被災したこの街で…愛媛FCが戦った30回目の"四国ダービー"

2018年8月14日 11:00 LINE NEWS編集部

耳を澄ませば瀬戸内海の波音が聞こえてくる愛媛県松山市・梅津寺(ばいしんじ)駅。そこから歩いてすぐの場所に、練習場「愛フィールド梅津寺」はある。

7月16日。
全国各地で記録的な暑さが続き、この日も30度を超える厳しい日差しが照りつける中、愛媛FCの選手はトレーニングを行っていた。

選手からは時折「暑い」という声が漏れている。サポーターは首に掛けたタオルで汗を拭いながら、わずかに伸びる木陰で練習を見守った。

選手たちは軽めのトレーニングを終えると、体をアイシングしながら、サポーターが差し入れたスイカを頰張っていた。

"とことん地域密着"を掲げる愛媛FCとサポーターの、まるで家族のようなつながりが感じられる光景だ。

しかし、そんな地域との距離の近さゆえに、前日に行われた徳島ヴォルティスとの一戦、"四国ダービー"は、いつにも増して背負うものが大きい試合となった。

各地に甚大な被害をもたらした西日本豪雨は、愛媛県内でも多くの犠牲を出した。県内各地では、7月8日の大雨特別警報発表前日から土砂崩れなどの被害が相次いだ。

その影響は、J2リーグを戦う愛媛FCにも及んだ。

愛媛県松山市菅沢町(すげざわまち)の「レインボーハイランド」にある練習場とクラブハウスが、豪雨による土砂災害で使用できなくなってしまった。

付近一帯は立ち入りが制限され、現在クラブハウスには許可を受けたスタッフのみが出入りを許されている状況だ。

幸い、愛フィールド梅津寺は被害がなかったため、練習に支障は出なかった。

しかし、わずかひと駅先の同県松山市高浜町は大きな被害を受けていた。

7月9日、練習場から程近いこともあり、状況を知ったクラブは、選手やスタッフら約30人でボランティア活動に参加。細い路地に流れ込んだ土砂をスコップでかき出し、一輪車で運ぶ作業などを手伝った。

体力には自信のある選手でさえ、簡単なものではなかったという。それでも、彼らは「しんどい作業」などとは思えなかった。

FW丹羽詩温は「あれだけ苦しんでいる人たちを見ると、当たり前のようにサッカーをやらせてもらっている自分たちはもっとやらないと、という気持ちになりました」と表情を引き締める。

DF林堂眞も「被災地でも『次の試合はいつなの?』『頑張ってね』と声を掛けてくれる方もいて、僕らが逆に元気付けられました」と振り返った。

時間がたち、泥が固まると除去はより難しくなる。愛媛FCの選手たちは、必死に汗をかいた。

「愛媛FCの人たちは、とても早いタイミングで来てくれてました」
「若い人たちの力はとても心強かったですよ」

ダービー戦当日の7月15日、高浜町を訪れてみると、住民からはクラブへの感謝の声が上がった。大勢がボランティアに参加しており、多い日では170人ほどが集まった。

この日も友人のFacebook投稿を見て、神戸から物資を持って駆け付けたという外国人女性2人の姿があった。

そうした人たちの協力もあり、愛媛FCの選手らが作業した一帯は土砂の撤去が進み、今は道に車が通れるほどになっている。

しかし、ずらりと並んだ住居の壁には、太もも辺りの高さに泥の跡がくっきりと刻まれている。汚れて使えなくなった家具を家の外に出している人もいた。日常を取り戻せる日は、まだ遠かった。

さらに道が細く、重機が入れない山側へと進む。そこにはいまだ手つかずの悲惨な光景が広がっていた。

墓地では重さ100キロほどはありそうな墓石が数十メートル流され、山道にゴロンと横たわっていた。

裏山からの土砂がガラスを突き破って中まで押し寄せた家や、一階が完全に埋まって表札が"足元"にある家もある。


そこで被災後、初めて家を見に帰ってきたという女性に出会った。

家の玄関は足を取られるほどにぬかるみ、正面のトイレにも泥が流れ込んでいた。土砂で押し流された家具で廊下はふさがれ、居間には入ることができない。

そんな変わり果てた家の様子を携帯のカメラで撮りながら、女性は何度も「すごい…」とつぶやく。

「前の家に住んどるおばあさんは元々病気やったけど、避難してそのまま亡くなったんよ。精神的なショックもあったんやないかな」と教えてくれた。

穏やかだった日常は、一瞬にして奪われてしまった。

隣の家に住む男性は、自分の家を見たときの心境を「夢かと思った。夢であってくれと思った。ショックやったよ」と振り返る。

ある男性は、建物の二階近くに残る土砂の跡を見て、「向かいに咲く花は無事やのになあ。不思議やな」と話した。

道を挟んだ山の斜面には、青いアジサイがどこか寂しげに咲いていた。

この辺りに住む人たちは、土砂撤去作業も進められない状況に肩を落とした。それでも、「もうどうにもならん。笑うしかないで!」と互いを慰めるように声を掛け、笑い合う姿は忘れられない。

