「ボク、くまモン。熊本県の営業部長兼しあわせ部長だモン。」(c)2010熊本県くまモン
ボク、くまモン。熊本県の営業部長兼しあわせ部長だモン。この役職は県知事、副知事に次ぐ3番目にエライんだモン!
熊本は2016年4月の地震で被災してまだ復興半ばだけど、日本3名城のひとつ熊本城は、来年には天守閣の外観が復旧予定だし、ごらんのとおり、ボクも元気だモン。みなさん、熊本に遊びに来てはいよ~(来てください)。
くまモンが動けば人も動く。どこへ行っても子どもから大人までみんなを笑顔にする。偉大なパフォーマーでエンターテイナーだ。
例えば、ある日の東京での熊本物産展。くまモンは熊本産さつまいものPRを始めた。くまモンと行動をともにするMCのおにいさんが「オススメの食べ方は?」と尋ねると、得意のジェスチャーで本領発揮。突然、中腰になって何かを引っ張り始めた。会場からも「ん? なに?」という声。くまモンは叫ぶ仕草を続ける。そう、リヤカーの焼き芋屋さんを模していたのだ。あげく、「お通じがよくなるモン」とばかりにトイレで踏ん張るジェスチャーまで披露し、会場は大笑い。
会えば誰もが魅了される。その人気の秘密を探りたくて熊本県庁を訪れた。
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くまモンとともに知事室で出迎えてくれた蒲島郁夫熊本県知事は、この1年の活躍ぶりをこう振り返る。
「今年のくまモンの3大ニュースは、2017年のくまモン関連グッズの売り上げが1408億円で過去最高を更新したこと、くまモンの偉人伝ができたこと、そして、くまモン切手が発売されたことですね」
関連グッズの売り上げは、’11年度の25億円から右肩上がりで、ついに56倍以上に達した。偉人伝とは、今年8月に出版された『学習まんが新・偉人伝』(小学館)の主役にくまモンが取り上げられたことだ。くまモン誕生から、熊本地震後の活躍までが漫画で構成されており、ファンならずとも泣けると評判になっている。知事も「豊臣秀吉やヘレン・ケラーと並ぶ偉人ってことかな」と笑う。
さらに日本郵便のキャラクター『ぽすくま』と、くまモンのコラボ切手とお便りセットも発売された。
「この切手を使って手紙を出すと、相手の方にとても喜ばれるんですよ」(蒲島知事)
今年も期待以上の活躍に知事は満足そうだ。
今や日本のみならず世界的に人気者となったくまモンだが、その道のりは決して順風満帆ではなかった。
企画書の「おまけ」として誕生!?
くまモン誕生のきっかけは2011年の九州新幹線全線開業だった。福岡から熊本を通って鹿児島中央が終着駅。
「熊本県を通り過ぎて、観光客が鹿児島へ行ってしまうのではないか」と県は焦り、アドバイザーである天草市出身の脚本家・小山薫堂さんとタッグを組む。そこで生み出されたのが「くまもとサプライズ!」という言葉。県民自らが、周囲にある熊本のよさに気づき、発信していこうというプロジェクトだ。
小山さんは、そのキャッチコピーのロゴを、『グッドデザインカンパニー』の水野学さんに依頼した。
プレゼンの数日前、ロゴは完成したものの、水野さんは考え込んでいた。
「マークはできている、企画書もできた、プレゼン中、この言葉で笑いもとれる(笑)。だけど何かが足りない。これが本当に熊本県のためになるのだろうか、と。当時、宮崎県の東国原知事が毎日のようにテレビに出て宮崎県をPRしていたんですよ。ああいう人がいればいいなあ、何かいい方法はないかなと思って生んだのがくまモンなんです。熊本城や阿蘇などの名所を表現しない熊のキャラクター。熊本の者(もん)だからくまモン。それをおまけとして企画書の最後につけました」
当時の企画書を見せてもらうと、そこには本当に「おまけ」と書いてある。だが、水野さんにとっては「くまモン」こそが、企画書のメインだった。
「『くまもとサプライズ!』だからくまモンの目は基本的にびっくりしているんです。日本でヒットするキャラクターは、アンパンマンもピカチュウも、みんな頬が赤い。それも意識しました」
