人生を変えた1枚のふんどし

05.15 16:55 東京新聞

<ひと物語>「日本ふんどし協会」会長・中川ケイジさん

 機能性に優れる日本伝統の下着の良さに気付いてもらおうと、ファッション性豊かなふんどしのブランド「SHAREFUN(しゃれふん)」を創設し、生産から販売まで手掛ける。

 普及のために「日本ふんどし協会」も設立し、会長を務める。二〇一五年から妻の実家がある水戸市に居住し活動している。

 運命を変えた一枚に出会ったのは七年前。美容師から転職し、兄が経営していた東京のコンサルティング会社で働いていた時だった。思うように業績を上げられず「誰からも、ありがとうと言ってもらえていない」と思い悩む日々。会社へ行くのが苦痛で仕方がなくなっていた。

締め付けなし、通気性良し

 そんな時、取引先だったサプリメント会社の社長から「下着をふんどしに変えたら体調が良くなった」と聞かされた。そのやりとりで久しぶりに心の底から笑うことができ、「自分も試してみよう」と思った。

 すぐに一枚購入して試したところ、ゴムの締め付けがない上に通気性も良く、快適そのもの。心の不調から来る睡眠障害も、ふんどしだとぐっすり眠ることができた。うつ病と診断されて休職に入ったが、ふんどしを着けるのがささやかな楽しみになった。

 療養中、どう生きていくか自問自答し続けた。「美容師もサラリーマンも中途半端。起業するしかない」と道を定め、自分の気持ちを前向きにしてくれたふんどしに懸けることにした。

「ふんどしの日」女性から反響

 最初の一枚を買い求めた際、デザインや色などの選択肢が少ないことに物足りなさを感じていた。そこで従来なかったおしゃれなデザインや包装を考え、一一年冬からインターネット上で売り出した。

 翌年、バレンタインデーの二月十四日を語呂合わせで「ふんどしの日」としてPRしたところ、プレゼント用として好評を得た。購入した女性からは「レディース用はないのか」と問い合わせを受けた。タイトな下着に対するストレスが女性の方が大きいと気付かされ、開発に取り組んだ。

 販売が軌道に乗ると、テレビなどのメディア露出が増え、百貨店でも取り扱われるようになった。起業以来、認知度アップに一定の手応えを得た一方、最近はインターネット上に類似品が出回るなどの悩みも抱えるようになった。

「自分をいたわるスイッチに」

 そこで今夏以降、ブランドを見つめ直そうと考えている。「必要としてくれる人のため、丁寧に販売したい」といい、販売も自社のサイトに限定する方針だ。

 「美容師やサラリーマンの仕事が順調だったら、ふんどしに興味も持たなかった」と振り返る。「物としての下着を販売しているつもりはない。ふんどしはコミュニケーションツールにもなるし、睡眠時に疲れた自分をいたわるスイッチにしてほしい」。言葉の端々に、並々ならぬふんどしへの思い入れがのぞいた。 (越田普之)

<なかがわ・けいじ> 本名は中川啓次。1976年12月、兵庫県芦屋市生まれ。駒沢大経営学部卒。阪神大震災では自宅の全壊を経験した。現在、地域貢献の取り組みに力を入れる。大型連休中には、大洗町の旅館とホテルで宿泊者にふんどしをプレゼントし、使い心地をPRした。今後、障害者就労支援施設と連携し商品の袋詰めなどを通じ雇用創出につなげようと思い描く。

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鎌倉の大行列「地元住民を優先」…観光客の反応は?

