三菱自初の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞モデル
1980年代後半は、日産「スカイラインGT-R(R32型)」「ユーノス・ロードスター」などが次々に発売された、まさに「日本車黄金時代」でした。そんななかで、「ギラリと」輝く存在感を見せる一台があります。1987(昭和62)年にデビューした、6代目「ギャラン」です。
6代目「ギャラン」(画像:三菱自)。
それまでの「ギャラン」は、どちらかというと大人寄りのモデルでした。タクシーの印象が強い方も多いかもしれません。車名には「Σ(シグマ)」や「Λ(ラムダ)」といったサブネームが付いていました。ちなみに、前者が4ドアセダン、後者が2ドアクーペです。6代目では、そのサブネームがなくなり、シンプルに「ギャラン」の車名が復活します。
この6代目「ギャラン」、見た目のインパクトが、半端ではありませんでした。それまでの三菱車は、スタイリングがちょっと華奢というか、まとまりがよすぎた印象がありました。それが、うねりのあるS字型モチーフをボディ主断面、テールランプ、バンパーに採用した「触感フォルム」のボディに生まれ変わり、いきなり筋肉質っぽいデザインになったのです。それも、リヤのホイールアーチからタイヤが張り出すような、わかりやすい「ムキムキ感」でした。
いまにつながる「筋肉質」はどう見えた?
さらにガツンときたのが、「逆スラントノーズ」です。「逆スラントノーズ」とは、真横から見た時、ボンネットの先端からバンパーに向かって、一回グッと内側に入り込むように見えるデザインのこと。通常の自然なラインと違って、あごを引いて上目遣いににらむような、精悍な印象になります。単純な開放感とは真逆な方向性。音楽で言う「短調の凄み」とでもいうのでしょうか。それが、「筋肉質」に絶妙な「知的さ」をプラスしてくれました。
「まじめで文系」っぽいイメージだったのが、ここでいきなり「体育会系、しかも賢げ」な魅力をまとった姿に変わり、「なんか、ちょっと見る目が変わっちゃった」と頬を赤らめるクルマ好きが続出。三菱として初めての「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したのもうなずけます。
6代目「ギャラン」のインテリア(画像:三菱自)。
走りの精度も見た目にたがわず、4WD車には、4バルブDOHCエンジン、VCU付センターデフ方式フルタイム4WD、4輪独立懸架、4WS(4輪操舵システム)、4ABSなどをまとめて「アクティブフォー」と名づけた、最新技術をふんだんに搭載。大型メーターを採用したインパネも、スポーティな印象でした。また、トップグレードの「VR-4」は、WRCでも活躍します。
デビュー2年後の1989(平成元)年には、ドイツAMG社と共同開発した「ギャランAMG仕様車」などというモデルも発売。マッチョ具合をアップさせるとともに、「ちょい悪」な雰囲気が加わって話題を呼びました。
周囲で見られたムーブメントは…?
6代目「ギャラン」が発売されたこの時代は、現在よりも「どのメーカーのクルマに乗っているかで自分を主張する」向きが強かったように思います。車好き同士で「技術の日産」、「走りのホンダ」と口角泡を飛ばしているなかで、さらりと三菱をチョイスする、という流れが、このモデルをきっかけに起きた気が、個人(下高井戸ユキ:ライター)的にはしています。さらに言うとそのひと癖ある選択から、間違ってもUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみをリヤに並べたりしないオーナー像で、「何、乗ってるの?」の質問に、「VR-4」と返ってくると、憧憬を混ぜた鼻息で、「ふーん」と返事をしていた覚えがあります。
6代目「ギャラン」は1987年10月発売(画像:三菱自)。
ちなみに、近所で偶然見かけた、現在も「VR-4」に乗られているオーナーさん(推定40代)も、ちょいと渋めの知的な男性でした。マイナーチェンジ前の、しかもどこも手を入れていない「どノーマル」な個体は、フロントの塗装が若干しんどい位で、今も上々な走りを楽しませてくれているそう。エアコンのガス漏れがあったり、後ろのワイパーをいたずらされたりと、30年近い所有期間にはいろいろあったそうですが、いいメカニックさんとの出会いもあり、末永く乗り続けるつもりだとか。羨ましいかぎりです。
「エポックメーカーなら『ディアマンテ』でしょ」とか、「『VR-4』は『ランエボ』の助走に過ぎない」などという声も聞こえますが、それでもやっぱり6代目「ギャラン」、「三菱を変えた一台」として、歴史に残る名車の一台と言えるのです。
【写真】6代目「ギャラン」のインパネまわり
大型のメーターが採用された、6代目「ギャラン」のインパネまわり(画像:三菱自)。