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【サライインタビュー】名物焼きおにぎりの旨さの秘訣は?

2018年4月25日 16:00 サライ.jp

横山はる江(青森「はるえ食堂」店主)

横山はる江さん
(よこやま・はるえ、はるえ食堂店主)
――青森の市場の路地裏で惣菜店を営み40年、焼きおにぎりが名物
「昔は貧しかった。今はみんな、贅沢だ。着るものも、1年も着たら投げてはるじゃ」

※この記事は『サライ』本誌2018年4月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/佐藤俊一 撮影/宮地 工)

──“焼きおにぎり”が名物ですね。

「焼いた紅ジャケをほぐして、ご飯に混ぜ込んで胡麻をいっぱいつけて握るんだ。東京と違って青森のおにぎりは丸いけど、私は昔がら丸ではなくて、三角でやってる。けど、角はあんまりつけねえから、ゆるい三角だ。そして、七輪の炭火でじっくり焼くんさ。

“ご飯が美味しい”って言われるけど、電気釜じゃなく、ガス釜で炊いてるからかね。あと、私は水からじゃなぐて、お湯っこから炊いてる。ここでは紅ジャケのほかにカレイやヤリイカ、タラなんかを焼いたり、お惣菜の煮炊きまでぜんぶ七輪の炭火でやってます」

──お客さんは遠くからも来るそうですが。

「NHKのテレビとかに出だりしてからだ。結構、遠くから来るよ。東京や横浜とか、京都さからも来た。地球の反対側のブラジルから来た人もいた。その人は、結婚して埼玉からブラジルへ行ったと言ってたけど、向ごうでもNHKのテレビは観られるんだと。里帰りして、北海道さ遊びに行く途中に寄ったんだって。“焼きおにぎりをまた食べたくなったから”って、2回も来たんだよ。アメリカやカナダから来た人もいだ、なぁ」

──美味しさの秘密は何でしょうか。

「なんだろ、ねえ。私にはわからねけど、うちによくお客さんを連れてくる『寿司一』の大将のイッちゃんから聞いた話だと、炭火から出る遠赤外線が、おにぎりをパリッと香ばしく焼いて、旨味を中に閉じ込めるんだと。七輪だとそれが何倍もよくなるらしいよ。『寿司一』さんは、青森では高級で有名なお鮨屋さんだけど、“ばっちゃん、この焼きおにぎりの旨さは七輪の炭火でないと出ねえ”だって。おにぎりは昔からやってるけど、イッちゃんに“焼け”って言われたんだ。“お客さんの弁当代わりに持たせたいから”って。もう20年くらい前だったと思うけど、それからうちの名物になったんです」

── 生姜味噌のおでんもありますね。

「生姜味噌のおでんは、青森市とか津軽の名物だども、戦後、このあたりの屋台が始めたのが広まったんだと聞いでる。冬は寒いがらさ、生姜をおでんの味噌ダレにすりおろして入れると身体が温まるでしょ。それが青函連絡船のお客さんにすごく喜ばれたんだと。店によっておでんの具は違うけど、大根、白こんにゃく、“ 大角”( 薩摩揚げを薄く、大きく、四角く仕上げたもの)は生姜味噌おでんには欠かせないんだ」

──“はる江食堂”はいつ始めたのですか。

「いつからか“食堂”だなんて言わるようになったけど、ここは私のお姑さんが戦後ずっとやってたんです。でも、お姑さんが58歳のとき、もう働ぐのはやめて店を譲りたいと言うから、その権利を家賃で払うことにして私が買ったの。昭和49年、私が40歳のときだ。

店を継いだ頃は、すんごく賑わってたよ。この狭い路地いっぱいに、買い物客があふれてた。今は3軒になったけど、この路地の端から端まで12軒の店が並んでた。うちみたいな食べ物屋さんが多かったけど、お餅屋さんや下駄屋さんもあった。でも、住み替えで、みんなよそへ引っ越して行ったんだ」

──生まれはどちらですか。

「津軽半島の陸奥湾に面した外ヶ浜で、昭和9年生まれ。親は漁師をやりながら、自分のところで食べる分だけ、畑もちょこっとつぐってた。兄弟は男がふたりに、女5人で、私は末っ子から2番目です」

──戦争の記憶はありますか。

「戦争の終わったのが尋常小学校の5年生か6年生の頃だったから、憶えてます。外ヶ浜には海軍がいて、龍飛岬にも砲台があったから軍人さんはよぐ見てたし、戦後はアメリカ軍が来てた。戦争中、私らは空襲には遭わなかったけど、みんなで防空壕さ入ったことは憶えてます」

──青森へはいつ出てきたのですか。

「新制中学を出てから、こっちへ働きにきたの。戦争が終わって昭和25年頃、船に乗って出て来た。その頃は外ヶ浜の龍飛(旧三厩村龍飛)から、陸奥湾のあちこちを寄りながら青森港まで行く汽船があったんです。

青森港は北海道から運んでくる石炭の陸揚げがあったし、連絡船もあったから空襲があってさ、街はほとんど燃えてしまってた。私はそんな青森で店員をして働きだしたの」

──焼け跡の闇市の時代ですね。

「私がお勤めしたのは、洋服とか何でも売るお店で、今はもうなぐなったけど、お店は駅前の新町通りにもあったし、柳町通りにもあって繁盛してた。30歳で結婚するまで、そこで働いだから、12~13年はいたのかな。そのときに憶えてるのは今の天皇陛下が結婚(昭和34年)されたことと、ダッコちゃんのブーム(昭和35 年)。その頃の青森駅前は、闇市から長屋みたいな小さなお店がいっぱい並んでりんごを売る“りんご市場”に変わって、飲み屋さんもいっぱいできてきたんです」

──はる江さんはモテたでしょうね。

「アハハ、モテないよお。部屋を借りて、ひとりで生活して、遊びに行くこともねかった。お酒も飲まねし、遊びたいとも思わねかった。だから、30歳まで結婚もできねかった。私はさ、見ての通り社交的でながったから」(笑)

──旦那さんとはどういう出会いでしたか。

「旦那の妹さんが、私と同じお店で働いていたんさ。妹さんに用があって店をのぞいたときに、私を見て一目ぼれしたんだと(笑)。

結婚して10年ぐらい経って、お姑さんに店を譲ってもらって働くことにしたのは、旦那の収入があんまりなかったから。セールスマンなのに、うまく喋れねえほうだもんで。

ほら、金庫みたいな、いまだば何だべ……。あぁ、レジスターだ。あれを売り込まなきゃなんねえのに、旦那は口べたなもんで、なかなか商売にならないのさ。商品を仕入れて売り歩いてもお客がとれないから、ぜんぶ借金になっちゃった。その借金を返すのもあって、私が働がないといけなくなったの」

