近鉄「推進」表明より半世紀以上前に検討
ふたつ以上の鉄道路線で直通運転を行うためには、基本的な規格がすべて統一されている必要があります。特に重要な規格が2本のレール幅(軌間)。通常の鉄道車両は車輪が車軸に固定されていて、ふたつの車輪の間隔を変えることはできません。このため、軌間が異なる路線を直通運転することはできないのです。
大阪、京都、滋賀の3府県を中心に鉄道ネットワークを展開している京阪電鉄。半世紀以上前にFGTの導入を検討していた(2014年7月、草町義和撮影)。
そこで考えられたのが、車輪の間隔を変えられるようにして、軌間が異なる路線でも直通できるようにした「軌間可変車両」((フリーゲージトレイン=FGT)。日本では1990年代半ばから、国や鉄道総合技術研究所(鉄道総研)、鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)などが中心になり、電車タイプのFGTの研究が行われています。
これは新幹線(軌間1435mmの「標準軌」)と在来線(同1067mmの「狭軌」)の直通運転を目的としたもので、2014年には第3次試験車両が完成。近年は九州新幹線・西九州ルート(長崎新幹線)への導入を目指して開発が進められてきました。しかし、高速域での走行試験で車軸に傷がつくなどのトラブルが発生し、開発スケジュールが大幅に遅延。車両の製造コストや維持コストも高くなると見られ、長崎新幹線への導入は事実上断念されてしまいました。
こうしたなか、関西大手私鉄の近畿日本鉄道(近鉄)が2018年5月15日、FGTの開発を推進すると発表しました。6月には同社の総合研究所にFGT開発推進担当役員を就任させる予定。まずは標準軌の京都線、橿原線と狭軌の吉野線に導入し、京都~吉野間での直通列車の運行を目指すようです。
これから研究を始めようという段階ですが、実現すれば近鉄が「日本初のFGT導入会社」になりそう。仮に実現しなくても「私鉄では初めてFGTの導入を検討した会社」ということになります……と言いたいところですが、実はいまから半世紀以上前の1960年代初頭にも、京阪電鉄がFGTの導入を検討したことがありました。
西武との競争機に「琵琶湖直通」を構想
京阪電鉄は、大阪市と京都市を結ぶ京阪本線や、京都市と滋賀県大津市を結ぶ京阪京津線などを運営している関西大手私鉄です。ただ、近鉄は標準軌路線と狭軌路線の両方を運営しているのに対し、京阪の路線は標準軌で統一されています。にも関わらず、なぜ京阪はFGTの導入を検討したのでしょうか。
新幹線と在来線の直通用として研究が進められてきたFGTの第3次試験車両(2014年11月、恵 知仁撮影)。
その背景には、滋賀県内に進出してきた西武グループとの競争がありました。戦時中の1943(昭和18)年、西武グループの起源といえる会社「箱根土地」が滋賀県内の交通事業者である近江鉄道を傘下に収め、戦後も琵琶湖周辺のホテルや湖上観光船、バス、スキー場開発などで京阪との競争を繰り広げていました。
京阪は1961(昭和36)年、経営が悪化していた江若鉄道を傘下に収め、再建支援を行っています。江若鉄道は京津線と接続している大津市内の浜大津駅から、琵琶湖の西岸に沿って今津町(現在の滋賀県高島市)の近江今津駅まで伸びるローカル線(江若鉄道線)を運営していました。京阪は江若鉄道の営業エリアを手中に収めることで、滋賀に進出してきた西武への対抗策としたのです。
こうしたなかで浮上したのが、京阪線と江若鉄道線の直通運転でした。1963(昭和38)、京阪は京阪本線のターミナルである天満橋駅から大阪市営地下鉄(現在のOsaka Metro)御堂筋線の淀屋橋駅に直結する地下線を延伸開業。これを機に京阪は、淀屋橋~(京阪本線)~三条~(京阪京津線)~浜大津~(江若鉄道線)~近江今津間の約112kmを結ぶ直通列車の運行を検討し、大阪からの観光客を琵琶湖西岸に呼び込んで江若鉄道線の活性化を図ろうとしました。
「京阪FGT」は道路も走っていたかも?
しかし、この直通構想には大きな問題がふたつありました。ひとつは動力。京阪本線と京津線は電車が走る電化路線だったのに対し、江若鉄道はディーゼルカーが走る非電化路線でした。ディーゼルカーなら電化路線も走れるため、直通列車で使う車両はディーゼルカーを採用することになり、京阪は江若鉄道のほか、国鉄線への乗り入れ用として当時ディーゼルカーを運転していた南海電鉄の協力を仰いだといいます。
路面電車のように道路を走る部分がある京津線。ここをFGTが走っていたかもしれない(2018年3月、草町義和撮影)。
そして、もうひとつの問題が軌間です。京阪本線と京津線は標準軌ですが、江若鉄道は狭軌。これでは直通運転できません。もと京阪電鉄社員の回想記によると、京阪は「標準軌間、狭軌間の若干部分に案内軌間部分をつくり、車輪の軌間を1435mm←→1067mmに自由に変更させる方法」(奥田行男「京阪電車と私(3)」『鉄道ピクトリアル』1984年1月増刊号)を直通運転の最終案としていたようです。
つまり、私鉄のFGTは近鉄よりも先に京阪が検討しており、しかもそれは電車ではなくディーゼルカーだったのです。この構想が実現していれば、煤煙(ばいえん)を噴き上げながら京阪本線を走るFGTを見ることができたに違いありません。さらに、京津線の一部は道路上に軌道を敷いた路面電車のような区間もありますから、世界的にも珍しい「路面ディーゼルカー」として運行されていたことにもなります。
ただ、京阪本線の淀屋橋~天満橋間は地下トンネルのため、ディーゼルカーの騒音と排出ガスをどう処理するかが問題に。走行ルートのうち京津線は勾配がきつく、ディーゼルカーでは勾配上で発進するのが難しいという問題もありました。結局、これらの問題を解決することができなかったようで、「京阪FGT」は幻に終わりました。
ちなみに、江若鉄道線は1969(昭和44)年に廃止。皮肉にもこの年、スペインの軌間可変車両「タルゴRD-III」を使った国際列車「カタラン・タルゴ」が運行を開始しています。江若鉄道線の跡地は国鉄新線の建設用地として売却され、1974(昭和49)年に京都方面と北陸方面を短絡する湖西線が開業しました。
地下に建設された京阪本線の淀屋橋駅。ディーゼルカーの騒音と排出ガスが問題になった(2010年7月、草町義和撮影)。
江若鉄道線の廃線跡(手前)と、同線の線路敷地を一部活用して建設された湖西線の高架橋(奥)(2013年12月、草町義和撮影)。
湖西線を走る新快速(2013年12月、草町義和撮影)。
いまでは大阪、京都方面から湖西線に乗り入れるJRの新快速列車が多数運転されており、「京阪FGT」は形を変えて実現したといえるかもしれません。
【地図】「京阪FGT」の運行想定ルート
「京阪FGT」の運行が考えられていたルート(国土地理院の地図を加工)。