熊本地震から2年、サッカー選手・巻誠一郎と熊本の今

04.13 11:00 LINE NEWS編集部

初夏を思わせる強い日差しに、高く舞い上がった背中が重なった。

4月初旬。熊本県益城(ましき)町の児童養護施設、広安愛児園。青々と芝が生い茂った中庭には、いつにも増して歓声が満ちていた。

「決めて!」。子どもたちの声援を受けて、ロアッソ熊本FW巻誠一郎は、強く地面を蹴った。代名詞のヘディング。シュートは見事に、仮設ゴールのネットを揺らした。

どよめきと拍手が一斉に起きる。クロスを上げたサッカー少女が、ホッとしたような表情で駆け寄ってきた。「ありがとう、いいボールだったね」。流れ出る汗もそのままに、笑顔で握手をする。

それをきっかけに、巻は殺到する子どもたちにもみくちゃにされた。「これだよ!『利き足は頭』だ!巻選手はこれで、W杯にも出たんだぞ!」。男性職員が興奮気味に、子どもたちに説明していた。

少しでも伝えたい、熊本の「現在」

 
「また来るけん!試合も見に来てよ!」。15日の"復興支援マッチ"東京ヴェルディ戦への招待券を配り終えると、巻は手を振って施設を後にする。

ずっと来たかったんですよね。被災地を回っている時、サッカー教室で広安愛児園の子に会う機会がありました。元気にしているかなと思って。今日は部活でいなかったんで、また来ます。

そうやって巻は「自分の目で見ること」「気にかけ続けること」を、復興支援活動をする上で自分に課してきた。

オシムさんは昔「巻はジダンになれないが、ジダンも巻にはなれない」って言ってくださいました。自分にしかできないことは、必ずある。僕は熊本に生まれて、今も熊本にいる。だからこそ足を運んで、自分の目で見る。

そうやって来たからこそ、見える部分もありました。今回はそういう部分を、少しでも伝えたいと思って、行き先を決めました。

──ナビはいらない。2年間、何度も行き来してきた被災地の道。迷いなく、アクセルを踏み込む。

「熊本地震はまだ終わっていない」

 
阿蘇の山並みが迫ってくると、国道57号は白川沿いの谷に入る。

左右の山肌は、2年前の地震によるがけ崩れで、ところどころ深くえぐれている。そして南阿蘇村・立野地区まで来ると、全面通行止めになる。

「迂回(うかい)しましょう」。1つ前の信号で、南方向に折れる。しばらく走ると、昨年8月末に開通した長陽大橋がある。

運転席の巻が、思わずまゆをひそめる。助手席側の窓からは、阿蘇大橋が崩落した谷が一望できた。

熊本地震の本震で、直下の断層が大きく動いた。緑に包まれていた谷は、ほぼ全体でがけ崩れを起こし、今もなお灰色の岩肌をむき出しにしている。直視しがたい、凄絶(せいぜつ)な光景。

これが、現実です。2年たって、記憶が風化しそうになっていますが、熊本地震はまだ終わってない。今もなお大変な思いをしている方は、たくさんいます。まずはこの橋のたもと、立野地区の皆さんに、会っていただきたいと思います。

大津に住む、立野の住民たち

 
立野の住民と会う―。
そう言いながら、巻が運転する乗用車は国道57号を大きく戻り、隣の大津町に到着していた。

集合場所の道の駅には、すでに住民がそろっていた。「お待たせしました!では、行きましょう!」。手配していたジャンボタクシー2台と、自分の乗用車に住民を分乗させ、再び被災地の道を行く。

着いたのは、益城町にある「焼肉もりかわ」。
総勢25人を、予約していた座敷席へと案内した。

こちらの皆さんは、立野に住まわれていた方々です。地震直後に、大津に避難されました。

──立野からの避難民に割り当てられた避難所は、企業の敷地内の体育館だった。分かりにくい場所にあり、被災地を熟知する巻でさえも、当初は存在を知らなかった。

1人の母親が、何度もためらった末に、巻のSNSのコメント欄につづった。「うちの避難所の子どもたちにも会ってやってください」。すると数日後、巻が大量の物資を持って現れた。