──お子さんはいますか。

「ふたりいます。今みたいな保育園もながったから、子供たちを育てながら働いたのさ。

その頃は、店にお客さんが多く来て忙しかった。朝早くから、夜は6時半過ぎまで働いでた。お客さんは市場で働く人や買い物に来る人たちで、最初は見よう見まね。夢中で頑張ったけど、私も社交的でないから大変だった。脂っ気もぬけた今は、口べたに見えないかもしれねぇけど」(笑)

──店のたたずまいは昔のままですか。

「私が引き継いだ頃となんも変わってない。店先の庇のとこだけ、3年前に取り換えた。雪の重さで“ドーン”と壊れてしまったの。

店は昔のまんまだけど、お客さんは減ってる。ここ2~3年で、急に減った。長い付き合いのお客さんは、もう歳をとって来れねくなったし、いまどきの若い娘っこは車でスーパーとかに行ぐからね。寒いば来ねえし、今は暇だば。“働けど働けど”さ。それでも、年金をもらったときに来る人は結構いるよ」

──それは、ひとり暮らしのお年寄りですか。

「家族と住んでてもさ、食べ物が合わねからって来るんだ。自由に使えるおカネが入れば、ここさ寄る。そのついでに、お喋りに来るじゃ。私も来れば、話さするし」

──一日の過ごし方は?

「朝は4時に起きて、毎日やることは神様にご飯をお供えすることと、自己流の体操だ。腰を回したり、手足を“うーん”と伸ばしたり。自分で“いいな”、って思うことを勝手にいろいろ取り入れてやってるんです。

6時8分のバスに乗るんで、家は5時55分に出る。店さ着くのは6時半頃。それから店を開ける用意をして、9時半頃から営業開始です。午後は3時半頃から少しずつ片づけ始めて、4時過ぎに閉店。

朝はさ、開店の準備をしながら、ご飯を炊く前に必ずコーヒーを淹れて飲むんだ。それが私にとって、“仕事を始めるぞ”と気合を入れて、自分を励ます合図みたいなもんです」

──コーヒーが好きなんですか。

「そうだ。コーヒーはさ、若いときから好きだじゃ。初めて、コーヒーを飲んだのは青森へ出てきて働いてた20代の頃。

『キャンドル』とか『ラヴェル』とか『アマンド』とか、街に美味しいコーヒーを飲ませる喫茶店ができ始めてた。でも、私はそういう洒落た店に行って飲んだわけじゃないの。その頃からインスタントコーヒー。でも、昔はすごくハイカラな飲み物だったんだよ。

今もそうだじゃ。毎朝、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れて飲むときが、すごく幸せなひとときだ」

──大きな病気をしたことはありますか。

「大腸を7年前にちょこっと取った。そんときは1週間で退院したけど、お医者さんに“骨粗鬆症気味だから、運動をしなさい”って言われて、家の周りを少しばかり歩いたけど、2~3周回ると飽きちゃうの(笑)。

2か月くらいはやってたけど、私はいつも仕事でずっと立ってるし、動いてるから“いいや”と思ってやめてしまった」(笑)

「私は楽をしてないし、一日中働いてるから、なんぼでも眠れる」

──『寿司一』さんとは仲良しですね。

「イッちゃんは、朝の仕入れが終わると、ここさ顔を見せるんだ。そのときにイッちゃんが、店のお客さんで東京や京都の偉い人たちを一緒に連れてきては、お酒を持ち込んで、よく酒盛りしていぐんだ。テレビや雑誌の取材の人もイッちゃんから聞いてくるみたいで、私は、本当は取材はあんまり受けたくねけど。

イッちゃんは正直、面倒くさいときもあるよ(笑)。この頃は少しおとなしくなったけど、昔は本当に我儘でさ。なんぼでも私の悪口を言う。もう言いたい放題、言ってくんだ。よその店でそんなこと言ってると、すぐ出入り禁止だじゃ。だけども、私はなんもうるさいこと言わないから、ここへ来て自分の店じゃ言えねえことを言って、憂さばらしをして帰るんです」(笑)

──イッちゃんの店には行きましたか。

「ない、ない。行ったことありません。ああいう高級な所は“入るべからず”だ」(笑)

──好きな食べ物はなんですか。

「何でも食べるけど、肉は食べない。肉は昔から嫌いです。だけど魚なら何でも食べる。小骨があるところも好きなんだ。ただ、鮫とか、ニュルニュルした鰻とかは苦手。それ以外の魚は何でも好きで、煮ても焼いてもいい。私の元気の秘密は魚です」

──遊びに出かけたりはしませんか。

「東京で働いてる娘と広島さ一緒に行ってきたことはあるけど、それだけ。あんまり出かけたくない。あちこち歩きたくないんだ。休みのときは、家で寝てるのがいちばん(笑)。

私、なんぼでも眠れるよ。寝るのがいちばんいい。だから、休みの日は一日中寝てる。よく、歳をとると長く寝てられないっていうけど、それは普段、楽してる人の台詞だじゃ。私は働いてるから、なんぼでも寝てられるし、トイレに起きたこともない。朝までぐっすり」

──趣味とか、楽しみはありますか。

「楽しみは何だべ、何もねんでないかな。本も読まね。週刊誌とかはたまに見るけども。テレビは時代劇が好きだけど、チャンネル権は私にはないから、一緒に住んでる息子の好きな番組を観るだけ。昔は旦那にチャンネル権があったけど、もう十三回忌が終わったとこ。チャンネル権は息子に移ってます」(笑)

──民謡を歌うとか、カラオケもしませんか。

「そんなことしない、しない。歌わね(笑)。私は“働けど働けど”で生きてきた。それだけだ。昔は貧しかった。今はみんな、贅沢だ。おカネの遣い方をみてると本当にそう思う。着るものも、1年も着たら投げてはるじゃ。私らの時代はそうじゃない。着るものはさ、大きい兄弟から順に下へ回して着ていたもんだ。それが当たり前だと思ってきたし、だから楽をしたいとかも思わねんだ。私は死ぬまで“働けど働けど”、さ」

──店はいつまで続けますか。

「継ぐ人はいねえけど、ここは私の実家みたいなもんです。それに、私は年金がないから、働かなきゃいけない。いずれ息子の世話には必ずなることだから、自分が働けるうちは店をやっていこうかなと思う。いつまでできるかはわからねえけど、息子や孫に苦労はかけたくないから、生きてる限り、この店をやっていこうと思うんだ」

●横山はる江(よこやま・はるえ)
昭和9年、青森県生まれ。生家は津軽半島の外ヶ浜の漁師で7人兄弟の6番目。戦後の昭和25年、中学卒業後に青森市へ出て、衣料雑貨の店員として働き始める。同38年、30歳で結婚。40歳を機に姑が戦後間もない時期から続けてきた『横山商店』の権利を譲り受ける。以後、“はる江食堂”の通称で、各種の手作り惣菜を商い続けて今に至る。人気の焼きおにぎりの味わいとともに、昭和の名残を伝える店の風趣もまた戦後世代には懐かしい。

