記念資料館を訪れた。
資料写真、映像を見て、衝撃を受けた。

放射線に貫かれ、熱線に焼かれた、罪もない人々の姿。

「ザグレブの小学校でも、高学年で原爆のことは教わります。でも、実際に現地を訪れてみて、つらく、悲しい思いになった。誰もが目を背けずにいられるものではない。あまりにも痛ましすぎるから」

それでも「目を背けたくなる現実」を、欧州から広島を訪れる友人たちには必ず見せた。そして、娘たちにもあえて直視させる。

「特に彼女たちにとっては、自分が育った街の歴史ですから。そして、彼女たちも強い。すでに彼女たちなりに『自分に何ができるか』をきちんと考えてもいます」

「それは、世界の人たちに、原爆の恐ろしさを伝えること。二度と原爆と言うのは使ってはいけないと語っていく。広島で何が起きたのかを、自分の言葉で伝えることです」

妻のリュプカさんも、娘たちに範を示している。
SNSで、平和記念公園や原爆ドームの今を伝え続けている。

ミキッチも、娘たちが「語り部」になれるようにつとめて来た。
平和記念公園に頻繁に連れて行っただけではない。

「娘たちが、きちんと原爆のことを分かるようになるまでは、日本でプレーを続けると決めていました。ちゃんと理解しないと、伝えることはできないから」


38歳。
湘南とは単年契約を結んだ。

あと何年ここにいられるかは、分からない。
娘たちに転校を重ねさせないようにと、ミキッチは年始に家族をクロアチアに戻した。

しかし、いったん日本を離れても、家族にとって変わらず特別な日がある。それは広島の「原爆の日」だ。

ミキッチはそのタイミングにあわせて、家族を再来日させた。
家族団らんの時間もそこそこに、広島に向けて送り出す。

「原爆の日のセレモニーに参加するために、私の家族は広島に行きました。川に花を流したり、お祈りをしたり。特に娘たちには、特別な感情があります。原爆を落とされた街で育った、ということに」

自らも、幼少時にユーゴ内戦を経験した。
昨日まで、同じ国民。それが激しく対立し、銃を向け合う不条理を味わった。

「だからこそ、強く思います。戦争に、勝者はいない」

瞳の色が、すっと深みを増したように見えた。

「必ず死者が出る。悲しむ人がたくさん生まれる。少数の、誰かの都合で。だから二度と起きてはいけない」


サッカーが取り結ぶ縁で「ヒロシマ」のことも学んだ。
だからこそ、サッカーを通じて、平和の大事さを伝えていきたいとも思っている。

「可能な限り、日本でプレーをしたい。引退した後も、日本のサッカーに関われたらいいなと思っています。できれば広島で、監督をやれたらいい」

愛するJリーグのレベル向上に寄与するだけではない。
日本に留まれれば、ミキッチとミキッチの家族は、世界中のファンに向けて平和のメッセージを伝え続けることもできる。

「娘たちと同じです。自分にできることがあれば、私も世界平和に貢献をしたい」

会計を済ませたミキッチは、ドアを開けて駅前通りに出た。
夏の日差しがまぶしい。ポツリと言う。

「人生というのは、常に太陽が当たる道を歩むわけではない。時に行く手を、暗闇が阻むこともあります。大事なのは経験から、学ぶことだと思います」

あえて日なたに踏み出す。言葉にひときわ、力を込める。

「戦争は、二度と起こしてはいけない」


【取材・撮影・文=塩畑大輔(LINE NEWS編集部)】

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