採算はとれるのか? 不安のなか開発スタート
1969(昭和44)年2月9日、ボーイングの旅客機「747」が初飛行。それから今年(2019年)で50年を迎えました。
2011年の「パリ航空ショー」にて展示された、747型機の最新モデル、747-8(竹内 修撮影)。
その巨体から「ジャンボジェット」の愛称で知られる747は、価格も運用コストも高い大型機でありながら、1500機以上が生産された名機として航空史にその名を刻んでいます。しかし実のところ、ボーイングは当初、747の開発にはあまり乗り気はありませんでした。
1960年代の国際航空路線では、ボーイング707やダグラスDC-8といった、1950年代に開発された、乗客数150人から200人の旅客機が主力として使用されていました。当時の国際航空路線の航空券は現在に比べて価格が高く、707やDC-8でも十分に需要を充たすことはできていましたが、当時アメリカはもちろん、世界でも民間航空業界をリードしていたパンアメリカン航空で社長を務めていたジュアン・トリップ氏は、将来、国際航空路線の需要が右肩上がりになると予測。トリップ社長はボーイングに対し、707やDC-8の倍以上にあたる350人から400人の乗客が搭乗できる、超大型旅客機の開発を要求しました。
当時ボーイングは、1963(昭和38)年にアメリカ政府が進めていた、250人の乗客を乗せてマッハ2.7からマッハ3.0(音速の2.7倍から3倍)で飛行する「国産超音速輸送機計画」の開発担当社に選定されており、トリップ社長の求める超大型機の開発に全力を傾けることができない状況に置かれていました。最終的にボーイングは、「超音速旅客機の実用化後は、この超大型旅客機を貨物機に転用すれば採算がとれる」とするトリップ社長からの提案を吟味した上で、アメリカ空軍の戦略輸送機計画「CX-X」に提案したものの不採用となった、大型輸送機の技術を流用すれば開発コストを抑えることができると判断し、超大型旅客機の開発を決定します。しかし、その時点でもボーイングの社内には、当時の国際航空路線需要からかけ離れた巨大な旅客機を開発して、採算が取れるのかを不安視する声も少なからずあったと伝えられています。
空の旅を庶民に! 「ジャンボジェット」が果たした役割
のちに747となる大型旅客機の開発責任者には、707の開発などで経験を積んだジョー・サッター氏が任命されました。ただ、前にも述べたように当時のボーイングは超音速旅客機の開発に本腰を入れており、サッター氏の下には経験豊富ではあるものの、高齢で扱いにくいエンジニアが数多く配属されていました。またサッター氏には、パンアメリカン航空のトリップ社長が次々と繰り出してくる要求に立ち向かうという、エンジニアの領分を超えた仕事も課せられていたため、ボーイングの社内では、サッター氏は貧乏くじを引かされたと同情する声もあったようです。
日本政府専用「ジャンボジェット」、747-400(画像:航空自衛隊)。
しかしサッター氏は、部下となったベテランエンジニアを信頼し、彼らが仕事をしやすい環境を作り上げ、28か月間という短期間で747を完成させました。これにより名エンジニアの仲間入りをしたサッター氏は、次々と要求を繰り出したトリップ社長をはじめ多くの著名人から賞賛されましたが、のちにサッター氏は、世界初の大西洋横断飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグ氏から、「ジョー、あれ(747)はすごいな」という言葉をかけられた瞬間、それまでの苦労が最も報われたと感じたと述べています。
パンアメリカン航空以外の航空会社は当初、巨大すぎる747の導入に二の足を踏んでいましたが、1978(昭和53)年にアメリカで航空券の価格が自由化されると、世界の航空会社は多くの乗客を運べて客単価を下げられる747をこぞって発注。座席数の多い747の普及により航空券の価格が急速に下落したことで、それまで高値の花であった国際航空路線を含む空の旅が、庶民にとっても身近なものになりました。
