cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_cc44b304c1a2_抗がん剤研究の権威がすすめる「最強の野菜スープ」 cc44b304c1a2 cc44b304c1a2 抗がん剤研究の権威がすすめる「最強の野菜スープ」 oa-serai 0

抗がん剤研究の権威がすすめる「最強の野菜スープ」

2018年4月9日 16:00 サライ.jp

体内で生成され、ウイルスや細菌を撃退する頼もしい「活性酸素」。他方で正常な細胞膜を酸化させ、老人性のシミ・シワやアルツハイマー病の遠因となるだけでなく、DNAを損傷させてがんを誘発するリスクがあるなど、厄介な一面もある。

そのため、過剰な活性酸素を減らすことが健康長寿の秘訣と認識され、「活性酸素を無害化する」との触れ込みで、水素水が一時ブームになった。消費者庁から効果に疑問ありと注意喚起されブームは去ったが、それよりもっと身近で、様々な研究で実効性が確認されているのが野菜だ。

そんな中、がん予防には「野菜スープ」が一番と『最強の野菜スープ』(マキノ出版)を上梓したのが、熊本大学の前田浩名誉教授だ。

前田名誉教授の本業は、副作用のない抗がん剤の研究。この研究でノーベル賞候補にも挙がったが、がんそのものを予防する研究も行っている。そして、長年の取り組みから、「がん予防の食事には野菜スープが一番」という結論に到達したという。

その理由は、野菜に含まれるファイトケミカル。これは、植物が紫外線や害虫から身を護るために作り出す化学物質の総称で、カテキン、リコピン、カロテノイドなどよく聞く名前もフィトケミカルである。

前田名誉教授が、ファイトケミカルに注目したのは抗酸化作用。本書では、以下のように説明されている。

ファイトケミカルの特長は、活性酸素を消去する強力な抗酸化作用があることです。植物はファイトケミカルを内蔵しているおかげで、夏の太陽光の強い紫外線を浴びても活性酸素を消去でき、がんにかからないというわけです。
(本書36pより引用)

実は人間にも、活性酸素を消去する物質を生成する機能が備わっているが、加齢とともにその機能は低下してゆく。それを補うのが、野菜のファイトケミカルというわけだ。

ただし、「生の野菜をそのまま食べても、ファイトケミカルはわずかしか吸収することができません」と前田名誉教授。その理由は、野菜の細胞を包むセルロースでできた細胞壁を人間は消化できないため。とはいえ、ゆでるだけで細胞壁は簡単に壊れ、中のファイトケミカルを摂取することが可能になる。野菜のゆで汁の活性酸素消去力は、生野菜の実に10~100倍。なので、野菜スープとして摂ることを前田名誉教授は大いにすすめる。

がん予防対策の野菜スープと言っても、食材や調理法に何か特別なものがあるわけでなく、誰でも家庭で作れる。本書では何種かのバリエーションが紹介されているが、基本の作り方は以下のとおり。

(1) タマネギ、ニンジン、キャベツ、カボチャ、セロリ、セロリの葉、トマトを合わせて300gほど用意し、よく洗っておく。
(2) タマネギは一口大、キャベツはざく切りにするなど、各食材を食べやすい大きさに切る(ニンジンは皮をむかない)。
(3) 鍋に野菜を入れ、水を900ml注ぐ。
(4) ふたをして火にかける。沸騰直前に火を弱め約30分煮てできあがり。

前田名誉教授によれば、野菜に含まれるファイトケミカルには、体内の発がん物質の解毒・排泄作用を高める、腸の善玉菌を活性化させ免疫力をつける、抗がん剤の副作用を抑えるなどの効果もあるという。材料は安価で、冷蔵・冷凍保存もできるので、日ごろの食事に適宜加えて、がんを寄せ付けない体質づくりをはかるとよいだろう。

*  *  *

【今日の健康に良い1冊】
『最強の野菜スープ』
(前田浩著、本体1,300円+税、マキノ出版)

文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は散歩で、関西の神社仏閣を巡り歩いたり、南国の海辺をひたすら散策するなど、方々に出没している。

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_c9dc8dc0840e_有料老人ホームとサ高住の違いは? c9dc8dc0840e c9dc8dc0840e 有料老人ホームとサ高住の違いは? oa-serai 0

有料老人ホームとサ高住の違いは?

2018年4月9日 16:00 サライ.jp

「老後の住まい」7種類の違いまとめ

取材・文/坂口鈴香

いずれ自分に介護が必要になっても、できれば自宅で過ごしたいと考えているサライ世代は少なくないだろう。その一方で、高齢の親が自宅で暮らし続けられるのか、漠然とした不安を抱えている人もいるだろう。

親や自分が「常時介護が必要になった」「独り暮らしになった」「病院から退院してすぐ自宅に戻るのが不安だ」など、自宅以外で暮らす選択肢を考えるときは、いずれきっと来る。そのときにあわてて施設について調べるのでは間に合わないだろう。いざというときに備えて、老後の住まいにはどんな種類と特徴があるのか、その基本くらいは今のうちに知っておきたい。

老後の住まいは「施設」「老人ホーム」とひとくくりにできるものではなく、どんどん多様化し選択肢が増えている。そのため、何がどう違うのか、それぞれどんなところなのか、よくわからないという声を多く聞く。

そこで今回は、老後の住まいについての「基本のき」ともいえる、種類別の特徴について、ざっとおさらいしておきたい。

■1:特別養護老人ホーム(特養)
「老後の施設」と言って、多くの人がイメージするのは「特養(とくよう)」だろう。正式名称は「特別養護老人ホーム(とくべつようごろうじんほーむ)」という。要介護3以上の人が入居できる施設で、費用も他施設に比べると安価だが、その分待機者も多い。2~3年待ちのところもある。

この特養に向いているのは「高額でない施設で最期までみてほしい」という人である。

■2:介護老人保健施設(老健)
「老健(ろうけん)」という名称も、聞いたことのある人は多いのではないだろうか。正式名称を「介護老人保健施設(かいごろうじんほけんしせつ)」といい、要介護1以上の人が3か月程度を目安に在宅復帰を目指してリハビリを行う施設だ。現実には、特養に入居できるまで老健に入居して待つという人も少なくない。

老健に向いているのは「病院から退院しなければならないが、自宅に戻るのには不安がある」という人、そして「リハビリが必要」という人だ。

■3:ケアハウス
「ケアハウス」という施設もある。これは「軽費老人ホーム」の一種で、60歳以上で独立して生活するには不安のある人を対象とし、食事や日常生活のサポートを受けられる。利用料は前年度の所得に応じて自治体から補助されるため、比較的安い費用で暮らすことができる。

さらに「ケアハウス」には、身の回りのことが自分でできる人のための「自立型」と、介護が必要な65歳以上の人のための「介護型」とがある。入居するには、生活状況や介助の必要性などが総合的に審査される。

ケアハウスに向いているのは、「掃除など身の回りのことはできるが、自炊ができないし、一人での入浴が不安」な人(これは自立型)や、「独り暮らしは心細いが、家族との同居はむずかしい」という人である。

*  *  *

以上の3つは公的な施設だ。一般的に「施設」と呼ばれるのは、これら公的な住まいである。

一方、民間の住まいとしては「有料老人ホーム」「グループホーム」「サービス付き高齢者向け住宅」「シニア向け分譲マンション」などがある。順に特徴を見ていこう。

■4:グループホーム
「グループホーム」とは、認知症の人を対象とした住まいである。少人数(5人から9人を1ユニットとする)の家庭的かつ落ち着いた雰囲気の中で共同生活を送ることで、認知症の進行を遅らせ、自立した生活が続けられるよう支援する生活の場だ。特養の入居待ちで利用している人も少なくない。