05.15 16:55 中日新聞社

江ノ電の乗車待ち行列、最大100m

 神奈川県の鎌倉市は十一日、ゴールデンウイークの混雑中に江ノ電鎌倉駅で入場規制をした際、沿線住民らが優先して改札内に入り、乗車できるようにした社会実験の結果をまとめた。実験対象だった三~四日のうち入場規制があったのは四日のみで、住民ら八十五人が、事前に市が発行した証明書を利用して入場した。

 証明書は江ノ電長谷-腰越間の在住・在勤・在学者が対象で、申請に基づき千四百七十一枚を発行。四日は午前十一時ごろから駅前に乗車待ちの行列ができ、最大で約百メートルに及んだ。

今月4日、江ノ電鎌倉駅前にできた乗車待ちの行列

アンケートに8割が「理解」

 市は、乗車待ちの列に並んでいた観光客百十八人にアンケートを実施。今回の社会実験についてどう思うか尋ねたところ、「理解できる」(47・5%)と「おおむね理解できる」(28・8%)が合わせて約八割を占めた一方、「理解できない」(2・5%)、「あまり理解できない」(5・9%)との回答もあった。

 証明書の発行を申請した住民らにもアンケートを配布しており、市は今月中に回収して効果などを確かめ、今後の対応を考える。(北爪三記)

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東京で見たすごい雲 昭島の写真家・瀬戸豊彦さん写真展

05.14 16:55 中日新聞社

 雲を撮り続けている東京都昭島市の風景写真家瀬戸豊彦さん(72)の展覧会「東京で見たすごい雲」が、今月から八月にかけて、多摩地域の三カ所で開かれる。竜巻被害をもたらした巨大積乱雲や夕日に赤く染まった雲など、さまざまな表情をとらえた作品が展示される。 (服部展和)

 瀬戸さんは約二十年前から雲を追い掛けるようになった。風景写真を撮影するなかで作品の出来を左右する空の表情に着目したのがきっかけ。天気図や天気予報をチェックして雲の発生場所を予測し、豊島区の高層ビルや国営昭和記念公園(立川市、昭島市)など見通しの良い場所から狙いを定めるという。

 写真展では、積乱雲を中心に、巻積雲(うろこ雲)や高積雲(ひつじ雲)など多種多様な雲の姿を紹介する。二〇一三年九月二日に埼玉県越谷市などに竜巻被害をもたらした巨大積乱雲は、約百枚を連続撮影した一コマだ。幅一メートル~八十センチの各作品には、当時の気象状況が分かるように天気図と解説文を添える。

埼玉県越谷市などに竜巻被害をもたらした巨大積乱雲は豊島区から撮影した=瀬戸豊彦さん提供

 瀬戸さんは「雲は美しさで癒やしてくれるときもあれば、災害をもたらす恐ろしい面もある。空を見上げるきっかけにしてもらえれば」と話している。

 写真展は今月十八日~六月二十四日に昭和記念公園花みどり文化センター、七月三日~八月二十六日に小平市ふれあい下水道館、七月五日~十日に多摩市の京王聖蹟桜ケ丘ショッピングセンターAB館五階連絡ブリッジギャラリーで開催。重複した作品を含め、それぞれ三十点、二十点、二十五点を展示する。いずれも入場無料。

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フィーバーをもう一度 人気じわり ディスコ50年

05.14 16:55 東京新聞

 日本にディスコが誕生して今年で50年となる。1990年代のバブル崩壊と長引く不況で徐々に姿を消し、特定のジャンルの音楽をかける「クラブ」に取って代わられたが、ここに来て、日曜日の昼間やホテルで開かれるディスコイベントが静かな人気を呼んでいる。ディスコ復活の兆しを探ってみた。 (池田知之)

 「サンデーディスコにようこそ!」。東京・西麻布のホールにDJ OSSHYオッシーさん(52)の声が響く。76年の大ヒット曲、アバの「ダンシング・クイーン」が流れると、大きな歓声が上がる。客層の中心は40~50代。ミラーボールが回る中、約150人が無邪気に踊り続けた。

DJブースからサンデーディスコを盛り上げるDJ OSSHYさん=東京・西麻布で

 埼玉県蕨市の女性(24)は父親(59)と一緒に訪れた。「昔の曲も違和感はない。新鮮です」と笑顔だ。1~2カ月に1回開かれるイベントに父娘でほぼ毎回参加する。20代のころにディスコでよく遊んだという父親は「娘と一緒に楽しめるのがいい。昼間のイベントなので親としても安心です」と笑う。