【横山商店(通称“はる江食堂”)】
青森市古川1-11-16 青森魚菜センター裏 
電話:なし 
営業時間:9時30分頃~16時頃 
定休日:日曜ほか不定休

※この記事は『サライ』本誌2018年4月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/佐藤俊一 撮影/宮地 工)

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_bdddabba2fe8_手でつまむか、箸で食べるか?握り寿司の上手な食べ方  bdddabba2fe8 bdddabba2fe8 手でつまむか、箸で食べるか?握り寿司の上手な食べ方  oa-serai 0

手でつまむか、箸で食べるか?握り寿司の上手な食べ方 

2018年4月25日 16:00 サライ.jp

文/山本益博 イラスト/石野てん子

江戸の古川柳に「握られて出来て食いつく鮨の飯」というのがあります。握り鮨は握りたてをすぐに食べるもので、時間がたっては美味しくないというわけです。

鮨職人の手で握られた鮨ですから、素手で食べた方が美味しいのは当然ですね。しかし、なかなか上手に鮨をつまめる方がいらっしゃらない。皆さん小さいときから自己流で食べてきたから、間違っていても直そうとしません。

江戸時代、屋台から始まった鮨は、握りの上に煮きり醤油が適量ひかれて目の前に差し出されました。穴子やはまぐりの上には、煮詰めといって、穴子の煮汁を詰めた甘いソースが塗られました。屋台ですから洗い物は少ないほどいいので、醤油の小皿はありませんでした。

ところが、職人が手を抜いて煮きり醤油を用意しなくなると、客は自分で握りに醤油をつけなくてはならなくなりました。

酢めしではなく鮨だねに醤油をつけるとなると、握りを返さなくてはなりません。この手順を繰り返すうちに、鮨だねを下に、つまり握りをひっくり返して食べる客が出てきました。聞いた話ですが、何でもひっくり返して食べていた客が、いくらの軍艦巻きを返して食べて、いくらをぼろぼろこぼしたとのことです。

煮きり醤油がひいてあれば、酢めしを下に、そのまま鮨をつまんでいただけばいいのです。その時、人差し指を使わず、親指、中指、薬指の3本の指で酢めしをそおっとつまんでいただくとまず失敗しません。端から見ていてもとてもエレガントです。

もし手ではなく箸で召し上がるのであれば、箸を御神輿の二点棒の如く、平行にして、酢めしの両脇からそっと持ち上げると、美味しく食べられます。



ちなみに、酢めしを下にして食べるのはなぜか? 握り鮨はご飯を美味しく食べる料理のひとつだからなのですね。

文/山本益博
料理評論家・落語評論家。1948年、東京生まれ。大学の卒論「桂文楽の世界」がそのまま出版され、評論家としての仕事をスタート。TV「花王名人劇場」(関西テレビ系列)のプロデューサーを務めた後、料理中心の評論活動に入る。

イラスト/石野てん子

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「『ちょいフル中古車』でオトコを奮い立たせろ!」

2018年4月25日 16:00 サライ.jp

【テリー伊藤のクルマコラム】

文/テリー伊藤(演出家)

こんにちは、テリー伊藤です!

サライ世代の皆さんにとって、家計のバランスを崩すことなくクルマに割ける予算は、だいたい300万円といったところじゃないでしょうか。ところが最近のクルマの多くはモデルチェンジのたびに値上がりして、手が届きにくくなっています。そこで今回おすすめしたいのが、中古車。第1回で書いたように、クルマは無理して買ったらカッコわるい!

クラシックの域までいかない「ちょいフル中古車」なら、維持するのは決して難しくありませんよ!

■アルファロメオは意外にも「赤」が大穴!
僕がクルマでよく通る場所に、けっこう有名な欧州中古車屋さんがありまして、先日そこで真っ赤なアルファロメオを見つけました。90年代のモデルで、屋根が開くスパイダーです。値段を見たら、コミコミで200万円。これはいいな~と僕は思ったんですが、お店の聞くと、そのクルマは随分前から店頭にある売れ残りでした。といっても、別に大きな故障を抱えているわけでもなく、状態は悪くない。じゃあなんで売れないのかというと、「赤だから」だというんです。最近はいかにもイタリア車らしい赤よりも、白とか青のほうが人気あるんですって。

アルファロメオのスパイダーといえば、映画「卒業」でダスティン・ホフマンが乗っていたモデルが有名ですね。でもあれはクラシックカーだから、状態のいい中古車は高いし手もかかる。その点、90年代のちょいフルなら、よほど特別なモデルでなければ300万円くらいで買えちゃうし、今なら一番アルファロメオ的な赤がお買い得ときてる。屋根付きのガレージで大切に保管する必要もなく、気軽に乗れちゃうのがいいですね。まあ、幌の隙間から雨漏りくらいはするかもしれませんが、世の中のクルマがどれも快適になった今、少しくらい不便なほうが根性を入れて乗れるというものです!

■セクシーなお尻がたまらないVW・シロッコ
いっそのこと、不人気車を探してはいかがでしょう。不人気というと嫌なイメージを持たれるかもしれませんが、その理由は「家族で乗るには不便」「左ハンドルしかない」「カタチが個性的」といったもので、視点を変えれば決してマイナスにはならないポイントばかり。しかも、それは「あまり人が乗っていない」という意味でもあるわけで、人とは違う個性を求めるなら、むしろメリットになります!そんな不人気車は、僕の大好きなフォルクスワーゲンにもあります。誰もが知っているゴルフより大柄なセダン、パサートなんか渋くていいと思います。現行型は高級感を追求してキラキラしているけど、90年代のモデルは質実剛健な作りに徹していて、背伸びした感じがない。真面目なお父さんにおすすめです。

「いやいや、俺はもっと弾けたクルマに乗りたいんだ!」という方には、シロッコなんていかがでしょう? 初代は1970年代に登場した、ゴルフをベースにした3ドアのスポーティなハッチバック車です。はじめの頃はけっこう売れたんですが、最大のウリである、2ドアで天井の低いスタイルが仇となり人気が低迷。90年代に姿を消してしまいました。ところが2000年代になって、また復活したんですよ。やはり2ドアのスポーティなデザインで、ボディの後ろの踏ん張った感じが女性のお尻のようにセクシー! あれ、僕はたまらなく好きだな~。なのに、やっぱり不人気で数年前に日本での販売が終了…。

フォルクスワーゲンって、昔も今もゴルフとその弟分のポロに人気が集中していて、そんな優等生がいてもいいと思うんですけど、なぜかメーカーはシロッコみたいな、面白いけど大衆ウケしないクルマを出してくる。案の定売れなくて引っ込めるんだけど、少し経つとまた懲りずに出してくるんですよ。そんなクルマだから、出来は悪くないのに中古車は格安。もともと品質には定評のあるメーカーですから、ちょいフルでも安心して乗れます。皆さんもシロッコのセクシーなお尻を眺めながら、オトコを奮い立たせてみませんか?