グループホームに向いているのは、「認知症で、自宅で暮らすのに不安がある」人や、「家庭的な雰囲気の中で暮らしたい」という人である。

■5:有料老人ホーム
「有料老人ホーム」といえば、これまで“お金持ちのための住まい”というイメージが強かったが、前払い金が不要なホームが出たりして、かなり身近なものとなってきている。とはいえ、まだその性格やサービスは正しく理解されていないようだ。

一般的に「有料老人ホーム」というと、介護が必要になったときに入る老人ホームで、それが「介護付き有料老人ホーム」だと理解している人がほとんどだろう。ところが、有料老人ホームはすべてが「介護付き有料老人ホーム」ではない。有料老人ホームには、「介護付き有料老人ホーム」「住宅型有料老人ホーム」「健康型有料老人ホーム」がある。

■5-A:介護付き有料老人ホーム
「介護付き有料老人ホーム」は、さらに「介護型」と「自立型」に分かれる。まず介護が必要になってから入居するのが「介護型・介護付き有料老人ホーム」で、ホームが提供する介護サービスを24時間利用することができる。このタイプは介護を受けるのが目的なので、居室は狭いワンルームタイプとなる。見学に行って「高いお金を払って、こんなに狭い部屋で暮らすのか」と驚く人もいるが、介護型だとそれが標準。プライバシーもあまり重視されない。

「介護型・介護付き有料老人ホーム」に向いているのは、「介護や見守りが必要なので、すぐに入居したい」という人だ。

一方、まだ介護が必要ではなく、自分の身の回りのことができる人しか入居できない「入居時自立型・介護付き有料老人ホーム」もある。元気な間は、マンションタイプの居室で自分の好きな生活を送ることができる。自炊したくなければ、ホーム内のレストランを利用できるし、自室で入浴したくなければ大浴場を利用しても良い。そして介護が必要になると、介護居室に移って介護を受けながら暮らすことになる。

「入居時自立型・介護付き有料老人ホーム」に向いているのは、「将来介護が必要になったときのための安心がほしいが、元気なうちは自由に暮らしたい」という人、あるいは「今は元気だが、食事の用意などの家事の心配をしたくない」という人だ。

■5-B:住宅型有料老人ホーム
では「住宅型有料老人ホーム」とはどういうものなのだろうか。前掲の「介護付き有料老人ホーム」との大きな違いは、介護サービスの利用のしかただ。「住宅型有料老人ホーム」は、生活支援などのサービスはついているものの、介護が必要となると入居者が外部事業所と契約をして、訪問介護などの介護サービスを受けることになる。

ところが実際に見学してみても「介護付き有料老人ホーム」との違いを感じることはまずないだろう。というのも、この「住宅型有料老人ホーム」は、「介護付き有料老人ホーム」に総量規制があるため、その代わりに開設したという場合が少なくないのだ。その場合、入居者は「介護付き有料老人ホーム」に入居したのと変わらないサービスを受けられるが、介護度が重くなると介護にかかる料金が高くなる可能性があるので、入居時に注意が必要だ。

■5-C:健康型有料老人ホーム
「健康型有料老人ホーム」は、介護が必要となったら退去しなければならない有料老人ホームだが、現在は数が少ない。

このように、同じ「有料老人ホーム」といっても、実態にはかなりの違いがある。有料老人ホームの広告やパンフレットには必ず「類型」として、これらのいずれかの表示があるし、「入居時の要件」として「入居時自立」「要介護」などが表記されているので、そのホームがどれに当てはまるのか確認することが大切だ。

■6:サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)
最近増加しているのが「サービス付き高齢者向け住宅」だ。「サ高住(さこうじゅう)」と呼ばれており、聞いたことのある人は多いだろう。

このサ高住というのは、生活相談サービス・緊急時対応サービス・安否確認サービスがついた賃貸住宅である。ホームヘルパーなどの有資格者が常駐しているが、介護サービスがついているわけではない。あくまでも賃貸住宅なので、介護が必要になれば外部事業所と契約して訪問介護サービスやデイサービスなどの介護サービスを受けることになる。

介護サービス事業所を併設しているサ高住も多く、一見安心なようだが、あくまで外部事業所であり、契約したサービスしか受けられないので注意が必要だ。食事は自炊するか、別料金を払えば食堂で食べることもできる。賃貸住宅だが家賃2か月分ほどの敷金が必要なほかは、礼金や更新料は不要だ。

サ高住に向いているのは、「介護がまだ必要ではないが、これからのことが不安。でもできるだけ自由な生活を送りたい」という人や、「集団生活はしたくないが、何かあったときに対応してほしい」という人だ。

■7:シニア向け分譲マンション
「サ高住」が賃貸なのに対して、分譲なのが「シニア向け分譲マンション」だ。所有権があるので、子どもに相続させることもできるが、固定資産税や管理費もかかってくる。

共用施設は充実していることが多く、食堂、大浴場、フロントなどがあり、フロントにはスタッフが常駐している。ただ、緊急時などにスタッフがどの程度対応してくれるかは、運営会社によって幅があるので入居前にしっかり確認しておきたい。介護が必要になれば介護サービスを各自が外部事業所と契約して受ける。

シニア向け分譲マンションが向いているのは、「介護がまだ必要ではないが、これからのことが不安。でもできるだけ自由な生活を送りたい」という人や、「子どもに資産として残したい」と考えている人である。

*  *  *

以上、ぜひ知っておきたい「老後の住まい」の種類と違いについて、基本的なところをご紹介した。

とくに「有料老人ホーム」「サービス付き高齢者向け住宅」「シニア向け分譲マンション」が特に混同されやすいようだ。まずはこれらの種別と特徴を把握した上で、入居する人のニーズや思いに合った施設の種類は何なのか、考えてみることから始めてほしい。

取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_265e6c0638ff_北海道・空知でつむぐ理想のワイン造り 265e6c0638ff 265e6c0638ff 北海道・空知でつむぐ理想のワイン造り oa-serai 0

北海道・空知でつむぐ理想のワイン造り

2018年4月9日 16:00 サライ.jp

【日本ワイン生産者の肖像】ブルース・ガットラヴさん(10Rワイナリー)

(醸造の専門家として、多くの日本生産者に影響を与えてきたブルースさん。)

取材・文/鳥海美奈子

日本ワイン“中興の祖”。ブルース・ガットラヴさんには、そんな形容がふさわしい。

現在の日本ワインの隆盛を担う北海道の生産者の多くは、ブルースさんから何かしらワイン造りの示唆を受けた。ドメーヌ・タカヒコの曽我貴彦さん、KONDOヴィンヤードの近藤良介さん、ナカザワヴィンヤードの中澤一行、由紀子夫妻など、そこには日本ワインのトップ生産者の名が、きら星の如く並ぶ。

ブルースさんは、現在は北海道・岩見沢に移住し、奥様の亮子さんとともに「10Rワイナリー」を運営する。カスタムクラッシュワイナリーは、日本ではまだ馴染みが薄い。自分の畑や北海道の契約農家のぶどうから造ったワインは「上幌ワイン」の名でリリースするが、それ以外に醸造所を持たないぶどう栽培農家に、醸造の場を提供している。

2017年春、ワイナリーを訪れると、そこでは15生産者ものワインが醸造されていた。10Rのある空知地方に限らず、余市や帯広、洞爺湖など北海道のさまざまな地域からぶどうが運ばれる。