 2012年からFM局でディスコ番組のパーソナリティーを務めるOSSHYさんは「昼の番組だが、子育て主婦や中高年のリスナーの反応が良かった。昼の方が健全で来やすいと思った」とイベントの狙いを明かす。

 六本木の高級ホテル「グランドハイアット東京」で昨年末に開かれたディスコイベントには約1300人が来場。14年から毎年1~2回開き、楽しみにしている客も多いという。渋谷のセルリアンタワー東急ホテルでも15年以降、計3回開催。東京スカイツリーで昨年2~3月と今年1~2月の金曜夜に開かれたディスコイベントは冬の風物詩になると期待される。

 伝統の名前を継ぎ、10年に開店した「マハラジャ六本木」も週末には250人ほどの客でにぎわう。1980~90年代に全国で50店舗以上を展開した運営会社とは別の経営だが、金色のゾウをシンボルにするなど、当時のイメージも継承する。

 店によると、2年ほど前に比べて客は3割くらい増加。大阪や名古屋に次いで、昨年は京都や仙台にも姉妹店がオープン、人気は地方にも広がりつつある。

 75年に新宿で開店し、さまざまな文化人が集ったことから伝説のディスコとされる「ツバキハウス」で店長を務め、その後「芝浦GOLD」など有名店の立ち上げに関わった佐藤俊博さん(66)は、最盛期に六本木で100店近く、新宿で約50店のディスコがあったと証言する。

 東京・赤坂に日本初のディスコ「ムゲン」が開店したのが68年。米映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が日本公開された78年は日本のディスコの「大衆化元年」とされる。バブル期の「ワンレン」「ボディコン」「お立ち台」は社会現象にもなった。

1987年2月の閉店を前に、クリスマスイブでにぎわうディスコ第一号の「ムゲン」=東京・赤坂で

 しかし、バブル崩壊でブームも終焉(しゅうえん)。その後は音楽の多様化もあり、ヒップホップやレゲエを専門的にかける「クラブ」が主流に。ディスコとクラブを分ける明確な定義はないが、クラブDJでもあるOSSHYさんは「ディスコがデパートで、クラブは専門店」と説明する。

 ディスコ文化の静かなブームにレコード会社も注目する。ユニバーサルミュージックは3月、人気のディスコ曲を集めた3枚組みCD「レッツ・ディスコ」を発売。5000セットが売れれば好調とされる中、1万5000セットを出荷し、期待の大きさを反映した。ソニー・ミュージックも6枚組みCD「オール・ザット・ディスコ100」をリリースし、5000セットを出荷している。ユニバーサルの担当者は「分かりやすいメロディーの曲が多く、広く受け入れられやすい」と話す。

◆最後の決めはTRFだね! DJ  KOOさん

 デビュー二十五周年を迎えた音楽ユニット「TRF」のリーダーDJ KOO(コー)さん(56)のキャリアは、ディスコのDJから始まった。個性的なキャラクターが愛され、バラエティー番組でも活躍する人気者に、自らのルーツへの思いを聞いた。

インタビューに答えるDJ KOOさん=東京都港区で

-ディスコとの出会いは?

 一九七九年、専門学校生だったころです。新宿のディスコなどで遊びまくっていました。専門学校のサークルのパーティーでディスコをする時があって、DJっぽく「さあ、今夜も盛り上がっていこう」とまねしたら、意外とイケてて。十九歳のとき、新宿にあったディスコで見習いを始めました。店ではDJブースの掃除をして、先輩がかけたレコードを覚えて仕事を学びました。DJ仲間とリミックスチームを組んでCDを出し、久保田利伸さんや早見優さんの依頼で、楽曲のダンスミックスの仕事もするようになりました。

-TRFをプロデュースした小室哲哉さんとの出会いは?