文/テリー伊藤(てりー・いとう) 
昭和24年、東京生まれ。演出家。数々のテレビ番組やCMの演出を手掛ける。現在は多忙な仕事の合間に、慶應義塾大学 大学院で人間心理を学んでいる。

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_bb656c1f6b49_一人前になるために、つくり続けたナムル bb656c1f6b49 bb656c1f6b49 一人前になるために、つくり続けたナムル oa-serai 0

一人前になるために、つくり続けたナムル

2018年4月23日 16:00 サライ.jp

【コウケンテツの料理コラム】「世代へ受け継ぐ味」

(母と一緒に料理中のスナップ。どんな野菜でもナムルをつくれるようになったら一人前。それが母の考え方でした。)

文・写真/コウケンテツ(料理家)

人生、出会いがすべてだな、と思うんです。というのも、妻と出会っていなかったら、僕の料理家人生はなかったかもしれないから。

僕が料理家になって、初めての撮影現場。担当は男性の編集者でしたが、後輩の女の子の編集者を現場に連れてきました。実は、それが今の奥さん。おそらく、「コウさん、まだ撮影に慣れてないから、手伝ってあげて」みたいな感じで、編集さんが気を使ってくれたんでしょう。テキパキと手伝ってくれたおかげで、撮影はスムーズに進み、僕はすごく楽しく仕事を終えることができました。

大阪に戻って、撮影に関わってくれたスタッフのみなさんにお礼のメールを送ったんですが、そのまま彼女とはメールのやりとりが続き、お互いの仕事についての相談などをするようになりました。

あるとき、彼女からメールがきたんです。「本気で料理家としてやっていきたいなら、東京に出てきたら?」って。確かに、出版社は東京に集中しているので、大阪にいたら料理家の仕事はなかなかありません。でも、料理家としてやっていける自信もなかったし、上京するなんて考えてみたこともなかった。そもそも、お金が全然ない。正直にそう言ったら、「なんとかなるから大丈夫」って。えっ? 大丈夫かな、この子!? 会ったのも数回だけ。まさに青天の霹靂! 「料理家といってもキャリアがないし、修業もそこまでちゃんとしていないし」と言い訳めいた返事をしたら、「そんなこと言っていたら道が開けないよ!」って一喝。僕より5歳も年下の女の子に……。

母は東京へ出ることに反対しました。「いきなり行って、何ができるの? まだ軌道にも乗ってないでしょう」って。ずっと心配をかけっぱなしだった母。唐突な息子の言葉に、気を揉んだに違いありません。でも僕は、「大丈夫だから」という彼女の言葉を信じて、カバンをひとつで上京しました。そのとき、僕の財布に入っていたのは、全財産の5万円だけです。

上京する前日。母から「ナムルをつくってみなさい」と言われました。すごく簡単で、すごく難しい料理、それがナムル。僕は5種類のナムルをつくり、母に食べてもらいました。すると母は「これは水分が多い」「そっちは火の通りが甘い」とひとつひとつ、ダメなところを的確に指摘してくれたんです。

たとえば、定番のほうれん草のナムル。つくり方は単純で、ゆでてから水に取って水気を搾り、調味料で和えるだけ。でも、産地や時期によって、含まれている水分量やえぐみや苦味といった味が、全然違います。だから、そのときの野菜がどういう状態なのか、触ったり味をみたりして、ベストな味つけをしなければなりません。本当はナムルって、レシピが絶対に出せないものなんです。

どんな野菜でもナムルがつくれるようになったら一人前、それが母の考え方。「とにかく、東京では毎日、ナムルをつくりなさい」と言われました。母からの最高の餞別であり、宿題でした。

無事に上京した僕でしたが、彼女にまた怒られてしまいます。上京してすぐにやったのは、履歴書を買ってくること。お金がなくて、アルバイトしなくちゃと思っていたからです。それに、料理家としてやっていけるかどうかもわからない。頼りない僕に彼女は「何考えてるの? ここまで出てきてアルバイトって!」と、再び一喝。そんな時間があったら、いい料理をつくれるようになりなさい。料理家としてやっていくことに専念しなさい。年下の彼女から、そう言われたんです。

それからは、起床して朝食をつくって、彼女を会社に送り出したあとは、ひたすら料理の研究をする日々。母の言葉通り、ナムルは毎日毎日、つくり続けました。今日は近くのスーパーで、翌日は駅の向こうのスーパーで、ほうれん草を買ってくる。そしてナムルにする。ベストなゆで方、ベストな味つけ、正解はどこにあるんだろう。来る日も来る日も、ナムルナムルナムル。もう僕にはそれしかない、道を切り開くには……!

半年くらい経った頃でしょうか。そんな努力が実り、気づいたら手帳のスケジュール表は真っ黒になっていました。僕の仕事があまりにも忙しくなったので、彼女も僕のサポートにまわってくれました。

さらに時を経て、上京してから2年目くらいの、真夏の暑い日。母が仕事のついでに僕を訪ねてきました。わざわざ来てくれた母のために、僕はお昼ご飯の準備に取りかかりました。ゆでたそうめんと、色鮮やかな夏野菜のナムル。きゅうり、なす、トマト、ズッキーニをナムルにして、そうめんの上にのせて食べるんです。薬味として、ミョウガも一緒に添えました。

母に食べてもらうのは、緊張しました。しかも、夏野菜は水分が多いので、ナムルにするのがちょっと難しい。ところが、母が僕の料理を食べて、ぽつりとこう言いました

「よくここまで頑張ったね」

それから母は続けて、「今、あなたがたくさんの仕事をもらえている理由が、このナムルを食べてわかった」とも言ってくれました。やっと、母に一人前として認めてもらうことができた! 料理家として本当に独立できたんだ! そんな嬉しい気持ちがこみあげてきて、忘れられない日になりました。

文・写真/コウケンテツ(料理家)
1974年、大阪生まれ。母は料理家の李映林。旬の素材を生かした簡単で健康的な料理を提案する。テレビや雑誌、講演会など多方面で活躍中。3人の子どもを持つ父親でもあり、親子の食育、男性の家事・育児参加、食を通じたコミュニケーションを広げる活動にも力を入れている。『李映林、コウ静子、コウケンテツ いつものかぞくごはん』(小学館)、『コウケンテツのおやつめし』シリーズ(クレヨンハウス)など著書多数。