「ここは、まだ醸造の経験がないぶどう栽培農家を受け入れる場です。“こういう醸造をすれば、こういうワインの味わいになる”と説明はします。でも、どの方法を選ぶかは個人の自由です。“どうしたらいい?”と聞かれても、“さぁ。自分で考えてください”としか言いません。

私のワイン造りを真似る必要はない。本当の意味で醸造がわかるまでには10年かかると思います。でもなにより大事なのは、自分なりのワイン哲学を持つこと。いずれ独立してワイナリーを立ち上げるか、委託醸造を続けるかは、それぞれ考えればいい。できれば、ここから巣立って欲しいですけれどね」

「10R」には、さまざまな人がワインを造る場という意味が込められている。当初は人物を特定しない「あるワイナリー」という名前にしようかと考えたが、妻の亮子さんの「それではつまらない」との意見により、「10R」になった。数字とアルファベット表記は、「とある」という意味を隠すための当て字である。

「カスタムクラッシュは、ワイン産地としての北海道の潜在能力を最大限に引き出すことが目標です。北海道のぶどうのポテンシャルの高さを、多くの人に知ってもらいたい」

ブルースさんは1961年、アメリカニューヨーク州ロングアイランド生まれ。ニューヨーク州立大学で食物生理学について学んだ秀才である。専門は食物生理学のなかの微生物学だが、「良い生徒ではなかった」。ノーベル賞受賞歴を誇る教授もいるほどのアカデミックな環境下で医学、社会学、ロシア語、美術、食物生理学など専門を6回も変えた。そのころ同時に、ワイン入門コースを受講したのを機にワインへの興味を高めていく。

研究者か、大学教授か。多くの学友はどちらかを選択した。しかし、その道に魅力を感じなかった。ブルースさんが大学で専攻したほとんどの分野が、じつはワインと関連していると気づく。さまざまな分野を内包したワインという世界が面白いと、やがて酒屋やワインバーでソムリエとして働き始める。ニューヨークは昔も今も、ワインにおける世界のトップ市場である。現在は東京もそのひとつだが、当時はロンドンとニューヨークのみだった。そのためフランスなどあらゆる国や地域のワイン生産者が、プロモーションでニューヨークを訪れた。そのたびにセミナーやテイスティング、ガラディナーに参加し、ワインへの理解を深めていった。

ワインの醸造を本格的に学ぼうと1982年、カリフォルニア大学デイヴィス校大学院の醸造学科へ。アメリカの醸造学で最も権威のある学校である。

アメリカは禁酒法により、20世紀前半に酒類の製造が途絶えた時期があった。世界的に評価されるカリフォルニアワインを生み出した第一人者ロバート・モンダヴィが登場するのは、それから約半世紀を経た1960年代後半のことである。

ブルースさんがワインの世界に足を踏み入れた80年代のカリフォルニアワインは、「ケミカル(化学)というよりはサイエンス(科学)の時代」。農業もアグリビジネスの考え方が主流であり、一定量のぶどうを毎年育て、安定した収益を上げるのが理想とされていた。そんな潮流のなか卒業後はワインコンサルタント会社に入り、ナパを中心に10数軒のワイナリーを担当する。

「私がソムリエ時代に飲んで感動したフランスワインは、ぶどうの良さをそのまま生かした、伝統的なワイン造りでした。でもカリフォルニアはテクニック重視だった。気候が暑く糖度の高いぶどうができるので、水分を取り除く浸透圧こそ必要ないけれど、遠心分離器や培養酵母、清澄や濾過、酸化防止剤SO2などを多用していた。サイエンスを使うと、そこそこ良いワインは造れます。でもそれはあくまで平均点で、心を震わすような最高のワインはできないとやがて感じるようになりました」

その頃、訪日の機会を得る。契機となったのは栃木県にあるココ・ファーム・ワイナリーだった。ココ・ファームは当時、自社畑が少なく山梨からぶどうを買っていたが、それでも不十分と、海外のぶどう原料輸入のためカリフォルニアを訪れていた。ココ・ファームからぶどうの購入を依頼された栽培農家が、ブルースさんの大学院時代の同級生だった。「日本でワインを造るなんて面白そうだから、ぶどうを売ったよ」と、友人は話していた。

その縁で、ココ・ファームの母体である「こころみ学園」の園長・川田昇さんから、自分たちのワインの感想を聞かせてほしい」と依頼される。「悪くないけれど、もっといいワインができる。酸化的なニュアンスがあるから、それをなくさなければいけない」と答えた。すると「ワイン造りの技術を持っている人を迎え入れたい。ワインを一緒に仕込んでくれないか」と打診される。ぶどうの収穫期から醸造が落ち着くまでの3か月間、指導して欲しいという。

当時、勤務していたコンサルタント会社の社長に相談すると、「長期なので一度、休業して行くように」と言われた。そんな経緯によりブルースさんは1989年、初来日を果たす。

「まずは、ワイン造りの基礎を徹底する必要がありました」。ぶどうは完熟させてから摘み取ること。腐敗したり傷がついたぶどうを取り除く選果を丁寧にすること。もし良質なぶどうが収穫できたら別のキュヴェ(銘柄)にして仕込むこと。カーヴ内が汚く雑菌が繁殖していると、それによりワインも腐敗するリスクがあるのでカーヴ内を清潔に保つこと。健全なぶどうであれば清澄剤や補糖、SO2も最低限で構わないこと。

「西洋の食文化ではワインは辛口で、食事とともに愉しみます。でも当時の日本はワインといえば甘口が主流で、リキュールかと感じるほどだった。たとえば甲州も、すごく補糖していました。甲州は軽やかさが持ち味だから補糖をしないか、最低限にしたほうがいいと思った」

ブルースさんが醸造に関わった初年度、ワインは一気に辛口になった。しかし翌年、そのワインを発売すると、消費者からクレームが来た。

「ココ・ファームの人たちは、“外国人のブルース先生が来たから、言うとおりにしよう”という感じで従ってくれました。でも顧客たちは、“酸っぱくてまずいから、あの外人は帰ったほうがいい”と。それまで、みんなワインを養命酒のような感覚で飲んでいたんですね。日本の消費文化を知らなかったので、もう大失敗でした」

ココ・ファームは、知的障害を持つこころみ学園の生徒に労働の場を与えるという役割も持つ。ぶどう栽培という自然のなかでの労働を通して、自然を生かす術を学び、自らも心身の健康を保ち、自立を目指す。ぶどうの植樹、剪定後の枝拾い、堆肥の散布、ぶどうの収穫などもすべて生徒たちが行う。園長の川田さんは「障害を持った人たちであっても、本物のワイン造りを目指さなければならない」という信念の持ち主であり、その思想のもとブルースさんを迎え入れた。それは同時に、当時の日本においては最先端のワイン造りでもあった。

「生徒のみなさんも一生懸命ぶどう栽培をやっているのに、この状態ではココ・ファームの役に立てたとはいえない。そう思い、もう一度行きたいとコンサルタント会社に頼んだんです。答えは、“それならもう戻ってこなくていい”でした」

まもなくブルースさんは、日本への移住を決意する。その理由は、果たしてどこにあったのか。

「外国人として日本に住むのはプラス面もマイナス面もあります。でも移住を決めたのは、やはり日本が好きだったから。人々が親切で、治安もよく、そして国家も平和で成熟している。アメリカは歴史が浅いぶんダイナミズムがあって、いつも前を向いています。でもそれだけに未熟な部分もある。たとえばココ・ファームのゲストルームでよくワインを飲んだ時、園長の川田さんの話に誰もが耳を傾けていた。それは感動的な光景でした。アメリカ人は、むしろ自分がどう思うかを主張するほうが大事だから」