 九〇年代初め、小室さんがTMネットワークと同時にソロ活動もしていたころです。当時、ロンドンでレイブイベント(一夜限りの大規模なダンス音楽イベント)が人気で、新しい音楽に敏感な小室さんは、レイブを日本で開きたかったんです。それならDJとボーカル、ダンサーが必要だろうと結成されたのがTRFでした。

-今でもディスコやクラブで活躍している。選曲は事前に決めている?

 決めた通りにはいかない。お客さんのノリを見て、ピークで盛り上がるようにその場で選曲しています。とにかくお客さんに元気になってもらおうと。忙しく働いている人や勉強している人、そうでない人も「よーし、元気になったぜ」と帰ってもらえたら最高です。やっぱり最後はTRFの曲で決めたいですね。プロレスの決め技じゃないですけど。

サンデーディスコを楽しむ人たち=東京・西麻布で

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下町の情緒を切り撮る 12日から町屋で写真展

05.11 16:55 中日新聞社

 東京都荒川区の情緒ある町並み、人々の生活を記録した写真展「わがまち下町荒川」が十二日、区内の町屋文化センター(荒川七)で始まる。区芸術文化振興財団が設立三十周年を記念して開催。写真家で元日大芸術学部教授の小泉定弘さん(76)が撮り続けるモノクロ作品が並ぶ。 (中村真暁)

 区内の東尾久で生まれ育ち、現在も住んでいる小泉さん。一九七〇年ごろ、地元の撮影を始めた。会場には一九八四年から二〇〇〇年ごろまで、あらかわ遊園や商店街などで撮った作品百二十二点を展示する。一九八五年九月に東尾久で撮影した一枚は、駄菓子屋の前にできた日陰に座り込む女性二人が印象的。気だるい表情を見せ、肩肘張らない下町の日常の空気感を感じさせる。

駄菓子屋の前で座り込む女性たち

 ちょうちんやすだれなどを作る職人の姿も写真に記録。自宅の玄関先で作業するなど、職場に生活が入り込んでいる様子が多く見られる。現在は高層ビルが立ち並ぶ汐入地区(現在の南千住)は、三十年余り前は瓦屋根の住宅が密集していたことが分かる。

 「身近なところで撮るのが信条。時代を記録することも大切にしている」と小泉さん。「荒川の人情、ぬくもりが写真にも出ていると思う。たくさんの人に見てもらえたら」と来場を呼び掛ける。

 入場無料。午前十時~午後六時(最終日は同五時)まで。最寄りは、東京メトロ千代田線、京成線の町屋駅、都電荒川線の町屋駅前停留場。問い合わせは、区芸術文化振興財団=電03(3802)7111=へ。

1991年のあらかわ遊園の写真(左側)などを紹介する小泉定弘さん=東京都荒川区で

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たばこ、薬…子どもの誤飲どう防ぐ 手の届かない場所に

05.11 16:55 中日新聞社

 小さな子どもは何でも口に入れてみたがるもの。そこで、くれぐれも気を付けたいのが誤飲事故だ。多いのはたばこや薬、化粧品など。めまいや吐き気などの症状が出て重症となることもあるだけに、子どもの手の届かないところに置くことを徹底したい。 (白井康彦)

記者の周りでも、たばこ、カビ取り剤…

 厚生労働省が二月にまとめた「二〇一六年度家庭用品等に係る健康被害 病院モニター報告」によると、子どもの誤飲事故は年間七百二十八件。これは、モニター病院とした一部の医療機関などからの報告に基づくため、実際の事故件数はもっと多いとみられる。

 記者の周りで聞いてみると、幼児がいる母親数人が、子どもの誤飲を経験していた。まずは、夫が喫煙者というA子さん。以前から次男が心配で、次男が多くの時間を過ごすリビングに、たばこを持ち込まないように夫に言っていた。ところが次男が八カ月だったころ、夫はうっかり作業着ズボンのポケットにたばこを入れたまま入室。ずり落ちたたばこの箱に次男がかじりついてしまった。たばこそのものを食べたわけではなく、変調はなかったという。