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マラソンは旅するいいわけ【旅ラン3】

2018年4月23日 16:00 サライ.jp

【角田光代の旅行コラム】スペイン・マドリッド

(ようやくのゴール。スタッフたちがいっしょに喜んでくれます。(写真は2017年4月撮影))

文・写真/角田光代(作家)

自分の小説のスペイン語版が出たとき、マドリッドの文学イベントに招かれた。さらにもう一冊スペイン語で出版されたときは、バルセロナのイベントに呼んでもらった。この2回ですっかり私はスペインに魅了され、ことあるごとに、スペインにいく理由はないだろうかと考えるようになった。理由などなくても行くのが旅というものなのだが、休みも取れない多忙さのなかで「行きたいから行く」のには、なんとはなしに罪悪感がつきまとう。

マドリッドマラソンにエントリーしたのは、ただマドリッドに行きたかったからだ。いわばスペイン旅行のいいわけ。

さてそのマラソンであるが、スタート地点は中心街のシベーレス広場。プラド通りにランナーの列がずらり並んでスタートの号砲を聞く。そこから東京の丸の内のようなオフィス街を進む。

このマラソン大会はロックンロールマラソンという名称で、その名の通り、沿道のそこここにブースがあり、いろんなバンドが演奏している。だれもが知っている世界的ヒット曲なんかを演奏するのだろうと想像していたが、どのブースでもスペインでは有名なのだろう曲を演奏したり歌ったりしている。しかもロックっぽくない。

20km地点手前くらいから中心街に戻ってきて、このあたりは走りながら観光もできてちょっと楽しい。スペイン広場や王宮、数々の教会などに見とれているとつらいことも少し忘れる。沿道で応援してくれる人も多くなり、みな「バモス!」「アレー!」とランナーに向かって叫んでいる。ある人は、おそらくそれだけ知っている日本語なのだろう、「ありがと! ありがと!」と私に向かって真顔で叫んでくれて、こちらこそありがたくて泣きそうになってしまった。

後半は、とてつもなく大きな公園をふたつ抜けていく。この公園が本当に美しくて、気持ちよさそうで、心底楽しそうに遊ぶ家族連れの姿がたくさんあって、体はとてもつらいのに心は和む。しかし後半は、いったいだれがコースを考えたのかと本気で怒りたくなるくらいの長い長い上り坂。

ようやくのゴールはまたしても街の中心に戻り、お洒落なサラマンカ地区を通ってレディーナ→レティーロ公園だ。ゴール地点にいるスタッフたちが、こぞってハイタッチをしてくれる。

前の日はセーブして飲んだので、この日はとことん飲もうと決めていた。地下鉄のアントン・マルティン駅とセビーリャ駅の中間あたりに、飲み屋がずらりと並ぶ通りがあって、そこではしご酒をするのを楽しみにしていた。

ところが、一軒目に入った店で頼んだカヴァが、どうもするすると入っていかない。というよりも、飲んだり食べたりするのがおっくうなくらい体が重い。しかしそこで2杯飲み、飲み屋通りへと向かった。ものすごく人で賑わっている一軒があるのだが、そこは立ち飲み屋である。立って飲み食いできる気がしない。

テーブル席のある店に入り、ワインとともにタパスをいくつか頼んでみても、おいしいとは思うのに、たくさん飲み食いできない。ふだんフルマラソンのあとは飲んでも飲んでも飲み足りないし、食べても食べてもおなかが空いているのだが、この日は、疲れすぎていて、飲むより食べるより、横になりたい。これじゃ、ただ走りに来ただけじゃないか! と本末転倒の後悔がこみ上げる。

やっぱりマドリッドは走るより、飲みに来たほうがいいんじゃなかろうかと思いながら、それでも三軒はしごした。

文・写真/角田光代(かくた・みつよ)
昭和42年、神奈川県生まれ。作家。平成2年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。近著に『私はあなたの記憶の中に』(小学館刊)など。

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_17ce28a38e62_泉鏡花が憑かれたように集めた兎の置物【文士の逸品】 17ce28a38e62 17ce28a38e62 泉鏡花が憑かれたように集めた兎の置物【文士の逸品】 oa-serai 0

泉鏡花が憑かれたように集めた兎の置物【文士の逸品】

2018年4月23日 16:00 サライ.jp

泉鏡花の兎の置物

文/矢島裕紀彦

神経症と言っていいくらいの、独自の気の遣い方であった。極度に黴菌(ばいきん)を恐れ、酒はぐらぐらと煮立てた熱燗ならぬ煮え燗。もちろん、刺し身など見るのも嫌。豆腐の「腐」の字さえ忌避して「豆府」と書いた。

いざ執筆の前には、御神酒徳利の水差しで、原稿用紙にお清めの水をふりまく。言葉に宿る霊魂を信じ、書き損じの抹消部分は、言霊(ことだま)の蘇ってくることのないよう黒々と塗りつぶした。

『高野聖』『歌行燈』などに見られる絢爛たる美文、幽玄の作品世界も、こんな鋭敏に過ぎる神経を持つ泉鏡花ならでは、紡ぎ出せたものであったろう。

そして、兎の置物のコレクション。鏡花の生まれ故郷・金沢には、自分の干支から7番目に当たる動物を集めると出世するという言い伝えがあった。それ故に、憑かれたように集めた兎の数は膨大。多くの遺品や生原稿が文学資料として寄贈される中、手放しがたく神奈川逗子市の泉名月さん(鏡子の姪)のもとに残されたものだけで、なお50体を超えるという。

形や大きさはさまざま。読みつがれ、演じつがれる鏡花文学の行く末を、見守るが如き目線を持つ兎たち……。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。

※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。

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万病の元「慢性炎症」が加齢によって起きやすくなる理由

2018年4月23日 16:00 サライ.jp

文/中村康宏

前回お話したように、生活習慣病やがんを含む加齢関連疾患に共通するメカニズムとして注目されているのが「慢性炎症」です。その特徴として、「老化」に伴って慢性炎症が起きやすくなることが挙げられます。

近年の研究で、この老化と炎症をつなぐメカニズムが明らかになってきました。今回は慢性炎症の原因と特徴、その予防について解説します。

*  *  *

老化に伴って慢性炎症が起きやすくなる背景として、(1)免疫の変化、(2)細胞の老化、(3)全身的な要因、の3つの要因が寄与していると考えられています。

(1)免疫力の変化:死んだ細胞の「食べ残し」が増える
老化に伴って、死んでしまう細胞が増えます。死んだ細胞は免疫細胞の1種類である「マクロファージ」と呼ばれる細胞によって迅速に処理されます。

ここで言う「処理」とは、マクロファージには異物を掃除する役割があり、死んだ細胞を食べてその場から消してしまうことを指します。しかし、加齢に伴ってマクロファージの機能が低下すると、死んだ細胞の「食べ残し」が生じてしまうのです。