もうひとつ心惹かれたのは、こころみ学園の姿勢だった。ブルースさんの父は衛星カメラ製造に関わるエンジニア、母は小学校の先生で敬虔なクリスチャンだった。

「両親には、人と人が助け合うのは当然であり、大切なことだという教育を受けました。それもあって、ワイン造りと福祉という関係性が面白いと感じたんです。好きなワイン造りをしながら、知的障害を持つ生徒たちと働くことが、とても興味深かった。私は、彼らとすごく仲良くなったんですよ。日本語がわからないから、言葉を使わない人たちとむしろ良いコミュニケーションが取れたんです」

日本に移住後、ブルースさんのワイン造りは進化を遂げていく。91年には甲州で人工酵母を使わず、野生酵母のみの発酵に挑戦。さらには、無濾過や亜硫酸を使用しない醸造法も取り入れていった。当時の日本では、まだ野生酵母のみでワインを造る生産者は皆無だった。「国税局が来て、“ワインは食品です。食中毒が出ると困るから野生酵母はやめるように”と注意されました。“ワインは8000年前から野生酵母で造られてきたから大丈夫ですよ”と答えましたよ」と言い、笑った。

90年代の日本は、レストランのソムリエも酒屋もまだフランスワイン一辺倒だった。ココ・ファームの品質が向上しようとも、周囲からの反応はまったくなかった。「すごくがっかりしました。でも注目されないということは、逆に自由にできるということでもある」。

それでも、少しずつ風は吹き始めていた。ココ・ファームの名は、やがて世に広まっていく。その決定的な出来事は2000年、九州・沖縄サミットの晩餐会にココ・ファームのワインが採用されたことだった。

しかしその頃になると、ブルースさんの心のなかには葛藤が生じ始める。醸造はテクニックに頼らない、本来のぶどうの良さを生かす方法へとシフトしていた。しかしココ・ファームのある栃木県・足利市は雨が多く、ぶどう栽培においてはまだ多くの化学合成農薬を使用していた。

その一方で組織を考えれば、ビオ栽培の移行の難しさも理解していた。ビオ栽培に転換すると、年によっては収量が減ったり、ぶどうが全滅することもある。ココ・ファームは福祉の役割も持つゆえ、ある年のワインがゼロというリスクは負えない。化学合成農薬の不使用を主張するのは、無責任にも感じられた。加えて、ブルースさんはココ・ファームの取締役という立場にもあった。「当時は、取締役としてのブルースと、個人のブルースが闘った時代だった。それで、本当に自分がやりたいことをやるなら、独立するしかないと思い始めるようになったんです」。

ブルースさんは、妻の亮子さんに「そろそろ離れる時期に来ているかもしれない」と相談した。亮子さんとは友人の披露宴で出逢い、4~5年交際したのちに結婚していた。亮子さんは、「ブルースは悩みが多すぎる。家に帰っても仕事のことばかりよね。自分のやりたいことを、やったほうがいい」と、支持してくれた。

*  *  *

2003年頃から、土地を探し始めた。カリフォルニア、フランス、イタリアも訪れた。当初はフランスとイタリアが有力な候補だったが、言語の問題もあり躊躇していた。ココ・ファームで北海道のぶどうを購入し、ワイン造りをするなかで、これほど質のいいぶどうが採れるなら自分の理想のワイン造りができるかもしれないと、やがて思い始めるようになる。

2006年、ブルースさんは他の日本ワインの生産者たちとともに渡仏した。シャンパーニュやロワールなどフランス各地のワイン生産者を訪ねるなかで、ヴァン・ナチュールが大きな潮流になりつつあると、肌で感じた。自らもそういうワインが魅力的に思えた。やはり自分の新しいプロジェクトを始めようと、改めて決意。ココ・ファーム側と話し合いの場を持つと、「取締役の立場はそのままで、技術指導は継続して欲しい」と依頼され、円満に独立への道が拓けた。ちなみに現在はココ・ファームも、化学合成農薬をなるべく使わないぶどう栽培へとシフトしている。

念願を叶えて、北海道・空知地方の岩見沢へと移り住んだのは2009年のこと。

「空知は自分の育ったニューヨーク州ロングアイランドに似ている。じゃがいも畑があって、野生の雉や鹿が棲息して、すごくのどかです。この地域はぶどう栽培農家も、低農薬の人が多い。だから農薬の量を減らしてぶどう栽培をしても、周囲の農家から”虫や病気が出るからやめてくれ”と言われないのも理想的でした。私は人との争いが苦手だし、自分の望むことをマイペースでやりたいから」

北海道の多くのワイン産地のなかでも、内陸にある空知はより厳寒で、春と秋は長く、夏は短い。昼夜の寒暖差も激しい。それだけに、ワインには酸とミネラルがくっきりと刻印され、ストラクチャー(味の構成)のしっかりした味わいに仕上がる。

10Rのカーヴのすぐ横に、そのぶどう畑は広がっている。土壌は風化した砕けやすい粘土質であり、水はけがいい。2.3ヘクタールの畑のうち、現在は1.4ヘクタールにぶどうが植樹されている。赤ワイン用の1ヘクタールの区画は南向き斜面で風が強く吹きつけることから、「風」という銘柄名にした。そのうち95%がピノ・ノワールで、それ以外にピノ・ムニエ、プールサール、ガメイが混植される。これまではぶどうの粒を茎から外し、粒だけで発酵する除梗という方法を用いていたが、2015年の収穫は房ごと仕込む全房発酵にも挑戦した。全房1樽、除梗2樽である。除梗は果実味がありチャーミング、全房は色が淡く繊細な味わいに仕上がるので瓶詰め前にその3樽をブレンドし、最終的にピノ・グリも混ぜた。

一方、白ワイン用の畑0.4ヘクタールは後ろに大きな森があるので「森」と命名されている。ソーヴィニヨン・ブラン、そこにピノ・グリ、オーセロワ、アリゴテ、シュナン・ブラン、サバニャン、グリューナ・フェルトリーナなどが少しずつ植わっている。ぶどうの収穫は限界まで待つ遅摘み。例年、収穫は10月の後半であり、「2016年のソーヴィニヨン・ブランは雪が降ってから収穫した」という。白用のぶどうは房ごと搾り、タンクに入れて常温で1日置き、沈殿させる。その上澄みだけを別の容器に移し、りんご酸が乳酸に変わるマロラクティック発酵が終わったら味わいを確認、一体感が出てきたところで澱引きし、すべてのタンクのワインをブレンドして瓶詰めする。そのワインにはとろりとした粘性があり、夏みかんなどの柑橘、白胡椒やトリュフの芳香が漂う。いわゆるソーヴィニヨン・ブランの概念を覆す味わいだ。

「醸造家としては透明人間になりたい。人ではなく、畑の要素が感じられるワインを造りたいんです。よく“美味しいとはどういうことか”と考えるんですよ。”美味しくない”とは”口に合わない”ということではないかと最近、思うようになった。私が求めるのはピュア、のどごし、旨み。今までワインにとって欠陥といわれてきた酢酸やブレッド香も少しあってもいいと思います。従来のワインとは違う価値観で、私なりの美味しさを追い求めていきたい」

現在、畑仕事は妻の亮子さんが中心に行う。北海道に移住するまでワイン造りの経験は皆無だった。しかし、「知識や常識がないことが、良い方向に働くこともあると思います。ぶどう栽培は、子育てと似ている。なにより観察が大事で、その時々の状況によって対処していきます」と、亮子さんは語る。ぶどう栽培は重労働だ。酷寒の北海道で畑に立ち続ける亮子さんの顔は、大地とともに生きる人間ならではの清々しさに満ちていた。

