「新幹線の実験」をしていた施設がある
東海道・山陽新幹線には「のぞみ」「ひかり」「こだま」という3種類の列車があります。このうち「ひかり」は、1992(平成4)年に登場した「のぞみ」に次ぐ速達列車で、1964(昭和39)年の東海道新幹線開業当初から28年間は、各駅停車の「こだま」と2種類の列車での運行でした。
新幹線「ひかり」に由来する地名「光町」(2007年10月、恵 知仁撮影)。
その新幹線「ひかり」に由来する町名があります。その名も、東京都国分寺市「光町」。町内の複合施設「ひかりプラザ」には、かつての新幹線試験車両951形も保存されており、内部は「新幹線資料館」として公開されています。
どのようなゆかりがあるのでしょうか。国分寺市ふるさと文化財課に聞きました。
――なぜ列車名の「ひかり」が町名になったのでしょうか?
新幹線の開発段階から各種実験を行っていた鉄道総合技術研究所、当時は鉄道技術研究所といいましたが、この施設があったことから、新幹線「ひかり」にあやかり「光町」と名づけられました。
――もともとは別の地名だったのでしょうか?
はい。もともとは「平兵衛新田(へいべえしんでん)」という字名で、1966(昭和41)年に町名が整理された際に改名されました。
「ホットな話題」だった新幹線が地名に? 研究所はいまも「最先端」
――どのような経緯で新幹線の名前にあやかることになったのでしょうか?
詳しいいきさつはわかりません。このときの町名整理は大規模なもので、平兵衛新田のような古くからの字名がほとんど変更され、「南町」や「泉町」といった字名とは無関係の新たな町名が数多く誕生しました。「光町」もそのひとつで、おそらくは町の多くが鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)の敷地であり、また同研究所が新幹線の研究を行っていることが市民のあいだで知られ、当時のホットな話題であったことから名付けられたのでしょう。
国分寺市光町の「ひかりプラザ」に保存されている新幹線試験車両951形。
鉄道総合技術研究所の向かいに「ひかりプラザ」と「鉄道総研」バス停がある。
「ひかりプラザ」には国分寺市の教育センターなどが入居する。
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旧国鉄の研究機関である鉄道技術研究所を前身とする鉄道総合技術研究所では、いまもさまざまな技術開発が行われています。敷地内には試験用の線路もあり、試験列車が走るそうです。
前述の新幹線試験車両951形は1969(昭和44)年に製造され、1972(昭和47)年には山陽新幹線での高速試験において当時の電車で世界最高速となる286km/hを達成。本線での試験が終了したあとは鉄道技術研究所での各種試験に使用され、1991(平成3)年に国分寺市へ譲渡されました。
ちなみに、鉄道総合技術研究所では「昔の地名である平兵衛新田にちなんだ名称」という施設公開イベント「平兵衛まつり」を、1988(昭和63)年から開催しています。
【地図】「光町」の位置
国分寺市光町(青い点線で囲われた部分)はJR中央本線・国立駅の北側に位置し、鉄道総合技術研究所の敷地が多くを占める(国土地理院の地図を加工)。