 B子さんは、ハイハイを始めた次女の泣き声に驚いた。声がする洗面所に駆けつけると、洗面台の下にあったスプレータイプのカビ取り剤をなめてしまったようだった。急いでたくさん水を飲ませたりして、ことなきを得た。

 C子さんは、ダイニングテーブルの下で三歳と二歳の息子二人が遊んでいるのを見て慌てた。二人は、水ぼうそうの飲み薬の袋をいくつも破って薬を床にまきちらし、指にくっつけて遊びながら食べていた。こちらも、体に特に異変はなかったという。

「ジュース缶を灰皿代わり」も危険です

 日本小児科学会などによると、誤飲事故が起きやすいのはハイハイを始める七~九カ月くらいから三、四歳まで。飲み込んでしまうことが多いのは、たばこだ。最近では、加熱式たばこのスティックも報告されている。ニコチンを含んでいるため、しばしば吐き気やめまい、下痢といった中毒症状が現れる。

 たばこの成分が溶け出した液体も危ない。ジュースの缶を灰皿代わりにすると、ニコチンが混じった液を目を離したすきに乳幼児が飲んでしまうことにもなりかねない。

 薬や洗剤、化粧品の誤飲も多い。特に向精神薬、血圧降下薬、血糖降下薬はめまいなどの中毒症状が現れやすい。一錠だけだったとしても乳幼児にとっては相当な量なので、十分に注意したい。

ボタン電池で粘膜やけどの可能性

 円形で平型のボタン電池の誤飲も多い。食道や胃壁を傷つけることもあるほか、アルカリ性の液体が溶け出して、粘膜がやけどする可能性もある。入院が必要になる事例も少なくなく、死の危険もある。

 こうした危険を避けるためには、「乳幼児の手が届かないようにすること」が絶対に必要。かぎのかかる戸棚などにしまうという手も有効だ。

それでも誤飲したらどうする?

 それでも飲み込んでしまった場合は、飲んだものや量をすぐに把握したい。どうしたらよいか分からない場合は、公益財団法人日本中毒情報センター(本部・茨城県つくば市)が運営する「中毒110番」つくば=電029(852)9999=などに相談できる。たばこ対応の案内テープ=電072(726)9922=もある。

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埼玉・羽生で「いす-1グランプリ」 商店街に特設コース

05.11 16:55 中日新聞社

◆来月10日

 埼玉県羽生市商工会青年部が六月十日、事務用いすで商店街の特設コースを二時間に何周できるかを競う「いす-1グランプリ(GP)埼玉羽生大会」を開催する。地域活性化を目的としたユニークな耐久レースで、県内で初めて。大会関係者は「マラソンのように過酷。大人の本気のレースを見に来てほしい」と来場を呼び掛けている。 (中西公一)

 大会事務局の羽生市観光協会(市キャラクター推進室)によると、GPは二〇一〇年に京都府京田辺市のキララ商店街で始まった。その後、各地域のGPを支援する「日本事務いすレース協会」もつくられ、毎年、国内の十二カ所ほどで実施。一八~一九年シーズンの第一、二戦は岡山県と山形県で五月にあり、羽生が第三戦となる。

 羽生市でGPを実施するきっかけは、市内の郊外で毎年開かれるキャラクターのイベント「世界キャラクターさみっとin羽生」。キララ商店街のキャラクター「キララちゃん」が参加している縁で商店街のGP関係者とつながりができ、商工会青年部がまちおこしの新たなイベントとして企画した。

 会場は東武・秩父鉄道羽生駅近くにある中央商店街で、羽生市民プラザ前のプラザ通りを車両通行止めにする。レースはチーム戦(一チーム三人)で、キャスター付きの事務いすを足でこぎ、一周約二百メートルの特設コースを周回する。