10Rの設立から、まもなく10年。「ワイナリーが、空知地方の環境に馴染み、景色のひとつとなってくれれば」と、ふたりは未来をそう語る。

最後にブルースさんに、日本ワインへの自らの影響力について聞いてみた。彼からワイン造りを学んだ生産者たちを「ブルース・チルドレン」と、そう呼ぶ声もある。

「日本のワイン業界の役に立てるのはとてもうれしいし、光栄なことです。でも、”ブルース・チルドレン”と呼ばれる側の人たちは、その表現をどう思うでしょうか。親というのは子供から多くのものを得ますよね。私には今、15歳の娘がいますが、彼女からたくさんのものを受け取っている。私も曽我さんや近藤さん、中沢さんから多くのことを得させてもらった。どちらが上か下か、ということではないんですよ」

その人生観の基底となるのは、クリスチャン的な思想である。

「私は日本のワイン界、ひいては日本の農業を元気づけたいと思ってきました。ココ・ファームにいた時代は、買い付けのために全国のぶどう栽培農家を回っていた。そのたびに、日本は農業に関わる人が減り続けていると感じたんです。ワイン用の質の高いぶどうを造れば、農家は自分の作物を安く売ったりと、苦しむこともなくなる。微力ですが、そういう農家を増やしていければ、と。私は父母に、“人間同士は助け合うのが基本”、そして“周囲のためになにができるかを考えなさい”と教えられてきました。それをワインという仕事を通して実現できることが、最大の幸福に感じられるんです」


取材・文/鳥海美奈子
2004年からフランス・ブルゴーニュ地方やパリに滞在して、文化や風土、生産者の人物像などとからめたワイン記事を執筆。著書に『フランス郷土料理の発想と組み立て』。また現在は日本の伝統文化、食や旅記事を『サライ』他で執筆している。

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美しき「裸体画」ばかりの展覧会

2018年4月9日 16:00 サライ.jp

《ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより》

(画像は、アンリ・マティス《布をまとう裸婦》(部分)〔1936年 油彩・カンヴァス〕Teta:Prchased 1959 image(C)Tate,London2017)

取材・文/池田充枝

大英博物館やナショナル・ギャラリーなどと並ぶ、英国を代表する国立美術館のひとつテート(TATE)は、テート・ブリテン、テート・モダン、テート・リバプール、テート・セント・アイヴスの4つの施設からなり、約7万点のコレクションを有します。1897年の開館以来、その充実したコレクションのみならず、幅広いテーマを扱う展覧会や、国内外での先進的な活動によって常に注目を集めてきました。

そんなテート・コレクションの多様な魅力を伝えるべく企画されたのが「ヌード」展です。芸術家たちの200年にわたる裸体表現のストーリーを伝える企画展として2016年11月にシドニーで開催、多くの話題と反響を呼びました。同展はオークランド、ソウルへと巡回し、このたびいよいよ日本に上陸しました。

日本での会場は、横浜美術館。ロダンの日本初公開作品はじめ、テート・コレクションのヌードの傑作が集結した見ごたえある展覧会です(~2018年6月24日まで)。

本展の見どころを、読売新聞東京本社・文化事業部の池田匠汰さんにうかがいました。

「人間にとって最も身近といえる“裸体(ヌード)”というテーマに、西洋の芸術家たちは絶えず向き合い、挑み続けてきました。美の象徴として、愛の表現として、また内面を映し出す表象として、ヌードはいつの時代においても永遠のテーマとしてあり続け、ときに批判や論争の対象にもなりました。

本展は、世界屈指の西洋近代美術コレクションを誇る英国テートの所蔵作品により、19世紀後半のヴィクトリア朝の神話画や歴史画から現代の身体表現まで、西洋美術の200年にわたる裸体表現の歴史を紐ときます。

フレデリック・レイトンが神話を題材として描いた理想化された裸体から、ボナールらの室内の親密なヌード、男女の愛を永遠にとどめたロダンの大理石彫刻やシュルレアリスムの裸体表現、人間の真実に肉薄するフランシス・ベーコン、さらにはバークレー・L・ヘンドリックスやシンディ・シャーマンなど、現代における身体の解釈をとおして、ヌードをめぐる表現がいかに時代とともに変化し、また芸術表現としてどのような意味をもちうるのかをたどります。

テートは1897年の開館以来、世界屈指の近代美術コレクションと先進的な活動で常に美術家をリードしてきました。その珠玉のコレクションから、ヌードを切り口に、ターナーが描いた貴重なスケッチや、マティス、ピカソ、ホックニーなど美術館を代表する作品の数々が展示されます。

注目は、ロダンの代表作である大理石彫刻《接吻》です。ロダンが生前に手がけた3体の大理石像のうちの1体が、日本初公開となります。会場では高さ180センチ余りのスケールで制作された迫力の大理石像を360度ぐるっと鑑賞することができます」

西洋の芸術家たちの真摯な挑戦に圧倒される展覧会です。ぜひ会場に足をお運びください。

【開催要項】
ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより
会期:2018年3月24日(土)~6月24日(日)
会場:横浜美術館
住所:横浜市西区みなとみらい3-4-1
電話番号:03・5777・8600(ハローダイヤル)
開館時間:10時から18時まで、5月11日(金)、6月8日(金)は20時30分まで(入館は閉館30分前まで)
休館日:木曜日(ただし5月3日は開館)、5月7日(月)

取材・文/池田充枝

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_4e7e085db399_【コウケンテツの料理コラム】「世代へ受け継ぐ味」 4e7e085db399 4e7e085db399 【コウケンテツの料理コラム】「世代へ受け継ぐ味」 oa-serai 0

【コウケンテツの料理コラム】「世代へ受け継ぐ味」

2018年4月9日 16:00 サライ.jp

故郷の記憶を蘇らせた済州島のスープ

初めての済州島ロケ。済州島産の鯖の刺身を、古漬けの酸っぱいキムチに巻いていただく。済州島ならではの食べ方です。

文・写真/コウケンテツ(料理家)

人には、魂に刻み込まれた味がある。そんなことを思い知ったのは、料理家になったばかりの駆け出しの頃。地方のテレビ番組のロケで、母が生まれ育った韓国の済州島を訪れたときのことでした。

母が赤ん坊だった僕を連れて里帰りをして以来なので、ほぼ当時の記憶はなく、初めて訪れたと言ってもいい旅でした。ところが、「モンクッ」というスープを口にした瞬間、僕の脳内に、彼方にあった風景が一気に蘇ったのです。歩いてきた道や、食べたもの。僕はここに来たことがあって、全部を知っている……。

ホンダワラという海藻と豚肉を煮込んだスープ、それがモンクッ。済州島の郷土料理です。ホンダワラは日本の一部でもよく食べられている海藻で、柔らかくて美味しいんです。また、済州島は黒豚が名物なので、このスープはまさに済州島ならではの味。実はこのスープは、僕が幼い頃に食べていたものでした。つくってくれたのは、母の姉にあたる叔母でした。叔母も、母に勝るとも劣らぬ料理上手。済州島から日本に遊びに来るときに持ってきたホンダワラを使って、よくこのスープをつくってくれたのです。母にとっては懐かしい味だったのでしょうが、僕は食べ慣れない海藻の味がちょっと苦手でした。

ところが、久々に食べたモンクッは、本当に旨かった。これが魂に刻み込まれた味、ソウルフードというものなんだろうか……。僕の脳内に再生されたのは、叔母との思い出も含めた、忘れていた幼い頃の記憶。昔よく聴いていた音楽が流れてきたときに、当時の情景が自然に浮かんでくるような、そんな不思議な感覚でした。