目の幅の間隔、目の大きさ、全体のバランスなど数千通りも検討した結果、くまモンのイラストは生まれた。
「プロジェクトのアイコンとしていいなと思いました」
と小山さん。県の反応もおおむね良好だった。このときお蔵入りしていたら、今の活躍はない。県トップの蒲島知事の英断があったからこその採用だった。さっそく、このかわいいイラストを立体にしようという話が持ち上がり、くまモンができあがった。ところが当初は、熊の頭をかぶった、ただの細身の人型。小山さんも最初見たときはびっくりしたという。現在はゼロ号機とか初号機と呼ばれているこの「着ぐるみ」だが、とにかくかわいくなかった。
「私たちがそれを見て、うーん……と困っているとき、見るに見かねて現れたのが、今の丸くてかわいいくまモンなんです」
蒲島知事はにこにこしながらそう言う。隣でくまモンも「うんうん」とうなずいている。やせていた当初のくまモンが、熊本のおいしいものをたくさん食べて太り、今のくまモンになったという説もあるが、ここは知事の言葉を尊重したい。2010年3月12日にくまモンが登場してから、知事はくまモンを連れ歩く。7月には「くまモン隊」も結成され、くまモンはアテンドのおねえさんやおにいさんと行動するようになった。
くまモンが最初に登場したころから大ファンで追いかけてきた熊本在住の桑原裕子さんと吉村康代さん姉妹は、「あのころは、くまモンが近づくと、子どもたちがみんな怯えて泣き出し、逃げていました」と話す。
「最初はイベントにも人がいなくてね。県の職員さんが“これをつけると、くまモンになれますよ”と赤くて丸いくまモンのほっぺを配ったり、くまモンのサイン会をやったり。私たちは人気が出ると信じて応援していました(笑)」
大阪でボケとツッコミを習得
県は、関西を中心に熊本県の認知度を広め、新幹線で観光客を誘致しようとしていた。知事はくまモンに大阪出張を命じる。
蒲島知事は、2008年に東大教授の職をなげうって故郷のために県知事になってから、職員にずっと「皿を割れ」と鼓舞してきた。
「皿をたくさん洗う人は割ることも多い。失敗を怖れていては何もできない、チャレンジしろという意味です。新しいことに取り組むことを嫌う公務員体質を変えたかった」
その“チャレンジ精神”が県庁職員の魂に火をつけた。2010年4月から熊本県大阪事務所次長として赴任した磯田淳さんはこう振り返る。
「熊本に注目を集めるため必死でした。まずは、『くまモン神出鬼没作戦』─。くまモンを公園や繁華街に出没させ、ツイッターやSNSを駆使して、見かけたらつぶやいてもらう。大阪の人たちはノリがいいので、ぼちぼちとつぶやいてくれる人が出てきました」
それでも、駅の地下街に出没した当時の写真を見ると、周りは素通りしていることがわかる。ぽつんと佇(たたず)み、なす術(すべ)もなく行き交う人を見つめる姿がせつない。だが、県とくまモンの努力は続く。
「私たちも手探りだったけど、くまモン自身も最初は何をしたらいいかわからず戸惑っていました。そのうち知恵がついてきて、新世界へ行って地元のキャラクター・くしたんと仲よくなった。そうやってあちこちで仲間を増やし、地元の人にも受け入れられていったんです」
奈良では平城遷都1300年記念事業にも参加し、そのもようはテレビでも報道された。
「主役はせんとくん。くまモンは邪魔にならないよう遠くから手を振っていた。テレビを見ながら“いつかせんとくんみたいになれたらいいね”とみんなで話したのを覚えています」(磯田さん)
くまモンは毎日、大阪のあちこちに出かけていった。そしてその後、蒲島知事に「くまもとサプライズ特命全権大使」という肩書を与えられ、大阪で名刺を1万枚配るミッションを与えられた。頑張ったが、ある日、力尽きて失踪という騒ぎを起こす。知事は緊急記者会見を開いて、「大阪出張中のくまモンくんが失踪しました。見かけた方はツイッターで情報提供をお願いします」と訴えた。大阪の人たちはそんな芝居に乗ってくれた。そしてくまモンは無事に1万枚の名刺を配り、この大役を果たしたのだ。
