混雑緩和に効果のある複々線化
2018年3月、小田急電鉄は構想から半世紀をかけて、代々木上原~登戸駅間の複々線化を完成させました。朝ラッシュ時間帯の増発とスピードアップが実現し、ピーク混雑率は192%から151%へ大幅に改善しました。
JR御茶ノ水駅。ホームを方向別にするため、駅の前後で中央線と総武線が立体交差している。写真左下の神田川を渡る赤帯の電車は東京メトロ丸の内線(画像:写真AC)。
「複々線」とは上りと下りそれぞれ2線、合計4線の線路が並ぶ区間を意味してします。
ひとつの線路を上りと下りで共有する「単線」は、駅や信号所で対向列車と行き違う必要があり、すべての駅で交換を行ったとしても1時間あたり6本程度の運転が限界です。
これが、上りと下りでそれぞれ別の線路を走る「複線」になると、1時間あたり20~30本の走行が可能になります。つまり線路を倍にすると輸送力は3倍以上になるわけで、非常に効率が良いことから、複線が鉄道の基本形となっています。
ところが複々線化しても輸送力は倍以上には増えません。JR中央線でもピーク時間帯1時間に快速電車が30本、各駅停車が23本の合計53本。多くの路線では40~45本程度の運行です。
複々線は大きく分けると2種類 その特徴は
複々線化の最大の目的は、各駅停車と優等列車(快速・特急など)といった速度の異なる列車を効率的に運行ことにあります。駅以外でも追い越しが可能になり、また通過待ちのために停車する必要がなくなるため、各駅停車、優等列車とも所要時間が短くなるのです。
ちなみに一般的に、速い列車が走る線路を「急行線」、遅い列車が走る線路を「緩行線」といいます。
既存の複線路線を複々線化するのは容易なことではありません。開発の進んだ沿線に新しく用地を確保するための莫大な費用と、運転を継続しながら線路を増設するための長期にわたる工事が必要になりますが、かといって利用者が倍になるわけではないので、鉄道会社の経営にとって非常に大きな負担となります。
そのため複々線のほとんどが関東か関西のJR線、しかも国鉄時代に整備された区間で、10km以上の複々線区間を有する私鉄は、東武鉄道、京阪電鉄、小田急電鉄の3社に限られています。
東急東横線は田園調布~日吉間が「方向別複々線」になっており、目黒線が乗り入れている(2009年10月、恵 知仁撮影)。
複々線の配線は「方向別複々線」と「線路別複々線」の大きくふたつに分類できます。
方向別複々線とは、同じ方向に進む線路が隣同士に並んでいるタイプで、JR西日本の東海道本線・山陽本線(草津~新長田間)や、私鉄の複々線区間の多くがこの構造です。同一ホームの対面乗り換えが可能で、急行線と緩行線を一体的に運用できるのが最大の利点です。
線路別複々線は、通常の複線がふたつ並んでいるタイプで、JR東日本の複々線区間のほとんどがこれにあたります。東京~横浜間の東海道線と京浜東北線や、中央線・常磐線・総武線の「快速」と「各駅停車」のように、各路線が独立して運行しているため、実態としては異なる路線が2本並行していると感じるかもしれません。
東京の「線路別複々線」が造られた背景
なぜJR東日本とJR西日本で複々線の形態が異なるかというと、複々線化が進められた時代の違いに由来します。
20世紀初頭に電車の運行が始まると、蒸気機関車が牽引(けんいん)する旅客列車や貨物列車と、電車が同じ線路上を走るようになります。停車駅や速度、加速度が異なる車両が混在すると運行の効率が落ちるため、1910年代から1920年代半ばにかけて、東京近郊の東海道本線では列車線と電車線(後の京浜東北線)、山手線では旅客線と貨物線(現在の埼京線の線路)を分離する、線路別複々線化が行われました。
続いて1927(昭和2)年から1933(昭和8)年にかけて中央本線の御茶ノ水~中野間が複々線化されますが、これまでとは異なり列車と電車、旅客と貨物の分離ではなく、速い列車(急行線)と遅い列車(緩行線)を分離して、急行線に料金不要の急行電車(現在の快速電車)を走らせたのです。
そして、東京行きの急行線と総武線に直通する緩行線が分岐する御茶ノ水駅は、線路を立体交差させて、同一ホームで対面乗り換えができる構造にしました。
同じころ、関西でも大阪~神戸間及び京都~大阪間の電化と方向別複々線化が進められ、新快速の祖先にあたる料金不要の急行電車の運行が始まります。並行する私鉄と熾烈な競争を繰り広げた京阪神エリアでは、方向別複々線を中心とした独自の電車文化が発展しました。
1930年代に花開いた国鉄の電車ネットワークですが、残念ながら東京では方向別複々線は定着しませんでした。
戦後、高度経済成長期に爆発的に増加した通勤・通学利用者に対応すべく、主要路線の複々線化計画「通勤五方面作戦」が推進されることになりますが、混雑率300%超という異常事態を一刻も早く緩和するために、駅の設置や線路の切り替えに費用と時間のかかる方向別複々線ではなく、既存の線路に沿って線路を増設しやすい線路別複々線が採用されました。御茶ノ水駅のような方向別複々線構造の乗換駅も設置できず、乗り換えの不便さは解決されませんでした。
いろいろと不満の多い首都圏JR線の複々線区間ですが、当時の混雑状況を考慮すればとにかく「質より量」の時代。複々線化が遅れていたら、通勤・通学輸送は破綻していたでしょうから、やむを得ない決断でもありました。
乗り換え階段を歩きながら、そんな先人の努力にちょっと思いをはせてみては……いえ、そんな暇はなさそうです。
【写真】肩を並べて走る関西のJR線
方向別複々線の区間を並走する321系の普通列車と223系の新快速(画像:photolibrary)。
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