叔母は、いつも済州島の美味しいものをお土産に抱えて我が家にやってきました。忘れられないのが、甘鯛です。済州島の甘鯛は、僕にとって世界一。日本で食べる甘鯛と、全然違うんです。叔母のことを「甘鯛のお姉さん」と呼んでいたほど! 叔母はいつも、日本に渡る直前に買って自分で開いて、一夜干しにしてから持ってきてくれたんです。

韓国には「チェサ(祭祀)」という、日本の法事にあたるような儀式があります。お正月やお盆といった季節ごとにおこなわれ、一家の伝統料理が並ぶのが慣わしです。料理には、たとえば日本のお雑煮のようにはっきりとした地域性があるのが特徴です。僕の大好きな甘鯛の開きは、チェサに欠かせない済州島の料理なのでした。子どもの頃は、郷土の味だなんて、ちっとも理解せずに食べていたんですけれども。

もちろん、生まれ育った大阪の食も、大切にしたい故郷の味です。焼き肉に行ったら、やっぱりホルモン。お出汁は、すっきりと澄んだ関西ならではの鰹出汁やいりこ出汁。関東のうどんや蕎麦の、濃い出汁の味はいまだに慣れません。

でも、味噌汁はいりこ(煮干し)出汁がいい。韓国はいりこで出汁をとる文化があり、チゲの出汁もいりこ。母がたまに遊びにきたときにつくってくれる味噌汁を食べてきたからでしょうか。僕の子どもたちもいりこ派で、鰹出汁の味噌汁よりも、ずっと食の進みがいいので驚きます。母の味は、孫の代にまでしっかり受け継がれているようです。

文・写真/コウケンテツ(料理家)
1974年、大阪生まれ。母は料理家の李映林。旬の素材を生かした簡単で健康的な料理を提案する。テレビや雑誌、講演会など多方面で活躍中。3人の子どもを持つ父親でもあり、親子の食育、男性の家事・育児参加、食を通じたコミュニケーションを広げる活動にも力を入れている。『李映林、コウ静子、コウケンテツ いつものかぞくごはん』(小学館)、『コウケンテツのおやつめし』シリーズ(クレヨンハウス)など著書多数。

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_67228656f770_佐竹本三十六歌仙「藤原興風」が初公開! 67228656f770 67228656f770 佐竹本三十六歌仙「藤原興風」が初公開! oa-serai 0

佐竹本三十六歌仙「藤原興風」が初公開!

2018年4月6日 16:00 サライ.jp

メナード美術館《ひと 人・顔・姿》展

(画像は、重要文化財《藤原興風像(佐竹本三十六歌仙切)》(部分)〔13世紀(鎌倉時代) メナード美術館初公開コレクション〕前期展示)

取材・文/池田充枝

人の顔や姿には豊かな個性があふれています。また作家の個性によって人の顔や姿もさまざまに表現されます。美術作品のなかに魅力的に表されたさまざまな「ひと」に焦点をあてて観るのも美術鑑賞の楽しみのひとつです。

人のさまざまな表情を集めた展覧会《ひと 人・顔・姿》が、愛知県小牧市のメナード美術館で開かれています(~2018年6月24日まで)。メナード美術館では2017年7月から一年にわたり、開館30周年を記念した展覧会を開催していますが、その最後を飾るのが本展です。本展では3つのテーマにわけて、所蔵する絵画や彫刻の作品73点を紹介します。

本展の見どころを、メナード美術館の広報担当、尾関友美さんにうかがいました。

「今回、当館のコレクションより初公開する《藤原興風像(佐竹本三十六歌仙切)》は、もとは上下二巻から成る巻物で、秋田の藩主佐竹家に伝来したことから「佐竹本」と呼ばれています。数ある「三十六歌仙絵」のなかでも「佐竹本」は現存する最古のものです。

この初公開にあたり、約1年間にわたる修復を行いました。本展では、今回行った修復処理についてもご紹介します。《藤原興風像》は4月22日までの前期展示で、テーマ「姿-三十六歌仙」として尾形光琳《三十六歌仙図》などとともに出品します。

本展ではほかにも、ピエール・ボナール《青いジレを着たブロンドの女》や、有元利夫《近ずいた朝》《二本の木の間》、宮崎進《顔》《習作》、舟越桂の版画作品6点、鈴木五郎《石人》と、全12点の初公開コレクションをご覧いただけます。

身近な人々の顔や画家の自画像、歴史や神話のなかの人物、人間の造形など、さまざまに表現される「ひと」をどうぞお楽しみください」

初公開作品が一挙に並ぶ、見ごたえある展覧会です。お見逃しなきよう、ぜひ会場に足をお運びください。

【開催概要】
開館30周年記念 所蔵企画展《ひと 人・顔・姿》
会期:2018年3月21日(水・祝)~6月24日(日)一部展示替えあり
   前期:3月21日~4月22日 後期:4月24日~6月24日
会場:メナード美術館
住所:愛知県小牧市小牧5-250
電話番号:0568・75・5787
開館時間:10時から17時まで(入館は16時30分まで)
休館日:月曜(ただし4月30日は開館)、5月1日(火)

取材・文/池田充枝

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_8796d9aa2dcd_【角田光代の旅行コラム】飲み屋街の旅 8796d9aa2dcd 8796d9aa2dcd 【角田光代の旅行コラム】飲み屋街の旅 oa-serai 0

【角田光代の旅行コラム】飲み屋街の旅

2018年4月6日 16:00 サライ.jp

(東京・神楽坂の胸躍る赤提灯。旅ではないのですが、こういう夜の光景には旅している錯覚を感じます。)

文・写真/角田光代(作家)

国内の旅は圧倒的に仕事で行くことが多いので、出版社の人といっしょのことが多い。編集という仕事は、私よりも断然、出張仕事が多いのだろう。みんな、その土地のことをよく知っていて、なおかつその土地の名物料理とそれを食べさせる店をセットで知っている。だれと旅しても、感心してしまう。

おもしろいことに、出版社は違えど、編集という仕事にかかわる人のほぼ全員が、旅先に着くなり、同じことを口にする。タクシーに乗ったらタクシーの運転手さんに、乗らなければ旅館やホテルに人に、あるいはその土地の仕事相手に、かならず訊く。「飲み屋街はどこですか」と。

たいていの町に飲み屋街がある。これは日本のおもしろい特徴だと思う。どんな町にも飲み屋はあるし繁華街はあるが、おもに飲み屋さんばかりがぎゅっとかたまっている通りだとか地域は、全世界的には、ない町のほうがずっと多い。新宿でいえばゴールデン街とか、北海道でいえばすすきのとか。

その日の仕事を終えて、名物料理を出す店で食事をして、それから教えてもらった飲み屋街に行く。居酒屋やバーもあるけれど、店内の見えないスナックも多い。編集者たちは、無数にある飲み屋の中から嗅覚で一軒を選ぶ。

私は旅先で飲むのが好きだけれど、居酒屋に行くのがほとんどで、飲み足りなければ外から店内が見えるバーにいく。ドアが閉まっていて、店内の見えないスナック風の飲み屋さんには、まず行ったことがない。

だから編集の人が、嗅覚としかいえない選択基準で「よし、ここにしよう」といって、ドアを開けるときにはいつもどきどきする。そういう店はメニューがなかったり、お品書きに値段が書いてなかったりするから、会計時にふっかけられるのではないかとか、実はおもに男性客をもてなす店で、迷惑がられたりするのではないかとか、口やかましい常連客が絡んでくるのではないかとか、いろいろネガティブな想像力を働かせてしまう。