3月に開かれた「いす-1グランプリ京田辺大会」の様子=京都府で(羽生市提供)

 参加資格は十六歳以上で「最後まであきらめない熱い思いも持っていること」。走行中はヘルメット、手袋、膝パッド、肘パッドを着用する∇「車検」を受けたいすしか使用できない∇いすから降りて押した場合はペナルティーとして一周カウントしない-ことなどを定めている。

 参加費は一チーム五千円(保険料など含む)。観光協会のホームページで二十日まで県内外から出場者の申し込みを受け付けており、予定している最大チーム数の六十四チームに達し次第、締め切る。優勝チームには羽生市産米九十キロを贈る。

 関東でのGP開催は久しぶりだといい、キャラクター推進室の秋本悟・観光ブランド係長は「中心市街地で新しいイベントをすることで、街中の魅力を知ってもらえれば」と意気込んでいる。

 雨天決行。午前九時半~午後四時半。予選と本戦がある。問い合わせは大会事務局=電048(560)3119=へ。

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「生活保護は恥」 70代男性 体調崩し仕事できず申請 

05.10 16:55 中日新聞社

<年金プア 不安の中で>

 年金の受給額が少なくて生活が苦しい年金プアの最後の頼みの綱は生活保護。しかし、「生活保護は恥」「生活保護だけは絶対嫌」と拒絶する人が多く、制度を利用できる人も申請を控えがちだ。なぜ生活保護の利用を恥と考えるのか。年金生活者の心理を考えてみた。 (白井康彦)

 「自分も申請に踏み切るまでは生活保護は絶対嫌でした。軽蔑していた状況に自分がなるのですから。生き延びるために、恥を忍びました」

 首都圏のアパートで一人暮らしをしている七十代男性が率直に打ち明けた。生活保護の申請をすると親族に連絡が行くのが特に恥ずかしかったという。「警察に捕まった犯罪者が裸にされて検査を受けるようなものだと思った」

 今も、近所づきあいは極力避け、生活保護を利用しているとは知られないように振る舞っている。ただ、病院で知られそうになることも。「役所で医療券をもらって病院の窓口に出せば治療費の自己負担はなくなるのですが、窓口の事務員が制度にうとくて自分が説明せざるを得ず、『だれかに聞かれているのじゃないか』と気が気でなかったんです」

 男性は五年前から生活保護を受けている。二十六年前に妻と離婚し、子ども二人を男手一つで育てた。子育てと仕事との両立が難しく、時間は融通できても賃金が低い職を転々と変えざるを得なかった。生活は苦しく、国民年金の保険料を滞納することもしばしばだった。

 現在の年金受給月額は、老齢基礎年金、老齢厚生年金、企業年金を合わせても約五万七千円にすぎない。病気がちで働けず、援助してくれる親族もいないので、年金以外の収入はない。アパートの家賃は四万一千円。生活保護費を月に約五万一千円受給してようやく生活できる状態だ。男性は「余裕はありませんが、医療費の自己負担がないので安定した生活とは言えます」と話す。

 以前は「恥」と考えていた生活保護の利用。それでも申請したのは、生活が破綻状態になったためだ。

 申請前はあちこちで、警備員の仕事をしていたが、座骨神経痛が悪化してやめることに。生活費は借金で穴埋めしたが、返済に追われて地方税も滞納した。歯が痛くても治療費が払えず、我慢せざるを得なかった。「恥」の気持ちは捨てきれなかったが、背に腹は代えられず、生活困窮者の支援団体の助けを借り、生活保護を申請した。

◆偏見なくす啓発を

 今年二月の全国の生活保護利用世帯数は約百六十四万。うち高齢者世帯は約53%を占める。その数は五年前に比べると約26%も増え=グラフ参照、高齢者の貧困が浮き彫りになっている。しかし、生活困窮者の支援者の間では「生活保護を利用できる人の大半が申請していない」との見方が強い。