当時、SNSでいただくコメントは、すべて見るようにしていました。そういう生の情報こそが、避難されている方の助けになるものだと思っていましたから。

以来、巻は自分で定期的に訪れるだけでなく、周囲にも訪問を勧めた。大黒摩季、ナオト・インティライミなどが賛同し、避難所に顔を出した。住民が民間の賃貸住宅を借り上げた「みなし仮設住宅」に移った後も、交流は続いてきた。

熊本のために何かをしたいと思ったから

 
「巻さん、あのテーブル、もうお肉ないですよ」。そう話しかけた店員の森川泰臣さんは、かつてロアッソ熊本でプレーしていた。

益城出身。地震直後から巻とともに精力的にボランティア活動をしていた。その後、関東の社会人チームに移っていたが、地震で全壊した実家の焼き肉店が営業再開したのを機に現役引退。帰郷していた。

巻は森川さんの言葉にうなずき、子どもたちのテーブルに赴く。「遠慮しないで、もっと食べな!」と促している。

それを横目に見ながら、森川さんがつぶやく。

「地震のショックから立ち直れたのは、巻さんのおかげです。今、やるべきこと。そちらに目を向けさせてくれました。引退して帰ってきたのも、巻さんのように、熊本のために何かをしたいと思ったからです」

それを聞いていた大人たちも「巻選手には、子どもたちも救われています」とうなずきあう。

「うちの子は、大津の学校に移った当初は地震のショックもあって、登校したくないと言っていました。それが、避難所に巻選手が顔を出してくれるようになって、みるみる元気になったんです」

子どもたちが巻にじゃれ付き、笑い声を上げている。子どもたちの笑顔につられるように、大人たちも笑う。

「戻れるものなら、とっくに…」

 
しかし、立野の住民にとって、状況は決して良くなっているわけではない。先日、大学教授らによる説明会があった。地盤などの調査結果を説明し終えた専門家たちに、住民は率直に思いをぶつけた。

「先生は自分が立野の住民だったらどうするんですか?戻って住みますか?」

教授らは一瞬、絶句したが、それでも正直な意見を返した。

 
「益城、西原なら戻る。でも立野が地元だったら、私は戻らない。今回と同じような災害が、いずれ起きる。自分の子孫が苦しむと分かっているのに、戻ることはできません」

今度は住民たちが絶句する番だった。
いつかは元の暮らしに戻れるはず。それだけが、避難生活の心の支えだった。そんなささやかな望みまでが、打ち砕かれた。

帰り道。巻は車内で、おもむろに口を開いた。

山が崩れてくる危険が高いから、立野のみなさんは家には戻れない。地震から2年経つのに、帰還率はいまだ8%ほどだという報道もあります。でも、家のほとんどは、全壊しているわけじゃない。住もうと思えば、住めないこともないお宅もある。そこも問題なんです。

みなし仮設住宅に住めるのは2年間とされてきました。昨年、政府がそれを1年間延長できると決めた。一見、前向きなニュースですけど、立野の多くのみなさんには適用されない。家が全壊したような世帯が対象だから、と説明されているそうです。

戻れるものなら、とっくに戻っている。そう憤る方もいます。支援されないこと自体もそうですが、実情を見てもらえていないということへの憤りが大きい。ただ、その怒りの矛先になる地元の自治体の方も、同じ被災者なんです。そこが自然災害のつらいところです。

──真っ暗な夜道を、ハイビームで照らしながら進む。

自治体の皆さんも、懸命に頑張っています。明日はそちらをご覧いただこうと思います。

益城の100年後を左右する1年に

 
翌日、益城町の仮庁舎では、西村博則町長が巻を出迎えた。

いつも気にかけてくださって、本当にありがとうございます。

2年たちましたが、益城の現状はいかがですか?