けれどもたぶん編集者の嗅覚というものはたしかなのだろう、一度もへんな思いをしたことがない。スナックであれ、バーであれ。おもしろいなあと思う造りの店も多い。カウンター席にテーブル席、テーブル席にはソファ、というのは一般的だけれど、コの字型のカウンター席しかなくて、お客さん全員が顔を見合わすことになる店とか、スナックなのに山小屋風な内装だとか。ほかですでに飲んでから行く場合が多いから、飲み屋街の店で私はたいてい記憶が曖昧になる。

翌日起きて、前日のことを思い出す。「どこそこで食事をして……のどぐろがおいしかったなあ……その後、飲み屋街に行ったんだった……」と、思い出せるのはたいていこのあたりまでで、飲み屋街のどこの、なんという店だったか、もう思い出せない。

ただ、色あせた赤いソファとか、ミラーボールとか、知らない人の歌う演歌とか、レーザーディスクのカラオケセットとか、そんなものが断片的に思い出される。そうしてもっと時間がたつと、各地のスナックの断片が混ざり合って、どこだかまったくわからない場所で飲んだ記憶が、妙にしあわせな旅の思い出として残っている。

文・写真/角田光代(かくた・みつよ)
昭和42年、神奈川県生まれ。作家。平成2年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。近著に『私はあなたの記憶の中に』(小学館刊)など。

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_46154f9b8875_【テリー伊藤のクルマコラム】 46154f9b8875 46154f9b8875 【テリー伊藤のクルマコラム】 oa-serai 0

【テリー伊藤のクルマコラム】

2018年4月6日 16:00 サライ.jp

「今こそ、かわいいクルマを買おう!」

文/テリー伊藤(演出家)

こんにちは、テリー伊藤です!

最近のクルマって、デカくてイカついのが多いと思いませんか? 今や日本で売れるクルマの7割が軽自動車だから、メーカーは海外市場、特にアジアを意識して作ってるんですね。なかでも重要なのが中国。あちらでは、わかりやすい高級感とか威圧感を強調したクルマのほうがウケがいいということで、オラオラ顔の傾向が強まった。これがひとつの要因だと、僕は考えています。

胸を張って「かわいいものが好き」と言おうじゃありませんか!
■かわいいクルマは人生を豊かにする!
ボディサイズも同じ理由で、日本の道よりも海外の広い道で使えて快適性を重視した結果、もう5ナンバーサイズなんてほとんどなくなっちゃった。だから、まだサイズが大きくなる前の、ちょっと古いクルマは狙い目ですよ。そう考えた途端、一気に選択肢が増えて、クルマ選びが楽しくなる。

みんながデカくてイカついクルマに乗るなか、あえて小さくてかわいいクルマを選ぶのが、賢い選択だと思うんです。なんたって、女子にウケますから! 現行型のフィアット・500が女性に人気なのは、皆さんもご存じでしょう。僕が以前乗っていたシトロエン・DS3、それに今乗っているスズキ・ジムニーシエラもそう。

そういえば、フォルクスワーゲン・ポロの新型が日本で発売されましたが、先代よりひとまわり大きくなってしまった。大好きなクルマなんだけど、進化するたびに立派になってしまう……、僕としては5ナンバーサイズの先代も捨てがたい。

僕が以前乗っていた日産・キューブもおすすめだし、欧州車ではルノー・カングーがいい。こちらもやはり先代の小さいほう。同じく、フィアット・パンダも断然初代ですね。もう少し新しい世代のクルマでは、フォルクスワーゲン・ニュービートルがおすすめ。ひとつ前のモデルで、40~50万円で買えちゃいますから。細い道も走りやすい実用性とモテの要素も備えたこれらのクルマ、いかがですか?

■色にこだわって、クルマをかわいがろう!
ディーラーに行けば保証付きの認定中古車が買える今、中古車のリスクは昔と比べて大幅に小さくなっています。とはいえ、どうしても抵抗があるという人は、新車の軽自動車なんていかがでしょう?

スズキのアルトラパンはレトロな雰囲気があってサライ世代の皆さんが乗っても似合うと思うし、同じ理由でダイハツのムーヴキャンパスもおすすめ。フォルクスワーゲン・タイプ2みたいなデザインで、’50Sの音楽をかけながら走れば、ちょっとした「アメリカン・グラフィティ」気分が味わえます。

それと僕、トヨタが北米向けに作ったSUVのFJクルーザーにも乗っているんですが、カミさん用にスズキ・ハスラーを買いまして。この2台、共に四角くて丸目ということもあって、雰囲気が似てるんですよね。ボディカラーは黄色と白い屋根の2トーンで統一。ハスラーは純正色の屋根が黒だったので、色付きのフィルムを車体に貼るカーラッピングで白に変えました。

黄色いボディカラーは派手に思うかもしれませんが、軽自動車の黄色ナンバーが目立ちにくいというメリットがあるし、明るい色はウキウキした気分が味わえるので、ぜひおすすめしたい。私は黄色いクルマに興奮する体質なのです。

だいたい、街を走っているクルマを見ると、白や黒、グレー、シルバーばかり。みんな下取りのことを考えて無難が色を選んでいるんだろうけど、長く乗るならそんなことを気にする必要はないと思うんです。

トヨタのクラウンでピンク色の限定車が話題になったでしょ? あれは僕が内装をプロデュースして、実際に所有していましたが、色が変わるだけでクルマに表情が生まれ、会話した気分になれる。それくらい、色って大事なんです。クラウンは、そのあと若草色や空色も出たけど、あとが続かない。作る側も買う側も、もっと色にこだわって欲しいですね。
ではまた!

【今週のテリー・カー(1):スズキ・ハスラー】
丸目のかわいいデザインで男女を問わず大人気の軽自動車、スズキ・ハスラー。黄色いボディカラーを選んだ場合、ルーフの色は黒だけしか選択できないが、テリーさんは愛車のトヨタ・FJクルーザーと合わせるために、ラッピングで白に変更した(写真は白いルーフを組み合わせた特別仕様車です)。(キャプション:編集部)

【今週のテリー・カー(2):ダイハツ・ムーヴキャンバス】
こちらもテリーさんおすすめの軽自動車、ダイハツ・ムーヴキャンバス。若い女性を主要ターゲットとしているが、往年のVW・タイプ2を思わせるゆるカワ系デザインは、サライ世代の皆さんにも似合うはず! (キャプション:編集部)

文/テリー伊藤(てりー・いとう) 昭和24年、東京生まれ。演出家。数々のテレビ番組やCMの演出を手掛ける。現在は多忙な仕事の合間に、慶應義塾大学 大学院で人間心理を学んでいる。

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【進藤晶子の暮らし・家計コラム】

2018年4月6日 16:00 サライ.jp

森永卓郎さんを見て思うこと、日本を支えているのはマニアである!

