同日、同運賃で開業の「新宿~松本」「東京駅~松本」 明暗はっきり
高速バスには、同じ区間において複数の路線(事業者)が競合して運行しているケースがあります。首都圏~京阪神など大都市間を中心に、おおむね片道5時間以上の長距離区間では、「ウェブサイト上で、座席タイプ、運賃などを比較し選んで予約する」ことが定着し、多数のバス事業者が激しく競争しています。
一方、高速バス路線のほとんどを占める短・中距離区間では競合路線は意外と少なく、とりわけ後発参入の事業者が逆転するという「下剋上」はほとんど見ることができません。そのなかでも、いくつかの区間での競合の歴史をピックアップすると、高速バス路線を成功に導く法則が見えてきます。
バスタ新宿に停車するアルピコ交通の松本行き。路線開設当初は、東京駅発着も存在した(中島洋平撮影)。
1980年代半ば以降、高速バスは、起点側と終点側それぞれのバス事業者らによる「共同運行」が定着しました。当時の運輸省は、同じ区間に複数の高速バス路線を運行することを認めませんでしたが、1989(平成元)年ごろ、高速バスどうしが競合する「マルチ・トラック」を容認するようになります。
同年、東京~松本(長野県)において、新宿発(京王帝都電鉄<現・京王電鉄バスなど>/松本電鉄<現・アルピコ交通>)と東京駅発(ジェイアールバス関東/松本電鉄)が、同じ日に同じ運賃で開業しました。この2路線では、新宿発が圧勝し、東京駅発はわずか3年で廃止されています。
新宿発が人気を得た理由はいくつかあります。まず所要時間です。当時、首都高速は渋滞がいまよりも激しく、中央道(高井戸IC)へのアプローチに恵まれた新宿発の方が、ダイヤ上の所要時間が短いうえ渋滞で遅延するリスクも小さかったのです。
しかしそれ以上に大きかったのが運行頻度(フリークエンシー)です。当初、新宿発は8往復、東京駅発は4往復と差がありました。高速バスは「地方の人の都市への足」として定着しており、地方側在住のリピーターが利用の中心を占めますが、高速バスに慣れた乗客は、「用件に時間がかかってしまっても構わないよう、復路は遅めの便を予約しておき、もし早く終われば1本前に変更して帰宅する」というような使い方を好みます。地元のリピーターたちにとっては、便数の多さが大きな魅力なのです。いまでは、新宿~松本は24往復にまで成長しました。
新参者は辛いよ… 豪華バスで脚光を浴びるも敗退
2002(平成14)年、道路運送法が改正され高速バスを含む乗合バス分野への新規参入が認められると、貸切バス専業の事業者がさっそく高速バスに進出しました。たとえば仙台~福島や仙台~郡山では、もともと宮城交通ら既存の事業者が高速バスを運行していたところ、富士交通(宮城県)と桜交通(福島県)が共同運行で後発参入しています。
このとき、後発の富士交通はサロン室付きの豪華車両を投入するなどし、地元メディアで大きな話題となりました。また、後発事業者による駅前停留所の利用調整といった問題について、既存の事業者を公正取引委員会が注意するという事案も発生します。しかしながら、後発路線の側は苦戦し2005(平成17)年には事実上の廃止に追い込まれたほか、富士交通が経営破綻するまでに至ります。
同路線でも、やはり、運行頻度の差が勝負を決めたと考えられます。さらに、宮城交通や福島交通といった既存事業者は「地元の名士企業」として大きな存在感を持っているので、そういった事業者が運行する高速バスは地元のリピーターのあいだで定着しており、習慣的に利用されていたことも新規参入組への「浮気」を防いだと考えられるでしょう。
福島駅東口バスプール。2000年代に後発参入した高速バスは当初、乗り入れが認められなかった(成定竜一撮影)。
一方、後発路線の共同運行者であった桜交通は、同路線から撤退した後、仙台~東京に高速ツアーバス(募集型企画旅行形態)で参入し、いまでは東京や大阪に営業所や子会社を持つ大規模な高速バス事業者に成長しました。この仙台~東京は、さまざまな事情があり地元の既存事業者(この場合は宮城交通)が参入したのは2006(平成18)年です。それ以前からも同区間に高速バスが運行していましたが、市場開拓が十分ではありませんでした。
同区間の高速バス(既存の高速バス+高速ツアーバス)は、高速ツアーバス各社がウェブマーケティングを活用したことで、年間利用者数が約25万人(2005年)から約115万人(2011年)へと急増しています。このことは逆に言うと、「地元の名士」である地方の既存事業者が運行していた区間では、元から十分に市場が開拓されていたことを示しています。