死んだ細胞のカスは免疫細胞が働く刺激となり、炎症が収束しなくなります。その結果、慢性的に炎症が続く状態になるのです(※1)。

(2)細胞の老化:老化した細胞が蓄積される
老化した細胞は、「細胞老化関連分泌因子(SASP因子)」と呼ばれる炎症シグナルや老化シグナルを分泌するようになります。これらによって、マクロファージなどの免疫細胞が呼び寄せられ不要な老化細胞は、カラダからキレイに消えてしまいます。

しかし、この老化した細胞がそのまま長期に生体内に生存し蓄積すると、SASP によって炎症シグナルが分泌され続けます。するとその周囲の組織に炎症反応や発がんの促進を引き起こす生体にとっては、好ましくない環境を作ってしまうのです(※2)。

(3)全身の変化:蓄積した脂肪が炎症を誘導する
加齢に伴う全身的な代謝や内分泌系の変化も、炎症を促進する可能性があります。例えば、閉経などによるホルモン濃度の変化によって慢性炎症が誘導されることがわかっています(※3)。

また、肥満は内臓脂肪組織を始めとして様々な組織に炎症を誘導することがわかっています。加齢により、本来脂肪をためておく場所である「皮下脂肪」の機能が低下し、皮下脂肪の量が減ると、行き場所を失った脂肪組織は内臓脂肪や本来脂肪が蓄積しない組織(肝臓、筋肉、骨髄など)に蓄積するようになります。すると、皮下脂肪以外の場所に蓄積した脂肪は、その組織で炎症を誘導することが明らかとなっています(※4)。

このように、加齢に伴う様々な要因が、慢性炎症を引き起こしているのです。40代後半から50代にかけて急激に病気が増え始める背景には、症状として現れない慢性炎症が関与していたのです。

慢性炎症が起きると老化が慢性炎症を起こし、慢性炎症がさらに老化を加速させるという負の連鎖に陥ってしまいます。これも慢性炎症の厄介なポイントです。

慢性炎症は細胞レベルの老化を促進する

慢性炎症はDNAの損傷をもたらし、遺伝子レベルでの細胞老化をもたらします。すると、細胞老化が始まり、生きた細胞の成長と分裂が止まるため、体内の組織が再生したり自己修復する能力が制限されてしまいます。

細胞老化が進むと、組織の機能は低下していき、さらに上述のSASP因子の分泌も増えることになり、さらに老化が加速し慢性炎症も増悪する、という悪循環に陥ります(※2)。

慢性炎症は全身に飛び火する
ある場所に慢性炎症があったとしましょう。例えば「歯周病」は、歯周組織における歯周病菌の感染で発生する慢性炎症です。そこで産生された「炎症性サイトカイン」と呼ばれる炎症シグナルは、血液や血管を介して他の臓器へと影響します。

具体的に、歯周病による炎症は、血管の炎症を引き起こし、動脈硬化を促進すると言われています(※5)。

このように慢性炎症は、炎症のある組織に留まらず、血液や血管を介して、実にさまざまな全身の臓器へ影響を及ぼすことが分かってきました。

気長に慢性炎症を抑える努力が健康長寿に直結する
20〜30代では周りはみんな同じような体型・肌のつや・健康状態をしていますが、80歳になると元気な人から寝たきりの人まで病気の有無・認知レベル・活動範囲などのどれをとっても個人差はとんでもなく広がります。これは、慢性炎症をはじめとする体を蝕む反応を日々どれだけ抑えてきたかによって、長い年月をへて大きな差として現れるからです。

何にでも当てはまることですが、小さな努力は、すぐに実感できるような大きな変化をもたらしません。しかし、大きな変化とは、あくまでも結果であり、その結果に至るまでの毎日の地道な努力の積み重ねが、将来の自分を変えていけるのです。このことを認識して気長に慢性炎症に取り組む必要があります。

慢性炎症を防ぐためには
これまでの説明のように、カラダのどこかに炎症があれば、それは全身に飛び火する可能性があります。加齢による機能低下は避けようがない部分ではありますが、肥満、歯周病、喫煙習慣など炎症の元となるものを改善することで、慢性炎症の悪循環を軽減することができます。

また、慢性炎症と酸化ストレスはニワトリと卵のような関係ですので、ポリフェノールやビタミンC等を多く含む抗酸化物質・食品を積極的にとるようにしましょう。

炎症を抑えるものとして注目を浴びているのが「ω-3(オメガスリー)多価不飽和脂肪酸」です。脂肪酸はその形態から「飽和脂肪酸」と「不飽和脂肪酸」に分類されます。魚油に豊富に含まれる「EPA」や「DHA」などのω-3多価不飽和脂肪酸は、抗糖尿病・抗動脈硬化作用を有するホルモンの産生促進作用や免疫細胞への作用などを有し、炎症を抑制する効果が明らかになっています(※6)。明確なメカニズムは研究段階ですが、心臓病の発症を抑制したりリウマチ症状を改善することなどが証明されており、その効果が期待されています(※7)。

*  *  *

以上、今回は慢性炎症を起こす原因、特徴、そして予防について解説しました。

その原因からもわかるように、慢性炎症は年齢とともに起こりやすくなるため、生きている限り細胞機能・臓器機能の低下はまぬがれません。しかし、それを軽減することはできますし、小さな努力が後の大きな変化を生むことになります。

目に見える成果がすぐに見えないのが難点ではありますが、気長に努力を続けていくことが健康長寿の最大のポイントです。

【参考文献】
※1.J Immunol 2014; 193:4235-44
※2.Proc Natl Acad Sci U S A 2007: 104; 15034-9
※3.J Immunol 2009; 183: 1393-402
※4.J Clin Invest 2011; 121: 2111-7
※5.J Periodontol 2001: 72; 774-8
※6.Arterioscler Thromb Vasc Biol 2007: 27; 1918-25
※7.糖尿病 2011: 54; 480-2

文/中村康宏
関西医科大学卒業。虎の門病院で勤務後New York University、St. John’s Universityへ留学。同公衆衛生修士課程(MPH:予防医学専攻)にて修学。同時にNORC New Yorkにて家庭医療、St. John’s Universityにて予防医学研究に従事。

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_d179cb068518_断捨離がつなぐご近所とのネットワーク d179cb068518 d179cb068518 断捨離がつなぐご近所とのネットワーク oa-serai 0

断捨離がつなぐご近所とのネットワーク

2018年4月23日 16:00 サライ.jp

【進藤晶子の暮らし・家計コラム】

(子どもの手提げカバンやエプロン、ランチョンマットなどなど。エプロン以外は今も使っています。)

文/進藤晶子

独身時代、友人のスタイリストさんたちとよくフリーマーケットに参加していました。代々木公園で日曜日の朝、洋服や小物、雑貨、引き出物でいただいたマグカップなどの食器を並べていました。

100円と値段をつけているところに、「50円でいい?」とお客さんに聞かれ、値引きしたりしなかったり。積もり積もって、けっこう豪華なランチ代になるぐらいの売り上げになりました。お客さんとの会話も含めて、とても楽しかった!