(ライザップですっかりやせた森永さん。やせた効果で、薬を飲まなくてよくなったそうです。)

文/進藤晶子

『がっちりマンデー!!』が始まって14年。ほぼ毎回ご出演なのに、なぜかいまだに“ゲスト”の森永卓郎さん。長くご愛顧くださっている視聴者の方からもよく「なんで?」と聞かれます。でも、ご本人は「確かにそうなんですよね〜」と、ま〜ったく気にされていません。

森永さんと加藤浩次さんのダジャレから生まれた「セコロジー」という、ちょっとセコいけど知っていると得をする、いろいろな裏技を特集する大好評シリーズがあります。

たとえば鉄道マニアのセコロジストが、予定が変わって乗れなくなったJR東日本の乗車券の払い戻し手数料を、区間変更して払い戻せば「80円のお得!」とか、新幹線の特急券を一旦、ほかの路線の特急券に変更して払い戻すと「●●円のお得!」などという情報を紹介するのですが、正直なところ私は途中で話についていけなくなります。あまりに計算が細かく複雑で。

ところが森永さんはそうした情報がぜんぶ頭の中に入っていて、さらにその情報の上をゆく最良最安の方法を編み出してしまったりするのです。

なるほど、頭が良いとはこういうことか、と合点がいきました。細かい情報を選り分けて、頭の引き出しに上手に整理し、さらに必要なときにはササッと取り出して、またそれを別に組み合わせて新たなアイディアを考えたりもできちゃう。これが「頭脳明晰」ということなのだと。

前回の夕刊サライで、私のポイントカード利用術について書きましたが、森永さんはワオンやポンタなどでも細かい作業を積み重ね「頭脳明晰」ぶりを発揮しています。

「セコロジー」のようなポイントの有効利用術は、森永さんにとってはもはや趣味やライフワークの領域。経済アナリストとしてのお仕事にも直結していて、まさに天職だと感じます。そこには並々ならぬ根気と、努力と、情熱が必要だと思うのです。

根気、努力、情熱のすべてが集約されているのが、森永さんが命より大事にされている(!?)ミニチュアカーや食玩、缶やペットボトルの蓋などなど。加藤さんには「ゴミでしょう?」とからかわれているけれど、それはもはやアートの域です。

そのコレクションを一冊にまとめたご著書を拝見しているうちに、私、思い至りました。

天才と呼ばれる人たちは、森永さんのようにとことん突きつめることができるマニアな人たちなのだと。そして、彼ら彼女らが国を支えている。つまり、日本を支えているのはマニア!

人生のテーマの絞る生き方の魅力
森永さんはいつも肩にカバンの紐を食い込ませ、さらに紙袋を2つぐらいぶら下げて収録現場を去っていかれます。

ナイロン生地がパンパンに伸びきった、ズッシリとしたカバンの中身を尋ねると、資料やPCのほかに、バッテリーが山ほど入っているのだとか。移動中にパソコンで原稿を書くので、バッテリーが生命線なのだとおっしゃっていました。

ご本人曰く「本業は文筆業で、そのほかのメディアは副業」とのこと。森永さんの年賀状には、前年に携わったおびただしい数の連載が紹介されていて、毎年驚愕させられます。この14年間、仕事のスタンスも軸もまったくぶれなくて、見事な限りです。

森永さんはご自分の興味関心のあるものはとことん追究されるけれど、関心がないことには極めて淡白。ほとんどエネルギーを注ぎません。

たとえば洋服。用意された衣装が2サイズくらい大きくても、ダブダブさせたまま平然として着て出ちゃうし、食べることはお好きですが、わざわざ時間と自分のお金をかけて……といったことはされないみたい。時間とエネルギーの節約も、まさにセコロジスト。

そんな、人生のテーマを絞った生き方は、見習うべき点がたくさんあります。

でも、森永さんが人生のテーマだけでなく、ライザップで身体まで絞るとは思ってもいませんでした。あんなに「無理無理、絶対に無理です〜」って、当初は乗り気じゃなかったから。

ダイエットにも根気・努力・情熱が必要ですが、その気になればダイエットも成し遂げる森永さん、あらためて尊敬しちゃいました。

文/進藤晶子(しんどう・まさこ)
昭和46年、大阪府生まれ。フリーキャスター。元TBSアナウンサー。現在、経済情報番組『がっちりマンデー!!』(TBS系)などに出演中。

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意外と知らない「きのこ」本当の姿

2018年4月6日 16:00 サライ.jp

いつも食べてるきのこは花!

文/柿川鮎子

多くの人は「きのこ」というと、地面から軸が伸び、三角形の傘をもつ姿を想像するでしょう。マツタケやシメジの炒め物、乾燥シイタケなど、食用きのこは日本の食卓に欠かせない食材です。

でも、きのこの専門家によれば、地面から上の部分は「子実体」と呼び、繁殖に使われる器官で、植物でたとえるならば花のようなもの。きのこの本体は、地面の下にいる「菌糸体」と呼ばれる部分のほうなのだそうです。つまり、私たちはきのこの「花」の部分だけを“きのこ”と呼んで、美味しく食べていたのですね。

きのこの専門家である根田仁さんは「本来は大きな子実体をつくる菌類のことを“きのこ”と言うのですが、子実体そのものを“きのこ”と呼ぶことが普通になっています。でも普段は地下にあって見えない本体があることを知っていると、自然観察が楽しくなりますよ」と教えてくれました。

■私たちが食べているきのこは花だった

日本人の食卓に欠かせないきのこですが、きのことは何なのか、改めて問われると意外と答えられないもの。実はきのこは植物でも動物でもない多細胞生物(菌類)です。菌というと、まっさきにカビを連想しますが、きのこもカビの仲間。その菌類の中で、人間の目に見える大きさの子実体をつくるものを“きのこ”と呼んでいるだけなのです。

この子実体は、きのこの胞子をつくる器官で、私たちが美味しく食べる三角形の傘と軸の部分のことです。きのこは胞子を飛ばして繁殖するので、植物で例えるならば、子実体は花粉を飛ばす花であると言えるでしょう。

きのこに関してはまだわからないことが多いと根田さんは言います。

「わからないことだらけですが、きのこが落ち葉や枯れ木を分解したり、樹木と共生し、森林環境に大きな役割を果たしていることが知られています。マツやシラカンバなどは荒地で育つ樹木ですが、マツタケやベニテングタケなどのきのこと共生することで、荒地でも生育することが可能になります。また、昆虫などの動物は子実体を食べ、その昆虫を食べて生きる野鳥がいて、自然環境が保たれています」

きのこが自然に果たす役割は大きいと、根田さんは教えてくれました。

■きのこが森の自然を守っていた

秋に地面に落ちた葉は、きのこによって分解されたり、ミミズなどの土壌動物に食べられたりして、最終的には土になります。植物によって生えるきのこの種類が異なることは、マツタケでよく知られていますね。松の木に生えるからマツタケです。根田さんもマツタケの生育に関する研究を行ったことがあるそうですが「人の手でマツタケを生育させるのは本当に、きわめて難しい」と言っていました。

マツタケは松の木と共生しています。マツ科、ブナ科などの木はきのこと菌根と呼ばれる共生体をつくります。きのこの菌根は、きのこの菌糸が木の根を覆い、細胞のすき間にも入った状態のこと。木の根はきのこの細胞に覆われることにより、木にとって有害な微生物から身体を守ったり、水分や無機養分を土壌中に伸ばした菌糸を通じて吸収することができます。その一方、きのこの方は木の根からブドウ糖などの養分をもらいます。どちらにとっても有益な関係となっているのです。

樹木の生育を助け、子実体が動物の餌となり、森林環境を豊かに保つ役割を果たしてきたきのこ。知れば知るほどその奥深い魅力の虜になります。

きのこについてもっと詳しく知りたい人には根田さんの著書『きのこミュージアム―森と菌との関係から文化史・食毒まで』(八坂書房刊)もおすすめ。

取材協力/根田 仁
国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所、研究ディレクター(生物機能研究担当)。1957年東京生まれ。1980年東京大学農学部林学科卒業。博士(農学)。1982年から農林水産省林野庁林業試験場(現・森林総合研究所)に勤務。きのこの分類・栽培などの研究に従事。著作に全国農村教育協会発刊「たのしい自然観察 きのこ博士入門」など。

文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

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