今シーズンの愛媛FCは、開幕から4連敗を喫し、厳しいスタートとなった。ホーム戦の集客は昨季より減り、前半戦10試合の平均はリーグ最少の2822人を記録。

順位も最下位を抜けたと思ったらまた落ちて、を繰り返す状況が続いた。

第14節を終えた時点で、2勝4分け8敗の20位に低迷。7試合勝ちなしという状況で、クラブは5月15日、昨季から指揮を執っていた間瀬秀一監督との契約解除を発表した。

後任にはU-18チームを率いていた川井健太氏が就任。クラブの運命は、愛媛県出身の36歳(就任時)に託された。

その後もなかなか白星をつかめず、苦しみは続く。クラブは30回目の四国ダービーで、今シーズン初の連勝を手にして流れを変えたかった。

しかし、そんな頃、記録的な大雨が西日本を襲った。愛媛出身の選手には、地元が被災した者もいた。

DF玉林睦実は「昔よく釣りをして遊んだ場所も被害に遭った。最初に聞いたときは本当に悲しかった」と静かに語る。

このままサッカーを続けていいのか、という思いの一方で、自分たちにできることはサッカーで県民を勇気付けることではないか、と葛藤した選手も少なくなかったようだ。

徳島相手には約2年半勝ちがなく、容易に勝てる試合でないことは明らかだった。

サポーターは「今日だけは勝ちたい」「愛媛に明るいニュースを届けられるような試合が見たい」と力を込めた。

迎えたダービー戦当日。

試合前には選手たちが募金活動を行い、キックオフ直前にも会場全員が黙とうを捧げるなど、厳粛な雰囲気がスタジアムを包んだ。

キックオフの笛が鳴る。

サポーターからは熱のこもった応援が響いた。選手たちの表情もいつも以上に真剣に見える。

愛媛FCは序盤から押し込まれ、難しいゲーム展開となった。

失点してもおかしくない場面を何度も作られながら、最後はGK岡本昌弘が好セーブを連発。後半には、相手のシュートを顔面で止める気持ちの入ったプレーでチームを鼓舞した。

そして88分、ついにゲームが動く。

FW有田光希がミドルレンジから左足を振り抜くと、ボールはゴールポストに当たりながらネットに吸い込まれた。

この1点で、愛媛FCは徳島から5試合ぶりとなる勝利を手にした。客席には、泣いているサポーターの姿もあった。

ゴールを決めた有田は「スタジアム全体の一体感は今まで経験したことのないものでした」と興奮を隠しきれない様子で話す。

スタジアムを訪問していたJリーグの原博実副理事長も「こういう状況だからこそ、選手も一体になれたし、絶対勝つという気持ちがプレーに出た部分も多かった。それが結果につながった。クラブと被災地の状況がともに右肩上がりになっていけると良いね」と語った。

試合後、選手たちはサポーターの元へ向かい、"勝利のラインダンス"で喜びを分かち合った。

選手や客席からは笑みがこぼれる。

その横には「被災地域の希望になろう」との横断幕が掲げられていた。

西日本豪雨から8月6日で1カ月がたった。死者数は225人に上り、愛媛県内でも26人が亡くなった。

GK岡本が「愛媛の希望になりたいっていう思いがあります。試合でも支援活動でも、単発じゃなく続けていくことが大事」と話すように、クラブはささいなことでも少しずつ被災地への協力を続けていく。

愛媛県宇和島市の吉田高校サッカー部は、グラウンドに大量の土砂が流れ込み、部室が浸水して練習道具が使えなくなった。8月下旬には全国高校選手権大会の南予地区予選が迫っていた。

こうした急を要する状況にも何かできないかと、クラブは選手たちが使っていたスパイクや練習着を高校に送った。

8月6日には、川井監督とDF玉林の出身地でもある宇和島市をトップチームの全選手だけでなく、レディースチームの選手やスタッフも訪れて支援活動を行っている。

四国ダービーの勝利から、愛媛FCは4連勝を挙げた。J3降格圏からは脱出したものの、現在J2リーグ18位(8月12日時点)と、まだまだ気が抜けない状況が続く。復興支援と試合の結果を両立させることは容易ではない。

しかし、FW有田は「ボランティアで疲れが残るとかはない」と断言する。

「むしろ、愛媛の人たちのために、どんな状況でも勝ちたいと一つになれる」とも話すように、"県民のために"という思いが与えるポジティブな影響の方が大きい。

愛媛FCの応援歌「この街で」には、こんな歌詞がある。

「俺たちの愛媛 俺たちの誇り 俺たちと共に歩もう 愛するこの街で」

クラブと被災地は手をつなぎ、一歩一歩、前に進む。

(取材・文・撮影=和泉達也)

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