私にとっては不要になったものを、だれかが購入し、有効に使ってくれる。フリマはとても優れた仕組みだと思います。が、今はなかなか参加できなくなってしまって、本当に残念。

そこで、たまってしまった本は古本のリサイクルビジネスを始めた書店に引き取ってもらったりしています。実家では母が断捨離(?)を進めていて、私の子ども時代の絵本やおもちゃ、学生時代からためにためたCDなどを、私も帰省の折にかなり整理しました。父は常々「本は捨てるな!」と横からのチェックが厳しいのですが、リサイクルになるのならいいかなとこっそり選り分けています。

先日、私がMCをつとめているテレビ番組『熱中世代』(BS朝日)にゲストとしてお越しくださった作家の五木寛之さんが「断捨離はしないほうがいい」とご指南くださいました。

なぜならば……だんだん、昔のことを思い出せなくなるけれど、その時代に使っていた思い出の品を見ることで記憶が鮮明に蘇る。そういった記憶を喚起する物に囲まれて過ごすことこそ、豊かな時間なのだ、と。

五木さんは、若いころに奮発してオーダーメイドした靴を、今も捨てずに大切にしていらっしゃるそうです。それを見ると、そのころ自分が何をして、どんなことを考えていたのかなど、いろいろと思い出せる道具でもあるからとのことで、そのように楽しく回想することこそが、歳を重ねてからの人生の醍醐味なのだとおっしゃっていました。

そううかがってから、何でも整理すればいいというものでもなく、自分と関わりの深いもの、思い入れの深いものを残すことにも意味があるのだと思うようになりました。

たとえば、我が子が幼稚園で使っていたリュックサックや手提げのバッグ。もうずいぶん汚れていますが、私が自分で縫ったものなんです。今、そのリュックサックを見ると、夜中に目をショボショボさせながら刺繍したことや、その頃の子供の様子など、鮮やかに思い出されます。こういうものは、やっぱり捨てられませんよね。

子ども用品のリサイクルが近所つきあいを深める
思い入れの深いもの以外は、小さなお子さんのいる方にまとめて差し上げたり、リサイクルショップに引き取ってもらったりしています。我が家も、以前はママ友からたくさんおさがりをいただきました。4〜5歳児の靴なんてあっという間に履けなくなります。ほとんど新品同様、有効に使わせていただき、ありがたい限りです。

こうした子ども用品のリサイクルを通して、新しいネットワークも生まれました。大人同士だと遠慮した距離感のお付き合いだったのが、子育てという共通点が生まれ、おさがりをいただいたり差し上げたりしている間に、いろいろな情報交換をするようになりました。あそこの小児科どうですか?とか、お稽古事の教室情報などなど。不思議なものですね。

世の中、断捨離ブームですが、捨てることからつながるご縁もあるように思います。リサイクルは、まさに情報交換から始まりますものね。

文/進藤晶子(しんどう・まさこ)
昭和46年、大阪府生まれ。フリーキャスター。元TBSアナウンサー。現在、経済情報番組『がっちりマンデー!!』(TBS系)などに出演中。

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cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_bfb55a618fc5_面白すぎる江戸の滑稽絵を集めた展覧会 bfb55a618fc5 bfb55a618fc5 面白すぎる江戸の滑稽絵を集めた展覧会 oa-serai 0

面白すぎる江戸の滑稽絵を集めた展覧会

2018年4月23日 16:00 サライ.jp

《江戸の戯画-鳥羽絵から北斎・国芳・暁斎まで》展

(画像は、歌川国芳「金魚づくし ぼんぼん」(部分)〔個人蔵〕通期展示)

取材・文/池田充枝

戯画や漫画を「鳥羽絵」と称しますが、狭義には18世紀に大坂を中心に流行した軽妙な筆致の戯画(滑稽な絵または風刺的な絵、ざれ絵と同義)をさします。描かれる人物は、目が小さく、鼻が低く、極端に手足が細長いという特徴をもち、その名は国宝「鳥獣人物戯画」の筆者、鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)に由来するものとされます。

そんな鳥羽絵から北斎・国芳・暁斎まで、江戸時代の戯画の代表作が一堂に会した展覧会《江戸の戯画-鳥羽絵から北斎・国芳・暁斎まで》が大阪市立美術館で開かれています(~2018年6月10日まで)。

鳥羽絵は、18世紀の大坂で鳥羽絵本として出版され、その人気は近代にまで及びました。また、上方にとどまらず、江戸の浮世絵などにも影響を与えています。鳥羽絵を洗練させたとされる大坂の「耳鳥斎(にちょうさい)」はもちろん、鳥羽絵本の影響を受けたと考えられる江戸の「北斎」や「国芳」、そしてその流れをくむ「暁斎」など、時代や地域により変化しながらも、笑いの感覚は脈々と受け継がれてきました。

本展は、鳥羽絵の流れを追いながら江戸時代の戯画のエッセンスを展観します。出品作品は約280件。歌川国芳の「金魚づくしシリーズ」全9図(前期展示)が初めて揃うのが見どころの一つです。

本展の見どころを、大阪市立美術館の主任学芸員、秋田達也さんにうかがいました。

「本展の見どころは、もちろん歌川国芳「金魚づくし」9図の勢揃いにありますが、その他にも葛飾北斎や河鍋暁斎などによる見ごたえのある戯画が多く展示されます。

なかでも、18世紀後半の大坂で戯画を描いて活躍した耳鳥斎の「地獄図巻」は、ぜひ見ていただきたいものの一つです。今でこそ忘れられてしまっていますが、耳鳥斎の人気は高かったようで、その人気は近年にまで及んだと考えられています。「地獄図巻」は、その耳鳥斎を代表する作品の一つです。

得意とするゆるく味のある画風で描かれた鬼や亡者たちを見ていると、それだけでも十分に可笑しいのですが、大根をくわえさせられる役者や串にさされて焼かれる川魚屋など、現生での職業や趣味に合わせて様々な地獄が考えられているところが機知にとんでいて滑稽です。当時評判となったのか同様の作品が数点残されています。

本展は、江戸時代の戯画を漫然と紹介するのではなく、18世紀の大坂で人気となった鳥羽絵や耳鳥斎の戯画が、のちの絵師たち、とくに江戸の浮世絵師たちにどのような影響をあたえたのかを紹介したいと考えています。北斎・国芳・暁斎といった一流の絵師たちの戯画を楽しみつつ、そのような視点からもご覧いただければ、さらに興味深く本展を鑑賞することができるでしょう。笑いを文化として培ってきた浪花の地で、ぜひ多彩な戯画の世界をお楽しみください」

ベルギーから里帰りしたものを含む「金魚ずくし」全9図が揃うのは世界初です。お見逃しなく!