「大阪でボケとツッコミを習得したから、くまモンはリアクションがいいんですよ。“焼き肉食べに行こうか”と言うと、すぐに焼き肉をひっくり返す仕草をする。“熊肉がいいか”と言うと怯えて逃げ出す。しまいには“なんでやねん”と、こっちを叩く。そういう意味では、熊本生まれの大阪育ちと言ってもいいでしょうね」
現在、熊本県東京事務所所長で、誕生時からずっとくまモンを見守り、企業とのコラボなどさまざまなアイデアでくまモンを有名にしてきた成尾雅貴さんはそう話す。
東日本大震災で見えた「人格」
地元熊本はもとより、大阪でもくまモンの認知度が上がってきた2011年のお正月、くまモンあてに100通ほど年賀状が届いた。それをしみじみと読んでいるくまモンを見て、小山薫堂さんは、「くまモンの人格ができてきた」と実感したという。ちなみに現在、くまモンに届く年賀状は6000通を超える。彼はすべてに目を通して返事を出している。
九州新幹線全線開業の前日3月11日、前日のセレモニーでくまモンは大阪駅に華々しく登場、テレビの全国放送にも生出演する予定だった。だがスタンバイしていたそのとき、東日本大震災が起こった。M9という大地震でセレモニーは中止。くまモンの活動は自粛となった。
それでも、知事は立ち止まらなかった。2週間後、くまモンに大阪での東日本大震災のための募金活動を命じたのだ。大阪でのそれまでの活動が役に立った。くまモンは必死で街頭に立ち、関西のキャラクターやマスコットの友人たちも参加してくれた。
7月には、知事と一緒に宮城県にも訪れている。このとき、津波被害が大きかった東松島市の海岸に佇んだくまモンは、海に向かって深く、長い間、頭を下げた。それ以降くまモンは、「がんばろう東北」を胸に抱きながら活動していた。「やんちゃで好奇心旺盛な男の子」だが、彼はいつでも自分の役割を認識している。そして、その後何度も東北の被災地を訪れ、保育園などで熱烈な歓迎を受けている。
「くまモンの心持ちを大事にしながら地道に活動してきました」
磯田さんは何度もそう言った。くまモンの心持ち、それは「人に寄り添う」ことなのだ。
この年の11月、くまモンは「ゆるキャラRグランプリ2011」のグランプリを受賞する。全国の人が、それまでのゆるキャラのイメージとは違い、機敏で、しゃべらないのにコミュニケーションがとれる「くまモン」という生きものに衝撃を受けた。くまモンと県庁の努力の成果が表れたのだ。そして、ここからくまモンの前代未聞の快進撃が始まった。
「私たちはくまモンを天からの授かりものだと思っています。自治体のキャラとして成功したのは県庁の戦略とか演出とか言われるけど、それだけでは片づけられないものがあるんですよ。よく芸能界で100年にひとりの逸材という人が出てきますよね。くまモンはそういう存在。この人に関わりたいと誰にでも思わせる何かを持っているんです」(成尾さん)
両陛下の前で「くまモン体操」を披露
グランプリ優勝後、くまモンは日々、忙しくなっていった。だが彼はいつでも元気いっぱい、仕事に全力投球していく。そんなくまモンを見て、知事は「くまもとから元気をプロジェクト」を立ち上げた。全都道府県にくまモンが出向き、元気を届けるプロジェクトだ。全国どこでも、大歓迎を受けた。以来、くまモンは熊本の旗振り役に成長。
蒲島知事は人気が高まった理由として3つを挙げる。
「1つはシンプルでわかりやすいデザイン。2つ目は、くまモン自身の努力。そして3つ目は楽市楽座の方式。くまモンの使用料を無料にしたので、くまモンの共有空間が広がった。認知度や人気が高まり、熊本県を広めることにつながると考えたんです。この先、100年愛されるキャラクターにしたいと考えています。もっとも、当初は新幹線が全線開業して1年くらいで、くまモンもお払い箱という見通しもあったんだけどね(笑)」
最後の知事の言葉に、隣に座っていたくまモンがイスから転げ落ちそうになった。