のちに「クラシックジャンボ」と呼ばれるようになった、初期型の747の生産は652機で終了しましたが、1989(平成元)年からは、主翼に空力性能を向上させるウィングレットを装着し、燃費効率の良いエンジンへの換装や、機長と副操縦士だけで操縦できる操縦システムの導入など、大幅な改良を加えた「747-400」の生産が開始されます。同機は1991(平成3)年に、日本の政府専用機(特別輸送機)としても採用されています。
日本の空も席巻していた「ジャンボジェット」
前にも述べたように、747は1500機以上が生産されていますが、このうち113機はJAL(日本航空)に引き渡されており、同社は747を最も多く発注した航空会社という記録も持っています。JALが、需要は多いものの、騒音規制や空港の規模などから増便が難しい、大阪や北海道などと東京を結ぶ路線にも747の投入を求めたことから、ボーイングは離着陸回数の多い日本の国内線での使用を想定して、機体構造と降着装置の強化、ブレーキの改良などを加えた、事実上、日本専用モデルの「747SR(Short Range)」を開発しています。
JALに続いてANA(全日空)も747を多数導入したことから、一時は日本の空を席巻していた感すらあった747ですが、JALは2011(平成23)年3月1日、ANAも2014(平成26)年4月1日をもって、747の運航を終了しています。
NCA(日本貨物航空)が運用する貨物機型「ジャンボジェット」、747-8F(2018年1月、恵 知仁撮影)。
747の登場した1960年代から1980年代まで、FAA(アメリカ連邦航空局)とEASA(欧州航空安全機関)は、洋上を飛行する双発機(エンジン2基)が緊急時に1基のエンジンのみで飛行できる時間を60分以内に設定しており、このため長距離国際路線には、747のようなエンジンを4基装備した四発機や、ダグラスが開発したDC-10のような、エンジンを3基装備した三発機を使用せざるを得ませんでした。しかし1980年代以降、FAAとEASAが双発機の洋上飛行制限時間を段階的に緩和したことや、信頼性の高いボーイングの767やエアバスのA330のような双発機の登場により、四発機や三発機に比べて運航コストが安い、双発機の長距離国際路線への投入が可能になりました。
また、ボーイングが767に続いて開発した双発機の777は、400席以上の座席が設けられることから、JALとANAは747に代えて777を需要の大きな国内路線に投入。こうして747は、日本の旅客航空路線から姿を消すことになったというわけです。
50年目の空にも「ジャンボ」あり
前出の、日本政府専用機の747-400はJALが整備を担当していますが、JAL、そしてANAからも747が退役したことにより、日本国内での747の整備が困難になったことから、政府は2014(平成26)年8月に新政府専用機として、777-300ERの導入を決定。747-400は2019年3月末で、政府専用機としての使命を終える予定です。
ロシアのヴォルガ・ドニエプル航空が運航する747-8F。貨物搭載量が大きく機首部からの積み降ろしも可能な747-8Fは、100機以上の受注を獲得している(竹内 修撮影)。
ボーイングは2005(平成17)年に、胴体を5.7m延長して、乗客や貨物の搭載量を増大させると共に、燃費効率の良い新型エンジン「GEnx」を採用し、主翼端の形状を変更して、燃料消費量を抑え、かつ航続距離を延伸した747-8を発表しました。2019年1月の時点で、日本の航空会社は同機の旅客機型747-8Iを発注していませんが、これを導入したルフトハンザ航空が、羽田とフランクフルトを結ぶ路線に同機を投入しているほか、日本貨物航空も747-8の貨物機型である747-8Fを8機運航しており、当面は日本国内でも747型機の姿を目にすることはできそうです。
【写真】「ジャンボジェット」貨物機型のなかの様子
NCA(日本貨物航空)が運用する貨物機型「ジャンボジェット」747-8Fのメインデッキ。旅客機型であれば客席が並ぶところ(2018年1月、恵 知仁撮影)。