毎日運転の定期列車はわずか2本
日付をまたいで運転される「夜行列車」。寝ている間に目的地に移動できることから、時間を節約できるというメリットがあります。
東京~出雲市、高松間の寝台特急「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」。日本で毎日運転されている夜行列車はこれだけだ(2016年4月、草町義和撮影)。
たとえば、出張先に朝早く着かなければならない場合、前日の早いうちに会社を出て目的地に入って泊まらなければなりません。夜行列車を使えば、会社を夜遅くに出ても朝早くに目的地に着き、仕事に間に合います。
日本でも、かつては多数の夜行列車が運転されていました。1974(昭和49)年10月号の『国鉄監修 交通公社の時刻表』によると、東京駅を発車する東海道、山陽方面の夜行列車(毎日運転の定期列車のみ)は12本ありました。その多くは車内にベッドを設けて寝られるようにした「寝台列車」です。
10時00分 急行「桜島・高千穂」西鹿児島行き
16時30分 寝台特急「さくら」長崎、佐世保行き
16時45分 寝台特急「はやぶさ」長崎、西鹿児島行き
17時00分 寝台特急「みずほ」熊本行き
18時00分 寝台特急「富士」西鹿児島行き
18時20分 寝台特急「出雲」浜田行き
18時25分 寝台特急「あさかぜ1号」博多行き
18時55分 寝台特急「あさかぜ2号」博多行き
19時00分 寝台特急「あさかぜ3号」博多行き
19時25分 寝台特急「瀬戸」宇野行き
21時30分 寝台急行「銀河1号・紀伊」大阪、紀伊勝浦行き
22時45分 寝台急行「銀河2号」大阪行き
※「西鹿児島」は現在の鹿児島中央駅
それから40年以上が過ぎた2018年5月時点では、貨物列車を除いたJR線の定期夜行旅客列車は、東京~出雲市間を結ぶ寝台特急「サンライズ出雲」と、東京~高松間を結ぶ寝台特急「サンライズ瀬戸」の2本だけになりました。この2本は東京~岡山間では連結して走りますから、東京駅ではわずか1本しか発着していないということになります。
昔の夜行列車は「高速交通機関」だったが…
貨物列車はいまも夜行運転の列車が多数ありますが、旅客の夜行列車はなぜ、ここまで減ってしまったのでしょうか。その最大の理由は、高速交通の発達で「夜行列車の利点を生かせる区間」が減ったためといえます。再び時刻表の1974(昭和49)年10月号で、東京~広島間での「利点」を調べてみましょう。
夜行列車は新幹線や飛行機など高速交通機関の発達で衰退した(画像:photolibrary)。
新幹線の最終便(岡山~広島間は在来線特急に乗り継ぎ)は、東京駅を15時に発車。夕方に入る前には出発しないと、その日のうちに広島には到達できません。飛行機も東京(羽田)を17時25分に出発するプロペラ機のANA689便が最終。空港までのアクセスを考えると、さらに早く出る必要があります。
しかし、夜行列車は18時以降に限っても「富士」「あさかぜ」の計4本あります。新幹線や飛行機の最終便に間に合わなくても、夜行列車なら東京を出発する時間を数時間ほど遅らせることができたのです。
いっぽう、始発便は新幹線と在来線特急の乗り継ぎが広島12時47分着で、正午を越えます。飛行機でも始発便の広島着は10時。これに対して「富士」「あさかぜ1~3号」は朝の6~7時台には広島駅に到着し、新幹線や飛行機より数時間も速く到着できます。寝ている間に移動するとはいえ、夜行列車はある意味、昼間の列車や飛行機よりも速い「高速交通機関」といえたのです。
しかし、その後は山陽新幹線の延伸開業や飛行機のジェット化、早朝便や深夜便の強化などが進み、昼間の交通機関の利便性が高まりました。2018年5月時点の東京~広島間は、始発便が新幹線「のぞみ99号」(品川6時00分→広島9時41分)とJAL253便(羽田6時55分→広島8時20分)。「富士」「あさかぜ」には及びませんが、それほど遅くない時間帯に到達でき、前日の夜に出発する必要が少なくなりました。
もちろん、これより早く着かなければならない場合は前日の最終便に乗って泊まらなければなりません。ただ、2018年5時点の最終便は、新幹線が東京19時50分→広島23時55分、飛行機が羽田20時25分→広島21時50分。前泊でも、東京駅を19時に出発していた「あさかぜ3号」よりも出発時間を遅らせることができるようになったのです。
価格面でも不利になった夜行列車
このように、昼間の交通機関の高速化が進んだため、「昼間の交通機関の最終便より遅く出発して、朝の始発便より早く着ける」という夜行列車の利点が縮小。わざわざ夜行列車に乗る理由がなくなり、利用する人が減ったといえます。
価格面でも夜行高速バスやLCCの登場で不利になった(2016年4月、草町義和撮影)。
また、価格の面でも夜行列車は不利になりました。東京~広島間の所定の運賃と料金は、1974(昭和49)年時点で新幹線と在来線特急の乗り継ぎ(普通車指定席)が6960円。飛行機は1万5800円でした。これに対して寝台特急は6510円(開放3段式B寝台の上、中段)と安く、所要時間や時間帯のことを考えなくても夜行列車を利用するメリットがあったのです。
しかし、国鉄が1976(昭和51)年に大幅値上げを行ったことで飛行機との差が縮まったことや、高速道路の整備が進んで運賃の安い夜行高速バスが各地で相次ぎ登場したこともあり、価格の優位さは失われていきました。これに加えて近年は低運賃の航空便(LCC)も登場し、夜行列車にとどめを刺したといえます。
ちなみに、海外でも夜行列車は減少の傾向にあり、とくに欧州では高速鉄道の整備に伴い運行区間の短縮や廃止が相次いでいます。ドイツを中心に運行されていた夜行列車「シティナイトライン」は、運行会社が2016年に夜行列車の事業から撤退しました。
欧州でも夜行列車は衰退している。写真はウィーン~ベルリン間の夜行列車(2010年6月、草町義和撮影)。
中国では高速鉄道が整備が進んでいるにも関わらず夜行列車は盛況だ(2016年1月、草町義和撮影)。
これに対し、中国では高速鉄道の整備が進んでいるにも関わらず、夜行列車が多数運行されています。もっとも、中国の場合は政策により鉄道運賃が安く抑えられており、運賃面のメリットを考えて夜行列車を利用している人が多いようです。運賃政策が大きく変われば、中国でも夜行列車が衰退する可能性はあるでしょう。
【写真】サービス向上目指した「サンライズ」の個室寝台
寝台特急「サンライズ出雲」のB寝台1人用個室「シングル」。夜行列車はB寝台のスペース拡大(3段→2段)や個室寝台の導入などのサービス改善が行われたが、衰退に歯止めがかからなかった(2017年1月、草町義和撮影)。