一方、その「元からの市場」を、「元からの事業者」どうしが奪い合った例もあります。
昨日までの仲間が「競合路線」開業!? 結果は…
それが福岡~宮崎です。この区間を結ぶ高速バス、福岡~宮崎線「フェニックス号」は1988(昭和63)年に西日本鉄道、九州産業交通、宮崎交通の共同運行で開業、翌年からはジェイアール九州バスも参入し、4社がほぼ同じ便数を担当していました。予約発券窓口なども4社共通で一体として運行されていた同路線は、競合する鉄道が不便なことから順調に成長し、2008(平成20)年には28往復体制まで増便されます。ちなみにこの福岡~宮崎には高速ツアーバスも参入しましたが、各社1、2往復程度の「ニッチ商品」にとどまり、「フェニックス号」の圧勝が続きました。
ところが、2011(平成23)年、JR九州バスが同路線の共同運行から撤退し、独自に同区間で「たいよう」の運行を開始します。昨日までの仲間が突然ライバルになったのです。運行頻度が重要なことは同社も認識しており、最初から10往復を確保する意気込みの大きさでした。
しかしながら「たいよう」の乗車率は振るわず、わずか1年で「フェニックス号」の共同運行に「出戻り」することになります。たしかにJR九州バスは「フェニックス号」の運行で20年を超す実績がありましたが、乗客の多くは「地元の名士企業」としての宮崎交通や九州産交が開拓しており、これら2社の予約センターの電話番号を記憶し、あるいは2社の公式サイトからリンクで誘導される予約サイトから予約していました。大切なのは運行の実績ではなく「誰が顧客を握っているのか」という点であったのです。
ここまで見たように、短・中距離の昼行路線で後発参入が成功した事例はあまりありません(高速道路開業などで環境が一変した区間は除く)。しかし、逆転とまではいかずともほぼ互角に持ち込んだ数少ない例が、東京~小諸(長野県)です。
もともと、「地元の名士」千曲バスが西武バスらと共同で、池袋~小諸を1991(平成3)年から運行していましたが、2009(平成21)年、そこへ突然、JRバス関東が単独で新宿~小諸を開業したのです。同社は8往復から運行を開始し、いまでは最大10往復まで成長しました。千曲/西武は、小諸駅発着便と高速道路上の「小諸高原」停留所発着便を合わせて9往復です。
JRバス関東の路線に人気が集まった理由は3つあります。第一に、東京側の拠点が新宿で、千曲バスらの池袋より便利だったことです。第二に、ダイヤ設定です。地方側在住のリピーターには、東京になるだけ早く着く上り便と、東京をなるだけ遅く発車する下り便が人気で、JRバス関東の路線は、上り初便の新宿着が8時27分(小諸駅発5時20分)、下り最終便の新宿発は22時15分(小諸駅着1時15分)とそのニーズに応えています。地方はクルマ社会でパークアンドライドが定着していますから、早朝発や深夜着の便でも苦になりません。
第三に、予約発券方法、特に乗車便変更や払い戻しの便利さが異なります。両路線とも自動キャンセルが導入されており、予約後、期限までに決済(支払い)が必要です。しかし、JRバス関東は、乗務員がタブレット端末でリアルタイムの発券状況を確認できる「電子座席表」を導入していることから、スマートフォンなどでクレジットカード決済した後でも、発車時刻ギリギリまで簡単に変更、払戻が可能です。前述したとおり、地方在住のリピーターは、発車時刻直前にも便変更を多用します。高頻度運行の昼行路線は鉄道の自由席と競合することもあり、なるだけ柔軟に、気軽に乗車してもらえる環境づくりが重要です。
東京駅~松本線の撤退から20年近く経って参入したこの路線で、JRバス関東は、昼行路線の「勝ちパターン」を見つけたのかもしれません。
こうしてみると、高速バス路線が成功するためには、どのような乗客がどんな風に利用してくれているのかを正しく把握し、そのニーズに応えるよう真摯に取り組むことが重要だということがわかります。いわば、ビジネスの基本そのものです。そう考えると、万が一にも重大な事故を起こしてしまえばリピーターも離れてしまいますから、安全に運行を続けるという基本こそ、最大の成功の法則だとも言えます。
【写真】車体に大きく「VOLVO」 老舗事業者に敗れた豪華バス
仙台の富士交通は2002年、ボルボ製のエンジンを積んだ豪華バス「アステローペ」を福島県の路線に導入。豪華バスとして話題になるも利用は振るわず、経営破綻に至った(画像: spaceaero2 [CC BY-SA 3.0], from Wikimedia Commons)。
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