これからようやく、仮設住宅を出る人が増えてくる段階ですが、そうなれば新しい問題が生じてくる。空き家が増えれば、防犯上の問題が出てくるし、残った方をどう見守っていくのかも課題です。いずれ各地の仮設住宅を集約しないといけませんが、そうなればご近所づきあいももう一度作り直しになってしまいます。

被災者支援の制度も、理解には差があるような気がします。

はい。一番心配なのは、どうしていいか分からない方です。もう一度家を建てるのか、災害復興住宅に入るのか。町からいろいろ提案させていただく必要があります。これまで同様のハード面の支援はもちろん、今後は生きる方向性、つまりソフト面の支援が大事になる。

大事な時期ですね。

今年は益城の50年後、100年後を左右するような、大事な1年だと思っています。職員は本当に頑張ってくれていますが、さらに無理をさせてしまうかもしれません。町民の皆さんには「どうか、職員をほめてやってください」とお願いしているんです。

西村町長は、阿蘇の山並みを指さす。

いい景色でしょう。私は益城町が好きです。だから、何とかしたい。

益城の現状を伝えるためと、西村町長は無理をして時間をつくってくれていた。巻は早めに仮庁舎を辞することにした。

乗用車の運転席に座ると、ポツリと言う。

西村町長と避難所で会うことは、ほとんどありませんでした。著名人が被災地に来てくれて、マスコミも集まった時なんかは、顔を出した方がいろんな意味で得だと思う。でも「トップが判断すべきことは山積している」と言って、執務をやめなかったそうです。

──すぐにはエンジンをかける気になれず、ため息をつく。

誰が町長になっても、みんなが納得するような形にはならない。大災害って、そういうものだと思います。文句を言われることも多い。すごく損な役回り。それでも西村町長は、いつも懸命にお仕事をされている。見ていて切なくなる。

地震直後は、大きく傾いた旧役場に寝泊まりしながら執務を続けていた。それで平衡感覚が狂ったためか、一時はめまいが止まらなくなったともいう。そんな西村町長が、笑顔で巻を見送っている。

運転席の窓を開け、深々と一礼してから、巻はアクセルを踏み込んだ。

地震の前よりも良くするために

 

誰も悪くない。みんな頑張っているんです。

──自分にも言い聞かせるように、つぶやく。

地震を機に、僕は熊本も、熊本の人たちも、今まで以上に好きになりました。だからこそ、良くしたい。地震前に戻すんじゃない。地震の前よりも良くする。そういう取り組みを考えています。

──乗用車は、巻の実家がある宇城(うき)市に着いた。市役所では、大津高校サッカー部時代の監督、平岡和徳さんが出迎えた。今は宇城市教育委員会のトップを務めている。

さっそくですけど、資料を持ってきました。

ありがとう。見せてもらうよ。

──巻はトップアスリートを、学校の授業に送り込む枠組みをつくろうとしていた。熊本地震後、多くのアスリートやアーティストが巻を頼って、被災地でボランティア活動をした。その時に、子どもたちの笑顔を見て、確信していた。

本物の輝きに触れてこそ、子どもたちは大きな夢を持てる。それはつまり、熊本が大きな夢を持てるということです。熊本の未来は、子どもたちにかかっていますから。

まずは恩師もいる宇城市で形に―。そうやって頼ってきた教え子を、平岡さんは頼もしげに見つめてうなずく。

よし。じゃ、この部分だけど、誠一郎はこれから具体例を集めるべきだ。先行して取り組んで、成功している事例はないか。

熱を帯びた打ち合わせは、延々と続いた。

熊本が、この人を必要としている

 
その晩。熊本市内での夕食会には、智子夫人も合流した。

もう、2年だね。長かったような、あっという間のような。

本震の夜を思い出します。津波警報が出たので、家族で高台に避難したんですが、途中で乗用車の列が動かなくなった。それを見て主人が夜道に飛び出して、交通整理を始めたんです。

しばらくしたら、智子がサッとLEDの誘導棒を手渡してくれました。あれ、車の中にあったの?