 全日本年金者組合東京都本部で年金相談室長を務める芝宮忠美さんは「高齢者の間で、生活保護が恥との意識はまったく薄れておらず、貧困にあえぐ低年金者を救済する際の厚い壁になっている」と指摘。「その背景には、生活保護の予算が増えないよう、行政が生活保護制度の利用を勧めていないことがある」と話す。

 芝宮さんには苦い記憶がある。芝宮さんが相談に乗った年金プアの男性が六年前、団地の五階から飛び降り自殺したのだ。男性に生活保護の利用を勧めたが「お上の世話になりたくない」と拒絶。しかし、貧困から抜け出すすべは他になく、追い詰められてしまったようだ。男性は「年金は長年保険料を払ってもらうお金だが、生活保護は違う」などと話していたという。

 芝宮さんは「生活保護は生存権を保障する極めて重要な制度。利用することは決して恥などではない。誤解や偏見をなくすよう行政やマスコミは啓発に努めてほしい」と訴える。

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娘がごはん中にふと言った「お母さんってすごいよね」

05.09 16:55 東京新聞

【糧ことば】「お母さんってすごいよね。毎日ごはん作るんだもん。」1児の母・パート 津田寛恵さん(37)

 家事、育児との両立を考え、仕事は時短を選びました。仕事への未練や葛藤があった中、ご飯を食べている時に娘にふと言ってもらえたこの言葉。今は学校から帰ってくる娘に「おかえり」を言えて、温かいごはんを用意してあげられる、この時間を大切にしようと思えました。
     ◇

 【糧ことば】ママたちが心の支えにしている「糧ことば」を紹介します。「女性が活躍する社会に」というけれど、子育てってやっぱり大変。ママたちが壁を乗り越えるための勇気と知恵と元気を与えてくれる言葉は、子育て世代だけじゃなく、世の中すべての人を元気にするはず!

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あなたも映画に出ませんか?川口市がエキストラ600人募集

05.09 16:55 中日新聞社

 埼玉県川口市は、市内を舞台にした映画「君がまた走り出すとき」を製作する、と発表した。七月に市内で開催される「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018」で、オープニング作品として上映する。市は、出演するエキストラ六百人を募集している。(杉本慶一)

寛一郎さん主演「君がまた走り出すとき」

 市の担当者は「川口をメインロケ地に、地域参加型の作品にしたい。映画を通じて川口を訪れる人が増え、街の活性化につながれば」と期待している。

 映画祭は、次代を担う若手監督らを発掘しようと、県と川口市などが二〇〇四年から毎年開催。今年で十五周年を迎えるのを記念し、川口市は、市として初めて映画の製作と上映を決めた。製作費三千五百万円は市が負担する。

 映画祭事務局は昨年、作品の企画と監督を公募。応募者五十人の中から、「君がまた走り出すとき」の企画を提案した中泉裕矢監督(38)を選んだ。中泉監督は、これまでに国内のさまざまな映画祭で受賞を重ねてきた。

マラソン大会のランナー、観客役

 作品は、日本人男性で初めて「世界六大マラソン」を完走した古市武さん(78)=川口市在住=に触発され、マラソンを始めた人々を描くドラマ。物語はフィクションだが、古市さんは〇八年から一四年にかけ、ロンドンやボストン、東京など六大会を実際に完走する快挙を達成した。

 主演は、昨年公開の映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」などに出演した若手俳優の寛一郎さんが務める。ヒロインは、「三井のリハウス」十二代目リハウスガールで、女優として活躍する山下リオさん。ベテランの松原智恵子さんや浅田美代子さんらも出演する。

左から山下リオさん、寛一郎さん、松原智恵子さん=いずれも川口市提供

 市が募集しているエキストラは、マラソン大会のランナー役や観客役ら六百人。撮影予定日は十九日(雨天時は翌二十日)で、市内外の誰でも応募できる。希望者は市のホームページを通じて応募する。

 詳しい応募方法や期限などの問い合わせは、市産業労働政策課=電048(258)1619=へ。

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