くまモンは知事の教えに従い、さまざまなことに挑戦してきた。バンジージャンプや歌舞伎での毛振り。能や落語も習った。ピアノも弾ければ絵もなかなかうまい。毎年、書き初めでその年の干支の絵も披露している。一方で、県内の保育園や幼稚園、介護施設などへの出没は今も定期的におこなっている。くまモンは熊本の営業部長であると同時に、常に人にしあわせを運ぶ「しあわせ部長」なのだ。
2013年7月、くまモンにとっての新たな拠点ができた。熊本市の繁華街ど真ん中にできた「くまモンスクエア」である。現在は週に5~6日、くまモンが登場し、ステージでくまモン体操を踊ったり、「営業部長室」で来場者とふれあったりする。
ここで館長を務める大川聡志郎さんによれば、この5年間でスクエアを訪れた人は225万人を超える。120人の定員なので、くまモン出勤時はいつも入館制限がかかる。それでも来た人たちは外からくまモンの様子を見つめて動かない。
「私も熊本の生まれ育ち。もともと、くまモンが好きでした。この5年半、くまモンはいつも元気で一生懸命。外で待っている人たちにも出入り時に必ずハイタッチ。子どもに対しては自分がしゃがんで目線を同じにする。誰に対しても公平公正ですね」
大川館長にとっては、くまモンは“上司”である。その上司は部下にしょっちゅういたずらをしかける。
「入館制限の関係上、私はカウンターを持って来場人数をチェックするんですが、くまモンはひょいとそれを取り上げ、カウンターをばばばっと押してほれっと返してくる(笑)。人数がわからなくなって困るんですよ」(大川さん)
「してやったり」という、いたずら好きのくまモンの表情が浮かんでくるようだ。
その3か月後、くまモンはなんと天皇・皇后両陛下の前でくまモン体操を披露することになる。10月『全国豊かな海づくり大会』出席のため熊本県を訪れた両陛下だが、一説には数日前になって皇后陛下が「くまモンさんに会えるのかしら」とおっしゃったそう。そして当日、知事がプレゼントしたくまモンの金バッジを胸につけられ、踊るくまモンをにこにこしながらごらんになっていた。
「ものすごくドキドキしたモン」
くまモンはそう語るが、いつにもましてキレッキレの体操を披露したのだった。後にも先にも天覧ダンスをおこなったご当地キャラはいないだろう。
だんだんと海外出張も増えていった。韓国や中国を皮切りに、アジアに熊本のおいしいものを売り込んだ。今までに19の国と地域を訪れている。初めてフランスを訪れたのは2013年。以来、毎夏、パリでの『ジャパンエキスポ』に出場、それだけではもったいないと県の働きかけでフランスはじめヨーロッパ諸国の企業ともコラボすることが増えた。
例えば、テディベアで有名なドイツのシュタイフ社は、「テディベアくまモン」を作った。1500体限定でネット発売されるも5秒で完売という記録を打ち立てている。フランスのバカラでは、クリスタルのくまモンが作られ、イギリスのMINIでは、くまモンバージョンの車がプレゼントされた。ドイツのライカでは、くまモンのカメラを作ってもらったし、イタリアのデローザ社では、くまモン自転車も。そして、フランスのVIP専門写真館であるスタジオ・アルクールでの撮影。世界の一流スターのようなカッコいい写真を撮影してもらっている。
「最初は、こちらが必死に何かできないかと頑張りましたが、そのうちくまモンに惚れ込んでコラボしたいと言ってくれるところが増えたのが本当にうれしい。人を惹きつける何かがあるし、それも、くまモンの人格なんだと思います……ん、くま格?」(成尾さん)
熊本の宝、復興のシンボル
くまモンは幸せだった。楽しく仕事をし、たくさんの人に元気と笑顔を届け、その笑顔がまたくまモンのエネルギー源になる。そんな毎日が続いていたのだ。
ところが2016年4月14日21時26分、熊本に震度7の地震が起こる。その晩だけで震度5以上の地震が6回、さらに最初の地震から27時間後、再度震度7に見舞われた。その後も余震はひっきりなしに起こった。熊本には大きな地震はない。誰もがそう思っていたが、この日を境に「被災地」になった。益城町、西原村、南阿蘇村……被害の大きかった地域が連日報道される。フォロワーが約50万人いたくまモンのツイッターも止まった。あの時期、くまモンは何を考えていたのだろう。