ふふふっ、と笑った智子夫人が、遠い目をする。

数日後、私と子どもたちは、私の実家がある京都に移りました。地震の夜からずっと、主人は県外から物資を取り寄せるルートをつくるために駆けずり回っていました。心配ですし、一緒にいたかったですけど、家に縛り付けるようなことはしちゃいけないと思いました。熊本が、この人を必要としていたから。

「目指す」ことにきっと価値がある

 
被災地レポート最終日。巻は熊本県民総合運動公園へと車を走らせた。陸上競技場では、車いすの女性が待っていた。中尾有沙さん。パラアスリートとして活動している。

立野の方なんですよね?

はい!今は大津に住んでいます。

──2015年日本陸上選手権、中尾さんは三段跳びで優勝。日本一のアスリートとなった。しかし翌年1月、150キロのウエイトをかけてのスクワット中に転倒し、そのまま下半身が動かなくなった。

「胸椎圧迫骨折による両下肢全廃」という診断だった。直後に、熊本地震が起きた。入院中で、自力で避難できない恐怖も味わったが、それ以上に胸に残るのは無力感だという。

巻さんをはじめ、皆さんが熊本のために奔走されているのを、私は病室のテレビで見ていました。何もできない自分が情けなく、みんなに申し訳ないと思っていました。

そんな時、車いすマラソンでパラリンピック出場3回、パラアスリートの先駆者である山本行文さんが見舞いに訪れてくれた。

パラアスリートへの転向を勧めてもらって、気持ちが変わりました。ケガのおかげで、新しい競技に出会えて、新しいチャレンジができる。そう思えたんです。

東京パラリンピックも近いですしね!

──中尾さんはうなずきながらも、少し困ったような表情を浮かべた。

でも、まだ競技歴も浅いですし…。

いえいえ。僕もね、そんな感じでしたよ。

──ほほえむと、巻は2006年W杯に出場した当時のことを語り出した。

大会の半年くらい前まで、僕がW杯出場メンバーに入る確率は、せいぜい10%くらいのものでした。でも、せっかくだから「目指す」と言って頑張ることにした。そうやって過ごす半年の方が、そうじゃない半年よりもきっと価値があると思ったんです。

真剣に耳を傾ける中尾さんの目を見て、真剣に語りかける。

実際、そうやって過ごした半年は、すごく充実していた。心も、身体も、技術も大きく成長した気がします。選ばれる、選ばれないは、時の運もある。でも、何かを目指して頑張るということには、かけがえのない価値があると思うんです。

──中尾さんが、感極まったような表情を見せた。

なんというか…すごくうれしいです。私も、東京パラリンピックを目指してもいいんですね!

──巻は深くうなずく。

もちろんです!中尾さんがパラリンピックを目指して頑張ることは、きっと立野の皆さんにとっても光になります。そうなれば、僕も本当にうれしい。

2人は力強く、握手をする。
阿蘇の山並みが、遠くから見守っている。


被災地・熊本は、数々の課題に直面している。
今も痛みにさいなまれている。不条理もある。

それでも、未来につながる希望は、確かに芽吹き始めている。

一筋の光が、阿蘇のふもとにさし込んでいる。

(取材・文 塩畑大輔、取材協力 ロアッソ熊本、編集 LINE NEWS編集部)

お知らせ

●「熊本地震復興支援マッチ」を実施
ロアッソ熊本では、熊本地震から2年となる4月15日のロアッソ熊本 vs. 東京ヴェルディ戦を「熊本地震復興支援マッチ」として実施します。
詳しくはこちらから

●巻誠一郎選手が代表を務めるNPO法人「ユアアクション」
https://www.youraction.or.jp/

続きはアプリで、快適に LINENEWS