【開催要項】
特別展「江戸の戯画-鳥羽絵から北斎・国芳・暁斎まで」
会期:前期2018年4月17日(火)~5月13日(日)
   後期2018年5月15日(火)~6月10日(日)
会場:大阪市立美術館
住所:大阪市天王寺区茶臼山町1-82
電話番号:06・4301・7285(大阪市総合コールセンター)

開館時間:9時30分から17時まで(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日(ただし4月30日は開館)5月1日も開館

取材・文/池田充枝

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万病の元「慢性炎症」にご注意【予防医療の最前線】

2018年4月23日 16:00 サライ.jp

病気になるまで気づかれない!

文/中村康宏

生活習慣病やがんを含む加齢関連疾患に共通するメカニズムとして、「慢性炎症(まんせいえんしょう)」が注目されています。

「炎症がなぜ病気と関係があるの?」とお考えの方もいらっしゃると思います。炎症は本来体を守るためのメカニズムなのですが、このコントロールがうまくいかなくなると組織の破壊、そして臓器の機能低下や発がんにつながることがわかってきたのです。

そこで今回は、炎症とは何か、そして慢性炎症がなぜ問題で、私たちの体にどのような影響を及ぼすかについて解説します。

炎症には2種類ある
そもそも炎症というのは、医学的には“内的・外的ストレスに対する生体防御反応”のことです。炎症が起こるということは、正常に免疫機能が働いていることを意味します。つまり本質的には、炎症というのはストレスに対する正常な保護的・適応的な応答なのです(※1)。

この炎症は、その経過から「急性炎症」と「慢性炎症」に分けられます。

急性炎症は、細菌・ウィルスへの感染や外傷などにより誘導され、典型的な症状として発赤(赤み)、腫脹(腫れ)、発熱(熱感)、疼痛(痛み)が現れます。

一方の慢性炎症は、急性炎症のような症状を示さないものが多く、くすぶるように炎症が慢性化している状態を指します(※2)。

慢性炎症はどのように発生するのか
カラダは組織の異常(ウィルス感染やがん細胞)に対して、様々な反応を起こします。その一つに、異常部位から「炎症性サイトカイン」と呼ばれる炎症シグナルが出て、免疫細胞を当該部位に集める反応があります。集まった免疫細胞は、活性酸素を用いて異物を攻撃します。その後は「線維芽細胞」と呼ばれる細胞が集まってきます。線維芽細胞は欠損した組織を修復するために「コラーゲン」などの線維を分泌し穴を埋めて行きます。これを足場として毛細血管や元の細胞が再生してきます(※3)。

この免疫細胞をコントロールするメカニズムに異常が起こると、慢性炎症が発生します。急性・慢性を問わず、炎症が起きた場所では下図のような組織修復が起こりますが、慢性炎症では炎症のブレーキが効かず、免疫細胞が活性酸素を出し続けます。
本来、活性酸素は異物を除去するために必要なものですが、活性酸素が出続けると周囲の組織を破壊してしまいます。さらに、組織傷害と同時に上記の修復サイクルが続くことによって、組織の線維化(コラーゲンの沈着)や細胞増殖が異常に進み、最終的には不可逆的な臓器機能障害がもたらされてしまう、という本末転倒な結果に至ってしまうのです。

これを「組織リモデリング」と呼び、慢性炎症が様々な病気を引き起こす元凶の一つと考えられています(※4)。では組織リモデリングの例として、気管支喘息で何が起こっているのか見てみましょう。

上の画像は、健常者(左)と喘息患者(右)の気管支断面の病理画像(細胞を見る検査)です。一目瞭然で両者が異なることがわかると思います。

まず、気道の広さが異なりますね。そして、右側は白色の部分が多いのに対して、左側はピンク色が大部分を占めることにも気づくと思います。それらの原因は、上皮の種類が変わってしまったこと、平滑筋細胞が異常に増えてしまったことです。さらに、基底膜から気道までの距離が、喘息患者では長くなっています。それは、血管や細胞の増加、コラーゲン等による線維化が進んだことが要因です。

このように、リモデリングの過程で線維化と細胞の異常増殖が起こり、気管支の本来の「空気の通り道」としての役割が障害されてしまっているのです(※5)。

慢性炎症はDNAも傷つける
また再生される細胞も、活性酸素によりDNAに異常が起こりやすくなり、発がんしやすくなります。

例えば、ピロリ菌に感染すると胃粘膜が破壊されてしまう「慢性胃炎」が起こります。胃がんは慢性的な炎症を背景に発生することが知られており、胃がんの実に99%がピロリ菌感染によるものなのです(※6)。

他にもヒトの悪性腫瘍の少なくとも20% 以上が慢性炎症と関連があるとされており、消化器がんに限っても、胃がんだけでなく、肝細胞がん、膵がん、大腸がん、胆嚢がん、食道がんなど、慢性炎症を発生母地とするがんは数多く存在します(※4)。

慢性炎症は病気になるまで気づかれにくい
生活習慣病を含む加齢関連疾患を引き起こすメカニズムとしても、慢性炎症の関与が指摘されています。慢性炎症は、老化、関節リウマチなどの自己免疫疾患や動脈硬化、メタボリックシンドローム、糖尿病、アルツハイマー病、COPD(慢性閉塞肺疾患)、がんなどと関連し、現代人に増えているさまざまな病態・病気にも炎症が関わっていることが明らかになってきています(※7)。

以上、「慢性炎症」の何が問題になるか、そしてどのような病気を引き起こすかについて解説しました。

慢性炎症の経過は非常に長く、急性炎症のような症状がないだけに病気になるまで気づかないことも多々あるという、まさに「くすぶる」という表現がぴったりな病態です。この慢性炎症が起こる原因と特徴、予防については、次回解説したいと思います。

【参考文献】
※1.日老医誌 2017: 54; 105-13
※2.Nat Rev Immunol 2013; 13: 875-87
※3.Mol Biol Cell 2002: 13; 4279-95
※4.日消誌 2011: 108; 1374-82
※5.Nature Review 2015. DOI: 10.1038/nrdp.2015.25
※6.Digestion 2012; 86: 59-65
※7.J Gerontol Series A 2014; 69: S4-9

文/中村康宏
関西医科大学卒業。虎の門病院で勤務後New York University、St. John’s Universityへ留学。同公衆衛生修士課程(MPH:予防医学専攻)にて修学。同時にNORC New Yorkにて家庭医療、St. John’s Universityにて予防医学研究に従事。

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