「ボクにできることは何だろうって、それだけを考えていたモン」
くまモンはいつも熊本を全身全霊でPRしてきた。熊本城はむしゃんよか(カッコいい)モン、阿蘇はいいところだから来てはいよ(来てください)というように。あか牛、トマト、ナス、いきなり団子に辛子蓮根(からしれんこん)、阿蘇のジャージー牛乳、そしておいしい水に……。くまモンに熊本のおいしいもの、いいところを紹介してもらったらキリがない。だからこそ、くまモンはさぞ悔しかっただろう。何もできない自分が。大好きな熊本の人々がつらいとき、どうしたらいいのかわからないことが。
ツイッターではくまモンを心配する声が次々寄せられた。県には全国の子どもたちからたくさんの手紙も届いた。ちばてつや氏、尾田栄一郎氏など名だたる漫画家たちが「くまモン頑張れ絵」として直筆のくまモンの絵をツイッターに載せた。みんながくまモンを、そしてその向こうにいる熊本の人々を心配し、励ましたのだ。
約3週間後、くまモンは立ち上がる。子どもの日に被災地へ行かせてほしいと知事に頼んだのだ。行き先は西原村の保育園。
「止めたんですよ。だけど、くまモンは飛び出して行ってしまった」(蒲島知事)
保育園では大勢の子どもたちが待っていた。たったひとりでもいい、その子を笑顔にしたいと意気込んだくまモンとくまモン隊も驚いたという。
「子どもたちが笑顔になりました。それを見て親も笑顔になった。お年寄りの中には涙を流してくまモンを拝む方もいました」(県庁くまモングループ)
その映像はテレビで全国に報道された。
東京では、アンテナショップ銀座熊本館に連日、長蛇の列ができ、品薄になることもしばしば。ゴールデンウイーク明けに、初めてくまモンが銀座熊本館に登場した日はメディアも殺到した。シャッターが開きかけると、くまモンの足が見えた。くまモンは足をバタバタさせていた。「早くみんなの顔が見たかモン!」という叫びが聞こえてくるようだった。
くまモンスクエアに現れたのは5月10日。待ち構えていた30人ほどのファンから「お帰り」と声がかかったという。ほぼ毎週末、熊本に通ってくまモンを応援している福岡在住の玉山純子さんは、平日だったこの日、仕事を休んで駆けつけた。
「くまモン隊のおねえさんたちも全員いて、くまモンも元気で。よかった、お帰りとくまモンとハグしたんですよ。離れようとしたらくまモンがもう1回、ぎゅうっと抱きしめてくれて。ああ、くまモンも怖かったんだな、大変だったんだなと思ったら涙が止まらなくなった。同時に、くまモンは復興の旗振り役でありシンボルとなると確信しました」
彼女の言葉どおり、くまモンは復興のシンボルとなった。知事の名代として全都道府県に「復興応援のお礼」を伝えるために訪問した。
被災後、蒲島知事は言い続けた。
「熊本には3つの宝がある。熊本城と阿蘇とくまモンです。熊本城と阿蘇は傷ついたけど、くまモンは元気です」と。
小山薫堂さんは、「被災後のくまモンは頼りがいがあるなという印象。またひと回り大きくなった」と語る。
くまモンは毎日忙しいでしょ。疲れちゃったな、もうお仕事イヤになっちゃったなと思うことはないの? そう尋ねると、くまモンはきっぱりと首を横に振った。
「あちこち行って、みんなに会うのが好き?」
この質問には何度も何度も深くうなずく。
「みんなの笑顔を見るのが大好きなんだモン。ボクは子どもだからむずかしいことはわからんけど、これからもエイエイモーン!!」
くまモンのふくよかな体には、愛と希望がつまっている。
(取材・文/亀山早苗 撮影/宮井正樹)
かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、貧困やひきこもりなど、幅広くノンフィクションを執筆。大のくまモンファンで、著書『くまモン力』(イースト・プレス刊)もある